インタビュー - Koreana

インタビュー
38 Koreana | 冬号 2008
コ
ウン
詩人 高 銀
“私は私の未来だ”
韓国を代表する詩人・高銀。2回にわたりノーベル文学賞の候補にのぼった彼は、
世界の人々から認められ愛されている幸福な詩人だ。70をはるかに
越えた年齢ではあるが、時間に正面から挑戦し、さらなる抵抗と闘争の
対象を模索する彼の作品活動は依然として若く情熱的だ。
チェ・ジェボン(盧崔在鳳、ハンギョレ新聞文学専門記者)| 写真 : アン・ホンボム(安洪範)
自宅の書斎に座っている詩人・高銀。彼の住いは京畿道安城のひっそりとした村にある。
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08年9月10日午後、韓国国際交流財団文化セン
た詩集「遅い詩」の冒頭で高銀は、「私は私の未来だ」と宣
ターでは非常に特別な行事がおこなわれた。駐
言しているが、この言葉は現在の
「私」
で終わることなく、
韓外国大使らが詩人・高銀の詩を自国の言葉で
未だ見ぬ「私」に向かって限りなく前進するという態度を
朗誦するという催しだった。ラース・ヴァルゴ
(Lars Varg)
適切に要約したものだと言える。それよりだいぶ前の彼
スウェーデン大使の率いるソウル文学会が主催したこの
のもう一つの有名な言葉「私は創造よりも消滅に寄与す
朗誦会にはヴァルゴ大使をはじめとしてコロンビア、チ
る」
は、よく初期の虚無主義的な世界観を表現したものだ
ェコ、アイルランド、イスラエル、イタリア、メキシコ、
と理解されているが、それはすでに成し遂げたものを捨
カタール、スイス、トルコの10カ国の大使が出席し、そ
てた上で新しいものの構築に邁進するという積極的な意
れぞれが高銀の詩を2~4編ずつ自国の言葉で朗誦した。
志の表れだと受け取るべきだ。
世界から愛される韓国の詩人
父も子も切れ
2006年に創立した際にも高銀を招き、文学講演を聴
これでもあれでもないものも
いたことがあるソウル文学会のヴァルゴ会長は挨拶で
「高
またどんなものも
銀さんの詩はもちろん英語にも翻訳されていますが、今
闇の中の刃先で切り捨てろ
日は英語ではない10カ国の言葉で朗誦します」と挨拶し
翌朝
た。
「高銀さんの詩がそれだけ世界の多くの人々に愛され
天地は死んだものが重なり
ていることをお伝えするために」と彼は続けた。コロン
われわれがすることはそれらを一日中埋めること
ビア大使とメキシコ大使の言語が同じスペイン語だった
が、フランス語とドイツ語の両方に堪能なスイス大使が
そこに新たな世界を建てること
その二つの言語で詩を朗誦したので、合計10カ国の言語
になった。特にアイルランド大使は自国の固有語である
「殺傷」
(
全文)
ケルト語で
「森に入り(In the Woods)」
と
「スドンイのツバメ
(Sudong's Swallows)」
を朗読し拍手喝さいを浴びた。
1974年に出した詩集
「ムンイマウルに行き」
の
「殺傷」
この日朗誦会が開かれた会場では高銀の作による絵
は、彼の虚無主義の淵源と志向を集約している。殺戮と
の展覧会も同時に開かれていた。「動詞を描く」というタ
破壊が乱舞する戦争を目撃し、深刻な精神的衝撃を受け
イトルのこの個展は高銀の登壇50周年を記念して企画さ
た彼が世の中との縁を切り、僧侶になるために出家した
れたものだった。高銀は登壇半世紀を自祝するための新
のは1952年だった。「父も子も切れ」という詩の最初の一
作詩集「虚空」をも出版したが、詩集が出版される際に記
節は「祖師に会えば祖師を殺し、仏と会えば仏を殺せ」と
者たちと会った席で
「詩集を出すたびに、今詩人になった
いう禅仏教特有の教えを連想させる。しかし前の7節と
ばかりのような、初夜を迎えた感じがする」
という感想を
は違い、最後の一行
「そこに新たな世界を建てること」
は、
述べた。「私は100年の伝統をもつ韓国現代詩からも自由
