『文藝春秋』 2016年11月号

佐野員 一
唐牛伝
唐牛健 太郎 の評伝 です。
学連委 員長、
野員 一さん による、 六〇年安保 の全
片山 ノ ンフ ィク シ ョン作家 の佐
学 生、労働者 が いる﹂ で始 ま る アジ
後 には安保改定 に反対 す る数 百万 の
いる に過ぎ な い。 し かし、我 々の背
自 民党 の背後 には 一握 り の資 本家 が
諸君 !
前 で装 甲 車 に飛 び 乗 り、 ﹁
ド ==引刊H
Ы
醍
l
思 いま し た。
裕次 郎 より か っこ いい
山内 四七年生 まれ の私 は唐牛 よ
、
り十歳 下。同 じ北海道 そ し て北大
の出身 です。唐 牛が活躍 し て いた時
、
代 の間接 的な記憶 もあ るし 彼 の周
囲 に いた西部邁 や青木昌彦 は直接知
つて います。神話化 された唐牛を覚
。
え ている最後 の世代 かもしれません
石原裕
委員長 に就任 した とき は ﹁
、
次郎 より か っこ いい﹂ と騒 がれ 拘
==h“n咄﹁=
︱
︱
報
︱
↓︱
= “
︱
︱
I
I
鮮
つて お かな い で し ょう。 そ の魅 力
。
は、 な んと い っても彼 の人間力 笑
顔 が印象 的な人 です よ。加 え て出 世
、
を目指 す ような山 っ気 はなく た い
置所 に映画会 社 が スカ ウトに来 た唐
牛 です から、今 であれば 世 の中 が放
︱
︱
・
つ ち
や ま
ま さ
も り
ゅ き
ひ で
BUNGEISHUNJU 2016 11
。
書記長 の島成 郎 は慧眼 です
片 山 島 の説得 に、唐牛 の返事 は
、
﹁
皆 が賛成 す るな ら 自 分 とし てはゃ
、
ってみた いと思う﹂。史 上最年 少 一一
。
十 二歳 の全学 連委員長 誕生 でした
えます。北大 ま で唐牛を スカ ウト に
共産主義者同盟︶
い つた、 ブ ント ︵
登 場 した のは、幸運 な偶然 だ とも い
へん純粋だ った。全学連 の委員長 は
大衆 に アピ ー ルす る世俗的 な目線 と お
同時 に、全 学連 のメ ンバーを説得 す r
る た め の論 理 的 構 成 力 も 求 め ら れ
る。そ のふ た つを兼 ね備 え た唐牛 が
︵
キ ヤ ノ ング ロー バ ル 戦 略 研 究 所 研 究 主 幹 ︶
︵
政治学者 。慶應義塾大学教授︶
か た
片山杜秀
︵
歴 史学者 。明治大学特任教授︶
や ま
山内 昌之
鼎談書 評
北 は北海道 の紋 別、南 は与論 島 や喜
︲
界島 。流転 の人生を追 って います。
時 の人﹂ にな り ま
演 説 を行 な い、 ﹁
q
安保闘争 がピ ー クを迎え て いた六
︱
と いう 佐 野 さ ん の言 葉
し た。 と ころが国会突 入を謀 ったデ
ったり。 そし て四十 七歳 で早世 し て
伝説 とな る。挫折者 の栄光 と いいま
す か。時代 が行 きづ ま って挫折 する
人が増 え ると唐 牛 が繰 り返 し蘇 って
。
く る。 そんな気 も します
、
宮家 私 は五 三年生まれ で 一浪
し て東 京 大 学 に入 学 し た のが 七 三
年。前年 ま で駒 場 キ ャンパ スでは民
青 が スト ラ イ キ を し て いた の です
、
が、こ の年 は スト ライキ権を取 れず
。 七〇
笑︶
授業 も試験 も再 開 された ︵
、
年安 保 の後 の保守化 が始 ま り 中核
と革 マ ル の闘 争 は 一部 で続 い て いく
も の の、 学 生 は 急 激 に ノ ンポ リ 化
。
し、エネ ルギ ーを 失 って いく のです
当 時 の私 が 理 解 でき な か った先 輩
⋮
、
た ち の気 持 ち に本 書 で触 れ と ても
おも し ろ か った 。 た と ぇば ﹁一方 で
、
反米 意 識 に心 を 吸 引 さ れ な が ら 一
