NVC Monthly 寝屋川映像同好会会報 第 1 6 号 ( 20100910) 同好会ニュース ■ 発行 竹 田 幸 男 9月例会の開催 9月例会は9月10日に開 催、暑い暑い夏の最中の8月 でも欠席者は1人しかなかっ たが、今回は3人。これは夏ばてではなく、各人の事情によるものでした。 (例会の窓参照) ■ 例会の窓 平成22年9月例会 ・日時:平成22年9月10日(金) 13:30∼16:30 ・場所:寝屋川市民活動センター 4階 こども室 ・ 出 席 : 天 野 新 井 石 田 梶 本 竹 下 竹 嶋 竹 田 谷 ( 8名 ) ・欠席:小笠原 田口 田渕 (3名)/(50音順・敬称略) 例会次第 1.各会員の最近の活動状況・情報交換 ・天野さんが元気に参加されました。 2.報告・連絡・協議事項 -1 - ①平野郷撮影会の件 ・ テ ー マ 、 狙 い 、 撮 影 会 実 施 日 (曜 日 )な ど に つ い て 意 見 交 換 す る 。 街全体、一つの博物館を掘り下げ、賑わいの日、ゆっくりインタビューが出 来る日、等々 ・松村会長から「刀の博物館」の砥ぎ場を案内してあげる、と言われているの でそれに合わせる。 ・第4日曜日の博物館開館時がいいか、但し先方が忙しいか。 以上を含め次回、小笠原さんを囲んで検討することになった。 ②NVC MonthIyの記事筆者 ・梶本さんが寄稿完了し8月号に掲載。 個人として反響が気になるとのこと。 ・次回は名簿順で竹下さんの予定。 ③映像作品の著作権について ・NVC Monthly 8月号の記事について竹田会長から補足説明を受 け、質疑を行なった。 著作権のある映像や音楽、写真や画像などを映像作品に使用することはあく まで個人として楽しむ範囲ならOK。公に出す場合は、例えば画面に出所を入 れていたとしても不可、等 ④寝屋川市民文化祭出品の件 ・竹下さん・新井さん・谷さんの計3作品が準備完了。 9月17日の締切までに竹下さんが代表手続きを行なう。 ・映写会は11月3日の予定(日時詳細は次月紹介) ⑤その他 ・NVCを見られて差し入れをして頂いた由井さんに返礼と私たちの作品の一 部 を 送 ら せ て 頂 い た 。そ の 後 、由 井 さ ん か ら 竹 田 会 長 に お 礼 の 電 話 を 頂 き 、「 映 像の仲間と共に見せて頂く」とのお話があったとのこと。 ・忘年会の予定 12月度の例会日に開催することになった。 1 2 月 1 0 日( 金 )の 設 定 で 、場 所 、昼 間 ま た は 夜 の 開 催 か 、等 は 次 回 検 討 。 (高槻の温泉に出掛ける案もあった)田渕氏に準備を依頼する。 ・次回映像作品発表会の時期 今年3月に開催したので1年半後の2011年秋の開催を考える。 3.作品映写 ①寝屋川市民文化祭への出品作品の映写 -2 - ・「 は す 酒 を 楽 し む 」 (新 井 さ ん ) ・「 オ ー ス ト リ ア ア ッ ヘ ン 湖 」 (谷 さ ん ) の2作品の映写・確認を行なった。 ②今回は会員からの新作紹介は、ありませんでした。 4.会員の当面する問題点の質疑応答 ①天野さんから ・パソコンのMIC入力端子からの音声がうまく取り込めない事象について質 疑。 ・パソコンの画面の一部分を自由に切り取ってメールで送ったりプリントアウ トしたり出来るソフトの紹介。 ②谷さんから ・パソコンで印刷時の「用紙設定」が毎回「DVD」になっていて不便、とい う質疑。 4.次回例会 ・10月8日(金)13:30∼ 於:市民活動センター4階こども室 ・ビデオカメラ当番:田渕さん。 私−とビデオそして旅 随 想 竹 下 功 私がビデオカメラを買ったのは定年退職の一ヶ月前ぐ ら い 、 つ ま り 19 88年 の 暮 れ ぐ ら い 、 社 員 割 引 の 会 社 製 品購入の最後だったと思います。 1988年 の 春 に 会 社 の 仲 間 4 人 ほ ど で 台 北 研 の 小 沢 所 長 を 励 ま し に 行 く な ど と勝手な口実を作って旅行したことがありました。この時一行の一人がビデオ カメラを持っていました。 