宇宙人エロヒムを迎えよう

宇宙人エロヒムを迎えよう
LET’S WELCOM THE EXTRA-TERRESTRIALS
ラエル著
監修:日本ラエリアンムーブメント
「彼らが実験室で人間を創造した」
1
RAEL
ACCUEILLIR
LES
EXTRA-TERRESTRES
Ils ont cree l’humanite en laboratoire
© Mouvement Raelien International 1984
This book is published in Japan by direct arrangement
with Mouvement Raelien International.
First published 1986 in Japan by Japanese Raelian Movement
2
まえがき
本書の著者ラエルは、異星人「エロヒム」からのメッセージとして、一九七四年~一九八〇年に、
フランスで以下の本を出版しています。①『真実を告げる書』②『異星人が私を彼らの惑星へ連れ
て行った』③『天才政治』④『宇宙人エロヒムを迎えよう』⑤『官能瞑想』の五冊です(①~⑤は
出版順、いずれも原題)。本書は④『宇宙人エロヒムを迎えよう』の日本語版です。
この本をお読みになる前に、①と②の合本となっている日本語版『真実を告げる書』
(無限堂刊)
を、ぜひ一度は目を通しておかれることをお勧めします。というのは、その続編ともなる本書の中
でラエルは、『真実を告げる書』の読者のさらなる理解を深めるために、さまざまな質問や疑問に
応えて、本書の一章を割いて、さらに詳細にエロヒムのメッセージを説明しているからです。
そして、この本には、エロヒムからテレパシーでラエルに伝えられた新たなメッセージと、一九
七五年十月七日のラエルの・不死の惑星への旅・の後、三年が経たなければラエルに公表の権利が
なかった驚くべき「真実の啓示」が述べられています。
ユダヤ―キリスト教徒たちが「悪魔」と呼び恐れている「サタン」とは、いったい何者なのか?
また『真実を告げる書』の中でラエルが私生児だったのは何を意味し、そのラエルがイエスとどん
な関係にあるのか? そして、聖書に残された最後の大予言、すなわち・ヨハネの黙示録・とは何
3
を描写したものなのか?
すべてが明らかとなります!
AH58/二〇〇三年八月
日本ラエリアン・ムーブメント
※仏語原書にある引用聖句の日本語への翻訳に当たっては、日本
聖書協会発行の『聖書』を参考にさせて頂きました――編集部。
4
宇宙人エロヒムを迎えよう―――目次
まえがき………………………………………………………………………………3
序 文………………………………………………………………………………………8
ラエル紀元三十一年(1976)十月七日の出現…………………………………………16
ラエル紀元三十二年(1978)三月十四日のエロヒムのメッセージ…………………18
新しい律法の修正…………………………………………………………………………19
第一章 質問に答えて……………………………………………………………………21
〈1〉第一と第二のメッセージの間の見かけ上の矛盾……21
〈2〉エロヒムによる創造の年代決定について……25
〈3〉イスラエルの民とユダヤ人……27
〈4〉ラエリアン・ムーブメントと金……27
〈5〉時空内に一定不変なものは存在しない……29
〈6〉細胞設計図のトランスミッションと額骨……32
〈7〉地球は、神の指先の微粒子か?……35
〈8〉ノアの方舟――宇宙船……37
〈9〉死後の生――すなわち夢と現実……38
5
〈10〉エロヒムの科学的発展のレベル……41
〈11〉神も霊魂も存在しない。ただ、エロヒムと遺伝子コードが存在するのみ……42
〈12〉無限の宗教……46
〈13〉伝統的宗教の将来……47
〈14〉ラエリアン・ムーブメントと天才政治……49
〈15〉創造者の創造者を誰が創造したのか?……52
〈16〉生きることは何の役に立つのか?……57
〈17〉快楽とは何か?……59
〈18〉死とは何か?……66
〈19〉性の自由――それは義務ではない……77
〈20〉ラエリアン・ムーブメントと同性愛……79
〈21〉神秘主義者と進化論者――すなわち偽預言者たち……80
〈22〉自殺……82
第二章 新しい啓示……84
悪魔は存在しない、私はそれに出会った……84
天にまします我が父よ……101
地球人へ、ヤーウェからのメッセージ――最終核戦争の啓示……105
6
第三章 無神論の宗教……122
翼のない天使たち……122
責任感の麻痺……129
第四章 ラエリアンの注釈と証言……146
科学から見たラエリズム――(マルセル・テルース)…146
〈1〉進化論的の蒙昧主義と、新ダーウィン主義の神話……146
〈2〉人類の新たな歴史のための仮説……150
〈3〉科学の目から見たラエリアンの洗礼……154
ある「司祭」の印象――――――――――――(ビクトール・ル・ジャンドル)……157
そうだ、私はラエリアンなのだ!――――――――――(マルセル・テルース)……164
我が聖職の再確認―――――――――――――――――――(イバン・ギルー)……172
放射能で死なないために積極的に生きる―――――――(ミッシェル・ブルエ)……179
マルクス主義からラエリアン運動へ―――――(ヌジョガ・アヴィロンジョゴ)……185
生存のための新しい技法―――――――――――――(ミッシェル・デディエ)……186
参考文献……190
*公式のウエブサイト・アドレス……191
7
序
文
初めに、この本をよりよく理解するためには、私の前二書をお読みになることをお勧めします。
※前二書は日本語版では合本の『真実を告げる書』(無限堂刊)のこと。従って、以下に述べられ
る「第一のメッセージ」と「第二のメッセージ」は、『真実を告げる書』の中の「第一部」と「第
二部」をそれぞれ指しています――編集部注。
さて、最初の著書で私は、地球上の生命は偶然による進化の産物ではなく、一つの創造
の結果であると述べました。私の述べたことは、地球上の生命は「神の創造」によるものではなく、
ちょうど、私たちの地球でようやく解き明かされてきた最新の科学的成果、つまり遺伝学と細胞生
物学とを、完全にコントロールできるまでになった異星人によって、実験室で創造されたというも
のでした。
異星人による地球上の生命創造――これこそが、私の著作の最も主要な眼目でした。
次に、私がどのような経緯から、これらの本を書くのに至ったかについて簡単に述べておきます。
それは、一九七三年十二月に、私ラエルがテレパシーに導かれて、オーヴェルニュの火山火口へ
行き、そこで、私たちよりもはるかに進んだ文明を持つ、異星人エロヒムからのメッセージを受け
取ったことが始まりでした。
エロヒムの伝えたメッセージは次のようなものでした。
8
はるか以前のこと、地球からずっと遠い惑星に、私たち地球人に似た生命体が存在し、「生命」
の秘密を発見して、実験室の中で生命を人工的に創造することに成功しました。それは、彼らがD
NA(デオキシリボ核酸)を完全にコントロールすることに成功したということです。
彼らは、彼らの世界での世論の非難を避けて、自由にこの実験を続けることのできる惑星を、宇
宙の中に探し始めました。私たちの銀河系(それは彼らの銀河系でもある)のあちこちに探査船を
送って、ついに彼らは、実験に適した大気を持つ一つの惑星を発見したのです。彼らはその惑星に
降り立ち、いくつかの実験場を建設しました。そこにおいて、彼らは全く自由に実験を行うことが
できました。植物を創り、動物を創り、最後には「彼ら自身に似せて」、人間を創造したのです。
すでにお気づきの通り、その惑星こそが地球だったのです。
生命の創造について、聖書には、非物質的で全能の神の成せる業のように書かれています。しか
し実際は、エロヒムによる壮大でファンタスティックな実験のことを、聖書は述べているのです。
ヘブライ語聖書の原典に出てくる「エロヒム」という言葉を、聖書の中で「神」と訳しているのは
大きな誤りです。エロヒムとは、ヘブライ語で文字通り「天空より飛来した人たち」を意味します。
そして、それが複数形であることが大変重要なのです。つまりエロヒムは、
「天空より飛来した人」
を意味する「エロハ」の複数形なのですから。
エロヒム、つまり「天空より飛来した人たち」を、私たちは単数の「神」に置き換えてしまった
のです。有史以来、これほどの大きな誤りを犯したことは、他では見当たらないでしょう。
確かに原始人たちにとっては、天空より飛来した人たちはすべて神としか思いようがなかったに
9
違いありません。例えば、アマゾンの秘境マット・グロッソの住民たちのところに、現代人がヘリ
コプターで降り立てば、自分たちと同じ姿の人間が空を飛んだり、空気より重い機械が空を飛んだ
りすることを彼らが理解できないのは、むしろ当たり前と言えるでしょう。彼らにとっては、それ
は超自然的な事として目に映るに違いありません。正しくそこに「神」を見ても不思議ではないで
しょう。
聖書に述べられているように、エロヒムは自分たちに似せて人間を創りました。実験場で、人間
は食・住を与えられ、安楽な生活を保証されていましたが、エロヒムは自分たちの創った人間の攻
撃性に驚いて、彼らを実験場から追放しました。聖書に詩的な叙述で語られている、
「地上の楽園」
からの追放がそれに当たります。
後に、エロヒムの息子たちは、人間の娘たちの美しさに惹かれるようになりました。そのことは、
聖書の『創世記』第六章第二節以下に語られています。
「エロヒムの子たちは、人の娘たちの美しいのを見て、自分の好む者を妻にめとった。……」
「これはエロヒムの子たちが、人の娘たちのところにはいって、娘たちに産ませたものである。
彼らは昔の勇士であり、有名な人々であった」
(『創世記』第 6 章第 4 節)
これ以上に明らかなことはないでしょう。人々がそう信じさせようとした全能で非物質的な神は、
当然のことながら性的欲望を持っていたのです。
『創世記』第三章第二十二節では、人間を我が子のように愛したエロヒムのある科学者たちが、
人間に、人間が神だと考えていたものは、実は同じ人間であると教えています。
10
「見よ、人は我々のひとりのようになり、科学を知るものとなった。……」
しかし、エロヒムの惑星政府は、地球に創造してしまった危険な生物(=人間)を、破壊してし
まわなければならないと考えました。サタンと呼ばれるエロヒムのひとりに導かれて、人間たちは
性悪であると考える一派が最終的に勝利を治め、地球のすべての生命の破壊が行われることになり
ました。それが、あの聖書に記された「大洪水」です。これは現代の私たちの原子爆弾に似ていま
すが、それよりもずっと強力で強大な力によって引き起こされたものです。
幸いにも、エロヒムのある一派は、人間たちの中にも善い者がいて生き残るに値すると考え、そ
れらの者と、選ばれた動物の種とを、宇宙船(ノアの方舟)の中に残しておきました。
この「大洪水」のあと、再び地球に新しい生命が移植されました。エロヒムはこの時になって、
自分たち自身もまた別の惑星から飛来した人たちによって、実験室で科学的に創造されたものであ
ることを知り、二度と再び、人類を滅ぼすことはしないと決意しました。つまり人類に、人類自身
による進歩を委ねたのです。
彼らはメッセンジャーを地球へ送り、宗教を創り、人類にその起源を教えました。そして人類が、
神秘主義に陥ることなく、自分たちの起源を十分に理解できるほど科学が発達したときに、宗教聖
典がその証拠となるようにしておきました。モーセ、イエス、仏陀、マホメットなどは、実はメッ
センジャーだったのです。
それ故に、エロヒムのひとりと地球人との間の子であるイエスは、当然のことながらこう述べて
いるのです。
11
「天にまします我が父よ」
すべてが理解可能となる時代を「アポカリプスの時代」と言います。そしてその時代は、私たち
が現に生きている現代(一九四五年より始まる)のことです。ところで、この「アポカリプス」と
いう言葉も間違って訳されてきました。なぜならば、それは、一般に信じられているような「世界
の終末」を意味するものではなく、ギリシャ語で「真実の啓示」を意味するものだからです。
ユダヤ人の国が再建された時がアポカリプスの時代である、と書かれています。現在、イスラエ
ルの国が再建されています。また、目の不自由な人がよく見えるようになる時がアポカリプスの時
代であるとも書かれています。現在、アメリカの科学者によって、視神経に接合する電子義眼が開
発されています。また、大洋を越えて人の声が伝えられる時がアポカリプスの時代であるとも書か
れています。そして現在、衛生中継で即時に地球上の各地と交信できるようになっています。
さらに、無機物で生命を創造することができ、「神」と「人間」が等しくなる時がアポカリプス
の時代であるとも書かれています。現在、人類は化学物質のみから遺伝子を実験室で合成すること
に成功しました。やがては、人工的に生命を創造することができるようになり、私たちは「神」と
等しくなることができます。
以上のことはすべて、もっと詳細に第一のメッセージの中で述べられています。第二のメッセー
ジの中では、私ラエルは、どのようにしてエロヒムが一九七五年十月にペリゴールで私と会い、人々
が「空飛ぶ円盤」と呼ぶ彼らの宇宙船で、私を彼らの惑星のうちの一つに連れて行ったかを述べて
います。
12
私はそこで、私たちには不可能もしくは奇跡としか考えられないような、数々の驚異的なものを
目の当たりにしました。それはちょうど、「コンコルド」のおかげでパリからニューヨークまで四
時間以内で行けることが、コロンブスの時代に同じ行程を、帆船に乗って何カ月もかけて渡った人
たちの目には、不可能もしくは奇跡としか考えられないのと同じことです。
その惑星で私は、モーセ、イエス、仏陀、マホメットといった偉大な預言者たちに会いました。
彼らは科学の力で生命を保たれていたのです。時が至れば、彼らがエロヒムと共に地球に再来する
ことは、諸々の宗教聖典が予告している通りです。
この「不死の惑星」と呼ばれている惑星では、人間は七〇〇年くらい生き、そして生前に採取・
保存されている一つの細胞から再生されます。この細胞には、個々人の設計図である遺伝子コード
が含まれています。
私は、私の額の真ん中から採られた一つの細胞から、自分のコピーが巨大なマシンの中で造られ
るところに立ち会い、すぐさま、もうひとりの自分と対面することができました。
この惑星には、地球での死後にこの惑星で再生され、永遠の生命を与えられた地球人も八四〇〇
人住んでいます。これらの人たちは、地球での人類の開花と発展に尽くした行為によって選ばれた
のです。実際、巨大なコンピュータが、地球上の個々人を受胎から死亡に至るまでを観察し、その
行動のすべてを記録しています。その死に際して、プラスの行為のほうがマイナスの行為よりも勝
っていると分かったとき、その人はこのエロヒムの不死の惑星で、偉大な預言者たちと共に永遠の
生命を得る権利を持つのです。
13
エロヒムはまた私に、人間精神の全面的な覚醒のための瞑想技術を教えました。人間は、非常に
僅かの能力しかまだ開発していません。この「官能瞑想」と呼ばれる技術によって人は、自分を構
成している無限小と、自分がその要素である無限大という二つの無限の間に、自分自身を位置づけ
ることができるのです。
エロヒムは私に、次のようなことを科学的に証明することができたと説明しました。
〈私たちを構成している微粒子の、そのまた微粒子の上に知的生命体、つまり他の人類が存在し
ています。また、地球やその他の星もまた、ほかの巨大な生命体を構成する微粒子です。そして、
その巨大な生命体自身もまた、他の惑星に生命は存在するのだろうかと自問しながら、おそらくは
別の宇宙を眺めていることでしょう。
宇宙は無限なので、その中心は存在し得ません。従って神も、死後身体から離脱する霊魂も存在
しません。
人間を構成する微粒子上に存在する知的生命体にとっては、私たちの経験する一秒は何百万年に
も相当し、それと同様に地球上の生命の一生は、地球がその構成微粒子の、そのまた微粒子である
巨大な生命体にとっては、十億のそのまた十億分の一秒にすぎないのです。こうした無限の各レベ
ル相互間の交渉は不可能なので、人間に威力を振るう、いかなる「神」の観念も存在することはで
きません。
最後に、空間と同様に時間も無限です。何も無からは生ぜず、物質の形態にせよエネルギーの形
態にせよ、すべては永遠に存在しています。「霊」の存在を信じている人が言うように、エネルギ
14
ーが物質よりも高尚なものであるということはあり
ません〉
エロヒムは私ラエルに、彼らが手渡したメッセー
ジを地球上に広めるための運動を起こし、エルサレ
ムのできるだけ近くに、大使館を建設することを要
求しました。彼らは、地球上の政府と公式に接触す
るためにそこに来るのです。
ラエリアン・ムーブメントは、その目的のために
結成され、一九七九年には三〇〇〇人以上の人たち
を集めました。彼らは、いつの日か大使館が建てられ、私たちの創造者たちがそこへ来るのを夢見
ながら、運動を続けています。
ところが、多くの人たちが私の主張(『真実を告げる書』と『異星人が私を彼らの惑星へ連れて
行った』の二つの著作で述べた)には矛盾があり、地球の科学者たちが最近発見した事柄とも矛盾
することが多すぎると指摘しています。
そこで私は、本書で、それらの指摘の見かけ上の矛盾について解明すると共に、エロヒムが今年
(一九七五年十月のコンタクトから三年後)になって初めて私ラエルに公表するように求めてきた、
いくつかの新しい事柄について詳述することにしました。
15
ラエル紀元三十一年(1976)十月七日の出現
一九七六年十月七日、約五〇人のラエリアンたちは、南西フランスのドルドーニュ地方のロッ
ク・プラに近い、ラ・ネグルリに集まって、一九七五年十月七日のコンタクトからの一周年を祝い
ました。一年前のちょうどこの日、私ラエルは彼らエロヒムの不死の惑星に連れて行かれ、第二の
メッセージを受け取ったのでした。
集会は午後三時から始まることになっていました。すべてのラエリアンたちが、二時四五分に、
予定の地で私の周りに集合しました。集会に参加した人たちは、・最後の預言者・
ラエルと共に過ごす時間を共有できたことに、感動を隠さなかったし、参加者の間には果てしない
調和の輪が広がっていました。
その時です――誰かが叫んで言いました。
「空から何か落ちて来るぞ!」
。一片の雲さえない空か
ら、フワフワした大きな物が落ちて来たのです。それは綿のような物にも見えましたが、触れると、
すぐに気化してしまうのです。
それから、また誰かが叫んで、「ほら、あそこだ! 空で何か光っている!」と、空を指差しま
した。しかし、その時はすでに、私たちの頭上には二つの円盤状の発光体がありました。さっきの
綿のようなものが十分間ほど降ったあと、二機の宇宙船は突然見えなくなりました。
この突発的な出来事にもかかわらず、トゥールーズのガイドであるロジェは、この綿状の物を試
16
験管の中に採取することに成功していました。彼はある研究所に勤務していました。ところが、分
析のために試験管の中から出すや否や、たちまちそれは気化してしまったのです。
この驚異的なひとときを体験することができたラエリアンたちは、はるばるフランスを縦断して
来たことを喜び、そして私から、彼らの細胞設計図の伝送(トランスミッション)をしてもらいま
した。集会の場所で正確な時刻に、エロヒムは、参加者たちに終生忘れることのできない徴を見せ
たのです。
こうして初めて、エロヒムが私たちに比べていかに進んでいるかを証言することのできる人たち
が、私ラエル以外にも登場することになりました。私の側にいた少なくとも五〇人の人たちが、そ
のことを証言できます。
ベルギーのガイドであるフィリップは、その後の調査で、これと似た現象が、これまで世界各地
で観察されていたことを明らかにしました。殊にイタリアでは、サッカーの試合中にこの綿状の物
が降り、二機の光り輝く宇宙船が現れて、そのために試合が中断された(!)という事実が報告さ
れています。同様のことは、ベルギーとブラジルでも観察されたということです。
私は、私たちの集会はこうした出現の証人となることが目的なのではない、と言っているのです
が、それでも集会のあるごとに、エロヒムが私たちをアッと驚かすようなことをまたしてくれない
かと、期待する人たちが多いようです。
17
ラエル紀元三十二年(1978)三月十四日のエロヒムのメッセージ
ラエル紀元三十二年(一九七八年)三月十四日のエロヒムのメッセージは、深夜の十二時に、テ
レパシーで私ラエルに伝えられました。
「私ヤーウェは、私のメッセンジャーであるラエルの口を通して、地球の人たちに次のメッセー
ジを送ります。
注意しなさい! 近いうちに、私たちとは違う異星人が、地球の人たちとコンタクトするかもし
れません。彼らはやはり、私たちが宇宙の他の区域で科学的に創造した人たちではあるのですが、
現在私たちは、彼らとは何の関係も持っていません。その理由をいま説明することは、あなたがた
地球人たちに混乱を与えることになるので、それはしません。
しかし私たちは、あなたがた地球人が、彼らと兄弟の関係にあることを知ってほしいと同時に、
彼らもまた彼ら自身の起源を知りたがっていることを理解し、彼らにもまた『真実を告げる書』と、
アポカリプス紀元三十年十月七日のメッセージを伝えてくれることを願っています」
これはこの三年間、つまりラエル紀元三十年の第二のメッセージと、三十四年(1979)の本書
の出版との間にテレパシーで伝えられた、唯一のメッセージであることに注意してほしいです。な
ぜなら、私たちが知らなければならないことは、ほとんど、最初の二つのメッセージに含まれてい
るのですから。
18
新しい律法の修正
第二のメッセージにある「新しい律法」の項の第六条は、次のように修正されます。
「ローマ・カトリック教会の例などのように、ラエリアン運動の長の極端な老齢化を避けるため
に、最高ガイド(最高教導者)は七年を任期として、ランク五のガイドたちによって選出されます。
この場合に原則として、選挙に参加するランク五のガイドは少なくとも十二人を必要とします。た
だし、ランク五のガイド数が人員に満たない場合は、ランク四のガイドを含めて選挙が行われます。
さらに、それでも人員に満たない場合は、ランク三のガイドが選挙に参加する形式を採ります。最
高ガイドは、ランク五もしくはランク四のガイドの中から選出されます。また、七年の任期終了後
に再選されることもあり得ます」
なお、この律法の修正に伴って、第四条の律法の修正も必要となります。すなわち、
「少なくとも年収の一〇〇分の一の寄付を、ラエル財団に対して為されなければなりません。財
団は、最高ガイドがメッセージを世界各国に伝えるための行動に専念できるように、その財政援助
をするものです」と修正されます。
さて、この第二のメッセージの修正は、私たちの創造者たちによって受け入れられました。運動
をより効果的にし、その普及活動を促進するために、ラエルによって提案された条項の正当性が承
認されたということを、これは意味しています。
19
◎編集部補足
これと関連し、以下に、ラエルに従いたいと願う人に対してヤーウェから授けられた、「新しい
律法」の条文のすべてを紹介します(
『真実を告げる書』第二部・第 2 章「新しい律法」の項参照)
。
第一――少なくとも生涯に一度は、最高ガイドの前に出ること。最高ガイド、またはその機能を
授かったガイドがあなたに手を触れることによって、あなたの細胞設計図はコンピュー
タに記憶され、あなたの生涯についての審判の時に役立つであろう。
第二――少なくとも一日に一度は、あなたがたの創造者であるエロヒムを思い起こすこと。
第三――あらゆる手段を尽くして、エロヒムのメッセージを周囲の人々に広めるよう努めること。
第四――本文参照(既出)。
第五――少なくとも一年に一度は、メッセージに関心のある人たちをあなたの家に集め、あなた
の地区のガイドを招いて、メッセージの重要性について教えを請うこと。
第六――本文参照(既出)。
20
第一章
質問に答えて
――この章では、私が出演した番組(TV・ラジオ等)で、記者から最もよくなされた質問と、
それに対する私ラエルの回答を述べます。――
〈1〉第一と第二のメッセージの間の見かけ上の矛盾
●質問 第一と第二のメッセージの間に見られる最初の矛盾は、あなたとエロハとの間の会話の初
めから出てきます。第一のメッセージの中で、あなたがエロハ(エロヒムの単数形)に対して、彼
の惑星に一緒に行くことは可能かと聞いたとき、そのエロハはこう答えています。
「だめです。まず第一に、あなたはそこで生きていられないでしょう。大気が地球とは全く違っ
ていますから。それにあなたは、宇宙旅行に耐えられるだけの十分な訓練を受けていませんから」
それにもかかわらず、ラエル紀元三十一年(一九七五年)十月七日の第二回目の出会いでは、あ
なたは彼らの宇宙船に乗せられ、彼らの不死の惑星へ連れて行かれました。そしてそこで、およそ
二四時間を過ごしたと言っています。
また最初のコンタクトのときには、宇宙船は、非常にゆっくりと現れたと述べています。まず数
十メートルの高さに点滅する赤い光が現れ、ゆっくり下降した。それから宇宙船が十分に下降し、
21
宇宙船の上部が見えるようになると、宇宙船の頂きに強い白熱光が点滅するのが見えたと。
一方、第二のメッセージが与えられたコンタクトのときには、宇宙船はロック・プラの茂みの中
に、何ら点滅する光もなく、突然、瞬時に地上すれすれに現れたと言っています。そして、あなた
を地上に下ろしたときも同じように、まるで分解したように瞬時に消え失せてしまったと述べてい
ます。
さらにもう一つの矛盾は、最初のコンタクトのときに、エロハの顔の周りには後光のようなもの
が取り巻いていたという点です。後でそれは、波動によって作られる防護マスクだとの説明があり
ます。
ところが、つい最近の出会いでは、彼は顔の周りに光るものは、もはや何もつけていないと言っ
ています。この矛盾は、第一のメッセージで云われていることによって、さらに大きくなります。
すなわち、
「しかし、あなたはわたしの顔を見ることはできない。わたしを見て、なお生きている人はない
からである」(『出エジプト記』第 33 章 20 節)
とあるからです。
あなたは、それについてこう説明しています。
「もし人間が私たちの惑星に来たら、宇宙服を着ていない創造者たちを目にすることができるで
しょうが、その大気のせいで、人間のほうが死んでしまいます」
あなたは、これらの矛盾をどのように説明するのですか?
22
★回答 これらの見かけ上の矛盾の説明は、とても簡単であり、次の一語に要約されます。すなわ
ち「心理学」です。
原始的な段階にある惑星の生命体とコンタクトを持って、定められた使命を遂行する場合には、
相手に心理的なダメージを与えないために、必要な注意事項がいくつかあります。
点滅する光を放つ、ある種の飛行体が空に出現するのを見ることは、科学の発達した国に住む現
代人にとっては、何ら衝撃的なことではありません。私たちは人工衛星やロケットをテレビで見慣
れており、子供の頃から、飛行機やヘリコプターを実際に見ています。また、それがどのようにし
て空を飛ぶのかも、大体のところは知っています。
そういう人たちを驚かせないで近づく最良の方法は、彼らの見慣れている、点滅する光を放つ飛
行体で、徐々に接近することです。その人たちにとっては、金属性の重い飛行体が空を飛ぶこと自
体は、何ら驚くに値しませんが、ただそれが、全く音もせずに空を飛ぶ姿を見ることには、多少は
好奇の目を注ぐかもしれない、という程度のものでしょう。
次に、その飛行体の中から現れる生物の姿は、パイロットや宇宙飛行士のような服装である方が
いいのです。彼の顔の周りの防護マスクは、私たちの知っているものに似ているので、いくらかは
私たちを安心させるでしょう。
このようにして、当初の目的に達することができます。すなわち――私たちを驚かすことなく、
かつまた、私たちの持っている技術を超えるものを見せることによって、自分たちが異星人である
のを証明することです。
23
第二回目にエロヒムの宇宙船が現れたときの、その現れ方に対する疑問ですが、その技術をカム
フラージュすることなく突如として現れたことについては、これは私自身がすでに、十分に心理的
な衝撃に対する心の準備ができていると、エロヒムが判断したからだと思います。
もしも最初の出会いから、エロヒムが突然に現れるということであったならば、私自身の心の平
衡は全く予期していなかった事態に、とても耐えられなかったであろうことは疑いありません。し
かし、エロヒムの周到な注意にもかかわらず、最初の出会いの後に私は少なからずショックを受け
たらしく、そのために、胃潰瘍の初期症状の治療に数カ月を要しなければならなかったのです。
確かにメッセージは、「わたしの口には蜜のように甘かったが、それを食べたら、腹が苦くなっ
た」
(『ヨハネの黙示録』第 10 章第 10 節)のです。エロヒムの事前の配慮がなかったならば、私は
もっと重い病気に罹っていたでしょう。
私たちは現代まで、天空より飛来した人たちに対する理解能力を十分に持つことができなかった
ので、エロヒムはできるだけ私たちに印象づけるやり方で、私たちの前に現れたのです。人間が何
も理解していなくても、とにかく、人間に彼らを信じさせることが、彼らの基本的なやり方であっ
たのです。
しかし、私たちは現在、アポカリプスの時代に到達しました。アポカリプスの時代とは「真実の
啓示の時代」のことです。すなわち、すべてが理解可能となる時代を意味するのであって、間違っ
ても、世間がそう信じ、どんな辞書にも出てくる「世界の終末」を意味するものではありません。
こうしてエロヒムは、地球上のあらゆる宗教聖典で語られている、私たちの創造者(聖書ではエ
24
ロヒムと呼称される)として認知されるような方法で出現することにしたのです。
聖書とは、エロヒムが最初の人類に伝えたものですが、それから数千年が過ぎ去って人類の知識
が十分に進歩し、エロヒムの空からの出現に「奇跡だ」と叫んで跪くことなく彼らを見られるよう
になった現在において、真実が承認されるようにと伝えられて来たものなのです。
最後に、エロヒムが私にメッセージのすべてを与える前に、私を試練の中に置いたことを忘れて
はなりません。このようにして、エロヒムはゆっくりと事を運んだのです。
私が彼らの宇宙船に乗って旅行することを望んだので、それ以上の要求をさせないために、それ
は私には不可能だと彼らは答えたのです。ちょうど私たちが子供たちに向かって、「酒を飲むと大
きくなれないよ」と答えるようにです。
つまり、エロヒムはその際に『出エジプト記』の一節を加えて私に言ったのです。その一節とは、
近づけてはならない未開人に向かって語られたものです。その時に未開人の取るべき態度は、理解
することではなく、ひたすら信じることだけなのです。
〈2〉エロヒムによる創造の年代決定について
●質問 エロヒムによると、今から二万五〇〇〇年前に、地球に生命が創造されたということにな
っています。しかし、今から数十万年前の動物の化石や骨が見つけられるのはなぜですか?
25
★回答 エロヒムが言っているように、彼らが地球そのものを創造したわけではありません。彼ら
が生命創造の実験を続けようと決めたとき、彼らは研究の続けられそうな大気のある惑星を宇宙で
探したのです。多くのテストと分析の結果、地球が選ばれたのです。そして彼らは地球にやって来
て、あらゆる形態の生命を創造したのですが、その中に人類が含まれていたということです。
しかしながら、彼らエロヒムが地球に来る以前に、一万年あるいは二万年前にすでに地球上で生
命の創造があり、それが自然による、あるいは人工的な大異変によって破壊されたという可能性を、
私は否定しません。
例えば明日、核戦争が起こったとしましょう。すべての生命は破壊されるでしょう。そして一万
年後に異星人がやって来て、再び新しい知的生命体を創造し、そして長い科学的発展のあとに、こ
の新しい生命体が私たちの破壊された文明の跡を発見したとすると、彼らは天空より飛来した異星
人が彼らを創造したとは信じられずに、その証拠として、二万五〇〇〇年前の骨の発見を挙げるで
しょう。
現在の地球上の生命は、地球上に創造された生命の最初のものではないし、また最後のものでも
ないでしょう。地球上にすでに幾多の生命の創造があり、それらは人類に相当する生命体の知恵の
欠如が原因で滅びていったのです。
26
〈3〉イスラエルの民とユダヤ人
●質問 第一のメッセージによると、イスラエルの民は、エロヒムの主催したコンクールで、知性
と才能の両面で最も優れた人種に選ばれた、とあります。しかし第二のメッセージでは、――ユダ
ヤ人は地球上における私たちの直系の子孫なのです。彼らが特別な運命を背負っているのもそのた
めです。ユダヤ人は、『創世記』に出てくるエロヒムの息子たちと、人間の娘たちとの子孫なので
す――と書かれています。これが矛盾ではなくて何なのでしょう?
★回答 エロヒムによって最も優れた人種に選ばれたのは、イスラエルの民です。彼らはイスラエ
ルの地にあった実験場で創られました。それらの人たちが最も優れていたので、エロヒムの息子た
ちは、その娘たちに魅せられて子供を作ったのです。それがユダヤ人です。こうしてイスラエルの
地に住みついた人種が、ユダヤ人となったのです。
〈4〉ラエリアン・ムーブメントと金
●質問 第一のメッセージには次のように書かれています。
「誰も、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方
に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。
27
地上に宝を貯えるのはやめなさい」(『マタイによる福音書』第 6 章第 24 節)
そして、バチカンはその富のために批判されているのに、ラエリアン・ムーブメントは会員に金
を要求しています。このことは、バチカンの過ちを再び繰り返すことにはなりませんか?
