図書館が主として収集し提供してきた本や雑誌 は,紙という物理的な媒体に印刷されている。ま ず,紙がどのように発展して,どのような問題を 抱えているかを述べ,次に,本や雑誌が衰退し, 図書館は電子媒体を中心にしていかなければ生き 残れないという主張は妥当かどうかを考えたい。 1.紙の現在 (1) 江戸時代の紙 近松門左衛門の世話物の傑作と言われる人形浄 瑠璃『心中天網島』は 1720(享保 5)年の初演で あり,大阪天満お前町の紙屋の主人治兵衛と遊女 小春の心中事件を扱っている。治兵衛の商売につ いて現在の床本では「営む業も紙見世に,紙屋治 兵衛と名をつけて千早ふるほど買いに来る」と語 られている。この紙屋は,紙の小売商であるが, 当時,同じ名の紙屋治兵衛という紙問屋が実在し ていた。この頃,西日本で生産された紙の集積地 であった「大阪から江戸へ大量の和紙を積み出し ていたが,その大阪の江戸積み問屋の最大手の一 つが紙屋治兵衛であった」1)。 この少しのちの 1736(元文元)年に大阪に入荷 する商品の中で,紙は米,材木に次いで価額で第 3位を占める重要商品であった。徳川政権は,美 濃,越前,駿河などの紙産地で生産される紙を御 用紙とし,各藩は財政のために紙漉き場を設けて 藩用紙を生産しており,紙の専売統制が行われて いた。こうした統制のために紙一揆も多発した 2)。 このように日本では江戸時代から紙の生産と流 通は大きな産業となっていた。 (2) 紙の生産と消費 紙は, 紀元前1世紀頃から中国で作られはじめ, 朝鮮を経て7世紀初めに日本に伝えられ,楮,三 椏,雁皮などを用いた和紙が生産されてきた。一 方,シルクロードを経てヨーロッパに伝えられた 製紙法は,パルプを原料とした抄紙機械による製 紙法へと進展をとげ,この技術が輸入され,明治 時代に洋紙の生産が始まる。そして,現在は和紙 の生産量は極めて少なくもはや美術品となり,通 常は洋紙が用いられるようになった。 1995 年現在で世界中で 2 億 7,779 万トンの紙 が生産されており,日本は 2,966 万トンで,こ れは米国に次いで2位である。製紙産業は,現在 でも鉄鋼産業などと並ぶ基幹素材産業の一つであ る。 一方,消費量では,日本はアメリカ、フィンラ ンド、ベルギーに次いで第4位であり,国民1人 あたりの紙・板紙の消費量は年間 239.1kg とな っている。これは,1日に,新聞1日分(朝夕刊)、 ティッシュ1箱,トイレットロール 1 個を合わ せた量を消費していることになる 3)。世界の平 均使用量は,年間 45kg 程度とみられており,国 別にみると紙の使用量は 1 人当たりの GNP と比 例している。中国の使用量は 20kg であるが,12 億の人口を抱える中国の紙の消費量が増えると需 要はたちまち増大することになる。開発途上国の 紙需要が現在の日本の水準に達するなら,現在の 6倍の木材資源が必要になるといわれている。 紙の生産統計では,紙と板紙に大きく分けられ ている。日本の紙の生産高の4割が段ボールなど の「板紙」で,残りの6割が「紙」である。この 「紙」には「包装用紙」や「衛生用紙」も含まれ るが「印刷・情報用紙」は全体の1/3を占め, 新聞用紙は1割である。紙の中で,記録にかかわ るものは全体の4割ほどである。 (3) 紙とは何か 江戸時代には紙の衣服が用いられ,現在でも加 賀和紙で作られる数十万円する帯があったり 4), また,日本家屋では障子や襖紙は必要であった。 しかし,紙は衣食住にはほとんど関係しない。紙 の大部分は日用品として消費されている。 紙について「植物繊維を水中でからみ合わせ, 薄くすきあげて乾燥させたもの」(『国語大辞 典』 )のような定義が一般的であり,ここでは植 物すなわち木材パルプと考えられているが,紙を 原料で定義するのは難しい。歴史的にみても 150 年前まで西洋では布やぼろきれが原料だった。