中国における国有企業の会社化と政府の役割変化

中国における国有企業の会社化と政府の役割変化
―90年代の企業・政府間関係に焦点をあてて―
曹 瑞 林
Ⅰ.はじめに
Ⅱ.企業・政府間関係と経営自主権拡大政策
Ⅲ.大中型国有企業への会社制度の導入政策とその特質
Ⅳ.国有企業の会社化による企業・政府間関係の変化
Ⅴ.まとめ
Ⅰ.はじめに
分開)、税制や財政の構造変化である。
これまでの研究では企業・政府間関係が意識的に狭
90年代になると、中国の市場経済化や国有企業改革は
義、広義という2つの内容に区別されてこなかったと思
新しい段階に入る。92年に党と政府は全面的な市場経済
われる。そのために国有企業改革の分析やそれが中国の
に移行する方向を打ち出し、そのシステムは「社会主義
市場経済化にとってもつ意義の研究はきわめて不十分で
市場経済」であるとの規定が第14回党大会(92年9月)
、
あった。それはたとえば、国有企業改革の分析にさまざ
全国人民代表大会(全人代、93年3月)において承認さ
まな要因が混在していたし、また税制や財政にどんな影
れる。この規定に沿って採択された「社会主義市場経済
響を与えるかということが十分解明されなかったことに
体制を確立するための若干の問題に関する決定」(党の
表れている。
14期3中全会、以下「93年決定」と略す)は、新段階の
この論文の目的は国有企業の会社化とそれが狭義・広
改革開放政策の課題を体系的に示している。「現代企業
義の企業・政府間関係に与える効果、影響を分析し評価
制度の確立」はその最も重要なものの1つであり、国有
することにある。このための具体的な研究課題は次の3
企業をはじめ企業形態として広く会社制度(株式会社、
点である。
有限会社)の導入をはかる政策である。
第1に、国有企業・政府間関係には狭義、広義の2つ
国有企業は90年代以降も、経済の基幹部分になってい
の内容があることを示し、90年代前半までの経営自主権
ながら赤字企業が高い割合を占め、全体として生産性が
拡大政策には限界があり、それが会社化政策の背景であ
低い状態にある。国有企業改革がきわめて重要であるの
ることを示す。第2に、90年代後半以降の国有企業改革、
は、このような停滞状態を打開することなくして、持続
すなわち大中型企業に会社制度を導入する政策とその特
的な経済成長や社会主義市場経済の実現が難しいからで
質について分析する。第3に、国有企業の会社化が狭義、
ある。
広義の企業・政府間関係に与える影響、そして政府の役
国有企業の会社化とは、会社制度を株式会社、有限会
割や、税制・財政の変化について明らかにする。
社に改組(株式制企業)することをさす。それはそれま
Ⅱ.企業・政府間関係と経営自主権拡大政策
での経営自主権を拡大する改革とは質を異にし、改革が
新しい段階に進んだことを示している。というのはこれ
によって、改革の最も重要な問題である企業・政府間関
1.狭義及び広義の国有企業・政府間関係
係が根本的な変化を遂げているからである。1つは狭義
旧経済システム、つまり中央指令型計画経済下の企業
の企業・政府間関係である国有企業と主管部門との関係
は単に政府部門の一部であり、中央政府が決定した計画
(コーポーレート・ガバナンス)の変更であり、もう1
にもとづいて物資や資金の配分を受け、生産販売活動を
つは広義の関係である国有企業と政府の役割分担(政企
行う経済単位であった。それは事実上、1つの工場、店
−17−
政策科学8−1,Sep. 2000
舗にすぎず、そこには企業自身の権限や財務上の責任は
ている。現代企業制度の確立は広く企業形態として会社
ほとんどなく、生産性や経営の効率性を高めようとする
制度を導入する政策であり、国有企業については、その
インセンティブは乏しかった。これに対して市場システ
打開する主要政策として位置付けられている。(表1、
ムでは自立的な経済主体が互いに競争し、市場の動向を
参照)
見ながらその意志決定を行う。企業には高利潤を上げる
国有企業改革の困難は企業自身の問題だけでなく、企
可能性がある一方、赤字が続いて倒産すれば自ら責任を
業外の条件、対外関係などが重層的にかかわっているが、
負わなければならない。
最大の原因は政府・行政機関との関係に根ざしている。
計画経済から市場経済への転換は、個人や企業を自立
すなわち政府が国有企業に大幅な経営自主権を付与する
的な経済主体に変え、それらが市場で相互に競争するこ
ことを決定しても、実際にはそのとおりに実行されない
とを意味する。20年余の改革開放政策の実施において、
し、それができない障害が存在する。具体的には行政の
個人企業、郷鎮企業1)、私営企業、外資企業などさまざ
主管部門が強い権限を行使して企業経営に介入・干渉す
まな企業形態の設立が相次いで承認されたのはこのため
