50号(8頁)2011年4月30日

平成 年探蕎会総会覚え書 寺田喜久雄
23
TANKYO
会 報 第 50 号
平成 23 年 4 月 30 日
事務局
〒 920-0935 金沢市石引 1-5-21
探蕎会発行
TEL 076 (261) 0055 FAX 076 (261) 0063
e-mail:[email protected]
http://maeda-shoten.com/tankyo/
さて、定刻の 時には全員が揃って、広々
とした会場の つのテーブルに座を占め
3 11
本安打達成の新記
時
分頃から、木村さんの司会で岩喬
いすることが決まり、永坂さんの閉会の辞
14
心臓の 不思議を学び 春を待つ
雪消えて 宴に人の 華やげり
7
0
0
0
時半であっ
会員による講演「不整脈について」が行わ
円。
でめでたく総会を閉会した。
前会長が遺された恩恵によるも
のと有難く受けとめたい。
時 を い く ら か 過 ぎ て、 塚 野
さんによる乾杯で懇親会が始
の講演も早々と永坂会員にお願
す こ と が で き た。 来 年 の 総 会 で
傾 け、 大 変 楽 し い ひ と 時 を 過 ご
さ ん の 謡 曲「 鞍 馬 天 狗 」 に 耳 を
今村さんのカンツォーネと大滝
も 弾 む。 久 し ぶ り に 出 席 さ れ た
味 し い 料 理 に 舌 鼓 を 打 ち、 会 話
ま っ た。 何 種 類 か の 飲 み 物 と 美
12
15 23
22
ることを期待したいものである。
15
た。会費
れた。配布されたプリントに基づいて、心
臓の生い立ち、構造と血液の精密ポンプと
しての機能、その動力が微弱な電気であり、
その不調が不整脈の原因になることなどを
お話し頂いた。なお、小塩さんに総会の記
事 を お 願 い し て あ る の で、 詳 し
い内容については省略させて頂
きたい。
普通ではなかなか拝聴できな
い 貴 重 な お 話 を、 わ れ わ れ だ け
で独占するのはもったいない気
が す る が、 こ れ も 探 蕎 会 な ら で
こ れ ま で に も、 総 会 で の 江 原
さんのヴァイオリンとそのお仲
はの幸せと言えるかと思う。
世 話 く だ さ っ た お 茶 会 な ど、 い
階ロビーには久し
ろいろ贅沢な催しを体験させて
役員改選では、これまで多くの行事に参
加され、運転を引き受けて頂いた和泉さん
年前半行事計画に
昨 年 は い つ 果 て る と も な い 猛 暑 が つ づ が新世話人に推薦された。次いで前田さん
き、年末からは近年にない大雪に見舞われ、 による平成 年行事報告・決算報告を承認
ぶりのお顔も見えて懐かしい。
し、久保さんから平成
年連続
ションの船長に選ばれるなど、日本もまだ
まだ捨てたものではないなと救われた思い
がしている。
そんななかで、探蕎会では一年間の行事
を順調に終えることができた。企画、実施
に尽力された世話人や車の運転を引き受け
てくださった会員の方々のお陰と心から感
謝したい。
11
間 に よ る 演 奏 や、 松 田 さ ん が お
それに加えて相変わらず次元の低い政治の
頂 い た が、 こ れ ら は 波 田 野 基 一
による
2
0
0
録樹立や、若田光一さんが国際宇宙ステー
10
学賞受賞という快挙があり、イチロー選手
ついて説明があって約 分で終了。新年度
名。
27
迷走ぶりにうんざりさせられたが、一方で
かれた。出席者
2
の行事にできるだけ多くの会員が参加され
5
23
11
は、鈴木章、根岸英一両博士のノーベル化
29
平 成 年 探 蕎 会 総 会 は、 月 日( 日 ) る。はじめに小生が開会の挨拶を行い、松
午前 時から金沢エクセルホテル東急で開 川さんの司会で議事に入る。
会報 50 号 1 頁(8 頁 2011.4.30)
マイクロバスの運転を自ら買って出ていた
た。和泉さんはいうまでもなく、探蕎行で
後、新たな世話人に和泉道雄さんを選出し
正 副 会 長、 世 話 人 な ど 現 役 員 を 再 選 し た
く引き受けてくださった。
ろ、初めのうち遠慮されながらもこころよ
鉃夫先生に来年の講話をお願いしたとこ
ください。なお、会の席上、世話人の永坂
かった方はブログ「晋亮の呟き」をお読み
次いで役員改選。役員は 年ごとに改選
間違いがあるといけないのでここでは先
されることになっていて、今年が改選の年。 生 の お 話 は 書 か な い が、 総 会 に 出 ら れ な
会のお仲間
え た。 探 蕎
る十年を迎
亡くしてま
4月に妻を
私事で恐
縮だが、この
総会記
ウマイ蕎麦を追い求めてやまないわれら
が会としては唯一、蕎麦を口にしないイベ
だいている。酒が大の好物なのに安全運転
小塩禎
日の日曜日、金
ント、探蕎会総会が2月
第一と、蕎麦にはつきものの酒を口にしな
沢市香林坊のエクセルホテル東急
やコースの検討に加わっていただいて、安
かった方。これからは旅行計画などの立案
いでいる。当然、役員になっていただきた
るかもしれない。が、そんな計算高いこと