ま た, 現在でも発展途上国では木材以外のワラや竹, サトウキビ,さらに最近ではケナフという植物を 使った非木材紙が作られている。それどころか, ガラスの繊維やセラミック繊維を使った紙など特 殊な用途の紙「特殊紙」が開発されている。我々 が「紙」として思い浮かべるのは,昔だったら半 紙であり,今ならコピー用紙であろう。白くつる つるしている長方形のシートといったイメージで ある。こうした紙のイメージに近いものあるいは 従来の紙の機能を果たすものが紙なのである。 (4) 古紙の再利用と問題点 今では先進国で生産されている紙の原料は,木 材だけではない。古紙も原料として高い割合で使 われている。1996(平成8)年に日本で生産さ れた紙約 3,000 万トンの原料の構成比は、古紙 53%、木材パルプ 47%であり,古紙の使用率が 最も高い国となっている。例えば新聞紙では 50%、 トイレットペーパーでは 80%、段ボールは 85%, そしてコミック雑誌にいたっては 100%が古紙の 再利用で作られている。日本では平安時代から古 紙を利用しており,古紙を漉き返した「薄墨紙」 があり,江戸時代の生活図録には紙の回収業が必 ず載っている。現在のように古紙が本格的に利用 されるのは戦後,新聞古紙を板紙の原料として使 うようになってからである。今では日本は古紙の 再利用のための回収制度が作られ、技術開発が積 極的に行われてきた点で,他の国々をリードして いる。 ところが,バブル崩壊後,古紙の相場は低迷し, 最近では低落する一方であり,その結果として, これまで維持されてきた紙資源の回収制度が行き 詰まりつつある。 (5) 森林資源と紙 上述のような新聞や一部の雑誌を除けば本や雑 誌の大多数,それに印刷に使用される上質紙の多 くは木材パルプを原料としている。木材パルプも その原料の3分の1以上が製材に使った後の残材 や製材には不向きな細い木や曲った木、芯の腐っ た木、風雪で倒された木などが用いられ,木材の 有効利用が図られていると製紙会社は主張してい る。なお,世界でパルプ材に使われる木材の割合 は、木材生産量の約 14%である。 1980 年代半ば,マレーシアで開かれた第三世 界の森林を守るための民間会議で、日本が熱帯林 破壊の元凶と非難された 5)。これは,当時,日 本の商社や木材業者,製紙会社が盛んに熱帯雨林 の伐採を行っていたからである。また,1991 年 にはパプアニューギニアで本州製紙(現王子製 紙)の子会社が住民の反対運動の激化で天然林の 伐採を中止せざるを得なくなった 6)。 森林面積は地球の表面積のうちわずかに 8.6% にすぎず,これは陸地面積の3割でしかない。 森 林は、先進地域に約 19 億ヘクタール,開発途上 地域に約 21 億ヘクタールが分布しているが, 1980 年から 1990 年の 10 年間に、先進地域では わずかながらに増えているのに対し、開発途上地 域では約 1 億ヘクタールの減少となり、そのほ とんどが熱帯地域での減少分である。環境保護と 生態系の維持への関心の高まりから熱帯林の伐採 による木材チップの確保は困難になった。製紙会 社は,国内と海外の植林に力を入れはじめた。こ れでに日本の製紙会社が植林した面積は、国内、 海外合わせて、26 万ヘクタールに達している。 現在,紙は安定して低価格で供給されている。 しかしながら,長期的にみれば,紙の需要が増大 する一方,森林資源は枯渇していくと予想され, これを植林とリサイクル,あるいは新しい原料の 開発でカバーできるようにすることが課題である。 いずれにせよ,やがて紙の価格が上昇するのは避 けられないであろう。それに,紙の価格が上昇し なければ,再生紙の使用は増えず,古紙の回収制 度が機能しないのである。 (6) 酸性紙問題 そして,紙には酸性紙問題がある。19 世紀の 紙需要の増加により,従来の紙の原料であったぼ ろの枯渇に直面した製紙業者は木材パルプを原料 とする製紙技術を開発した。