佐野員 一 唐牛伝 唐牛健 太郎 の評伝 です。 学連委 員長、 野員 一さん による、 六〇年安保 の全 片山 ノ ンフ ィク シ ョン作家 の佐 学 生、労働者 が いる﹂ で始 ま る アジ 後 には安保改定 に反対 す る数 百万 の いる に過ぎ な い。 し かし、我 々の背 自 民党 の背後 には 一握 り の資 本家 が 諸君 ! 前 で装 甲 車 に飛 び 乗 り、 ﹁ ド ==引刊H Ы 醍 l 思 いま し た。 裕次 郎 より か っこ いい 山内 四七年生 まれ の私 は唐牛 よ 、 り十歳 下。同 じ北海道 そ し て北大 の出身 です。唐 牛が活躍 し て いた時 、 代 の間接 的な記憶 もあ るし 彼 の周 囲 に いた西部邁 や青木昌彦 は直接知 つて います。神話化 された唐牛を覚 。 え ている最後 の世代 かもしれません 石原裕 委員長 に就任 した とき は ﹁ 、 次郎 より か っこ いい﹂ と騒 がれ 拘 ==h“n咄﹁= ︱ ︱ 報 ︱ ↓︱ = “ ︱ ︱ I I 鮮 つて お かな い で し ょう。 そ の魅 力 。 は、 な んと い っても彼 の人間力 笑 顔 が印象 的な人 です よ。加 え て出 世 、 を目指 す ような山 っ気 はなく た い 置所 に映画会 社 が スカ ウトに来 た唐 牛 です から、今 であれば 世 の中 が放 ︱ ︱ ・ つ ち や ま ま さ も り ゅ き ひ で BUNGEISHUNJU 2016 11 。 書記長 の島成 郎 は慧眼 です 片 山 島 の説得 に、唐牛 の返事 は 、 ﹁ 皆 が賛成 す るな ら 自 分 とし てはゃ 、 ってみた いと思う﹂。史 上最年 少 一一 。 十 二歳 の全学 連委員長 誕生 でした えます。北大 ま で唐牛を スカ ウト に 共産主義者同盟︶ い つた、 ブ ント ︵ 登 場 した のは、幸運 な偶然 だ とも い へん純粋だ った。全学連 の委員長 は 大衆 に アピ ー ルす る世俗的 な目線 と お 同時 に、全 学連 のメ ンバーを説得 す r る た め の論 理 的 構 成 力 も 求 め ら れ る。そ のふ た つを兼 ね備 え た唐牛 が ︵ キ ヤ ノ ング ロー バ ル 戦 略 研 究 所 研 究 主 幹 ︶ ︵ 政治学者 。慶應義塾大学教授︶ か た 片山杜秀 ︵ 歴 史学者 。明治大学特任教授︶ や ま 山内 昌之 鼎談書 評 北 は北海道 の紋 別、南 は与論 島 や喜 ︲ 界島 。流転 の人生を追 って います。 時 の人﹂ にな り ま 演 説 を行 な い、 ﹁ q 安保闘争 がピ ー クを迎え て いた六 ︱ と いう 佐 野 さ ん の言 葉 し た。 と ころが国会突 入を謀 ったデ ったり。 そし て四十 七歳 で早世 し て 伝説 とな る。挫折者 の栄光 と いいま す か。時代 が行 きづ ま って挫折 する 人が増 え ると唐 牛 が繰 り返 し蘇 って 。 く る。 そんな気 も します 、 宮家 私 は五 三年生まれ で 一浪 し て東 京 大 学 に入 学 し た のが 七 三 年。前年 ま で駒 場 キ ャンパ スでは民 青 が スト ラ イ キ を し て いた の です 、 が、こ の年 は スト ライキ権を取 れず 。 七〇 笑︶ 授業 も試験 も再 開 された ︵ 、 年安 保 の後 の保守化 が始 ま り 中核 と革 マ ル の闘 争 は 一部 で続 い て いく も の の、 学 生 は 急 激 に ノ ンポ リ 化 。 し、エネ ルギ ーを 失 って いく のです 当 時 の私 が 理 解 でき な か った先 輩 ⋮ 、 た ち の気 持 ち に本 書 で触 れ と ても おも し ろ か った 。 た と ぇば ﹁一方 で 、 反米 意 識 に心 を 吸 引 さ れ な が ら 一 ヽ 謎 〇年 四月、唐 牛 は国会前 の大群衆 の 敗者 の戦後 漂 流 ) 方 で ア メ リ カ のよう な豊 かな国 にな り た いと いう意 識 も拭 え な か った﹂ 。 