石田志芳 私の想い ・利権政治から市民の政治へ ・一人親として、教育の実践者として日本の教育を変える ・原発を無くし、食料自給率アップへ 国民の手で日本国を国民の手に取り戻す時期に来ています。私は自らが先陣を切っ て国を担うのだという思いを強く持って候補しました。 以下に詳しく述べます。 先ず始めに、皆さんは今の日本で安心して暮らし、夢を持ち、働き、学ぶことがで きますでしょうか? 私はNOと答えます。それは、戦後の日本に民主主義は存在しなかったし今も実質 は独裁政権で利権政治の下で国民が霞が関で既得権益という甘い汁を吸うための税金 という報酬を支払うための奴隷化していると考えるからです。 戦後、日本国憲法はまともに整備をされないまま自公一体の独裁政権と化し、その 被害が顕著に国民に反映されています。自殺者は年間3万人を超え、その中でもまだ 未来ある中学生の自殺者は毎年70人を超えるという悲惨な状況にあります。更には 地震大国ということを知っていたはずの政府が利権のために作った原発による被害 が、東日本大震災という陰惨な出来事で顕著に出てしまいました。福島、仙台、宮 城、青森に住む私の友人や従兄弟夫妻とその子どもも被災し、仕事場も、従兄弟夫妻 の妻方のご両親も、何もかも津波で奪われました。そこに追い打ちをかけたのが“放射 能汚染”の被害でした。インフラが止まった高齢者が多く住む地方で冬を迎えた被災者 が一体何人、凍死や自殺で命を奪われていったことでしょう。そこに追い打ちをかけ たのが政権交代当時に話題となった灯油やガソリンの価格を異常に高騰させる材料と なった暫定税率という二重課税と原油の先物取引という悪夢でした。これを無くし、 消費税を上げずに我が身を削り、教育を含む社会保障を充実させ、国民が安心して暮 らせる社会にしますと公約に様々な内容を掲げて政権交代を果たしたのが民主党であ りました。 国民の誰もが期待をして民主党に願いをかけて投票に行かれたことでしょう。 私もその中の一人だったのです。しかし、国民と交わした約束を何一つ果たすことな く民主党は自民党と公明党の言いなりとなり、今では三大政党の独裁という恐るべき 国家に成り果ててしまいました。 テレビを見て「議員なんて嘘つきばかりだ!」と文句しか言えない自分が悔しくて仕 方がありませんでした。 国会議員になれるなら自分がなって、日本を変えたいと何度思ったことでしょう。 しかし、地方議員とは違い、国会議員は全国を飛び回らなくてはいけません。つま り、自宅にゆっくり身を置くことができなくなるということが現実の壁として立ちは だかったのです。我が家は母子家庭で、母一人、子一人で誰も頼る者がいないという 環境の中で生活しています。娘が中学を卒業するまでは母親はいつも傍にいて心の支 えにならなければと考え決めていました。 今、娘は中学三年生で、来年の参議院選挙ではもう16歳になっています。親として自 立を促してやらなければならない年の始まりでもあることから、次は日本の親や福 祉・教育分野のエキスパートとして、これまでの日本を、今の日本を、次の日本を担 う国民の安心と安全を守れる国に変えるべく、これまで作家や心理カウンセラーとし て全国の講演活動や知り合いの国会議員、県会議員、市長、市議会議員から学んだ政 治のノウハウを活かせるタイミングに来ていると感じています。 脱原発につきましても、日米保障問題や利権問題といった大きなしがらみを潰して 行かなければなりません。親類や友人が被災者となり、今も東日本大震災の被災者を 苦しめ、地震大国日本の国民を恐怖に陥れている原発というものを、先ずは電源三法 という悪法の改正から叫び続け原発ゼロの国にしたいと強く思っています。また、世 界的な気候変動による食糧危機をこれから日本は迎えようとしています。日本へ食料 を輸出していた国が自給できなくなり、輸出制限をかけ始めています。 日本の食糧自給率を上げること、原発を無くすこと、教育改革と福祉の充実を実現 すること。強き日本の母として実現できればと思い立候補させて頂きました。私が日 本という水面に一石を投じ、大きな波紋にできればと思っています。 石田志芳 ■プロフィール 昭和46年生まれ、歯科技工士をへて福祉作家の活動に従事。各地を講演会や企業の人 材育成で飛び回るなど福祉と心理のエキスパートとして活動しています。
© Copyright 2024 Paperzz