当時はビデオカメラを持って台湾に入国するのは面倒で別室で書類を作り、 出国の際にそのカメラを持っていないと出国できないと言う面倒くささでし た。 しかしこの時、やはりこれからはビデオカメラの時代になるなあーと思いま した。 ビデオカメラはいつ頃から市場に出てきたかを調べてみると、カメラとビデ オ デ ッ キ が 別 々 の 物 は 別 に し て 一 体 型 は 1980年 に ビ ク タ ー と 日 立 が 、 1981 年 に 松 下 が 試 作 品 を 発 表 し て い ま す が 市 場 に 出 た の は 1985年 の 松 下 の NV- M 1、 ソ ニ ー の CCD-M8な ど で 、 松 下 は 当 時 ニ ュ ー コ ス ビ コ ン と い う 撮 像 管 を 使 -3 - っていました。 私はどちらかというと新しい商品が出てもなかなか買わない方で、テレビを 買ったのも昭和30年ぐらい、カラーに買い換えたのもかなり後でしたが、ビ デオカメラは出て3年目ぐらいなら早かったほうです。 私は比較的長い旅行をするときは従来はポジフィルムを入れたカメラを持っ て行っていましたが、これは山登りは無理な母親にアルプスのお花畑を見せて あげようとか、海外旅行など当時まだ行きにくかった所を家族に見せてやろう と言った思いで撮影していました。 ビデオカメラはそう言った目的にはまた新たな手段が増えるので楽しみでし た。 し か し 私 の 買 っ た NV-M30は 撮 影 素 子 は CCDに な っ て い ま し た が 重 さ は 1.2kgも あ り ま し た 。 こ れ に カ メ ラ を 持 つ と 当 時 の EOS650は こ れ も 1.2kg位 あり、カメラを首に、ビデオを肩に担ぐと本当に首が回らない状態でした。 こ れ に 電 池 数 個 、 充 電 器 、 テ ー プ 、 当 時 の テ ー プ は VHS− Cで 録 画 時 間 2 0 分なので10本も持つと可成りのかさでした。 退職後最初の旅行はアメリカ行きで、ロスに友人がいましたので、3週間近 く 滞 在 し 、イ エ ロ ー ス ト ン 国 立 公 園 、ヨ セ ミ テ 国 立 公 園 等 へ 行 き 撮 影 し ま し た 。 この時撮ったイエローストン国立公園の映像は先日の同公園のマンモスホッ トスプリングスの巻で昔話としてお見せしました。 あれが私の初めて撮ったビデオです。 余談ですがこの旅行でもう一つ大きな初めては右側通行の国、左ハンドルの 車をドライブしたことでした。 この頃の私の撮影方針は、限られた長さのテープの中になるべく無駄なく撮 影することで、後日編集すると言っても見苦しい画像を捨てる程度で、捨てる 画像をミニマムにすることでした。 これは見せる対象が長いのを苦にする連中はいないので、限られた資材で成 る可く沢山見せるようにと心がけていたからです。 こ の 様 な 調 子 で 翌 1990年 に は 英 国 16日 間 、 1991年 は 北 海 道 15日 間 と 自 分でプランを立てて車を主として移動手段とする旅行をし、ほぼ同じ程度にテ ー プ を 消 費 し 、 つ な ぎ あ わ せ て 2 時 間 以 内 程 度 の VHSビ デ オ を 作 っ て い ま し た。 1992年 は カ ナ ダ に 行 く 予 定 が 流 れ て 、 1993年 の 秋 に な っ て ポ ル ト ガ ル へ 行 き ま し た 。こ れ が 初 め て の 旅 行 会 社 の パ ッ ク ツ ア ー で 10日 間 の 旅 行 で し た 。 パックツアーは気楽ではありますが、何かとせわしなく、この時はビデオカ メラのスイッチの切り忘れのようなミスが多かったように思います。やはりビ デオ撮影には時間的拘束の少ない、と言っても夕方には目的地に着いていない -4 - といけないのですが、自由な旅行が良いと思いました。 重たいビデオカメラに辟易していた私は、松下がどうしても8ミリビデオを 出 す 気 は な さ そ う だ と 読 み 、 1 99 3年 の 4 月 、 つ い に ソ ニ ー の CCD -T R 3を 買 いました。 