★回答 自分たちは豪華な生活をして、信者には清貧を勧め、貧者の金を使って多くの司祭を養い、
絶えず不動産の資本を増やし、時代がかった宮殿を衛兵と共に保持している者たち、すなわちこの
ローマの強奪者たちと、私たちとを比較してはなりません。
私たちの組織は、将来においても有給の司祭は持たないし、首都の四分の三を占める家や建物を
持ってもいません。
一方では、ローマでは多くの人たちが住宅難に悩んでいます。ところが、これらの不動産の価値
を下げないために、バチカンは自分たちの所有する建物に、誰も住まわせようとはしません。
また私たちは、金や銀で飾られた宮殿を将来に亘って決して持ったりはしません。
事実、私たちの運動のためには多くの金を必要とします。しかしこれは、ハッキリとした私たち
の目的を達成するためにです。すなわち、
①エロヒムのメッセージをすべての言語に翻訳し、地球上のすべての人類に伝える。
②大使館を建て、エロヒムが公式に、人類に接触を求めに来られるようにする。
この大使館は、豪華な宮殿でも大寺院でもなく、ごくありふれた快適さを持つ建物にすぎません。
そしてこの大使館は、現存する最も小さな国でも持っている程度の、外交特権を持つものとします。
28
さらに、幸いにして私たちが、この二つの目的を速やかに達成して、余りある金を集めることが
できたならば、その金を利用して大使館の近くに研究所を造り、そこで生命創造のための科学的研
究を進めたいです。そうすることで、私たちは創造者たちのレベルに近づくことができるのです。
さらにまた、生物ロボットの開発により、労働と貨幣からの解放を勝ち取り、天才と秀才の養成の
ための学校を作るのです。
そこでは、研究者たちには自由な研究活動が保証されます。そして、自分たちの研究が軍事・政
治権力などによって、さらに攻撃的な兵器の開発に利用されはしまいか、という心配とは全く無縁
の研究が続けられるでしょう。
〈5〉時空内に一定不変なものは存在しない
●質問 エロヒムの惑星は約一光年弱、すなわち光が一年間に進む距離(光は毎秒、約三〇万キロ
メートルの速さで進む)である約九兆キロメートルのところにあると、第一のメッセージには書か
れています。しかし現在、地球の科学者たちは、太陽外の最も近い恒星は約四光年のところにある
と言っています。この違いはどのように説明されるのですか?
★回答 エロヒムは、彼らの惑星がどこに存在するのか、私たち人間が知ることを全く望んでいま
せん。たとえ私たちの知識が今なお非常に原始的なものであっても、私たちの破壊的な性格を考え
29
れば、エロヒムのそれは容易に理解されるでしょう。
それらのことは、私たちが将来建設する大使館に彼らが公式に訪れたときに、すべて明らかにさ
れるでしょう。それまでの間は、私たちは自問することしかできないのです。ただ、私たちの運動
に参加しているある科学者たちは、次のような仮説を出しています。
すなわち、曲線に沿って移動する光によれば四光年、直線的に進行する光によれば一光年である
と。光は、宇宙の各層の中を同速で進行するわけではないのです。なぜなら、時空内に一定不変な
ものは存在しないからです。
現在の科学者は、限られた時間、限られた空間の観察から、無限の時空に関する結論を引き出そ
うとする重大な過ちを犯しています。人は常に、自分の知識によってのみ判断するという過ちを犯
しています。地平線上にある者にとっては、地球は常に平坦なのです。
こういうことは、炭素 14 による年代決定、あるいはカリウム―アルゴン、ウラニウム―鉛―ト
リウムなどの、放射性元素による年代決定についても言えることです。そのことについて論及した
興味深い著作が『進化か創造か』という本です(巻末の参考文献を参照)。これらの年代決定の誤
りは、原子の運動が常に一定であるという原理から出発しているところにあります。なぜなら、宇
宙の時空内に一定不変のものは存在しないからです。誤った原理に基づいて計算された結果が、正
確ではないというのは当然のことです。
一つの例を挙げましょう。二五歳の青年の一年間の成長は約一ミリメートルです。だからといっ
て、身長が一メートル七五センチの彼が、誕生してから一七五〇年の歳月が経過したことにはなり
30
ません。この青年の成長は、決して一定不変なものではなかったということを忘れてはなりません。
生まれて(受胎時)から最初の一年間は五〇〇ミリ以上、四歳から五歳の間は六〇ミリ、七歳から
八歳の間は三〇ミリ、一四歳から一五歳の間は再び八〇ミリという年間の成長数字は、まさに人間
の成長が一定不変なものではないことの証です。
このように、成長過程の部分的な観察から年齢を決定するということは、すべて失敗に終わりま
す。逆に、最初の一年間の成長の六〇センチから出発すれば、二一歳には一二メートル六〇センチ
にもなります……。
●質問 第一のメッセージに、エロヒムは今から二万五〇〇〇年前に、原初の大陸を造り、そこか
ら各部分が離れて現在の大陸ができた、とあります。これらの大陸は、今も分離し続けています。
例えば、アメリカ大陸は、科学者により数値は異なりますが、ヨーロッパ大陸から年に数センチ、
あるいは一メートルの割合で離れつつあると云われています。
いずれにしろ、例えば一メートル移動するとして、二万五〇〇〇年の間には二万五〇〇〇メート
ル、すなわち二五キロメートルだけ離れることになります。ところが、実際には北アメリカは、ヨ
ーロッパから数千キロメートルも離れています。このことはどう説明されるべきですか?
★回答 この質問に対する答えは、前問に対する回答と全く同じです。人間の成長にあっては、第
一年目と第二十一年目との成長比率は、六〇〇対一です。大陸の移動の場合は、それは数千倍にも
31
なるでしょう。再び繰り返しますが、時空内に一定不変なものは存在しません。
大陸は、今日ではおそらく、一年に数センチメートルの割合で移動していますが、最初の頃は数
百キロメートルの割合で移動していたのです。最近のアラビア半島付近で起きた地震では、一夜の
うちに、二つの地域を一メートル以上も引き離す断層ができました。
私たちは現在、地球が比較的落ち着いた時期に居合わせているにすぎないのです。私たちの父た
ちによる原初大陸の創造の・嵐・は、二万五〇〇〇年の間に徐々に和らいでいったのです。
繰り返しますが、無限の時間と空間の中では、物質にもエネルギーにも、一定不変なものは何も
存在しないのです。
〈6〉細胞設計図のトランスミッションと額骨
●質問 ラエルを、創造者エロヒムの使者、すなわち最後の預言者と認める人たちは、ラエル、あ
るいはラエルによって資格を授けられたガイドによって、自分たちの細胞設計図のトランスミッシ
ョン(伝送)をしてもらうことが求められています。これは将来、不死の惑星で彼らの再生を可能
にするために、各ラエリアンの遺伝子コードを保存しておくためと思われます。
一方、ラエリアンは、その死後の額骨が最高ガイドに送られるように、遺言を残しておくことを
求められています。すでに細胞設計図のトランスミッションが行われているのであれば、それは何
の役に立つのですか?
32
★回答 細胞設計図のトランスミッションは、各ラエリアンが生きている間に、生を通じてエロヒ
ムを私たちの創造者として承認することであり、額骨の移送は、各ラエリアンが死を通じて、エロ
ヒムを創造者として承認することなのです。この二つが一緒になって、「生と死を通じた」承認を
構成するのです。
各個人の細胞設計図、すなわち遺伝子コードは、私たちの生きている間の行為のすべてを記録す
る巨大なコンピュータに登録されています。このコンピュータは、精子と卵子の出会いである受胎、
すなわち新しい遺伝子コード、つまり、新しい人間の創造以後の私たちの行為のすべてを記録して
います。
それらの記録は、私たちの死に際して、エロヒムが諸国人の中から最も意識の高い人たちを受け
入れる惑星において、永遠の生命を与えるかどうかの判定審査に使用されるのです。
●質問
うか?
あるラエリアンが事故で死亡し、その身体が完全に破壊されたときは、どうなるのでしょ
★回答 そのラエリアンが、額骨が最高ガイドに送られように遺言を残しておけば、私たちの一生
涯を監視するコンピュータにそれが記録されるので、何ら問題はありません。同様に、額骨の採取
というラエリアンの遺言が、当局によって守られない場合でも、別に問題はありません。重要なの
は、各ラエリアンが、求められている意味できちんと遺言を残すことなのです。
33
仮に、ラエリアンの数が何百万人にもなれば、政府も彼らの遺言を無視できなくなるはずです。
初期キリスト教徒の遺言は、決して守られはしませんでした。彼らが少数派であるうちは守られな
かったのです。ラエリアンの運動は、第三の十世紀(二十一世紀から)には地球の多数派の宗教に
なるでしょう。そしてその時には、ラエリアンの末期の意志は尊重されるでしょう。
●質問 大多数の人は歳をとってから死にます。彼らは再生されるときに老人として再生されるの
ですか? その場合、永遠に老人として生きることになるのですか?
★回答 そういうことはありません。不死の惑星で永遠に生きるために再生の機会を得た人は、若
者として再生され、力と能力に満ちた肉体を持っています。再生のたびに、彼はそのようにして生
きます。それが永遠に続くのです。
●質問 あなたに従う人のみが救われるということですが、もしも、人類の幸福と開花のために人
生を歩んでいる人が、エロヒムのメッセージを聞く機会を持たなかったならば、彼は救われないと
いうことになるのですか?
★回答 そういう人は、正しい人たちの中のひとりなので救われます。
メッセージのこの部分は、その内容を知っている人たちにのみ関係があるのです。人々の中で、
34
私たちの創造者たちが与えた指標に従う人たちのみが救われます。しかしこの地球上で、何よりも
人類の進歩に尽くし、隣人を可能な限り援助し、そしてエロヒムのメッセージを知ることもなく死
んでいったとしたら、この人もまた正しい人たちの中のひとりである以上は、救われるのです。
メッセージを知っている人よりも、メッセージは知らないが正しい道を歩む人のほうが許される
でしょう。なぜなら、メッセージを知った人たちは、自分の行為を変えなかったことや、自分の行
為に十分注意しなかったことに対して、何ら弁解の余地がないからです。
〈7〉地球は、神の指先の微粒子か?
●質問 メッセージによると、私たちの地球は、私たちがその一部分を構成している巨大な存在の
微粒子の、そのまた微粒子にすぎないと云われます。それはあたかも、私たちを構成している微粒
子のそのまた微粒子の上に、知的生命体が存在するようなものです。それならば、私たちがその一
部分にすぎない巨大な存在を、神と考えることはできないのですか?
★回答 すべては、「神」という語で何を意味するかによります。もしもそれが、無限を意味する
のであれば、部分的に答えはイエスです。なぜなら、私たちがその一部分にすぎない巨大な存在も、
さらに大きな存在を構成する微粒子である惑星上で生きているからです。こうして、いくらでも大
きな無限へと続いていきます。もしも「神」という語で、私たちの上に立って威力を振るう存在を
35
意味するならば、答えはノーです。なぜなら、そのような神は存在しないからです。
私たちの地球が、その構成微粒子の中の一つにすぎない無限に大きな存在は、私たちに対して何
の威力も持ちません。なぜなら、その存在にとっての時間は非常にゆっくりと流れるからです。そ
の存在が何かをちょっと考える間に、私たちにとっては何千年もの時間が経過するのです。
逆に、私たちを構成している微粒子の、そのまた微粒子の上に存在する生命体が、何かを考えて
いる間というのは、私たちにとっては、十億のそのまた十億分の一秒ぐらいの時間にしか相当しま
せん。この無限に小さな存在は、私たちを神と考えることがあるかもしれません。しかしそれは、
私たちが巨大な存在を神と考えるのと同様に誤りなのです。
宇宙は無限であるから、中心は存在しません。従って、全能で、あまねく存在する唯一の神とい
うものはあり得ません。無限はあまねく存在し、私たちがそれを構成し、またそれが私たちを構成
するのです。しかしそれは、決して私たちの上にいかなる威力を持つものでもないし、私たちの決
定や行為には「無限に」無関心であるのです。
また、私たちがその一微粒子の寄生物にすぎない巨大な存在が、人であるとは言っていません。
それは犬であるかもしれないし、ミミズであるかもしれません。エロヒムが立証できたことは、そ
れが何らかの生命を持ったものであるということだけです。
36
〈8〉ノアの方舟――宇宙船
●質問 メッセージによると、ノアの方舟は宇宙船です。ところで、今から数年前に、アララト山
の氷河の中から舟の残骸が発見されましたが、ある人たちは、これがノアの方舟の残骸だと断定し
ました。すると、ノアの方舟はやはり舟であったと言えますが、このことはどう説明されますか?
★回答 発見された木片は、最近の分析により、たかだか七〇〇年前のものであることが判明した
そうです。そうすると、その木片のノアの方舟は、紀元一二〇〇年頃のものとなります。たとえ年
代決定法に大きな誤りがあったとしても、これを三倍にしてみて、約二〇〇〇年前のものとなりま
す。すると大洪水は、ちょうどキリスト紀元の初頭となり、これもまた算定がうまくいきません。
次に例えば、約五〇〇〇年前の木製の残骸を発見したとしましょう。これだと、本当の「大洪水」
の時期に対応します。しかしそれは、ノアの方舟が直ちに木製の舟であったことを示すものではあ
りません。確かにアララト山の近くで、真の大洪水の時代の木製の破片を発見することもあるでし
ょう。なぜなら、ノアがある人たちを大洪水から救うために宇宙船を建造したときには、彼の国の
港には木製の舟があって、地球の全生命を破壊するための大爆発で起こった津波で運び去られたか
らです。言葉を変えれば、ちょうどフロリダで、月に宇宙飛行士を送るための最新ロケットの近く
に、アメリカの億万長者の素晴らしいヨットが沢山あるのと同じことです。
核戦争が起これば、いくつかの爆発によって大津波が起き、これらの舟を藁屑のように近くの山
37
頂へ運び去ることでしょう。その時に生き残る人たちがいたとすれば、数世紀の後にこれらの破片
を発見して、その昔大洪水があり、それをそこまで運んだと考えるかもしれません。その上に何か
の記録が、幾人かの人たちは舟によってこの大洪水から救われた、と記してあれば、その際には確
かにこれこそが、その時の舟だということになるでしょう。
大洪水が、一般に信じられているように長く続いた雨の結果ではなく、急激に地表のすべてを襲
った大異変の結果である、と知ることのできる重要なポイントがあります。
もしも間断なく降り続いた雨の結果であるならば、すべての舟は救われたはずです。すなわち、
当時のすべての水夫たちは何ら問題なく救われたでしょう。ところが、「ノアの方舟にいたものだ
けが救われた」と書いてあります。これは、極めて当然のことです。なぜなら、前に述べたように、
ノアの方舟は宇宙船であったからです!
〈9〉死後の生――すなわち夢と現実
●質問 最近の出版された本に、意識不明に陥ったあと、再び生き返った人たちの証言を集めたも
のがあります。これらの中で共通しているのは、皆、死が近づいたときに、ある種のイメージを持
つことが挙げられます。例えば、調和に満ちた人たちが白衣を着て歌っていたとか、亡くなった人
が出てきたりします。あなたは、エロヒムが再生のために介入しなければ死後には何もないと言い
ますが、これらの証言に顕われるこうした共通性をどう説明するのですか? それは、霊魂の存在
38
を証明していることにはならないのですか?
★回答 人間の脳の中で起こることは、すべて電気化学的反応の結果です。愛情、憎しみ、快楽、
苦悩、想像、その他のあらゆる精神的状態、感情、あるいは病気であろうとすべて、電気的メッセ
ージによって脳内に生じた化学反応に基づいています。視覚的なもの、聴覚的なもの、あるいは記
憶されたものや、記憶された知識による新事実の解釈についても同じです。
人は、強く速く呼吸をすると、すぐに頭がクラクラしてくるでしょう。一〇〇人の人間に同じこ
とをさせれば、彼らの証言は一致するでしょう。一〇〇人に一キロメートルの道程を走らせれば、
彼らは同じように息を切らします。このように一つの現象には、すべての人にとって同一の物理的
反応が対応します。
人が無意識状態に陥れば、脳内の血液はある一定の仕方で流れ、脳細胞には、ある一定の仕方で
酸素供給が成されます。そしてこの化学的条件が、大体すべての人に共通した反応を引き起こすの
です。石灰岩の上に酸を落とせば、泡が生じるのと同じことです。一〇〇人の人間を、同じように
頭を叩いて、無意識状態に陥らせれば、これらの人たちは同じようなものを見たというに違いあり
ません。実際、化学反応が起こり、その中から記憶に残ったものを彼らは単に述べているだけなの
ですから、それはちょうど、夢を見ているときと同じようなものです。
例えば、十メートルの闘牛が火を吹いて追ってくる夢を見て、それと同じ夢を見た人が他に十人
もいたからといって、私たちはそれが、十メートルの大きさで火を吹く闘牛の存在の証明になると
39
は考えません。私たちは多かれ少なかれ、つま先でちょっと弾みをつけただけで空を飛べる、とい
う夢を見たことがあるでしょう。しかし、それだからといってツバメと同じように、空を飛び回る
ことができるとはならないです。要するに、何百万の人が同じ夢を見たからといって、それが可能
であるということにはならないのです。
夢を現実と取り違えてはなりません。たとえ科学によって、私たちの夢の実現のために努力すべ
きであるとしてもです。
無意識状態から戻った人たちが一様に、彼らは昏睡中にとても良い気持ちであって、再び「もと
の身体」に帰りたいとは思わなかった、ということがあっても、驚くには当たりません。むしろ彼
らは、自分の身体を意識したくはなかったのだと言うべきでしょう。ちょうどそれは、とても快い
夢を見たときに、再び悦楽を求めて眠りにつこうとするようなものです。
無意識状態に陥った人たちが同じような証言をするということは、それが、脳内に起こる共通の
化学反応によるものであることを示しています。従って、電気現象に対しても同じ反応を引き起こ
します。もしも一〇〇〇人の人間の脳の正確に同じ場所に、電極を差し込んで同じインパルスを送
れば、彼らは同じ感覚を抱き、同じようなイメージを持つでしょう。それはちょうど、死に際して
起こる現象についても言えることです。
死後に、不死の惑星で再生される権利を持った人には、その死が完全に本物であるときに、この
再生が起こります。しかし、無意識状態であれ、生きている限り何も起こりはしないのです。
40
〈10〉エロヒムの科学的発展のレベル
●質問 エロヒムが私たちより二万五〇〇〇年も文明が進んでいるにしては、私たちと彼らとの間
の科学的レベルの差が少なすぎるように思われます。彼らの科学的レベルに私たちが辿り着くには、
もっと少ない時間しか必要としないでしょう。これについてはどう思いますか?
★回答 私は自分が見たことを語るために、現在の人たちが理解しやすい言葉を使って、科学的に
発展した国々の大部分の人たちに分かるように、心理学的な配慮をしたつもりです。実際には、エ
ロヒムの科学技術の能力とレベルは、想像を絶するものなのです。
二〇世紀後半の私たちの科学レベルは、一〇〇年前のヨーロッパ人、あるいは今でもアマゾンの
原住民たちにとっては奇跡でしょう。しかし、私たちの創造者たちのレベルは、私たちの時代の最
も進んだ科学者の目にさえ、奇跡として映るでしょう。
彼らは、普通には何も見せてはくれないでしょう。なぜなら、私たちの理解を超えるものを見せ
ても、結局は無理解のうちに終わり、原始的な宗教を生じさせ、盲信を復活させるだけであるから
です。エロヒムは、私たちが何よりも自分たちの力で、身の周りの物質とエネルギーについて理解
するように努めることこそを望んでいるのです。
同じように彼らは、最初は私をあまり驚かさないように、点滅する光を伴い、宇宙服を着用して
私の前に現れました。しかし、ロック・プラでの出会いのときのように、彼らは瞬時に、地上すれ
41
すれに現れることもできるのです。彼らにあっては、私たちの最も想像力のある科学者ですら想像
の及ばない、技術の枠を見せることが可能です。
例えば、電子や中性子といった無限小の構成分子、または惑星や太陽系全体といった無限大の構
成分子を相手に私たちが困難を窮めている事柄を、彼らは行うことができるのです。あるいは、太
陽系の中の惑星の軌道を変えたり、太陽系そのものを移動させたりすることもできるのです、と言
えば、分かってもらえるでしょうか。これらのことは、私たちのいまだ知りえぬ波動によって為さ
れる、ということだけは言っておきましょう。
最初の二つのメッセージの内容に戻りましょう。私たち地球の現在の科学レベルと、永遠の生命
を約束する、生命の科学的再生の卓越した技法との間には、まだまだ、越えるのにかなりの時間を
必要とする大きな壁があるのです。
〈11〉神も霊魂も存在しない。ただ、エロヒムと遺伝子コードが存在するのみ
●質問 メッセージによると、神は存在しません。宇宙は無限で、その中心は存在しないからです。
そして、同じ理由によって霊魂も存在しないと言います。しかしラエリアンにとっては、エロヒム
は神と同じではないのですか? そして「不死」の惑星で再生される可能性があるということは、
「天国」へ入ることのできる「霊魂」の概念に取って代わるものではないのですか?
42
★回答 実際、宇宙は無限であり、無限はその定義によって中心を持ち得ないのですから、「神」
というものは存在しません。
「神」とは実際は無限を意味し、何か永遠のものであまねく存在するが、触れることのできない
ものであり、私たち個人の上に何ら力を振るうものではない、と考える人たちと、「神」とは白い
ヒゲを生やして雲に乗り、私たちをその姿に似せて創ったものだというふうに考える人たちとは、
区別して捉えたほうがいいです。
原初以来、この二つの概念は混同され、不覚にも完全に異なる概念が、同じ名称で呼ばれてきた
のです。それは、エロヒムが最初の人間たちに対し、一方ではあまねく存在し、永遠で、私たちが
その一部であり、かつそれが私たちの一部分でもあるような無限が存在すると説明し、他方では、
自分たちの姿に似せて私たち人類を創造したのは彼らエロヒムである、と説明していたためです。
次第に私たちは、エロヒムに無限の諸特性を与えるようになりました。彼らは不死ですから、こ
れは一面では真実でしょう。そして、無限には、天からのメッセンジャーを私たちに送って、その
存在を示す力と、私たちの創造主であるという特性を与えました。このことも一面では真実です。
なぜなら、エロヒムがその姿に似せて知的生命体を創造したとき、彼らはある程度、無限の媒介者
であったとも言えるからです。
しかし、無限は私たちを常に直接見守っているわけではなく、私たち各個人の行為について何ら
意識しているわけでもありません。無限にとっては、私たちが黄金時代に入ろうが、自己破滅をし
ようが、一向に構わないのです。ちょうど私たちが布地に触れたときに、私たちの指から離れてい
43
った分子が、私たちにとっては重要ではないのと同じことです。
無限に関しては、各レベルにおいて淘汰があるのは当然です。地球がその頭骸、あるいは爪の微
粒子にすぎない人か犬、あるいは私たちの親指の爪の中の、何十億もの生命が棲む惑星や恒星につ
いても、同様のことが言えます。
多くの東洋の宗教が教えているように、「神」が無限であると考えることは、私たちがそれを固
有の実体を持たないと考える限り、間違っていません。
「神」を私たちの創造者エロヒムであると考えることも、間違ってはいません。もちろんエロヒ
ムを、跪く対象と見たり、伏せたり崇めたりしなければならないもの、と考えることは正しくあり
ません。いつの日か私たちが生命を創造したときに、それらに愛してもらいたいと私たちが思うよ
うに彼らを愛するのが良いのです。こうして、彼らは無限の兄弟たちとなるのです。
「霊魂」については、よく理解を深めるために、その語源にまで遡らなければなりません。「霊
魂(ame)」はラテン語の「anima」から由来し、これは「生命の息吹き」とか「活性を与えるもの」
を意味します。
例えば、人体の組成を正確に解析し、それから化学的成分をすべて混合しても、生きた人間を得
ることはできないでしょう。これらすべての物質を定められた計画に従って結合させ、連結させ、
組織化させることのできるものが欠けているのです。また、建てようと思う家の材料、つまり十数
トンの石、一トンのセメント、一〇〇キログラムのペンキ、二つの洗面台、一つの浴槽などのすべ
てを寄せ集めたところで、家ができるわけではありません。そこには最も大切なもの、すなわち設
44
計図が欠けているからです。
人間についても全く同じことが言えます。一つの設計図が必要なのです。この設計図とは遺伝子
コードのことです。ほんの僅かの物質を集めて、細胞設計図を含むような最初の細胞を造ります。
こうなれば、もう人間は形成されたも同然です。この最初の細胞が二つ、四つ、八つといった具合
に分裂していって、ついには、遺伝子の「設計図」に描かれているすべての情報が実現されること
になります。
この遺伝子コードというのはどんな生物も持っていて、それぞれ生物の種によって異なり、また
同一種内でも、細部においては各個体によって異なっています。例えば目の色や、髪の色や、性格
などがそれに当たります。そして、聖書にも大変明確に、人間ばかりでなくどの生物も、「霊魂」
を持っていると書かれています。
「しかし、肉は、その霊魂である血のままで食べてはならない。わたしは、あなたがたの血のた
めには、あなたがたの霊魂の値を要求する。わたしはどんな獣にでもそれを要求する。また人にも、
兄弟である者にも、ひとのいのちを要求する」(『創世記』第 9 章第 4・5 節)
「なぜなら肉の霊魂は血にあるからである」(『レビ記』第 17 章第 11 節)
従って、死後にフワフワと、身体からエーテルのごとく飛び去っていく霊魂は存在しません。し
かし、各人の個性となる遺伝子コードは存在します。そして、地球上で生きている間に永遠の生命
を得るに値する行いを為した人たちを、エロヒムの惑星で再生できるのはこの遺伝子コードのおか
げなのです。
45
神は存在しませんが、私たちの創造者であるエロヒムは存在します。私たちはエロヒムを信じ、
彼らを迎えたいと願っています。死後に身体から飛び去っていく独自の霊魂は存在しませんが、永
遠の生命に至るための遺伝子コードは存在するのです。
〈12〉無限の宗教
●質問 あなたのラエリアン・ムーブメントは無神論的宗教であり、その目的は、エロヒムによっ
て与えられた神秘のベールを剥がすメッセージを地上に広め、地球の諸政府とエロヒムが接触を図
るための大使館を建設することであると言います。
人間が英知を示して自己破滅を免れ、メッセージがあらゆる言語で広められ、大使館が建設され、
エロヒムがやって来たと仮定しましょう。その時に、ラエリアンの宗教は何の役に立ち、何がその
目的となるのですか?
★回答 もしもそれが起こるとしたら、それが起こると私は信じているのですが、たとえ人間が英
知の道を選ぶという可能性が一〇〇分の一もないとしても、英知の道を選んだあかつきには、人間
の宗教とエロヒムの宗教とは同じものとなるでしょう。すなわち無限です。そして、ラエリアンの
ガイドの人生目的は、無限との調和のうちに生きる技術(これについては、第二のメッセージの「心
を開く鍵」の章の中で簡潔に述べている)と、官能瞑想の技術とを教えることです。
46
ひと言で言えば、自己の意識レベルの向上および、脳内に起こる電気化学的変換と反応を知覚す
る能力を高めるための、すべての技術です。
無限の宗教、それは絶対の宗教です。当然それは、永遠のものです。私たちよりも二万五〇〇〇
年も進んでいる生命体がこの宗教に忠実であるということが、この宗教が、無限という宇宙的意識
レベルに到達したあらゆる生命体の、絶対かつ永遠の宗教であることの証です。
覚醒の実習は定期的に組織されて、それは、官能瞑想によってこの無限の宗教に近づくことを目
的とします。
〈13〉伝統的宗教の将来
●質問 エロヒムが、「不死」の惑星に生きているモーセ、キリスト、仏陀、マホメット、その他
すべての偉大な預言者らと共に大使館へやって来たとしたら、現在の宗教はどうなるのですか?
★回答 大部分の宗教はラエリアン・ムーブメントに合流するでしょう。少なくとも、それらの宗
教の聖典に忠実なる信者たちで、十分に知性的で理解能力のある人たちは、ラエリアン・ムーブメ
ントに合流するでしょう。
不幸なのは、それらの宗教の僧侶たちであり、その収入源が無くなることを恐れる者たちに導か
れている偏狭な狂信者たちの多くは、この大合流には反対するでしょう。彼らは言うでしょう。
「エ
47
ロヒムは搾取者たちである」あるいは「・悪魔・から遣わされた者たちだ」と。そして、彼らのキ
リストに対してさえ、再び彼を何の躊躇もなく十字架にかけようとするでしょう。ちょうど、かつ
てキリストが役人の手にかかって、彼らに災いをもたらしたという理由で、妖術者として磔にされ
てしまったように。
最近私は、モントリオールのユダヤ教の責任者のひとりと昼食を共にすることがありました。食
事の最中に、私は彼に尋ねました。
「もし、モーセがいま現れて、『旧約聖書』の教えとは違うことを、あなたに実行するようにモ
ーセ自らが命じたらどうしますか?」
彼は答えました。
「私は、聖書に書かれていることを実行し続けるでしょう」
多くの人たちがこのように考えており、これが、エロヒムが人間によって認められるときに起こ
る一つの問題です。従ってエロヒムは、彼らが私たちの間に生み出した信仰よりも、強力なもので
なくてはならないのです。
仮に、明日にもエロヒムが、地球のどこかに着陸するとしましょう。エロヒムに会いに来た政府
関係者やマスコミに対し、エロヒムが神も霊魂も存在しないことを説明し、イエスその人を彼らに
見せたとしたら、バチカンは簡単に、その財産をイエスの手に委ねるでしょうか。答えはノーです。
なぜなら、カトリック教会の基本的な目的以上に、組織というものがはびこってしまっているから
です。
48
すべての修道女は、キリストの花嫁です。もしイエスがやって来たら、彼女たちはイエスに身を
任せるのでしょうか。どこかにイエスが生きているとは信じていますが、実際にはいない人の花嫁
であって、本当に彼が戻って来たら、彼女たちは非常に困ってしまいます。これが、修道女たちの
問題です。
ある偉大なる思想家が言ったように、人は人の意見を変えることはできず、ただ、彼らが死んだ
あとに、より進歩的で異なった意見の持ち主が、それに取って代わるだけなのです。時が、私たち
に味方するのです。
確かに、常にいくらかの狂信者たちは残るでしょう。しかし、ちょうど初期キリスト教徒たちを
迫害したキリスト教以前の宗教の狂信者たちが、その信仰と共に消えていったのと同様に、彼らも
また消えていくことでしょう。
問題が起きるのは、ただ、エロヒムが現在の原始的信仰が完全に無くなる前にやって来た場合で
す。
〈14〉ラエリアン・ムーブメントと天才政治
●質問 あなたは『天才政治』
(日本語版『天才たちに権力を!!』無限堂)という本を出版して、
「世界天才政治運動」を結成しました。しかしそれは、宗教運動を利用して政治的教義を押しつけ
ようとするための手段ではないのですか?
49
★回答 多くのラエリアンたちが、特に第一のメッセージの、エロヒムの惑星における政治組織の
形態を説明した章に関心を持ち、私にその考え方を小冊子にして、そのイデオロギーに基づく政治
運動の組織化に役立たせることを希望しました。
人々がより良いものを発見することができるならば、それに任せることにして、とにかくエロヒ
ムが地球に天才政治が移植されることを望んでいるので、私は小冊子を書くことを承知しました。
次いで、特に「天才政治」に興味を持った何人かのラエリアンたちは、天才政治を掲げる政党を
作り、設立後数カ月にして、選挙にその候補者を送り込みました。
個人的には、天才政治が発展しつつある国々においての私の態度は、とてもハッキリしています。
私の地球での使命は、何よりもまず創造者たちのメッセージを広め、そして彼らの要求している大
使館を建設することです。天才政治に没頭している人たちは、私がこの使命に私の全時間を捧げ、
彼らが良い結果を得るようにと望みながらも、とにかく私は彼らの問題には関わっていないと感じ
ていることを知っています。
さらに私は、この政治運動を組織したガイドたちに、できるだけ早く、彼らに代わりうるラエリ
アンではない人たちを見つけ、自分たちガイドは、ラエリアンとしての本来の仕事に専念できるよ
うにすべきだと言い続けています。彼らにとっては、ガイドの仕事が最も重要なのですから。
しかし、選挙のときに天才政治を掲げる候補者がいれば、私はラエリアンたちに、常に彼らに投
票するように勧めるでしょう。ちょうど、キリスト教徒であると同時に民主主義者であることがで
きるように、ラエリアンであり、同時に天才政治主義者であることはできるのです。
50
人は一つの宗教と一つの政治的意見を持つことができます。しかし、ラエリアンだからといって
天才政治の政党を支持しなければならない、ということはありません。それどころか、人は一度に
は一つのことしか十分にできないと私は考えるので、ラエリアンたちには、行動的に天才主義に参
加したりしないで、むしろ、非ラエリアンに任せておくようにと言っているのです。
一日に八時間働いたあと、余暇をメッセージの普及に費やしているとき、そのための一分はとて
も貴重です。その時には、私たちの創造者たちの言葉を伝えるための一分を、政治運動の支持のた
めに犠牲にすることは決してできません。従って、選択をしなければならないことになります。そ
の時エロヒムのメッセージの前では、政党はさしたる重みを持ちません。
私は一輛の汽車をレールの上に乗せました。天才政治という名の汽車です。そして私は、非ラエ
リアンがこの汽車を動かし続けてくれることを願います。多分、それは大きくなって人類を救うの
に役立つでしょう。人類は天才政治なしでも、それだけ余計に時間はかかるでしょうが救いを見つ
けることでしょう。
確かなことは、近い将来に大使館が建設されることです。私の気がかりは今、その一点にありま
す。それは、私に課せられた唯一最大の使命であるからです。そして真のラエリアンにとっても、
これは同じでなければなりません。
私たちの創造者たちの大使館を建設し、かつてのメッセンジャーであるモーセ、イエス、マホメ
ット、仏陀たちと共にエロヒムをそこに迎えること。これこそ、何にもまして私が地球に存在する
ことの理由なのです。そして、それはまた、私を助けようとする多くの運動家たちの存在理由でも
51
あるべきなのです。
〈15〉創造者の創造者を誰が創造したのか?
●質問 エロヒムは私たちを創造し、そして他の異星人がエロヒムを創造しました。それならば、
エロヒムの創造者を創造したのは、いったい誰なのですか?
