2012 年 9 月 10 日 <USJI セミナー報告> 【日付】2012 年 9 月 10 日(月) 【主催】日米研究インスティテュート(USJI) 【開催地】エンバシー・ロウ・ホテル、アンバサダールーム 【タイトル】日米高等教育パネルⅡ 【参加者】 内田勝一 (USJI プレジデント/早稲田大学副総長) ジョージ・R. パッカード (米日財団理事長) 【要約】 内田勝一 (USJI プレジデント/早稲田大学副総長) 本日のパネルディスカッションの目標は、米国と日本の高等教育交流の持続可能なロー ドマップを作成することである。この議論の第一部は 4 月に東京で開催された。この度、 第二部を、ここワシントンで開催している。 ジョージ・R. パッカード (米日財団理事長) パッカード氏は、この度のパネルは日米のそしてアジア太平洋地域の協力関係の将来を うらなう上で大きな意義があると賞賛した。パッカード氏は、1963 年 12 月にライシャワ ー大使の特別補佐官として東京に滞在していた時のことから話を始めた。早稲田大学の学 生のグループがライシャワー大使に是非、故ケネディ大統領の追悼式に出席してほしいと 要請した。パッカード氏は早稲田大学の学生達と協力し、感動的で記憶に残る故ケネディ 大統領の追悼式を演出した。翌月、ロバート・ケネディが東京を訪れ、まだ出馬を発表し ていない中ではあったが、大統領選挙戦をめぐって支援を得るため、早稲田で講演するこ とを希望した。大使館がロバート・ケネディの訪日を知らされたのはその 48 時間前のこと であった。パッカード氏は早稲田大学の大濱総長と交渉して講演の手配をすることを任さ れた。大濱総長は前年、ロバート・ケネディの講演が左翼の抗議のために混乱したという 経緯があったから初めこの申し入れを拒んだ。しかし、パッカード氏は何とか大濱総長を 説得し、1 月 18 日、講演会が実現した。2,000 人の学生がホールを埋めつくしたばかりで はなく、雨の中、5,000 人がホールの外でロバート・ケネディの講演に耳を傾けた。以来、 パッカード氏は、もしこの講演会を無事に行えていなければ、職を失っていたかもしれな いとのこともあり、無事に開催できたことに対して早稲田大学の学生に感謝していると表 明した。 今後の教育交流には、博士課程修了レベルの新しい JET プログラム、ローズ奨学制度の ようなタイプのプログラム、大学間のダブルディグリー・プログラム、そして両国政府の 中堅職員の交換プログラムを含むべきである。但し、そのようなプログラムの実行には時 間がかかり、断片的なものになるだろう。また、永続的な財源がなければそれぞれのプロ グラムの実施基盤が不安定となり、それではすぐれた人材を引きつけることができないで あろう。億万長者の寄付を得るのも 1 つの解決策だが、通常、教育プログラムを支えるの 1 は政府の予算である。しかし、現在の財政赤字を考えると、財源の確保も難しい問題の 1 つである。2004 年から 2009 年の間に、海外で学ぶ米国の学生の数は 28%減少した。日本 は今も米国に送り出す留学生の数が世界第 7 位にランクされているが、その数は年々減少 している。両国のパートナーシップの活力を維持するために、我々は、幅広い教育交流プ ログラムを通して、両国のあらゆる世代の人々が新たな理想を共有するようにしなければ ならない。 日本人がこれから立ち向かわなければならない課題の 1 つは英語力の向上である。日本 が今後国際的なリーダーとしての役割を果たしていこうとするならば、日本の理想や文化 を世界に発信する能力を高めることが必要である。英語の問題はしばしば米国で学ぶ日本 人留学生の減少の理由の 1 つとして引き合いに出されるが、我々はなぜ日本人学生が米国 を魅力のある留学先だと思わなくなっているのかを問わなければならない。その答えには 米国の政治制度と軍産複合体の腐敗が含まれるかもしれない。 パッカード氏は、1960 年から 1962 年に大学院生として日本で過ごした当時のことも話 した。来日したのは 1960 年 6 月の安保闘争のすぐあとだった。東京大学には彼を受け入れ てくれた多くの教授らやメンターがいた。ゆえに、どんなプログラムでもメンタリングを 中心とすることを強く推奨している。また、東京や図書館では知ることができない日本の 姿を知るチャンスになるため、十分に時間をかけて国内を見て回ることを学生に奨励する。 パッカード氏は、大学院生だった当時、東北各県を歩いた。ある夜、青森でイカ釣り漁船 に乗ったとき、数隻の船が協力して作業する様子に驚き、熾烈な競争よりも協力の方がい かに効率的であるかを学んだ。ゆえに、3 月 11 日の震災の後、青森を再建するために人々 が協力する姿を見ても驚かなかった。パッカード氏は、日本の悲観的な将来予測には懐疑 的である。