第8回 - FC2

本日の講義要旨
• 中世ヨーロッパの崩壊は、十字軍の遠征、ペ
ストの流行、ビザンチン帝国の崩壊、宗教戦
争の勃発など多くの要因によっているが、直
接的な引き金は、大航海時代の到来、ルネサ
ンス、宗教改革であると考えられる。
中世の終焉1:大航海時代
欧米文化論 第8回
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中世後期の出来事
1077年
カノッサの屈辱
1096年
ウルバヌス2世 第1回十字軍
1099年
十字軍がエルサレム王国を建国
1122年
ヴォルムス協定
1147年
第2回十字軍
1187年
エルサレム王国滅亡
1189年
第3回十字軍
1202年
第4回十字軍
1204年
第4回十字軍がビザンチン帝国を征服
1215年
イングランド王国 マグナカルタ(大憲章)
1228年
第5回十字軍
1241年
ドイツ ハンザ同盟成立
1248年
第6回十字軍
1261年
東ローマ帝国が再興
1265年
イギリス国会(下院)が創設
1270年
第7回十字軍
1272年
十字軍が撤退
1309年
教皇のバビロン補因
1339年
英仏百年戦争(~1453年)
1347年
ヨーロッパにペストが流行(~1350年)
1378年
教会分裂(~1417年)
1381年
イギリス 農民一揆(ワットタイラーの乱)
1414年
コンスタンツ公会議(~1418年)
1419年
ドイツ フス戦争(~1436年)
1455年
イギリス ばら戦争(~1485年)
• そこで今回は、大航海時代の背景と進展を概
観する。特にポルトガル、スペイン、イギリスと
オランダの台頭が重要である。
西暦
国名
人物名
大航海時代関連年表
出 来 事
ジブラルタル海峡のアフリカ側セウタを
占領
カナリア諸島の南、西サハラのポジャド
ール岬回航
西サハラとモーリタニアの境にあるブラ
ンコ岬(現ヌアディブー岬)回航
アフリカ大陸最西端、セネガルのヴェル
デ岬回航(ダカールがある)
アフリカのシエラレオネ沿岸に到達
1415 ポルトガル
国王ジョアン1世
1434 ポルトガル
エンリケ航海王子
1441 ポルトガル
エンリケ航海王子
1445 ポルトガル
エンリケ航海王子
1460 ポルトガル
1482 ポルトガル
エンリケ航海王子
ジョアン2世・教皇シャ
回勅『エテルニ・レギス』(永遠の王)
クトゥウス4世
ジョアン2世
エルミナ要塞建設
1488 ポルトガル
ジョアン2世
1481 ポルトガル
喜望峰発見
カステリア王イザベラ
とアラゴン王フェルナ グラナダ陥落
ンド
イザベラ王・フェルナ
スペイン
新大陸発見
ンド王夫妻
フェルナンド2世・教
1493 スペイン
回勅『インテル・チェテラ』
皇アレクサンデル6世
スペイン・ポ フェルナンド2世・ジョ
1494
トルデシリャス条約(2国間条約)
ルトガル
アン2世
1492 スペイン
説 明
伝説上のキリスト教国「プレステ・ジョアンの国」を探すためにアフリカ西海岸への探
検のために、イスラム教徒の要衝セウタを攻略。
当時の船乗りたちは、ボジャドール岬より先の海は煮えたぎっていると信じていた。
シエラレオ沿岸にまで探検を進め、エンリケ航海王子は没する。
ジョアン2世が即位、ローマ教皇に働きかけて、新大陸はすべてポルトガル領と認め
させる。
ガーナの黄金海岸に要塞を作り、奴隷貿易の基地とする。
ジョアン2世の命を受けて、インド航路を探索していたバーソロミューディーアスは、
アフリカン最南端の地を発見する。
イベリア半島に最後まで残っていたイスラム国家グラナダ王国滅亡、レコンキスタ運
動は完成した。
ジェノバ人のコロンブスは、両国王夫妻の援助を取り付けて、カリブ海の諸島を発見
した。
西経32度を境に、それより東はポルトガル領、西はスペイン領とする。
西経46度を境に、それより東はポルトガル領、西はスペイン領とする。
1498 ポルトガル
マヌエル1世
インド航路発見
バスコダガマ、喜望峰経由でインドのカリカットに到着。
1500 ポルトガル
マヌエル1世
ブラジル発見
第2回目のインド遠征を企画したが、途中で漂流し、偶然ブラジルを発見。