ヽ
謎
〇年 四月、唐 牛 は国会前 の大群衆 の
敗者 の戦後 漂 流
)
方 で ア メ リ カ のよう な豊 かな国 にな
り た いと いう意 識 も拭 え な か った﹂
。 な る ほど 之
肌
、
モを指 揮 した とし て逮捕 され 闘争
。
の終局を拘置 所 で迎 え る そ の後 は
、
居酒屋 の亭主 にな ったり 漁 師 にな
3V卜d∫ HV卜1 800K CLV3
8VN『 ‖V潤 BOOK Cと υ 8
折感 は、程度 の差 はあれ、北海道 の
人間な ら多 くが経験 した こと でし ょ
ぅ。 こう した自 我意識 と鬱屈感 が混
ざ り合 っている のが唐牛健太郎 な の
です。くわえ て、芸者 の息 子 で庶 子
だ と いう ルー ツも、影響 し ているか
も しれ ませんね。
﹁何か面白いことはないか﹂
片山 そ の複雑 な ″
人間力〃 で唐
牛 は多 彩 な人物 を周 り に呼び 込 み続
けます。 山 口組 の組長、田同 一雄 や、
日本 の黒幕、 田中清 玄。亡くな る直
前 には徳 田虎雄 と親密 にな ります。
山内 左翼 の全学連 が、転向右翼
の田中 から資金提供 を受 け ていたと
スクープ した TBSラジ オ ﹁
ゆがん
だ青春 ﹂ が話題 とな って唐牛 ら は世
間 の批判 にさ らされます が、金 がな
ければ運動 は でき な いと いう言 い分
もあります。当時、仲 間 の保 釈金 を
山 内 ただ 、 唐 牛 は い い時 期 に亡
十度異 な り、独楽 のよう にく るく る
経営者 として活躍 した仲間 と は百 八
│
どう 正面す るか はひじ よう に切実な
問題 で、石原慎太郎 や鶴 見俊 輔 も寄
付 し ている。吉 本隆 明 は ラジ オを き
っかけ に大 々的 に全学 連批判を行 な
った ﹁アカ ハタ﹂ を ﹁エロ新 聞 な み
のひわ いな中傷記事﹂ と批判 し唐牛
と全 学 連 を 一貫 し て擁 護 し て いま
す。吉 本 の主張 は、現場 にいた者 で
な ければ分 からな い歴史 の重 みを理
解 せよと いう ことな のでし ょう。
片山 欲を言 えば 、安 保後 の唐牛
のした こと、 したか つたこと にも っ
と突 っ込ん で欲 しか った。同 世代 の
闘士たち のそ の後 の方が濃密 で︵
笑︶。
北 海 道 や鹿 児 島 で の唐 牛 の生 き ぎ
ま、漁師 の暮 らし やハ﹁
辺境﹂の風土。
民俗学者 の宮 本常 一に傾倒 し てきた
著者 らしさが今 ひと つ発揮 され てい
な いような。﹁
何 か面白 いこと はな い
か﹂が 口癖 の唐牛 です から、
晩年 に打
ち込もう とした教育 の仕事 に ついて
もも っとポジ テ イヴ に描 ける はず 。
ゆる ﹁
金融 ビ ッグバ ン﹂ を実施 しま
す。 それ から 二十年 、金 融 はこ こま
で変化 した のかと驚 きま した。
登場 す る のは、人間 が ﹁
教 え る﹂
こと によ って学習 す る のではな く、
アルゴ リズ ムが自 分 で投資 の判 断を
行 なう ﹁ロボ ・ト レーダ ー﹂ や、ビ
ッグデ ータを分析 し て顧 客 の資産運
用 に助言を与 え る ﹁ロボ ・アドバ イ
ザ ー﹂ など人工知能 を利 用 した ロボ
ットと、 それ らを使 って資産家 たち
(396)
山内 唐牛 が東大 や京大 でなく、
北大 と いう のも興味深 い点 です が、
そ こはあまり書 かれ ていません。 お
そらく東京出身 の佐野 さん には、 五
〇年代 、六〇年 代 の北海道 と北大 の
個性を うまく棚 みきれな か った ので
し ょう。 ﹁わぎ わぎ 東 大 に行 かな く
ても、北大 があ るから十分さ﹂ と唐
牛も言 っていたそう です。当時 の北
大生 には、自 分 たち は東大 や京大 に
