美の意識の歴史的変遷とその背景 指導教員名:水越 康介 氏名:米川 里奈 枚数:19 枚 1 《目次》 第一章 はじめに 第二章 美人という言葉の定義の変化 2-1 結婚と容姿の因果関係の変化 2-2 美人罪悪論と醜婦奨励論 2-3 平等論的美人観 2-4 拡散する美の定義と、産業との繋がり 第三章 現代における美の在り方 3-1 ○○美人 3-2 美容の進化 3-3 高まる若返り願望 3-4 現代の美における問題点 第四章 第一章 まとめ はじめに 本稿の目的は、現代における美の定義と若返りの幻想が、女性に対して若さや美しさの 追究をやめさせないでいるという事実を、様々な文献を用いて明らかにすることである。 性格美人、知的美人、腸内美人や防災美人まで…最近雑誌や宣伝広告などでよく目にす る「○○美人」という言葉。一種の売り文句として定着しているのか、それとも、「女性」 の代名詞程度の意味合いで使われているのか。いずれにせよ、その使われ方は多岐に及ん でいて、美人という言葉の持つ意味が幅広くなっているように感じられる。また、美しい 女性と聞くと希少なイメージが浮かぶが、今では街を歩くとすれ違う女性はほとんどみな 垢抜けていてきれいである。どうしてきれいな女性が増えたのか、美の定義の変化と何か 関係があるのか、興味を持ち、この分野に足を踏み入れた。 井上章一氏は『美人論』の中で、拡散する現代の美人観について次のように述べている。 「現代の倫理は、美人であることの肩をもつ。そうなると、しかし、いわゆる不美人たち の立場がなくなってしまう。(中略)だから、現代の倫理は、美人の範囲を広げようとする。 (中略)つまり、誰でも美人になりうるといいきることで、容姿に劣等感をもつものを、なぐ さめようとするわけだ(井上、1995、P.195)。」また、次のようにも述べている。「なぜ、女 はみな美人だなどという不自然きわまりない議論が、声高に語られるのか。(中略)そこには 美容産業やファッション産業の利害もからんでいるように思う。これらの産業は、ありと あらゆる女たちに、美しくなるための努力をしてほしいのだ。(中略)美容産業の売り上げを のばして、内需拡大に貢献する。この現代的な要請が、人生論の書物に沈黙をゆるさない といった背景も、どこかにありはしまいか(井上、1995、P.252)。」 2 つまり井上によると、現代で主流になっている「女性は誰でも美人になれる可能性を持 っている」「女性はみな美しい」などという類の言葉は、不美人を励まし産業を守るための 建て前としての倫理の言葉であるという。 確かに美容関連の産業は、「一人ひとりの美しさがある」「努力すればきれいになれる」 などといった売り文句で利益を上げているため、産業は倫理の言葉に守られているといえ るかもしれない。だが、不美人はどうだろう。本当に倫理の言葉に励まされているだろう か。美の範囲が広まり、誰でも努力や工夫で何かしらの美を手に入れることが出来るよう になることは、一見、すばらしいことのように思える。しかし、それが当たり前になって しまった現在、努力すること自体が当然のことになってしまい、努力しなければゼロのま まではなくマイナスに見られてしまう。それ故に、今を生きる女性は、努力して何かしら の美を手に入れなければならないというプレッシャーを少なからず背負う事態に陥ってい るのではないだろうかと思うのだ。そうなると、不美人はおろか女性全体が倫理の言葉に 苦しめられているのではないかという疑問が浮かんでくる。また、 「美魔女」や「大人女子」 といった新しい言葉が生まれてきたように、現代は年をとっても若くいるということに価 値を置いている。しかし当然、「年相応にしていたい」と思う人もいるはずだ。そんな人た ちにとって、若いことに価値がある現代は、とても生き辛い世の中なのではないだろうか。 本稿ではこういった女性を取り巻く「美」の問題について、追究していきたい。 本論文の構成は、まず第二章では美の定義が時代とともにどう変化してきたのかを井上 章一氏の『美人論』を参考に読み解き、第三章では現代における美の在り方についてより 深く考えていく。具体的には、美の定義の拡散や美容技術の進化によって美しい女性が増 えた過程と、それが発展して今日の行き過ぎたアンチエイジング熱に至った経緯、そして その問題点について、記述する。最後に第四章で全体のまとめを行い、論文を締めくくる。 第二章 美人という言葉の定義の変化 まずは、先程紹介した井上章一氏の『美人論』を参考に、時代とともに移り変わる「美 人」という言葉の扱われ方を追うことで、人々の美に対する意識がどのように変化してい ったのかを見ていこう。 2-1 結婚と容姿の因果関係の変化 ここでは江戸時代から明治時代までの間に、結婚と容姿がどう関係してきたかについて 触れていく。まず、江戸時代の上流階級の武家社会において、正妻として迎える女性に関 しては、容姿は重要な条件ではなかったと井上は述べている。結婚と言えば家柄や血筋が 重視され、結婚をする本人らの意志とは関係なく、親や親族たちが縁組を決定していたか らだ(井上、1995、P.65)。その上、江戸時代の上流婦人は「奥方様」と呼ばれるように、妻 3 となった女性は屋敷の奥にいたため(井上、1995、P.77)、たとえ不美人であっても人目に触 れることはほとんどなかった。ただ、やはり美人には魅力があるのだろう。街で見つけた 美人をしかるべき家の養女にして、家柄をつけてから結婚するという例外的な方法をとる 者や、美人をめかけにするというやり方で容姿を妻の 2 号に求めるような者もいたという (井上、1995、P.65-66)。 江戸時代には玉の輿という言葉こそあったものの、容姿による出世はきわめて例外的な 現象だったが(井上、1995、P.66)、明治時代になると状況が変化すると井上は指摘する。文 明開化政策として身分制の解体が行われ、通婚の自由が認められるようになり、欧化した ことで上流社会では夫婦同伴の社交パーティが行われるようになった。そうなると当然、 妻も公的な場へその身をさらすことになる。すると、男たちはこぞって容姿に優れた妻を 嫁に迎えるようになったというのだ(井上、1995、P.66-67) 。そして上流社会から始まった この風潮は次第に下流へも広がっていく(井上、1995、P.72)。当時の結婚読本(結婚につい てのガイドブック・どのような結婚がのぞましいかなどを記載した手引書)は、みな明治に なってから男たちが急に面喰いになってきたと述べている(井上、1995、P.67)。そして井上 は、近代は観念としては身分をこえた恋愛を解放したが、その実態は男の面喰いの解放だ ったと主張する(井上、1995、P.69-70)。井上は面食いの背景として、人目に触れるなら綺 麗な妻を連れていたいという男たちの虚栄心が強まったことを挙げている(井上、1995、 P.79)、一方で、伊藤博文をはじめとする当時の元勲たちが芸者を正妻にしたのは、公的な 社交の場へ妻を連れていくということを意識した際に、19 世紀後半の段階において既に社 交の技術を持っていた芸者たちが好都合だったからではないかという考え方も示している (井上、1995、P.64-66)。 