当時は近くに今のような大型の家電量販店がなく、価格競争も激しくなかっ た の で 、 ジ ャ ス コ の 売 り 出 し で 138, 000円 は 安 い と 思 っ て 買 っ た こ と を 憶 え ています。通販ではもう1万円ぐらい安いところもありましたが故障したとき のことを考えて行きやすい店で買いました。今ではスーパーの家電製品売り場 でこういう物を買うなどとは考えられません。 お 陰 で 電 池 込 み 重 量 875gと 半 減 と は い え ま せ ん が 可 成 り 軽 く 、 嵩 も 低 く そ れ に テ ー プ も Cカ セ ッ ト に 比 べ て 半 分 ぐ ら い の 容 積 で 3倍 の 録 画 時 間 で す の で 、 長 い 旅 行 で も 3本 持 っ て 行 け ば 十 分 で し た 。 1994年 は こ の カ メ ラ を 持 っ て 南 ド イ ツ か ら ス イ ス へ の 旅 行 を し ま し た 。 これも余談ですが、ミュンヘンで借りたレンタカーは契約ではオペルでした が、オペルが無くてベンツでした。スイスからイタリーの方へ下る山道でホイ ールキャップを落としましたが余分なお金は取られませんでした。 1995年 は 高 崎 で レ ン タ カ ー を 借 り 、 ま ず 尾 瀬 へ 行 き 裏 か ら 日 光 に 入 り 、 東 北道で猪苗代湖、裏磐梯等を見て那須高原に戻り会社の保養所に泊まり、宇都 宮 で 車 を 返 し 帰 阪 し ま し た が 、 こ の 時 CCD-TR3が 会 津 若 松 辺 り で 故 障 し ま し た。 この会社の製品は故障が多いと聞いていましたが2年目の故障は予想外でし た。 どんな故障かと言うと電源スイッチをオフにしてもオフにならないという故 障で、電池がどんどん消耗するので異常に気づきました。対策としては移動中 はこまめに電池を抜いておくことで、こうしておけば電池が消耗することはあ りません。電池さえあれば撮影機能には影響ないので、撮りたくても撮れない という情けないことには成らずにすみました。 修理はジャスコの売り場まで持って行けば後はちゃんとしてくれたので近く で買って良かったと言うことになりました。 1 996 年 は 熟 年 ツ ア ー と い う J T B の 企 画 で ト ル コ 12 日 の 旅 で し た 。 私 よ り , 年配の方も何人か居られました。 こ の 旅 行 で 私 は ス チ ー ル カ メ ラ の 方 も E OS Kis sに 変 え る こ と で 軽 量 化 を 図 り ま し た 。 結 果 E OS 650の 1. 2k g 35− 70ズ ー ム 附 き が E OS Kis sの 860g 2 8− 80ズ ー ム 附 き と な り 340g軽 く な り ま し た 。 こ れ で 肩 や 首 が こ る の が 大 分ましになりました。 こ の 後 1997年 は 安 ツ ア ー で ロ シ ア 、 チ エ コ 、 ス ロ バ キ ア 、 ハ ン ガ リ ー 旅 行 -5 - をしました。エルミタージュ美術館の中の撮影はビデオカメラはスチールカメ ラより大分高い金を取られましたが、ストロボ禁止なのでカメラは可成り好感 度のフィルムを用意していない限りまともには撮れなかったと思います。 1998年 は や は り ツ ア ー で シ リ ア 、 ヨ ル ダ ン へ 元 気 な 小 山 さ ん と 一 緒 に 出 か けました。 この旅はかの有名なパルミラ遺跡とペトラ遺跡を見る旅でしたが、そしてビ デオもカラースライドもしっかり撮りましたが、ペトラでビデオカメラのグリ ップベルトが切れました。 このベルトの効用は切れてみて分かりましたが非常に撮影し難くなり、やる 気を無くしました。 このカメラは大きさ重量は勿論のこと画質などは前に使っていたものと比べ 格段に良くなっているのですが、こういう簡単な部材に延べ日数にして2ヶ月 ぐらいで切れるようなものが使われていることには感心できません。 