な る ほど 之 肌 、 モを指 揮 した とし て逮捕 され 闘争 。 の終局を拘置 所 で迎 え る そ の後 は 、 居酒屋 の亭主 にな ったり 漁 師 にな 3V卜d∫ HV卜1 800K CLV3 8VN『 ‖V潤 BOOK Cと υ 8 折感 は、程度 の差 はあれ、北海道 の 人間な ら多 くが経験 した こと でし ょ ぅ。 こう した自 我意識 と鬱屈感 が混 ざ り合 っている のが唐牛健太郎 な の です。くわえ て、芸者 の息 子 で庶 子 だ と いう ルー ツも、影響 し ているか も しれ ませんね。 ﹁何か面白いことはないか﹂ 片山 そ の複雑 な ″ 人間力〃 で唐 牛 は多 彩 な人物 を周 り に呼び 込 み続 けます。 山 口組 の組長、田同 一雄 や、 日本 の黒幕、 田中清 玄。亡くな る直 前 には徳 田虎雄 と親密 にな ります。 山内 左翼 の全学連 が、転向右翼 の田中 から資金提供 を受 け ていたと スクープ した TBSラジ オ ﹁ ゆがん だ青春 ﹂ が話題 とな って唐牛 ら は世 間 の批判 にさ らされます が、金 がな ければ運動 は でき な いと いう言 い分 もあります。当時、仲 間 の保 釈金 を 山 内 ただ 、 唐 牛 は い い時 期 に亡 十度異 な り、独楽 のよう にく るく る 経営者 として活躍 した仲間 と は百 八 │ どう 正面す るか はひじ よう に切実な 問題 で、石原慎太郎 や鶴 見俊 輔 も寄 付 し ている。吉 本隆 明 は ラジ オを き っかけ に大 々的 に全学 連批判を行 な った ﹁アカ ハタ﹂ を ﹁エロ新 聞 な み のひわ いな中傷記事﹂ と批判 し唐牛 と全 学 連 を 一貫 し て擁 護 し て いま す。吉 本 の主張 は、現場 にいた者 で な ければ分 からな い歴史 の重 みを理 解 せよと いう ことな のでし ょう。 片山 欲を言 えば 、安 保後 の唐牛 のした こと、 したか つたこと にも っ と突 っ込ん で欲 しか った。同 世代 の 闘士たち のそ の後 の方が濃密 で︵ 笑︶。 北 海 道 や鹿 児 島 で の唐 牛 の生 き ぎ ま、漁師 の暮 らし やハ﹁ 辺境﹂の風土。 民俗学者 の宮 本常 一に傾倒 し てきた 著者 らしさが今 ひと つ発揮 され てい な いような。﹁ 何 か面白 いこと はな い か﹂が 口癖 の唐牛 です から、 晩年 に打 ち込もう とした教育 の仕事 に ついて もも っとポジ テ イヴ に描 ける はず 。 ゆる ﹁ 金融 ビ ッグバ ン﹂ を実施 しま す。 それ から 二十年 、金 融 はこ こま で変化 した のかと驚 きま した。 登場 す る のは、人間 が ﹁ 教 え る﹂ こと によ って学習 す る のではな く、 アルゴ リズ ムが自 分 で投資 の判 断を 行 なう ﹁ロボ ・ト レーダ ー﹂ や、ビ ッグデ ータを分析 し て顧 客 の資産運 用 に助言を与 え る ﹁ロボ ・アドバ イ ザ ー﹂ など人工知能 を利 用 した ロボ ットと、 それ らを使 って資産家 たち (396) 山内 唐牛 が東大 や京大 でなく、 北大 と いう のも興味深 い点 です が、 そ こはあまり書 かれ ていません。 お そらく東京出身 の佐野 さん には、 五 〇年代 、六〇年 代 の北海道 と北大 の 個性を うまく棚 みきれな か った ので し ょう。 ﹁わぎ わぎ 東 大 に行 かな く ても、北大 があ るから十分さ﹂ と唐 牛も言 っていたそう です。当時 の北 大生 には、自 分 たち は東大 や京大 に 準 じる帝国大学 に通 って いると いう 沿持 もありました。偏差値 によ って 行 ける大 学を選 ぶ今 とはま つたく違 う。