2-2 美人罪悪論と醜婦奨励論 明治期の修身(今でいう道徳で、戦後の教育制度改正まで続いた教育科目)の教科書には、 “美人は堕落しやすいが、醜女は才徳が身につく”という、美人罪悪論や醜婦奨励論が展 開されていた(井上、1995、P.9-10)。このことについて井上は、 江戸時代なら考えられな かった身分のいやしい娘が玉の輿に乗るということが当たり前になることで、由緒正しい 家系出身の女性たちは芸者あがりの貴婦人たちに不快感を抱き(井上、1995、P.82)、保守的 な身分意識を持つ人たちは旧来の社会階層秩序を揺るがす美人の存在に抵抗した、その反 動精神が美人罪悪論をもたらしたと考えている(井上、1995、P.91)。 では、醜婦奨励論に関してはどうか。井上は当時の女学生の容姿と就学についての因果 関係に注目している(井上、1995、P.20)。明治期から大正期にかけては、一般的に平均結婚 年齢が低く、女学校在学中に結婚してしまうケースも多かった(井上、1995、P.20)。当時の 女学校にはしばしば近隣の有力者たちが訪れ、授業参観というシステムを利用して息子の 嫁探しをしていた。こういう選び方だと女学生の内面は知りえないため、容姿だけが浮上 4 する (井上、1995、P.23)。実際、在学中に結婚するのはどちらかといえば美人ともくされ る女学生であり、嫁に選ばれず女学校教育を最後までやりとげるのは不美人が多かった。 そして当時、そんな不美人たちは卒業面と評されていた(井上、1995、P.20)。また、女学校 側も、事実上、在学中の美人を有力者の息子に嫁としてあっせんしていた(井上、1995、 P.23-24)。つまり、学校側は初めから美人に学業を望まず、学業については卒業面だけに期 待していたのだ(井上、1995、P.28)。当時の女学校には、美人は在学中に結婚し不美人は最 後まで頑張るという固定観念があり、これは平均結婚年齢がもっと高くなる時代まで続い た(井上、1995、P.22)。そして結婚出来ずに勉学に励む卒業面は、世間に冷笑されることも あった(井上、1995、P.39)。井上は、そういった世間からの軽蔑を受ける不美人たちを守り たいという同情が、修身教科書へ醜婦奨励論を書かせるようになったと推測している(井上、 1995、P.39)。 2-3 平等論的美人観 第二次世界大戦敗北後、 “人間は生まれながらにして平等であるべきだ”という、いわゆ る戦後民主主義の理念が国民的に普及する。こういった平準化の動きは倫理の言葉にも影 響を及ぼして (井上、1995、P.121)、20 世紀中葉を境に美人罪悪論は人生論の中で古いと 言われるようになり(井上、1995、P.95)、美人肯定論にとってかわられた(井上、1995、P.102)。 そして、現代の人生論は、“みんな美人になりうる。不美人なんかいない。”と論じること で、不美人を励ましている(井上、1995、P.104-105) 。つまり、明治の倫理では一握りの美 人が非難されていたが、現代の倫理では美人が褒められ、そして、全女性が美人だとされ るようになったというのだ。この変化に対して井上は、非難から賛美へと扱われ方が変わ る中で、美人という言葉の定義があいまいになり、拡散してきたと述べている(井上、1995、 P.106)。また、井上はこの美人という言葉の定義の拡散について、以下の考え方も示してい る。美人罪悪論が衰退していったのは、1920 年代から 1930 年代にかけて、マネキンガー ル、デパートガール、エレベーターガールなど、美貌を活用する職業が社会的に目立ち始 めた時期とも重なっている。そのため、女性が社会に進出し、今までは無能だと位置づけ られていた美人が利潤を生み出す有用性を持つ存在になったことで、美人がたたかれなく なったという見方である(井上、1995、P.133-135)。 両大戦期に美人の総論が反転したことに引きずられるようなかたちで、美人の属性は“健 康であることが美しい” “知性あることが美しい” “労働することが美しい”というように、 従来の“美人は不健康で、知性がなく、労働もできない”という議論とは真逆の方向へと 変化し(井上、1995、P.192-193)、表情が豊かなら…愛嬌があれば…独立精神があれば…美 人である、というように、後天的な努力こそが美人の条件だという民主主義の精神が反映 された定義が次々に出現していった(井上、1995、P.199-200)。そして女権運動が活発にな り男女平等が叫ばれるようになると、男性に支配されない美という観念が生まれる(井上、 5 1995、P.286)、また、平等論的美人観を揺るがす存在である面喰い男たちは人生論の中で 非難の的となり、面喰いの非公然化を余儀なくされ、教科書や新聞などの公共的な領域で は、平等性を守るために容姿の美醜を隠ぺいする動きが見られた(井上、1995、P. 257-258、 260)。しかし、商品経済の領域では、キャンペーンガールや受付嬢、新商品のイメージガ ールなどというように、美貌を利用した営業が盛んになり、面喰いを助長する潮流がある。 井上はこの現象について、現代社会では公共的な建て前の世界と商品経済の社会で、相反 する傾向が並行しながら進んでいると述べている(井上、1995、P.279-280)。 2-4 拡散する美の定義と、産業との繋がり ここまで日本の美人の定義の変容についてみてきて、両大戦期までは女性の美は男性を 惹きつけるため・結婚するために重要な要素だったが、両大戦期ごろを境に、女性の美は 男性のためではなく自分自身のためにあるという議論に変化した様子がうかがえる。また、 女性の美の在り方も、容姿だけに捕われるのではなく、内面や生き方すべてにまで美の範 囲が広がってきている。井上はこの美人という言葉の定義の拡散に疑問を呈した。あくま でも倫理の言葉・世間の建て前が変化したにすぎず、実際には、現在も男性を意識して美 を追い求める女性は沢山いるだろうし、世の中には美人もいれば不美人もいて、みな等し い容姿であることはありえない。容姿の平等論は何をいっても不自然になるため、平等性 を守りたいならば沈黙することが最良の方法であり、事実、現代の道徳の教科書は女の容 姿にはふれていない。それなのになぜ倫理の言葉は容姿の平等性を主張し、その言い方も “女はみな不美人だ”や“みんな普通だ”ではなく、あえて“女はみな美しい”とする議 論なのか。井上は、そこに美容産業やファッション産業の利害がからんでいるからだと考 えた。現代産業の民需を活性化させようという動きが様々なところへ浸透する過程で出版 産業へも浸透し、美容産業の成長を助けるような文句が人生論の中へ普及したのだという (井上、1995、P.251-252)。そう考えると平等論的美人論が普及したことや、美の範囲が押 し広げられたこと、そして公共的な領域と商品経済の相反する動きについても納得がいく。 また、井上氏は次のようなことも指摘する。美容産業が更なるマーケット拡大のために 男性を巻き込もうとしている。そしてこの動きは男女平等の観念とも符合し、事実、女た ちが面喰いになってきた・男性も容姿を重視するようになってきたという指摘が目立つと (井上、1995、P.288、291)。そして、こんな予言を残している。 