るし、失業保険などの公的社会保障制度が未整備である
である。国有企業についても例外ではなく、
「放権譲利」
ために、社会的負担が重く、人員削減や投資が十分に行
という名の下に経営自主権を拡大し、企業に自立性を持
えない状態が続くのである。他方、企業内部では政府の
たせようとする政策が実行された。それは国有企業の経
赤字補填を期待しようとする消極的受動的姿勢(「大鍋
済活動が以前のように行政の主管部門の指令で行われる
飯(親方五星紅旗の意)」)が、なかなか解消されない。
限り、市場における競争に耐えられるように生産性や経
このように国有企業と政府との関係は、狭義・広義の
2つの内容を持っている 2)。狭義のそれはコーポレー
営効率を向上させることが困難だからである。
国有企業は非国有企業の発展によって中国経済に占め
ト・ガバナンス(企業統治)における企業経営と行政機
る地位を相対的に低下させているものの、なお質量両面
関との関係、つまり行政の主管部門が企業の所有者とし
で重要な役割を果たしている。工業についてみると、97
ての政府を代表して権限を行使することと、企業経営の
年に企業数は9.9万社、全体の1.2%であるが、従業員数
自主性、ないし独立性との調整の問題である。指令型計
は4,040万人、同65%、固定資産価額で2.58兆元、同
画経済体制の下では、企業の所有権と経営権は一体的で
61.9%、税引き前利潤2,900億元余、同50.7%を占める。
あり、政府の主管部門が企業を直接的に経営管理してい
しかし、工業生産額は2.90兆元、全体の25.5%、税引き
た。国有企業は政府・行政機関の一構成部分であり、企
後利潤では25.1%にすぎず、また赤字企業の欠損額は
業自身に経営に関する権限はなかったのである。
830億元、同52.4%に達する。このことは国有企業が全
国有企業が会社の形態をとると、政府との関係は大き
体として生産性が低く、経営が停滞していることを示し
く転換する。国有株保有の企業に対する行政機関の役割
表1 工業企業に占める国有工業企業の主要指標の割合
単位:億元(%)
企業数(万個) 従業員数(万人) 工業生産額
固定資産価額
税引き前利潤
税引き後利潤
赤字企業欠損額
1985
9.4
(1.8)
3,815.0
(68.7)
6,302.1
(64.9)
3,980.8
(85.4)
1,334.1
(80.2)
738.2
(78.2)
32.4
(80.0)
1990
10.4
(1.3)
4,365.0
(68.4)
13,063.8
(54.6)
8,088.3
(79.8)
1,503.1
(77.3)
388.1
(69.3)
348.8
(76.9)
1995
11.8
(1.6)
4,397.0
(66.5)
31,220.0
(34.0)
21,363.9
(66.2)
2,874.2
(56.9)
665.6
(40.7)
639.6
(53.4)
1996
11.4
(1.4)
4,277.0
(66.3)
28,361.1
(28.5)
23,860.7
(64.4)
2,737.1
(53.2)
412.6
(27.7)
790.7
(55.2)
1997
9.9
(1.2)
4,040.0
(65.0)
29,027.4
(25.5)
25,883.0
(61.9)
2,907.2
(50.7)
427.8
(25.1)
830.9
(52.4)
出所:『’
98中国工業経済統計年鑑』により作成。
−18−
中国における国有企業の会社化と政府の役割変化(曹)
は、直接管理から、出資者(株主)としての権限行使に
行政活動の分離を前提としているので、これに沿って政
変わる。出資額に応じて、資産から生まれた利益配分を
府の経済的役割は経済活動の一般条件の整備や経済のマ
受け、経営者の選出や重大政策の決定に参加するととも
クロコントロールを主とするようになる。具体的には、
に、企業の債務について有限責任を負うが、日常の経営
政府は、法規の制定、市場のルールを決めることを通じ
活動に介入・干渉しないことが求められる。このことは
て全国的な統一市場の育成をはかる。また社会資本の建
企業が、独立的な経済主体として、市場で自由に経済活
設によって、産業活動の隘路を打開し、経済発展の条件
動を行うことができること、すなわち利潤の最大化をめ
を作り出すこと、さらに所得格差や地域間格差の是正も
ざし、自ら損益に責任を負うとともに、株価、資産価値
政府の任務となってくる。
国有企業と政府の役割分担が明確になってくると、政
の保持、増大によって、株主の利益に責任をもつことを
府は社会の代表者(公権力)として企業に課税し、企業
意味する。
広義の国有企業と政府との関係とは、国有企業全体と