東京 の私大 を わぎ わぎ 目指 す の は 一般 的 ではな か った のです。 一方 、海 によ って本州 から速く隔 てられ ていた のも事実。小博出身 の 伊藤整 が ﹃ 若 き詩 人 の肖像﹄ で書 い た よう に、青函 連絡船 で函館 から青 森 ま でま ず 四 時 間。 列 車 に乗 り 換 え、あれ これ東京 ま で十数時間。苦 労 の末 に上京 した伊藤 が味 わ った屈 著 者 は安 保 後 の唐 牛 を 隠 者 とし てイ メージ し すぎ る こと で能 動 性 を っか く な った のかも し れ ま せ ん よ。 人 は 山内 安保闘争 で多 く の学生 が人 生を狂 わ せ、樺美智 子 さ んは亡くな った。闘争後 に転 向 し て大学教授 や 死 ぬ時 期 を 選 べま せ ん が、 唐 牛 は若 回 る人生を歩 んだ唐牛 は、心 のど こ か で全 学連 の負 け組 に懺悔 と鎮魂 の ま え そ こね て いる気 も し ま す 。 過 ぎ た 死 が伝 説 と な った とも言 え ま は映 ります。 心を持 ち続 け ていたよう に私 の目 に │ (397) す。 宮 家 残 酷 です が、 真 実 です ね 。 櫻井豊 の巨額 の富を動 かし ている欧米 の ヘ ッジ フ ァンド です。 融 サービ ス貿易交渉 に交渉官 とし て った ﹁アルフ ァ碁﹂ が囲碁 の欧 州 チ ャ ンピ オ ンや韓 国 のト ッププ ロから 人工知能が金融を支配する日 宮家 日本 でも ﹁フィンテ ック﹂ 携 わ って いました。そ の後、 WTO 勝利を あげ ま した。ビ ッグ ニ ュー ス 近年 の人 工知能 の進化 は著 しく、 今 年 に入 ってグ ーグ ルの子会社 が作 6 口”口8 + 庁 争 口o︺ o彎 ︶ と い う 造 語 で の合 意をき っかけ に、 大蔵省 は九 I開発 にし のぎを削 リト運用 そ のも のを機械 にや らせようとし ている。 はず いぶ ん知 られ てき ま し た が、 こ ! 鼎談書 評 六年 に金 融 の自 由化を進 める、 いわ 1600円 +税 の本 を 読 む と 、 現 代 の金 融 にお い て 東洋経済新報社 です よ。金融 の世界 では欧米 の フ ァ ンドが理系 の研究者を引 き抜 い てA いか に テ ク ノ ロジ ー が不 可 欠 にな っ て いる か よく わ か り ま す 。 Ⅲ 外 務 省 に いた 一九 九 四年 、 私 は金 │ 来 の金 融市場 ではウ オー ル街 の金融 機関 や日本 のメガ バ ンクが主役 で、 超高速 ロボ ・ト レーダ ー は数百 ナ ノ 秒 で取 引を行 な い、勝率 も高 い。従 ロボ ット にな ってしまう。そんな人 間不要時代 がもう日前な のでし ょう。 ピ ケ テ ィの師匠 のアトキ ンソ ンが、 片山 知的労働 も単純 労働 も、正 確 さや経済性を追求 すれば 、 みんな フ ァンド はそ の顧 客 にすぎ ません で したが、 ロボ ツト の登 場 で フ アンド がひとり勝 ちし、主役 に躍 り出 る可 宮 家 国 家 と人 間 と の関 係 も 、新 たなモデルにならぎるを得ないかも しれません よ。 たとえば国 民 はす べ て生活を保障 された国家 公務員 にな り、 ほとんど の仕事 は ロボ ットが行 なう。もしく は ロボ ットが独裁者 に ま した。 し かし国際金融 に限 れば 人 間 は電 脳 に負 ける に決 ま っています からね。資 本主義 やめま す か、 ロボ 大 蔵 省 も ほとん ど知 らな い た必要数 し か人間 は生存 を許 されな い⋮⋮と れば 、 く れ こ は も う S で F 。 おなじ み のデ ィストピ アです ︵ 笑︶ な って、人間社会を支配 す る。 片山 そ し て人 工知能 が弾 き出 し 。 