「こうなれば、男についての平等論的美人観が出現するのも、時間の問題だ。男は、みな 美しい。すべての男は、美しくなる可能性をひめている。以上のような議論が、将来的に はふえるだろう。二一世紀のある時期には、こういうパターンが、たてまえの主流になっ ている……。ずいぶん、せつない予言だ。あたらないことを、ねがいたい。(井上、1995、 P.146)」 この予言には、多少冗談の要素も含まれていただろう。しかし、『美人論』が出版されて 6 から約 20 年経過した現在、この予言がまんざら大袈裟でもないと感じる時代になった。こ こ数年で男性をターゲットにした美容やファッションの市場は急速に拡大し、男性の美意 識も変化してきたように思える。実際、化粧こそしないものの、化粧水で肌を整えたり整 髪剤やリップクリームを使用したりと、見た目に気を使う男性は多いのではないだろうか。 仕事をする上で印象を良くしたいと、エステ通いや日焼け対策に気を使う社会人もいるよ うだ(『 読売新聞』、2012 年 5 月 18 日 )。こういったことが当たり前のように行われる時 代もそう遠くないのかもしれない。 第三章 現代における美の在り方 次は現代における美の在り方についてより深く考えてみたい。井上は「すべての女が美 人になりうる。」という現代的なたてまえは、健康管理の努力や表情や知性をみがく根性な どの、後天的な修養の努力を美人の条件としているという。そしてこういった倫理構成で は先天的な美貌が軽視され、もっとも純粋な美人が美人でなくなるとして、この現代の建 て前を近代の理論と民主主義にむしばまれていると批判している(井上、1995、P.200-201)。 3-1 ○○美人 現代における美の定義の拡散をよく表しているのが「○○美人」という言葉だろう。こ こでは「○○美人」における「美人」の意味合いや、こういった言葉が生まれた背景を探 りながら、現代の美への意識を考えてみたい。 先程の井上とは逆に、不美人について考察した人物に陶智子がいる。陶は『不美人論』 の中で、現代について、誰でも安直に美人になれる、あらゆるバリエーションを美人の輪 の中に入れてしまう甘くてゆるゆるな時代だとしている(陶、2002、P.120)。陶は現代の美 人不美人を考える上で、平林たい子氏が昭和 34 年(1959 年)に書いた随筆にとても重要な手 掛かりがあるとうったえている(陶、2002、P.16)。平林氏の論によれば、古代ギリシャでは 寸法上完璧であることが完璧な美人を意味しており、「美しいものは善である」とするプラ トンやサッフォーの思想にみられるように、美と人格が合致していたと考えられていたた め、それらを分けて考える必要はなかったという(陶、2002、P.14-15)。しかし現代では「美 人だが品が悪い」「美人だが頭が悪そうだ」という具合に、美そのものの内容が限定された 反面、品や頭脳が美と別な因子として数えられ、美と人格の分裂が起きているという(陶、 2002、P.15)。 そして陶はこの「美と人格の分裂」が、現在横行しているあいまいな多くの 美人パターンを生むもととなったと主張している(陶、2002、P.14)。陶曰く、現代において 「美と人格の分裂」は、美人へのマイナス要素としてではなく、不美人へのプラス要素と して機能するという。現代には「性格美人」「雰囲気美人」といった特殊型美人が存在する が、この「○○美人」は不美人プラス○○を言い換えたものであり、目に見えないものを 7 見えるかのごとく扱うまやかしで、本来的な美人とは質の異なるものであるとしている(陶、 2002、P.16)。 井上も陶と同じく、性格美人や仕事美人といった表現で使われる「美人」は美形を意味 するものではないと考えている。こういった場合に使われる「美人」は、性格のいい女、 仕事ができる女という程度の意味合いしかなく、「美人」は「女」の同義語だといってよい と述べている(井上、1995、P.295)。そして、性格美人のような言葉が生まれた背景につい て、女性の場合は美人であるのとないのとではずいぶん評価が違ってしまうため、みんな 等しく美しいのだという欺瞞も必要になり、性格のいい女にも「美人」という輝かしい称 号を差し上げようという流れになったのではないかと分析している。 2004 年の日本経済新聞で、「○○美人」に関する記事を見つけた。それによると、 「○○ 美人」という言葉は、ちょっとした心遣いや工夫をすることでワンランク上のセンスを身 に付けた女性のことを指し、背景には自分磨きへの欲求が高まったことなどがあるようだ。 「素肌美人」 「口元美人」など、体の一部に「美人」をつける表現はこれまでにもあったが、 それが言葉や文章などの作法やスキルにまで拡大しているのが現在の特徴といえる。こう した言葉が広がっている背景について、埼玉大学の山口仲美教授(日本語学)は「似たような 表現で『達人』という言葉があるが、達人になるには時間がかかる。 『美人』は心がけと努 力でなれそうな気がする。また、良いイメージの語なので女性を形容するにはもってこい の表現」と指摘する。梅花女子大学の米川明彦教授(日本語学)は「良いイメージの言葉は意 味が拡張しやすく、美人もその一つ。また、百人いたら百人の美人がいるといった風に、 社会的に様々な個性を受け入れるようになってきたことも要因の一つなのでは」と話す。 また、女性の社会進出により女性の評価軸が多様化し、その分野で秀でた女性を表す言葉 としても「○○美人」が使われるようになった。女性のキャリア事情に詳しいキャリア戦 略研究所(東京・港)の坂野尚子所長は「○○美人という形容は一生懸命努力して獲得するの ではなく、日ごろから洗練さを意識し自然に身につけるというイメージがある。根性、努 力といった泥臭さが敬遠される昨今、こうしたさりげなさが若い人に受け入れられている のではないか」とみている(『日本経済新聞』、2004 年 8 月 26 日、P.21)。この記事の中で は「ことば美人」や「手紙美人」、「しぐさ美人」など、様々なバリエーションの「○○美 人」を紹介しているが、どれも日ごろの“ちょっとした心がけや工夫(努力)”で“内面の美” を磨くことにより“誰でもなれる”ものらしい。とても都合のよい設定に見えるが、これ が今のトレンドなのだろう。 そしてこの“努力”と“内面美”が日本独特の容貌の価値観を作っていると指摘してい るのが山本桂子である。山本はこの日本独特の美容観について昨今の美容ブームの中でと りわけ大きな影響力を持つ美容家として田中宥久子と佐伯チズを挙げながら説明している。 田中宥久子はマッサージブームを作ったメイクアップアーティストだが、 「セルフマッサー ジ」という点がポイントだ。欧米などではマッサージはエステでやってもらうのが一般的 で、家庭でやるセルフマッサージは日本独特の“努力”の美容法だという(山本、2011、P.142)。 8 また、佐伯チズは外資系化粧品会社出身のエステティシャンである。佐伯の場合は“努力” とともに工夫が必要で、同じ化粧品を使う場合でもちょっとした手間ヒマをかけることで 効果を上げ、手をかけることで「お金をかけずきれいになる」という美容法を推奨してい る(山本、2011、P.143)。