子供の国際大会の法則

認める
褒める
励ます
そして鍛える
vol.132
28-37
秋桜
南房総もようやく秋めいてきました。まだ半袖で風に当たっている猛者もおりますが、
一般的には秋です。
なぜ秋には「○○の秋」という言い方がされるのだろうなんてことをぼんやり考えて
いたりします。
先日の2学年保護者会では、思わずこぼした私事に、心温まる拍手をいただいて本当にありがたかったで
す(父親的寂寥感も癒やされました)。
さて、秋です。
はじめに「読書の秋」です。たしか 10 月の終わりから 11 月のはじめにかけてが「読書週間」だと思いま
す(なぜだか、「子ども読書の日」は4月なのですが…)。」
以前にも「職員室だより」で紹介させていただいたことがありますが、毎年この時期になると、国際児童
図書の大会での美智子皇后の講演を思い出します。
第26回国際児童図書評議会(IBBY)ニューデリー大会(1998年)基調講演
子供の本を通しての平和--子供時代の読書の思い出--
(宮内庁HPから抜粋)
…(前略)…生まれて以来,人は自分と周囲との間に,一つ一つ橋をかけ,人とも,物ともつながりを深
め,それを自分の世界として生きています。この橋がかからなかったり,かけても橋としての機能を果たさなか
ったり,時として橋をかける意志を失った時,人は孤立し,平和を失います。…(中略)…
そして最後にもう一つ,本への感謝をこめてつけ加えます。読書は,人生の全てが,決して単純でないこ
とを教えてくれました。私たちは,複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係にお
いても。国と国との関係においても。
海の向こうでは指導者の座を巡って大変苛烈な選挙戦が展開されています。他国のこととはいえ、あまり
に非和解的な争いに民主主義の将来を憂いてしまいます。
この秋に読んだ書物に、こんな一説がありました。
よく考えてみれば、この宇宙もわれわれ生命も、すべて矛盾のなかで生きている。
ものは変化する。矛盾が統合し、またあたらしい矛盾をもって統合へ動いてゆく。
統合への動きは、つねに芽のように微かである。…(中略)…
(排外的な)拡声器は矛盾を一挙に解決せよ、といっているのかもしれないが、
せっかちはすべてをうしなう。
(『台湾紀行』街道をゆく 40
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司馬遼太郎)
「勉強の秋」「学問の秋」です。…11月は県が定めた「学力向上月間」です。
といっても、11月の一月に集中的に勉強して学力UPを達成しましょうというのではないと思います。
それは「販売促進月間」のように一時的に特別な力を投入してその期間内での成果をあげようというもの
ではなく、「交通安全週間」や「人権週間」のように、普段無意識にしてしまっていることや形骸化してし
まっていることを見直し、「それでいいのか」を考え直そうという意味での期間だと受け止めています。
であるならば、この期間に多くの学校が「授業錬磨の公開日」を設定していることが理解できます。
本校では、加えて今年、道徳の公開(11月16日)と英語の公開(10月24日)があります。
中心となる先生方への御協力をお願いします。(ちなみに本校の道徳教育推進教師は坂口Tで、指定を受けてい
る心の教育推進キャンペーン委員は石﨑Tです。英語は梅田Tと仲田Tが ALT のパトリックと焦点授業をします。)
現場の先生方は在野の科学者
・・・教育政策や実践では、そもそも実験的方法が不可能なことが多い。倫理的問題も生起させてしまう
からである。青少年を自殺に追い込む要因を解明するために、実験群と統制群をつくって、実験群にの
み原因と想定される状況を作り出すといった方法は、教育科学にとどまらず社会科学全般で実行しがた
い。(子ども達の間に差別や排除が生まれていく要因を解き明かすためにある実験を行った様子を追い
かけた『青い目茶色い目』というドキュメンタリーがありましたが、私は正直違和感を感じています。)
そこで、実際に実験を行う方法に代えて、事後的に自殺した人々とそうでない人々を比較する方法が
とられる【遡及的実験】。・・・
(しかしその場合であっても)朝食をとる習慣が学力とどう関わるかという問題を解明するために、
朝食の習慣のある子どもとそうでない子どもの学力を比較するだけでは不十分である。朝食をとるとい
う要因以外の諸要因が等しいという条件が満たされなければ、朝食と学力の因果関係は明らかにはなら
ない。実際にも、朝食をとる子どものほうが家庭的に恵まれており、同時に家庭的に恵まれた子どもの
ほうが学力が高いことがすでに解明されているので、朝食をとることによって学力が向上するという命
題は、成立しない可能性がすこぶる高い。
因果関係の解明という観点から眺めてみると、日本の現下の教育科学は、政策や指導に貢献できるだ
けの成果をあげているとはいえない状況にある。むしろ誤った因果関係を提示することによって、現場
に無用な努力を強いている可能性の方が強いように見える。・・・
ただ訴えておきたいのは、現場の先生方もまた在野の科学者であるという事実である。教員は、ある
指導方法なりカリキュラムを日常的に実践している。実践において教員は、科学的方法に従って実践を
管理することも、分析することも、結果を解釈することもないだろうけれど、実践の結果を「経験」と
いう形で習得・蓄積して、次の実践に活用している。教員は、日常的教育実践という実験を繰り返し、
因果法則を発見し続けているのである。
(
「朝食をとる子は本当に学力が高いのか」お茶の水女子大学
耳塚寛明教授
)内は石井
『月刊高校教育』11 月号から
普段の自分の中にある当たり前を意識して見直してみる。
美智子皇后の演説にはこうもあります。
「…この橋は外に向かうだけでなく,内にも向かい,自分と自分自身との間にも絶えずかけ続けられ,本当の自
分を発見し,自己の確立をうながしていくように思います。…」
(追)それにしてもボブ・ディランへのノーベル文学賞はやられましたね。文学界(「文壇」とかいう世界?)
の一部から(文学を馬鹿にしているとの)批判の声があるそうですが、はて…???
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