1840 年に木材パル プによる製紙法が発明された。ぼろ布は,ほぼ純 粋なセルロース繊維でできていて,長く保存でき た。しかし,木材には繊維を結びつけるリグニン が含まれ, これが酸化すると紙は黄ばんでしまう。 また,木材パルプで作られた紙は,インクのにじ みどめに硫酸アルミニウウムを添加しているが, 何十年と経過するにつれて,硫酸が遊離して,紙 の繊維を切るので,紙は粉々になる。酸性紙問題 の対策と資料保存はここ 20 年ほどの間の図書館 界の大きな課題の一つとなっている。 今後出版される本に対しては,寿命の長い中性 紙の使用が必要であるが,製紙企業が中性抄紙に 切り替えたため,最近の本の多くには自然に中性 紙が使われるようになった。19 世紀後半から 20 世紀末までの酸性紙に印刷された本の寿命は短い。 これを解決するには,大きくわけて保存環境の改 善,脱酸処理,それに媒体変換の三つの対策があ る。図書館書庫内の温湿度管理など保存環境の改 善の努力は徐々になされてきているが,脱酸処理 にはまだ確立した方法はない。 米国では,保存アクセス委員会(Commission of Preservation and Access)を中心として各図書館 が計画的にマイクロフィルム化を進めている。日 本では,丸善による国立国会図書館の明治期資料 のマイクロフィルム化の事業が行われた。 (7) ペーパーレス社会 20 年前にランカスター(Lancaster, F.W)は, 『ペーパーレス情報システムに向けて』 (邦訳は 『紙なし情報システム』7))の中で科学技術情 報システムの問題点と電子化によるその解決を論 じ,冒頭で「西暦 2000 年の情報システムでも, 紙は今日と同様に重要な位置を占めているだろう か。そうでないことはほぼ確実である」と言い, 最後に「好むと好まざるとにかかわらず,紙なし 社会がすぐそこにせまっている」と述べている。 ランカスターのいう「情報システム」は図書館も 含む広い概念であり,同書の中でいち早く「壁の ない図書館」や「本のない図書館」 ,つまり,現 在の電子図書館についても構想を示した。理由は 不明であるが,ランカスターは紙の出版物が消え 去るに違いないという強い信念を持っていた。 上述のように,紙の生産維持には多くの問題が ある。資源の枯渇への懸念は,現代のどのような 資源にもみられるものと言える。紙の場合は,現 在あるいは近い将来に生産や供給が逼迫するとい う徴候は一切みられない。紙がなくなるといった 前提で電子的な情報システムの必要性を主張する には無理があろう。紙と電子媒体の優劣を単純に 比較し,電子媒体の優位を説くことはできるが, 印刷物の欠点をあげることはかなり難しい。その ために紙の資源の将来に疑問を持たせるといった 論法がとられることが多い。 2.メディアの変化 「印刷物から電子媒体へ」といった表現が比較 的素直に信じられている背景には,以下のような 最近の大きな変革があると考えられる。 (1) レコードからコンパクトディスクへ レコード(音盤)からコンパクトディスクへの 移行は急速だった。 音楽用コンパクトディスクは, オランダのフィリップ社と日本のソニーによって 共同開発され,1982 年 10 月に初めて販売され た。1987 年には,コンパクトディスクがレコー ドを売上高で上回り,レコード会社は自社工場に よるレコードプレスを断念してプレス会社に外注 するようになり,そのプレス各社の中で最後に残 った東洋化成会社がレコードプレスをやめたのは 1991 年 10 月である。 円盤型のレコードが発明されて約 100 年,L Pの歴史は 40 年以上であるが,ちょうど 10 年 で媒体の転換が完了したのである。LPで発売さ れていた曲の大多数がコンパクトディスクで再発 売されたため両者は共存できなかった。コンパク トディスクプレイヤーが次第に増えるにつれてレ コードプレイヤーの生産は低下していったが,レ コードに致命傷を与えたのはレコード針の生産中 止であった。