★回答 人間にとって、空間の無限性を理解することは、時間の無限性を理解することよりも容易
です。
空間においては、ひとたび全き精神的な広がりを獲得すれば、地球が、何か他のもっと巨大な存
在の手などを構成する微粒子の、そのまた微粒子にすぎないというようなことも理解しうるはずで
す。この巨大な存在自身も、空に輝く星を眺め、これらの星はさらに巨大な存在の手や腹、あるい
は足を構成している。そして、このさらに巨大な存在はまた空の下にあって……というふうに無限
に続くのです。
無限小についても同様のことが言えます。私たちの手の微粒子の、そのまた微粒子の上に知的生
命体が存在します。彼らにとっては、これ らの微粒子は惑星や恒星です。この知的生命体もさら
に微粒子により構成され、その微粒子が惑星や恒星となるような、さらに極微の知的生命体が存在
します。これが同様に無限に続いていくのです。
52
53
時間の無限性を考えることは、人間にとってもっと難しいことです。なぜなら、人間は生まれてか
らある時間を生きて、そして死んでいくからです。そして人は、宇宙の森羅万象のすべても、自分
がそうであるように、時間的に限定されていることを望むのです。覚醒していない人は、宇宙の中
で永遠に存在する、というものを考えることには耐えられないのです。科学者でさえ、その例外で
はありません。彼らは、宇宙は一定の広さを持つと言い、何百万年の古さであると言います。測定
可能なも
のは、時間にせよ空間にせよ人が感じることのできるものです。
物質にせよ、エネルギーの形態にせよ、すべては永遠です。そして、私たちは永遠の物質によっ
て構成されています。
エロヒムは、他の惑星から来た知的生物によって創造されました。そして、この生物も、さらに
他の惑星からやって来た生物によって創造されました。こうして、事態は無限に続くのです。
時間についても、空間についても、宇宙の始源を探すことは馬鹿げています。
私たちの手の原子の、そのまた微粒子の一つに棲む生物を、例に取ってみましょう。
彼らにとっては、その微粒子は惑星です。空間について、例えば人差し指の第一関節の骨髄に位
置する、極微の惑星に棲む科学者たちは、まず肉眼で見える星は、宇宙の中心である自分たちの星
の周りを回っていると言うでしょう。なぜなら、彼らにとっては、自分たちの惑星が宇宙の中心で
あることが明白だからです。
54
そして、科学が十分に進歩したある日、ある天才が、太陽やその他の星が自分たちの小さな世界
の周りを回っているのではなく、自分たちの惑星のほうが自転しつつ、太陽の周りを回っているの
だと宣言します。彼はそのせいで、その惑星の糾弾者たちの手により、異端者として火刑に処せら
れるでしょう。しかし、ついには、十分に開発された望遠鏡によって、彼のほうが正しかったこと
を知る日が必ず来るでしょう。
その時、学者は宇宙の大きさを、天の一方の端の星から、他の端の星までの間だと過小評価する
でしょう。それはきっと、その星々が存在する私たちの指の部分の、何百億分の一にも満たないで
しょう。しかし、それ以上は観察することができないので、何も見えなくなったところで宇宙は終
わると結論するのです。
さらに観察の技術が発達すると、他にも、たくさんの星雲や星団があることを知りはじめます。
しかし、それとて宇宙は、これまで人々が想像していたよりも大きいことを示しているにすぎませ
ん。それは常に、何十億キロメートルあるいは何光年といった具合に、それ以前よりも少し大きく、
時には一〇倍か一〇〇倍だけ大きくなった、というだけのことなのです。私たちは地球上で現在、
進歩しつつ、その段階にいます。
ここで話を、私たちの指にある小惑星に戻しましょう。
科学は常に進歩し、私たちの関節骨髄の住民は、次第に大胆な宇宙探検へと乗り出します。こう
して彼らは、ついには関節骨の端にまで到達します。そして、宇宙はこれだけの大きさであると断
言します。それ以上は観測できないのですから、それが宇宙の大きさということになります。
55
しかし少し後には、彼らは骨と筋肉の境界を横切り、彼らの宇宙は、さらに大きな次元を獲得し
ます。そして、さらに彼らの宇宙船を改良して、ついには指を覆っている皮膚に到達し、そこで終
局となります。この彼らの宇宙とは、私たちにとっては一・五センチメートルであり、彼らにとっ
ては何万光年かであるのです。
彼らは次に、私たちの身体の残った部分への宇宙探検に入って行きます。彼らは星々が想像を絶
する速度で動いている流れに沿って進み、その巨大な流れの地図を作って、彼らが自分たちの惑星
から出発して、また元へ戻って来ることができるようにします。この巨大な流れは、実は私たちの
血管なのです。
彼らの宇宙は測られ、限界が定められ、次第に大きな高さと広さと深さを持つようになります。
彼らにとっては何億光年もの大きな宇宙も、私たちにとっては一メートル七十五センチなのです。
彼らは、私たちの足が地球の上にあり、そこには、彼らの頭脳では想像できない数の星雲があるこ
とを知りません。地球に含まれている原子の量は、私たちの身体に含まれている原子の量とは比較
すらできないものなのです。
そして、この惑星上を歩いている私たちと同じような別の「人間―宇宙」が存在し、空には多く
の他の星や星雲があるといった具合に、無限に続くのです。
科学者たちが内部から観察できる指の骨の、何兆分の一ミリかに相当する範囲内で彼らの宇宙を
測っていた時代には、無限との調和を得て意識の最高レベルに達した賢人のみが、それらのことを
弟子たちに教えることができたのです。
56
時間の無限性についても同じことが言えます。この小世界の科学者たちは、彼らの惑星がその微
粒子のそのまた微粒子であるところの分子の年齢を測ることによって、自分たちの宇宙の年齢を測
ることができます。次いで、その分子がほんの一部である細胞の年齢のほうが、ずっと古いことを
発見します。さらに、この細胞が一部にすぎない腕の年齢のほうが、もっともっと古いことを発見
します。そしてまたさらに、この腕が一部にすぎない身体の年齢を発見するというふうに、これま
た無限に続いていくのです。
〈16〉生きることは何の役に立つのか?
●質問
生きることは、何の役に立つのですか?
★回答 メッセージに述べられているように、物事は常に、四つの基準に従って判断しなければな
りません。
第一に、無限に関しては、生きることは何の役にも立ちません。私たちの生命も、人類全体の生
命も、無限に対しては何の意味も持ちません。私たちが死に、人類全体が滅亡しても、空間と時間
の無限の中では何の変化もありません。私たちがその構成微粒子の寄生物にすぎない巨大な存在は、
何事も知ることなく存在し続けるだけです。そもそも人類の創造以来の歴史も、それにとっては十
億分の一秒ほどのものでしかありません。
57
私たちの手の微粒子のそのまた微粒子の上の生物もまた、何事もなかったかのように存在し続け
ます。たとえ爆発によって引きちぎられた指から、流れる血と一緒に彼らがそこに棲む微粒子が地
中へ入り込んでいっても、これらの小宇宙の生物は生き続けることでしょう。その血の一滴がウジ
虫に呑み込まれて、彼らの宇宙が存在する微粒子がウジ虫の成長過程で細胞構成のために利用され
ても、この小宇宙上の生物には何らの影響も及ぼしません。ましてや、この小宇宙上の生物の指の
細胞を構成している、微粒子上の生命には何の影響も与えることはないのです。
第二に、エロヒムに関しては、逆に私たちの生命はとても重大な意味を持ちます。なぜなら、私
たちは彼らの子供であり、私たちは彼らに、私たちを創造してくれたことに対する感謝と、誇りの
気持ちを示さなければならないからです。私たちは無限を意識する能力を持ち、いつかは私たちも
また、自分たちに似た生命を創り出す能力を持っているのですから。
第三に、人間社会に関しても、私たちの生命はとても重大な意味を持ちます。なぜなら私たちは、
疫病や戦争から生き残った人たちの長い間の子孫であり、長い間に亘る淘汰の結実であるからです。
私たちは、今まさに人類が迎えようとしている黄金時代に向かって、最大限の努力をしなければな
りません。私たちは、この人類という大きな身体の細胞であり、それ故に人類が生まれ変わるとき
には、個々の細胞である私たち個人は大変重要な役割を担わなければならないのです。
第四に、私たち自身に関しては、自らの生命はそれに付与する価値しか持たない、ということを
付け加えておきましょう。私たちが、エロヒムを創造者たちと認め、彼らのメッセージが人類全体
に知れ渡り、人類が黄金時代を迎えるのに貢献したいと思うのであれば、この偉大な活動に関わる
58
ことは快楽であり、そのために生きるというのは、これまた大いなる喜びであると言わねばなりま
せん。
そこで最初の質問に戻れば、生きること、それは生きることの喜びを得るのに役立つと言えるで
しょう。それが、私たちの創造者たちのメッセージを広める喜びであれ、人類が黄金時代を迎える
ことに貢献する喜びであれ、あるいは何らかの方法で無限との調和に喜びを感じることであれ、す
べてが生きることの喜びに通じるものなのです。
〈17〉快楽とは何か?
●質問
それでは一体、快楽とは何なのですか?
★回答 快楽とは、快い化学反応を引き起こす行為をしたときの、生物組織の反応です。
母親の乳房にしゃぶりつく乳児は快楽を感じます。なぜなら、乳児の空腹は乳によって癒され、
舌の味覚に引き起こされた化学反応が快い感覚を引き起こすからです。私たちの感覚のすべては、
快楽を得るためにあります。官能瞑想というのは、感覚によって伝えられる化学反応の快楽を、感
受する能力の改善にその基礎を置いているのです。
私たちが人生において何かを為すとすれば、それは結局のところ、快楽を得るために何事かを為
すのです。快楽を得るためにではない行為など、生涯を通じて一つとしてありません。
59
税金を払う人は、それを拒否して刑務所へ送り込まれずに済む、という快楽を得るために税金を
払うのです。子供を助けるために車の下に飛び込む女性は、たとえ自分が傷ついても、その行為に
よって命を救われた子供の顔を見られる、という快楽のためにそうするのです。部隊を助けようと
敵の砲撃の中に身を投じる軍人は、彼の戦友たちのために死ぬ快楽を得るため、そうするのです。
このことは、第二次大戦における日本軍の神風特攻隊において、その狂気の極にまで達したと言え
ます。
官能の満足のような直接的快楽と、私たちがいま話したような行為の選択という間接的な快楽と
は、区別して捉えたほうがよいです。後者はしばしば、環境 の知覚手段の意識的な向上がないま
ま、外部からの介入に対する反応として行われることが多いです。
知覚の質的向上の結果により得られる意識的な快楽のみが、人間性の開花に役立つと言えます。
私たちは、感覚によって無限と結びつけられています。見ることも、聞くことも、感じることも、
触れることも味わうこともできない人は、たとえ心臓が動いていても、全く生きているとは言えま
せん。その人は自分自身の自覚もなく、周囲に対する意識もなく、従っていかなる知性も持ち得な
いのですから。
人が備えている感覚機能のうち、一つの感覚機能を欠く人は、それを補うために他の感覚機能が
優れて発達します。例えば目の不自由な人は、私たち一般人が聞き逃してしまうような微かな音も
聞き分けてしまうし、指先の感覚で字を読むこともできます。
快楽中枢が脳内にあるのは科学的にも明らかなことであり、脳内のその部分に電極を通し、少量
60
の電流を流すという実験での被験者は、このときの感覚をオルガスムの状態に近いと言い、あるい
は何らかの発見に伴う満足感、あるいは集会などで名誉ある表彰の経験というように、それに似た
感覚だと証言しています。
そして、性的オルガスムを得た時、発明家が一つの発見をした時、あるいは芸術家が傑作を物に
した時や、軍人が勲章を受ける名誉の瞬間などには、同じように脳内の快楽中枢が刺激されるのが、
補強的手段を用いて証明されています。
さらに言えば、他の実験では、芸術家は創作のとき、性的に興奮している状態のほうが創造性が
高まる、ということが分かったそうです。
しかしこれは、実に論理的なことでもあるのです。快楽は、創造性を高めます。なぜなら、それ
は私たちの感覚を覚醒させるからです。そして、何かを創造する人が調和的な作品を世に送り出す
ためには、無限と繋がっていなければなりません。従って私たちは、感覚の感受性を高めることに
より、快楽を知覚する質的向上に努めなければなりません。その結果、より深く味わうということ
のほかに、私たちの創造性の潜在的な能力を全面的に開発し、人類すべてに、私たちの創造物を享
受させて一般の意識を高めることになります。
こうしたことが、私たちがラエリアンのために組織する覚醒実習の際に教えられることなのです。
各人の意識レベルを高めることによって、人類全体の意識レベルを高め、こうして、人類が黄金時
代へ入る可能性をより高くするのです。
社会を変革するためには、まず、その社会を構成する個人の変革から始めなければなりません。
61
暴力はいつも、不幸な人たちによって引き起こされます。ですから、個人の幸福を増進することで、
人間に潜む暴力性を弱めることができます。
しばしば暴力は、自分を不幸だと思う人たちにより引き起こされるので、政治家の技量のすべて
は、権力の座にある者たちを引きずり下ろすために、人々の不幸の意識を強めることにあると言え
ます。そして、引きずり下ろされた者は同じ目的で、また同じことを行います。
こうして、人々は常に不満の状態におかれ、ついには、こうしたことの繰り返しの後に不満の捌
け口を外に求め、それが一般的な意識に達すると戦争が起きるのです。
官能を高めることによって無限の意識を各人が持てば、社会全体が変革されます。そのためには、
普通の人よりは覚醒している、という意識を持つことから始まります。それがある一定のレベルに
達すると、その人は自分の周りの人たちにとってガイドたりうる立場になります。そして、他の人
たちが十分に開花するのを助けます。この助けられて開花した人たちは、さらに別の人たちを覚醒
する側に回ります。こうして、人類全体の意識が向上し、破滅的な世界戦争を回避する道が開けて
くるのです。
この過程はすでに、各国の学生や知識人たちが世界中で展開した、小さな非暴力のデモ行進によ
って少しずつ始められ、この平和と一方的の軍縮運動は、人類にとっての中枢神経系とも言えるテ
レビによって、より拡大されたのです。
それぞれの個人は、瞬間瞬間に、地球全体の意識の覚醒、あるいは衰弱に関与しています。他人
に影響を与えることを恐れてはなりません。私たちは、そのために存在しているからです。私たち
62
はどんな瞬間においても、自分の言動が、人類の歴史にプラス方向に作用するように努力しなけれ
ばならないのです。
しかし、決して他人を説き伏せようと考えてはなりません。なぜなら人は、説得されていると感
じるときは意固地になり、自説を曲げようとはしなくなるからです。むしろ、他人の哲学との共通
点を引き出すように努め、相手が自分で見つけ出したという喜びを味わえるように、仕向けてやる
ことです。
他人には他人の道を行かせ、自分は自分の道を行くという考えで、他人に影響を与えたくないと
考えるのは馬鹿げています。しかし、他人に影響を与えまいとすることのほうが、何事かに狂信的
な態度を取ることより影響が大きいこともあります。人々は何事であれ、次第に狂信主義を警戒す
るようになってきましたが、これは正しいことです。なぜなら、それこそ知恵の始まりだからです。
地球上には、真実を追求し、かつそれを示す人と、真実を追求してもそれを隠す人がいます。い
ずれにせよ真実を追求しない人はいないのですが、他方では、真実を発見したふりをして、それを
示す人がいます。そういう人たちというのは、実は伝統に縋りついていたいだけなのです。本当に
真実を発見して、それを指し示すのはラエリアンたちなのです。
従って、真実を追求し、それを示す人たちがまず第一に、私たちの関心の対象となります。なぜ
なら、彼らは誠実で開かれた精神の持ち主であり、一般的にとても知性的で調和が取れているから
です。いずれにせよ彼らは、新しい世界の変革というものが自分を傷つけたり、あるいは自分の精
神に異常な影響を与えるのではないかという心配もなく、事態を受け入れることができます。先駆
63
者である現在の多くのラエリアンたちは、この段階にあると言っていいでしょう。
一方、真実を追求しながらも、それを隠す人たちがいるわけですが、彼らもまた私たちの関心を
引きます。しかし、その人たちはまず、他者の批評に対する恐れを克服してから、私たちと合流す
ることになるでしょう。
真実を発見したように振る舞う人たちは、彼らが、宇宙には何ら一定不変なものはなく、すでに
通用しなくなった伝統に縋りつくことは馬鹿げたことであるという認識に立ったときに初めて、私
たちと合流することが可能となります。彼らは。しきたりを崇め、彼らの「神」の真の姿を全く無
視しています。
これらの人たちは皆、快楽のためにそういう行為をしているのです。最後に述べた人たちは、彼
らの子供たちが自分たちと全く同じようにお祈りをし、今度はその子供たちもまた同じことをする
ように教え込むだろうと考えて、喜びを感じるのです。
学校では、人間は猿の子孫であると教えられます。馬鹿げたことに、学校の教育は尊敬されなけ
ればなりません。なぜなら、それが伝統であるからです。また、牧師の話も尊敬されなければなり
ません。なぜなら、それが伝統だからです。私たちは、これら二つの教育がなぜ異なっているのか
を自問することもできません。
これが、伝統主義者たちの態度なのです。もしもイエス自らが、クリスチャンに日曜日に教会の
ミサに行くのはやめて、子供たちには成人するまで洗礼を受けさせないようにと言ったならば、彼
らはきっと再び、イエスを十字架にかけるでしょう。
64
真実を追求しながらもそれを隠す人は、他人が自分について考えていることのほうが自分の真の
姿よりも大切であると考え、むしろそれを喜んでいるような人なのです。そういう人たちは、決し
てイエスを磔にはしません。心の底ではむしろそのことに反対ではあっても、決して何も言いはし
ません。つまり、すべてに干渉しない態度なのです。彼らは、たとえ自分たちの真実の擁護のため
ではあれ、関わり合いになるのは御免だからです。
すべての人たちが、十分に官能を楽しむことができるようになれば、もはや世界戦争はあり得な
いでしょう。暴力の底には、常に官能が満たされていない人たちがいます。ですから、私たちはす
べての感覚を通して官能を味わうことを学び、また周囲の人たちにそのことを教えなければなりま
せん。
すべては子供の頃から始めるべきなのですが、単に「どのように機能するか」を教えるだけでは
十分ではありません。残念ながら、それが現在までの性教育と云われるものの姿なのですが、「快
楽を得るだけでなく、快楽を与えるためには、どのように私たちの性を使うか」というところまで、
教えられなければならないのです。
従って、それは性教育というものではなくて、官能教育と言い換えたほうがむしろよいでしょう。
快楽は常に、開花の役に立ちます。ここで言う快楽とは、直接的な快楽であり、戦友のために身
を犠牲にする兵士の快楽ではありません。直接的な快楽は、私たちが無限と調和し、無限の中の自
分を感じる方法を発達させます。
私たちの存在は、遺伝子コードという設計図に沿って組織化された原子の集積にほかなりません。
65
そして、私たちが意識するか否かにかかわらず、私たちの環境に対して絶えず無数の化学反応を起
こして順応しています。意識のレベルを高めると いうことは、これらの化学反応をより多く自ら
のうちに感じ取り、無限の中でよりよく自己の位置づけをして、いっそう調和的になることです。
人は、自分が無限で永遠の宇宙と繋がっていると感じるとき、もはや不幸であるということはあ
りません。存在すること自体の喜びを感じるようになるからです。
〈18〉死とは何か?
●質問
死とは、何ですか?
★回答 無限の前にあっては、死は何の意味も持ちません。私たちを構成している物質は永遠です。
つまり、私たちはもともと永遠性を持っています。
例えば、私たちの鼻を構成している微粒子は、私たちの身体に入る以前に、すでに存在していた
ものです。ある微粒子は、私たちが母親の胎内で成長を続けているとき、母親の食べたビフテキの
中に存在していたかもしれません。それから母親の胎内を通過して、私たちの顔の上に定着してき
たのです。他の微粒子は、昨日食べた果物の中にあり、それが腹から血液によって鼻まで運ばれて
きたのかもしれません。こうしたことは、私たちの身体のあらゆる部分について言えることです。
同じことが、私たちの死後についても言えます。死後、人間の身体の微粒子は土に還り、再び動
66
植物に還元されたり、あるいは大部分は地中に残った
りします。なぜなら、
「お前は塵であり、再び塵となる
のだから」
それに反し、物質の組織的な集積である私たち人間
にとって、死とは最終的な大異変です。
死とは、私たちを構成している物質の分散過程の始
まりです。
しかし、死が何であるかをよく理解するためには、
まず、生命とは何であるかをよく理解しておく必要が
あります。
生命とは、組織化されてない物の組織化にほかなり
ません。エロヒムが地球にやって来た当時、地球に生
命は存在していませんでした。つまり私たちのレベル、
すなわち生物と呼べるレベルにまで組織化された物質
は、存在していなかったということです。
エロヒムはこの物質を取り、聖書に語られているよ
うに、それを「練り」、そして生命を創造するために「型
67
に入れた」のです。これはもちろん分子レベルの話であって、陶器レベルの話のことではありませ
ん。しかし、原始人にとっては、分子レベルの話というのは分かりません。原始人にとっては、創
造主がいくらかの土を取り、それから人を作ったという理解なのです。確かにエロヒムは、土の中
からいくらかの化学的成分を取り出し、そして科学的な結合を通して、非活性的なものから活性的
なものを合成したのです。
現在、地球上に存在する生物のすべては、エロヒムによって基礎的な「土のかたまり」から創造
されたものです。それはある方法により、原子を集合させた分子構成物です。そして今日、私たち
の時代の地球の科学者たちは、植物でも動物でも、人間でも獣でも、あらゆる生物が、基本的に同
じような成分から成り立っていることを知っています。
各々の文字が分子を表すある種のアルファベットにより、各生物種の遺伝子コードの構造を表す
ことができます。当然のことですが、種が異なると、このアルファベットの文字の配列は異なって
きます。しかし、アルファベットの文字そのものは、どんな種においても常に同一です。
こうして、一つの「土のかたまり」から、私たちの創造者たちは実に多くの「家」を創ることが
できました。これらの様相は実にさまざまですが、その成分は同一です。そして、これらの種が再
生されるときには、エロヒムによって創造されたこれらの種の、最初のものの遺伝子コードで再生
されるのです。
従って生命とは、組織化されていない物の組織化であり、死とは、組織化された物の非組織化だ
と言うことができます。
68
生命とは、その設計図に沿って独りでに構築され、そして自己管理をする家です。死は自己管理
の終わりであり、家を構成している物質の分散の始まりであり、そしてついには、その家の持って
いる設計図の破壊に至ることです。
これらの家の設計図を描いた私たちの宇宙の「偉大な建築家たち」は、いつの日か自分自身が建
築家となり、やはり自己建築が可能な家の別の設計図を作り、その創造者に匹敵することが可能と
なるタイプの家を作りました。この最高のタイプの家が、すなわち人間です。人間はまもなく、非
活性的なものから新しい遺伝子コード、つまり新しい設計図の合成に成功しようとしています。
なぜなら、生物は自己の触覚や感覚を通して、その環境の中に自らを位置づけることができるよ
うに創られているからです。
人間は、自己プログラミングと自己再生が可能な、生物コンピュータにすぎません。
今日、私たちが作ることのできる高度に進んだコンピュータと人間とを、区別するものは何もあ
りません。もっとも、人間よりも優れたコンピュータを作るとなれば、話は別ですが……。
ところで、コンピュータも、環境の中に自らを位置づけるために、その手段を内蔵することは可
能なのです。最近作られたコンピュータには車輪が付いており、頭脳に相当する部分に接続された
テレビカメラが人間の目の役割を担って、どんな障害物でも避けて進むことができます。
しかし、そうは言っても、コンピュータはあらかじめプログラミングされたことしか実行しませ
ん。人間とコンピュータとの比較を続けてみましょう。
聴覚に関しては、コンピュータにマイクロフォンを付けて、周囲の音を聴けるようにすることは、
69
非常に簡単なことです。そうすれば、人間が耳で聴くのと同じように聴くことができます。また、
臭いを嗅ぎ分ける装置を付けたり、味覚の解析装置を付けてやれば、人間と同じように臭いを嗅ぎ、
味わうことも可能です。同様に触覚、温度、物の硬度、重量測定等、あらゆることを私たちがする
のと同じようにできます。
そればかりでなく、人間の器官よりもはるかに優れたものを備え付けることさえ可能です。例え
ば、視覚については、ズームレンズを備えた多重焦点のカメラを装置すれば、数キロメートル先ま
でハッキリと見ることもできるし、顕微鏡を装置すれば、人間の肉眼ではとても見ることのできな
い、微小な物まで見ることができるでしょう。
同様に聴覚については、超音波感応装置や指向性マイクを付けることで、数キロメートル先もの
音を拾ったり、視覚については、赤外線カメラや紫外線カメラの力で、夜の世界を白昼のものとす
ることも可能です。要するに私たちは、人間には無いあらゆる高度な感受装置をコンピュータに備
え付け、それを利用することが可能なのです。
次に、コンピュータと人間のそれぞれのエネルギー補給の問題についてですが、人間の場合は、
空腹感のあるときは食事を摂るように、コンピュータの場合でも、最近では、そのエネルギーをバ
ッテリーに頼る場合、電気量コントロール装置を内臓するコンピュータは、電気が無くなってくる
と、自動的にコンセントまで自らの充電に赴くようになっています。つまり、「腹が空いた」と言
って食堂へ向かう人間と、何ら変わるところがありません。
また、怪我をした人間が治療の後に仕事に着くように、コンピュータにも自己診断管理機能をプ
70
ログラミングしておけば、ちょうど自らのエネルギー補給の充電を自動的に行うように、コンピュ
ータは、欠陥部分の部品交換まで自ら行うことができます。
このように、コンピュータは不死であり、私たちにとっては避けがたい問題の死というものを知
りません。
人間は生殖することができます。それはコンピュータにおいても同様です。そのようにプログラ
ミングしてやればよいのです。仮にコンピュータに、自分自身の複製を作るようにプログラミング
してやると、自己増殖を行うコンピュータ郡を手に入れることができるのです。複製されたコンピ
ュータも、自分の番になれば、同じことを繰り返すことができます。
人間においては、種の保存本能と云われる生殖行為は、そのことによって快楽を得るから為され
るのです。人間は、無意識のうちに種の保存本能に従っているのです。もしもセックスの行為に何
の快楽も感じなければ、人間は生殖行為はしないで しょう。人間とはそのようにプログラミング
されているのです。つまり、セックスの行為に快楽があるようにプログラミングされた遺伝子コー
ドに従っているというだけのことです。
ですから、ピルとか、リングとか、コンドーム等の避妊具の使用は、本来的には、人間に備わっ
たこの遺伝子コードへの、大いなる冒涜ということになります。避妊具の使用はつまり、快楽は味
わうが、それと生殖行為を意図的に分けているからです。
しかし、快楽は常に人を開花に導きますが、人口過剰は人類にとって、もっと大きな危険である
こともまた事実です。人間が自らの行為を、人類全体に対して及ぼす影響の重要性を意識した最も
71
素晴らしい行為の一つが、この科学的な避妊です。
再び、話をコンピュータに戻しましょう。コンピュータに、何かの動作を行うと快楽を得るよう
に、プログラムを組むこともできます。そうすれば、すべてのコンピュータが、快楽を得るために
その動作を行うようになります。例えば、先ほど述べたように、コンピュータが電気量の残り少な
いことを知れば、彼は「これはまずい」と考えて充電に出かけます。電流が彼の中に流れ込むと、
コンピュータは「これはいい」と快楽を感じる、といった具合です。
それでは、コンピュータのプログラミングとは、どんなことを言うのでしょうか。それは、コン
ピュータの動作を制御する情報を記憶装置にセットするということです。演算するようにプログラ
ムを組めば、コンピュータは演算を行い、作図をするようにプログラムを組めば作図を行い、楽器
を演奏するようにプログラムを組めば演奏を行いますが、コンピュータはプログラム通りのことし
か実行しないので、演算するようにプログラムされたコンピュータが楽器を演奏するということは
ありません。もっとも、最初から両方できるようにプログラムを組んでおけば、話は別ですが。
では、人間のプログラミングとは何でしょうか。
それは一方では、人間の行動、環境と接触するための感覚器官、移動・食物摂取・生殖等に用い
るための物理的器官に関する諸情報を内包した、遺伝子コードのことです。これらの情報は、各人
が多かれ少なかれ遺伝的に、生まれた時から持っている先天的なものです。
また他方では、それは、他者との交流のための言語学習を通じて人間を条件づける教育とか、人
間の行動を規制する法律、「道徳的」価値観、教訓、世界観、宗教など、個人の行動を規制するす
72
べてのものです。個人は、自分の意志で行動し、自分で選択した価値観に従って行動していると思
っていますが、実はこれは、個人の受けた教育や教育者の観念により決定され、プログラムされた
ものなのです。これが後天的と云われるものです。
無自覚な人間、つまり通常人は、先天的あるいは後天的に、遺伝または教育者によってプログラ
ムされた以外のことは、為し得ません。
それに対して、完全なる人間、すなわち空間と時間の無限の中に、自己を位置づけることができ
るほどに意識レベルの高い人は、自己プログラミングの可能なコンピュータとなります。その人は、
自己の意見を求めることなく知らず知らずのうちに成されてきた、教育者によって自己に押しつけ
られたプログラムを、再検討することができます。そして、これまでのものより高い基準に照らし
て、自分により良いと思われる諸々の新しい価値を、全面的あるいは部分的に、古いプログラムに
替えて取り入れることができます。
今までの基準というのは、伝統の保持という世間一般の目的に個人を順応させるため、周囲や家
族によって正当化されてきた基準です。そして、その伝統というものは、必然的に過去に、すなわ
ち宇宙とその中での人間の位置づけという観念において、社会一般の意識レベルが全く原始的であ
った時代に結びついているものなのです。
完全な人間、つまり自分の頭脳能力の十パーセント(この数字は通常人、つまり不完全な人間の
平均値である)以上の能力を発揮できる、高い意識レベルを持つ人間になりたいと思う通常人は、
徹底的な「脳の洗濯」を自分自身で成し遂げる必要があります。
73
この作業によってのみ人は、頭の中のすべてのものを取り出し、それを分析し、自分に良いと思
われるものを残し、悪いと思われるものを取り除くことが可能となります。自分自身のものと言え
る諸観念は維持し、受け入れた諸観念、つまり他人や家族、取り巻きや人を自分たちの好む型には
め込もうとする連中から受け取った諸観念は、捨ててしまうのです。
この作業は、あなたが一日中その中で暮らし、社会で起こる出来事に対してのあなたの行動や反
応、またあなたが目を覚まし、起床し、洗面し、服を着て食事をし、労働し、他人と会話をし、官
能を楽しんだりする時の、それらのやり方、最後に、些細で取るに足りないような、すべての行為
にまで及びます。完全な人間になるとは、眉の動き一つにせよ、周囲の人たちに与える影響を意識
できるようになるということです。
もちろん、この「大掃除」が効果的であるためには、この不完全な人間の世界から完全な人間の
無限の宇宙への壁を、すでに乗り越えた人間と一緒に成される必要があります。無限の世界へ通じ
るいくつもの道を知っていて、しかも、新しい旅人に影響を与えて特別な道を選ばせることもなく、
旅人が自由に選んだ道に沿って歩いて行けるように彼を導いてくれる人と、一緒に行うのが良いの
です。
人間の意識というのは、一般的に、ある基準に従って、他人によって建てられた家のようなもの
です。この基準は、世間がそのように作り、また、何よりも両親のものであるが故に、私たちは決
して、それに疑問を差し挟むようなことはありませんでした。
完全な人間は、この家を破壊し、彼の好みと自由奔放な考えに沿った設計図を描き、前の家の廃
74
墟の中から再び使えそうな材料を取り出し、それらを新しい材料と組み合わせて、彼の本当の個性
に完全に適合した新しい住居を建てるのです。
人々は、自分の意識レベルに応じた家を持っているものです。彼らはいつも、正方形かあるいは
長方形で、二重屋根のある家に住んでいます。誰も、相も変わらず同じような家を造り、同じよう
な家に引っ越すのです。それらの家は、ことごとく列柱のような垂直の壁を持ち、そのギリシャ風
の列柱の上に、ピラミッド状の二重屋根を持つギリシャ寺院のようです。今日では、現代的な建築
技術により、私たちは自分の好み合った球形、円形、卵形、ピラミッド型、鳥型、木型等の、個性
的な家を建てることができるというのに。
一列に並んで、全く同じ形をし、現在大量に生産・販売され、単調で俗悪な村を形成しているこ
れらの家は、全く、そこに住んでいる人たちの意識レベルの、正確な反映であるのです。
しかし、逆説的ではあるのですが、住居の形態は、人間コンピュータの自己プログラミング能力
の反映による、典型的な例と見ることができます。ツグミは常に同じように巣を作ってきたし、将
来もまた同じように作り続けるでしょう。それは、遺伝子コードに巣作りのプログラムが組み込ま
れていて、ツグミはそれを変えることができないからです。しかしながら人間は、自分の住居をそ
の環境に適合させることができます。人間は、ギリシャ風の寺院やピラミッド、枝葺きの小屋や氷
の家、木小屋からコンクリートの摩天楼、石でできた大聖堂、あるいは金属とガラスでできた塔な
ど、何でも造ることができます。
しかし、自己プログラミングの可能なコンピュータという人間の特性が、機械でできたコンピュ
75
ータと人間とを区別するものだと考えてはなりません。すでに述べたように、自己生殖するコンピ
ュータを作ることができるように、自己プログラミングの可能なコンピュータを作ることもできる
のです。すなわち、それは生活し、働き、生殖し、自分の経験に即して基本のプログラムを修正し、
そして自分の子孫、すなわち新しく作られたコンピュータに、そのプログラムの修正箇所を伝えて
いくのです。
そしてさらには、「精神の覚醒したコンピュータ」というものを作り、それ以前に作られた、自
己プログラミングの不可能なコンピュータのプログラムを修正して、この利点をそれに伝えていく
ものを作ることさえ可能です。
人々は、こうして機械によって、自己の中にはその起源にせよ、行為にせよ、何ら神秘的なもの
がないことを発見しつつあります。人間に可能なことは、すべてコンピュータにも可能です。それ
どころか、コンピュータのほうが優れた能力を発揮します。このことは、人間に可能なすべてのこ
とについて言えるし、芸術的創造の分野ですら例外ではないのです。すでに音楽を作曲し、絵を描
くことのできるコンピュータができています。
このように、コンピュータに備え付けできない人間の能力というものはありません。無限と調和
するという能力でさえも、コンピュータのプログラムに組み込めることを付け加えておきましょう。
これは、実に素晴らしいことです。なぜなら、このことによって人間は、ついに一片の疑いもなく、
自己を素晴らしい機械と見なし、幸福の獲得、欲望の充足による開花に専念することができ、究極
的には自己が無限で永遠であることを、すべての人間が感じて、幸福になる世界を樹立することが
76
できるからです。
〈19〉性の自由――それは義務ではない
●質問 メッセージは完全なる性の自由を謳っています。しかしそうすると、あなたの本を読んで
ラエリアンになろうとするカップルは、すべてパートナーの交換を実行しなければならなくなると
いうことですか?
