ヨーロッパの平和の象徴 -フランス・ストラスブール 私が留学していた街、ストラスブールは、フランス東部アルザ ス地方の中心都市です。ドイツとの国境に位置し、ライン川に 架かる橋を渡れば、もうそこはドイツ。現在では、EU内の移動 はパスポートなしでできるため、人や物の行き来も盛んに行われ ています。ストラスブールはまさに国際都市そのものです。また ストラスブールは、中世の街をそのまま残したような街並みが 残り、歴史の重みを感じさせる街でもあります。 私は、留学中、アルザスの歴史に最も興味を持ちました。地理的な理由から、フランス とドイツの両方の文化を兼ね備えたアルザス地方。人々は、アルザス人としてのアイデ ンティティを大切にしているように感じました。長い歴史の中で、アルザス地方は幾度 の戦争を経験してきました。そして現在、とりわけストラスブールは、ヨーロッパの中 心都市として、政治、文化、商業において重要な役割を果たしています。ここでは、 「平 和の象徴」をキーワードにして、過去と現在のストラスブールについて報告を行いたい と思います。 Ⅰ.過去―戦争と人々― <400 年の戦争の歴史> 古い歴史をたどれば、アルザス地方はもともとローマ帝国の領土でした。現在、アルザ ス地方で盛んであるワインの製造はこの頃から始まったといわれています。その後、フ ランク王国の支配を経て、神聖ローマ帝国の領土となり、民族的に言えば、ドイツ人の 一部であるといわれています。アルザス地方は、その北隣にあるロレーヌ地方と共に、 豊かな鉄、石炭等の資源で知られ、そのためドイツとフランスの係争の地として、現在 に至るまで両国の間を行ったりきたりすることになるのです。 1618~1648 にかけてのヨーロッパ全体を巻き込んで繰り広げられた 30 年戦争の結果、 ウエストファリア条約によってアルザス地方は歴史的に初めて、フランス領になりまし た。これが、アルザスの戦争の歴史の始まりとなりました。その後、ルイ 14 世がスト ラスブールを訪れ、正式にフランスの領土として認めたという事実も残っています。こ の頃はまだ、アルザスの人々の中では、ドイツ人としての意識のほうが強かったと考え られます。 そして、1870年に起こった普仏戦争(当時のプロイセンとフランスの間の戦争)に より、再びアルザスはドイツの領土として併合されることになります。そして、それか ら第一次世界大戦が終わるまでの約 50 年の間、再びドイツの占領下にありました。そ の間ドイツは、ストラスブールに議会を設置するなど、アルザスに実効的な支配を行な いました。そして、第一次大戦でドイツが敗れると、ヴェルサイユ条約により再びフラ ンスの領土となりました。それから、第二次世界大戦中におけるナチスの占領などを経 験し、戦後はずっとフランスの領土として現在に至っています。 <街の様子、人々の変遷> ストラスブールには、長年の戦争の歴史を感じさせる建物や遺跡が多く残っています。 私は、「アルザスの地理」という授業でフィールドスタディに出かけ、多くのものを見 ました。街中にある建物が、実は戦争中に兵舎(caserne)として利用されていたもの だったり、ストラスブール駅の裏に砦(fort)の跡があったりと、戦争の形跡は至ると ころに見られました。また、ドイツとフランスの国境となっているライン川に架かる橋 も、戦争中には壊されたそうです。現在は、再び美しい街並みを取り戻しているストラ スブールですが、当時は被害が大きかったといいます。 そのように幾度の戦争の中で、アルザスの人々は苦しみ、 またそれを乗り越えて独自の文化を築き上げてきました。 第二次世界大戦中には、フランス人でありながらドイツの 兵士として戦争に行かなくてはならない状況もありました。 そのような人々は、malgré nous (心ならずも)と言いながら 戦場に向かったそうです。同じ家族でも、兄はドイツ軍、弟 はフランス軍に従事しなければならなかった、というエピソ ードも残されています。 戦争の歴史を通じて、アルザスはドイツとフランスのはざまで揺れ動き、人々はそれに 翻弄されてきました。しかし、その中で、アルザス独自の文化もたくさん生まれました。 その一つがアルザス語です。長い間、アルザスではドイツ語の方言としてのアルザス語 が話されてきました。現在も、街中でそれを発見することができます。道の名前など、 フランス語の下にアルザス語表記の看板もあるのです(意味はまったく解読できません でしたが・・)。現在の公用語はフランス語ですが、年配の方などはアルザス語を話す ことができるということでした。 また、アルザス文化は、建築にも表れています。アルザス地方の民家は、木組み、土壁 の造りです。これは、典型的なドイツ形式でもフランス形式でもないアルザス独自の建 築方法だと教わりました。壁は、様々な色で塗られており、おもちゃの家のような外観 をしています。現在でも街中に、17 世紀頃から建っている家などがたくさん残ってお り、歴史の重みを感じることができます。 このように、戦争を通じて、アルザスの町は様々な変化を遂げてきました。そのような 苦難を乗り越え、現在の「平和の象徴」の街としての顔を持つようになるのです。 