1月全校集会 校長講話 - 新潟県立津南中等教育学校

1月全校集会
校長講話
平成27年1月7日
津南中等教育学校長
吉
原
満
みなさん、あけましておめでとうございます。
今年は未年です。羊という字は、いろいろな漢字に取り入れられ、いい意味の言葉が
多いようです。遊牧民のとらえ方なのでしょうが、羊は命を支える「よいもの」として
考えられていました。羊を使った漢字はたくさんあります。たとえば「群」のように羊
という字がわかりやすいものもありますが、丈が短くなってわかりにくいものも多いで
す。人間の理想とされるものに、真・善・美の3つがありますが、そのうち「善」と「美」
には、羊という字が入っています。よいもの、美しいものの象徴が羊だったのです。羊
のような自分を豊かにするもののイメージを抱いて、一年を過ごしたいものです。
今日は、吉田松陰の教育力について話します。ちょうど NHK の大河ドラマも、今年
は吉田松陰の妹 文(ふみ)を主人公とした「花燃ゆ」です。
吉田松陰はわずか29歳で亡くなりましたが、捕らわれて自宅で謹慎中に開いた松下
村塾からは、幕末の日本を駆け巡って世の中を変革し、明治維新を成し遂げた多くの志
士たちが誕生しました。後の総理大臣となった伊藤博文や山県有朊、明治維新の主軸と
なった桂小五郎、奇兵隊を創設し倒幕の要となった高杉晋作など、きら星のごとく多数
の英雄がこの塾で学びました。この時代、優れた人物が優れた師を求めて遠路はるばる
やってきました。そういう意味では、彼らはもともと優秀だったのかもしれませんが、
その個性を大きく伸ばし、心に火をつけられ、活躍する人材になったことは、吉田松陰
の影響ぬきでは語れません。ところが松陰はわずか2年4ヶ月しか、この塾で教えてい
ませんでした。松下村塾とはどんな塾だったのでしょう。
彼は幼い頃から天才というべき優秀な子供でした。畑仕事をしながら、和漢の書を暗
唱し、10歳の時には藩主の前で兵学の講義を行い、高く評価されました。また、後に
海外密航に失敗して獄中にとらわれたとき、月50冊のペースで1年あまりで600冊
の書物を読破しています。しかし、単に頭がよいとか努力家だというだけなら、いくら
でもいます。彼が偉大だったのは、書かれた内容について自分の頭で考え、生きた知識
として吸収し、やがては日本を変えていく行動へとつなげたことです。
1年2ヶ月の獄中で、彼はその力を存分に発揮しました。野山獄というところに入っ
ていたのですが、幸いそこは普通の獄中より緩やかでした。とはいえ何十年も獄中生活
を送っている者も多く、明日への希望もなく、みな無気力に生きている状態でした。そ
んな中、彼は「みなさんはそれぞれよい面を持ち、一芸に秀でている。このようにぼん
やり過ごしていてもしかたないので、お互いに教え合ってみてはいかがでしょうか」と
提案します。書や俳句など、自分が得意とするものを教え合うことで、次第に囚人たち
-1-
は牢屋の中とは思えぬほど意欲にあふれた集団に変わっていきます。松陰が孟子の講義
を始めた頃には、牢の外の役人や獄卒たちまで廊下に座って聞き入るようになりました。
学ぶことで人は生命を充実させ、人生を変えられるのです。
松下村塾に入門したいという人がやってくると、彼は「いっしょに励みましょう」と
言いました。この言葉は最初耳にすると、低姿勢でありふれた言葉に聞こえますが、松
下村塾での学びのあり方を象徴しています。学問は、完成した人が知識を一方的に植え
つけるものと普通は考えてしまいがちですが、この言葉は教える方も学び続けなくては
ならないことをまず語っています。そして、学ぶ者は「何のために学ぶのか」を定め、
求めるものがあって初めて助言を得られることを示しています。「教師になるには教師
になる資格がいる、弟子になるには弟子になる資格がいる。」が彼の持論でした。訪れ
た人は「何のために学ぶのか」と常に問われました。
当時は、260年も続いた徳川の幕藩体制が行き詰まっていたうえ、中国でアヘン戦
争が起こったり、ペリーが黒船でやってきて、世界が激しく流動していました。今まで
通りの小さな自分の殻に安穏としているわけにはいかなかった時代です。幕末の志士た
ちは、みな20代、30代で大きな事をなし、その途中、多くの者が若くして命を失い
ました。
松陰は、過去の歴史や今起こっている事例を取り上げ、それについて塾生は各自自分
ならどう考え、どう対応するか、議論を交わします。その中でお互い判断力を鍛えられ、
考える力を磨かれていきました。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授の教育方法
に通じるものがあります。大部分の者は、松陰のもとでは数ヶ月から1年ほどしか学ん
でいないのに、自分の頭で真剣に考えて意見を練り上げ、激しく戦わせていく中で、自
分の未熟さを乗り越え、自ら高め合える集団になったのです。
松陰は理想のために人生を捧げようと生きたため、その生涯は過激で、時には狂気と
すら感じられ、処刑場での死を持って完結する人生でした。しかし圧倒的な知性とカリ
スマ性がありながら、おごらず穏やかに話し、自由な雰囲気にあふれていました。また、
一人一人の個性を見抜く眼力にも優れていたので、強い個性を持った塾生のよい面を伸
ばし、時代を変革するリーダーに育てることができました。短すぎる年月でしたが、弟
子たちは、彼が死んでもその志をしっかりと受け継ぎ、さらに大きく成長して、新しい
時代を生んだのです。
今週末、10期生の入学者選考検査があります。津南中等教育学校も松下村塾のよう
に、お互いが高め合えるような集団であればよいと強く願っています。勉強が上から与
えられるものではないことに気づき、いっしょに励みましょう。そして知識の暗記だけ
で終わらず、行動できる人間になってほしいと思います。
-2-