その虚無と破壊が他ならぬ「新たな世界」を建てるための
であり、この50年間の私の表現形式の運命であった母国
誓いであることを宣言している。1970年、劣悪な労働環
語さえ新たな外国語のように感じる」
と語った。
境と低賃金で搾取されていた労働者のために戦った労働
運動家チョン・テイル(全泰壹)。彼の焼身自殺が高銀の文
新しい何かに対する終わりなき渇望
学観と世界観に根本的な変化をもたらしたことは確実だ
すべてのマンネリと安楽さを捨て去り、更新と新生
が、この詩で語っている「新たな世界」が具体的に何を意
を熱望する姿勢こそが今の高銀を可能にした核心的なエ
味するかはまだはっきりしない状態だ。彼が描く新たな
ネルギーだと言える。初期の虚無的な耽美主義から中期
世界は1978年に出した詩集「夜明けの道」に至って語調が
の戦闘的な参与主義を経て、ついに禅的な円融の世界に
さらに具体的で、戦闘的に変わっていく。この時期を代
踏み出した高銀の文学はそこにも留まることを知らず、
表する詩が
「矢」
だ。
今も不断の変貌と進化を繰り返している。2002年に出し
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© 高銀文学五十年記念行事委員会
2008年9月4日から12日まで韓国国際交流財団文化センターで
詩人・高銀の絵画展が開催された。詩人の描いた35点の絵画と
19点の書道作品が展示され、その記念行事として
駐韓外国大使たちによるが高銀の詩を自国の言葉で
朗誦する朗誦会が開かれた。写真は自分の詩を
朗誦している詩人・高銀。
2002年に出した詩集
「遅い詩」
の冒頭で高銀は、
「私は私の未来だ」
と宣言している。これは現在の
「私」
に止まらず、未だ見ぬ未来の
「私」
に向かって、
絶え間なく突き進んでいくという意思を
鮮明にしたものだ。
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われら皆、矢となり
全身で行こう
虚空を破り
全身で行こう
行けば戻るのはよそう
突き刺さり
突き刺さった痛みと共に腐って戻ってくるのはよそう
やがて標的が血を吐き倒れるとき
ただの一度
われら皆
矢で血を流そう
戻るのはよそう
戻るのはよそう
おお矢 祖国の矢よ 戦士よ 英霊よ「矢」
(
)
もちろん「矢」でも標的の正体が何なのか確かでない
と言える。しかしこの詩がかかれた1970年代中後半とい
う時代的な背景、そして大学街と労働闘争の場を中心に
この詩が評判になった脈絡を考えると、彼の詩が初期の
耽美主義を捨て政治志向の新しい世界に踏み出したこと
は明らかだ。そのような彼の文学は1980年代において、
彼の現実的で政治的な参与と実践の意志と共に上昇効果
を生んだ。
1980年代、彼はその詩と行動で政治的な前衛に突っ
走ったことは事実だが、一方では深化と拡散の道を模索
していた。1987年から1994年までに、彼は民衆解放と民
族統一の願いを計7巻という壮大なスケールにこめた叙
事詩「白頭山」を完成した。それと同じ時期に構想したも
高銀の初期の詩は主に虚無と無償を耽美的に表現していたが、
1970年代以後は暗い時代状況の影響から現実に対する熾烈な
参加意識と歴史認識により、その詩の世界が一転した。
しかし彼の詩は英雄主義に染まることもなく、
人生の真実の内面を描き出している。
う一つの大作「萬人譜」をスタートさせたのは1986年だっ
た。当時はまだ民衆文学が階級・民族主義的闘争に歩みだ
す前だった。多数の民衆文学系列の作家たちが闘争の鮮
明さ競争に向かい始めた頃、詩人はすでに前衛と熾烈性
は民衆の具体的な人生の裏付けがなければならないとい
う認識までもっていた。
おまえと私の間に生まれる
瞬間よ、そこに最も遠い星が浮かぶ
扶余の地 幾千里
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滅亡しすえた臭いのする村ごと