ットやめます かみた いな話 で ︵ 笑︶ 山内 十九 世紀初 頭 に産業革命 に 宮家 残念 なが ら、本書 では フィ 労働組合 の力を高 め て ロボ ット化 を 阻 止す べき と主 張 し ていると思 いま すが、本書を読 ん でそ の通 りと思 い 山内 こ のスピ ード感 では、 日本 の個人投資家を 示す言葉 とし て話題 反対 し て機械を打 ち壊 し た、 イギ リ 。 スのラ ッダ イト運 動さながらだ ︵ 笑︶ 能 性 も出 てき た。金融界を根本 から 揺 るが せる大 き な変化 です。 にな ったで ヽ セ ス。ワタナ ベ﹂な ん て、 到底生 き残れな いね。 ロボ ットと聞 く と、 つい人型 の﹁ASIMO﹂など を連想 し てしま う けれど、最前線 は 片山 ラ ッダ イト運動 は失敗 しま す が、当時 は産業 革命 の先 に第 二次 ンテ ック の実情 に日本 が疎 すぎ ると 指摘 され て います。 これ は今 に始 ま ま ったく違 う世界 にな っている。 宮家 人 工知能 の進化 によ って、 産業、第 二次産業 と雇 用 が広 が って 行 く 無 限 と も 思 え る可 能 性 が あ っ 力 がな く て、常 に真実を 口 にし てし 融派生 商品 ﹁ デ リバ テ イブ﹂ が最先 端。さ っぱ りわ からな か った ので銀 った こと ではなく、金融 ビ ッグバ ン の頃 も十年 は遅 れ ていまし た。当時 は、 オプ シ ョンや スワ ツプ など の金 な い。 まう と いう か。 し かし ロボ ットが曖 人間 と機械 の関係 は根本的 に変化 す る でし ょう。人間 が ロボ ットを使 う のではなく、 ロボ ットが能 動的 に学 ん で動 く。すご いこと ですが、 一方 で恐 ろし いとも感 じます。 年 功序 列を廃上 し、 理系 に仕事を任 昧性 や情緒 や雰 囲気 や連想術 に つい た。 と ころが現代 社会 で ロボ ット に 駆逐 された人間 には、多 分 そ の先 が 行 で大蔵省 の担 当 、 いわゆ る ﹁MO せ て自 分 は退 き、責任 だ け取 る こと 我 々二人 は既 に崖 っぷち ではな いで 。不安 は募 るば かり です 。 すか ︵ 笑︶ なれば 、文系人間 は ことご とく ロボ ット に取 って代 わ ら れ て し ま う。 も表情 豊 かな演技 さえ こな す よう に て学習 を深 め て、文学 も音楽 も思索 ですが⋮⋮。 。 す ︵ 笑︶ 点 もあ って、文系 に比 べると人付 き 宮家 と は いえ理系 には理系 の弱 山内 それが できな いのが 日本 で F担﹂を し ていた大学 の同級生 に尋 ああ、 大蔵省 の人間 も ね たと ころ、 ﹁ ほとんど知 らな いから、知 らなく て 。 笑︶ も大丈 夫﹂ と言 われました ︵ 合 いが苦手 な人も少なくな い。 ええ、 ソー シ ャルな調整能 片山 ン ら大 統 領 にな ってしま う ト ラ ンプ と は何 者 な のか、 そ の本 質 が描 か れ て いる ので はな いか と期 待 し て読 みま し た。 ワ シ ント ン ・ポ スト の記 者 た 、 ち が、 小学 校 の同 級 生 に始 ま り ト ラ ンプ と関 わ った大 勢 の人 び と にイ (398) (399) 現代 の金融 の最前線 は、 以前 にも ま し て理系出身 者を 必要 とし ていま す。し かし財務省 や銀行 に経 済学博 ら識み解く、史上最悪 の大統頼根補 の素顔一 立藝春秋 と も言 わ れ て いま す 。 ひ ょ っと し た ワ シ ン ト ン ・ホ ス ト 取 材 班 ほ か 野 中 香 方 子 ほ か 訳 ト ラ ンプ 山内 いよ いよ アメリカ の大統領 選 が十 一月 に迫 ってきま した。