LPの音を愛好し,コンパクトディ スクを拒否する人々は存在したが,大多数は,小 型軽量で音質がよいコンパクトディスクを好んだ。 収納スペースの面での利点も大きかったであろう。 (2) 活版印刷の消滅 もう一つの大きな転換は, 印刷技術にみられた。 アイゼンステイン(Eisenstein, E.L.)は『印刷革 命』の中で「印刷術」という用語を「一群の新技 術(可動活字,油性インク,木製の手動印刷機な どの使用を伴ったもの)を一言で示す符牒」8)と しているが,グーテンベルクが発明したのは一つ の技術ではなく,印刷の方法全体であった。この 印刷術は部分的な改良を経て,約 400 年間使わ れてきた。ところが,日本では 1960 年代末から 1990 年代はじめまでの一連の転換によって,印 刷術すなわち活版印刷は消え去ってしまった。 活字に替わる写真植字の導入,次にコンピュー タの利用による電算写植機,電子組版機の開発と 普及があり,そして,日本語ワードプロセッサに よる入力と汎用機による組版ソフトウェアの利用 へと変わっていった。印刷においては,オフセッ ト印刷をはじめとする平版印刷へと移行した。活 字や活字組版に必要な材料の供給も止まった。 (3) 「書く行為」の電子化 さらに, 「書く」という行為の電子化という改 革がある。日本語ワードプロセッサの登場と普及 は,手で書くことからワードプロセッサの使用へ と人々の「書く行為」を変えた。この「書く行為」 における変化は,上記の二つほど徹底したもので はない。まだ変化の途中であり,頑なに手書きを 守る人々は数多い。しかし,事務作業ではワード プロセッサ使用が浸透した。筆者の所属する大学 の学科では全員が卒業論文を執筆することになっ ているが,3,4年前から手書きの卒業論文は皆 無となった。全てワードプロセッサソフトか専用 ワードプロセッサを用いて書かれている。 つまり, 定型的な文書や繰り返して使用する文書を作った り,何回も書き直したりする論文やレポートの作 成にはワードプロセッサが書かせない道具と認識 されつつある。 (4) メディアの変化の検討 レコードからコンパクトディスクへの転換は徹 底したものであった。従来から,音楽の記録媒体 にはテープとディスクの2種類があり,それぞれ 何度も新しい媒体への転換があった。ディスクは SPからLPに置き換えられたし,テープはオー プンリールからカセットに置き換えられた。LP からコンパクトディスクへの転換もこの流れの中 に位置づけられるのであって,早晩,コンパクト ディスクも別の媒体で置き換えられることになろ う。それに音楽の記録媒体は最初から鑑賞のため の機器が必要であった。機器の性能向上による買 い換えの習慣もあるので,新しい媒体への転換も 比較的円滑になされたと考えられる。 グーテンベルク以来の印刷術は,ほぼ姿を消し てしまった。しかし,これは印刷の技術革新であ り,この過程の最後では従来と同じく紙に印刷し て冊子体が作られている。グーテンベルク以前に も本はあったわけであり,印刷術は大量の複製品 の製作を可能にするという点で影響力を持った。 CTSに移行したからといって出版の過程が変わ ったわけではない。 書くという行為の電子化こそが実は大きな革新 である。紙に記すのではなく,キーボードから文 字を産み出し,それがディスプレイ上に現れる。 こうした作業に徐々に大勢の人々が慣れつつある のは重要な変化である。ディスプレイ画面の文章 をスクロールしながら読むことにも慣れている。 ただ,これによって手書きが廃れるかどうかは疑 問であろう。ワードプロセッサで作られた文章の 多くは,紙に印刷されて読まれているのである。 3.電子媒体は紙に置き換わるのか (1) 本や雑誌とインターネット 紙から電子媒体という表現は具体性に欠ける。 単なる紙ではなく紙に印刷された本や雑誌の今後 が問題なのである。