プランタン・モレトゥス博物館 所蔵資料にみる

プランタン・モレトゥス博物館
所蔵資料にみる
出版の黄金時代
16世紀は各都市に有力な書籍商が出
ヨハン・グーテンベルクが15世紀半ばに聖書を印刷してから100年間で、
出版界はどのような発展を遂げていたのでしょうか?
1世紀をかけてヨーロッパ各都市に出版が広まっていく様子を紹介します。
当館ではプランタン・モレトゥス博物館
(ベルギー)
が所蔵する資料を借用して、
2005年4月から大規模な企画展を開催する予定ですが、
同展に出品する資料をもとに本コラムは構成されています。
現し、書物という「知の商品」を大規模
に取り扱う時代でした。出版の黄金時
代です。16 世紀後半、アントワープ(ア
③アリストファネス『喜劇集』
(1498 年)
ントウェルペン)という当時有数の国
際都市を舞台に、出版業は一挙に近代
新しい書体が作られたことでも知られ
的な産業へ成長します。その担い手こ
ています。アリストファネス『喜劇集』
そ、クリストフ・プランタン
(1520 頃
ローマの雄弁家、政治家、文人として
を出版した A. マヌテ
(1498 年)
(写真③)
̶1589 年)に他なりません。プランタ
名をはせたキケロ
(前 106 ̶前 43 年)の
ィウスもこの町でギリシア語、ラテン
ンの工場は印刷物を生み出す機能にと
J. グーテンベルクが聖書を印刷して
作品は古典復興の時流に乗り、15 世
語による原典を数多く出版しました。
どまらず、最先端の芸術や思想を語り
ら世界へ、そして江戸時代の日本にま
わずか 50 年で金属活版印刷術はヨー
紀、16 世紀に多くの版を重ねました。
イタリック書体を使った小さいサイズ
合うインターナショナルな文化サロン
で影響を及ぼすことになります。
ロッパ中に広まり、ほとんどの大都市
グーテンベルクやフストの下で腕を
のシリーズ本も出版しています。
でもありました。集まってくる思想家、
プランタンが出版業を始めた 1555
で行われるようになります。中世の主
磨いたシェーファーは、二人の死後 J.
芸術家、政治家などの力を借りながら、
年はグーテンベルクが聖書を印刷して
要メディアだった写本製作に代わり、
トルケマーダ枢機卿が著した
『詩篇集
質の高い宗教書、人文主義書、古典、
からちょうど 100 年目にあたります。
近代への動きを加速させる大きな役割
を出版します。
講解』
(1474 年)
(写真②)
16世紀になるとフランスやスイスそ
医学書、科学書をプランタンは出版し
グーテンベルクから 100 年たって、手
を出版活動は担います。たとえば宗教
シェーファーはグーテンベルクに勝る
の他の国でも出版は盛んに行われ、特
ます。このような書物はヨーロッパか
工業的な〈工房〉から複数の労働力を集
改革における聖書、大航海時代におけ
とも劣らぬ功績を残した、優れた印刷
にパリ、リヨンはヨーロッパを代表す
約する本格的な
〈工場〉へと出版業は変
る地理書の存在といったことを考えた
人です。
る出版都市へと発展します。パリでは
化していた、といえるでしょう。
ドイツからイタリアへ
学者たち
出版活動はドイツの他都市でも行わ
アンリ、ロベールを中心に数代にわた
れ、ケルンでは J. ケルホフによって
り繁栄を誇ったエチエンヌ家が登場し
サーだった J. フストは、印刷職人 P.
『ケルン年代記』(1499 年)が刊行され
ます。学者でもあるロベール・エチエ
プランタン・モレトゥス博物館
(写
グーテンベルクが工房を構えたマイ
シェーファーの力を借りて M. キケロ
ます。この書物は初めてグーテンベル
ンヌはラテン語、ギリシア語、ヘブラ
真⑥、⑦ )
は質、量ともに世界有数の蔵
ンツ
(ドイツ)から出版は本格的に始
著
『義務について』
(1466 年、初版は
クの存在が記されたことで知られてい
イ語に関する豊富な知識を駆使して、
書数を誇る印刷出版系博物館です。最
まりました。グーテンベルクのスポン
1465 年)
( 写真① )を刊行します。古代
ます。ブラックレター
(ゴシック書体)
初めての近代的辞典
『ラテン語辞典』
大の特徴は 16 世紀以来の資料、生産
を用いている点がドイツで印刷された
(1531̶32 年、パリ)
(写真④ )を編纂・
だけでも、この新しい複製技術がもた
②トル ケ マ ー ダ 枢 機 卿『 詩 篇 集 講 解 』
(1474 年)
らした成果を伺い知ることができるで
しょう。
プランタン・モレトゥス博物館とは
⑤フロワサール『年代記』(1559̶60 年)
現場、記録類を今に残していることで
刊行します。リヨンでは 1550 年代、J.
す。2002 年にはアーカイヴの一部分
権力者による政争のためグーテンベ
フロワサール『年代記』(写真⑤)を刊行
が ユ ネ ス コ の Memory of the World
ルク没後、マインツは荒廃してしまい、
した J. トゥルヌが有名です。彼もま
に登録されています。2005 年 4 月の展
グーテンベルクの下で技術を学んだ印
た古典知識を身につけた学者兼印刷人
覧会では、〈日本初公開〉となる同館所
刷技術者たちはヨーロッパの他都市で
でした。
蔵資料を通して、産業として動き始め
書物の特徴といえるでしょう。
た時代の印刷の姿を紹介します。
職を求めなければなりませんでした。
C. シュヴァインハイムとA. パンナルツ
文:中西保仁(印刷博物館学芸員)
は同じ理由によりイタリアへ渡った技
術者です。彼らは 1465 年、ローマ近
郊のスビアコという修道院村に印刷所
を開設し、イタリアで最も早い日付で
印刷された書物を完成させています。
また人文主義が盛んだったイタリアで
は古今の思想書が盛んに印刷され、ヴ
ェネチアはその中心的役割を果たした
都市でした。ヴェネチアンと呼ばれる
① M. キケロ『義務について』(1466 年)
5
④ロベール・エチエンヌ『ラテン語辞典』
(1531̶32 年)
⑥プランタン・モレトゥス博物館 中庭
⑦プランタン・モレトゥス博物館 大図書室
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