最近 の調査 ではト ラ ンプ が ク リ ント ンを 一部 では逆転 し た 急激 に追 い上げ 、 鼎談書 評 2100円 十税 士 は いても、相変 わらず 理系 の博 士 はほとんど見 かけな い。文系中心 の 世界 で使 いこな せな い のでし ょう。 山内 省庁 はも とより、 日本 の企 業 のリーダー の多く は文系 出身 です。 最近、 工学系 の出身者 も出 てきま し たが、物理 や数学 など純粋 な理学系 はまだ少な い。 と ころが フィ ンテ ッ ク︲の世界 は、数学 的 あ る いは物 理的 な発想 が でき なければ戦 えな い。な にしろ ﹁ベイズ推定﹂が AI開発 の基 本 だ と いう けれど 、我 々 には ベイズ 。 笑︶ 推 定 が何 かさ えわ からな い ︵ 宮家 文系 に求 められ る こと は、 Ⅲ 800ド t CLV8 Bヽ ′〕 N∫ HVN の大統領選だ と いう確信 は深ま るば 。 かり でしたが ︵ 笑︶ 分 です。読 めば 読 む ほど、史 上最悪 う場面 など、 も はや コメデ ィのよう でお かしくなります よ。結婚 は三度 の話 ︵ 笑︶。妻 と愛 人 が ク リ スマス休 暇中 にリゾ ー ト地 で出く わ し罵 り合 豊富 な証言 からわ かる のは、常 に ど う や つた ら目立 てる ト ラ ンプ が ﹁ のはありま せん。 ワシ ント ン ・ポ ス トお得意 の調査報道 で、編集 主幹 の ボブ ・ウ ッド ワードも加 わり、 一読 の価値 があります。 たが、 おそらく これ ほど包括 的 なも 宮家 留学 し て いた 一九 七六年 以 し て いて、﹁ 離婚 と ﹃ 秘密保持契約ヒ と いう章 もあ るく ら いです。 ト ラ ン プ ほど、好色 さが自 分 の評判を高 め ンタビ ューし て いて、読 み応 え は十 来 四十年 にわた って大統領選を見 て きましたが、 これ ほど レベ ルが低 い ると信 じ て いる男性 も珍 し い。 か﹂ し か考 え ていな いこと。終 章 近 く に立候 補 し てから の経緯 が出 てき 。政治 家 な らば 、有権 者 や支持 ︵ 笑︶ ますが、 そ のほか の四〇〇 ページ強 に、 トラ ンプ の政治 的資質 や信条 が > 0 読 み取 れ る エピ ソー ド は皆 無 です 4 く 破産 に近 い状態 から、 人気 TV番組 山内 アメリカ でいちば ん モテた く わからな い。 大統領 にな りた いのか、最後 ま でよ ま り、彼 は政治 を や って いな いん で す。機を見 る のは違者 ですが、 なぜ ﹁ 政 治 ﹂ を 行 な う のが普 通 です が、 ト ラ ンプ は常 に自 己 の利 益 を 優 先 し、人を犠 牲 にし て結果を 出す。 つ 者 の利益 のた め に自 分を殺 し てでも し 、 か 、 も し大統領 にな ったとき 日本 はど のよう に接 す る べきな のか厄介 。 です。 冗談 ではすまなくな る 宮家 恐 ろし いのは、 アメリカが ますます内向 き になり、 孤立主義を 深 める こと。国際的 な エ ンゲ ージ メ ントを減 らし、同盟国 にはさ らな る > 、ョ ︲ 0 4 く 出費を要求 す る でし ょう。 ト ラ ンプ の政 害日からは、す でにそ の匂い がぷん ぷん漂 って います。 日本が 一対 一で ト ラ ンプ と対 峙 す る の では上 く ︱ ロ ッパ や中 東 、 そ し て アジ ァ の ア メリ カ同 盟 国 と 一致 団 結 し て孤 立 主 。負 担 。 の分 かち合 いは維 持 す べき です から 、 片 山 ク リ ント ンが勝 っても ア 義 に反 対 す る こと が重 要 です 山 内 日本 が駐 留 米 軍 の経 費 の半 せん。 メリ カ の世界 で の存 在 感 が低 落 し て た ト ラ ンプ が ﹁な ん で全 部 出 さ な い ん だ ﹂ と言 って笑 い話 にな り ま し た 鼎 談書 評 な く て は いけ ま せ ん。 