そして,こうした冊子体の出 版物が消え去るとはほとんどの人々は考えていな い。本や雑誌は,単に物体として存在するのでは なく,執筆,出版や流通という行為のもと,出版 社,取次,書店などからなる出版流通の組織,著 作権制度や書誌コントロール,さらには二次流通 をはじめとする特別な販売制度など社会的な制度 を持ち,書評などの評価のシステムに支えられて いる存在である。紙の出版物がなくなるというこ とはこうした制度の崩壊を意味するが,それが近 い将来に起こりうるだろうか。 一方, 「電子媒体」もはっきりしない。最近で はあまり使われなくなってしまったが「電子出 版」という用語があり,これは,紙ではなくCD −ROMや光ディスク,フロッピーディスクなど の電子媒体による出版物を意味している。けれど も,これらの電子出版物は,CD−ROMを含め て,当初に期待されたほど普及していない。 現在,電子媒体として最も理解しやすいのはイ ンターネットにより利用できるネットワーク上の 情報源である。電子図書館もネットワークによる 提供を前提として考えられている。インターネッ ト,特にWWWの急速な普及により,かつてない ほどたやすく情報の探索と入手が可能となった。 インターネットに接続できる環境があり,サーチ エンジンを使いこなせるなら,イギリスの正式の 国名を知ることも, 出版統計を手に入れることも, 参議院本会議の議事録を読むことも,どこでどの ような映画を上映しているのかも即座に調べがつ くようになっている。もちろん主要な古典を読む ことさえも可能である。今後,インターネットあ るいはその後継のネットワークがさらに広く利用 されるのは必定である。 こうした情勢をみて,電子媒体が紙の出版物を 圧倒すると考える意見がでてきてもおかしくはな いが,インターネットと出版物が共存できないわ けではない。問題はインターネットの位置づけに ある。インターネットを従来のメディアと置き換 わるものと考えるか,それとも全く新しいメディ アとみなすかである。テレビが普及していく時に も,これは新聞に換わるメディアであるといった 論調があった。速報性とマルチメディアとしての テレビは新聞に比べて圧倒的に有利であったが, テレビはメディアとして新しい位置を占めること になり,結局は,新聞とテレビは棲み分けをして いる。インターネットにより影響を受けるのはC D−ROMなどの電子出版物であろう。 (2) 紙の印刷物の特色 インターネットはレファレンスツールとして有 用であり,また,従来は冊子体で提供されていた 統計や特許など数多くの資料がインターネットに よって提供されていくのは確実である。またハイ パーテキストのような従来なかった様式による利 用もできる。 しかし,紙の印刷物には,機器を使用せずに読 むことができるという電子媒体との決定的な違い がある。1冊1冊が目に見える形で存在し,たや すく手にとってどこからでもすぐに読むことが可 能という利点は,電子媒体では決して達成できな いのである。新聞や雑誌にしても,短時間で必要 な記事だけを読むための工夫が凝らされており, インターネットで提供される新聞や雑誌はこれを 模倣できない。こうしたアクセスの速さや可搬性 を強調すると,コンピュータや通信分野の技術開 発によって通信速度を向上させたり,あるいは可 搬性に優れた読書器を作れば同じことであるとい う反論がなされる。しかし,どれほど通信の速度 が上がろうと,どのように「便利な」読書器がで きようと,本が実現している機能と性能には遠く 及ばないだろう。 もう一点は,読書である。我々は断片的な事柄 を検索することだけをしているのではない。本の 書き手すなわち著者は,小説であろうと思想書で あろうと,全体を構想し,ある順序で線形に記述 していくことによって著作を作り出す。 読み手は, 著書の意図に従い,最初から最後まで順に「読み 通す」ことにより,はじめてその著作を受容する のである。