二人ともワイドショーや雑誌で見かけたことがあるが、還暦を過 ぎているとは思えないほど驚異的にきれいな肌をしていて、とても説得力がある。また、 山本は、日本独特の“努力”の美容法を 100 パーセント肯定して女性の道徳にまで昇華さ せた人として、美容ジャーナリストの斎藤薫の名前を挙げている。斎藤薫は 20 代から中高 年まで幅広い層を対象とした数々の女性誌に連載を持っており、美容だけでなくファッシ ョンから身のこなし、生き方に及ぶまで、女性の美しさとは何か、女性はどうあるべきか をエッセイで説いている(山本、2011、P.144)。そして山本は、 「きれいになる努力は道徳的 に善である」とする斎藤薫のエッセイについて、日本人の精神になじみやすいものだった と分析している。儒教の影響を受けた日本では、容儀を整える、つまり顔や身なりを整え ることは精神を磨くものであるとされ、礼法では重要なものとされてきたからだ。また、 バブルがはじけ、規制緩和が進み、すっかり拝金主義の社会になった中で、荒んだ人々の 心が精神論を求めていたことも要因だとしている(山本、2011、P.146)。 こうして「努力によって内面の美しさが顔に現れる」という道徳は現代の日本女性に浸 透していったわけだが、努力だけで加齢に負けないきれいな容姿を維持することは、並大 抵の努力では為し得ないことである。また、そんな努力を日々続けるとなっては、それこ そ普通の人にとっては至難の業である。そうなると、“ちょっとした”心がけや工夫(努力) で誰でもなることができる「○○美人」は、このような背景から生まれた画期的な打開策 だったのかもしれない。 「○○美人」についての資料を探す中で、酒井順子氏の『私は美人』(朝日新聞社、2007) に出会った。この本の中で酒井氏は、「知的美人」から女子アナやスチュワーデスといった 「所属美人」まで 19 種類もの美人タイプを挙げている。彼女自身、 「メガネ美人」であり 一時「喪服美人」を経験し、 「よく見りゃ美人」でもあるという。 「よく見りゃ美人」や「パ ーツ美人」にいたっては、もう誰でも当てはまるのではないかという勢いである。ここま でくると、努力も工夫も内面の美も関係ないような気がするが、時代とともに拡散し続け る美人の定義は、既にそういったところまで意味を広げているのかもしれない。 3-2 美容の進化 第一章で、近年きれいな女性が増えた気がするということを述べた。こう思っていたの は私だけではないようだ。ここでは、ここ十数年の美容の進化とその背景について考察し ていく。 酒井順子は、昔は街を歩くと必ず「明らかに変」な化粧方法の女性に会ったものだが、 今はそういった女性に滅多に会わないということに気付き、ここ十年くらいの間に人間の 9 「己を見る能力」が格段に伸びたと分析する(酒井、2004、P.167-168)。そしてこれはナチ ュラルメイクの時代が長く続いているという理由が大きいという(酒井、2004、P.168)。ナ チュラルメイクが流行する前は、化粧品会社がシーズン毎に大きなキャンペーンを行い、 新しい流行メイクを提唱していたため、女性の顔がコロコロと変わっていた(酒井、2004、 P.168-169)。もちろん流行の中には顔から浮いて見えてしまうようなカラーの口紅やアイシ ャドウもあっただろうし、人によっては全く似合わない眉の形が流行したこともあっただ ろう。しかし 80 年代ごろからそういった風潮は変わり始め、ナチュラルメイクが流行する と、「化粧は思い込みや流行で行うものではなく、冷徹な自己観察のもとに行われるべきも のだ」という啓蒙活動も盛んに行われるようになり、タレント化したメイクアップアーテ ィストが勘違いのもとに化粧をしている素人達を断罪していった(酒井、2004、P.169)。そ して、女性達はナチュラルなメイクにすると、美人の美人具合は引き立ち、ブスのブス具 合は目立たなくなるということを悟ったのだという(酒井、2004、P.170)。また、ナチュラ ルメイクが主流になってからは、「流行色を塗ればいい」というような誤魔化しがきかない ため、女性の顔面に要求される水準はどんどん高くなり、肌の透明感やキメといった、よ り根本的で細やかな部分を問題にされるようになったとも述べている(酒井、2004、P.175)。 次に、山本桂子の考えを見ていこう。山本は、日本の女性たちをとりまく髪型・化粧・ 服装の進化が、確実にブスを減らしてきたという(山本、2011、P.9)。ブスというと「顔」 がまずいことだと多くの人が思っているが、実際に人が女性の見た目を判断する場面、そ の材料は顔だけではなく、髪型や化粧、服装も含めた全体だ(山本、2011、P.7-8)。山本は 的を射ているとして、ベテラン美容編集者の言葉を次のように紹介している。「顔にコンプ レックスを持つ人って、みんな細かいところを気にしすぎなんですよ。小さな鏡で自分の 顔をじっと見つめてしまうから気になるんでしょうけど、他人はそんな至近距離で人の顔 は見ていません。美人に見せたければ、顔より髪、そして服でしょうね。面積の大きいと ころを変えた方が印象は変わりますから」。人は人の顔を「見て」いるのではなく、「眺め て」いるため、細かなコンプレックスはほとんど他人の目には映っていないというのだ(山 本、2011、P.8)。では肝心の、髪型・化粧・服装の進化についてだが、まずは髪型の進化に ついて。90 年代半ばごろから、ゆるく髪にクセづけするパーマ技術やカラーリングが普及 したことで、日本の髪事情は大きく変わったという(山本、2011、P.10)。日本人特有の、黒 くて真っ直ぐで、太くて硬く、量が多いという髪質。これは暗いイメージを表情に与えた り、頭部を重く見せてしまったりする上に、現代の洋装文化には馴染みにくい(山本、2011、 P.9-10)。しかしそんな髪質でも「軽くてさりげない外国人のクセ毛風」に変えられるよう になったことで、似合うメイクや似合う服の選択肢まで一気に広がることとなった(山本、 2011、P.10)。生まれつきの髪色や髪質が変えられるということは、生まれつきの容姿を変 えられるということでもあるとして、山本は、カリスマ美容師たちの功績は、女性たちに 「自分はまだまだ変われる」ことを気づかせ、貪欲に美を求める方向へ走らせたと述べて いる(山本、2011、P.11)。次に化粧の進化についてだが、 「誰が使っても失敗がない化粧品」 10 ができたことで、きれいにメイクする女性が増えたという(山本、2011、P.12)。80 年代半 ばには、顔だけ白浮きしたりチークがとってつけたようだったりと、メイクの失敗のせい で滑稽に見えてしまう女性が結構いたが(山本、2011、P.11)、化粧品の改良が進んだ今日で は、化粧崩れやムラづきといった問題はほぼクリアされるようになった(山本、2011、P.12)。 ファンデーションは、かつては肌の上に厚く膜を張るようにして素肌のアラを隠していた が、10 年ほど前から膜の厚みではなく反射光をコントロールすることで肌の欠点をカモフ ラージュするものに変わった。そのため、昔はいかにも「塗りました」という感じがあっ たが、今は自然な仕上がりにより、もとから素肌がきれいな人であるかのように見せるこ とができる(山本、2011、P.14)。