るのは、節約ばやりのご時世にも合ってい
モメとなる
た の は、 ヤ
ていただい
番目
さて、議事のあとは司会も木村さんに代
わ っ て の お 楽 し み 時 間。 以 前 は ミ ニ コ ン
さるに違いない。
会員の方それぞれの魅力に触れることを喜
会 長( 当 時 )、 故 松 原 敏 副 会 長( 同 ) も、
個 性 的、 魅 力 的 な 諸 先 輩 会 員 の 中 で も、
めてうれしく思う。小生など探蕎行の蕎麦
ひときわ
にはしばしば落胆しても、探蕎の小旅行中、 一 際 異 彩 を 放 っ て お ら れ た 故 波 田 野 基 一
な方々がわが探蕎会におられるのだと、改
もちろん元気ハツラツとしておられた。
人)という小ぢんまりした集まり
に。大所帯時代には五つ並んでいた会場の
サートなどでちょっぴりかたい会議後の雰
びにしている。
と ま で い わ れ た、 や は り 金 沢 大 学 名 誉 教
生から南極の体験談を聞いて以来、会員の
ツォーネ「サンタルチア」と「帰れソレン
学 名 誉 教 授( 理 学 部 ) 寺 田 先 生 の 水 の 話、
アルコールが進むにつれて余興の時間に
そして今年は心臓外科では「世 界のイワ」 入り、今村さん=写真下右=お得意のカン
話を聞くのが定型になった。去年は金沢大
トへ」が、ついで大滝先生=写真下左=の
の話し声、笑い声があちこちで爆発する。
さて、待ちに待った料理と酒が次から次
にと運ばれ、いままで聞かれなかった声高
して多分、全国的にずいぶん増えた。
山、岐阜、長野など隣接県、隣々接県、そ
げ、古民家を手直しした構えの蕎麦店が富
レ「 石 臼 挽 き 自 家 製 粉 」 だ の ヤ レ「 十 割 」
当時、県内にはまだそう多くなかったこ
だわり蕎麦店が、今はずいぶん増えた。ヤ
会した。司会は前半の総会が松川徹男さん、 会で元南極越冬隊員(医療担当)の小山先
授(医学部)の岩喬先生に話していただく
謡曲「鞍馬天狗」が飛び出しヤンヤの喝采
この十年余、探蕎会も世の蕎麦店事情も、
そして時代も大きく変わった。良くも悪く
計画案のうち
月
久保健一さんが平成
年前半の行事計画案
年の行事報告と決算報告。そして副会長の
まずは寺田喜久雄会長の開会のあいさ
つ。そのあと事務局長の前田秀典さんが昨
議事のあとの後半は木村晋亮さん。
を説明した。会員の方々の賛同を得られた
ことになった(詳細は木村さんの報告を参
を浴びた。
月
日(日)の「こそば
)、今村(
)、岩、
大滝、奥平、木村、久保(健)、源野、越浦、
名)相川、和泉(
だのと店によっては羊頭狗肉の看板を掲
日(日)の「福助」
(富
照)。現役時代はとても謹厳だ ったそうだ
山県砺波市)と
年前半行事に
は、総会後有志一行で、例えば「遠野」な
小塩、竹吉、龍口、塚野、寺田、直海(正)、
松川、松田、山崎(廣)、米田(敬称略)
永坂、西田、新田、野村、原、前田、松井、
ど片町の酒店へ繰り出し、酔いに酔いを重
2
亭」(新潟県妙高市)はそれぞれ予定通り
実施済み。このあとの平成
は、
23
月 ・ 日(土日)の「ろあん松田」
そんな、いつもの笑みを浮かべながら「心
臓外科の話をするといくら時間があっても
月
た。
足りないので、今日は不整脈の話をします」 ね、放歌高〝談〟して気勢を上げたものだっ
と約 分間、話をされた。
2
17
日(日)の会員そば打ち(湯涌みどりの
6
29
23
13
4
3
14
15
→「 出 石 そ ば 」( 城 崎 温 泉 に 宿 泊 ) と
5
里)が残っている。
40
12
られる岩先生。
が、いまは終始、静かな笑みをたたえてお
族的ムードのうちに予定通り午前
44
探 蕎 会 の メ ー ン・ イ ベ ン ト「 総 会 」 が、 も…
夜から昼にと変わって、久しい。夜時代に 参加者(
11
の会員
丸テーブルも三つに減り、和気あいあい家
囲気をほぐしていたが、さきおととしの総
の会員だった。
1、2 年 前 だ っ た ろ う か。 ち ょ う ど
よりも、それほど素晴らしい方々、魅力的
2
全でより楽しい旅行の実現に貢献してくだ
に加わらせ
階宴会
議事のあとの、いわば余興に会員のどな
たかにお話していただいて会の出費を抑え
回目。
80
時、開
人(同日現在
一時は会員 人近くにまで膨れ上がった
探蕎会も、ここ数年、少数精鋭傾向に変じ
ついで
場で開かれた。同ホテルでの総会は去年に
5
27
29
40
2
て、この日の総会も出席者
会報 50 号 2 頁(8 頁 2011.4.30)
年探蕎会総会講演から─
不整脈について
─平成
木村晋亮
で の血液を送り出すので、1分間の拍 ( 4) 心 筋: 心 臓 を 形 成 す る 心 筋 は、 約
動が 回とすると、拍出量は約5ℓとなる。 5 億 個 の 細 胞 か ら な り、 収 縮 す る こ と に
液は1分間で体内を一巡することになる。
成人男子での全血液量は約5ℓなので、血
その固有心筋を動かすために電気刺激の発
よって血液を送る働きをする固有心筋と、
(2)心臓の発生:ニワトリを例にすると、 生 と 伝 導 を 行 な っ て い る 特 殊 心 筋 と が あ
