『時の娘』を読んで

『時の娘』を読んで
歴史は勝者によって作られる、とはよく聞く言葉であるが、ジョセフィン・テイの『時
の娘』を読んだ時もそう思った。それまでは、リチャード三世はせむしで、ひどい悪人
だと思っていた。でも、そうではなかったようだ。むしろ寛大で、家族思いの青年だっ
たらしい。多くの人が持つリチャード三世のイメージは、シェイクスピアの同名の作品
によるものと思われる。でも、シェイクスピアはホリンシェッドの年代記に拠っており、
ホリンシェッドはサー・トーマス・モアの『リチャード三世史』に拠っている。しかし、
サー・トーマスは、リチャードがボズワースの戦いでリッチモンド伯ヘンリーに倒され
た時、五歳にすぎず、モアの伝記は、彼が若い頃仕えたイーリーの司教ジョン・モート
ンの受け売りらしい。そしてこの人物こそリチャードの不倶戴天の仇敵であり、ヘンリ
ー七世の大僧正で、ヘンリーのために書いた人だったのだ。
リチャードは、兄のエドワード四世の二人の王子をティレルという人物に殺させたこ
とになっているが、ジョセフィン・テイはそれがあり得ないことをあらゆる角度から検
証している。先ず、エドワードとリチャードは仲が良く、エドワードが四十歳で急死す
るまで、リチャードは十歳上の兄に忠実だったこと。エドワードは遺言で、リチャード
を息子の後見人及び摂政に任命していたこと。ボズワースのあと、ヘンリーがリチャー
ドの大逆罪(?)を言い立てた時、ロンドン塔の二王子殺しは言及されていないこと、
等々。
シェイクスピアの劇団は 1603 年以降は「国王一座」と言い、映画「恋におちたシェ
イクスピア」では、当時は女性が舞台に立つことは禁じられていたのだが、ジュリエッ
ト役の少年が上演直前に声変わりを起こし、急遽、ヴァイオラが代役を務め、芝居は大
成功を収める。そこへ祝典局長が兵士を連れて乗り込んでくる。しかし、お忍びで芝居
を見に来ていたエリザベス女王が現れ、一座は無罪放免。その代わり、「今度は十二夜のた
めに喜劇を書きなさい」とシェイクスピアに命令する。この女王の父がかの有名なヘンリ
ー八世――チューダー朝二代目である。
リチャード三世の名誉回復は、『時の娘』によれば、チューダー朝が終わり、しゃべ
っても安全になるとすぐに始まっている。にも拘わらず、今でも多くの人が、リチャー
ドが甥たちを殺したと思っているとは残念なことだ。
英語史に関係がある話としては、『パストン家書簡集』(15 世紀)に、エドワード四
世の死後、二人の息子が一時、パストン家に身を寄せていたと書いてあること。そして
キャクストンが印刷・出版した『哲学者たちの言説』
(1477 年)はエドワード四世の王
妃エリザベス・ウッドヴィルの兄であるリヴァース伯が翻訳したもの。しかし、伯はリ
チャード三世殺害を計画した容疑で斬首台へ送られている。