準 じる帝国大学 に通 って いると いう
沿持 もありました。偏差値 によ って
行 ける大 学を選 ぶ今 とはま つたく違
う。東京 の私大 を わぎ わぎ 目指 す の
は 一般 的 ではな か った のです。
一方 、海 によ って本州 から速く隔
てられ ていた のも事実。小博出身 の
伊藤整 が ﹃
若 き詩 人 の肖像﹄ で書 い
た よう に、青函 連絡船 で函館 から青
森 ま でま ず 四 時 間。 列 車 に乗 り 換
え、あれ これ東京 ま で十数時間。苦
労 の末 に上京 した伊藤 が味 わ った屈
著 者 は安 保 後 の唐 牛 を 隠 者 とし てイ
メージ し すぎ る こと で能 動 性 を っか
く な った のかも し れ ま せ ん よ。 人 は
山内 安保闘争 で多 く の学生 が人
生を狂 わ せ、樺美智 子 さ んは亡くな
った。闘争後 に転 向 し て大学教授 や
死 ぬ時 期 を 選 べま せ ん が、 唐 牛 は若
回 る人生を歩 んだ唐牛 は、心 のど こ
か で全 学連 の負 け組 に懺悔 と鎮魂 の
ま え そ こね て いる気 も し ま す 。
過 ぎ た 死 が伝 説 と な った とも言 え ま
は映 ります。
心を持 ち続 け ていたよう に私 の目 に
│
(397)
す。
宮 家 残 酷 です が、 真 実 です ね 。
櫻井豊
の巨額 の富を動 かし ている欧米 の ヘ
ッジ フ ァンド です。
融 サービ ス貿易交渉 に交渉官 とし て
った ﹁アルフ ァ碁﹂ が囲碁 の欧 州 チ
ャ ンピ オ ンや韓 国 のト ッププ ロから
人工知能が金融を支配する日
宮家 日本 でも ﹁フィンテ ック﹂
携 わ って いました。そ の後、 WTO
勝利を あげ ま した。ビ ッグ ニ ュー ス
近年 の人 工知能 の進化 は著 しく、
今 年 に入 ってグ ーグ ルの子会社 が作
6 口”口8 + 庁 争 口o︺
o彎 ︶ と い う 造 語
で の合 意をき っかけ に、 大蔵省 は九
I開発 にし のぎを削 リト運用 そ のも
のを機械 にや らせようとし ている。
はず いぶ ん知 られ てき ま し た が、 こ
!
鼎談書 評
六年 に金 融 の自 由化を進 める、 いわ
1600円 +税
の本 を 読 む と 、 現 代 の金 融 にお い て
東洋経済新報社
です よ。金融 の世界 では欧米 の フ ァ
ンドが理系 の研究者を引 き抜 い てA
いか に テ ク ノ ロジ ー が不 可 欠 にな っ
て いる か よく わ か り ま す 。
Ⅲ
外 務 省 に いた 一九 九 四年 、 私 は金
│
来 の金 融市場 ではウ オー ル街 の金融
機関 や日本 のメガ バ ンクが主役 で、
超高速 ロボ ・ト レーダ ー は数百 ナ ノ
秒 で取 引を行 な い、勝率 も高 い。従
ロボ ット にな ってしまう。そんな人
間不要時代 がもう日前な のでし ょう。
ピ ケ テ ィの師匠 のアトキ ンソ ンが、
片山 知的労働 も単純 労働 も、正
確 さや経済性を追求 すれば 、 みんな
フ ァンド はそ の顧 客 にすぎ ません で
したが、 ロボ ツト の登 場 で フ アンド
がひとり勝 ちし、主役 に躍 り出 る可
宮 家 国 家 と人 間 と の関 係 も 、新
たなモデルにならぎるを得ないかも
しれません よ。 たとえば国 民 はす べ
て生活を保障 された国家 公務員 にな
り、 ほとんど の仕事 は ロボ ットが行
なう。もしく は ロボ ットが独裁者 に
ま した。 し かし国際金融 に限 れば 人
間 は電 脳 に負 ける に決 ま っています
からね。資 本主義 やめま す か、 ロボ
大 蔵 省 も ほとん ど知 らな い
た必要数 し か人間 は生存 を許 されな
い⋮⋮と れば 、
く
れ
こ
は
も
う
S