ヨコとなるが、この過程で心臓がいつ形成
る。この刺激や伝導は神経系によるもので
されるかを日単位で観察すると、5日目に ( 5) 刺 激 伝 導 系: こ の 系 は、 洞 房 結 節 に
日目には孵化してヒ
2月 日の日曜日、平成 年の探蕎会総
会があった。総会は通常議事のほか、ここ
発生した心拍のリズムを心臓全体の心筋に
受精卵を孵卵すると
数年は会員の何方かが講演されるのが通例
は心臓の原基が形成されていることが分か
伝え、有効な拍動を行なわせるための構造
角の講演だったので、少しは書き留めてお
十分に理解するのは困難だった。しかし折
人向きの話題が挿入されるものの、とても
学的にも高度かつ専門的であって、時折素
演には興味がそそられた。しかし内容は医
カーを装着していることもあって、この講
候 群 と い う こ と で、 8 年 前 に ペ ー ス メ ー
翻って「測り知ることができないほど偉大
─、「 ミ ー タ 」 は メ ー ト ル と し て 定 着 し て
ミ ー タ で あ り、「 ア 」 は 上 述 の と お り の 無
もある。サンスクリット語の語源では、ア・
したのは
で、 こ れ は 阿 弥 陀 の「 あ 」 で
a-
いうことになる。私がここでフッと思い出
一心房一心室、両生類と爬虫類は二心房一
いう意味、従って「測ることができない」、 類は二心房二心室とあった。因みに魚類は
いるように、元は「計る」とか「測る」と
心室とのことだ。
うだったが、帰って調べると、哺乳類と鳥
はトリの心臓は一心房一心室と言われたよ
日目に
ある。またヒトではトリのような観察はで
心臓は臓器の中では最初に働き出す臓器で
出されるという合理的な収縮パターンが形
る心室の収縮によって肺動脈や大動脈に駆
て心室に送り込まれた血液は、次いで起き
ことになる。その結果、心房の収縮によっ
なり、心室の興奮は心房の興奮より遅れる
節)に伝わる。ここでは刺激の伝導が遅く
中隔近くに存在する房室結節(別名田原結
鼓動を始めるという。この説明の折、先生 (このとき心房が収縮する)、右心房で心室
きないが、ヒト胚の心臓は受胎後
成 さ れ る。 房 室 結 節 を 出 た 刺 激 伝 導 系 は、
激は右心房壁の固有心筋に波状に伝わり
在する特殊心筋で、ここで発生した興奮刺
結節)は上大静脈と右心房の境界付近に存
1.不整脈の語源
こうと思って記してみた。
臓での心房の働きは、心室に入る前の血液
ン語もインド・サンスクリット語系の言語 ( 3) 心 房 と 心 室 の 働 き と 血 液 の 流 れ: 心
な」という意味になる。ギリシャ語もラテ
を貯留して心室へ送ることであり、また心
であるからして、共通している。
不整脈という日本語訳は必ずしも適切な
訳語とはいえないと言われる。でもこれは
ヒス束に移行して心室中隔に入る。ヒス束
に分岐し、左脚はさらに前肢と後肢に分岐
な収縮によって、全身への血液の循環を司
大の大きさである。心臓の働きは、律動的
弁)→肺動脈→肺(ガス交換)→肺静脈→
→右心房→(三尖弁)→右心室→(肺動脈
液の流れは次のようになる。全身→大静脈
く協調した収縮をすることができる。
で刺激を伝達するので、心室全体がすばや
キンエ線維と呼ばれ、非常に速い伝導速度
する。ヒス束に始まるこれらの線維はプル
るポンプの役割をしていて、体を構成する
左心房→(僧帽弁)→左心室→(大動脈弁)
な ど で は、 Arrythmia
を拍出することである。ヒトには左右二対
も し く は Arythmia 機能
と 表 記 し、 分 節 に 切 れ 目 を 入 れ る と、 ar-( 1) 心 臓 の 機 能: 心 臓 は 筋 肉 質 な 臓 器、 の心房と心室があり、心臓には血液の逆流
と な る。 心筋の塊である。ヒトでの大きさは握り拳 を防ぐために4つの弁がある。心臓での血
a-rhythm-ia
細胞にエネルギー源や酸素を運び、老廃物
─ を 意 味 す る。
は周期的な動きの
rhythm
リ ズ ム を 意 味 し、 -ia
は ギ リ シ ャ・ ラ テ ン
語系の名詞をつくる際に用い、病気の状態
→大動脈→全身。
あるいは
rhythm-ia
21
を示すとき等に用いる。そのまま訳すると、 や炭酸ガスを運び出す。心臓は1回の拍出
(
)はギリシャ語由来で、非─とか無
a- ar-
は心室中隔を下降して間もなく左脚と右脚
2. 心 臓 の 発 生、 解 剖 ─ 特 に 刺 激 伝 導 系、 室の働きは、収縮することで心臓外に血液
はない。
になっている。今年は会員の岩喬先生(金
る。受精卵が2分裂を繰り返し、そして分
70
70 ml
沢大学名誉教授)が「不整脈について」と
23
化 し、 い ろ ん な 臓 器 が 形 成 さ れ て く る が、 である。洞房結節(別名キース・フラック
21
23
いう演題で講演された。私も洞結節不全症 「リズミカルでない動きの病気の状態」と
27
も う 定 着 し た 日 本 語 と な っ て い る。 英 語