★回答 自由と義務とを混同してはなりません。互いに深く愛し合っているラエリアンのカップル
で、ふたりのうちどちらも、別のパートナーとの経験を望まないのであれば、彼らふたりは一緒に
いることが一番いいです。一緒にいることが互いの幸福であり、何か別の生き方をしようと思わな
いのであれば、それはそれで、何も言うことはありません。
各人は、それぞれのしたいことを正にするべきなのです。性の自由というのは、ひとりのパート
ナーで満足するという自由でもあるのです。すなわち一度出会ったら、つまり自分が求めてきた正
にそのものを、あるパートナーのうちに見い出したなら、それ以後はずっと一緒にいるという自由
です。
しかし、他の人との経験によって、あなたが自分のパートナーの良さを改めて感じるということ
も、間々ありうることではあります。こうして、自分のパートナーの長所をより一層感じることが
77
できます。性的経験においては、あらゆることが可能であり、あらゆることが許されています。し
かし、許されているということは、それが義務だということでは決してないのです。
ラエリアン・ムーブメントの設立以来、多くのカップルが誕生しました。中にはとても上手くい
っているカップルもあり、彼らが、別の人を探しに行く必要があるとは思えません。それは、互い
に互いの良さを確認しに行くようなものです。もっとも、十分に覚醒した人たちは、そういった経
験そのものが不必要であることを理解しているものです。
意識的で完全な人間であれば、結果を知るために何かをしてみる必要はありません。すべてが分
かり、すべてを感じ取ってしまうからです。少なくとも弟子の覚醒、あるいは弟子の進歩のために、
本質的と思われる経験をしてみようという場合を除いてはそうです。
三つの基本的な原則が守られれば、各人は好きなように歩むのがいいでしょう。
第一は、パートナーを自由に決める際には、相手の好みと意志を尊重すること。
第二は、人は決して他人の所有者にはなれないし、他人は私たちに属してはいないという意識を
絶えず持つこと。
第三は、何よりもまず、愛する人の幸福を絶えず考えること。
この三つの基礎の上にすべてが可能です。多くのカップル、三人一組、四人一組、あるいはそれ
以上のラエリアンが、至福の中で暮らしています。同性愛であっても、異性愛であっても、両性愛
であっても……。
78
〈20〉ラエリアン・ムーブメントと同性愛
●質問
同性愛に対する、ラエリアン・ムーブメントの立場は何ですか?
★回答 それは実に簡単です。各人は、自分の好きなように、自分の身体を使用する権利がありま
す。同性愛は、正常とか異常な行為というようなものではありません。それぞれ人は、自分の好み
と自然の性向に合った性生活を送るべきです。
母胎内での性の分化は、妊娠後期の段階で始まります。ですから、世の中に男らしい男、女のよ
うな男、男のような女、女らしい女、およびそれらの中間形態がいても、それらはすべて遺伝的な
ものであって、同性愛であることを責めるのは、人間が人間であることを責めたり、猫が猫である
ことを責めるのと同じく、愚かなことです。それに、動物にも多くの同性愛があり、田舎へ行くと、
犬や牛や鳥の同性愛を見ることも稀ではありません。その犬や雌鶏の同性愛が自然であるのと同じ
ように、人間の同性愛も自然なことなのです。
むしろ、他人に対して自分と同じような性生活を持つように、強制することのほうが不自然です。
それは一般的に言うと、自分に似た行動をしない人たちを、虐げる人たちのやっていることです。
人種差別主義者や伝統主義者、あるいは軍国主義者についても、同じことが一般的に言えます。
同性愛を攻撃することは、一種の人種差別です。同性愛を攻撃する人たちは、一般に貧しい性生
活を送っており、他人が自分たちとは違った性生活を送っていて、開花した様子をしていることに
79
耐えられないのです。
同性愛を攻撃する人たちは時として、いともたやすく強姦を許すことがあります。しかしこれは、
恐ろしい罪です。ラエリアンのガイドの中には、ホモやレズの同性愛も、異性愛も両性愛もいます
が、皆、開花しています。なぜなら、彼らはあるがままに愛され、他のどんな宗教も示せなかった
兄弟愛の中で、自分の思うがままに自分の身体を開発し、開花させることができるのだという意識
を持っているからです。
バチカンの搾取者が同性愛を断罪し、女性が司祭になることを拒否するとき、どうしてローマ・
カトリックの信者であり続けられるでしょうか。ここに人種差別と性差別の二つの証拠があるので
す。見る眼のある人は、真実を見ることができるでしょう。
〈21〉神秘主義者と進化論者――すなわち偽預言者たち
●質問 アポカリプスの時代が到来するとき、多くの偽預言者が現れるだろうと言いますが、偽預
言者とは誰のことを指して言うのですか?
★回答 私たちの時代には、多くの偽預言者がいます。それでは「預言者」とはいったい何でしょ
う。この語源に注意して欲しいです。それは「真実を啓示する人」を意味します。
現代の偽預言者、偽りの啓示者とは、従って第一に、人々を原始的な信仰に戻らせようとする人
80
のことを指します。非物質的で触れることのできない全能の神が、私たちの一人ひとりを見張って
いて賞罰を与えるという、あの原始的な信仰です。これはすなわち、無限と私たちの創造者エロヒ
ムとを混同した概念です。
無限は、空間の中で無限であるが故に触れることはできないし、また永遠に存在し、さらに何ら
自意識を持たないが故に、人類あるいは個人に対して何ら影響を与えるものではありません。一方、
エロヒムは触れることができ、無限の中でこの区域においては全能ですが、私たちを愛しているが
故に、私たちが科学的・精神的に自由に進歩発展するのに任せています。
偽預言者の現代における第二の類型は、地球上の生命の起源、従って人間の起源を、長い間の進
化の過程で偶然の連続による結果だと、科学的または非科学的に主張する人たちです。アインシュ
タインが言ったように、時計屋がいなければ時計は存在しません。私たちの存在が、長い間の偶然
の連続による進化の結果、猿から人間になったのだと信じる人たちはすべて、ちょうど時計の部品
をバラバラに袋の中に入れ、袋を揺すったら立派な時計が出来上がると考えるようなものです。あ
なたは試しに、十億回でもそれを繰り返してみたらいいでしょう。
従って、進化論者たちもまた偽預言者であり、偽りの啓示者なのです。彼らは、白衣を着た公認
の科学アカデミーの多数を占める科学者の言うことは本当であると信じている大衆を、真実から、
そして私たちの創造者エロヒムからも遠ざける者たちです。
私たちがエロヒムの創造物を、単なる偶然の結果だと考えていることをエロヒムが知ったとき、
エロヒムがどう思うかを少しでも想像してみたらいいです……。
81
〈22〉自殺
●質問 第二のメッセージの中に、「苦しみがあまりに激しい人は、自殺をする権利がある」と書
いてあります。これは、自殺は善いことだという意味なのですか?
★回答 私たちはすべて、一生を通じての行為によって判定されます。総じてプラスの行為をした
人たちは、エロヒムと共にある永遠の生命が与えられるでしょう。
肉体的な苦しみがあまりに激しく、またその苦しみが人類の科学では和らげられない場合は、人
は自殺することができます。それでも、その人が一生を通じてプラスの行為をしてきたならば、永
遠の生命が与えられるのです。そうでない場合は、再生されることもなく、待ち受けているものは
無です。もしも、その人の行為が全体としてマイナスのものであったならば、場合によっては、彼
が苦しめた人たちによって裁かれるために再生されるかもしれません。
肉体的な苦しみもなく、また肉体的な衰弱もない人は自殺すべきではありません。なぜなら、人
はそれぞれ、何らかのことを成し遂げるために地球上に存在しているからです。ラエリアンにおい
ては特にそうです。彼らはエロヒムの代弁者であり、彼らはその一生を、創造者のメッセージを広
めるために費やさなければなりません。
自殺するということは、従って裏切り行為ということになります。戦いの最中に持ち場を放棄す
るのと等しい行為です。それは人類が覚醒し、生き残り、黄金時代に至るための闘いです。エロヒ
82
ムは私たちの一人ひとりに期待しており、私たちの創造者たちにとっては、一人ひとりのラエリア
ンが大切な存在なのです。
従って、唯一の例外は、和らげることのできない、極度の肉体的苦しみであり、有効に活動でき
ないほどの肉体的な衰弱です。
それ以外の人たちは全員、私たちの父なるエロヒムのメッセンジャーであり、他の人たちに良き
知らせを伝えるために、生き続けなければなりません。
83
第二章
新しい啓示
――この章には、第二のメッセージが与えられた「不死の惑星への旅」の後、三年間が経たなけ
れば、私ラエルには公表する権利のなかった・真実の啓示・が含まれています。
私たちは今、ラエル紀元三十四年(1979)にいます。従って、それらのことをすべての人たちに
知らせることができます。
悪魔は存在しない、私はそれに出会った
頭に角を持ち、足が裂けた生き物がどこかに隠れていて、時が至れば、私たちの尻を三つ又の矛
で串刺しにやって来るのではないか、とは恐れないように。雲に乗って白いヒゲを生やし、右手に
雷を持った「正義の神」が存在しないのと同じく、悪魔などというものも存在しません。
大多数の人たちにとっては、悪魔もサタンも、ルシファーも、デーモンも、悪の力を具現した同
じひとりの人間を、さまざまな言葉に表現したものにすぎないのです。ちょうど「アポカリプス」
という言葉が、人々にとっては「世界の終末」を示しているように。
それでは、これらの言葉の真の意味を考えてみましょう。
年代学的には、「サタン」が最も古いです。
84
エロヒムが自分たちの惑星の実験室内で、最初の完全な合成生物を創造したとき、彼らの世界の
一部の人たちは、彼らの文明にとってこれは危険なことだと考え、この遺伝子操作に反対しました。
科学者たちがいつかは怪物を創り、それが実験室から逃げ出して殺人を犯すのではないかと考えた
のです。不幸にもそれが現実となり、遺伝子操作の禁止運動が勝利を収めて、エロヒムの惑星政府
は、科学者たちにその実験を止めさせ、彼らの創った生物のすべてを破壊するように命じたのでし
た。
この遺伝子操作に反対する運動を率先した団体は、エロヒムのひとりである「サタン」という人
物に率いられていたのです。
そして、科学者たちには、他の惑星での実験の遂行が許されました。新約聖書の『マタイによる
福音書』第十三章第三節の譬えの中に、次のような、エロヒムによる他の惑星での生命創造の記述
があります。
「見よ、種蒔き人が種を蒔きに出て行った。蒔いているうちに、道ばたに落ちた種があった。す
ると、鳥がきて食べてしまった」
これらの鳥たちは、実はサタンの使者たちだったのです。彼は、生命創造の実験地として科学者
たちに選ばれた最初の惑星は、彼らの世界には近すぎて危険だと考えたのです。そして、もしも不
幸にして創造物が、彼らよりも知性的でかつ暴力的であったならば、自分たちの惑星の人間が危険
に曝されると考えたのでした。こうして、エロヒムの政府は再び、科学者たちの労作を破壊する許
可を与えました。
85
そこで科学者たちは、彼らの実験を続けるために、また別の新しい惑星を探さなければなりませ
んでした。その後さらに二回、失敗を繰り返しました。初めは、有害な光線を発する星に近づきす
ぎたために、創造物が破壊されてしまい、次には、はびこった植物のために創造物が破壊されてし
まったのです。これらの失敗の後に、サタンを長とする一派からもそれほど危険とも思われず、か
つ創造物が生きるのに相応しい惑星が見つけられたのです。
「他の種は土の薄い石地に落ちた。そこは土が深くないので、すぐ芽を出したが、日が昇ると焼
けて、根がないために枯れてしまった。他の種はいばらの地に落ちた。すると、いばらが伸びて塞
いでしまった。他の種は良い地に落ちて実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるもの
は三十倍にもなった。耳のある者は聞くがよい」(『マタイによる福音書』第 13 章第 5~9 節)
エロヒムはこの時代に、他の二つの惑星にも同じように生命を創造しています。それが「三つの
収穫」ということで示唆されているものです。
エロヒムの惑星政府は、科学者に対して、自分たちの姿に似せた生物は創らないということを条
件に、地球での実験の継続を許したのでした。第一のメッセージには、この間に科学者たちがどの
ようにしてこの禁制を犯したか、それに対して、彼らの惑星の指導者たちの反応がどういうもので
あったかが示されています。
指導者たちは、最初に地球上に創造された人間たちに対し、彼らがどのようにして創られたか、
またエロヒムとは何者であるか等を、科学者たちが明かすことを厳禁しました。地球人たちは、自
分たちが創造者たちに対して畏敬の念を持ち、創造者たちを超自然的で神的な存在だと思うように
86
仕向けられたのでした。
ところがサタンは、この実験室で創造されたものからは、何ら善いことは期待できないと考えま
した。むしろ、人間からは悪いことしか生じないと考えました。
こうした経緯から、サタンとは、エロヒムの中のひとりではあるのですが、エロヒムの姿を持っ
た新しい生命の創造には反対する、彼らの惑星の一政治団体の指導者であることがハッキリと分か
ります。他の多くのエロヒムは、サタンとは異なり、非暴力的な生命の創造は可能だと考えていま
した。
ここでルシファーが登場します。その名は語源的には「光を運ぶ人」を意味します。ルシファー
は地球上に生命、従って人間を創造したエロヒムの中のひとりです。
ルシファーは、最初の合成人間の反応を研究する、ある一つの遺伝子工学実験場において、一つ
の科学者グループの長として彼は、新しく創られた創造物の素晴らしい能力を見て、惑星政府の指
令から逸脱することを決心しました。そして、その創造物に対し、自分たちは「神」ではなく、血
と肉を持った人間であり、触れることのできる物質でできた円盤に乗って、天空より飛来したのだ
ということを、明かす決心をしたのでした。
なぜかというと、毎日、これらの生命研究に携わっていたルシファーと彼に従っていたエロヒム
は、自分たちを神のように崇拝するように人間たちに仕向けていたにもかかわらず、次第に人間た
ちを、自分たちの本当の子供のように愛し始めたために、肉体的にも精神的にも美しく立派で知性
的な創造物が、偶像の前に平伏すように自分たちの前に平伏す姿を見ることに、もはや耐えられな
87
かったからです。
彼らが神として振る舞ったのは、ヤーウェによって指導される彼らの惑星政府が、創造物に真実
を告げることを厳禁し、常に超自然体として振る舞うように義務づけていたからです。
こうして、「光を運ぶ人」としてのルシファーは、人間に光をもたらし、人間たちの創造者は神
ではなく、人間と同じ者であることを明らかにしました。このようにしてルシファーは、人間たち
からは悪しか生じないと考えるサタンと対立し、エロヒムの惑星を統治する不死会議の議長である
ヤーウェの命令に背くことになったのです。
以上の話のどこにも、角を生やした動物が出てくることはありません。
ヤーウェは、彼の命令に反した科学者たちを地球に追放しました。すなわち、詩的に言えば、ヤ
ーウェは、「へび」が地上を這わねばならないように呪ったのです。そして、何ら努力することな
く食と住を与えられていた人間たちを、「地上の楽園」としての実験場から追放したのです。
しかしサタンは、それで追求をやめたわけではありませんでした。なぜならサタンは、人間を暴
力的で危険な存在と見なし、創造物がすべて破壊されてしまうことを望んだからです。何年間にも
わたり、サタンは人間の攻撃的な性格を証明するための事実を、着々と集めていきました。サタン
は、地球に追放されたルシファーのグループのエロヒムの子孫から与えられた武器で、人間たちが
互いに殺し合うのを見ていたのでした。ルシファーのエロヒムの息子たちは、人間の娘たちと戯れ
始めました。そして娘たちは、父や兄弟たちが狩りをするためにと偽りを言い、武器を譲り受けて
いたのでした。ところが人間たちは、実際にはこの武器で、とんでもない戦いを始め出したのです。
88
サタンから不死会議に提出されたこうした殺戮の証拠によって、ヤーウェはサタンの要求を入れ
ることを決定しました。すなわち、地球上で創造されたすべての生命を破壊することです。そして
恩赦により、ルシファーのグループがエロヒムの惑星に帰還することは許しました。
ルシファーたちは、彼らの素晴らしい創造物のすべてが破壊されるのを知りました。人間の中に
は非暴力的で、それどころか、愛情と友愛に満ちた人のいることを信じていたルシファーたちにと
っては、その決定はとても容認できるものではありませんでした。それらの愛情と友愛の心を持っ
た人間の中に、ノアがいました。ノアは、ルシファーたちの助けを借りて宇宙船を造り、その宇宙
船で地球を周回する軌道に脱出することにより、いくらかの人間と動物の種とが破壊から救われ、
大異変の後に再生されるために、その遺伝子コードを残すことになったのです。
この時エロヒムは、自分たちもまた、他の世界の惑星からやって来た知的生命体によって、彼ら
が地球人を創造したのと同じように、実験室で創造されたものであることに気づきました。そして、
二度と再び、人類を破滅させないことを決意し、ルシファーのグループが「方舟」の中に保存した
生命を、再び地球に移植するのを助けたのでした。
このことは、サタンの反対を振り切って行われました。ところが、相変わらずサタンは、人間か
らは悪しか生じないと決めつけ、その破壊への執念は消えることがありませんでした。しかし、そ
ういうサタンではあっても、ヤーウェが率いる不死会議の多数派には従わざるを得ませんでした。
ヤーウェは、エロヒムの創造者たちの世界からやって来た、自動宇宙船に収めてあったメッセー
ジを見て、もしも人間が暴力的ならば、彼らが惑星間文明に到達することを可能とするエネルギー
89
を発見したときに、自己破滅するであろうということを理解しました。
こうしてエロヒムは、人間が自らに進歩するのに任せ、そして宗教を創始する任務を負った人た
ちを選んだり、あるいは人間の間に誕生させたりしました。そして時が至り、私たちが科学的に十
分進歩して、合理的な理解ができるようになったときに、創造者たちの活動の痕跡が私たちに認め
られるように配慮したのでした。
しかし、このように重要なメッセージをこれらの人たちに託す前に、彼らがその創造者たちに対
して忠実であり、彼らに話すことの内容については裏切らないことを確かめる必要がありました。
こうしてエロヒムは、サタンに預言者を試す任務を与えたのです。
では、彼ら預言者たちの忠実さはどうやって試すのでしょうか。それはまず、エロヒムの使者に
よって、彼らがエロヒムの預言者となることを告げさせます。次いで、サタンあるいはその使者が、
将来の預言者に会い、エロヒムの悪口をさんざん言って創造者たちを中傷するのです。そして、将
来のメッセンジャーがその父たちを否定し、例えば物質的な利益と引き換えに、裏切るように仕向
けるのです。
ところで、
「中傷者」とはギリシャ語で何と言うのでしょうか。それは、
「ディアボロ」
(diabolos)
です。ここから例の、悪魔(ディアーブル:diable)という言葉が出てきたのです。しかし彼は、
角も蹄も持っていません。
例えばイエスは、四十日にも及んだ砂漠での奥義伝授に際し、
「悪魔(ディアーブル)」と会って、
イエスがその父を否定しないかを試されています。
90
「さて、イエスは御霊によって荒野に導かれた。悪魔に試みられるためである」
(『マタイによる
福音書』第 4 章第 1 節)
この記述は、明らかに次のことを意味しています。
「さて、イエスは砂漠に導かれた。中傷者に試されるためである」
こうして、「ディアーブル」によって課せられた多くの試みが、聖書に書き残されることになっ
たのです。まず、ディアーブルはイエスに、石をパンに変えることによって神の子であることを証
明せよ、と言いました。
「『もしあなたが神の子であるなら、これらの石がパンになるように命じてごらんなさい』
。イエ
スは答えて言われた、『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つひとつの言で生き
るものである』と書いてある」(『マタイによる福音書』第 4 章第 3・4 節)
イエスはサタンに答えました。食べる物があるということよりも、エロヒムに忠実であることの
ほうが大切であると。これが「ディアーブル」の試みであるのは、イエスが長い間、断食をしてい
て、空腹の極みにいた時にそれを言ったからです。
次にイエスは、寺院の頂上に連れて行かれました。サタンはイエスに、飛び下りるように命じて
言いました。「神」の天使が、イエスが傷つかないように落下のショックを和らげてくれるであろ
うと。
「もしあなたが神の子であるなら、下へ飛び降りてごらんなさい。『神があなたのために御使た
ちにお命じになると、あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手で支えるであ
91
ろう』と書いてありますから。イエスは彼に言われた、『主なるあなたの神を試みてはならない』
とまた書いてある」(『マタイによる福音書』第 4 章第 6・7 節)
イエスはディアーブルに答えて言いました。自分は不必要に創造者たちを試すために地球に遣わ
されたのではないと。こうしてイエスは、自分の支援のために、創造者たちによる介入をいつも求
めるものではない、ということを示したのです。
次にサタンは、イエスを高い山に連れて行き、イエスに、地上の強大で裕福な王になることを提
案しました。
「次に悪魔は、イエスを非常に高い山に連れて行き、この世のすべての国々とその栄華とを見せ
て言った、『もしあなたが、ひれ伏してわたしを拝むなら、これらのものを皆あなたにあげましょ
う』。するとイエスは彼に言われた、
『サタンよ、退け。・主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ
仕えよ・と書いてある』。そこで、悪魔はイエスを離れ去り、そして、御使たちがみもとにきて仕
えた」(『マタイによる福音書』第 4 章第 8~11 節)
イエスはここでエロヒムへの忠誠を示し、強大で裕福になることよりも、エロヒムに仕えるのを
望んでいることを示しています。因に、イエスが中傷者を彼の名で呼んでいることに注意しましょ
う。というのは、イエスは彼をサタンと名付けているからです。試みは成功に終わり、エロヒムの
使者である「天使」たちは、奥義伝授を終えるためにイエスのほうへやって来ました。
「ディアーブル」の試練に晒されたのは、イエスだけではありませんでした。ヨブもまた、サタ
ンに試されています。『ヨブ記』の始まりは特にそのことを雄弁に物語っています。そこには、ヤ
92
ーウェとサタンとの良好な関係、友愛的とも言ってよい関係が描かれています。
「ある日、エロヒムの子たちが来て、ヤーウェの前に立った。サタンも来てその中にいた。ヤー
ウェは言われた、『あなたはどこから来たか』。サタンはヤーウェに答えて言った、『地を行きめぐ
り、あちらこちら歩いてきました』。ヤーウェはサタンに言われた、
『あなたは、わたしの僕ヨブを
心して見たか。彼のように全きで、かつ正しくしてエロヒムを畏れ、悪に遠ざかる者の世にないこ
とを』。サタンはヤーウェに答えて言った、
『ヨブはいたずらにエロヒムを畏れましょうか。あなた
は、彼とその家、およびすべての所有物の周りにくまなく、まがきを設けられたではありませんか。
あなたは彼の勤労を祝福されたので、その家畜は地にふえたのです。しかし今あなたの手を伸べて、
彼のすべての所有物を撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたを呪うでしょ
う』。ヤーウェはサタンに言われた、
『見よ、彼のすべての所有物をあなたの手に任せる。ただ彼の
身に手をつけてはならない』
。サタンはヤーウェの前から出て行った」(『ヨブ記』第 1 章第 6~12
節)
ここには、明らかにヤーウェが、サタンよりもランクが上であることが記されています。しかし
ヤーウェは、サタンがいわば「野党的」行為を続けることを認め、サタンにヨブを任せました。こ
うしてサタンは、エロヒムを深く尊敬して心から愛している人間が、不幸や破滅、病気などに襲わ
れると、エロヒムを憎み始めることを示そうとしました。
事実、サタンは完全にヨブを破滅させたのです。しかしヨブは、エロヒムを愛して尊敬し続けま
した。
93
「このとき、ヨブは起き上がり、上着を裂き、頭をそり、地に伏して拝し、そして言った、『わ
たしは裸で母の胎を出た。また裸でかしこに帰ろう。ヤーウェが与え、ヤーウェが取られたのだ。
ヤーウェの御名は讃べきかな』。この事においてヨブは全く罪を犯さず、またエロヒムに向かって
愚かなことを言わなかった」(『ヨブ記』第 1 章第 20~22 節)
しかし、サタンは諦めませんでした。そして彼は、不死会議の議長にその報告書を提出するので
す。
「ある日、またエロヒムの子たちが来て、ヤーウェの前に立った。サタンもまたその中に来て、
ヤーウェの前に立った。ヤーウェはサタンに言われた、
『あなたはどこから来たか』。サタンはヤー
ウェに答えて言った、
『地を行きめぐり、あちらこちら歩いてきました』。ヤーウェはサタンに言わ
れた、『あなたは、わたしの僕ヨブを心して見たか。彼のように全きで、かつ正しく、エロヒムを
畏れ、悪に遠ざかる者の世にないことを。あなたはわたしを勧めて、故なく彼を滅ぼそうとしたが、
彼はなお堅く保って、己を全うした』。サタンはヤーウェに答えて言った、
『皮には皮をもってしま
す。人は自分の命のために、その持っているすべての物をも与えます。しかし今、あなたの手を伸
べて、彼の骨と肉とを撃ってごらんなさい。彼は必ずあなたの顔に向かって、あなたを詛うでしょ
う』。ヤーウェはサタンに言われた、『見よ、彼はあなたの手にある。ただ彼の命を助けよ』」(『ヨ
ブ記』第 2 章第 1~6 節)
このときヤーウェは、サタンがヨブの健康を害するのを許しました。ヨブが常に創造者を愛し続
けることができるかどうかを知ろうとしたのです。それでも、ヨブはエロヒムを尊敬し続けました
94
が、彼はヤーウェにこう問い始めました。こんなに不幸で苦しめるのなら、なぜ私を地上に生まれ
させたのですか、と。とうとうヤーウェは介入して、何が起こったのかを簡単に説明し、ヨブが生
きていることを嘆き、自分を試練の渦中へ投げ入れた者を裁こうとするのは間違いであることを示
して、その後ヨブに、健康と、彼が破滅される以前に持っていたもの以上の財産を与えたのです。
私が宇宙船の基地の中でヤーウェと交した対話の終わりに、彼は後で会いましょうと言って、し
ばらく席を外しました。その時、他のふたりのエロヒムのうちのひとりが、後ろについて来るよう
に言いました。
彼は、私を素晴らしい装飾のある小さな部屋へ連れて行きました。壁は円いピラミッドの内部の
ようであり、これらの壁には光の波が走り、色とりどりの波に覆われているようでした。すべてが
リズミカルに動き、大変リラックスさせる波動で構成された音楽のようでもありました。とても柔
らかな、まるで生きているような印象を与える、黒い毛皮のカバーで覆われた心地よい椅子に私を
座らせてから、彼は言いました。
「私はあなたに、私たちエロヒムの中には、人類の将来について、ただ一つの意見しかないとい
うわけではないことを、伝えておきたいです。ヤーウェは人類を善良だと考え、人類が進歩するの
に任せたいと考えています。もしも彼らが善良でないとすれば、いずれ人類は自己破滅するだろう
と考えているのです。私と、私を支持する多くの人たちは、人類は性悪だと考えて、人類の自己破
滅を早めることを望んでいます。
私たちはあなたに提案します。私たちを助け、この地球の最後の大異変を早め、失敗の実験の結
95
果として生まれた生命を破壊し、宇宙の浄化に務めようではありませんか。あなたがヤーウェから
与えられた使命を果たし続けようとするなら、あなたは大変貧しいままでしょう。あなたは皆に馬
鹿にされ、苦しめられ、おそらくは投獄され、あるいはあなたの兄弟たる人間たちに殺されるかも
しれません。
もしもあなたが、私たちの計画に従って、人間たちの中にある人種的偏見を助長し、人種・民族
間の世界戦争を勃発させることを手伝うならば、あなたはすぐにも強大な権力と財産を手に入れる
でしょう。あなたの役目は、これから私が述べることを書きとめ、本にして出版することです。そ
れによってあなたは、アラブ民族、黄色人種、そして黒人を抹殺することを要求する、さまざまな
精神的または政治的運動を組織することができます。これらの人種・民族は、白人が発明した探査
と利用の技術で利益を得ていながら、白人が必要とし、白人がそれを享受する権利のある富と天然
資源を、独り占めしているのだと主張すればよいのです。
こうして、世界戦争が起こるや否や、あなたと、あなたを手伝った人たちだけが救出されます。
私たちは、あなたがたを私たちの安全な宇宙船の中に移し、そして地上のすべてのものが破壊され
た後に、あなたがたを地球へ戻して、あなたがたが思うように支配する新しい文明を創り上げるた
めの援助をします。
あなたが地球へ戻れば、とりあえずあなたの望む金額を、それが一〇億でも、五〇億でも、一〇
〇億でも、あなたを援助するために設立されたスイスの財団に払い込みましょう。あなたがその金
額を決めるのです。必要とあれば、いつでも払い込みます。
96
そして、それがすべてではありません。もしもあなたが私たちを手伝えば、あなたとあなたの選
んだ人たちには、永遠の生命が与えられるのです。
私たちがあなたに望む唯一のことは、人類が現在の恐ろしい文明を破壊するように仕向けること
です。そのためには、あなたが異星人に出会い、異星人はあなたに、異星人による地球への侵略を
通告したと、人々に伝えなければなりません。
私はあなたに、私たちの存在の証明となるものを与えましょう。そうすれば、誰ひとりとして、
あなたの言葉を疑う人はいなくなるでしょう。こうして人類は、宇宙に対する防衛のためにさらに
軍備を強化するでしょう。そしてそれは、ヤーウェが人類の互いに殺し合うのを止めさせようと人
類に近づくことを不可能にし、核兵器の貯蔵量をさらに増やし、地球自滅への攻撃性を一層高める
ことになります。
よく考えなさい。一方では、あなたはどう見ても成功の見込みのない、大義のために行動するこ
とを求められています。遅かれ早かれ、人類は地球上のすべてのものを破壊するでしょう。あなた
には、兄弟たちを説得するための何の証も、何の財政的な援助も与えられていません。そしてあな
たは、人々の嘲笑に遭い、法律上または刑事上の事件にまで巻き込まれ、ついには、刑務所へ投獄
されることにもなりかねないのです。その上あなたが、神は存在しないと言ったばかりに、あなた
を暗殺しようとする狂信者も現れるでしょう。
それに対して、私の提案を受け入れたならば、あなたは即座に富を得て、尊敬される人となり、
そしてそれは、もうあらゆる面で始まっている過程を早めることでしかないのです。
97
さあ、どう決心しますか。答える前に、しばらく時間が必要ですか?」
私は答えました。
「私は、人類が自己破滅するとは決して思いません。たとえ十分の九の確率でそれが起きるとし
ても、たとえ一〇〇〇分の一の確率でしか破滅から逃れられないにしても、人類は試されるに値す
ると思います。私は、人類が手遅れにならないうちに、それに気づくと信じたいです。たとえ手遅
れであったとしても、ヤーウェが私に言ったように、平和と非暴力のために戦った人は最後の大異
変から救われ、再び地球に入植して、新しい兄弟愛に満ちた世界を創るように務めることができる
でしょう。
従って、あなたの提案には何ら有利な点がありません。その上、あなたの計画では、暴力を爆発
させた人が助けられることになり、その後に再び生まれる文明は、その設立者の性格を反映したも
のとなる可能性が強く、従ってその社会は、必然的に、社会的に、そして遺伝的に暴力的な性格を
帯びることが避けられないのではないでしょうか。
次に、異星人が地球に侵略して来ると言って人類を恐怖に陥れることは、結局、地球における恐
怖、ひいては攻撃的な性格を助長するだけです。従って、こうした干渉の前に、例えば一〇〇〇分
の一の確率で破滅を防ぐことができたとすると、干渉の後では、その半分の確率になってしまうで
しょう。
人間の暴力を減少させる最も大きな要素は、宇宙に向けて、無限に向けて心を開くことです。も
しもすべての人間が、希望と友愛の心を持って空を見つめるならば、人々は互いに、より親近感を
98
抱き、殺し合うようなことは考えなくなるに違いありません。
最後に、私は強大な権力も、巨万の富も欲しいとは思いません。私はほとんど何も持ってはいま
せんが、この少しのものさえあれば、幸福に暮らすことができるのです。私の遂行する使命が私の
人生を満たし、私を幸福でいっぱいにしてくれます。
私には、私の子供たちのための食物と、彼らのための屋根があれば、それで十分です。そして、
人類に真実を伝えるために私を手伝ってくれる、共鳴者たちの中の幾人かの援助によって、私はそ
れらをすべて得ることができるでしょう。私は同時に二軒の家で生活することはできないし、同時
に二台の自動車を運転することもできません。私が家の所有者だからといって、その屋根の下でよ
り良く眠れるわけではないし、暖炉の火がより暖かくなるわけでもないのです。
ヤーウェが私に託した使命については、私は、エロヒムを迎えたいと思う人たちの共同の努力に
よって成されることが、より望ましいと思います。これこそ私たちが、創造者たちに対してできる
最も美しい愛の証だと思います」
「あなたは私の提案を拒むのですか?」と私の相手が聞きました。
「その通りです。今、私があなたに説明した理由で、そして私自身が、基本的に暴力に反対であ
るという理由によって拒否します」
「あなたは拒否したことを、あとで後悔しませんか? 少し考えて、それから返事をしたいとは
思いませんか?」と彼は言いました。
「どんなことがあろうと、私は意見を変えようとは思いません。たとえ私の生命が危険に曝され
99
ようとも、愛と友愛が人間を支配し、人々がその創造者たちを迎えるために戦い続けるほうを選び
ます」
このとき、私たちがいた部屋の入口の扉が開いて、ヤーウェが現れました。彼はもうひとりのエ
ロハを伴っていました。ヤーウェは私に言いました。
「先ほどの提案に対して、あなたがあのような対応をしてくれて、私はとても嬉しいです。私は
あなたがそう言うと確信していましたが、今しがた、あなたを試みた私たちの兄弟であるサタンは、
人類が統一されたとき、貨幣と武器が無くなり、何らかの前向きな姿勢が生じるとは信じられない
のです。
こちらは、あなたの行動に大変満足している、私のもうひとりの仲間、ルシファーです。私も初
めは、私たちが介入するべきではなく、暴力性の解決という最後の試練に、人間自身の力で立ち向
かわせるべきだとは考えていなかったのです。しかしルシファーは、最初から人間を信じていまし
た」
このとき、サタンは私に言いました。彼は、地球に私のような人間が十二人以上もいるとは考え
ていなかったのだと。彼の顔はとても慈愛に満ちていて、次のように付け加えました。例外的な人
間が稀にしかいなかったので、人間が存在するに値するとは考えなかったのだと。
それから私たちは、より大きな宇宙船に乗って、
「不死の惑星」へと向かいました。そこで私は、
第二のメッセージで述べられているように、一連の奥義伝授を受けたのです。
100
天にまします我が父よ
この異星人との最初の出会いのときは、彼が不死会議の議長であるヤーウェだとは知りませんで
したので、私はそのとき彼に、なぜ私をメッセンジャーとして選んだのかと尋ねました。彼は、人
類が一九四五年八月六日の広島での原爆投下のあと、自分たちは誰かを「選ぶ」ことを決定した、
と答えました。そして、「私たちは、あなたの誕生、いやそれ以前から、ずっとあなたを見守って
きました」と付け加えました。
初め私には、この返答がとても不思議なものに思え、第一のメッセージと第二のメッセージとの
間の二年間、この点について私はあれこれと考えていました。
その答えを完全に理解するためには、私は再びヤーウェに会う必要がありました。私たちが「不
死の惑星」にいるとき、ヤーウェは私の起源を明らかにしたのです。それは、第二のメッセージの
第二章、「イスラエルの民へ」の項の説明の中で、最後に述べられたものでした。
私は再び、バックルの付いたベルトを着けさせられました。これにより、波動の流れに沿って空
中を飛んでいくことができるのです。私は、貝型の不思議なアームチェアーの中で頭脳を改良され
てから、ゆっくりと実験室を出て、それから、青々とした緑の上を二十メートルほどの高さで飛ん
でいきました。
数十秒後、私たちは楽園のような空き地に近づきました。そこには、つい先ほど食事を共にした、
預言者のうちの何人かがいました。そこから数百メートル下には、地中海の青さなどとても及ばぬ、
101
深く美しい青い海と、素晴らしい浜辺が見えました。それはまるで、カリフォルニアのプールよう
な青さでした。しかし水面に近づくにつれて、バラ色や緑色と共に、私にはすべての色彩が見えて
きました。ちょうど数十キロメートルに渡って、海底に色が塗られているかのようでした。この素
晴らしい色彩はどういうことなのかという私の質問に、それは海草の色だという答えが返ってきま
した。それらの海草は、こうした美しい色彩効果を作り出すために、人工的に植えられたものだと
言いました。
私はベルトによって、十数人の預言者のグループがいる近くの空き地に、ゆっくりと下りること
ができました。イエスとして私に紹介された人が、私たちに会いに来ました。
ヤーウェと共に歩き、私たちは岩の中に作られた椅子の上に座りました。その椅子は、生きてい
るような素晴らしい黒の毛皮で覆われていて、海を見下ろす岩場の頂きにありました。
そのとき、ヤーウェは私に、最初の出会いから二年経ちましたが、その間に、特に気にかかった
問題はなかったかどうかと尋ねました。私はためらわずに、
「あなたが、『私たちはあなたの誕生、いやそれ以前から、あなたを見守ってきました』と言わ
れたとき、私はずうっと、それがどういう意味なのかを自問し続けてきました」
と答えました。
私は何度もこの問題を考え続けてきました。エロヒムは、私の母親が私を身ごもる前に、両親の
選択をしたということなのか? そして、私を産むように天から誘導したとでもいうのだろうか?