読んだことのない著作を検索して,断 片的な事実を取り出すことは不可能である。本が 現在のような線形の様式で維持されてきたのは, 人間の思考と受容の様式にかなっていたからであ り,ここでハイパーテキストの優越を簡単に認め るわけにはいかない。 (3) 電子図書館のジレンマ インターネットと従来の出版物の交叉する場所 に電子図書館が存在する。これまでの紙の出版物 を電子化し,どこからでも誰でも利用できるよう にしようというのは,確かに魅力的である。現実 には,著作権の存在により,はるか過去の出版物 しか自由に電子化できない。利用度が高いのは新 しい出版物であって,過去のものが中心では利用 頻度は低い。一方,出版社が自社の出版物を電子 化して提供するとすれば, 有料とならざるを得ず, なおかつこれはインターネットの枠組みの中でな しうるのであるから,電子図書館との関わりは薄 くなる。また,個々の図書館が電子図書館を目指 すというのにも矛盾がある。ネットワーク上での 利用を目指すのであれば,一つの組織で電子化を 進めるほうがはるかに効率的である。こうした電 子図書館の持っているジレンマがたやすく解決に 至るとは思われない。 電子図書館は資料保存における媒体変換と同じ 側面を持っているが,資料保存には明確な目的が あるのに対し,電子図書館の目的は曖昧である。 4. おわりに 結局は,紙の形の本が残るかどうかは,出版社 と読者によって決まるであろう。 欧州のメディア企業であるベルテルスマン社が、 米国の大手出版社であるランダム・ハウス社を買 収し、その結果,英語の本の出版では世界最大の 出版社になろうとしている。1980 年以来、ベル テルスマン社はテレビやオンライン・メディアに 力を注いできている。しかし,1835 年のルター 派聖書の出版に起源を遡るというベルテルスマン 社は, 「今回の買収は、ベルテルスマンが書籍の 未来を固く信じていることを今一度強調するもの である」と言っている 9)。 「所有からアクセスへ」といったスローガンが 叫ばれ,今後,図書館は印刷物以外の収集により 多くの費用と労力を傾けるべきだという主張がな されている。図書館がネットワークで提供される 電子媒体の普及の介添え役を務めることは必要で あろう。しかしそれは,過渡期における役割であ る。それに利用教育は,図書館の仕事の一つであ るにずぎない。ネットワーク上の情報源を図書館 が「所蔵」することはできず,利用者は図書館を 経ることなく利用できるようになるのである。図 書館はパッケージ型の媒体を収集,提供,保存す るための組織として発展してきた。本や雑誌を豊 富に所蔵する図書館が生き残るという結果になる 可能性が高いと考えられる。 1)吉田敏和 紙の流通史と平田英一郎 紙業タイ ムス社 1988 471p 2)久米康生 和紙文化誌 毎日コミュニケーショ ンズ 1990 533p 3)世界の紙・板紙 生産量と消費量(http://www. infosnow.or.jp/ojiebe/world_inf.htm ) (199803-24) 4)Luoma, J.R. 紙の不思議な物語. ナショナルジ オ グ ラ フ ィ ッ ク 日 本 語 版 3(3) p.84-106, 1997.3 5)熱帯雨林の破壊をやめよ 朝日新聞 1986 年 10 月 05 日 朝刊 6)住民が反対、伐採を一時中止 朝日新聞 1991 年 5 月 25 日 夕刊 7)F.W.ランカスター著 植村俊亮訳 紙なし情報 システム 東京 共立出版 1984 205p. 8)E.アイゼンステイン著 別宮貞徳監訳 印刷革 命 東京 みすず書房 1987 324p. 9)Wired News:出版大手、さらに事業拡大(http:// www.hotwired.co.jp/news/news/413.html)(19 98-04-24)
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