会報 50 号 3 頁(8 頁 2011.4.30)
3.心臓の各部位の活動電位と体表心電図
定で、その逆数が心房拍数、心室拍数であ
不整脈、期外収縮に分けられる。
を ( 1) 徐 脈 性 不 整 脈 に は、 洞 不 全 症 候 群
整脈、慢性心房細動、慢性心室性不整脈が
ある。また前項のうち、致死的及びそれに
移行する可能性のある不整脈(アダムス─
シカゴのイリノイ大学医学部に心臓血管外
適 応 疾 患 で あ る。 岩 先 生 は
(
ス ト ー ク ス 症 候 群 ) と し て は、 心 室 細 動、
、
る。 通 常 両 方 は 同 じ で
R波は心室の電気的興奮を反映している。
%が診断可能である。
る上向きの波をR波、次に現れる下向きの
になった。それには、心腔の造影、脈波伝
れまで検出できなかった病変の検出が可能
めてのペースメーカー装着に邂逅した。
Mobits 型
II 房室ブロックなどがある。
) 6.WPW症候群
AFL
束以外に伝導速度の速い副伝導路(ケント
われている。一方で手術(岩先生が先駆的
カーによる心臓同期療法( CRT-D
)も行な
ング療法)機能を備えた両心室ペースメー
近年ではICD機能とQRT(両室ペーシ
み型除細動器( ICD
)が使用される。また
シ ン グ 療 法 が 適 応 さ れ、 こ れ に は 植 え 込
世界で初めて試作)による脈拍調整=ペー
生が所属することになった札幌医科大学で
この頻拍はときに心室細動へと移行し、突
刺激が伝わり、心室頻拍類似の頻拍となる。
ントリー)と、そこから再びケント束へと
行し、再び房室結節に戻ってしまう(リエ
束を伝わった刺激が、プルキンエ線維を逆
電図上ではデルタ波として現れる。ケント
も早く始まる。この部分的な早い収縮は心
するため、心筋の収縮が部分的に正常より
ス束を通る刺激よりも速く末梢心筋に到達
秒程度 ( 3) 不 整 脈 の 診 断: 心 電 図 で は ほ と ん ど
全ての不整脈診断が可能である。
不整脈は電気的刺激の乱れによって起
き、発生機序としては、刺激生成異常と刺
5.不整脈
脈、血行動態を悪化させる不整脈、症状の
このうち治療を要する不整脈には、致死
的及びそれに移行する可能性のある不整
とがある。
ン)治療がなされる。
用いてケント束を焼灼する(アブレーショ
ため、心室頻拍類似の頻脈となり、致死的
る )。 心 室 細 動(
歳以上では5%に見られ、この細
資料では、間入性心室期外収縮(1分間
間 を 示 し、 整 脈 で は こ の 幅 は 一 定 で あ る。
に4つ以上あると治療対象に なる)。心房
QT時間はQRS波の始まりからT波の終
や心房細動( )、上室性頻脈( SVT
)、W
( Wolf-Parkinson-White-Syndrome
)
AF
P W 症 候 群、 心 室 頻 拍( VT
) と 心 室 細 動 ( 1) W P W 症 候 群 の 概 略: 房 室 間 に ヒ ス
播速度の測定、心臓超音波検査、心臓CT ( VP
)、 Q T 延 長 症 候 群 な ど が あ り、 頻 脈
束)がある疾患。ケント束を通る刺激はヒ
波をS波という。T波は心室筋の再分極(興
以
1/10
年、岩先
動は心室に伝わらず、気にならない人もい
役割を果たした)や心筋焼灼術(カテーテ
然死の原因となる。またこの病気では、心
には人工脈拍調整装置(
秒 続 く と 問 題、 3 分 間
ルアブレーション)も行なわれている。
ある。
続くと危ない。心臓蘇生装置・自動体外式
房粗動や心房細動のような本来致死的でな
%なら正常とされる。 臓MRI(核磁気共鳴画像診断)検査等が
~
除細動器=AEDで改めて洞房結節からシ ( 3)期 外 収 縮 と は、 心 拍 数 は ほ ぼ 一 定 だ
い頻脈性不整脈であっても、洞房結節とい
激伝導異常が、原因としては、虚血性心疾
強い不整脈、頻脈発作の引き金になる不整 ( 2) W P W 症 候 群 の 手 術: こ の 病 気 の 頻
脈は副伝導路が原因であることが分かり、
となる。現在この病気には、カテーテルを
患と先天性心疾患に分けられる。また心電
脈、突然死を起こす可能性のある特殊な不
外 収 縮( SVC
) と 心 室 性 期 外 収 縮( PVC
) う律速段階を経ずに心室へ刺激が伝導する
グナルを出すようにする)の説明があった。 が、一部の心拍がずれるもので、上室性期
55
図による診断では、徐脈性不整脈、頻脈性
30
わりまでで、心室の興奮と消退(収縮時間) 細動(
を示す。PP間隔、RR間隔は整脈では一
洞不全症候群の重症型、完全房室ブロック、
を 超 え る と 頻 脈 と ( SSS
)、房室( S-A
)ブロック、脚ブロック
60
) が あ り、 こ れ ら は ペ ー ス メ ー カ ー
BBB
1
0
0
心 室 頻 拍、 心 拍 数 の 著 明 な 上 室 性 不 整 脈、
60
年に
~
との関係
心 電 図 で 心 拍 1 回 に 現 れ る 波 形 は、 P、 下 回 る と 徐 脈、