また、色使いに関しても、アイシャドウや口紅といった「色 もの」の場合、バブル期以前にトレンドだった海外ブランドの華やかな色や、90 年代から 00 年代初頭に流行ったモードメイクと呼ばれるギラギラとした奇抜な色では、 「買ってはみ たものの使いこなせない」ということが少なからずあった(山本、2011、P.12)。それが近年 では売れ筋の主流は全色ムダなく使える「捨て色なし」のパレットで、それも日本人の肌 色や瞳の色に合わせた色設計なので、セオリーどおりに塗っていけば、誰でも簡単に立体 的な目元ができてしまう。そしてこの親切設計は、ドラッグストアなどで売られるプチプ ラコスメ(プチ・プライス、お手頃価格の化粧品)にも及んでおり、手の届く価格で失敗なく メイクできるということは、誰でも簡単にそこそこきれいになれるということだと山本は いう(山本、2011、P.13)。最後に服装の進化について。山本は、不況によりファッションの 価格破壊が起きたことで、普通や普通以下の人たちのレベルが底上げされたと考察する(山 本、2011、P.21)。ここ数年で H&M やフォーエバー21 のような、安くて質の良いトレンド 服を扱うファストファッションが登場したことにより、誰もが流行を手に入れられるよう になった(山本、2011、P.21)。さらにアイウェアに関しても、ZOFF や JINS といった安く ておしゃれなメガネ店の登場により、服に合わせてメガネを換える、目が悪くなくても伊 達メガネをかけるなど、メガネが積極的にファッションに取り入れられるようになったこ とで、 「メガネ=ブス」といったかつての図式はなくなった(山本、2011、P.22)。以上のよう な美の進化が、不美人は街から消え、きれいな人が増えたという感覚をもたらしたのだ。 また、山本はここ 10 年ほどで女性が飛躍的にきれいになったり、おしゃれになったり、 痩せたりしたのは全て男性の目を気にしなくなった結果だという(山本、2011、P.105)。明 治時代からバブル期が終わるまで、いつの時代も女性は男性に選ばれることで良い生活に ありつけていた。そのため、男性の目線と言うのは大きな力を持っていた。しかしバブル が崩壊し不況になると、男性の経済力がアテにできなくなり、女性たちは男性のためには 化粧しなくなった(山本、2011、P.99-100)。山本は美容エンターテイメント誌『VoCE』の 2000 年 2 月号の記事「会社の美人王・メイクと生きる!」の取材執筆を担当しており、様々 な職種の OL150 人に行った調査をまとめているが、その中で「会社メイクで、男ウケは考 えますか?」の質問に対し、ほぼ全員が「NO」という回答をしたという(山本、2011、P.100)。 また、同誌のインタビューで香山リカ氏は次のようにコメントしている。「集団の中で一番 11 強い者が異性を獲得する、という理論はもともとは男性のものですが、OL たちの合コンメ イクはまさしくそれ。男ウケよりも、仲間うちでイイ女と認められるためにメイクしてい るんです。単に彼氏をゲットするだけならブリッコすればいいけれど、それでは同性から 見下されてしまう。彼女たちにとって大切なのは、人生ゲームで勝利感を味わうことであ って、それには同性の仲間からの賞賛が必要なんです(山本、2011、P.101-102)」男ウケ狙 いのメイクではわかりやすくピンクの口紅さえつけておけばよかったものの、同性に賞賛 されるためには毛穴やまつげ一本一本といった細部まで、完成度の高さが要求される。山 本は、ここ数十年の化粧品の質の向上や技術の進歩は、「女の目」が育てたと言いきってい る(山本、2011、P.102)。体型についても、男性が好むのはやや柔らかさも残るような体型 であろうが、女性たちは同性の間で見下されないために、服をおしゃれに着こなせるスリ ムなモデル体型を理想とし、目指している(山本、2011、P.105)。また、ファッションにお いても、ワンピースのような男ウケのする一番のモテ服を「女子会」という女子だけの集 まりに着ていくところが「今」だという(山本、2011、P.106)。 つまり、美容技術の進化が女性の「きれいになりたい、若々しく見せたい」という気持 ちに拍車をかけ、不況が貧富・老若問わず女性がきれいになれる環境をつくった上に、男 性そっちのけで美の競争をする方向へと女性たちを導いたのだ。 3-3 高まる若返り願望 現代における美の在り方について考える際に注目すべきなのが、きれいになった中高年 の存在であろう。先程も述べたが、最近きれいな人が増えたと感じるようになった。それ は若い人たちが垢抜けてきたからということもあるかもしれないが、やはり、昔なら「お ばさん」と言われていたであろう年代の人たちが劇的に若く美しくなってきたからではな いだろうか。ここではこの数年話題になっている「アンチエイジング(抗加齢)」にスポット を当てて見ていきたい。 どうして中高年はきれいになったのか。バブル期に若くきれいなことで良い待遇を受け た女性が、年を重ねても若々しくいることに価値を置いているという見方がある。バブル 経済を体験した 40 代後半の世代は消費意欲が旺盛といわれている。フリーライターの白河 桃子さんは「若さや女性であることの恩恵を堪能した世代」と話す。アサツーディ・ケイ、 シニアプランニングディレクターの夏目則子さんは「高級なモノやサービスを知った経験 が、その後の消費にも影響している」という。伊藤忠ファッションシステムによると、「ハ ナコ世代」「ばなな世代」を中心とする 40 代は若さへの執着が強いらしい。ハナコ世代(今 年 47~52 歳)はバブル期に青春を謳歌し、ばなな世代(同 41~46 歳)は 20 代前半で好景気と 不景気を経験した世代である。かつては 40、50 代になれば、年相応になることを受け入れ たものだが、 今の 40 代は「妻や母親であると同時に女性の顔も持つ」という(夏目さん)。『日 ( 本経済新聞』 、2011 年 9 月 14 日、P.9)。現代の女性が妻や母親であると同時に女性の顔も 12 持つようになった原因の一つとして、山本桂子氏は『ブスがなくなる日』の中で、田中ウ イメンズクリニック院長の田中康弘医師に取材したときの談話を次のように紹介している。 「人生 50 年といわれた時代には、女性は出産したら<かあちゃん>でよかったんです。で も、寿命が伸び、しかも生涯で 1~2 人しか生まない今は、出産し子育てが終わった後の人 生がとても長くなった。そうなると、出産後の女としての人生を美しく生きられるかどう かは、QOL(quality of life)に関わる重要な問題となってくるんです(山本、2011、P.135)」。 また、「中高年」という言葉の受け止め方が曖昧になり、自らを中高年だと自覚しない人 が増えたこともある。博報堂「新しい大人文化研究所」によると、中高年を自覚する 40~60 代が減り、「何歳になっても若々しく前向きでいたい」と考える人が増えているようだ。博 報堂は以前、50 代で「シニア」を自分のことだと思う人はどのくらいいるのか調査した。 その結果、そう思う人は 27%。つまり残りの 7 割強の人にとっては「シニア」と聞いても 人ごとだった。