で
F
。
おなじ み のデ ィストピ アです ︵
笑︶
な って、人間社会を支配 す る。
片山 そ し て人 工知能 が弾 き出 し
。
ットやめます かみた いな話 で ︵
笑︶
山内 十九 世紀初 頭 に産業革命 に
宮家 残念 なが ら、本書 では フィ
労働組合 の力を高 め て ロボ ット化 を
阻 止す べき と主 張 し ていると思 いま
すが、本書を読 ん でそ の通 りと思 い
山内 こ のスピ ード感 では、 日本
の個人投資家を 示す言葉 とし て話題
反対 し て機械を打 ち壊 し た、 イギ リ
。
スのラ ッダ イト運 動さながらだ ︵
笑︶
能 性 も出 てき た。金融界を根本 から
揺 るが せる大 き な変化 です。
にな ったで ヽ
セ ス。ワタナ ベ﹂な ん て、
到底生 き残れな いね。 ロボ ットと聞
く と、 つい人型 の﹁ASIMO﹂など
を連想 し てしま う けれど、最前線 は
片山 ラ ッダ イト運動 は失敗 しま
す が、当時 は産業 革命 の先 に第 二次
ンテ ック の実情 に日本 が疎 すぎ ると
指摘 され て います。 これ は今 に始 ま
ま ったく違 う世界 にな っている。
宮家 人 工知能 の進化 によ って、
産業、第 二次産業 と雇 用 が広 が って
行 く 無 限 と も 思 え る可 能 性 が あ っ
力 がな く て、常 に真実を 口 にし てし
融派生 商品 ﹁
デ リバ テ イブ﹂ が最先
端。さ っぱ りわ からな か った ので銀
った こと ではなく、金融 ビ ッグバ ン
の頃 も十年 は遅 れ ていまし た。当時
は、 オプ シ ョンや スワ ツプ など の金
な い。
まう と いう か。 し かし ロボ ットが曖
人間 と機械 の関係 は根本的 に変化 す
る でし ょう。人間 が ロボ ットを使 う
のではなく、 ロボ ットが能 動的 に学
ん で動 く。すご いこと ですが、
一方
で恐 ろし いとも感 じます。
年 功序 列を廃上 し、 理系 に仕事を任
昧性 や情緒 や雰 囲気 や連想術 に つい
た。 と ころが現代 社会 で ロボ ット に
駆逐 された人間 には、多 分 そ の先 が
行 で大蔵省 の担 当 、 いわゆ る ﹁MO
せ て自 分 は退 き、責任 だ け取 る こと
我 々二人 は既 に崖 っぷち ではな いで
。不安 は募 るば かり です 。
すか ︵
笑︶
なれば 、文系人間 は ことご とく ロボ
ット に取 って代 わ ら れ て し ま う。
も表情 豊 かな演技 さえ こな す よう に
て学習 を深 め て、文学 も音楽 も思索
ですが⋮⋮。
。
す ︵
笑︶
点 もあ って、文系 に比 べると人付 き
宮家 と は いえ理系 には理系 の弱
山内 それが できな いのが 日本 で
F担﹂を し ていた大学 の同級生 に尋
ああ、
大蔵省 の人間 も
ね たと ころ、 ﹁
ほとんど知 らな いから、知 らなく て
。
笑︶
も大丈 夫﹂ と言 われました ︵
合 いが苦手 な人も少なくな い。
ええ、 ソー シ ャルな調整能
片山 ン
ら大 統 領 にな ってしま う ト ラ ンプ と
は何 者 な のか、 そ の本 質 が描 か れ て
いる ので はな いか と期 待 し て読 みま
し た。 ワ シ ント ン ・ポ スト の記 者 た
、
ち が、 小学 校 の同 級 生 に始 ま り ト
ラ ンプ と関 わ った大 勢 の人 び と にイ
(398)
(399)
現代 の金融 の最前線 は、 以前 にも
ま し て理系出身 者を 必要 とし ていま
す。し かし財務省 や銀行 に経 済学博
ら識み解く、史上最悪 の大統頼根補 の素顔一
立藝春秋
と も言 わ れ て いま す 。 ひ ょ っと し た
ワ シ ン ト ン ・ホ ス ト 取 材 班 ほ か 野 中 香 方 子 ほ か 訳