Q、R、S、Tの5つの波で、ほかにU波 いう。
がある。P波は心房の興奮を示す上向きの
4.心疾患の診断
1
0
0
最初の下向き波をQ波、その後最初に現れ ( 2) 近 年 の 画 像 診 断 法 の 進 歩 に よ り、 こ (2)頻脈性不整脈には、心房粗動(
95
するので単一の波として記録される。PQ ( 1) 聴 診、 心 電 図、 X 線 撮 影 に よ り、 科臨床研究員として在籍した折、世界で初
波形で、右心房と左心房はほぼ同時に収縮
1
9
5
9
1
9
5
9
奮回復)過程を示す波で、R波の
の波で、T波の5~
で、房室伝導時間、整脈では
0.2
で一定である。QRS時間は心室内伝道時
0.1
PQ時間はP波の始めからQ波の始めまで
50
上が正常である。U波は成因不明な上向き (X線コンピューター断層撮 影)検査、心
会報 50 号 4 頁(8 頁 2011.4.30)
、
)年までの
)年にはほぼ
61
(H
)年にはほぼ2倍になって (
(H
)年は
人 と な っ て い る。 以
55,200
): ペ ー ス メ ー カ ー( PM
)と
2007
が
PM
ICD
件、 ICD
15,055
件で
5,907
件 で あ る。 装 着 別 で は、 初 回 装
2,139
件、内訳は
17,194
が
件、 電 池 交 換 が
11,287
リードが
件で
4,883
。双極リード
32.4%
あ っ た。 機 種 別 に み る と、 PM
では単極
年の人数、 着 が
)内には伸びの倍
年 の 人 数、
(
下に疾患ジャンル別に
倍の
し 以 降 は 鈍 化 し、
い て、 こ の 間 毎 年 の 増 加 が 著 し い。 し か ( 植 え 込 み 型 徐 細 動 器 ) を 合 わ せ た 数 は
14
人(
→
→
人(
)、 動 脈 瘤: 1,430
人
18,100
x4.2
人( x7
)、 そ の 他 の 心 疾 患:
10,000
で あ っ た。
(了)
69.2%
が
件で
で あ っ た。
で は CRI-D
361
2.4%
ICD
件 で 30.8%
、 ICD
が 1,480
件 で
659
先 天 性 心 疾 患: 8,570
人 → 9,520
人 が 9,811
件 で 65.2%
、 CRI-D
(両室ペー
(
)、 心 臓 弁 膜 症:
人→
シング機能付き植え込み型徐細動器)は
x1.1
5,240
15.240
)、 虚 血 性 心 疾 患: 4,280
人
x3
数を記した。
19
も、患者が金沢の岩先生の元へ集まる事態
、中四国
、上室性
、海外3という患者分布と
件あり、心室性頻脈
(H
2
0
0
7
目には見えないが
となった。資料の統計年は不明だが、患者
、近畿
、東北
心臓電気生理検査
、中部
人 の 内 訳 は、 北 海 道
総数
、関東
の手術は
頻脈 となっている。
)年から
7
でその場所を特定
で き る の で、 そ れ
年
は心外膜側か
Sealy
ら心室筋を切って
7.日本における不整脈治療者数
は 右 心 室 を 削 ぐ よ (S
2
0
0
2
2
・
推 移 が 記 さ れ て い る。 総 数 は、
人→
人( )となっている。
480
1,900
x4
人だったのが、 ( 2) ペ ー ス メ ー カ ー と ICD
の移植数
20,000
19
た が、 こ の 方 法 で ( 1) 心 臓 手 術 患 者 数: こ こ に は
房室弁輪部に達し
70
1
9
8
6
た。
九州 、石川
55
26
を安全に切断する
79
なっている。またWPW症候群以外の頻脈
50
ことが要点となっ
84
2
0
0
7
1
9
8
6
81
1
9
8
6
4
5
77 8
46
61
2
0
0
7
38
る。これに対して、岩はその翌年、右心房 (S
の心内膜側から房室弁輪部の心房筋のみを
切離する方法を採った。両者ともこの病気
は
Sealy
ション治療」が行なわれるようになり、治
療は手術からカテーテルアブレーションに
移行することになる。しかしその先駆け・
基礎となったのはWPW症候群の手術療法
があったからこそといえる。
( 3) W P W 症 候 群 患 者 の 地 理 分 布:
年にNHKの科学ドキュメント番
が放送されると、全国から、また海外から
(MEDICAL TORCH Vol.3 No.3 2007 より)
の原因である副伝導路の切断に成功し、こ
の病気に根治の道を開いた。後年
改良法を発表したが、岩法と同様なもので
あった。
ところで
年末期から
年代にかけて、この病気に対する治療はカ
1
9
9
0
テ ー テ ル 電 極 を 用 い た「 高 周 波 ア ブ レ ー
1
9
8
0
組で不整脈を手術で治すことができること
1
9
8
2
11
1
9
6
8
うに切離するので、出血の多さが危惧され
会報 50 号 5 頁(8 頁 2011.4.30)
寺田喜久雄
月
人の会員と北村労務会計事
今 年 の 最 初 の 行 事、 福
「 助 」訪問が
日(日)に