あるいは選択されたときには、すでに両親の交わりがあったことなのかどうか? あるいはすでに
102
母親が妊娠していたことなのか? それとも胎児が選ばれたことなのか?
ヤーウェは、私にとってとても大切なこの質問に答えましたが、その答えは、私の想像を絶する
ものでした。彼はその時、今までずっと私に対して使ってきた「あなた」と呼ぶのをやめて、突然
「お前」と呼ぶようになったのです。
「お前が父親だと思ってきた人は、実はお前の父親ではありません。地球へ最後の預言者として、
新しいメッセンジャーを送る時期が到来したと私たちが決めたのは、広島に原爆が投下されてから
です。最後の預言者とは、エロヒムの言うことを人々に信じさせようとするのではなく、理解する
ように呼びかける人です。その意味では、最初の預言者と言えるかもしれません。
そこで私たちは、イエスの時代と同じようにひとりの女性を選び、そして私たちの宇宙船の中で、
イエスの母親に行ったように受精させたのです。そして、そのことの記憶を完全に消失させてから、
彼女を解放しました。
次いで私たちは、生まれてくる子供を立派に育てられる男性が、この女性に出会うように配慮し
ました。また、生まれてくる子供が、一つの宗教にだけ影響されすぎないようにするために、この
男性の信じる宗教は、女性の宗教とは異なっていなければなりませんでした。このようにして、お
前が父親だと考えていた男性は、ユダヤ人の中から選ばれたのです。
お前の本当の父親は、イエスの父親でもあり、だからイエスは、お前とは兄弟なのです。すなわ
ち、お前の目の前にいるこの私が、お前の父親なのです。お前が父親だと思っていた男性は、マリ
アの夫ヨセフのように、お前がひとり立ちできるようになるまで、お前とお前の母親に必要なもの
103
を与える役割を果たしていたのです。
今からお前は、私に向かって、打ち解けた態度で話をしてもいいのです。なぜなら、お前は私の
息子であり、私はお前の父親なのだから」
これは、私の旅の中でも最も感動的な瞬間であり、ヤーウェの目にも、私と同じ大きな感動と愛
を読み取ることができました。イエスも、きっと同じ感動を味わったに違いありません。こうして
私は、初めて私の父と兄とを抱擁することができたのです。
そしてヤーウェは、この親子関係について三年間は人々に明らかにしないことを要求しました。
だから、私はその時がくるまで、このことには一切触れてきませんでした。
いずれにせよ、それは大して重要なことではありません。なぜなら、イエスをメッセンジャーと
認めた人たちと同じ過ちを、再び私たちは繰り返すべきではないからです。重要なのはメッセンジ
ャーではなく、メッセージなのですから。
「イエスは、人々に従うべき道を示しにやって来た。しかし人々は、イエスの指をじっと見つめ
ただけだった」
と、ある偉大な思想家は述べています。残念ながら、それが真実なのです。
私ラエルは、同じようにあなたがたに従うべき道を示します。
「天にまします」私の父が与えてくれた情報を伝えたい。大事なことは、エロヒムを私たちの父
と認め、彼らが要求しているように、地球に彼らを迎えるための大使館を建設することです。そし
て、メッセンジャーではなく、彼が伝えるところのメッセージが大事なのです。メッセンジャーで
104
はなく、メッセンジャーを送った人たちを、彼を通して承認することが大事なのです。
私の指先を見つめてはいけません。その指の差し示す方向を見つめてください!
地球人へ、ヤーウェからのメッセージ――最終核戦争の啓示
〈私ヤーウェは、私の預言者であるラエルの口を通して、地球の人たちに訴えます。
残念ながら、人類が自己破滅に陥らない確率は、一〇〇分の一しかありません。すべてのラエリ
アンたちは、人類が最後にはこの僅かなチャンスを捉えて、最後の大異変から逃れ、黄金時代を迎
えるだけの英知を持ちうるように、働きかけなければなりません。さらに各ラエリアンは、精神の
覚醒という行為を通じて、このほんの僅かな生存の可能性に力を与え、この確率がこれ以上小さく
ならないように、努めなければなりません。
将来を予言することは不可能です。時間の流れを旅することは不可能ですから。しかし、ある生
物体の将来を予測することはできます。そして、人類全体を一つの生物体と考えることは可能です。
素朴な女性を妊娠させた科学者は、その将来を彼女に予言することができます。すなわち、九カ月
後には子供が生まれること、さらには、その性別さえ言い当てることができるでしょう。
同じように、多くの惑星上に生命の創造を行ってきた私たちは、人類が科学水準と同等の英知を
持たないまま高度な科学技術の水準に達したとき、そこで何が起こるのかを正確に知ることができ
ます。
105
こうして、個々人の将来について予言することはできなくとも、妊娠中には通常何が起こるのか、
あるいは発展過程にある人類全体には何が起こるのか、ということについて知ることはできるので
す。
母胎内で受精した最初の細胞の中には、多くの機能を持った完全な人間が生まれるのに必要な、
すべての情報がすでに込められているのです。細胞が増えれば増えるほど、その機能も多様化して
きます。その機能の数は、子供が生まれるまでに繰り返される、細胞分裂の結果生じる細胞の数に
比例しています。なぜなら胎児は、すでに完全な生体組織を持っているので、いずれそれが必要な
諸器官を生み出し、あらゆる機能を遂行してくれるからです。
これらのことは、人類全体についても全く同じように言えることです。すなわち個々人は、生成
中の胎児とも言える人類の、一つの細胞に等しいのです。
職種、発見の数、科学技術のレベル等は、人間の数に比例します。こうして私たちは、人類が電
子義眼で盲人の目を見えるようにし、通信衛星によって大洋を越えて彼らの声を伝え、あるいは実
験室で合成人間を造り、彼らが「神」と呼んでいるものと同等になる可能性を得たときに、アポカ
リプスの時代が到来することを容易に予測できました。
これらの予測は、すべて種に関する深い生物学的な知識に立脚しています。私たちは、受精卵が
何カ月めに眼を形成し、何カ月めに性が決定するかといったことを知っています。進歩しつつある
種についても、数世紀あるいは数千年の後に種々の発見をして、その結果、大きな科学的進歩を成
すことを知っています。どちらも全く同じことです。
106
私たちは古代のメッセンジャーたちに、これらのテキストを口述しました。そして、人間が十分
進歩して理解することができるようになり、再び新たな神秘的宗教が生まれる危険を伴うことなく、
私たちが人類の前に公然と姿を現す時がやってきたとき、人類にそれと分かるように準備をしまし
た。
これらのテキストのうち、ヨハネには『黙示録』を口述しました。私たちはテレビに似た装置に
よって、アポカリプスの時代に起こりうることをヨハネに見せたのです。
『ヨハネの黙示録』のテキストは、不幸にも、神秘主義者で原始人でしかない写本家たちによっ
て、大幅に書き加えられ、とてもひどく変形されてしまいました。
ヨハネは、まず私たちとの出会いから書き始めます。
「ところが、わたしは、主の日に御霊に感じた。そして、わたしの後ろの方で、ラッパのような
大きな声がするのを聞いた」(『ヨハネの黙示録』第 1 章第 10 節)
ヨハネは次のように説明します。「主の日」と呼ばれる日曜日に、彼がテレパシーで私たちと交
信しようとしました。彼はこれを「御霊に感じた」と呼んでいるのですが――その時「ラッパのよ
うな」金属性の声を聞きました。すなわち、あなたがたがよく知っている電気スピーカーによる音
です。
次いでヨハネは、自分の背後にあるものを見るために振り返ります。
「そこでわたしは、わたしに呼びかけたその声を見ようとして振り向いた。振り向くと、七つの
金の燭台が目についた。それらの燭台の間に、足までたれた上着を着、胸に金の帯を締めている人
107
の子のような者がいた。その頭と髪の毛とは、雪のように白い羊毛に似て真白であり、目は燃える
炎のようであった。その足は、炉で精錬されて光り輝く真鍮のようであり、声は大水の轟きのよう
であった。その右手に七つの星を持ち、口からは、鋭い諸刃の剣が突き出ており、顔は、強く照り
輝く太陽のようであった」(『ヨハネの黙示録』第 1 章第 12~16 節)
彼は、七つの黄金に輝く宇宙船を見たのです。それが要するに「七つの金の燭台」です。それら
の間には小人がいました。それが「人の子のような者」です。その人は、足までピッタリと張りつ
いた宇宙服を着て、大きなベルト(帯)を締めていました。その皮膚と髪は白く、宇宙服のヘルメ
ットには二つのライトが付いていて、ヨハネはそれを目だと思ったのです。足には黄色い金属でで
きた、絶縁体の分厚い靴をはいていました。そして彼は「大水の轟きのような」大きな声で話しま
した。手には、七つの電光標示器の付いた装置を持っていて、それを使って、彼の周りの七つの宇
宙船と連絡を取っていました。
それに対して、口から突き出ている鋭い諸刃の剣は、彼らの出現を恐怖に満ちたものにするため
に、後世の写本家が付け加えたものにすぎません。こうして、その力が誇張され、初期キリスト教
徒の「神への恐れ」が現れてきます。ヨハネの前に現れたのは、紛れもなく私たちのうちのひとり
なのです。
ヨハネはすっかり驚いて、地に伏しました。
「わたしは彼を見たとき、その足もとに倒れて死人のようになった。すると、彼は右手をわたし
の上に置いて言った、
『恐れるな。わたしは初めであり、終りであり、また、生きている者である。
108
わたしは死んだことはあるが、見よ、代々限りなく生きている者である。そして、死と黄泉との鍵
を持っている。そこで、あなたの見たこと、現在のこと、今後起ろうとすることを、書きとめなさ
い』」(『ヨハネの黙示録』第 1 章第 17~19 節)
私たちは、ヨハネに起き上がるように求め、彼が見たこと、彼に口述されたものを記すことを命
じ、時期が至ったときに再び、人々がこの記述を見つけられるようにしました。
私たちは彼にこう言いました。私たちは「初めであり、終りである」と。すなわち、地球に最初
に来た人であり、さらにまた、人類が自己破滅を可能にするエネルギーを発見したときに自己破滅
してしまうとすると、最後の人になるということです。私たちは彼に説明しました。彼に話しかけ
た人はすでに死を経験したが、第一のメッセージに書かれた方法によって再生され、いくつもの肉
体を通して永遠に生きているのです、と。
「その後わたしが見ていると、見よ、開いた門が天にあった。そして、先にラッパのような声で
わたしに呼びかけるのを聞いた初めの声が、『ここに上ってきなさい。そうしたら、これから後に
起るべきことを、見せてあげよう』と言った。すると、たちまち、わたしは御霊に感じた。見よ、
御座が天に設けられており、その御座にいます方があった」
(『ヨハネの黙示録』第 4 章第 1・2 節)
ヨハネは、「開いた門が天にあった」のを見ました。すなわち、私たちの一つの宇宙船の扉のこ
とです。そして彼は、その中に搬送光線によって運び込まれたのです。このことを彼は理解できな
いので、
「御霊に感じた」と言っているのです。彼はそこで、アームチェアに座っている誰かを見、
その人の周りにも他の人たちが座っているのを見ました。そこには、全部で二十四人いました。
109
このアームチェアに座っている人は、すなわち私ヤーウェであり、私は、私たちの惑星を治めて
いる不死会議の二十四人の他のメンバーたちに囲まれていたのです。
次いで私は、ヨハネの前で思考を視覚化する装置を作動させて、このまま放っておくと、時期が
到来したときに人類に起こりうることを見せたのです。
「そして見ていると、見よ、白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、弓を手に持っ
ており、また冠を与えられて、勝利の上にもなお勝利を得ようとして出かけた」
(『ヨハネの黙示録』
第 6 章第 2 節)
それは七つの封印、すなわち人類の歴史の七つの章のうち、最初のものに関係しています。それ
は地球上で勝利を収め、『旧約聖書』をすべての人たちに知らせることになったキリスト教に関係
しています。
そして、第二の封印が解かれます。
「すると今度は、赤い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、人々が互いに殺し合いに
なるように、地上から平和を奪い取ることを許され、また、大きな剣を与えられた」
(『ヨハネの黙
示録』第 6 章第 4 節)
この赤い馬は、宗教戦争を意味するものですが、さらには戦争一般を表しています。この戦争と
いうのは、人類の人口増加を遅らせる主な要因です。
そして、第三の封印がやって来ます。
「……そこで見ていると、見よ、黒い馬が出てきた。そして、それに乗っている者は、計りを手
110
に持っていた。すると、四つの生き物の間から出て来ると思われる声が、こう言うのをわたしは聞
いた、
『小麦五合は一デナリ。大麦一升五合も一デナリ。オリブ油とぶどう酒とを、害うな』」
(『ヨ
ハネの黙示録』第 6 章第 5・6 節)
この黒い馬は飢饉を表しています。人類がこの問題を完全に解決する前に、多くの人たちが飢饉
で死ぬことでしょう。そして、第四の封印が解かれます。
「そこで見ていると、見よ、青白い馬が出てきた。そして、それに乗っている者の名は『ペスト』
と言い、それに黄泉が従っていた」(『ヨハネの黙示録』第 6 章第 8 節)
青白い馬、それは大伝染病のことです。ペストやその他の伝染病が人類の数を減少させます。第
五の封印は、いくつかに分かれています。
「小羊が第五の封印を解いた時、神の言の故に、また、その証しを立てたために、殺された 人々
の霊魂が、祭壇の下にいるのをわたしは見た。彼らは大声で叫んで言った、
『聖なる、真なる主よ。
いつまであなたは裁くことをなさらず、また地に住む者に対して、わたしたちの血の報復をなさら
ないのですか』。すると、彼らの一人ひとりに白い衣が与えられ、それから、
『彼らと同じく殺され
ようとする僕仲間や兄弟たちの数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいるように』と言い渡
された」(『ヨハネの黙示録』第 6 章第 9~11 節)
この場面は、私たちの仲間と共に私たちの惑星に永遠に生きている大預言者たちが、積極的な働
きをした人たちを、最後の審判が下される前に、再生されるように要求したときのものです。私た
ちは、人類がその進歩をやめたときにのみ再生すべく、遺伝子コードを保存しておこうと考えてい
111
た数千人の地球人を、直ちに、私たちと共に生きることを許可しました。そして、第六番目の封印
が解かれます。
「小羊が第六の封印を解いた時、わたしが見ていると、大地震が起って、太陽は毛織の荒布のよ
うに黒くなり、月は全面、血のようになり、天の星は、無花果のまだ青い実が大風に揺られて振り
落されるように、地に落ちた。天は巻物が巻かれるように消えていき、すべての山と島とはその場
所から移されてしまった。地の王たち、高官、千卒長、富める者、勇者、奴隷、自由人らはみな、
洞穴や山の岩かげに、身を隠した」(『ヨハネの黙示録』第 6 章第 12~15 節)
この第六の封印は、人類にとって、最も大きな最後の危険を表しています。これによって人類は、
全滅するかもしれないのです、すなわち核戦争です。「大地震」とは、まさしく核爆発そのもので
あり、「黒い太陽」とは、爆発の際のキノコ雲と灰によるものであり、月も、より赤く見えること
でしょう。
「消えていく天」とは、すなわち爆発の熱気流によって急激に追い去られる雲です。
「洞
穴や山の岩かげに身を隠す人たち」とは、核シェルターへ殺到する人たちのことです。
私たちの預言者に従い、私たちのメッセージを知って、自分の細胞設計図のトランスミッション
をしていた人たちが救われるのは、この最後の大異変のときです。もしそれが起こるとすればの話
ですが。これらの人たちは、すべての人間をその受胎から死までを監視している、大型コンピュー
タによって選別されるのです。
「また、もうひとりの御使が、生ける神の印を持って、日の出る方から上って来るのを見た。彼
は地と海とをそこなう権威を授かっている四人の御使にむかって、大声で叫んで言った、『わたし
112
たちの神の僕らの額に、わたしたちが印を押してしまうまでは、地と海と木とをそこなってはなら
ない』」(『ヨハネの黙示録』第 7 章第 2・3 節)
額に印を押された人たちとは、最も完璧で最も正確な遺伝子コードを含む額骨に私たちの預言者
が手を触れることにより、その細胞設計図のトランスミッション(伝送)を済ませた人たちのこと
です。「額に印を押された」人たちの数は、総数にして約一四万四〇〇〇人となるでしょう。これ
には、すでに私たちの惑星で再生された人たちや、メッセージを知ることなく人類の進歩および開
花に尽くした人たち、あるいはメッセージを読んで、そしてラエルを私たちのメッセンジャーとし
て認める人たちなどが含まれます。
この総数が、大体一四万四〇〇〇人になるまでは、最後の大異変を私たちは遅らせるでしょう。
この数が、再び地球上に生命の営みが可能になったときに、新しい人類の出発のためには必要なの
です。
第六の封印が核兵器の発見と最初の使用を表しているのならば、第七の封印は、地球の生命の全
滅に繋がる、世界的核戦争という最後の大異変を表しています。
第七の封印の最初のラッパが鳴り響くと、
「……すると、血のまじった雹と火とがあって、地上に降ってきた。そして、地の三分の一が焼
け、木の三分の一が焼け、また、すべての青草も焼けてしまった」
(『ヨハネの黙示録』第 8 章第 7
節)
地上の三分の一は放射能によって焼き尽くされ、木々も青草も、もはや生えることができません。
113
「第二の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、火の燃えさかっている大きな山のようなもの
が、海に投げ入れられた。そして、海の三分の一は血となり、海の中の造られた生き物の三分の一
は死に、舟の三分の一が滅びてしまった」(『ヨハネの黙示録』第 8 章第 8・9 節)
これは核爆発により、溶岩が大量に噴出して大洋へと流れていき、海の生物の三分の一を殺し、
船舶の三分の一を破壊することです。
「第三の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、松明のように燃えている大きな星が、空から
落ちてきた。そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。この星の名は『苦よもぎ』
と言い、水の三分の一が『苦よもぎ』のように苦くなった。水が苦くなったので、そのために多く
の人が死んだ」(『ヨハネの黙示録』第 8 章第 10・11 節)
最初の攻撃に対する反撃の核爆発が相次ぎ、「燃えている大きな星」であるミサイルが至るとこ
ろに落ちてきて、飲料水は大部分が汚染され、それを飲んだ人は死んでいきます。
「第四の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星の三
分の一とが撃たれて、それらの三分の一は暗くなり、昼も三分の一は光がなくなり、夜も同じよう
になった」(『ヨハネの黙示録』第 8 章第 12 節)
相次ぐ核爆発により、舞い上がった大量の塵や灰のために空は曇り、太陽の光は遮られ、月や星
たちも姿を消し、昼も夜も、より短くなってしまったように思われます。
「第五の御使が、ラッパを吹き鳴らした。するとわたしは、一つの星が天から地に落ちて来るの
を見た。この星に、底知れぬ坑の鍵が与えられた。そして、底知れぬ坑が開くと、その坑から、大
114
きな炉の煙のような煙が立ちのぼり、その坑の煙で、太陽も空も暗くなった」(『ヨハネの黙示録』
第 9 章第 1・2 節)
これはミサイルの落下と、それが生み出すキノコ雲についての描写です。
「その煙の中から、いなごが地上に出てきたが、地のさそりが持つような力が与えられた。そし
て地の草、すべての青きもの、またすべての樹を害ってはならないが、額に神の印がない人々だけ
を害うことを言い渡された。しかし、人々を殺すことはしないで、五カ月のあいだ苦しめることだ
けが許された。その苦痛は、さそりに刺されたような苦痛であった。この時に人々は、死を求めて
も見い出さず、死にたいと思っても、死は逃げて行くのである」
(『ヨハネの黙示録』第 9 章第 3~
6 節)
「いなご」とは核爆弾を搭載した飛行機であり、これが大都市に核爆弾を落とし、人々は爆弾に
よって死ぬことなく、爆発による放射能のために、恐ろしい苦痛に苛まれます。人々は、さそりの
毒のように、放射能によって苦しめられるのです。
「これらのいなごは、戦争のために具えをした馬の形に似ていた。頭には金に似た冠のようなも
のをつけ、顔は人間の顔のようであり、これに、女の頭髪のような髪の毛があり、歯は獅子の歯の
ようであった。また、鉄の胸当のような胸当があり、その翼の音は、軍車の轟くように、多くの馬
が戦闘に馳せてゆく音のようであった。また、さそりのような尾があって、これに刺があり、その
尾には、五カ月のあいだ人を害う力がある」(『ヨハネの黙示録』第 9 章第 7~10 節)
原始人にとっては戦争に出かける馬のような、この金属性の「いなご」は操縦室を持っており、
115
その中には人の顔が見られました。すなわち「顔は人間の顔のようであり」、そして空高く飛行し
て後ろに白い跡を残します。すなわち、ヨハネが「髪」と呼んでいるものがそれです。
「歯」とは、
翼の下に取り付けられたミサイルのことです。
「鉄の胸当」とは胴体のことです。
「翼の音」という
のは、あなたがたがよく知っているジェット・エンジンの噴射音のことです。「いなごの尾」の持
つ力とは、すなわち投下されたミサイルが、攻撃された国の住民に放射し続ける放射能のことです。
「第六の御使が、ラッパを吹き鳴らした。すると、神の前にある金の香壇の四つの角から声があ
り……」(『ヨハネの黙示録』第 9 章第 13 節)
ヨハネは、私が彼にこの場面を見せたときに、私の前にあった四つのスピーカーのことを言って
いるのです。
「わたしが幻影の中で、その馬とそれに乗っている者たちとを見ると、彼らは、火・青玉・硫黄
の色をした胸当を着けていた。馬の頭は獅子の頭のようであり、その口からは火と煙と硫黄が出て
いた。この三つの苦痛、すなわち、その口から出る火と煙と硫黄とによって、人の三分の一が殺さ
れてしまった。馬の力はその口と尾とにある。その尾はへびに似ていて、頭があり、これで人を害
うのである」(『ヨハネの黙示録』第 9 章第 17~19 節)
これらも、やはり他の飛行機の描写です。「馬の頭」というのは、実はジェット・エンジジンの
噴射口であり、そこからは炎と煙とが出てきます。「頭があり、これで人を害う」尾とは、核ミサ
イルのことです。だから「尾の頭」とは、もちろんミサイルの「弾頭」のことを指しているのです。
私たちがとても詳しくヨハネに説明したにもかかわらず、ヨハネにはこのような印象しか与えませ
116
んでした。
もしあなたがたが、ひとりのアマゾンの原住民に、今までのと同様の一連のシーンを説明し、彼
に見たことを書き留めるように言ったとすると、ほとんど同じことが生じるでしょう。十人ほどの
彼の仲間に、彼のいない所で、彼が書き留めたことをさらに書き写すように求めたときは、特にそ
うなるでしょう。
「七つの雷が声を発した時、わたしはそれを書き留めようとした。すると、天から声があって、
『七つの雷の語ったことを封印せよ。それを書き留めるな』と言うのを聞いた」
(『ヨハネの黙示録』
第 10 章第 4 節)
そこで私たちは、神は存在せず、私たちも彼と同じような人間であると、ヨハネにハッキリと伝
えました。しかし、十分に科学技術が発達するまでは、それを明かすことは、神という「松葉づえ」
を必要とする人間たちの間に、あまりにも大きな混乱を引き起こす可能性があるので、私たちはヨ
ハネに対し、私たちの説明したことを書き記さないように命じました。いつの日か、これらのこと
がすべての人たちに理解されるであろう、と彼に説明して。
「第七の御使が吹き鳴らすラッパの音がする時には、神がその僕、預言者たちにお告げになった
とおり、神の奥義は成就される」(『ヨハネの黙示録』第 10 章第 7 節)
私たちはヨハネにハッキリと説明しました。時が至れば、人類は神が存在しないことを理解し、
私たちが人類の創造者であることを理解するでしょう、と。
「……悪魔が、自分の時が短いのを知り、激しい怒りをもって、お前たちのところに下って来た
117
からである」(『ヨハネの黙示録』第 12 章第 12 節)
自己破滅か黄金時代への移行かという選択の、人類にとっての最後の試練は、サタンにとっても、
人類が性悪であることを証明する最後のチャンスでもあるのです。人類がこの試練に打ち勝って、
地上の軍備の完全なる廃棄を達成するならば、人類は決して暴力的ではなく、私たちの遺産を受け
継ぐに値することを私たちに示したことになります。
次に書かれた「獣」とは、すなわち、殺戮のための核エネルギーの使用に他なりません。
「ここに、知恵が必要である。思慮のある者は獣の数字を解くがよい。獣の数字は人の数字であ
って、その数字は六百六十六である」(『ヨハネの黙示録』第 13 章第 18 節)
六六六というのは、実験室で最初の人間が創造されてから、現在に至るまでの人間の世代の数で
す。最初の人間たちは、今から一万三〇〇〇年ほど前に創造されました。一世代の長さを約二十年
として六六六倍すると、一万三三二〇年を得ます。
キリスト紀元一九四五年のアポカリプス時代の始まりに生まれた世代は、エロヒムにより実験室
で最初の人間が創造されてから、六六六代目となります。この世代は、ちょうど一九四五年八月六
日に広島で、大量殺人のための核エネルギーが初めて使用されたときと一致します。
このことを理解するのに注釈は必要としません。書かれていることを読むだけで十分です。六六
六は確かに「人間の数字」であり、世の初めから、創造以来から産み出されてきた人間たちの数で
あり、すなわち世代の数なのです。
「こうして、数多くの電光と、声と、雷鳴とがあり、また激しい地震が起った。それは、人間が
118
地上に現れて以来、かつて無かったほどの激しい地震であった」
(『ヨハネの黙示録』第 16 章第 18
節)
核爆発による衝撃は大変大きなもので、連鎖反応が生じた場合には、さらに大きなものとなりま
す。
「島々はみな逃げ去り、山々は見えなくなった」(『ヨハネの黙示録』第 16 章第 20 節)
この連鎖反応による巨大な爆発は、大陸を突然引き裂き、島を呑み込み、わらクズのように山々
を吹き飛ばします。
「また地金の塊のような大きな雹が、天から人々の上に降ってきた。……」(『ヨハネの黙示録』
第 16 章第 21 節)
核爆発に曝されなかった地域では、爆発地点から何千キロも離れたところにも、空から岩が降っ
てきます。
「わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地とは過ぎ去り、海も無くなってしま
った」(『ヨハネの黙示録』第 21 章第 1 節)
ヨハネは、そこでは、地球より遠ざかる宇宙船の中から見えるものを眺めたのです。地球が遠ざ
かっているような印象を受けますが、実際は、宇宙船のほうが遠ざかっているのです。そして、こ
の宇宙船は星間を旅行し、地球人には見慣れない宇宙空間の旅を続けるのです。すなわち「新しい
天」です。そして、宇宙船は他の惑星へ近づきます。すなわち「新しい地」です。
「また、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように準備して、神のもと
119
を出て、天から下って来るのを見た」(『ヨハネの黙示録』第 21 章第 2 節)
宇宙船から見た原始人は、あたかも、これから宇宙船が着陸する町が「天から下って来る」よう
に感じたのでした。もちろん本当は、宇宙船のほうが近づいて行ったのです。
「……、『見よ、神の幕屋が人と共にあり、神が人と共に住み、人は神の民となり、神自ら人と
共にいまして、人の目から涙を全く拭い取ってくださる。もはや、死もなく、悲しみも、叫びも、
痛みもない。先のものが、すでに過ぎ去ったからである』」
(『ヨハネの黙示録』第 21 章第 3・4 節)
これは不死の惑星についての描写です。そこでは、大異変から私たちが救出する人たちが、私た
ちと共に永遠に生活し、地球が再び住めるような環境になったときに、新しい平和な文明を創造す
るために移住させられるのを待っているのです。
人類がその科学技術と同じレベルにまで、人類の英知を高めないならば、起こりうるべきことの
記述がこれです。
すべてこれらのことは、ひとりの原始人によって見られたのです。なぜならヨハネは、モーセ、
イエス、あるいは他のすべての預言者たちと同じく、私たちに比べれば原始人だからです。後にな
って、私たちは彼らに、物質の一種のコントロールに関する奥義を教えたのですが……。最も進ん
だあなたがたの科学者たちも、私たちに比べれば原始人であり、それはちょうどアマゾンの原住民
が、ケープ・カナベラルの科学者に比べて原始人であるのと同じです。
ああ、しかも九九パーセントの確率で、これらは起こりうることなのです。
だから、私たちを創造者と認め、ラエルをメッセンジャーと認めたあなたがたは、私たちのメッ
120
セージを伝えることによって、人類が生き残るためのほんの僅かなチャンスを掴むべく努力を続け
るべきなのです。その時にこそ、あなたは心安らかに生きることができます。それと同時に、あな
たは自分自身の開花を追求することもできるのです。なぜなら、もしもあなたが、非暴力と真実の
勝利のために最大限の努力をする正しい人たちの中にあれば、あなたは、大異変から私たちによっ
て救われることを知っているからです。
愛と友愛と知性のために戦いなさい。しかし、大部分の人たちが暴力的で、攻撃的で、獣のよう
であり続けても、悲嘆に暮れてはいけません。その努力がついには、人々を知らず知らずのうちに
地球的意識を持たせるに至り、そして人類は、黄金時代に入ることでしょう。不幸にしてすべてが
破滅したときには、すべてを再建するために、あなたがたを私たちが救い出すことになるでしょう。
私ヤーウェ、地球の最初の人にして最後の人、アルファにしてオメガの人である私は、私の預言
者ラエルの口を通して、地球の人たちにこのメッセージを送ります。
私たちが創造し、私たちが黄金時代へと向かわせようとし、私たちの本当の子供のごとく私たち
が愛している人たちへ。
善意に満ち、幸福を望む人たちのために、地球に平和が訪れんことを。
私たちの遺産伝授は、もう目の前に迫っています。子供たちが生まれてから死ななければ、それ
で十分なのです。
さあ、あなたの出番がやってきた!〉
121
第三章
無神論の宗教
翼のない天使たち
「空からやって来た天使が私に近づいて来た。彼は私にこう告げた。私は世の終わりのメシアで
あり、私は、地上に福音を伝えるために出かけなければならない。そして、私がその教皇および司
教となる一つの教会を設立しなければならない。私は、このカトリックの宗教の預言者である」
この数行を読んで、私をよく知っている人たちはこう言うでしょう。
「とうとうラエルは、良き理性を失ってしまった。使命の余りの重圧が、彼に重い精神的障害を
起こさせたのだ。彼は自分の立場を見失っている」
しかし、この導入部を読むことによって、まず次のことが分かります。
「翼を持った生物が空からやって来て、私にこう告げた。私は神の人で、世の終わりのために遣
わされた。そして、地上に福音を述べ伝えるために出かけなければならない。私は、石と漆喰でで
きた教会を造り、宝冠を戴く教皇および玉座に座る司教とならなければならない。私は、何世紀後
に起こることを告げる預言者であり、カトリックの宗教の預言者であり、ローマに属している」
さて、問題の文章の言葉に隠されている意味を、よく考えてみましょう。何よりもまず、エロヒ
ムやアポカリプスという単語について行ったように、その深い意味と語源を考えてみる必要があり
122
ます。
その前に、「語源」という単語の語源は、ギリシャ語の「etumos」(「真なる」の意)と「logos」
(「科学」の意)から来ています。つまり「真実の科学」です。
従って、『真実を告げる書』の周りに集まった人たちにとって、「etymologistes」(語源研究家)
であることほど自然なことはありません。
エロヒムは、ヘブライ語で「天空より飛来した人たち」を意味するにもかかわらず、不当にも「神」