1510 ポルトガル
ゴアを占領
1511 ポルトガル
マラッカを占領
1529
スペイン・ポ
ルトガル
1543 ポルトガル
サラゴサ条約
東経142度を境にして、それより東をスペイン領、西をポルトガル領とする。
種子島漂着
中国に向かう途中のポルトガル船が漂着
1573 イギリス
エリザベス
ドレイクのパナマ襲撃
イギリス・スペ エリザベス・フェリペ2
1588
スペイン無敵艦隊敗退
イン
世
1600 イギリス
エリザベス
東インド会社設立
1602 オランダ
東インド会社設立
エリザベスは、海賊にスペイン領内での海賊行為を容認した。
オランダの独立を支援するイギリスを叩くために艦隊を派遣するが、ドレイクが指揮
する海賊艦隊に破れる。
大航海時代とは
• 大航海時代とは、15世紀初頭から17世紀初頭
までの西欧諸国民によるヨーロッパ大陸外世界
への探検と航海の時代をいう。
• ルネサンスの成果として、地球が丸いことは常
識となりつつあり、インド航路の開拓を目指す過
程で新大陸を発見した。
• 大航海時代は、最初、ポルトガルとスペインが
主導し、後にイギリス、オランダ、フランスなどが
追随した。
大航海時代の背景(続き)
• 大航海時代は、アジアとの香料貿易をイスラ
ム国家に独占され、「プレステ・ジョアンの国」
とイスラム国家を挟撃すると同時に、アフリカ
周りでアジア航路を確立するか、西回りでイ
ンドに達するかを西欧人が考えた結果である。
大航海時代の背景
• ポルトガルは、1249年、アフォソン3世の下で
レコンキスタを完了し、首都をリスボンに定め
た。
• 1385年にジョアン1世がアヴィス朝を開くが、
息子の1人であるエンリケ航海王子(1394~
1460年)が、イスラム国家と戦うために「プレ
ステ・ジョアンの国」(伝説のアフリカ大陸にあ
るキリスト教国家)を探索し始める。
大航海時代の進展(その1)
• エンリケ航海王子は、ジブラルタル海峡のア
フリカ側都市、セウタを攻略すると、アフリカ
西海岸を探検させる。
• エンリケ航海王子の時代には、ギニア(シエラ
レオネ)まで南下し、その後、ジョアン2世の
時代に喜望峰まで、マヌエル1世の時代にイ
ンド航路を確立した。
大航海時代の進展(その2)
大航海時代の進展(その3)
• 1492年にグラナダ王国(イスラム国家)を滅
ぼしたスペインは、遅れて同年、西回り航路
を探索するためにコロンブスを支援した。
• ポルトガルとスペインは互いの権益を守るた
めに、トルデシリャス条約(1494年)とサラゴ
サ条約(1529年)を教皇に認めさせて世界を
分割した。
• これ以降、ポルトガルは喜望峰周りを、スペイ
ンは西回り航路を整備する。
• この過程で、新大陸の黄金や、奴隷貿易、香
料貿易を独占する海洋帝国となる。
• しかし、宗教改革によって、カトリックから独立
したイングランドは、やはり宗教改革で独立し
たオランダを支援しつつ、スペインやポルトガ
ルの既得権を武力(国家公認海賊を含む)で
侵害した。
海洋帝国競争(その1)
海洋帝国競争(その2)
• イングランドはジョバンニ・ガボットが1497年にカナダ東岸に
到達したものの、スペイン、ポルトガルが圧倒的に優位に立
っていた。
• 特に、スペインは植民地に1503年にエンコミンダ制を導入し
、奴隷による鉱山の開発や農園の経営を行っていた。
• イングランドはエリザベス1世が即位すると、私拿捕特許状を
与えた海賊(パイレーツ=国家公認海賊)を使ってスペイン
船やポルトガル船、要塞を攻撃した。
• エンコミンダの世襲化が禁止されると、アフリカからの黒人奴
隷が代替し、奴隷貿易が始まった。
• 1588年アルマダの海戦でスペインの無敵艦隊を撃破し、ス
ペインの覇権を打破した。
• スペインはフェリペ2世の時代(1580年の同君連合成立)に
ポルトガルと統合し、「太陽の沈まない帝国」を完成させた。
• イングランドと独立を果たしたオランダは、東インド会社をそ
れぞれ設立した。
• 同時に、ネーデルランド北部7州の独立を支援したために、フ
ェリペ2世はイングランド征伐を決意した。