生がそばがきを注文した=写真左=。そば
がきは量が多く、そのためか卓の人数分だ
けの取り皿を用意するという気配りには感
服した。香りはうすかったがまあまあの食
感であった。蕎麦はしっかりした細打ちで
あったが、鴨汁はだしの香りがまったくせ
ず、薄味が好みの小生にとっては、濃すぎ
の醤油味だけが記憶に残った。しかし、焼
で 下 り る。「 福 助 」
のみ、若干もたつくが、 時前には目指す
へ出かけたことがあるのは久保さんと小生
速 道 に 上 が り、 砺 波
保車に4人、前田車に4人、北村車に3人、
あり、ほぼ定刻に出発する。車は4台、久
出発予定時間には面々がお集まりにな
り、寺田会長の挨拶と久保副会長の説明が
なお詳細な記録は木村会員にお願いして
あります。
和泉車に5人が分乗する。金沢西 から高
古民家に 蝋梅咲きて 春きざし
な ゐ
地震の地の 春念じつつ 蕎麦を食む
◇◇◇◇
木村晋亮
平成 年初の探蕎は
越中砺波の「蕎麦福助」へ
IC
蕎麦屋に着いた。駐車場の入り口には大き
く「蕎麦福助」の表示板、まだ車は1台も
停まっていない。開店は 時半、広い駐車
場で三々五々、春の日差しを浴びてくつろ
ぐ。
場所は砺波平野のど真ん中、敷地は水田
を 造 成 し た の で あ ろ う。 ゆ っ た り と 広 い。
時
蕎にはもってこいの日である。今日の参加
名、出発は事務局から
そして駐車場の向こうには、どんと大きな
者は
防医学協会の駐車場発となっている。私は
瓦葺切妻屋根の建物が鎮座している。時間
分、予
平成 年3月 日の日曜日は探蕎会今年
初の探蕎の日、この日は一日快晴という探
IC
人の参加で行われ
日に東北地方太平洋沿岸地域を襲っ
務所の西高さんの計
た。
きねぎと鴨肉は美味しかった。
玄関を上がった板敷きの部屋に、 人あ
まりの人が順番待ちしているのが見えたの
で席を立つ。遅れて蕎麦が配られたテーブ
ルもあって、記念写真を撮って 福「助 」を
あとにしたのは 時を過ぎていた。帰りは
車ごとに散会ということで、散居村の中を
時ころであった。
11
11
数を仰って下さい」と。場所取りをと思っ
ぞ」と、その女性は「案内しますから、人
いて紹介される。山へよく行かれると紹介
ていたので、安心したり気抜けしたり、久
いた。その中に新会員の山口さん(
されたが、聞いてびっくり、山といっても
保さんが 人と言うと、「どうぞこちらへ」
と。靴を脱ぎ、上がり框へ上がり、大きな
る道下さんのお隣にお住まいとか、ひょっ
片や蕎麦歴は未知数だが、蕎麦打ちをされ
6人と掛ける。
開 店 と 同 時 に 満 席 と な っ た。 5 人、 5 人、
指 定 さ れ る。 私 た ち 以 外 に も 何 組 か い て、
しい助っ人のご入来だ。
た池田邸、豪雪で全壊したものを、金沢に
に今度ネパールへ行った時には赤い花の蕎
建物は総欅造り、元は黒部川右岸の山間
麦を持ってきましょうかとも、何とも頼も (現黒部市)の築百年以上の庄屋でもあっ
としてこの道も達人だったりして、話の端
彼の場合はれっきとした「登山家」である。 と、おえの間の六人掛けのテーブル3つを
の句が出ない始末。私のは「山歩き」だが、 障子戸を開けて、板張りのおえの間へ入る
オユーにも行きましたと言われて、もう二
半端じゃなくって、ダウラギリとかチョー・
)が
車の運転を引き受けてくださ った和泉、 和 泉 さ ん に 誘 っ て もら っ て 時前に 着く。 が早くまだ暖簾が出ていない。開店時間の
北村、久保、前田さんご苦労様でした。
既に前田車に分乗した面々はもう到着して 少し前に入り口の板戸の錠が外され「どう
着いたのは
13
た大地震と大津波による被害の甚大さに心
台と車が
23
23
をいためていた時であったが、予定どおり
の実施となった。
当日は春日和の暖かい一日であった。
台の車に分乗して 時 分に予防医学協会
時
の駐車場を出発。 時ころに 福「助 」に到
10
時きっかりに「福助」 通って内山峠から石川県に入り、家に帰り
台また
台分の広い駐車場に一番乗
を出て
着するために北陸自動車道を走り、
分に砺波
に着く。 ~
り。 し ば ら く す る と
やってくる。早めに着いたのは正解であっ
た。
「 福 助 」 の 建 物 は、 黒 部 に あ っ た 庄 屋 の
池田邸の一部を移築したもので、まさに田
人
卓に座を占
時半開店。広い店内の
んぼのど真ん中に独り威容を誇っているよ
うであった。
掛けのどっしりしたテーブル
める。すでに満席状態となり、あとでみる
とほとんどが富山ナンバーの車であった。
地元での評判が高いのであろう。座敷には
雛の段飾りが春の訪れを告げていた。
16
4
45
小生のテーブルではそれぞれお好みで、
海 老 天 せ い ろ( 粗 挽 き )、 鴨 汁 せ い ろ( 粗
15
10
挽 き )、 田 舎 蕎 麦 を、 さ ら に 久 保 さ ん と 小
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3