山 内 ま す ま す 大 統 領 選 の日 が恐 笑︶。 ろ しく な ってき ま し た ︵ 行 く 中 長 期 的 傾 向 は変 わ ら な い でし ょう し、 そ ろ そ ろ真 剣 に考 え てお か 分 を 負 担 し て いる ことを 知 らな か っ を足 し て二で割 ると近 いかも しれま 、 山内 日本 の政治家 に例 え ると 。 誰 に似 て いるん でし ょうね 宮家 う ︱ん⋮⋮な かな か いま せ んが、石原慎 太郎 さんと橋 下徹 さ ん プ が勝 つと思 え てきま した。 、 復 しま す。読 めば 読 む ほど ト ラ ン しろ いことを言 えば簡単 に人気を回 ワ ン ・フレーズを 日にす る人 の人気 一度失言 し ても、次 におも が高 く、 日本 も最近 そ の傾 向 が著 し いです が、 アメリカは特 にテ レビ受 けす る 。 ょ う つ る べき と ころ には結 局 伝 わ らな い で 宮家 過 去半年 のあ いだ にト ラ ン プ に ついての本 が大量 に出 回りま し 腕 の実業 家 と信 じ込 んだ視聴者 が、 彼 を支持 し ている のでし ょう。 のよう でもあります。 ト ラ ンプ を凄 ろなど、広告代 理店 の敏腕営業 マン ﹁アプ レ ンテ ィ ス﹂ で甦 る の です が、視聴率を毎週気 にかけ、何を す れば 話題 にな る か熱 心 に考 え ると こ 実業 の世界 では才能 が豊 かな のかと 思 ったら、 こち らも ほとんど崩壊 し 。 て いる こと が わ か り ま し た ︵ 笑︶ 片山 政治家 とし てはとも かく、 選挙戦 は はじめ てですよ。 山内 メキ シ コと の間 に壁を作 る など ト ラ ンプ の過激 な発言 が注 目を 集 め て います が、自 分 の主義 や主張 を絶対 に曲げ な い点 は小さな頃 から 一貫 し ています。 日 に出 す のは悪態 ば かり。狙 った不 動産 は違法 ギ リギ リ の手段 で手 に入れ、逆 らう人間 は ためらわず にクビ にす る。経営 す る アパー ト に黒 人を 入居 させな か った 父親 の影響 もあ る のか、人種差 別的 な発言 も繰 り返 し てきました。 ただ、 トラ ンプ の人生を詳細 に追 っても、政治家 を志 す理由 は見 え て こな い。本書 の多 くも、金 とオ ンナ 男 、J ・F ・ケネデ ィを超 え る には 大統領 にな るし かな い、 と いう程度 。 笑︶ ですね ︵ ト ラ ンプ が勝 つ予 感 片山 ところが大統領選 の本選 ま 、 で のぼり つめ てしまう のが 現代 の 民主主義 の恐 ろし いと ころ です胸格 差 が拡大 し、中産 層 が ひたす ら崩壊 し て いる アメリカ では現状 に不満を 持 つ下層 が多 数派 にな って いると言 ってよ いでし ょう。彼 らは大局的判 。 断 など と いう も のとは無縁 です よ 誰 もが平等 な 一票 を持 って総数を競 う民主主義 ではトラ ンプ のような人 が 当 選 す る可 能 性 が 大 き く な り ま す。良識家 はト ラ ンプ の発言 に眉を 、 ひそ め、 本書 を読 めば ﹁ほら や っ ぱ り﹂ とな る でし ょうが、 ト ラ ンプ 支持 者 は こんな厚 い本 はまず 手 に取 。 本 書 の内 容 は伝 わ 笑︶ りま せ ん ︵ l l 卜 ぃ IL r T , 1ミ I l = H “ V 卜 r ︰ ︰ t t⋮ ︲ ∼ ,, 1︲ ,, t l ヽ , ー i fi い” L情 に = 苫 = ド に ド 障 情 h H = 測 に 苗 ︼ BVNS‖ VN 800R Cと V3
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