さていよいよディジタルの時代に入ります。 家 庭 用 の デ ィ ジ タ ル ビ デ オ の フ ォ ー マ ッ ト は 1993年 、 ソ ニ ー 松 下 な ど 国 内 8 社 と フ ィ リ ッ プ ス 、 ト ム ソ ン が 加 わ っ た 1 0社 で 協 議 会 が 作 ら れ 1994年 に ベ ー ス フ ォ ー マ ッ ト が 誕 生 し 1995年 か ら 家 庭 用 の デ ィ ジ タ ル ビ デ オ カ メ ラ が 世に現れるようになりました。 私 は 例 に よ っ て 新 し い も の に い き な り 飛 び つ か な い 質 の も の で す か ら 、 199 9年 に や っ と NV-DJ100を 買 い ま し た 。 こ の カ メ ラ の 重 量 は 800gで 前 の カ メ ラ よ り 75g軽 く な り ま し た 。 これを持ってこの年の秋イランへ行きました。そして此処で悲劇が起こりま した。買いたてのビデオカメラがいきなり故障したのです。 最初の1本はテヘラン、ケルマン、と回り三日目のヤズドの終わり頃に2本 目に入れ替えましたが、その夜この2本目を再生してみると幾つものブロック が入り交じった全く使い物にならない画像でした。 再生回路が悪いのではないかと思い、先に撮った1本目を初めから再生して み ま す と 、 始 め の 1 0分 弱 は 全 く 正 常 で 、 さ す が デ ィ ジ タ ル と 思 わ せ る も の で したが、その後は2本目と同様使い物にならない画像でした。 この事から再生回路の問題ではなくそもそもテープにちゃんと書き込まれて いないらしいと判断しました。 がっかりでした。一番の目当てのペルセポリスは翌日です。今更どうしよう もありません。でも未練がありますので、ダメモトで翌日もカメラは回しまし たが後で見てみるとやはり駄目でした。 それでその後はビデオカメラは荷物の下の方に入れて、もっぱらカラースラ イドに集中しました。 -6 - このビデオカメラは値段の都合で通販で買いましたので返品交換についても めるかと心配しましたが、文句なしに新品交換してくれました。 このカメラは今も使っていますが問題は全くありません。しかしこの交換し たカメラでイランで撮ったテープを再生してみましたがやはりだめでした。 ところがこの話には続きがあります。 実は今回のこの原稿を書くためにどの辺から映像がおかしくなったかを確か めるべく、久しぶりにまず1本目のテープを見てみましたところ、写しそこね はいっぱいありますが、画面は殆ど正常でした。2本目は、始めの数秒間は使 い物にならない画像ですが、その後は正常で、なんとペルセポリスが写ってい るではありませんか。 感 激 で す 。こ れ な ら ば パ ソ コ ン に 取 り 込 ん で 何 と か で き そ う だ と 思 い ま し た 。 と こ ろ が で す 。翌 日 同 じ 事 を し て み る と 1 本 目 は 昨 日 同 様 ほ ぼ 正 常 で し た が 、 肝心の2本目のペルセポリスは全く駄目でした。 どういう画像になるかと申しますと、画像はトラック数に対応する10本の 横縞で構成されていますが、奇数番目は正常な画像のようですが、偶数番目は 他のフレームの物のようで、しかしつながった画像のようでもなく静止画的な 物です。 この様なエラーがどのようにして発生するのかは専門の人はすぐ分かるので しようが我々には想像もつきません。 しかし面白いことに何度かやっているとまともになることがあるのです。だ からまだ期待は持てます。最悪でもアナログ画像を取り込んで安定的に見られ るように出来るのではないかと思います。 話変わって撮ったビデオの後始末ですが、アナログ時代の編集はともかく見 るに堪えない部分を切り捨ててつなぐと言う作業と、始めにタイトルを付け足 すぐらいのことでした。 しかしディジタル映像はパソコンを使ってもっと色々な加工が出来ると言う ことを誰に教わったか記憶にありませんが、やってみたいと思うようになって いました。 