と訳されてきました。アポカリプスは「真実の啓示」を意味するのに、「世の終わり」と訳されて
きました。私たちはこれらのことはすでによく知っています。さて、それでは一見神秘的に見える
本章の導入部について、その言葉を一語ずつ検討してみましょう。
「空からやって来た天使が私に近づいて来た」。ここから辞書を引いてみましょう。「ange」(天
使)は、ギリシャ語の「angelos」から来ていて、これは「使者」を意味します。これからも分か
るように、すでにこの文章の本当の意味は、全く変わってしまいます。すなわち、「空からやって
来た使者が、私に近づいて来た」ということであり、このように言い換えてみると、その超自然的
なものも理解できるようになります。続けましょう。
「彼は私にこう告げた。私は世の終わりのメシアであり、
」
「メシア」
(messie)とは一体、何を意味するのでしょうか。これはアラム語の「meschikha」か
ら来ていて、それは「主により油を注がれた」、もしくは「主により聖別され、選ばれた」の意味
です。従って「メシア」の意味をよく理解するためには、この「主」という言葉から見ていくのが
123
良いでしょう。
では、
「主」
(seigneur)とは一体何なのでしょうか。これはラテン語の「senior」から来ていて、
「最も歳を取った人」を意味します。中世の用語で言えば、「主」とは一地方を治めている領主の
ことです。「神」というのは永遠であると人々は信じたかったのですから、当然それは最も歳を取
っています。従って地上の「主」となるのです。領主を消し去った革命も、不幸にも宗教にまでは
及びませんでした。こうして、私たちは多くの「大司教」
(Monseigneur)を見ることになったので
す。
従って「メシア」とは、
「神に選ばれた」者を意味します。そして、
「神」とは実はエロヒムのこ
とであり、その真の意味は「天空より飛来した人たち」ですから、結局「メシア」とは、「天空よ
り飛来した人たちによって選ばれた」者ということになります。繰り返しますが、アポカリプスと
はギリシャ語で「真実の啓示」のことですから、結局は、「彼は私にこう告げた。私は真実の啓示
のために、天空より飛来した人たちによって選ばれた者である」となります。ここまでは明らかに
なりました。次に、「私は、地上に福音を伝えるために出かけなければならない」ですが、「福音」
(evangile)とはギリシャ語の「euagelion」から来ていて、これは「良い知らせ」を意味します。
従って、「私は、地上に良い知らせをもたらすために、出かけなければならない」となります。そ
して次の、
「(私は)教会を設立しなければならない」についてはどうでしょうか。
「教会」
(eglise)
は、ギリシャ語の「ekklesia」から来ていて、これは「集団」を意味します。従ってそれは、
「(私
は)集団を組織しなければならない」となります。そして次の、
「私がその教皇および司教となる」
124
ですが、「教皇」(pape)は、ギリシャ語の「pappas」から来ていて、これは「父」を意味します。
「司教」(pontife)は、ラテン語の「pontifex」から来ていて、これは「pont」(橋)と同じ語源
を持ち、川の両岸、あるいは地上の二地点、ひいては宇宙空間の二つの惑星を結ぶもののことです。
従って、明確に次のように言い切ることができます。
「私はその父となり、創造者たちの惑星と人類の惑星とを結ぶ、役目を果たす者となる」
そして最後は、「私は、このカトリックの宗教の預言者である」についてです。
「預言者」
(prophete)は、ギリシャ語の「prophetes」から来ていて、これは「真実を啓示する
人」を意味します。「宗教」(religion)は、ラテン語の「religio」から来ていて、これは「結び
つけるもの」を意味します。創造者と、その創造物とを結びつける絆です。「カトリック」
(catholique)は、ギリシャ語の「katholikos」から来ていて、これは「宇宙的な」を意味します。
従って、問題の文章の最後の部分は次のように言い換えられます。
「私は、人類とその創造者たちとを結びつける宇宙的な絆という真実を、啓示する使命を帯びた
者である」
そうすると、文章全体の意味としては、要するに次のようなことになります。
「空からやって来た使者が、私に近づいて来た。彼は私にこう告げた。私は真実の啓示のために、
天空より飛来した人々によって選ばれた者であり、私は、地上に良い知らせをもたらすために出か
けなければならない。私は集団を組織しなければならない。そして、その父となり、創造者たちの
惑星と人類の惑星とを結ぶ役目を果たす者となる。私は、人類とその創造者たちとを結びつける宇
125
宙的な絆という真実を、啓示する使命を帯びた者である」
こうして、神秘主義的な言語の真の意味が解明され、誰でもが合理的に理解できる文章となりま
した。しかし、この章の始めの文章は、全く同じことを言おうとしていたのです。にもかかわらず、
偏狭で原始的な神秘主義者の解釈は、私たちの解釈とは何と隔たっていることでしょう。正しい言
葉の意味を尊重しないことの態度が、いかにその真意から遠ざかってしまうかを分かってもらえた
と思います。
こういうわけで、「ラエリアン・ムーブメント」は紛れもなく一つの宗教です。すなわち、人類
とその創造者たちを結ぶ絆です。たとえ神の存在を信じない無神論的の宗教であってもそうなので
す。「無神論的」(athee)とは、ギリシャ語の「atheos」から来ていて、これは「あらゆる神性を
否定する」という意味です。
ある人たちは、宗教を特徴づけるものは礼拝の実践であると言います。では、礼拝とは一体何で
しょうか。
「礼拝」(culte)という語は、ラテン語の「cultns」から来ていて、「神に示された敬意」のこ
とです。ですから私たちラエリアンは、創造主の代わりに複数形にして、「創造者たちに」と言う
べきでしょう。すなわちそれは、エロヒムのことです。
ところで、
――日曜日の朝の十一時に行う、テレパシーによるコンタクト。
――少なくとも一日に一度は、エロヒムを想い起こすこと。
126
――少なくとも一年に一度は、自分の地区のガイドを招いて、メッセージについての教えを乞う
こと。
――各地区のガイドのもとで、月に一度の集会を持つこと。
――毎年八月六日には、アポカリプス時代の到来を祝うこと。
以上のこれらのことも、創造者たちに対する敬意の表明と言えます。従って、これらは礼拝の儀
式、すなわち私たちの創造者たちに、決められた日にひとりまたは集団で敬意を表すための行事で
ある、と言うことができます。
最後に、ラエリアンは神を信じないのですから、イエスについては、彼を私たちの創造者たちの
使者であると考えます。モーセ、仏陀、マホメット、ジョセフ・スミスやその他の、すべての偉大
な預言者たちと同様に、彼はエロヒムの使者なのです。そして、ラエリアンは聖書に記されている
ように、これらの使者たちがエロヒムと共に再びやって来るのを待っています。なぜなら、ラエリ
アンは、聖書の深い意味を信じているし、特に『創世記』を深く信じているからです。
それと同時に、コーランやその他の宗教聖典をも信じています。それらの書は、エロヒムのメッ
セージによってその神秘のベールがはがされ、また、人間だけの法や政府を尊重させるために、そ
れらの書に付加された人間の掟はすべて無視されるのです。
エロヒムに敬意を表すことは、それを「礼拝」と呼んでもいいことなのです。礼拝は、それ自体
としては重要なことではありません。私たちの創造者たちを神格化するのではなく、私たちに生命
を与え、自由な進歩に任せて、いつの日かエロヒムのレベルにまで自己を高めるのを見守ってくれ
127
ている深い愛に対して、心からエロヒムを愛することが重要なのです。
大事なことは、星を前にして跪いたり、平伏したりすることではありません。素直な気持ちで空
を眺め、私たちの創造者たちを理解して愛することのできる、この時代に生きるという特権を意識
した人間であることに誇りを持つことです。
私たちのレベルで最も小さな粒子中の物質をコントロールして、私たちの番が巡って来たときに、
新しい生命を創造する能力を、私たちに与えてくれたエロヒムを愛することが大事なのです。私た
ちを存在させ、あるいは私たちがどうしてここにいるのか、また時間と空間の無限の中での私たち
の使命は何か、それを理解しうる能力を与えてくれた人たちに、いつの日か会えるという希望と愛
に満ちて星雲を見上げることこそ、大事なのです。
今日までの人間は、自分たちを創造した人たちを崇拝してきましたが、今や人々は、彼らを今ま
で以上に愛するために、人間を創造した彼らを理解しなければなりません。
もしも人類が科学を悪用して、人類にとって致命的な核戦争を引き起こすようなことをしたなら
ば、エロヒムの名において人類にその過ちを自覚させようと努め、核戦争を回避すべく働いた人た
ちは、創造者たちによって救われるでしょう。私たちの父たちを信頼する人は必ず報われるでしょ
う。なぜなら、彼らはすでに、エロヒムが人類の目を開かせるために送った偉大な預言者たちが永
遠に生きている惑星で、永遠の生命を約束されているからです。
「信頼」(foi)という語は、ラテン語の「fides」から来ていて、これは「契約・絆」を意味し
ます。従って、エロヒムを完全に信頼することであり、もはや一切を理解せずに信じるということ
128
はできません。彼らを信頼することです。というのも、いずれにせよ、彼らを信頼することのでき
る知性を持つ人だけが救われるからです。
人類が取り返しのつかない過ちを犯さないように努めながら、ラエリアンは創造者であるエロヒ
ムを堅く信じています。なぜなら、ラエリアンは、たとえ最後の大異変がやって来たとしても、エ
ロヒムが自分たちを忘れはしないことを知っているからです。
責任感の麻痺
もし、「エルサレム新聞」が今から二〇〇〇年前にあったならば、失業や奴隷不足によるエネル
ギー危機、ローマの途方もない税金による物価高などについて書いたでしょう。それに伴い人々の
会話もまた、それらの話で持ち切りだったろうことは想像に難くありません。そして、それから数
行にかけて、
「御用学者」や記事のネタ不足で困っている記者たちが、
「ユダヤの王」と名乗ってい
る偽預言者のことについて書いたでしょう。
当局は直ちに彼を捕えました。なぜなら、彼は多くの盲信者や、「騙されやすい連中」を自分の
後ろに引き連れていたからであり、人は大衆の盲信性につけ込んだりはしないものであるから……
と。
こうして、「真実の啓示を受けた人」は投獄され、裁かれ、死刑を言い渡されました。私たちの
創造者たちのメッセージを広めるべく一生を捧げた人は、ふたりの強盗の間で十字架にかけられた
129
のです。いったい、彼の罪とは何なのでしょうか。
公認の御用宗教の代表者たちに許されていた、真理の不法な実行。その御用宗教は、少なくとも
二、三世紀の古さを持ち、いわば、骨抜きにされた名前だけの宗教でしかありませんでした。
「しかし、祭司長・長老たちは、群集に、バラバが赦されるように求め、イエスを殺してもらう
ように勧めた」(『マタイによる福音書』第 27 第 20 節)
御用宗教の祭司長や大新聞は群集を説得していきました。宗教は何千年もの古さを持っていなけ
れば認められない、それ以外の宗教は危険なセクトの寄せ集めにすぎない、と。
真実と人間との間に割り込む者たち、白衣を着た国の大司教の宗教を信じさせる者、私たちは猿
の子孫だと言いつつ、自分の子供には洗礼を受けさせ、両親の墓には十字架を置く科学者たち、宗
教的因習を信じさせる者、彼らの腐敗した社会の基本的価値を、あと数年余分に生き延びさせよう
とする者、苦労して税金を納める家族を擁護する者、自分たちの報酬を受け取るためには何でもし
かねない政治家を養っている祖国を擁護する者、莫大な報酬を受け取るために同じようなことをす
る軍人たち、自分たちの職務を口実にして責任を回避する下級役人たち。彼らは誰かを罰し、拷問
にかけ、殺す時でさえも、自分たちは社会を守っているのだという幻想に酔っているのです。
そういうのが、私たちを治めている人たちの好む宗教なのです。これは、若い人たちに真実を発
見させて、その心を震わせるものではありません。原始的な社会構造を打ち壊して、現在の科学技
術に適合しうる別の社会システムに置き換えようとする気持ちを、若者に引き起こすものでもあり
ません。
130
できるだけ人々の責任感を麻痺させることが、地球の人たちに自分の意志を押しつけようとする
人たちの考えていることです。彼らは、その理由をよく承知しているのです。兵士は「何かのため
に」という大義名分がなければ、目の前の人を殺すことなどできないということを、彼らはよく知
っています。何か大きな目的のためでなければ、兵士は囚人を拷問にかけたりすることなどできな
いのです。市民は、干ばつの被害にあった農民のためにという理由がなければ、そう簡単には税金
を余分に納めたりはしません。その代わり、人は何かより大きな目的のためには、何でもするので
す。
従って、為政者のあらゆる努力目標は、国民に対し、国家というものを、何かより大きな目的の
ために合致するものと思わせることにある、と言っていいです。
ある興味深い実験が、アメリカの科学者たちによって行われました。まず彼らは、人々の心に潜
む暴力性に関して、その実験の被験者のフリをする役者を雇いました。次に新聞広告で、人間の脳
の力を知るための実験ということで、参加者を募集しました。
集まった人たちは、いくつかのボタンのある机の前に、それぞれひとりずつ配置されました。そ
の机の前にはガラス窓があり、窓の向こう側には雇われた役者がいます。机の上のボタンは何段階
かに分かれていて、そのボタンを押すと、役者の身体に電流が流れる仕組みになっています。机の
前に座った人たちにはそのように教えられていたのですが、実際には、役者のほうが演技をしてい
るだけなのです。
机の上のボタンは三〇個あり、左から右へ一五ボルトずつ高くなり、一五~四五〇ボルトの電流
131
が流れるようになっています。同様に受けるショックも、弱・中・強・特強があると教えられてい
ました。
役者は、ボタンから出される合図に従って、電気ショックを受けたように演技をするのです。弱
いショックに対しては、ただ軽いショックを受けたように振る舞い、中程度のショックには、何か
を叫びながら飛び上がります。次いで、もうこれ以上は実験を続けたくないと言って抗議し始めま
す。さらにショックの強度が増してくると、椅子から離してくれと泣き叫びます。そして最も強い
ショック、つまり四五〇ボルトになると、彼は失神して死んだフリをするのです。
この机の前に座った人たちは、ガラス窓の向こう側に座っている人が、科学者の質問に対して間
違った答えをした場合に、そのことを知らせるために電流を送る、と教えられています。そしてこ
の科学者は、この異常に見える手段が、実は科学の、ひいては人間の進歩に大きく貢献するのだと
言って、ガラス窓の向こう側の人が苦痛のためにどんなに叫んでも、電流を流し続けるようにと勧
めます。
この場合、ボタンを押して実験を見ていると思っている人が、実は見られているのです。実験は、
統計的資料を作るために何度も繰り返されました。その結果、何人の人たちが、科学の進歩のため
にという名目で、人を殺すのに十分な電流を流すかを知ることができました。この実験は、その結
果を比較するために、何カ国かにおいて実施されました。
この実験を行った科学者と心理学者の予想に反し、四五〇ボルトの電流を流したのは、単に少数
の精神異常者のみではありませんでした。六〇パーセントの人たちは科学者の言う通りにし、演技
132
をしている役者の訴えを聞くこともなく、電流を流し続けたのです。彼がもう声を発することがで
きなくなっても、そうしたのです。
この実験はヨーロッパ各国で行われました。そして、四五〇ボルトの電流を流した人たちは、全
体の七〇パーセントを超えていました。最高はドイツでしたが、その時の感電死殺人の責任を負う
べき人たちは八五パーセントでした。
エール大学・心理学部、スタンレイ・ミルグラム(Stanley Milgram)教授の結論は次の通りで
す。
「個人が階級制度の中に組み込まれると、通常は個人の衝動を制御するメカニズムが機能しなく
なり、上位の階級にある者がその役目を代行することになる。……責任感の喪失が、権威に盲従す
ることの最悪の結果である。……大部分の被験者は、自分の行動を科学的真理の追求という、何か、
社会的に役立つものとして位置づけようとする。
心理学の実験は明確にその有用性を打ち出せるので、そこにやって来た人たちに信頼感を植え付
けることができる。例えば、被害者の電気ショック死といったことも、それだけを考えれば悪と思
われるが、こうした環境のもとでは全く違った意味を持ってくる。……
道徳性は消えないが、その焦点は全く異なってくる。下位の者は、上位者に命令された行動の遂
行に失敗したか成功したかによって、恥辱を感じたり、逆に誇りを感じたりする。こういった型の
モラルを示すのには多くの言葉がある。忠誠心、義務感、規律……。
以上が、私たちの研究から得た基本的な教訓と言える。すなわち特別な憎しみもなく、ただ自分
133
たちの任務を遂行している通常人が、平気で、恐ろしい破壊行為のお先棒を担ぐことができるので
ある。さらに、彼らの任務の破壊性が全く明らかになり、基本的なモラルとは両立できない行為を
要求された場合でも、権威に抵抗できるだけの内面的な力を持つ人たちは少ない。……
これは、私たちが生まれつき持っている致命的な欠陥であり、このために、私たちの種が生き残
る可能性は、ついには非常に小さいものとなる」〈『権威への盲従』S・ミルグラム(パリ、1974
年)より参照〉
これ以上に明白なことはありません。
こうして、どのようにしてイエスが十字架にかけられ、または何千人もの人たちが、宗教戦争や
内乱のときに、あるいはナチスの虐殺のときに、拷問され、殺されていったかがよく理解できます。
さらに、どのようにして実直な食料品屋や肉屋が、十字架の刑吏となり、魔女を焼き殺す人となり、
または女性や子供たちを焼却炉へ送り込むS・S(ナチ親衛隊)となり得たかが理解できます。
彼らは、すべて人類のために行動したと考えたのです。最初の例では、自分たちの伝統をひっく
り返そうとした幻想家を殺すことによって、その他の例では、自分たちとは違った生き方をする人
たちを、農作物の不作、伝染病、経済危機などの原因と見なし、その人たちを責めることで人類が
救われると考えたのです。
知恵遅れの人たちの中にこういう考えがあったとしても、それは許されます。しかし政府が、こ
うした最悪の観念を用いて一般大衆を動機づけ、あるいは彼らの行動を正当化することは絶対に許
されないのです。
134
アルジェリアの、ゲリラ狩りのフランス人責任者たちは、同じ原理によって行動しました。そし
て、「祖国」に有益な情報を得るためにという理由で、下士官に北アフリカの人間を拷問させたの
です。拷問をする人は、祖国のために「勇敢」に行動することで、ある意味では自分を「犠牲にし
ている」のです。
地球の人たちよ、用心深くありなさい。そしていかなる行動を為すときも、それが人間の尊厳と
いう、あなたの心の深い感覚に反するときは、それを行ってはなりません。あなたの為そうとする
行為から、あなたの責任を取り除いてしまうようないかなる階級制度も拒否しなさい。
すべてのナチス党員が、裁判の席で、自分は命令を実行しただけだと言って本心から自己を弁護
し、広島に原爆を投下した者が命令を実行しただけだと言うのも、これは単なる偶然ではありませ
ん。そして現在、フランスやその他のすべての大国には、「命令を実行する」という理由だけで、
核ミサイルの発射を行える人たちがいるのです。
しかし、彼らには責任があります! ナチス時代のドイツでは、無数の者たちが女性や子供を拷
問にかけました。彼らは単に命令を実行しただけで、責任はすべてヒトラーにあるとでも言うので
しょうか。それはあまりにも安易すぎます! 何百もの核ミサイルが、何千もの女性や子供たちの
住んでいる街を、いつでもフランス領土から攻撃できますが、果たして、大統領だけがこの大虐殺
の責任者なのでしょうか。
もちろん違います! 他人の殺人を実行する力を持つ一人ひとりが、個人的に責任を負っている
のです。子供を焼き殺す焼却炉に火をつけた者は、それを命令した上官よりも大きな責任がありま
135
す。そして、原爆を街の上に投下した者は、その決定を下した者よりも大きな責任があるのです。
各々は、その行為に対しての全責任を負うのであって、いかなる場合でも、命令を実行しただけだ
という事実を楯に、その責任から逃れることはできないのです。
あなたがた、ラエリアンの人たちよ、たとえ私自身が明日、私たちの運動を進めるために誰かを
殺すようにあなたに命じたとしても、決してそれを実行してはなりません。さらに、ひとりのエロ
ハがあなたに人を殺すように命令したとしても、あなたは決してそれを実行してはなりません。そ
ういう命令を出すとしたら、それはサタンであり、サタンは不死会議のメンバーたちに、人間は本
来性悪であることの証拠を捜して示すために、そうするのです。
あなたのすべての行動は、他人の生命、他人の思想、他人の流儀に対する深い尊敬の念の上に為
されなければなりません。私たちは、諸々のイデオロギーを奉じている人たちを個人的に責めるこ
となく、それらのイデオロギーと闘わなければなりません。
あなたの周りの人たちの目を覚ましなさい。彼らを深い人間尊敬の念に慣れさせ、責任感が麻痺
することを拒否させるようにしなさい。責任感の麻痺の最も危険な伝播者は、軍隊です。ドイツで
八五パーセント、アメリカでは六〇パーセント……。政治的・軍事的の階級制度によって命令され
た暴力行為の、実行を承認する意志薄弱者が一〇パーセント以上に増えないようにするために、あ
なたがたはあらゆる努力をしなければなりません。
イエスを殺した人たちは、全く平静のうちにそれを行いました。彼らには責任がありませんでし
た。彼らは命令を実行したにすぎません。ピラト自身、イエスの死の責任を取ることは拒否しまし
136
た。彼はそれから「手を引いた」のです。そして彼は、ユダヤ教のラビたちに操られた狂信者たち
が、S・Sのようにイエスを十字架にかけるのを任せました。
これらの人たちを詰問しても、誰ひとりとして、責任を感じたとは言わなかったでしょう。ロー
マ人がしたように、彼らもそれから手を引いたのです。ラビたちは、最後は国法あるいは総督に従
ったのだと言うことによって。狂信者たちも同じことを言うでしょう。
多分、誰かひとりの責任者を見つけることでしょうが、実際に罪を犯したのは、この街の人たち
の全体なのです。こうした殺人を防止するために、介入しなかった罪を負うべきなのであり、それ
は、ひとりの無実の人間を殺した罪でもあるのです。
初期のキリスト教徒たちを、ライオンの檻の中へ投げ込んだ者たちも、命令を実行しただけです。
魔女を焼き殺した者たち、プロテスタントを虐殺した者たち、アウシュビッツのナチス党員等々、
みんな命令を実行しただけです。広島へ向かった爆撃機、ベトナムの村を焼き尽くしたヘリコプタ
ーのパイロット等々、すべて同じなのです。
あなたがたには瞬間瞬間に二つの選択肢があります。自分の行為に責任を持つか、または「無責
任」になるかです。しかし、どんな「無責任」者も、実は、その行為には責任があるのです。なぜ
なら、その人たちはすべて、人類に対する罪を犯しているからです。いつの日か、その責任を負わ
なければならないのです。
以上のことを心に留めておきなさい。そして、あなたが責任の持てない行為を、あなたに押しつ
けるいかなる階級上の義務も、断固としてそれを拒否しなさい。
137
軍隊は、その最も危険な例です。命令に従ったにすぎないという弁解のもとに人を殺すくらいで
あるなら、むしろ、その命令を拒否して殺されたほうが良いです。極悪非道な命令を実行する者は、
命令を与える者よりも責任が重いのです。
どんな理由も、他人に苦痛を与えることの正当化にはなり得ません。もしも人類の生存というも
のが、非暴力なひとりの人間に課せられる苦痛に依存するのであれば、人類を滅びるに任せたほう
が良いです。もしもそれが、人類全体に属している地球上に、勝手に境界線を設けた「祖国」の生
存にしか関わらないのであれば、なおさらそうです。
この原理の絶対的な尊重のみが、個人の責任感が徐々に麻痺してしまうことを防止するのです。
「たとえ命令されたものにせよ、私は、私が他人に為すことのすべてにおいて責任がある」
これが、人々が常に留意しなければならない、第一の言葉です。
「いかなる理由も、非暴力的な人の苦痛や死を正当化することはできない。たとえ人類の生存が
かかっていても、それは例外とはなり得ない」
これが、人々が常に留意しなければならない、第二の言葉です。
このことは、もちろん正当防衛を否定するものではありません。あなたや、あなたの愛する人に
暴力を振るおうとする者には、時としては力でもって、相手を無力な状態に追いやることも許され
ます。これはメッセージの中でも語られています。
もしもある軍人が、ミサイルによって人類を破滅に陥れる危険があるならば、他に方法がない場
合は、力でもって彼を屈伏させたり、あるいは彼を死刑にすることも許されます。暴力によって人
138
類を脅かす者に対しては、単に彼の力を奪い取り、武装解除させるために暴力を用いることも許さ
れます。
核ミサイルの発射命令を実行し、都市を全滅させる力のある者たちに対しては、強制力のある良
い方法があります。それには、彼ら全員の正確なリストを作り、核を使用した場合には、その命令
を与えた者ばかりでなく、彼らもまた個人的に追求されることにするだけで十分です。現在、ナチ
スの犯罪人に対しては、この方法が適用されようとしています。もしも一九三九年以前に、このよ
うな法令とリスト作りが存在したならば、彼らは拷問を行う前に、二度も三度も考え直したことで
しょう。
命令という名の下に非人間的な行為をした者に対し、その全員のリストを作成できる権限を有し
た非暴力的な市民による公正な監視役を、軍人の中に配置できるようにすべきです。警察の警察は
存在しますが、軍隊の警察は存在していません。軍隊は、戦時において命令を拒否する兵士を、そ
の場で銃殺できるということを知っているので、どんな命令でも出すことができるのです。
従って、これらの監視役が地上から軍隊や戦争がなくなるまで、人類に対して罪となるような命
令を拒否した兵士の銃殺に、反対できるようにすべきなのです。国連は、各国の軍隊にこのような
監視役を派遣し、いかなる軍人も命令拒否のために死刑にされる前に、その命令が人類に対する犯
罪とはならなかったかどうか、これらの監視役たちで構成する委員会で判定されるようにすべきで
す。
というのは、人々は自分では悪いと思う命令を、実行させられているからです。彼らは、もしそ
139
の命令に従わなければ、罰せられる事を恐れているのです。だから彼らは、自分が投獄されたり殺
されたりするよりも、無実の人を殺したり拷問にかけたりする方を選ぶのです。屈伏してはなりま
せん! 無実の人に手をかけることより、むしろ自分が投獄され、または殺されることを選んで、
真に人類の英雄となるのです。
何百万もの人たちが、あなたと同じように行動することを働きかけるとき、命令を与える者たち
は、自分の命令が軍隊によって拒否されるのを見、命令が聞かれるだろうと思ってそのような命令
を出した者が、罰せられる時が来るのです。
企業家たちが人間を家畜のように搾取して全盛であったときも、そして、一九三六年以前の「秩
序」を維持するための警察の銃弾に遭って、何人もの犠牲者が出たときでさえも、それでも人々は
労働を拒否し、組合を結成するのに十分な力をつけてきていました。軍国主義という、地球人に押
しつけられた最後の暴政形態と戦うために、その同じ力を見つけることは可能です。
私があなたに語ったことのすべては、権力と名誉のある人たちをとても困惑させるでしょう。彼
らにとって不幸なのは、彼らが私の存在に気づくのが遅すぎたことです。私の活動の最初の二年間、
私はとても不安でしたが、今は何の不安もありません。もしも私が活動の初期に投獄されていたな
らば、私は、地球における私の使命を十分に果たせなかったでしょう。幸いなことに、権力者たち
は、空飛ぶ円盤や赤い触覚を持った火星人のことを話している、この長髪の若者を前にして微笑ん
でいました。
しかし、今や彼らは、私たちの創造者たちのメッセージの内容が、革命的であることを理解しま
140
した。そして、このメッセージが、彼らが権力につくために役立ったすべてのもの、つまり宗教、
政治、軍隊、労働、家族、祖国等のすべてを、改めて問題にしていることを理解しました。すると
彼らは、彼らの「正義」を用い、私の行動を妨げようとし始めました。ちょうど人々が、私の兄で
あるイエスに対してその「正義」を用いたように。
いつでも、最悪の不正を正当化する正義が存在するものです。初期のキリスト教徒を迫害し、魔
女たちを火刑にし、ユダヤ人を強制収容所に送り込み、そしてソ連人を精神病院や強制労働キャン
プ場に送り込むための、公式の裁判すらあったのです。これらの人たちは、社会に歩調を合わせな
いために善くないとされるのです。
しかし、彼らは気がつくのが遅すぎました。たとえ私が刑務所の奥深くに投獄されたとしても、
あなたがたはすでにエロヒムのメッセンジャーとして、世界数カ国に分かれて何千人と存在します。
私はもはやひとりではありません。私は三〇〇〇人です。私はあなたがたのことを思いつつ、喜ん
で獄に繋がれるでしょう。あなたがたは、もうひとりのラエルであり、大使館の建設と人類が黄金
時代に入るために、協力して活動しているのです。
獄の中で私は、自分のやるべきことを為した人の幸福を知るでしょう。そして、すべてのことが
私がいなくても動き始め、天にまします我が父が、私はすでに地球ではあまり有用ではなくなった
ことを知り、不死の惑星にいる私の兄弟である預言者の仲間に加えることを希望するでしょう。
こう考えるだけで、私は、私たちの父の栄光のために歌いたい。人々が十分に理解することなく
繰り返してきた言葉、ハレルヤ! ハレルヤ! を繰り返し叫びたいです。ハレルヤとは、ヘブラ
141
イ語で「ヤーウェに栄光あれ」ということです。そう、私の使命を最後まで遂行する力を与えて下
さったヤーウェに、栄光あれ!
今、私はあなたがたにバトンを渡します。さあ、我が兄弟であるラエリアンたちよ、私が伝えた
松明を受け取って、あなたの使命を遂行する時です。真実が勝利する時がまだ来なくとも、それは、
それほど遠くではありません。あなたには、その時を生きるチャンスがあるのです。
「すべてが啓示されない限り、この世代は過ぎ去らないであろう」
と書かれています。この言葉は、私たちが突入した、アポカリプスの時代に生きる人たちに向か
って言われました。つまり一九四五年以降のことです。この世代とは、あなたがたのことです! あ
なたがたが平和をもたらし、啓蒙することで、この地球で黄金時代を迎えるか、あるいはすべてが
吹き飛んで、あなたがたが、不死の惑星ですでに選ばれている人たちと共に黄金時代を迎えるかの、
いずれかです。
光に勝利を与えるために、エロヒムはあなたがたに期待しています。私の最後の言葉は再び、語
源上の非神秘化です。
「アーメン!」。これはヘブライ語で「ぜひ、このようにあれ!」ということ
です。
私たちの創造者たちのメッセージを、知ることなくこの書物を手にしたあなたよ、急いで、その
メッセージが書かれた私の前二書(日本語版合本『真実を告げる書』無限堂刊――訳注)を読んで
下さい。そして、地球の人たちにそれらを知らせるために、私たちの仲間になって下さい。そして
大使館を建設し、エロヒムが公式に地球の政府と接触しにやって来るのを待ちましょう。彼らは古
142
代の文書が予告しているように、モーセ、イエス、仏陀、マホメット、その他の昔のメッセンジャ
ーたちと一緒にやって来るでしょう。
そして、私に便りを下さい。私は個人的に返事をして、どこで、いつ、あなたが細胞設計図のト
ランスミッションができるかを知らせましょう。それを通してあなたは、エロヒムを私たちの創造
者たちであると認める、最初の行為を行うのです。それから、あなたの地域のガイドの住所、あな
たをガイドにするためのラエリアン・セミナーの場所と日時を知らせましょう。あなたはこうして、
人類の開花と、愛と、無限の無神論的宗教の、有能なメッセンジャーとなるのです。
さあ、ペンを取って下さい! あなたはもう、人生の傍観者にこれ以上とどまらないで下さい!