Ⅱ.現在―ヨーロッパの中心都市― <政治の中心> 現在、ストラスブールには、欧州議会(Parlement Européen)が置かれています。E Uには、欧州委員会、欧州理事会、欧州議会の3つの機関があり、委員会と理事会はベ ルギーのブリュッセルに置かれています。欧州議会は、直接選挙によって選ばれた、各 国の代表から構成されており、加盟国ごとの議席の割り当ては、ニース条約によって定 められています。議会は、毎月 1 週間ストラスブールにおいて開かれ、法案の審議や 投票を行っています。1986 年の単一欧州議定書により、理事会と議会の協力手続きが 導入され、立法に関する議会の権限が拡大されました。欧州議会は、EUの中でも民主 的な機関として、その役割が期待されています。 欧州議会がストラスブールに設置された背景には、アルザスと戦争の歴史があります。 長い間戦争に翻弄され、そのたびに国籍を変えなければならな かったアルザス。その悲劇を二度と繰り返さないために、平和へ の願いから欧州議会がストラスブールに設置されました。これは、 いわば「ヨーロッパの平和の象徴」であるといえます。ヨーロッ パの統合を目指すEUは、この平和の精神を忘れてはならない、 Parlement Européen ということを示しているのです。 <ドイツとの友好> 長年の戦争の歴史を経て、フランスとドイツは、お互いにとって第一の友好国となりま した。それは、経済の面からも、政治の面からも言えることです。国境の街であるスト ラスブールは、ドイツへの玄関口として、重要な役割を担っています。ドイツへ入国す る時は、ライン川に架かる橋を渡りますが、現在ではライン川一帯の地域が整備され、 橋も歩いて渡れるようにされています。この橋は、戦争のたびに取り壊され、フランス とドイツの断絶を象徴してきた歴史があります。しかし現在では、両国の友好を象徴す るものとして、交通や流通に大きな役割を果たしているのです。 また、橋だけでなく、ストラスブールでは、国境一帯を公園として整備し、フランス側 からもドイツ側からも自由に訪れることができるようにする計画があります。EUの統 合により、貨幣も統合され、領域内を自由に移動することができる現在、ヨーロッパで は、国境の意味はだんだんと薄れてきています。ストラスブール市民の中にも、家電製 品はドイツで買うというような人がたくさんいました。EUの中でも、ドイツとフラン スの経済的、政治的統合は、重要な意味を持つものだと実感しました。 <ヨーロッパの十字路> ストラスブールとは、本来「道の街」という意味を持っています。地理的な理由から、 ヨーロッパの交通の要所として栄えおり、「ヨーロッパの十字路」の異名を持っていま す。その大きな要因の一つが、ライン川航行の発達にあります。古くはローマ時代から、 イタリアからの骨董品をドイツ方面に運搬するために、ライン川は使われてきました。 また、アルザスの村々で製造されたワインを運ぶのにも重要なルートとなっていました。 ストラスブールは、北ドイツへ抜ける中継地点として、河岸地域一帯が栄えてきたので す。橋がなかった頃には、ドイツへ渡るために多くの渡し舟もあったそうです。 現在でも、ライン川航行の重要性は変わっていません。ストラスブール一帯には運河も 作られ、たくさんの物品の流通が行われています。現在のストラスブールは、このよう にヨーロッパの商業の中心としての顔も持っているのです。 Ⅲ.ストラスブールに暮らして 長い歴史の中で独自の文化を形成してきたアルザス地方とストラスブール。その歴史の 中で、戦争ははずせないキーワードでした。そして、そのような経験を経て国際都市と しての顔を持つにいたったストラスブールは、まさに「ヨーロッパの平和の象徴の街」 でした。この街で暮らし、学ぶことができたことは、私にとって大きな財産になったと 思います。このように独特の歴史をもった街だったからこそ、他国との友好の大切さや、 平和の偉大さを肌で感じることができました。 ストラスブールの過去と現在、という構成で報告を行ってきましたが、これからのスト ラスブールがどのような発展を遂げていくのか、私は大きな期待をよせています。長い 目で見れば、ストラスブールの平和は何百年中のたった 60 年であるともいえます。だ からこそ、これからどのように平和を維持していくのかが重要になってくるでしょう。 これは、ストラスブールだけでなくフランス全体に言えることですが、EUの政治統合 によって他国との関係がどのように変わっていくのかは注目に値することだと思いま す。その時に忘れてはならないのが、ストラスブールのような精神ではないでしょうか。 自ら戦争に苦しんだ体験から、平和や友好への道を開いていくという精神には、学ぶべ きところが多いと思います。 ストラスブールに留学した者として、今後もストラスブール、またヨーロッパの発展に 注目していきたいです。 世界遺産にも登録されているストラスブ ールの旧市街。この街並みがずっとそのま までいることを私は願います。 。
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