(4) 月15日発行 JPA時報 第23号 平成16年(2004年)10 平成16年度アマチュア登録者(9月27日現在追加分) 武藤一之氏 武藤氏の広範囲なご活躍を祈念します。 地 方 か ら 大分大学体育会パワーリフティング部(九州学連) こんにちは,大分大学体育会パワーリフティング部です。自分たちは,現在,男子部員15名,マ ネージャー4名の計19名で活動をしています。部内の雰囲気はとてもよく,互いに励まし合いなが ら記録向上に努めています。全国のパワーリフティングの競技人口に比べますと九州のそれは少数で すが,パワーリフティングというスポーツが,もっと九州の学生の間に浸透していけば良いと思い, 活動しています。九州の学生がパワーリフティングを始める何かのきっかけになれるよう,これから も精力的な活動をやっていきたいと思います。 (第25代主将 酒井遼太郎) 人-ヒト-ひと バーベルと共に43年 兵庫県川西市バーベル協会会長 八島恒雄 私がウエイトトレーニングを始めたのが20歳の時で,思えば早いもので私も63歳になりました。 バーベルと共に43年間を振り返ると,若かった頃夢中でトレーニングをしていたのが懐かしく思い 出されます。 私は,子供の頃は身体が虚弱体質で,3歳の時に腸炎と脱腸になり,11歳の頃に肺結核に罹り, 三つも大きな病気を患いました。戦後間もない頃でもあり,親には精神的にも金銭面においても大変 に苦労をかけました。そこで,何とか人並みに健康な身体になりたいためにいろんな運動やスポーツ をやってはみたのですが,いずれも続かず,改めて体力のなさに気付き,基礎体力を付けることが必 要だと思ったのです。これが,私のトレーニングを始めた動機です。 この頃にテレビでプロレスの中継で力道山が外国人レスラーを相手に活躍しているのを見て,凄く いい身体に憧れたものでした。どうすればあのような身体になれるのかと思いました。ボディビルで 鍛えてあのような身体になったことが分かったのですが,どのようなことをやればよいのか分からず, 当時は近くにジムも教えてもらう人もおりませんでした。私の友人に,手製のバーベルと木製のベン チ程度の今とは比べものにならないお粗末な器具で行っていたにもかかわらず,良い身体に変貌した 人がいました。これなら金もかからず一人でできると思い,会社の退社後に,無理を言って3ヶ月ほ ど通わせてもらいました。因みに,当時の身長160㎝体重45㎏と非常に貧弱な体でした。現在, 体重60㎏で体脂肪率15%と,すこぶる元気で健康であり,健康保険も43年間に3回しか使って いません。 当時は情報も少なく本屋で窪田登先生のボディビル入門の本を見つけ,また,通信販売で70㎏の バーベルとベンチを購入し,家でもトレーニングを始めることにしました。休日になれば大阪に出か けてはトレーニングの見学にジムに通ったものでした。当時は,器具といえばバーベル・ダンベル・ フラットベンチ・ラック付きベンチ・インクラインベンチ・スクワット用ラック・ラットマシーンと この程度の器具でトレーニングを行っていました。当時は情報も器具も少なく練習者が創意工夫をし てお互いに効果を情報交換したものです。現代のような情報化時代ではない時代に試行錯誤しながら 良いことも悪いことも身体で覚えたものです。今に思えば随分と遠回りをしたものです。この体験と 経験が後に指導者の立場になって生きてきているような気がします。 今は,川西市バーベル協会の会長と兵庫県協会の理事,他に社会福祉関係の役員もやらせていただ いております。当協会が主催するオープンベンチプレス大会は,今年で15年目を迎え,この大会を 足がかりに2名のノーギアベンチプレス日本チャンピオンが誕生しています。ただ,せっかく有望な 選手も仕事の都合等で止めてしまう場合があり,残念でなりません。指導者としては,パワーリフテ ィングの良さを知ってもらうと共に地域社会に貢献し足下から固めていく必要があるのではないで しょうか。地方のトレーニング愛好家や協会関係者の皆さん頑張ろうではありませんか。 編集後記 マスターズ層が元気です。その頂点に立つ因幡選手の記事は,感動と共に多くの方の励ましになっ たことと思います。今号もまた玉稿をお寄せいただきました各位にお礼申し上げます。(T) 平成22年千葉国体パワーリフティング競技の参入に向けて全国の総力を結集しよう!
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