当時仕事として、私にとっては全く未知の画像圧縮の米国特許調査を少し前 にさせられていまして、それに続いて家庭用ディジタルビデオフォーマット関 係の米国特許調査の注文があって悪戦苦闘していましたが、これは編集し易い 構成が一つの特徴でしたから、それが頭のどこかに在ったのかも知れません。 誰か教えてくださる人はいないかと思っている時に松愛会の寝屋川支部の方 から「ビデオ同好会のご案内」というのを戴きまして申し込みましたが、この 会 は 成 立 し ま せ ん で し た 。 た し か 2000年 の 春 だ っ た と 思 い ま す 。 この年にはまたアメリカへ行きザイオン、ブライス、キャピタルリーフ、ア -7 - ーチーズ、グランドキャニオン等国立公園を回りました。この中のアーチーズ が第1回の発表会で見て頂いた作品の素材です。 2001年 の 3月 に は 松 愛 会 の 寝 屋 川 地 区 の 活 動 を 映 像 と し て 記 録 し 会 員 の 皆 様に見て戴くと言う企画が発足し映像作成協力委員の一人にして頂きました。 こ の 作 業 が 完 了 し て 2 00 2年 の 7 月 か ら 駅 前 の 市 立 産 業 会 館 で 今 の 映 像 同 好 会が発足しました。 この時点で編集ソフトやパソコンについて先輩に相談すれば良かったのです が、既に自力で動きかけていましたので我流でスタートしました。 当時私の使っていたパソコンは数年前に次男が「今やパソコン製作はレゴの 時代だ」と言って簡単に作ってくれたもので、次にパソコンでビデオの編集を したいから、もうちょつと高機能の物を作ってくれと言いますと、今度は「今 やパソコンはオーダーメードの時代だ」と言って、学校で使っている業者の名 前を二、三挙げましたが聞いたこともない名前で首をかしげていると、じゃあ エプソンダイレクトに聞いてみろと言いましたのであたってみると此処にはシ ンフォムービーと言う編集ソフトがあることが分かりました。 そ こ で 本 屋 で 立 ち 読 み し て 調 べ る と こ の ソ フ ト は 参 照 AVIと 言 う フ ァ イ ル 構 造 を 使 っ て い る と 言 う こ と が 分 か り ま し た 。 こ の 方 式 は 通 常 の AVIフ ァ イ ル と 違って大きなファイルが扱えると「新パソコンを使ったビデオ編集入門」とい う本に書いてありましたので良さそうに思えましたので、パソコンもソフトも エプソンダイレクトに任せる決心をしてこの年の暮れに発注しました。 こ の パ ソ コ ン は MT-6000と 言 う も の で ハ ー ド デ ィ ス ク は 20GB と 50GB CPU 1.5GHzで 編 集 ソ フ ト 附 き で 13万 ぐ ら い し ま し た 。 このパソコンとソフトで編集をしてみるとマニュアルがわりあい詳しくでき ていて、細かいテクニックは別として字を入れたり音楽を付けたり簡単なトラ ンジションを使うなどはあまり難しくありませんでした。またサービスセンタ ーに電話をかけるとわりにすぐ繋がりました。 ところが最後に編集した作品をテープに戻すのにつまずきました。 後 か ら 思 え ば 笑 い 話 で す が 、 マ ニ ュ ア ル に は D V機 器 に 録 画 す る に は 機 器 を VTRモ ー ド に す る と 書 い て あ り ま し た 。 この言葉になじみが無く私のカメラのマニュアルでは撮影と再生と言う言葉 が使ってありますので再生モードにしろと書いてあれば間違いが起こらなかっ たのですが、先入観は恐ろしい物で、再生状態で書き込めるとは全く思っても いませんでしたので当然のように撮影モードでパソコンの出力と繋いでいまし たから全くテープに書き込むことが出来ませんでした。 お そ ら く ソ ニ ー の カ メ ラ な ど で は VTRモ ー ド と 書 い て あ る の で し よ う 。 電 話 での話し合いではこの出発点の誤りは全く話題にならず出来ない出来ないでつ -8 - いにはパソコンをカメラ附きで送れと言うことになり、ちゃんと出来ますよと 言って送り返されてきました。 