この灰色の、悲しくやり切れない毎日の舞台の上で、俳優となり、絶対意識で煌めく、何千もの光
に輝いた毎日を作り出そうではありませんか。
あなたは紙と鉛筆とを持っています。真実の発見が、あなたを大きく揺さぶったのなら、あなた
の使い慣れた言葉で私に話して下さい。あなたの中に湧き上がったこの感動を放置しないで下さい。
「確かに素晴らしい。しかし、この凡人の私がどう変わることができよう。第一、皆が何て言う
だろう?」
社会があなたに押しつけた、不確かな殻の中に閉じこもらないように! あなたは頭を出しかか
りました。そして、それは素晴らしいように思えました。しかしあなたは、それがただの幻想では
なかったのかと心配です。そしてこの快楽が、次には多くの問題をもたらしはしないかと心配なの
です。
143
しかし、それは間違っています! この素晴らしい快楽を最後まで味わって下さい。あなたと同
じようにメッセージを発見して、ある晩に一気に読みくだし、その普及に尽くすのを躊躇った何百
という人たちに出会うことのできる世界へ、あなたは入ろうとしているのです。彼らはあなたを助
けて、彼らの進歩についてあなたに説明するでしょう。あなたは、不安から楽にしてくれる彼らの
言葉の中に、自分自身を取り戻し、茶化した答えが返ってくる心配もしないで、自由に彼らと話す
ことのできる喜びで一杯になるでしょう。
そして最初から、彼らは自分と同じ世界観を持っていると確信するでしょう。その世界観は、あ
なたが心のうちに持っていながらも、物笑いになるのを恐れて、人にはあえて話さなかったもので
す。
私たちのガイドの中のひとり、ピエールは言います。
「人はラエリアンになるのではないのです。メッセージを発見することによって、自分がラエリ
アンであったことを発見するのです」
もしあなたも、自分がラエリアンであったことを発見したならば、私に手紙を書いて下さい。エ
ロヒムも、あなたがそれを投函するのを待っています。
144
〈宛先〉
Rael,
c/o: Raelian Religion
C. P. 225, CH-1211
Geneva 8
Switzerland
◎編集部からのお願い
ラエルに手紙を出す場合は、英語
またはフランス語で書いて送って
下さい。
145
第四章
ラエリアンの注釈と証言
科学から見たラエリズム
マルセル・テルース(ラエリアン・ガイド/化学技師)
〈1〉進化論的の蒙昧主義と、新ダーウィン主義の神話
大部分の人たちは、学校で進化論を学んできましたが、彼らは歴史、科学、哲学、そして宗教を
学ぶ時でさえ、この理論の影響を受けてきました。この点について、ジャン・ロスタンは次のよう
に告白しています。
「私たちには、生物変移説に満足するような考えが染み込んでいます……。私たちは、それらの
ことをすべて学校で学んできました。生命は進化し、生物は一つの物から他のものへ変移すると、
機械的に復唱してきたものです」
これと相反する考え方を学生たちにほとんど示さないために、何世代にも亘って為されてきたこ
の教育は、必然的に人間の精神を左右するところまで行きついています。
著名な学者、教授、そして聖職者たちが、進化論は真実であると主張し、無学の者だけがそれを
146
信じようとしないのだ、と言うとき、素人の何人が果たして、それに反論を唱えようとするでしょ
うか。科学の道を志し、また現に科学に従事している人においては、特にそうです。
しかし幸いなことに、特に優れた洞察力を持っている何人かの才気ある人たちが、こうした状態
に反旗を翻しています。そのひとりの卓越した生物学者であるジャン・ロスタン(Jean Rostand)
は、その著書『進化』(『Levolution』1960)の中で次のように述べています。
〈進化の問題が、新ダーウィン主義者たちが望んでいるように、すぐにも解決されるというのは
本当に確かなことなのだろうか。生命界形成の要因に祭り上げられている周知の突然変異は、一般
的には器官の欠乏とか欠陥(色素欠乏症・虫垂欠乏症)、あるいは既存器官の重複などである。い
ずれにせよ、突然変異が、有機体の設計図に全く新しい個性的なものをもたらすとか、あるいは新
器官の基盤もしくは新機能の端緒と考えられるような何かをもたらすといったことは、全くあり得
ないことである。
これらの遺伝上の「過誤」が、構造的な華麗さと精密さ、および驚くべき適応性を備えたこの生
命界のすべてを、まさに生命の進化に要した気の遠くなるような年月、さらに自然淘汰と相まって
形成することができたと考えるのは、全くできない相談である〉
この十年間、突然変異のメカニズムを解明するために、数多くの実験が精力的に繰り返され、特
に「キイロショウジョウバエ」というハエが詳細に研究されました。これらの実験はとりわけ、一
九四六年のノーベル賞を受賞したH・J・ミュラーによって指導されました。彼は、「突然変異が
有益であるのは非常に稀なので、これを私たちは有害なものと見なして何ら差しつかえない」と述
147
べています。
大部分の突然変異は、実験室で生起されたものであれ、生物群の内部で発生したものであれ、遺
伝病や奇形などの生育力の破損をもたらしています。
生物染色体の設計図は大変複雑なものなので、あらゆる偶然による変態は、不可避的に混乱をも
たらすことになるでしょう。
実験的方法により、はげ頭や全く羽毛のない雌鶏、あるいは目の色、羽、後足、もしくはその他
の器官が多少とも変形した昆虫が作り出されてきました。しかし、そのいずれをとってみても、手
を加えない自然な状況においては、突然変異体は有益なものではありません。偶発事故は決して改
良をもたらすものではなく、むしろ損害をもたらすことになるのです。
例えば、ストップウオッチを地面に投げつけて、その正確さを改良しようとしたり、コンピュー
タをスパナで叩いて、その精度を増大させようとする人はいません!
時間的な要素は、何物をも変化させることはなく、昨日不可能だったことは、今日もやはり不可
能なのです。
突然変異体は、原始的な種の中には絶えず存在しています。ショウジョウバエに発生した無数の
突然変異体は、それらの先祖とは異なる別種のものを、何も生み出しはしませんでした。突然変異
は、ハエの大きさ、形態、色などを変化させますが、単独もしくは一群の突然変異のいずれにも、
全く新種の生物を出現させることはなかったのです。
生細胞はとても複雑な分子から構成されており、その分子自体が、各種の原子の無数の集合体で
148
す。元々は分散していたこれらの原子が、自然発生的に集合し、結合したということがあり得るで
しょうか。
答えは、やはり「ノー」です。無機物は自らを改良しようとすることはなく、それはむしろ反対
に、中和もしくは安定の状態に向かおうとする傾向があります。気の遠くなるような長い時間を持
ち出してきても、何の役にも立ちません。時間はむしろ、腐敗と崩壊をもたらすのです。
その上、この傾向は、「エントロピー」の作用を定義づける熱力学の法則においても述べられて
います。この「エントロピー」という語は、すべての組織構造が持つ、組織化のより低い段階構造
への後戻り傾向を指し示すものです。
外部の力による介入なしには秩序の獲得はあり得ないのです。外部からの導きや組織する力の介
入がなければ、運動もエネルギーも持たない無機物は、永遠に生命反応を示すことはないでしょう。
つまり、進化論はエントロピーの法則とは矛盾することになります。
進化の理論を構築するために、真に科学的な方法が採られてきたことはありませんでした。要す
るに事実は、変移説論者の頭の中にある先入観に囚われた結論を、支持するものではなかったので
す。
こうした事実は、強力な証拠の唯一の基盤に関して判断を下し、そして自己中心主義、詭弁、名
誉や昇進の追求、あるいは先入観念には基づかない正しい結論や推論を、引き出すことの可能性を
彼らには与えたはずなのですが……。
地球上の生命は、偶然や必要の産物ではなく、外部からの介入、すなわち私たちの創造者たちで
149
ある、エロヒムによる介入の結果なのです。
〈2〉人類の新たな歴史のための仮説
米国の中央情報局(CIA)は、ハドソン研究所に対し、世界の石炭、石油、天然ガス等の、資
源の分布に関する調査実施を委託しました。調査主任のネブリング教授が得た調査結果は、彼と地
質学者にとって一つの謎となりました。
というのは、大陸が現在のように離ればなれになる以前の時代、すなわち地質学上の三畳紀の終
わり頃の大陸に、石油層の環状のようなものが存在していたからです。
大陸移動の結果、この石油層の環状は様々な地域に分断され、現在の世界の大部分の大油田地帯
を構成するに至ったのです。すなわち、北極およびアラスカ油田、カナダのアルバータのオイルサ
ンド、コロラド、メキシコ、ベネズエラのオイルシェール、オリノコ河、ナイジェリア、南サハラ、
リビア、アラビア、イラン、西シベリアの重油などです。
この環状の分布は、ネブリング教授にとっては全く意外でした。
現在、石油は、生物が空気から遮断されて還元していくうちに、分解した結果生じたものと考え
られています。脂肪と蛋白質は、(空気なしに生きる)嫌気性バクテリアによって変質します。従
って、このような説明は、好気性バクテリアがこれらの物質を分解するいとまがないほどの、急激
な生物の埋没を想定していることになります。
150
石炭の素となる物質は、植物とりわけシダ類です。森林の中では、枯れて地面に倒れた樹木は数
カ月で腐植土に変質してしまうので、石炭となる場合もやはり、非常に急激な樹木の埋没が起こっ
ていなければならないはずです。
ところが、炭層調査は一つの混乱をもたらしました。というのは、調査で明らかになった高度が
極めて高い地域(北フランスの標高二〇〇〇メートル地帯)での堆積や、広大な面積(米国アパラ
チア山脈の一万八〇〇〇平方キロメートル)に渡っての堆積があるからです。乱雑に埋没した原木
の量は膨大なものであり、現在のいかなる理論も、こうした堆積結果がどのようにして生じたかに
ついては、満足な説明ができていません。
しかし、私たちラエリアンは、この謎を解く鍵を握っています。
エロヒムは、彼らのすべての創造物、および地球上に建設した基地と実験場の破壊を決定したと
き、それに比べれば、現代の爆弾など近所で子供たちが遊ぶ花火にすぎないほどの、強力な破壊手
段を用いたに違いありません。
エロヒムが基地を建設して、何世紀にも亘って創造したあらゆる動物が棲息する森林に覆われて
いた原初の大陸は、この大異変の前には為す術もありませんでした。
大陸の表面は爆発の衝撃波に襲われ、森林も動物も含んだ地球の表層自体が削り落とされたので
す。その際、大量の土砂の下に、無数の生命体、動物、そして人間までもが呑み込まれたのです。
こうして有機体は急激に埋没し、それから石炭や石油等への変質が徐々に始まったのです。
そして今日、ネブリング教授を非常に当惑させているこの膨大な環状とは、人類が遭遇しなけれ
151
ばならなかった最大級の爆発のときに、外側に放出された物質が形成した外郭なのです。原初の大
陸自体が、この激しい攻撃の前には防ぎようもなく、衝撃波によってバラバラに崩壊してしまった
のです。
この大異変の際に、大陸のプレートは急激に分離して、粘着性のあるマグマ岩盤の上を横滑りし
ながら、様々な方向へ離れていきました。この移動は、最初は大変な速さで起こり、年月が経つに
つれて次第に速度が遅くなりました。そして現在では、その速度は年に数センチにも満たないもの
となっています。
今日測定される大陸の分離速度は、いわば「余韻の速度」であり、時間と共に減少する傾向にあ
ります。
エロヒムによる原初の大陸創造と、大洪水・大破壊とを隔てる何千年という期間に、侵食作用が
起こり、海洋の底、とりわけ大陸棚に沈澱物が堆積しました。これらの沈澱物には、あらゆる種類
の、動植物の遺骸や貝殻等が豊富に含まれていました。
南北アメリカのプレートは、西の方へ横滑りしながら、大陸プレートの縁に堆積していた海洋の
沈澱物を褶曲させて隆起し、アンデス山脈とロッキー山脈を形成しました。
同じように、インド亜大陸は、アフリカから分離して北東へ横滑りし、それ自体とアジアの陸塊
との間に、今日のヒマラヤ山脈を形成する膨大な陸塊を作り上げました。
南極大陸は南方に流され、今日に至るまで、熱帯植物の遺骸を閉じ込める氷の厚い壁に覆われる
ことになりました。
152
元々はアフリカ、インド亜大陸と一つであったオーストラリアは、東の方に分離しました。そし
てその上には、今日のオーストラリア山脈等を形成する沈殿物が堆積しています。
この大異変は想像を絶するものであり、これらの大変動が、気候や地質上に大変化をもたらし、
無数の生物を凍土や砂、泥土および土の層の下に埋没させ、全滅させたのです。
ある地域では、気温の急変が熱帯地域の動植物を凍土層の中に全滅させたので、それらは今日に
至るまで凍土層の中に保存されています。そういう理由で時々、極地やシベリアなどで、マンモス
やあらゆる動物が氷漬けで発見されたりするのです。
ごく少数の人間だけが、大洪水の間、方舟の中に保護されました。再び地上に戻ったときに彼ら
は、この大異変によって、大陸が見覚えのないほど破壊されているのを発見しました。地質上の変
動が大規模なものであったので、至るところで大地はえぐられ、大陸の地盤内部の断層は火山活動
を誘発しました。
ようやくのことで見い出した大地へ移り住んでから、生き残った人間たちは、彼らが以前広大な
大陸を見ていた場所に、今や大洋を発見したことを、図らずも確認することになったのです。
彼らや彼らの子孫の心の中で、このような記憶が少しずつ変形されていき、こうして失われた大
陸に関するいくつかの伝説が生まれたのです。
今は海洋のある所にかつては一つの大陸があったという、ムー大陸やアトランティス大陸の消滅
伝説は、長い時間をかけて、何世代もの間で口伝されたことによる、変形された記憶に由来してい
ます。しかし、そうした大陸は海中に沈んでしまったのではなく、離れていっただけなのです。
153
ところで、生物のすべての種類がもう一度、大洪水の後に再生されたのではありませんでした。
奇怪な生物や、または生態学的なバランスの維持に有害と見なされたいくつかの生物は、再生され
ることがなかったのです。すべての大きな爬虫類、恐竜、およびその他の恐ろしいトカゲ類がその
例です。このことが、ノアの大洪水以前には存在していた動物たちが突然、一斉に消滅してしまっ
たことを説明しています。
大洪水の後、エロヒムは地球人たちと一緒に暮らしました。地球上の至るところで見い出される、
彼らが存在したことを示す痕跡は、ノアの大洪水の後のものです。
目を開こうではありませんか。そうすれば、私たちの身近にあるすべての事柄から、こうしたこ
とを学ぶことができるのですから。
私たちはアポカリプスの時代――それは、私たちの創造者たちであるエロヒムに、再び会うこと
の望める新しい時代――に生きているのです。
〈3〉科学の目から見たラエリアンの洗礼
現在では、物質とエネルギーの相関関係を調べるスペクトル研究により、分子の構造と組成に関
する精密な全体的知識が得られるようになっています。
私たちの感覚からすると連続しているように見える物質は、固体・液体・気体の各状態において、
不連続な構造を持っています。物質は本質的に分子から構成されており、その分子自体も原子の集
154
合体なのです。
その原子は、正の電荷を帯びた核と、その周囲を自転しながら回る電子(太陽の周りを公転する
地球のイメージ)とで構成された、小さな惑星系に譬えることができます。そして、電子の運動は
四つの数、つまり、いわゆる量子数(主量子数・方位量子数・磁気量子数・スピン量子数)によっ
て記述されます。波動力学は、あらゆる運動をしている粒子と、その伝播の法則がシュレディンガ
ー方程式の中で示されている波動とを結合させます。
原子は、非常に安定している振動数を持つ放射線を放出したり、吸収したりしている可能性があ
るにすぎませんが、このことは、縞模様となるスペクトルの発現により示されます。異なる状態に
おける原子のエネルギーと、原子が放出または吸収している可能性のある放射線の振動数との間に
は、ある種の対応が見られるのです。
従って、各々の原子は、その原子スペクトルにより特徴づけることができます。
核磁気共鳴もまた、分子内部の、原子結合の特性に関する詳細なデータを提供することができま
す。
同様に、一つの分子内に存在する原子は、その一つ一つが他の原子に応じて振動している可能性
があります。もし、ある分子が二つの原子のみを含んでいるとすると、二つの原子核の重心を結ぶ
直線に沿った基底振動のみが存在します。従って、その振動は直線的です。二つ以上の原子を含む
分子は、基底振動数よりも大きい振動数を示します。
原子もまた、軸の周りを回転しているようです。振動と回転のエネルギーは、不連続的にのみ変
155
化し得ます。
あるエネルギー準位から他のそれへの移行は、エネルギーの吸収もしくは放出によって生じます。
物質の転移は、エネルギー交換とは不可分のものです。エネルギー交換の発生は、測定し記録す
ることが可能かもしれません。私たちは、その時、転移に特有な「スペクトル」、つまり電子の振
動と回転による、分子スペクトルを獲得することができるでしょう。
私たちの身体のあらゆる細胞は振動しており、そして最初は、騒然たる不協和音として生じる一
群の振動を発生させます。正しく人体は、電波および電磁波の発信機です。
現在の私たちの科学技術は、人体のような複雑な集合体のすべての現象を理解するまでには至っ
ていません。また、私たちの分析方法も、特定の分子からの一つの放射を識別して、それを「背景
者」から分離できるほど十分には発達していません。しかし、時が立てば、いずれ……。
考えてもみてください。ヘルツがその名のついた波を発見したのは、つい一九二〇年代のことで
す。そして、一九四六年以降にようやく、核磁気共鳴が知られるようになったにすぎません。そう
すると、私たちは五〇年後、一〇〇年後、一〇〇〇年後には……。エロヒムは私たちより二万五〇
〇〇年も進んでいることを忘れないようにしましょう。
洗礼および私たちの細胞設計図のトランスミッションの本質が、今日においてようやく理解可能
となりました。この「行為」は科学的に理解することが可能です。
すべての個人は、その人に特有の染色体図、すなわち細胞設計図を持っています。この生体構造
は振動していて、電磁波放射のスペクトルを持っています。
156
「印を押され」、資格を授けられたガイドは、新しいラエリアンと人間を監視している宇宙ステ
ーションとの間を、媒介することができます。
トランスミッションを行うガイドは、電気的コンタクトを良好にしてトランスミッションが完璧
に行われるように、手を水で濡らします。
ラエリアンの洗礼は、新しいラエリアンがメッセージを認識し、それに全面的に従うことをエロ
ヒムに示すものです。
それは、「承認」の行為なのです。
ある「司祭」の印象
ビクトール・ル・ジャンドル
(カナダ、ケベック州東部地区ラエリアン・ガイド/元ローマ・カトリック司祭)
異星人(エロヒム)がクロード・ボリロン・ラエル・に伝えたメッセージを私が知ったとき、私
は観光客としてヨーロッパを旅していました。一九七六年六月十日以降、フランス、スペイン、イ
タリア、そしてスイスをすでに廻っていたのですが、私は幸運にも、第一のメッセージである『真
実を告げる書』を六月三十日に、また数日後の七月二日には、第二のメッセージである『異星人が
私を彼らの惑星へ連れて行った』を目にすることができたのでした。最初の本はジュネーブで、次
157
の本はクレルモン・フェランでのことでした。
私がこの二つのメッセージを読んで、どんな感情を抱いたのかと、あなたは尋ねるでしょう。こ
れは、全く筆舌に尽くし難いことなのですが、感嘆と畏敬とが入り混ざった驚きとでも言いましょ
うか、それはショックでもあり、歓喜でもあったのです! それでもまだまだ言い足りないくらい
です。
私は新しい視点、いや、すべてが一新されるような視点を得て、言葉では言い表せないほどの満
足感と幸福感、そして深い安らぎのうちに、歓喜の頂点に達したようでした。もし、こうした感激
の言葉が、軽蔑的な色合いを帯びないのであれば、私が強烈に味わったこれらの様々な感情を、説
明するのに使っているところなのですが……。
ヨーロッパに旅立つわずか二日前に、私は友人のひとりである音楽家を訪ねました。その時、友
人は私に、版元が分からず書店でも探し出せない『真実を告げる書』という本を入手して欲しいと
頼みました(この時点では、私はまだ第二の著書については全く知りませんでした)。彼は、
「ラジ
オ・カナダ・インターナショナル」の記者が、ヨーロッパで行ったあるインタビューの録音を私に
聞かせました。それは、一九七五~七六年の間に何度も繰り返し放送された「ラジオ・カナダ」の
番組でした。その番組でのメッセージのことは、私は漠然と知っていただけでした。私は友人を喜
ばすために、その本を入手してくることを約束しました。
その後、七月十日に私が帰国して、友人の期待がまだ満たされてもいないうちに、何の期待もし
てなかった私のほうが、逆に、すっかり満たされてしまったのです! それはちょうど、事前に知
158
りもせず探しもしなかった高価な真珠を発見した時のようでした!
私は、このメッセージの内容について話したい。もし私が何か言えるとすれば、それは「賢明に
も」、このメッセージの内容を理解するために本を読み始めたのは、私が帰国してからのことにす
ぎないということです。もっとも、この読書は少しばかり、「運を天に委ねて」というものだった
のですが……。
まず、第一に私は、神学や教理問答の研究の際に勉強をしたことがある、聖書文献を探し出しま
した。特にカバラの中味に関するものをです。もっともカバラついては、神学で学んだ少しばかり
のヘブライ語を除いては全く知らなかったのですが。
また、諸々の宗教の歴史、特にキリスト教の歴史、そして最後に、科学の領域の文献を探し出し
ました。その上で、私自身としての一つの見解を持つに至ったのです。
メッセージの中で私が最も深く感動したのはどこでしょうか。そこで私は、あまり注釈を加えず
に強く感じた点を列挙し、より長く触れるに値する、私の印象の結論を簡単に述べてみます。
ヘブライ語で書かれた聖書原典の中では、文字通り「天空より飛来した人たち」を意味する「エ
ロヒム」という語が使われています。しかし。この語は不当にも、今日の聖書においては「神」と
いう語に訳されています。従って、そこには超自然的で、非物質的かつ全能の神の足跡が記されて
いることになります。しかし、エロヒムの語は、聖書原典の中には絶えず現れています。
とりわけ、彼らは実験室で生命を創造しました。その中には、生命のない化学物質から合成した
DNA(デオキシリボ核酸)により創造された、私たち人類も含まれているのです。
159
様々な時代の様々な文明に、常に異星人、すなわちエロヒムが姿を現しています。従って、「聖
書と異星人を一緒に考えてはならない」という偏狭な考え方に、私たちは全く反対なのです。
死後に身体からスッと抜け出ていくような、霊魂というものは存在しません。存在するのは、実
にその根源において生きている細胞設計図です。
第一のメッセージの表題でもある・真実を告げる書・のことは、『エゼキエル書』第二章九・十
節、
『ヨハネの黙示録』第五章一節などに示されており、中でも『ダニエル書』第十章二一節には、
「しかしわたしは、まず真実の書に記されていることを、あなたに告げよう」とあり、同じく第十
二章四節に、
「ダニエルよ、あなたは終わりの時までこの言葉を秘し、この書を封じておきなさい。
多くの者は、あちこちと探りを入れて調べ、そして知識が増すでしょう」と述べられている通りで
す。
無限の観念(無限大と無限小)――その無限に向けて私たちの心を開くことこそ、そこに真理が
あります。
偶然の連続による偶発的な進化というのは、一つの神話です。それどころか、進化はまず最初に、
創造者たちの心の中に有るのです。
誰も、他人の所有物になることはできません。私たちは、労働関係、結婚、その他の人間関係で
どんなことが起きようと、誰の所有物でもないのです。
各人が、生きている間に追求するように求められている、人間に固有な目的の定立と展開、すな
わち、考えて、創造して、開花することです!
160
真に他人を愛するために、自分自身を愛する方法。
人類が直面している重大な諸問題に対し、提示された諸々の解決策。とりわけ、人道的人類主義
を実践するための選択的民主主義、すなわち天才政治。天才は人類の原動力です。天才政治に基づ
く世界政府の実現のためのプロセス。肉体労働を無くすためのロボットの製造。いずれは貨幣の廃
止を前提とした世界通貨の創設。どの地域でもその母国語を残しながら、世界で単一の第二言語を
創出すること。兵役を廃止し、職業軍人を平和のために奉仕させること。タルソ出身のパウロが示
しているように(『テサロニケ人への第一の手紙』第五章二節以下)、人は同時に「平和」と「安全」
を追求し続けることはできないのです。
科学と宗教の完全なる合流。この二つはアポカリプスの時代、つまり真実の啓示の時代である私
たちの時代に、完全に合流するのです。あらゆる宗教聖典で、特に聖書でこの時代を予知していま
す。この時代とは、私たちが生きている時代であり、「水が注がれる」前、すなわち私たちの創造
者が、彼らの科学的遺産を人類に引き渡すために公式にやって来る前の、最後の預言者が到来する
時代のことです。あらゆる宗教聖典の中で、特に聖書では、終末すなわち教会世界の終わりの時代
に、約四十人の預言者たちが、私たちの創造者であるエロヒムと共に再来することが告げられてい
ます。
読み終えて、この二つのメッセージの書を閉じたとき、キリスト教のとりわけ隣人愛の教えにつ
いて、いつも知らぬ振りをしながら口先だけの祈りを唱えるという偽善を、私自身は一方で強く感
じたのでした。それは、金と蓄積された富の力による「教会」の、世俗的および精神的な支配であ
161
り、利益しか目に映らない政治的諸権力に支えられて、助長されている支配でもあるのです。そし
てまた、人々を眠らせているだけの欺瞞。
私たちは時代の兆候をよく見極め、それが現れたときに気づくために、イエスが勧めたあの用心
深さ(常に目を覚ましているように――)からは、程遠くなってしまっています。しかし、人々を
盲目にしてきたのは、伝統崇拝と何世紀にも亘る慣習です。私は『伝道の書』第七章十節の次の言
葉を思い出します。
「『昔が今より良かったのはなぜか』と言うな。あなたがこれを問うのは、知恵から出るのでは
ない」
知性を否定することで、人は罪深いとか、不完全であるとか、そういう観念によって誇張された
罪悪感を与えられているように、私には思えるのです。性的快楽や感覚的快楽さえも軽蔑すべきも
のだとの観念を押しつけられ、人はこうしたことを何も分からずに、そう信じるようになっている
のです!
私は、諸々の宗教聖典に予言されている時代の兆候と、それが実現されるのを見る私たちの時代
との関係を把握してみました。私たちの今の時代はアポカリプスの時代です。すなわち、すべての
ことが理解可能となる「真実の啓示」の時代です。
さて、この時代についての色々な兆候は、科学の発達によってその神秘のベールがはがされてい
ます。特に聖書を研究し、それに書かれた様々な予言と、私たちの時代の科学上の成果とを比較対
照する人は、誰でも、「陸地の形成」と「世界の誕生以来、隠蔽されてきた事」を暴き出し、確か
162
め、理解しようとしています。その予言された兆候のいくつかを、実現の結果(カッコの中:訳注)
と共に列挙してみましょう。
―人間はエロヒムと等しくなるだろう(生命創造の点で)。
―耳の不自由な人が音を聞き、目の不自由な人が物を見、身体に障害のある人がその手
足の機能を取り戻す(電子工学による補助具)。
―人間はその声を地球の隅々にまで送る(電気通信やラジオ放送の時代)。
―毒物により害された患者の治療(解毒剤・血清・抗毒剤)。
―手を置くことによる病気の治療(外科手術の発達)。
―幼児死亡率の低下と寿命の延長。ダビデの民が彼らの国を取り戻す(イスラエルの建国)。
―天空における無数の徴(UFO)。
―多くの偽預言者たちが再び人を狂信、蒙昧主義、神秘主義に陥れる(様々の宗派・諸宗派)。
たとえカトリック教会が、私の国際ラエリアン・ムーブメントへの加入を理由に、もはや私を「司
祭」とは見なさなくなったとしても、私は依然として「司祭」です。私はできるだけ多くの人たち
に、これらのメッセージを広めるという素晴らしい使命を授けられているのです。今度は、私がラ
エルのように、私が常に信じてきた人たち(エロヒム)のメッセンジャーであり、彼らが人間を創
造し、またイエスを派遣したときの彼らの活動が、何であったのかを真に理解した以上は、私は「司
祭」であり、かつそうあり続けるのです。
私は用心深い「司祭」であり続けます。つまり、自分の心を開いて、「他の人の心を開く人」に
163
なり、もはや無自覚な甘言家にはなりません。私は「司祭」、すなわち宇宙的な平和と愛の道に人
類を導く、ガイドであり続けるのです。
そうだ、私はラエリアンなのだ!