この国には人々が力を合わせて回復する力があり、今なお世界に教えるべきこ とをたくさん持っているからである。彼は大学院生に対し、研究だけではなく教育と学習 に関わることを勧めた。学生は、教室での経験によって、あるいは勉強会の場において、 互いにアイディアを評価し合うことができるのである。パッカード氏はこれらの提案が交 流プログラムの発展に取り入れられることを希望している。 米国でも日本でも注目されているもう 1 つのテーマはリーダーシップである。我々はも はやマンスフィールドやフルブライトのようなリーダーを生み出していないという漠たる 不安を感じている。しかし、パッカード氏はその意見には賛同しない。彼は、過去 13 年間、 日米リーダーシッププログラムを率いてきた。このプログラムでは、20 名の日米の学生が シアトルで 1 週間、京都で 1 週間、共に過ごす。このプログラムを通じてパッカード氏は、 両国にリーダーがいないわけではなく、自分の考えを表明する機会が彼らに与えられてい ないだけだということを知った。彼は、両国の年輩の世代の人々に対して、後進に道を譲 り、若いリーダーたちとその考えを受け入れるように提言した。 最後に、パッカード氏は、このプログラムの実現に尽力してくれたパネルに敬意を表し た。オルダス・ハックスリーはかつて「文明とは教育と災厄の間の競争である」と言った。 パッカード氏は、我々は同じチームの仲間であり、次の世代のために協力しあわなければ ならないことを改めて指摘した。 【質疑応答】 これまでご覧になってきて、学生達はどのように変化してきたと思われますか。 2 日本の学生は米国の学生と変わりません。私はコロンビア大学で教えており、日本人学 生は 20 年前に比べて積極的に質問したり教師と議論したりするようになったと感じていま す。もっとも、私が教えているのはコロンビア大学で国際関係論を学ぼうと自ら選択して やってきた学生であることは指摘しておかなければなりません。ただし、学生たちが日本 の現代史、特に 1920 年から 1945 年までの歴史を知らなさすぎるということは気になりま す。私は「パールハーバーから現在まで」という講義をしていますが、日本の学生たちは、 なぜ戦争が起こったか、誰と戦ったのか知らないことが多いのです。 アーミテージ・ナイ報告書は、日本は世界の一流国家にとどまるか二流国家になるかの曲 がり角に来ていると述べています。日本がこれからなすべき決定、そしてこの曲がり角に おける教育の役割について、どのようにお考えですか。 私は、国を一流や二流に分けることに賛成しませんが、日本はこれからも世界の有力国 の 1 つにとどまるでしょう。日本の文化は豊かで、重要であり、アーミテージとナイによ って打ち捨てられるようなものではありません。どうして日本が何をすべきかをアメリカ 人が口出しするのでしょうか。日本人は自分で決定できます。 日本には起業家精神が欠けていると思われますか。 日本には本田さん、ソニーの盛田さん、松下さんなど素晴らしい起業家がいます。私た ちが考えなければならないのは、どうして今、起業家が出てこないのかということです。 その理由は、年配者が後進に道を譲らないからということに尽きると私は考えています。 新しいオムレツを作るために何個か卵を割る必要があるのなら、どんどん割りましょう。 グローバルな人材を育成する方法について日本の大学に何かアドバイスはありますか。 日本にすぐれたリーダーがいないわけではありません。国際的な市民活動を率いてきた 緒方貞子さんが好例です。私たちは、どうすれば彼女のような人をたくさん育てることが できるのかを考えなければなりません。1 つの大きな要素は英語力の向上です。現状では、 日本人は自分の考えを十分に表現することができません。実のところ、日本はある意味で 米国よりも国際志向が強いのです。ギャラップの世論調査によると、日本人の 78%が進化 論を受け入れているのに対し、アメリカ人はわずか 38%です。若い人々に立ち上がってリ ーダーになるよう働きかけるために、私たちはもっともっと努力する必要があります。教 育に携わる人々は、学生たちの間にこの精神を育てなければならないのです。 JET を改善するにはどうすればいいでしょうか。 JET は日本の単一の対外政策として最も効果的なものです。私は、このプログラムの予 算の削減がされる議論を見るにつけ、本当にがっかりしてしまいます。私はこれまでに 2 回 JET の仕事をしたことがありますが、参加者たちは日本について何かを感じ取ることが できました。それがかけがえのないことなのです。私は、このプログラムを 3 倍、4 倍に拡 大してもらいたいくらいです。逆に日本人の学生が米国で教えるプログラムも創設できた らいいのにと考えています。自らこうした活動に参加した人々が日米の協力関係に力を注 いでくれるのです。 3
© Copyright 2024 Paperzz