私が再生モードにするのだと気づいたのはその後すぐでした。 さて松下の映像同好会に入って分かったことは世の中カノープスの編集ソフ トが主流であってエプソンのソフトなどを使っている人はいないと言うことで した。 後 に 私 も カ ノ ー プ ス の D VS t or m - R T の は 入 っ た パ ソ コ ン を パ ソ コ ン ご と 人 にもらってカノープス派になりましたが、色々皆さんに教えてもらえるように なり随分助かりました。 ち な み に DVStorm-RTは や は り 参 照 AVIと 言 う フ ァ イ ル 構 造 を 使 っ て い ま した。 この辺りから後のことは同好会で皆さんと一緒にしていることなので、話も 長くなりますから、この辺りで筆を置かせて頂きます。 3Dビデオカメラの出現 竹 田 幸 男 AVCメモ 皆さん、人間には2つの目が付いています。人間に 限らず、牛も、馬も、鶏も・・・毛虫までも2つの目 が付いています。三つ目小僧という話はありますが、これは見たことがありま せん。1つ目の生物も聞いたことがありません。四つ目の犬と言われますが、 後の2つは目ではなく、目のように見える模様です。ではなぜ2つ目なのでし ょうか。 2つの目は物を立体的に見、そして物までの距離を測るために必要です。試 しに片目をつぶって他人が差し出した物をつかもうとするとうまくいきませ ん。2つの目がある間隔をおいて付いていることによって、それぞれの目から 1つの物を見る角度が異なり、これを脳の中で判断して奥行きや立体感を知覚 するのだそうです。動物が獲物を捕るために必要な機能が自然に備わった、と 言うことが出来るでしょう。片目がつぶれた動物は餌を取ることができず、飢 え死にするしかないでしょう。 静止画については、随分以前から3D製品がありました。動画についても以 前から実験的な物はありました。あるとき、同じビデオカメラを2台並べて撮 影している人を見掛けましたが、再生するのはどうするのか、聞き漏らしまし た。こういう機運の中、最近の映画「アバター」などの興業成功で一気にテレ ビ に 引 火 し 、 つ い に Panasonicか ら 家 庭 用 ビ デ オ カ メ ラ 「 H D C − T M 7 5 -9 - 0/650」の2機種が発売されました。 こ の 2 機 種 の カ メ ラ に ,ア ダ プ タ の 「 V W − C L T 1 」 を 装 着 し て 撮 影 す る だけで、対応するテレビで視聴すれば(眼鏡が必要ですが)立体映像が見られ ると言うことです。3D撮影の方式は主な物だけでも10方式あると言われて お り 、 P an asonicの 方 式 は 「 サ イ ド ・ バ イ ・サ イ ド 」 と い わ れ 、 左 右 の 映 像 が 1 コ マ の 映 像 の 中 に 2 枚 入 っ て お り 、 従 っ て 記 録 解 像 度 と し て は フ ル HD( 1,9 20× 1,080ド ッ ト )だ が 、 1 コ マ に 左 右 各 1 枚 の 絵 が 入 っ て い る た め 、 フ ル H Dの 3D撮 影 は で き な い 、 と い う こ と で 3D映 像 自 体 の 解 像 度 は 横 方 向 の 解 像 度 が 半 分 の 960× 1080ド ッ ト に な る と 思 わ れ ま す 。 人間の2つの目の間隔は65∼70mmといわれていて、この間隔が広いほ ど立体感が強くなるでしょう。名バッターは両目の間隔が広い、といわれたこ とがありました。VW−CLT1の2つの光軸の間隔は12.4mmというこ とで、人間の目よりもかなり狭い(虫よりは広い)のですが、この間隔でどの ような技術で立体感が得られるのか、映像を見るのが楽しみです。これからも 色々な新製品が現れると思いますが、3Dが私たちの作品作りにどのように関 わってくるのか、これからの大きな課題として当面静観したいと思います。■ - 10 -
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