マルセル・テルース(ラエリアン・ガイド/化学技師)
そう、私はラエリアンであり、時間と空間の無限性という宗教の信奉者です。そして、星々にい
る私たちの父たちの痕跡を見い出し、この私たち人類の驚くべき歴史を、人類の他の人たちに気づ
かせようと努めている、地球上の子供です。
残念ながらラエリアンにならないにしても、人は自らの存在意義に目覚め、いつの日かこれらの
メッセージと出会い、その中に、自分自身の考えと不安の反映を見い出すと私は考えます。
いつだったか、時間と空間の底知れぬ深淵を前にして目眩を感じ、私たちは、自らの起源に関す
る謎と、不確実な未来を解き明かそうと努めてきました。メッセージは私にとって、こうした不安
に答えてくれるものです。
確かに、科学的や技術的な教育を受けてきた人にとっては、メッセージのある部分はあまり「正
統的なもの」とは思えず、また伝統的な教育とは、ほとんど適合していないように受け取られるか
もしれません。しかし、モンテーニュの教えを活かして欲しいのです。彼は述べています。「単な
164
る権威や名声に盲従することなく、あらゆることを理性のふるいにかけよ」と。
もし私たちが、メッセージのすべての要素を批判的なふるいにかけて検討してみるならば、それ
らは、極めてハッキリとした痕跡に関わっているということが直ちに分かるでしょう。
私は絶えず、古代から伝承されている多少とも神秘的な物語のすべてには、ある種の関連性があ
って、ガラクタの山のようなこれらの物語の中にも、金塊が埋もれていると予感していました。
私は迷宮から脱出する手がかりの探索に着手し、そして、エロヒムとの接触は絶えず存在してい
たという確証を得ました。古代文明の神話や遺跡の中に、その痕跡は見い出されます。それらを以
下に列挙してみましょう。
*ギリシャ神話……これは、太初の時代のあらゆる一連の神々、半神、巨人について語っている。
*マハーバーラタ……ヴェーダとラーマーヤナの二つの部分からなる、インドの神話叙事詩。
*ギルガメシュ……シュメール・バビロニアの叙事詩
*日本の古事記……これは、世の初めに起きたことを述べたもの。
*ラテン・アメリカのポポルヴーとアカコル年代記。
*そして、より私たちに身近なものとして、エノク書、カバラ、聖書。
*ナスカ平原(地上絵)、バールベック、きわめて確かなものとしてティワナコ、イースター島。
さらに世界中の他の多くの場所における物的痕跡の発見。
私たちの起源に関する歴史を再構築するために、そのパズルを解く鍵のすべてを、私たちは手中
にしています。
165
メッセージを読んでみて、確かに私は、メッセージに述べられている特定の事実と、一般的に受
け入れられている知識との間の見かけ上の矛盾について、自問するようになりました。しかし、私
たちが科学的知識と見なしているものは、実際には不確実で、疑わしい仮説の上に成り立っている
ということは明らかです。そして私は、現在の科学的教育について、克服しがたい矛盾を感じてい
ます。
私としては、宇宙で捉えられる自然現象のすべては緊密な関係を保っており、すべては、多少と
も複雑な法則にそれぞれ相互に支配されていると、常に考えています。
ますます抽象的になっている数学的な手段の発展は、物理学を驚くほど論理的な方向へ導いてき
たのですが、具体的な実在からは却って遠ざけています。
このようにしてアインシュタインは、光速が宇宙における最高の速度であるということを、公理
として設定しました。しかし彼は、恒星や惑星を除いた宇宙のあらゆる地点で、空間はそれ自体が
一様に真空で均一であるということを、原理として仮定するという致命的な誤りを犯しています。
私たちの惑星を覆っている雲の向こうでは、ガス状の分子の密度は高度と共に次第に減少し、や
がて私たちが真空と呼んでいる状態に至ります。
ところが、星間の「真空」には、ガンマ線・エックス線・赤外線・電波等の、あらゆる種類の波
が満ちているのです。そしてすべての波動は、波を伝える媒体の存在を前提としています。星間空
間は、見かけ上信じられているような真空ではなく、波を伝えることのできる物質、つまり私たち
が知っている原子の大きさと比較して、極微の粒子から成る微粒子媒体で満ちているのです。
166
波動は運動を包含し、運動はエネルギーを包含しています。質量とエネルギーの等価性を根本的
真理として措定する時代に、星間および星雲間の空間において、ある質量の存在を否定することは
非論理的です。
空間は不均一で、この空間の場所的特性は、当該地点のエネルギー勾配に依存しています。地球
および太陽系は、微粒子から成る拡散したエネルギー媒体の只中に浮かんでいるのです。そして、
この微粒子の圧力が、私たちが引力と呼ぶ力の元となっているのです。
重力空間は、大気圏のようなガス体に類似しています。
波の伝播速度は、相対性理論の言うような定数ではなく、エネルギーの局部密度に依存するもの
なので、宇宙間のあらゆる距離は計算しなおす必要があります。
従来の方法で計算された光年による距離のすべては、過大に計算されています。私たちを取り巻
いている星々は、私たちが考えているよりもずっと近くにあるのです。
さらに、空間の次元を、時間の次元に従属させようとする諸理論の展開は、常軌を逸していると
しか言いようがありません。
物理学のあらゆる定式化を阻害している時間係数は、一つの任意の要素なのです。
「時間は、それ自体として独自に存在しているのではありません。私たちが抱いている時間の観
念は主観的なものであり、私たち自身の生物学的、精神的構成から派生したものです。ところが、
私たちはそれを外部世界に投影し、宇宙の絶対時間という、抗しがたい幻想をそこに描いているの
です」
167
「科学的な時間概念は定式化されたものであり、任意の観点のもとに種々の形態に構成可能な、
物理的尺度の上に措定されるものです」
私たちの宇宙観は根本的に歪められており、哲学的な諸概念についても同様です。
私は、自分の周囲の至るところで、メッセージを確証するものを見い出しています。エロヒムの
地球への到来、そして実験室での生命の科学的創造という、この驚くべき歴史を理解するためには、
ちょっと目を開くだけで十分なのです。そして、私たち自身もまた、それと同様のことを繰り返そ
うとしているのです。
確かに私が化学者であるということが、生命の諸メカニズムに関与している生化学的な組織構造
と、化学的な諸要素との諸関係に親しみやすさを覚えているのは事実です。しかしそうでなくとも、
探求心の強い人なら、科学的な啓蒙雑誌にざっと目を通すだけで、生化学と医学研究が目指してい
る目標を垣間見ることができるはずです。
ヌクレオチドの結合による遺伝子の合成に目を留めて欲しいです。つまり、バクテリアの染色体
内部に、DNAの分子セグメントが移植されたのです。要するに、生命の遺伝物質の他の生物への
移植は、私たち人間以外の生物では身近なものとなっているのです。このことは、最近のノーベル
賞受賞者たちの業績を調べてみれば、一目瞭然です。
分子構造と、それが支配しているメカニズムの知識が、生物組織の再生や器官の取り替え、動物
の新しい種の創造、そしていつかは、私たちに似せたヒューマノイドの合成等への突破口を開きま
す。このようにして、環は描き続けられていくでしょう。
168
RNA(リボ核酸)分子内における、情報コード化のメカニズム研究によって、私たちの脳に含
まれている記憶物質を解明し、さらにはそれを利用できる日がやって来るでしょう。その時には、
ある個人から別の人へ、記憶物質を移植することも可能となるでしょう。
生物学の革命が目下進行中であり、その様々な成果から、私たちの社会的・政治的などの諸構造
の根本的な変革が生じつつある、ということに気づいて欲しいです。
目を覚まそう、これはサイエンス・フィクションではないのです。
ラエリアンであることは、何やら得体の知れない世界の中で自分たちだけが優れた者だと思い込
み、自分たちこそ真理を掌中にした「かなめ」の役を務める集団である、という考えに引きこもっ
てしまうことでは決してありません。それどころか、私にとってラエリアン・ムーブメントとは、
そうしたセクトとは正反対のものです。
私たちの運動は大志を抱いてはいますが、しかしこの運動は、人類は攻撃性・思い上がり・自惚
れ、そして利己主義によって天罰を受けるということをわきまえた、謙虚な態度で進められるので
す。
私は、ラエリアン・ムーブメントによって展開されている生活の哲学は素晴らしいと思います。
なぜなら、その哲学は、個々人の全面的な開花を追求しているものだからです。それは私たちに、
自分自身の内部にあるものに耳を傾け、自分の最良のものを見つけ出すことを教えています。
生命は宇宙の至るところに存在しますが、私たちのこの生命は唯一のものです。だからこそ、そ
れを上手に生かすことが大切です。
169
「自分が望むように生きてこなかったとしたら、それは、人生の敗残者である」(エミネスク)
メッセージを真に自分自身のものにすること、そして他者および自分自身をより深く理解するこ
とに、私は一つの開花を見い出します。そしてそのことが、私たちの連帯感を一層深く自覚させて
くれるでしょう。
ラエリアン・ムーブメントの哲学は、生命とその創造者たちへの愛の哲学であり、寛容と平和の
哲学です。そしてこの哲学は、官能を罪悪視せず、セックスに関するあらゆるタブーと禁止から自
由です。
私にとってラエリアン・ムーブメントへの加入は、私がいつも大きな不信感を抱いているところ
の招集ではなくて、私に喜びをもたらす、自発的で心踊らせる行為です。そこから得られる個人的
な開花と、自分の周りにメッセージを広める喜びとで、私の心は充実しています。
メッセージよりも、メッセンジャーを重んじるという、キリストに対して為された過ちを、私た
ちは再び犯してはなりません。大事なのは、異星人たちは私たちの歴史において絶えず、ある役割
を演じてきており、今日彼らとの接触を再開できるかどうかは、私たち 次第なのだということに
気づくことです。
私たち人類の歴史を振り返ってみると、その発展の各段階においては、私たちの科学的、社会的、
哲学的、宗教的諸概念の根本的かつ、時には痛ましいまでの問い直しが必要とされてきました。し
かし、それは残念ながら、
「科学の新しい真理は、反対者たちを説き伏せることで自らの価値を認めさせるようなことはし
170
ない。その勝利は、反対者たちの漸次的消滅と、この真理に絶えず慣れ親しんだ新しい世代登場の
結果なのである」(M・プランク)
私は次のように考えています。
人々に自分自身の足で歩き、信仰や宗教といった「松葉杖」を捨てることを、私たちは教えなけ
ればならないと。
私たちはまた、意識のレベルを高めることによって、蒙昧主義を無くさせようと努めています。
というのも、様々な宗教は何世紀にもわたり、まるで常軌を逸した秘儀や垂訓を「信じる」ことを
その信者に要求し、時には強制すらしてきましたが、現在の私たちの歴史は、未来に備えるために、
私たちの目と心を開くことを教えているからです。
現在の中に未来の端緒が含まれています。たとえ「アポカリプス」という言葉を理解しない人が
いたとしても、人類は今日、誕生の、そしておそらくは、死の間際にいるのです。
私たちラエリアンは、人類の覚醒と、宇宙意識の育成に参加しているのです。
人類の創造者エロヒムを迎えるための準備という、この崇高な活動の中にこそ、私の運動への参
加の意義があるのです。
171
我が聖職の再確認
イバン・ギルー
(カナダ、ケベック州ラエリアン・ガイド/元ローマ・カトリック司祭、元教理問答師)
私はこの十二年来、無限から構成されたものと無限を構成するものという、私にとっては二つの
類義語のような、人間と神に関するすべてのものに強い関心を抱いてきたのですが、そのことにつ
いて話をしてみます。
私はかなり以前から、「神」および神と自分との関係について、興味を持っていました。観想や
神秘学に早くから惹かれていたので、私はこの世から逃れ、天上に達することを望んでいました。
当時私は、読み、尋ね、探求し、瞑想しました。そして、それらを深く追求するために何年にも
わたり、最終的には「宗教学」に到達するために、人類学、哲学、そして神学の諸研究に着手して
いました。というのも、私は人間とその知性を信頼していたからです(もちろん今でも信頼してい
ます)。
そういうわけで、私の全力をそうした研究に傾けていたので、私は自分の生命のすべてを、神に
捧げることのできるような宗派を探していました。その神とは、私が絶えず問い尋ね、探し求め、
瞑想や観想の中で具現化し、まるで旧知の間柄のごとく親しく語り合うような神です。しかし、そ
うかといって、狂人扱いされるのはかなわないので、そのことは一切、秘密にしていたのです。
172
私はある修道院に入り、そこで約六年間、学生兼司祭(神学生)として奉仕をしました。この修
道院で、私は発見と成長の素晴らしい日々を過ごしましたが、次第にそれは、何か浅薄なものに思
えてきました。というのも、もっと深淵なものを求める私の熱情に、それは少しも答えてくれなか
ったからです。
私はお祈りが好きでした。もちろん今でも、お祈りは好きです。ただし、その祈りというのは、
無限のみなもと、私の創造者たちとの接触を意味するものですが。
当時の私は、まだ少し神秘的な考えを持っていましたが、すでにイエスの御父を、イエスや私た
ちに類似した肉体を持つものと考えていました。そして、イエスが「天にまします我が父よ」と真
実を語っているのが分かった時から、私は祈りながらそこに、少し分かりかけてきたこの創造者を、
本当はすでに見ていたのです。私は疑問を突きつめようとして、聖書の注釈書の中で、イエスは決
して神ではないということをつかんだのです。
それで私は、「神の死の神学者」とか「神の死の神学」とか呼ばれている学派に、とても興味を
抱きました。私は事実上、無神論者ではありましたが、それを認めるのは恐怖でした。しかし、こ
の神学上の学派にも、やはり私は違った形の欺瞞を見つけたのでした。
そういうわけで、私は現実から遊離してしまい、かつまた間違っている教会の中では、人間とそ
の信仰心、人間とその宗教的・社会的参画に関する多くの疑問に対して、満足のいく回答を見い出
すことができなかったのです。
しかしながら、私は、人々がキリストのものであると言っているこの「教会」で働き、教会が行
173
っている無数の活動に従事し、より深く究めるために宗教科学(宗教学)を専攻したのでした。
その研究は、私の境遇に内側から働きかけてきて、それを問い質し、揺り動かしました。私はや
はり、自分の真価が全く認められていないと感じました。さらに三年間続けてきたこの研究も、結
局は、私に空しさと悲しみをもたらしただけでした。というのも、私にはもはや、多くの神秘主義
や盲信には耐えられなかったからです。
私は研究するのが好きでしたが、それによって、首尾よく、確固とした真理を把握したとは全く
思いませんでした。司教その他の聖職者たちの一定の階級構造を正当化するために、神秘的で、蒙
昧で、明らかに間違っているこうした長々しい理論体系を、私は不適当で「現実から遊離している」
と感じ、やがてそうした考えを捨てるようになりました。当時、人々は、信仰と宗教の中にある月
並みな観念に甘んじていた人たちに対し、私があまりにも批判的すぎると非難したものです。
私は自分で真実を掴むのに一年を要しました。私は、その間も絶えず教えてはいましたが、もは
や、いかなる活動にも従事しませんでした。私はイエスに問いかけ、祈り、真実の光の到来を予感
しました。
一九七六年十一月九日、私はモントリオールのプラトー講堂で催された、クロード・ボリロン・
ラエル・の講演会に出席しました。その晩、私は、自分の長年の研究が決して無駄ではなかったと
いうことを実感しました。私は多くのことを理解しましたが、中でも次のことが特にハッキリと自
覚できました。
つまるところ、実際に私は、今まで絶えず「無神論的」であり、同時に宗教的でもあったという
174
ことです。換言するなら、物質に気を留めると同時に、人間をこよなく愛していたのです。そして、
それはエロヒムという、私たちの創造者たちである異星人グループとの対話、すなわち祈り(これ
を私は日ごとに非神秘化していました)による継続的な接触を通して成されていたのでした。以上
のことが、「閃光」のごとく頭の中で閃いたのです。私は喜びでいっぱいで、ラエルのことを「当
時のイエスが話している」ように思えたほどでした。
こうして、私自身の中で何かが動き出し、私は、ラエルが天啓を与え、私の目を覚まし、啓蒙し、
共感を覚えさせたことを確信したのです。およそ九十分の間に、すべてが私に繋がり、すべてが始
まり、すべてが結合し、すべてが再調和し、そしてそれは、いまだに消えることがありません。私
はうっとりとして、幸福感に酔いしれていました。幸福が私にやって来たのです。
結局、私が長年苦労して掴んできたことを、私は彼の口から、極めて単純明快に聞いたのでした。
それは私にとって、突然の封鎖解除に似たものでありました。
私はその時、友人たちと一緒でした。しかし、その講演は、彼らには何事も生じさせなかったこ
とが後になって分かりました。その晩の私がメッセージによってどれだけ影響を受けたかは、一緒
に行った彼らもその後で強 く感じたはずです。しかし彼らは、それを認めようとはしませんでし
た。私は沈黙しましたが、胸のうちでは歓喜に輝いていました。
私は、彼らが混乱した神秘的な理論で、私が十年来絶えずそうであったように、この真実を否定
して取り除こうとしているのを聞きました。しかし、この真実はいまだに私の耳の中に残っていま
す。それほど簡潔で、開放的で、「救世的」であり、この上なく充実した「福音」であると思われ
175
ました。しかし彼らは、かつて人々がイエスとそのメッセージを拒絶したのと同じように、ラエル
とエロヒムからのメッセージを拒絶したのでした。
ラエルとの数十分間は、十二年以上にわたる調査研究、分析、参画、苦悩、そして献身の総括の
始まりでした。
そういうわけで、この全く新しい開放的なメッセージの普及に、私は全力をあげて貢献しようと
思いました。それはしかし、そのことに触発された私の知性、理解力、調和と安定のすべてによっ
て行われるものです。確かにこの仕事は、家族、妻、友人たち、職業上の境遇、教会、友人の司祭
たちのことを考えれば、生易しいことではありません。
しかし私は、多くの目覚めた友人たち、講習会、そして身体と精神の覚醒により助けられてきた
のです。
私は、この「新しい」ばかりでなく、
「不思議な」、若々しい無神論の宗教という素晴らしいムー
ブメントの中で、ガイドや賢者として従事することができるよう、そしてすぐにもそうしてやって
行けるように、この数年間は直接的な準備に携わっています。
私としては、それまでの私との間に深い溝があるとは思いません。というのも、私は子供の頃か
らやり始めたこと、つまり光の中を歩むために、『創世記』の中の世界の始まりや、その起源を理
解しようと努めたことを今も続けているからです。およそ二〇〇〇年にわたる神秘のベールを、絶
えずはがしていくことで現在を構築しているのです。
これは、現在を心の中に意識して生活するために、また未来のために、私たちの創造者エロヒム
176
からラエルに委ねられた二つのメッセージの、神学的、哲学的、宗教的の無数の側面を深く追求す
ることで実現されるのです。
メッセージは、あの晩の私を心底から揺り動かしました。それほどまでに私は、それらのことを
数年来知らず知らずのうちに、自分にとっての「切迫したもの」として感じていたのです。私はそ
れを、研究中における私の過去と、発見の中における現在の私との「一致」として感じ取ったので
す。それ以後これらのメッセージは、私の生命や教育、および職業上の仕事、そして家族的、社会
的、政治的生活の細部に至るまで、私を鍛え上げ、力づけてきました。
メッセージは、私の基盤を足元からひっくり返してしまいましたが、私は長い間のうちに、それ
に対する準備はほとんどできていました。私は、エロヒムから遣わされた預言者との出会いを長い
あいだ待ち続けていましたが、それはいつの日か、必ず実現すると自分に言い聞かせてきたのでし
た。
しかしそれは、明確には漠然としたものでしかなかったと言えます。でも、それが一挙にハッキ
リと分かることになったのです。メッセージは私を目覚めさせ、正面から私にぶつかってきました。
聖書と、イエスやヤーウェが、いっぺんに理解できたのです。
この衝撃と喜びに私は震えていました。それはまるで、うだるような暑さの最中に冷たいシャワ
ーを頭から浴びたようなものでした。
講演会から数日後には一気にメッセージを読み上げ、週末に再び読み返した後に、初めて私はク
ロード・ラエルと顔を合わせたわけですが、彼はその時、私に次のように言いました。
177
「あなたは、あなたが抱えている様々な問題を解く鍵が、あなた自身の中にあることを知って下
さい。従って、あなたがそれをやり遂げようとさえすれば、八割以上は上手くいくでしょう。現在、
あなたの家庭における様々な問題が、あなたを苦しめ、足を引っぱり、心を麻痺させているのです」
私は今になって、ラエルの言わんとしたことが分かってきました。この覚醒と良心の道に積極的
に携わっている私は、本当に幸せです。
それ以降、私は数回、これらのメッセージを読んでみました。そのことにより、私がガイドであ
るのは、絶えず探し求めてきた本当の意味での、自分にとっての聖職の「再確認」であり、
「堅信」
となったのです。私は、空しく待ち続けてきたわけではなかったのです。しかし、私がアポカリプ
ス時代の最後の預言者に従っていこうとする以上、これから私は、神学上の用語で「時の教会」と
云われる元来の教会、真実の教会を続けていこう。
これらのメッセージが実際、宗教の中の宗教、無限を説く宗教、人間の知性と物質の永遠性を語
る宗教であることを物語っている以上、私たちの創造者エロヒムのメッセージ普及を通して、私の
命と努力と時間を捧げてきたこの集団のために、一層働いていこうと思ったのです。
それこそが私のすべてです。だから、私はとても幸せであり、それをこよなく愛しているのです。
それ以来、「図らずも」私は、専門家としての宗教教育からは降ろされてしまいました。現在私
は、学校の第一学年の担当教課として数学とフランス語を、第二学年には宗教と倫理学を教えてい
ます。
その職業的な立場上、公然とメッセージを語ることはありませんが、人々は私自身の中にメッセ
178
ージを見い出しています。そして彼らは、私に敬意を表してくれています。同僚たちが、私にメッ
セージのことを話題にする日が次第に近づいています。私にはそれが分かり、またそうなることを
確信しています。私は行く先々で、自分の言葉と態度によってメッセージを広めています。
私はローマカトリック教会を「脱退」しましたが、そこに中断はなく、「真実」との純粋な接触
が継続していたことを確信しています。そのことが私を若返らせ、満足させているのです。
私は、この少しも神秘的なところのない真実、愛と、友愛と、平和と、安らぎのメッセージをす
べての人たちに知ってもらうことに、私の全存在を捧げます。そして、絶えず深く追求し、私たち
の創造者エロヒムが私たちに与えてくれた知性の目、つまり創造された知恵と無限の目で理解する
者にとっては、メッセージはユニークで、驚異的で、革命的なものなのです。
放射能で死なないために積極的に生きる
ミッシェル・ブルエ(全アメリカ合衆国ラエリアン・ガイド、アングロ諸国担当)
ここで私は、この運動への加入までの様々な経過を静かに振り返ったあと、私にラエリアン・ム
ーブメントのガイドになろうと決心させた、根本的な理由について述べてみたいと思います。
エロヒムからクロード・ボリロン・ラエル・に託されたメッセージには、個人から社会、政治、
科学、哲学、そして宗教に至るまで、あらゆるレベルに関しての、独自の総括的な考察が含まれて
179
います。これにより、明日の社会を築くためのトータルな活動が可能となるのです。
さて、私は一体どうしてラエリアンになったのでしょうか。
この十二年の間にいくつかの分野で資料を集め、すでに起こったこと、および現に起こっている
ことなどを通してみて、人類の発展に関して深く考えるようになりました。そこで私は、何度も理
想世界を描きながら、あらゆる事柄を熟考してみたのです。何を私は確認し、何が私の希望なので
しょうか。以下、それについて述べることにしましょう。
生命の起源
神による創造という考えには、私は満足することができませんでした。にもかかわらず、私はそ
れらの中に、ある共通の事柄を確認しました。それは、世界中のあらゆる宗教や神話が、天からや
って来た神、もしくは神々による人間の創造を、異口同音に語っていることです! そこから私は、
人類が地球外からやって来た可能性を意味する、明瞭で具体的な最高の真実を推論したのです。
人間は無機物から有機物に至る一連の突然変異の結果である、と説明する進化論は、それから有
効な理論を作り上げるには、私にはあまりにも論理の飛躍があるように思われました。その上、進
化論は現に、優秀な専門家たちにより再び疑問の目を向けられているのです。
180
人間
ずっと以前から、人間は他者との様々な関係の中において、寛容、尊敬、愛情、友愛等が欠如し
ていると私は思っていました。ですから、私は人間関係において、こうした欠点が勝らないことを
願っていました。
社会
あらゆる時代を通して、様々なタイプの政府が、人類の根本的な諸問題の解決に相次いで失敗し
てきました。こうしたことが、社会の現状変革のために、私たちの中で最も適切な人たちを配置す
ることを許容するシステムを、私に考えさせたのです。もちろんこうした人たちとは、祖国、労働、
および家族の名において、人間の人間への隷属状態、すなわち破壊手段の絶えざるエスカレートの
中での、おびただしい戦争を許容してきた産軍政複合体に、金で雇われるような人たちを指してい
るのではありません。
私は、人類は人間の未来そのものを左右するような、人類発展における決定的な段階に到達した
と感じたのです。
181
宗教
あらゆる宗教の根底には、一つの承認しうる根本的な真実が存在していたのですが、これらの原
始的で蒙昧な宗教システムは、ある絶対者に人間を隷属させるために、この真実を利用してきたの
だと私は感じました。また私は、預言者という仲介者を通して人間に明かされたこの真実が、どこ
か他所からもたらされたもの、つまり、素晴らしい英知を持つ存在からもたらされたものだと信じ
ていました。
私は、肉体的な特性を理由にして人間を罪人におとしめる観念や、死後も別の次元においてさら
に生き続けるという口実のもとに、生きている人間の価値を軽んずるあらゆる考えに反対でした。
人間は、その人間的な特性と完全に調和した意識の高いレベルに達することができる、と私は確信
していたのです。
科学
人間がそこで生きている環境と、人間自身に関する体系的な研究にまで育成してきたこの探究心
によって、人間は徐々に未解明の領域を減少させていくことができました。
私たちの文明が直面している諸問題を解決 するために科学を利用することは、もし私たちがそ
れを賢明に利用するのであれば可能である、と私は了解しています。科学が自然と調和するならば、
182
環境汚染、人口過剰、飢餓、エネルギー等のあらゆる問題が解決されるでしょう。そしてそれこそ
が、ぜひとも緊急に達成されなければならない理想でもあるのです。
同様に私は、私たちの知識が暫定的なものであり、あらゆる理論もまた、今のところ否定できな
い事実の暫定的な解釈にすぎないものである、ということに気づいたのです。
未知
地球上の未解明のことや、私たちの歴史上で知的異星人の介入を推測させる事柄の、あらゆるも
のに私は精通していました。また私は、私たちが通常使用している能力の、それ以外の頭脳能力に
恵まれた人間の存在に気づいていました。これらの一切は、私にとっては不思議でも何でもなく、
いつの日か解明されるであろう自然の事柄であったのです。
私は、こうした事柄の実態に気づいていたので、より調和に満ちて、非暴力的で親愛な基準に従
って人類が発展し、よりよい世界に到達するという私の希望は、いかなる宗教的、政治的もしくは
社会的な組織によっても、具体的とはならないものでした。ですから、私は無力感と孤独感に苛ま
れていました。
そんな日々を過ごしていた一九七七年、私は、異星人が一九七三年十二月にクロード・ボリロン
・ラエル・に託した、あのメッセージに出会ったのでした。それは『真実を告げる書』であり、さ
らには、一九七五年の第二のコンタクトの後に書かれた二冊目の著書、『異星人が私を彼らの惑星
183
へ連れた行った』に書かれているメッセージです。
私はこの二冊の本を読み終えたとき、喜びで胸がいっぱいになりました。なぜならこの本の中に
は、この地球上に欠如している調和、平和、そして友愛に達したいという私の願望のすべてが含ま
れていたからです。その上、地球上の人間の起源、及びあらゆる宗教の起源に関する真実の啓示ま
で含まれていました。私は、喜びの絶頂に達していました。
このメッセージは、他の惑星に存在しているとはいえ、私たちの発展と同様の発展を経た私たち
と同じ人間たちから、もたらされたものです。ただし彼らは、私たちが長い間繰り返してきた、こ
の進歩と破壊の克服に成功しています。今、彼らは私たちに、その克服のために用いた諸々の手段
を与えようとしているのです。ただ、彼らは私たちを選択能力を備えた個人とみなし、行動するか
否かは私たちの自由に任せています。
人間が理想世界の中で、自らを開花しうる黄金時代に到達するというこの希望を、私は他の人た
ちと共に分かち合いたいと願ってきました。そしてそれこそ、私がなぜガイドにならんと欲したか
の理由です。私はもはや、破滅に至るかもしれない人類の発展の消極的な証人ではなく、いつか私
たちが放射能で死ぬことがないように積極的に活動する人間、すなわちガイドになろうと決心した
のでした。
184
マルクス主義からラエリアン運動へ
ジャン・ベルナール・ヌジョガ・アヴィロンジョゴ
(アフリカ大陸ラエリアン・ガイド/政治学士・元マルキスト)
経済発展、階級および階級闘争といった用語での議論に、慣れ親しんできた者にとっては、「伝
統」の背後には何か幻想的で不可思議な、心を安堵させるものがあるということを了解し承認する
ことは、容易なことではなかったのです!
ところが、エロヒムのメッセージを読んでみると、聖書文献の明らかに馬鹿げたあの雰囲気が、
急に崇高で、現実的で、無限の射程距離を持つように私には思えてきたのです。
人間は偶然の産物ではなく、ある人たちの科学と英知による、創造の結果であることを認識しよ
うではありませんか。その人たちは、「自分たちの姿に似せて」人間を創ったのです! それは、
何と荘厳な真実であることでしょう!
いつかは地球上の人間たちも、その創造者である異星人たちと同等になる日が来ると言っている
ではないですか!
予言された時は、もうそこまで来ています。
エロヒムから人間に遣わされた光であるラエルは、その使命を開始しました。
彼を手助けしたいと思っている私たちガイドとしては、天空の我らが父たちのメッセージの、よ
185
り一層の普及の手助けをするのみです!
地球が、無限の宇宙に存在している銀河間諸文明の協力を、再び得られんことを……。
生存のための新しい技法
ミッシェル・デディエ(ラエリアン・ガイド/心理学者)
宇宙には不定数が存在します。なぜなら、各人の生物学的、エネルギー的、および精神的の諸活
動を伴う人格、すなわち心理的、身体的、感性的の実体が不定だからです。
これらの人格的実体の間の社会関係を維持するためには、もしそれがなければ、人間はいかなる
社会集団をも形成することができないほどに大変重要な意義を持つ、適応能力を身につけることが
必要となります。人間の精神的豊かさを実現するためには、人間を最高の社会的動物にし、絶えず
人間の生命・生活を構成し、人を幸福や不幸にするあらゆる事柄の、再検討をさせるこの能力が依
然として必要なのです。
まさにこの能力を用いて、私は個人の自覚と、進歩への道を切り拓くために努力してきたのです。
人間の意識にとって問題なのが柔軟性であるならば、意識の隅々にまで入り込んで、そこにある
ものを破壊することなく、潜在意識のさらに深層にまで移行することが必要となります。「とっと
と消え失せろ!」――このような欲求不満が渦巻いていても、やはりそれが通り過ぎるのを、待つ
186
ほかはありません。「俺がお前を裏切り、お前は俺を裏切った……」こうしたイザコザが今日まで
続いているのであり、人はいつも同じ所を堂々巡りしているのです。
もしあなたが心の中を調べたいと思ったら、まず第一に、自分自身を傷つけてみることです。そ
こには、全く知りたくもないようなことが非常にたくさんあります。しかし、それらを真正面から
見すえ、あなた自身を嘲笑し、時には自分を意気地なしのように見るのです。あなたが自分の愚か
さと自惚れを暴けば暴くほど、あなたは大きく成長するでしょう。そして、自分自身を愛する前に
冷静に自己を見つめるならば、あなたはもはや不幸せになることはないでしょう。
精神がそういう状態になったとき、私は、メッセージの決定的な重要性が分かったのです。最初
に本を読んだときは、長い忍耐と無味乾燥さを味わされ、素直にはメッセージが入ってこなかった
ことを白状しておきましょう。それとの出会いは、初めのうちは単純なものではなく、むしろ正真
正銘の衝突でした。内容を検討していくうちに、精神的な葛藤が生じてきたのです。
心理学者というのは、その定義上、少なからず臆病な人種(もっとも、結局は内面が非常に几帳
面だということ)なのですが、私が以下のことを確認したときは、全く茫然としてしまいました。
すなわち、この異星人たちから伝えられたメッセージは、単に私の心の中に然るべき位置を占めた
ばかりでなく、私の体験の諸要素の驚くべき総合をやってのけ、さらに私が、自分の患者を助ける
ために従事している創造的な役割を、驚くほどダイナミックなものにしたのです。
作用が反作用を招くように、私は、異星人のメッセージの基本的な諸要素を、一つずつ検証して
みる気になりました。私は、この多少は突飛なところがあるメッセージの多くの仮説を、徹底的に
187
検討してみました。信仰的な精神作用は、論理的な議論を導く精神作用とは、いや、主観的な検証
とすら、全く無縁であるので、私は拒絶します。
私は異星人を信仰していませんが、背景にあるものをすべて知って、本当の思慮深い手段による
彼らの役割と実在は理解しています。同様に、こうした結論に支えられて、私は自分の理論の大筋
を徹底的に、隅々に至るまで吟味してみました。そのときに私が非常に狼狽したことは、後にも先
にも大した問題は何も無かったということです。つまり、思考の病気を治療するはずの私が、とて
も狭量で滑稽な自分自身の精神状態に気づいたというわけです。
私は今では、精神療法の教育は、巧みにカモフラージュされたユダヤ―キリスト教的な基盤に基
づいている、ということを知っています。この観点からすれば、精神療法というものはすべて確実
で当を得たものであるという結論は、必ずしも出てこないことは明らかです。
しかし、そうなると結局、その社会から誤り導かれなかった人が、誰かいるとでもいうのでしょ
うか。そうでないのなら、あらゆる侵害に立ち向かうことが必要です。そういうわけで、真実と美
と健康を育て上げ、解放への前進を押し進めてきた太古からの大きな苦難の中に、私は投げ込まれ
た次第なのです。
異星人がクロード・ボリロンに与えたメッセージが私の観念にもたらした手応えは、私の知る限
りにおいて最も理知的なものであり、私たち地球人の起源と生活ならびに生存のための、新しい技
法分析の明確な説明に関するものです。
私は何のためらいもなく、この跳躍に一歩を踏み出します。
188
私は自分の生命を、利己主義的な個人的イデオロギーに従わせることには反対です。私がこの証
明を詳しく研究するのは、心の奥底から湧き出てくる本能(少しなおざりになっていますが、人間
に立ち直る力を与える古くからの本能)に突き動かされたからです。各々の人間がこの本能を持っ
ており、私たち一人ひとりが、分相応に共同生活の改善に参画することができます。それに際して
は、各自の適応能力と生存本能を働かせるのです。
正にこの二つの本能こそ、人間を、地球および宇宙環境を改良するために最も相応しい創造物に
し、人間にその歴史に対する情熱だけでなく、歴史を決定する権限すら与えている当のものなので
す。
私たちの社会が目標に近づいたことは、かつて一度もなかったことなので、今が混乱の状態にあ
っても、それは極めて当然なことです。
過去は、諸々の苦難の発展の跡を示す明白な証拠や、極めて説得力のある事実に溢れています。
現在は、発展の大法則の論理的帰結を示しています。そして未来は、主要な科学技術と道徳的な諸
価値が結合しうる、素晴らしい展望を私たちに指し示します。
要するに、以上に述べてきたことが、異星人から与えられたメッセージに私を一直線に向かわせ
た動機なのです。今、これを話し終わって、私は胸を撫でおろしています。私は少しもためらわず、
しっかりとした証拠を示します。そして私は、私たちの惑星上の生命の起源に繋がる諸々の道に憧
れるのです。
ラエル紀元三十三年(1979)五月二十二日、カンヌにて
189
〈参考文献〉
『Evolution ou Creation』(『進化か創造か』)
by Jean Fiori
Published by Editions S. D. T., 77190
Dammarlie-les-Lys, France.
『Submission to Authority』(『権威への盲従』)
S. Milgram, Paris, 1974.
190
Welcome to
ラエリアン・ムーブメント!!
科学と精神性で地球を「真の楽園」とするために、
世界で最も進んだ哲学を実践している 100 パーセント
非営利の国際ボランティア団体です。
www.rael.org
www.subversions.com
191
***
本書に関連する選り抜きの科学ニュース 「rael-science」が、メール
配信で購読できます。ご希望の方は、空のメールを下記アドレスまでお送り下さい(メールの内容
は重要ではなく、送信者のアドレスのみが重要です)。
◎英語版
[email protected]
◎フランス語版(注:英語版と内容が同じとは限りません)
[email protected]
192
異星人を迎えよう
A.H.40/1986 年 6 月 9 日
A.H.60/2005 年 8 月 6 日
初版発行
10 刷発行
著 者/ラエル(RAEL)
日訳監修/日本ラエリアン・ムーブメント
東京都渋谷区渋谷 2-12-12 三貴ビル 401/〒150-0002
電話 03(3498)0098 FAX.03(3486)9354
発行者/臼坂忠雄
発行所/有限会社無限堂
東京都渋谷区渋谷 2-12-12 三貴ビル 401/〒150-0002
電話 03(3486)6441 FAX.03(3486)9354
印刷・製本/株式会社平河工業社
乱丁・落丁の場合はお取替え致します。定価はカバーに表示してあります。
ISBN4-900480-03-7
Printed in Japan
193