ベースにあるのは「何歳になっても若々しく前向きな意識を保ちたい」と いう生活者の気持ちで、実に 40~60 代の 82.7%もの人がそう答えている。特に女性が高い。 年代別にはあまり差がなく、40 代でも 50 代でも 60 代でもそう思っている。「何歳になっ ても若々しい見た目でありたい」という割合を調べると、これも 40~60 代は 72.6%と高い 数値を示した。数回にわたる調査で基層となる意識として分かったことは、彼らは従来の 中高年の褒め言葉だった「成熟」した人と呼ばれたいとは思わず、「若々しい」(1 位)、「セ ンスがいい」(2 位)と呼ばれたいということだ。こういった気持ちに応えてここ数年、40 代 女性誌が続々と創刊され好調である。そのなかでは「40 代女子」がスローガンとなり、 「女 子会」という言葉を増幅させ、 「美魔女」という流行語を生み出した。40 代から流行語が出 てくる時代になったのだ(『日経 MJ(流通新聞)』 、2012 年 4 月 4 日、P.2)。 日本の中高年の若さへの貪欲さは、アジア圏内で見ても高いようだ。博報堂はアジア 12 都市における 50 代男女の若さに関する考え方の調査結果を発表した。調査は 50 歳から 59 歳の計 2579 人を対象として、現地で直接面接するなどして行った。その結果、東京が他都 市より突出して精神的にも肉体的にも若さを保ちたいという志向が強いことがわかった。 「身体的にいつまでも若々しくいたい」か「年齢にふさわしい熟年の容姿になりたい」か、 どちらかを志向するかを聞いたところ、東京は 74%が前者を選び、北京と台北も 6 割に及 んだ。反対にマニラ、ジャカルタ、クアラルンプールの 3 都市では 7 割程度が後者の熟年 の容姿の方がよいと答えた(『日経産業新聞』、2012 年 11 月 8 日、P.13)。 そして美容熱が加速しているのは中高年だけではない。次に 60 代以上の高齢者の美容意 識について書かれた記事を載せておく。 六十代以上の女性の美容やおしゃれに対する関心がここ数年、急速に高まっている。少 子化時代に成長戦略を模索する美容業界に踊らされているだけかと思いきや、本人たちも 「気持が明るく前向きになる」と満足げ。熱心さと行動力は若い女性に勝るとも劣らない。 (中略)アデランスによると、女性用オーダーメイドかつらを売り出した一九九〇年代初めは 五十代の利用者が一番多かったが、現在は羽鳥さんのような七十代が新規顧客の中では最 13 も多い。同社は「いつまでも好きなヘアスタイルを楽しみたいと考える年齢の幅が年々広 がっている」とみる。中高年の美容をテーマにしたテレビ番組や女性誌が増えた影響か、 シミ取りやしわ伸ばしなどのいわゆる「プチ整形」を積極的に受ける高齢女性も目立つ。(中 略)「年配の女性の場合、男性よりも同年代の女友達の目を意識して治療に来るケースが多 い」。東京・銀座で美容皮膚科医院を営む吉木伸子院長(38)はこう指摘する。 「昔と違ってい まは女性同士で集まる機会が格段に増えた。そういう場で同じ年齢の仲間より一歳でも二 歳でも若く見えるかどうかが、彼女たちにとってはものすごく大事」なのだという(『日本 経済新聞』 2006 年、4 月 28 日、P.15)。 そしてこういった 40 代以上の女性の変化につられるかたちで、若年層の動向も変化して いるようだ。主に 40 代以上の女性が購入していた加齢対策用のアンチエイジング化粧品が 若年層に広がっているという。40 代になっても若さと美しさを維持している一般人がモデ ルとして雑誌やテレビでブームとなり、20~30 代から外見を若々しく保とうと取り組む女 性が増えた。化粧の低年齢化などに加え、化粧品口コミサイト「アットコスメ」編集部の 担当者は「(年齢を感じさせない)『美魔女』などが、今から肌に投資をすれば若々しさを保 てるという関心を喚起した」と指摘する (『日本経済新聞』 、2012 年、8 月 21 日、P.27)。 では実際、どれだけの人が若く見られたいと思い、アンチエイジングにお金をかけてい るのか。日本経済新聞社はマクロミルに依頼して、インターネットで全国の 20~60 代の男 女 1000 人にアンチエイジングに関する調査を行った。その結果、実年齢より若く見られた い人が全体の約 65%で、女性では約 8 割を占めた。実年齢に比べてどう見られたいかにつ いては、 「かなり若く」(19.7%)と「やや若く」(45.1%)を合わせると計 64.8%を占めた。女 性だけみると計 78.0%と約 8 割だ。 「年相応に」が全体で 34.1%で、実年齢より上に見られ たい人は計 1.1%とごく少数だった。抗加齢対策にお金をかけている人は 62.9%で、かけて いる月額費用は 3000 円未満が 6 割弱を占め、1 万円以上は約 1 割いた。平均費用は 4510 円で、男性が 3600 円、女性が 5127 円だ。性年代別では 40 代女性が 6250 円と最も高く、 50~60 代女性も 5000 円超だった。男性では 50 代が 4873 円と最も高い。抗加齢対策費用 の今後については、 「増やしたい」が 15.5%で、 「減らしたい・やめたい」の計 8.1%より多 かった。「現状程度で変えない」は 52.1%、「これまでも今後も出費しない」は 24.3%だっ た(『日経 MJ(流通新聞)』 、2012 年 3 月 28 日、P.2)。抗加齢対策費用を今後「増やしたい」 という人が「減らしたい・やめたい」という人を上回っていることから、アンチエイジン グブームはまだまだ続くと考えられる。 3-4 現代の美における問題点 こういった美容熱が盛り上がる中で、現代の行き過ぎた若返り願望に疑問を呈する流れ が生まれつつある。また、美容熱が広まった背景にある「誰でも美しくなれる」という現 代の倫理に関しても問題があると指摘する人物がいる。ここからはそういった現代の美の 14 在り方に潜む問題点に焦点を当てていきたい。 酒井順子は『容姿の時代』の中で「大人というのは下手をすると、容姿だけで全人格を 判断されかねない立場(酒井、2004、P.11)」だと述べている。若いころの容姿というのはそ の人が持って生まれたものに左右される部分が多く、容姿をごまかすための技術も経済力 もあまり持っていないため容姿の高低差が大きいが、「遺伝だから」と開き直ることもでき た。しかし大人の容姿というのは、後天的な理由と精神的な要因によって決定される部分 が大きく、その人の人格や知性、能力や生きざまがそのまま反映されるものとして見られ てしまう。そのため、センスや自信を身につけず、ブスをブスのままにしておく大人は「惰 性」「無能力」とされてしまう恐ろしさがあるというのだ(酒井、2004、P.10-11)。 こういった見た目社会の恐ろしさについてより深く考察しているのが山本桂子だ。山本 は次のように指摘している。「美容が道徳と結びついたことで、新たな問題も生まれていま す。それは、道徳である以上、きれいになる努力をやめるわけにはいかない、ということ です。美容が趣味のものであれば、選択は自由です。美しくなりたい人はやればいいし、 興味がなければやらなくてもよい。けれど、道徳となると、極端なことを言えば「美しく なる努力を怠る者は人にあらず」ということになります。