ト ラ ンプ
山内 いよ いよ アメリカ の大統領
選 が十 一月 に迫 ってきま した。最近
の調査 ではト ラ ンプ が ク リ ント ンを
一部 では逆転 し た
急激 に追 い上げ 、
鼎談書 評
2100円 十税
士 は いても、相変 わらず 理系 の博 士
はほとんど見 かけな い。文系中心 の
世界 で使 いこな せな い のでし ょう。
山内 省庁 はも とより、 日本 の企
業 のリーダー の多く は文系 出身 です。
最近、 工学系 の出身者 も出 てきま し
たが、物理 や数学 など純粋 な理学系
はまだ少な い。 と ころが フィ ンテ ッ
ク︲の世界 は、数学 的 あ る いは物 理的
な発想 が でき なければ戦 えな い。な
にしろ ﹁ベイズ推定﹂が AI開発 の基
本 だ と いう けれど 、我 々 には ベイズ
。
笑︶
推 定 が何 かさ えわ からな い ︵
宮家 文系 に求 められ る こと は、
Ⅲ
800ド t CLV8
Bヽ ′〕
N∫ HVN
の大統領選だ と いう確信 は深ま るば
。
かり でしたが ︵
笑︶
分 です。読 めば 読 む ほど、史 上最悪
う場面 など、 も はや コメデ ィのよう
でお かしくなります よ。結婚 は三度
の話 ︵
笑︶。妻 と愛 人 が ク リ スマス休
暇中 にリゾ ー ト地 で出く わ し罵 り合
豊富 な証言 からわ かる のは、常 に
ど う や つた ら目立 てる
ト ラ ンプ が ﹁
のはありま せん。 ワシ ント ン ・ポ ス
トお得意 の調査報道 で、編集 主幹 の
ボブ ・ウ ッド ワードも加 わり、
一読
の価値 があります。
たが、 おそらく これ ほど包括 的 なも
宮家 留学 し て いた 一九 七六年 以
し て いて、﹁
離婚 と ﹃
秘密保持契約ヒ
と いう章 もあ るく ら いです。 ト ラ ン
プ ほど、好色 さが自 分 の評判を高 め
ンタビ ューし て いて、読 み応 え は十
来 四十年 にわた って大統領選を見 て
きましたが、 これ ほど レベ ルが低 い
ると信 じ て いる男性 も珍 し い。
か﹂ し か考 え ていな いこと。終 章 近
く に立候 補 し てから の経緯 が出 てき
。政治 家 な らば 、有権 者 や支持
︵
笑︶
ますが、 そ のほか の四〇〇 ページ強
に、 トラ ンプ の政治 的資質 や信条 が >
0
読 み取 れ る エピ ソー ド は皆 無 です 4
く
破産 に近 い状態 から、 人気 TV番組
山内 アメリカ でいちば ん モテた
く わからな い。
大統領 にな りた いのか、最後 ま でよ
ま り、彼 は政治 を や って いな いん で
す。機を見 る のは違者 ですが、 なぜ
﹁
政 治 ﹂ を 行 な う のが普 通 です が、
ト ラ ンプ は常 に自 己 の利 益 を 優 先
し、人を犠 牲 にし て結果を 出す。 つ
者 の利益 のた め に自 分を殺 し てでも
し
、
か 、 も し大統領 にな ったとき 日本
はど のよう に接 す る べきな のか厄介
。
です。 冗談 ではすまなくな る
宮家 恐 ろし いのは、 アメリカが
ますます内向 き になり、 孤立主義を
深 める こと。国際的 な エ ンゲ ージ メ
ントを減 らし、同盟国 にはさ らな る
>
、ョ
︲
0
4
く
出費を要求 す る でし ょう。 ト ラ ンプ
の政
害日からは、す でにそ の匂い がぷん
ぷん漂 って います。 日本が 一対 一で
ト ラ ンプ と対 峙 す る の では上 く
︱ ロ ッパ や中 東 、 そ し て アジ ァ の ア メリ カ同 盟 国 と 一致 団 結 し て孤 立 主
。負 担
。
の分 かち合 いは維 持 す べき です から
、
片 山 ク リ ント ンが勝 っても ア
義 に反 対 す る こと が重 要 です
