年に同地にて没したことが断片的に知られ プランタン印刷所 ています。 ブリューゲルがアントワープ最大の版画工 房「四方の風」 で版画の下絵制作に携わっ ていた1 5 5 4年以降の短い期間に初代プラ ル ー ベ ン ス 、 オ ル テ リ ウ ス 、 メ ル カ ト ル 、 ブ リ ュ ー ゲ ル ンタンとの接点があったとされます。初代プ ランタンがそこから受け取った銅版画のリ 最盛期を彩る人々 ストにブリューゲルの名前が掲載され、また 二人はアントワープ内の同じキリスト異端分 派に属し、精神性の共有という部分でも深 い関係にあったようです。 交流のあった人々を見ただけでも、Officina Plantiniana (プランタン印刷所) の 華やかな歴史がわかります。ルーベンス、オルテリウス、メルカトル、ブリューゲル ―4人の文化人はプランタン印刷所最盛期を飾る3代の当主とどのような関係に あったのでしょうか。 2005年4月から始まる 〈プランタン=モレ ③地図の間 トゥス博物館展 印刷革命がはじまった: グーテンベルクからプランタンへ〉 (仮称) ではプランタン印刷所がいかに時代の最 年に当主になります。同年からルーベン ルーベンスとバルタザール しい時期にありました。ピーテル・ブリュー 先端で重要な役割を果たしていたかをご 覧いただけます。 スはプランタン印刷所の公式下絵画家に メルカトルはオルテリウスと共に従来の ゲル (父) は、当時の世相を見事に版画の なりますが、仕事を引き受けたのはバルタ 古い地球観から地理学を解放した学者とし 中に表現しています。ブリューゲル版画の プランタン=モレトゥス博物館1階にある ザールとの友情の証かもしれません。二 て知られます。以前は地図といえば地誌や テーマは二つの言葉に要約できるでしょう。 豪華な 〈大客間〉。壁には12枚の油絵が 人の関係はルーベンスの健康が悪化す 旅行者の経験的知識をまとめた非科学 一つは「寓意」で、農民の生活、子供の遊 並びます(写真①) 。多くがピーテル・パウ る1637年まで続きました。ルーベンスは 的なものでしたが、メルカトルは地球を直 戯や諺を通して描かれました。もう一つは ル・ルーベンスによるものです。17世紀の バルタザールが出版した聖務日課書やセ 線で区切った地図法 〈正角円筒投影図法〉 「風景」で、日常見慣れた光景や大自然の ヨーロッパ画壇を代表するルーベンスは ネカ 『著作集』 など多くの書籍向けに挿絵 を発明しました。メルカトル図法と呼ばれる 移ろいを絵にしました。ブリューゲルの生年 この図法は、現在も広く使われています。 や出生地ははっきりとわかっていませんが、 ②ルーベンスによるタイトルページ原画 故郷アントワープに工房を構え、たくさん を 描きましたが、中でもタイトルページに のバロック絵画を世に送り出しますが、 あるバロック様式の絵は世間の注目を集 オランダ語、スペイン語、英語、イタリア語) 幼馴染みのバルタザール・モレトゥス1世 めました (写真②) 。 で出版されます。地図出版事業としては 彫刻家、科学用具の製作者として力をつけ 家として加入したこと、1552年∼5 3年に 16世紀最大規模でした。プランタン印 刷 ました。地図帳発行ではオルテリウスに20 イタリアに滞在したこと、 1 5 6 3年に結婚して 所は1579年以降『世界の舞台』本文を 年先行されましたが、オルテリウス自身、 ブリュッセルに移住したこと、そして1 5 6 9 印刷するとともに、販売面でも大きな役割 メルカトルのおかげで地図帳発行を思い を果たし、書籍商として書籍や版画、写本、 ついたと述べているように、当時メルカト 迷路のような2階展示室奥にひっそり 地図を売買していたのです。私たちはとかく ルの地図は画期的な存在でした。 とたたずむ 小 部 屋 が〈 地 図 の 間 〉です 生産することに目を向けがちですが、商品 両肩に地球をのせたギリシア神話の (写真③)。有名な地図製作者が作った として販売することが何よりも大事なの 神アトラスが扉絵に描かれていますが、 地 球 儀 や 地 図 が ずらりと並びます が 、 は今も昔も変わりません。当時のアント 地図= 「アトラス」 という言葉はここに由来す 特筆すべきはアブラハム・オルテリウスの ワープには商人や航海者が集まり、世 るとされます。プランタンはメルカトル地図 地図帳です。オルテリウスはギリシア語、 界地図の需要が高まっていたので、初 帳をパリやフランクフルトの市場に販売す ラテン語、数学を修得した多才な学者で 代プランタンや2代目ヤンは毎年フランク る書籍商として関わっていました。 すが、何と言っても彼の名を有名にした フルトに行き、国際的書籍市で地図を のは1570年刊『世界の舞台』でしょう。 仕 入れてはアントワープや 他 都 市で 販 世界最初の地図帳である同書はあまり 売していました。 のために多数の油絵や挿絵用下絵を残 しました。プランタン印刷所3代目バルタ ザールは、初代プランタンの死後、2代目 当主ヤン・モレトゥス1世に続き、1612 大航海時代が生んだ 世界最初期の地図帳 にも好評だったので、出 版 年 に4回も ①大客間 5 のがメルカトルの地図帳です (写真⑤) 。 メルカトルはフランドル 地 方 出 身 で、 文:中西保仁(印刷博物館学芸員) 1551年にアントワープの聖ルカ組合に画 ④オルテリウス肖像 「寓意」と 「風景」 地図帳を表わす「アトラス」 という言葉、 増刷されました。1612年までに42版、 皆さん、耳にしたことがあるのではないで 初代プランタンが生きた1 6世紀のフランド 7言語(ラテン語、フランス語、ドイツ語、 しょうか。 「アトラス」の誕生に深く関係した ル地方は、宗教や政治で混迷を極める厳 ⑤メルカトル地図帳 4
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