そもそも昔は、女性はヨメとし て選ばれることが人生の一大事でした。だから、美容に熱心なのはヨメ入り前の娘であっ て、子どもや孫ができる年になると、きれいでいることから女性は引退するものだった。 ところが美容が一生ものの道徳となると、かあちゃんになってもばあちゃんになっても、 きれいでないといけないのです(山本、2011、P.149)。」そして、美容と道徳が結びついたこ とで、次のような問題も生まれているという。 「容姿に問題を抱える人びとは、さらに悩み を深くしているのです。なぜなら、 「努力によって美しくなれる」は、裏を返せば「美しく ない人は努力のできない怠け者」ということになり、「内面の美しさが顔に現れる」は、裏 を返せば「顔が美しくない人は心が美しくない人」ということになるからです。(中略)見た 目社会の本当の怖さは、見た目そのものが評価されることではなく、見た目によってその 人の人間性までが評価されてしまうことなのです(山本、2011、P.154-155)。」そして山本は こうつぶやいている。「「若く見えるかどうか」を張り合うのは、生きる張り合いとなるの でしょうか、それともストレスになるのでしょうか――(山本、2011、P.150)。」大半の女性 にとっては、楽しさもありつつ煩わしさもある、といったところだろう。ただ、きれいを 目指すことが人として当然とされてしまうことは、煩わしさしか感じないような人にとっ てはとても息苦しいことだろう。 前述の酒井は次のようにも述べている。「どうやら世の中には、心も身体も若々しくあり たい、と願わなくてはいけない空気が、確実にあるらしいのです。自分もその渦に巻き込 まれなくてはならないのかと思うと面倒臭くてしょうがありません。なんでそんなに若く 見せる必要があるのか、とも思う。 が、老けはじめた友人を見てショックを受けるとい うことは、自分も本当は老けたくはないのです。いざ「老け」の渦中に入ったら、私も若 く見せるために必死の努力をするのだと思う(酒井、2004、P.154)。」おそらくこの言葉が世 15 の多くの女性たちの気持ちを代弁してくれているのではないだろうか。世の中の道徳であ る以上、年をとっても若くきれいでいる努力をし続けなければならない。それは非常に面 倒なことだが、かといって自分自身、若さを失い老いてしまうことには抵抗があるのだ。 しかし、人間である以上、いつかは老いを受け入れなければならないときが必ずくる。老 いを受け入れざるを得ないときがきた、もしくは老いを受け入れる覚悟をした人たちにと って、老いることに後ろめたさを感じてしまうような今の風潮は、あまりいいものとは思 えない。こうした今の風潮に対する疑問の声も、ちらほらと聞こえるようになってきた。 次に載せる記事は、前の節で載せた六十代以上の女性の美容に関する記事の続きである。 高齢者の美容熱に対して、「私はこう見る」というテーマに沿って意見が書かれている。 「 ―自分らしく装い尊厳―評論家の樋口恵子氏 きれいなおばあさんが増えてきた最大 の理由は人生の長寿化だ。昔は 40 代が中年だったが、いまは 60 代でもまだ中年。ライフ ステージの中で、命の盛りである中年の期間が何倍にも拡大した結果、装い方も変わって きた。服装や髪形、化粧などで自分らしく装うことは、死ぬまでその人の尊厳を支えるこ とにもつながる。ただし、やみくもに若さを引き延ばす「アンチエイジング(抗加齢)」は疑 問。老いを受け入れ、老いに寄り添いながら、自分らしく装う「アロングエイジング」の 発想こそ大事だ。 ―「老い許さない」しんどい―精神科医の香山リカ氏 (中略)「いつま でもきれいに」と頑張る人が増えると、どうでもいいと思っている人は「自分は怠けてい る」という後ろめたさを感じるだろう。老け込みたくても、老け込むことを許してもらえ ない風潮は、そういう人にとってはしんどいのではないだろうか。 をして」―「美人論」著者の井上章一氏 ―消えゆく「いい年 (中略)人々の行動に歯止めをかけるのが倫理だが、 それを壊していく歴史が近代化だ。 「いい年をして」という歯止めがなくなれば、誰もがそ の方向に走るのは無理もない(『日本経済新聞』 、2006 年、4 月 28 日、P.15)。」 アロングエイジングとは「年齢とともに老いていく」という考え方で、脳と身体が同じ ように歳をとることを理想としている。医療法人青心会せいしん心療内科の石島正嗣院長 は「今は元気なお年寄り、若々しい高齢者に注目が集まりすぎています。歳をとれば動く のが億劫になって当然。縁側で猫を抱きながら、庭で遊ぶ孫の姿を見ている。これが高齢 者の自然な姿です」と話す(「笑顔とこころでつながる認知症医療」、2011 年 7 月 25 日)。 このような、無理なアンチエイジングに対する反発は、前節で若返り願望が強いと書い た 40 代にもみられるようだ。日経 MJ が前身である「日経流通新聞」の創刊から 40 周年 を迎えたのを機に 40 歳の消費者を対象に調査した結果、 「若さ」へのこだわりをくすぐろ うとするのは間違いだということが明らかになった。40 歳女性で「年相応のものを買いた い」のは 73.8%で 50 歳を 7.1 ポイント上回る。6 月発売号で 40 万部を発行する宝島社の 40 代向け女性誌「GLOW(グロー)」は、既存 3 誌合計で 35 万部程度だった市場で異例の成 長ぶりだが、支持を集めた理由は「今の自分を生かして、きれいになりたい」(大平洋子編 集長)という本音を反映した編集にある。「無理やりアンチエイジングするのはみっともな い」といったコメントが載る誌面では、自然体で等身大の生き方を良しとするアラフォー 16 の特性が鮮明になる。大平編集長は「世代やライフステージに対する固定観念が強すぎる 売り手や作り手が多い」と話す(『日経 MJ(流通新聞)』、2011 年 5 月 27 日、P.1)。こうし た「自然に年をとることを受け入れよう」ということをうたっている雑誌は他にもある。 例えば、主に 40 歳前後の主婦をターゲットにしている生活情報誌『クロワッサン』では、 2011 年 1 月 10 日号に「年齢は、女の味方。」という特集を組んでいる。こういった「無理 なアンチエイジングはよくない」「老いを受け入れよう」というような、自然に年を重ねる ことを大切にしていこうという主張が増えてきた背景には、やはり現代の行き過ぎた美容 熱があるのだろう。 東京工業大学の本川達雄教授は、アンチエイジングに違和感を覚えていると話す。まじ めな抗加齢の研究は支持するが、いま言われているアンチエイジングの大半は若返り幻想 をいだかせるものだという。そして、諸行無常という言葉のように、あらゆるものに永遠 はないのだから、無理をしないで流れに任せなさい、という自らの考えを示している(『日 本経済新聞』 、2006 年 8 月 7 日、P.5)。また、宗教評論家のひろさちや氏も、若さに絶対的 価値を置き、いつまでも若くいようとするのは幻想でしかないと述べている。いたずらに 老いと闘い、血眼で努力するのは失念である。若さは未熟、粗雑、未完成な状態で、それ を過ごして熟していくことに価値があるのだから、老いる過程を楽しめば別の世界が広が るのではないかと話す(『日本経済新聞』、2008 年 5 月 28 日、P.24)。 