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14 IC
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3
砺波の蕎麦どころ
福助 を
」 訪ねる 「
会報 50 号 6 頁(8 頁 2011.4.30)
会報 50 号 7 頁(8 頁 2011.4.30)
緋毛氈の雛壇、これも由緒あるものなのだ
が座った正面上に鎮座、そして奥の間には
いう錯覚にさえ陥る。神さん棚も特大、私
と山を背にした山間の庄屋に居るのではと
る。ここは田んぼの真ん中だが、中へ入る
収してしまう落ち着ける空間を現出してい
ている。沢山人が入っていても、それを吸
光っていて、それが白い漆喰とよく調和し
た木組みが見える。梁は欅と松、磨かれて
吹き抜けになっていて、太くがっしりとし
上がり框も欅、広くて立派だ。おえの間は
テーブルでは、天麩羅もそばも運ばれてい
混んでいるからしょうがないか。でも他の
なくなる。甘口だった。二杯目は辛口、爽
に入ってきた。つまの柚子味噌で一杯目は
む。始めに酒とつま、酒は緑釉の蕎麦猪口
いずれも越中の酒だ。肴には焼き味噌を頼
山 」、 2 本 目 は 私 の 希 望 で 高 岡 の「 勝 駒 」、
取りあえずは大場先生所望の砺波の「太刀
は鴨汁せいろ、お酒は大場先生と小生のみ、
天然穴子せいろと岩先生のそばがき、小生
の1にしてこの地に移築したとのことだ。 さん細挽きせいろ、岩・大場両先生は国産
注文は、前田さん粗挽き田舎大盛り、山口
産穴子天は実に見事で立派、尺近くのを開
の 焼 き 味 噌 が 来 た。 タ イ ミ ン グ が 悪 い が、 う。だがそばに比して、両先生注文の淡路
やかだ。二杯目がなくなった頃にやっと肴
いてそのまま揚げてあるものだから実に圧
はもう近い。
しかかって漸く場所の把握ができた。森本
多門」のあるところだ。その後内山峠にさ
市ノ瀬から小矢部に居を替えた「そば切り
屋本江という地名が見えた。ここにはあの
明だが、小矢部市へ入ったとき、電柱に金
付いて走る。どこをどう通ったかは全く不
の帰りは下道で帰るとか、先導の久保車に
蕎は滞りなく終わり、散会となる。金沢へ
背にして集合写真を撮る。これで今日の探
「福助」と白抜きで書かれていて、それを
臼 挽 き 」、 中 央 に 大 き く「 蕎 麦 」 左 下 に は
藍染麻地の暖簾には、右上に「手打ち」「石
た。入るときには掛けてなかった一間幅の
全 く 音 沙 汰 が な い。 漸 く そ ば が き が 届 く。 に結んであり、これは一度は食する価値は
久保、越浦、小塩、寺田、西高、新田、前
縁のある建設会社が買い受け、規模を3分
ろうか。あちこちに縁のある古道具が置か
るのに、このテーブルは酒を頼んだせいか、 巻である。そして中骨も唐揚げにして風流
あろうという逸品だ=写真右=。運ばれて
田、松田、山口。
それを前日に石臼挽きした「九一」だとい
れていて、これが古民家とよくマッチして
今回 の参加者は 以下の 名(五 十音順)
相川、和泉、岩、大滝、大場、北村、木村、
いて楽しい。
見た目には軟らかそうで、そばがきという
いる海老天もなかなか豪華に見えた。
分になった。 時刻は既に
時
分、その後は順に注文の
・
より、そばだんごという感じだ。次いで粗
時
ん辛抱されたものだ。もう終わって席を立
いところだ。鴨の焼きは程よく、厚切りだ
は鴨肉と焼き葱、これでもう一杯といきた
入った黒七味、しっかり振りかける。中に
市福光町出身の
合は翌日休業。店主の西村忠剛さんは南砺
から3時間。定休日は月曜日で、祝日の場
営業時間、昼
電話
つ客もあるのにである。そばは山口さん以
がやわらかい。葱は鴨の脂の浸みが足りな
人」で4年間修業して5年前に開店、店は
分になる。よく皆さ
外は田舎、この前に来たときは田舎がなく
い印象を受けた。汁が濃いのでそばは半分
:
てせいろのみだった。
ば か り 浸 し て 食 す る。 も う 少 し 味 も 薄 く、 細君と男性1人、女性2人で切り盛りして
17
30
歳、神戸の蕎麦店「土山
から3時間、晩
運ばれてきた田舎を見ると、色は似てい
るが、粗挽きを伺わせるホシは見えず、ざ
色も淡いとよいのだが。ここにはヌキはな
13
:
るに盛ってあるものの、茹でが過ぎている
いが、ヌキだとこの鴨汁は濃すぎるだろう。 築費用は半端じゃなかったろうに。栞には、
はいいが、コシがない感じだった。今日の
10
粗 挽 き は 北 海 道 産、 せ い ろ は 福 島 産 と か、 で お 待 ち の 様 子、 殿 は 私 と 大 場 先 生 だ っ
しんがり
のか、締めが足りないのか、シャキッとし
る。汁は色も味も濃いめ、薬味には山椒が
温かい鴨 汁は中位の深鉢にな みなみと、
挽き田舎の大盛りが届いたが =写真上 =、
上 に は 白 髪 葱 が ふ ん だ ん に 乗 っ か っ て い 「福助」砺波市林
始めに蕎麦茶が出たものの、女の方が本
命の注文を取りに来たのは座って 分も経
16
1
2
7
7
0
9
4
7
30・ 3