才能と美術的才能が二物ではなく一物だという意味か。
出会う
いや、一芸は道に通ずるというべきか。より驚かされる
その下一つの祖国である出会い
のは、何一つ空虚な空間がないほど、小さくもない画面
この古い土地で
全体を埋め尽くした形体と色彩の氾濫だと言える。文人
互いに別れるということは拡大だ
画はよく古拙と余白の美を特徴とするという。しかし高
どこの誰も独りでいるわけにはいかない
銀は例の記者懇談会で「東洋的な余白の世界はお断りだ」
終わりなき人生の行列よ明日よ
と述べた。
「いやらしい絵の具で画面を隙間なく埋め尽く
す油絵の物質的な充溢感と官能が気に入っている」
とも語
おお 人は人の中でだけ人だ世界だ
っていた。ただし、絵に対してだけそうなのではなかっ
た。
「歳月を十分に生きた末に円満になった人間の襟度を
「萬人譜」
(
叙詩全文)
維持しながらも、自分の人生は決して眠ることがない。
前半期の生き方に対する決算や回答ではない、他のもう
同時代の人間1万人の話を詩にするという野心に満ち
一つの疾風怒涛としての残りの人生を十分に予感してい
た抱負でスタートした「萬人譜」シリーズは、2009年に全
る」
。2008年9月10日に開かれたソウル文学会の朗誦会で
30巻で完成する予定だ。その全体の規模が3000人に縮小
も彼は
「これまでの50年ではなく、これからの時間を輝か
したとは言うものの、完成すれば前人未到の文学的な挑
せるためにがんばる」
と述べた。それこそ冷めることを知
戦と成就となることは間違いない。
らない不屈の更新と新生への意志だといえる。
衰えない直感と洞察力
絶頂に向かって走り続ける永遠の青年
半世紀にわたり高銀の詩が過激な断絶と変貌を経て
「萬人譜」の最後の4巻が来年中に出版されれば、彼
きたと言っても、その基盤となる禅的な直感と洞察力だ
は新しい挑戦を始めるという。韓国説話の主人公「沈清」
けは相変わらず変わりない。どの時期の詩を見ても急激
を素材に陸地と竜宮場を行き来する設定を通して形而上
な意味の断絶、常識外の飛躍と逆説的な意味の創出のよ
学の世界を描く長詩「処女」、そして東洋と西洋の思想、
うな特徴が見出せる。10年間の僧侶生活と無関係ではな
理念、観念を一つに混ぜて新しい事由の可能性を模索す
いこのような特徴は、1990年代以後の詩でいっそう顕著
る
「運命」
のような、もう一つの大作を準備しているのだ。
になる。海外から彼の詩に寄せる関心と愛情もまた西洋
しかしその言葉のようにこのような計画はいつでも裏切
の世界観としては接近が難しい東洋的な禅の雰囲気が貢
られる可能性を抱いている。運命としての自動記述を彼
献している。
は大切に思っているからだ。
2003年に亡くなるまで高銀と格別な交流のあった小
高銀は世界の文壇と読書界に最もよく似合う韓国の
説家イ・ムング(李文求)は高銀のことを
「一言で断定して言
文人だ。それはもちろんこの半世紀にわたる旺盛な作品
えば、高銀の正体は集大成だ」
と書いている。一次的には
活動の結果だといえよう。しかし詩集「虚空」に解説を書
詩や小説はもちろん随筆や紀行文、評伝、評論などを縦
いた文学評論家のヨム・ムウン(廉武雄)の賢明な判断のと
横無尽に150余巻の著書に蓄積した、その作品活動の量的
おり、高銀の詩の絶頂は未だ来ていないのかもしれない。
な側面を指した言葉だろうが、詩に隠れその存在が忘れ
られがちな他のジャンルでの成果もやはり正当に評価さ
「私は私の未来だ」という宣言が軽口だとは思えないから
だ。
れるべきだ、という意味に受け止めるべきであろう。
ジャンル間の境界を越えて行き来する彼の明瞭な好
奇心と情熱はついに言語と形成の区分もまた乗り越えた。
真夏の猛炎の中で17日間、集中して描いたという37点の
アクリル画と書と禅画系列の絵は、アマチュアの余技の
範疇を超え、観る者の感嘆を誘うほどの手腕だ。文学的
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