確かに、アンチエイジングは若返りの“幻想”なのかもしれない。時が戻ることはない のだから、見た目がいくら若返ったとしても、実年齢は老けていく。自分の本当の年齢と、 若返りの努力をしたことで得た外見の実感年齢とに大きな差があることで、新たな問題も 生まれてきているようだ。 香山リカ氏は、いくつになっても若い心を失わない『年甲斐のない大人』は消費や文化 の世界では望ましい存在だが、それが人格まで『年甲斐なく』未成熟な大人を生んでしま った可能性があると指摘する。 (『日本経済新聞』、2008 年 3 月 13 日、P.15)。「日経ウー マン」誌が平均年齢 33 歳の働く女性 648 人を対象に行ったアンケート調査によると、約 8 割の人が、自分の「外見年齢」は、実年齢よりも若々しく、4 歳程若く見えると思っている。 「精神年齢」が若い人も 7 割いて、実年齢より 6 歳程若いという。精神年齢が若いと感じ る理由については、年相応に心が成熟していると思えないというネガティブな意見が大多 数だ(『日経 MJ(流通新聞』、2003 年 10 月 7 日、P.2)。つまり、見た目を若く保つ努力をし、 実際に見た目が実年齢よりも若いと実感する人が増えた一方で、心が年相応な成熟を遂げ ていないと悩む人もまた増えたのである。 酒井は、日本の中高年の女性が美しくなってきたのは“女性は若ければ若いほど美しい” という認識が深く浸透したことが要因であり、決してフランスのように“大人の女性の美” が認識されてきたからではないと述べているが(酒井、2004、P.236)、今の日本に必要なの はまさにこの“大人の女性の美”という考え方であろう。時間軸に逆らって無理やり若返 るのではなく、成熟した大人として年を重ねる美しさ。そういったものに価値を置くこと 17 ができるようになってはじめて日本の美容産業は成熟しているといえるようになるのでは ないだろうか。 第四章 まとめ もう一度、第二章から第三章までの流れを振り返ろう。江戸時代には結婚と言えば容姿 よりも家柄が重視されていた。それが明治時代に通婚の自由が認められるようになると、 面喰いが解放され、容姿の優れた者が結婚相手として選ばれるようになった。すると、玉 の輿に乗る美人と、結婚できず卒業面と冷笑される不美人、という構図が次第に浮き彫り になってくる。そこで倫理の言葉は、美人に嫉妬する女性たちをなだめ、軽蔑される不美 人を励ますために、美人罪悪論や醜婦奨励論を説くようになった。また、戦後には民主主 義の理念が普及したことで、平準化の動きが倫理の言葉にも影響を及ぼし、美人罪悪論は 美人肯定論にとってかわられた。そして非難から賛美へと扱われ方が変わる中で、美人と いう言葉の定義は曖昧になって拡散し、全ての女性が美人だとされるようになった。この 不自然な平等的美人観が生まれた裏には、美を商売にする産業の利害を考えての配慮があ ったという。その後も美人の定義は拡散を続け、後天的な努力を条件にした美人像が次々 に出現していった。そして現代には「誰でも美しくなれる」という倫理が浸透している。 また、美容産業の技術が向上したことも相まって、ここ十数年で街には実際にきれいな人 が増えた。そしてこの流れは、バブル期を経験したのちに少子高齢化社会を生きることに なった中高年世代の置かれた状況に適合し、アンチエイジングが広く取り立たされるよう になってきた。しかし美が道徳と結びついたことで、女性たちは美しくなるための努力を 強いられている。また、白熱するアンチエイジングブームの波は中高年だけでなく、若年 層や高齢者をも飲み込み、いくつになっても若く美しくいることを意識しなければならな くなった。一方、最近では、いきすぎたアンチエイジングを批判する声や、自然に年を重 ねる生き方を推奨する流れができてきた。以上が様々な文献を読み解くことで見えてきた、 人々の美に対する意識の変遷とその背景である。 そしてこれらのことから、今を生きる日本の女性たちは、現代における美の定義とアン チエイジングという若返りの幻想により、若さや美しさを追求することを一生やめること ができないという状況に追い込まれているということがわかった。「不老不死」という言葉 がある。文字通り、いつまでも年をとらずに死なないことをいい、いつまでも若く永遠に 生きることは人間の根源的な願望だともいわれている。だが、今のところどんな美容技術 や医療技術をもってしても、人が永遠に若く生き続けることは実現不可能である。今日の アンチエイジングブームの大半は「無理やり若返る」ためのものであるが、これもいつか 加齢に抵抗できなくなるときがきて、終わりがくるのだ。そうなったとき、若さだけに執 着していた人は絶望の淵に立たされるだろう。若いことに価値を置くあまり、若く美しく なければ自分に自信が持てなくなってしまうのだ。少し極端なことを言ってしまったが、 18 このような事態を避けるためにも、私たちは「精神的に成熟し美しく年齢を重ねる」とい う“大人の女性の美”に価値を置き直すべきだと思う。そして「アンチエイジング」とい う言葉は、「心身ともに健康に年をとるための対策」くらいに据えていた方がいいのではな いだろうか。美が道徳と結びついてしまったことは、今更どうこうできることではない。 みんながきれいになれる時代になって良かったと思うしかない。ただ、容姿やセンスに頓 着しない人、自然に年老いることを選んだ人、容姿に深い悩みを抱えている人…など、美 の道徳の道を外れて生きることになった人たちが生き辛い世の中のままでは、いけないと 思う。こういった問題に焦点を当てて考えていくことが、美の在り方についてめぐる議論 の、今後の課題ではないだろうか。 《参考文献》 井上章一(1995)『美人論』朝日新聞社。 酒井順子(2004)『容姿の時代』幻冬舎。 酒井順子(2007)『私は美人』朝日新聞社。 陶智子(2002)『不美人論』平凡社。 山本桂子(2011)『ブスがなくなる日』主婦の友社。 『日経 MJ(流通新聞)』、2003 年 10 月 7 日、2 頁、2011 年 5 月 27 日、1 頁、2012 年 3 月 28 日、2 頁、2012 年 4 月 4 日、2 頁。 『日経産業新聞』、2012 年 11 月 8 日、13 頁。 『日本経済新聞』、2004 年 8 月 26 日、21 頁、2006 年、4 月 28 日、15 頁、2006 年 8 月 7 日、5 頁、2008 年 3 月 13 日、15 頁、2008 年 5 月 28 日、24 頁、2011 年 9 月 14 日、9 頁、 2012 年、8 月 21 日、27 頁。 『読売新聞』 、2012 年 5 月 18 日。 (http://www.yomiuri.co.jp/komachi/news/20120518-OYT8T00200.htm) 「笑顔とこころでつながる認知症医療」、2011 年 7 月 25 日。 (http://www.rivastach.jp/visit/03/id_034.html) 19
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