ていない。手繰っても香りはなく、喉越し
品が届く。注文して
3
11・
0
7
6
3
40
私たちのテーブルが食べ終わったのは
「 や わ ら か な 緑 と 古 民 家 の た た ず ま い で、
時 分、他の面々は既に居なくて、もう外 五感に潤う豊かなひとときをお楽しみくだ
50
12
さい。」とあった。
いる。それにしてもあの豪壮な古民家の移
33
10
過した後、それもテーブル毎だから、私た
ちの注文は一番終いの
11
50
【追記】この探蕎行の2日前の3月
日の
なときに蕎麦など喰ってる場合かといわれ
の 前 田 さ ん の ブ ロ グ に は、「 大 地 震 で 大 変
いました▼
に使おうかと思っている」とおっしゃって
先生は「この写真は気に入っていて、葬式
年オープンという砺
そうだが、先月の総会で決定した行事なの
が、テレビ・ラジオでは「東北関東大震災」、 で決行となった」とあった。私もそれでよ
波市の「蕎麦福助」は建物を見るだけでも
という観測史上最大、
か
価値があると思います。蕎麦の量もたっぷ
地震の規模を示すマグニチュードは、
に、最終的には
年に第
んが行かれたお店でお気に入りの店があり
ま し た ら 会 報 の「 蕎 麦 屋 情 報 一 筆 」 に 掲
号をお届けします。平成
号を発行してから、節目の号となりました
載しますので原稿とできれば写真を添え
会報
う凄さ、しかも地震に伴う大津波、テレビ
日に起きた東日本大震災による
の念を抱かずにはおられない高ぶりを感じ
えた自然の凄い猛威を感じた。本当に畏怖
う、でもそれが現実であることに人智を超
独占的取材体制の下で大本営発表を垂れ流 (湯涌みどりの里)を残すだけとなりまし
進まない同床異夢の菅政権、記者クラブの
か判らない福島第一原発事故、遅々として
想像を絶する津波の爪痕と、いつ収束する
月
る。津波のシーンや被災地の様子が放映さ
すマスメディアなどをみていると、この国
時頃にい
月 日(日)の「会員そば打ち」
・ 日「ろあん松田」「出石蕎麦」(城崎
5
ちさと
山崎とみさん(金沢市芳斉)
日改選)
吉田千恵さん(福井市)
月
(ま)
ちしております▼久々に新会員が入り、平
◇◇◇◇
利いた言葉が浮かんできません▼なにより
を申し上げますとともに、犠牲になられた
方々とご遺族の皆様に対し、深くお悔やみ
)が父の古希祝いや母の退職祝いに
年
会 長:寺田喜久雄
副会長:久保健一
役員(平成
地のために何かしたいと家族の意見が一致
世話人:木村晋亮、小塩禎、塚野八平、永
万円を本社に寄
した」との記事が、奥さんとお子さんと一
坂鉃夫、新田陽子、松川徹男、和泉道雄(新)
託。「 人 ご と で は な い と 感 じ て い る。 被 災
緒の写真入りで掲載されました▼今年の総
充てる予定だった
ん(
世話人になられた和泉さんの長男、行雄さ
月 日北國朝刊(県内総合面)に、今回
を申し上げます▼ここでいい 話をひとつ、 北村彰英さん(金沢市涌波)
新会員の紹介
均年齢が少し若くなりました。
らっしゃれば結構です。出欠の連絡をお待
た。 蕎 麦 を 食 べ る だ け の 方 は
温泉泊)と
15
も被害に遭われた皆様に、心よりお見舞い
号を祝う気の
れると、家内は涙ぐんでしまう。そして日
てお送りください▼前半行事はあと
が、 月
年以降では世界でも4番目とい
すればよいと思う。
(了) りで、次は新蕎麦の時期に、ゆっくりと蕎
◇◇◇◇
麦前を楽しみながら過ごしたいです▼皆さ
新聞では「東日本大震災」と呼称している。 いと思う。被災地には別の面で援助・貢献
した。名称は「東北地方太平洋沖地震」だ
午後2時 分に、未曾有の巨大地震が発生
11
7.9
から流れるシーンはまるで映画を見てるよ
ら
9.0
でも中止の連絡はなく催行された。事務局
14
会は写真がうまく撮れず、とくにご講演い
30,633
1
顧 問:植松茂、越浦良三
会計監査:松田和代
次期繰越金
11
ただいた岩先生の写真が失敗したので、講
12,000
11
演の資料に配られた写真を拝 借しました。 事務局:前田秀典、米田頼子
(日)
会員そば打ち(湯涌みどりの里)
会員そば打ち差額
6 月 12 日
257,515
合 計
257,515
合 計
40,690
5 月 14-15 日
(土日)
「ろあん松田」
「出石そば」
(城崎泊)
鄙願 6 本
(日)
「こそば亭」妙高市
10,000
4 月 17 日
13,600 講演お礼
鄙願 2 本
27
(日)
「福助」砺波市
28,692
11
12
2
3 月 13 日
210,000 ハガキ、メール便代
年会費
1
0
0
(日)
総会
135,500
50
3
17
35
2 月 27 日
33,915 会報(46 〜 49 号)
前期繰越金
支 出(円)
収 入(円)
50
6
23
4
平成 23 年前半行事計画
平成 22 年会計報告
2
0
0
7
46
1
9 8.8
9
0
曜の探蕎は中止になるのではとも言った。 の行く末が心配で、とても
会報 50 号 8 頁(8 頁 2011.4.30)