山 内 日本 が駐 留 米 軍 の経 費 の半
せん。
メリ カ の世界 で の存 在 感 が低 落 し て
た ト ラ ンプ が ﹁な ん で全 部 出 さ な い
ん だ ﹂ と言 って笑 い話 にな り ま し た
鼎 談書 評
な く て は いけ ま せ ん。
山 内 ま す ま す 大 統 領 選 の日 が恐
笑︶。
ろ しく な ってき ま し た ︵
行 く 中 長 期 的 傾 向 は変 わ ら な い でし
ょう し、 そ ろ そ ろ真 剣 に考 え てお か
分 を 負 担 し て いる ことを 知 らな か っ
を足 し て二で割 ると近 いかも しれま
、
山内 日本 の政治家 に例 え ると
。
誰 に似 て いるん でし ょうね
宮家 う ︱ん⋮⋮な かな か いま せ
んが、石原慎 太郎 さんと橋 下徹 さ ん
プ が勝 つと思 え てきま した。
、
復 しま す。読 めば 読 む ほど ト ラ ン
しろ いことを言 えば簡単 に人気を回
ワ ン ・フレーズを 日にす る人 の人気
一度失言 し ても、次 におも
が高 く、
日本 も最近 そ の傾 向 が著 し いです
が、 アメリカは特 にテ レビ受 けす る
。
ょ う
つ
る べき と ころ には結 局 伝 わ らな い で
宮家 過 去半年 のあ いだ にト ラ ン
プ に ついての本 が大量 に出 回りま し
腕 の実業 家 と信 じ込 んだ視聴者 が、
彼 を支持 し ている のでし ょう。
のよう でもあります。 ト ラ ンプ を凄
ろなど、広告代 理店 の敏腕営業 マン
﹁アプ レ ンテ ィ ス﹂ で甦 る の です
が、視聴率を毎週気 にかけ、何を す
れば 話題 にな る か熱 心 に考 え ると こ
実業 の世界 では才能 が豊 かな のかと
思 ったら、 こち らも ほとんど崩壊 し
。
て いる こと が わ か り ま し た ︵
笑︶
片山 政治家 とし てはとも かく、
選挙戦 は はじめ てですよ。
山内 メキ シ コと の間 に壁を作 る
など ト ラ ンプ の過激 な発言 が注 目を
集 め て います が、自 分 の主義 や主張
を絶対 に曲げ な い点 は小さな頃 から
一貫 し ています。 日 に出 す のは悪態
ば かり。狙 った不 動産 は違法 ギ リギ
リ の手段 で手 に入れ、逆 らう人間 は
ためらわず にクビ にす る。経営 す る
アパー ト に黒 人を 入居 させな か った
父親 の影響 もあ る のか、人種差 別的
な発言 も繰 り返 し てきました。
ただ、 トラ ンプ の人生を詳細 に追
っても、政治家 を志 す理由 は見 え て
こな い。本書 の多 くも、金 とオ ンナ
男 、J ・F ・ケネデ ィを超 え る には
大統領 にな るし かな い、 と いう程度
。
笑︶
ですね ︵
ト ラ ンプ が勝 つ予 感
片山 ところが大統領選 の本選 ま
、
で のぼり つめ てしまう のが 現代 の
民主主義 の恐 ろし いと ころ です胸格
差 が拡大 し、中産 層 が ひたす ら崩壊
し て いる アメリカ では現状 に不満を
持 つ下層 が多 数派 にな って いると言
ってよ いでし ょう。彼 らは大局的判
。
断 など と いう も のとは無縁 です よ
誰 もが平等 な 一票 を持 って総数を競
う民主主義 ではトラ ンプ のような人
が 当 選 す る可 能 性 が 大 き く な り ま
す。良識家 はト ラ ンプ の発言 に眉を
、
ひそ め、 本書 を読 めば ﹁ほら や っ
ぱ り﹂ とな る でし ょうが、 ト ラ ンプ
支持 者 は こんな厚 い本 はまず 手 に取
。 本 書 の内 容 は伝 わ
笑︶
りま せ ん ︵
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