は独立的な納税主体として租税を納付するという関係が
政府の役割全体との関係をさす。市場経済は企業活動と
一層はっきりしてくることになる。このことは、企業が
<90年代前半まで−経営自主権拡大政策>
<90年代後半以降−現代企業制度の確立>
経営自主権
拡大政策
狭義の個別的
狭義の個別的な政府・国有企業間関係
政府・国有企業間関係
政府(中央・省・市)
政府(中央・省・市)
<大中型国有企業=会社化、整理>
<国有企業>
株式保有、
介 入
各産業 国有資産管理局
大型国有企業
役員、
監査役
大 中 型 企 業
派 遣
主管部門
配当支払
(予算外資金会計)
依 存
税 納 付
中型国有企業
整 理
破
綻
企
業
赤字補填
<小型企業>
一般行政部門
一般行政部門
小型国有企業
(予算内資金会計)
(予算内資金会計
税 納 付
下 放
(売却、
民営化)
=一般会計)
小
税 納 付
広義の政府・国有企業間関係
広義の政府・国有企業間関係
図1 政府・国有企業間関係とその変化の構図
−19−
型
企
業
政策科学8−1,Sep. 2000
順調に成長すると、政府の財源基盤が安定化することを
である。これは企業が政府と請負契約を結んで、工場長
示している。さらに政府は財政金融政策を通じて間接的
や工場指導グループが企業経営を請け負い、基準額の所
に企業の経営活動に影響を与える。それは利子率、為替
得税を納付した後の利潤の処分は企業自身に任せる制度
レート、税率、財政支出などの調整手段によってである。
である。その期間は原則として3年間以上とされ、その
以上のように、広義の関係は国有企業を含む企業が経済
政策的意図は経営者や従業員に生産活動へのインセンテ
活動を行い、政府はそれに必要な条件や基盤の整備に責
イブを与えるとともに、政府の税収を安定的に確保する
任をもつという両者の役割分担、そして企業は政府に納
ことにあった。経営請負制は22の企業で実験的に行われ
税するという関係をさすのである。
た後、87年5月に政策として採用され、急速に全国に広
「図1」は経営自主権の拡大や会社化の政策を通じて
がった。それは90年までに国有大中型企業(11,621企業)
狭義、広義の企業・政府間関係が転換しつつあることを
の95%以上、全国の独立採算工業企業の90%以上で実施
図示したものである。社会主義市場経済とは公有制を重
されていた。この急速な普及は請負期間内で自主的な経
視した市場経済化を意味するが、以下に展開するように
営が認められ、利潤が増加すれば企業や従業員の取り分
それは国有企業の会社化(株式会社、有限会社)によっ
が増えるので企業がこれに積極的に応じたからである。
て着実に進展していると考えられる(図1、参照)。
87年に第1期の経営請負契約をした国有企業のほとん
どが90年までに契約更新期限を迎え、91年3月末までに
2.経営自主権の拡大政策とその限界
90%以上が契約を更新している。このことは、請負制が
改革開放政策の実施にあたって、政府は「放権譲利」
企業、政府双方にとって一定の利害の一致があったこと
を基本方針の1つとした。それは「権限の分散、利益の
を示している。しかし、他方では、重大な問題点や限界
委譲」ということであり、中央政府が有していた強大な
が存在した。第1に、87年から89年にかけて企業の納付
権限を地方政府(主として省、市政府)に委譲すること、
所得税自体は増加したけれども、全利潤に占める割合は
及び国有企業に経営自主権を付与することの2つを内容
60.7%から46.9%、49.6%となった。これに対して、留
とする。
保利潤の割合は33.7%、36.2%、41.5%へと上昇し、企
国務院(日本の内閣に相当)は79年に「国営工業企業
業側に有利に作用したことである。
の経営管理自主権の拡大に関する若干の規定」(79年7
第2に、企業と政府は一定期間(多くの場合3年間)
月、以下、79年規定)を公布し、一部企業で企業基金制、
の契約を結ぶので、企業の長期的な発展より短期的な経
利潤留保制導入の形で、企業内部に利潤留保を認めてい
済的利益を追求することになったことである。具体的に
る。しかし、経営自主権の付与が実際に始まるのは、84
は留保利潤の使用が生産発展基金よりも、従業員の奨
年の「都市経済体制改革」の一環としてである。この年、
励・福利厚生基金に重点的に行われたのである。また請
国務院は「国営工業企業の自主権を一層拡大することに
負契約は企業と行政の主管部門との個別交渉によって結
関する暫定規定」を公布(84年5月、以下、84年規定)
ばれるため、行政と企業の未分離の問題を解決できなか
し、他方では「利改税(上納利潤制から租税納付制への
っただけでなく、逆に主管部門への従属・依存が強化さ
3)
改革)」(84年10月)を実行した 。
れることになった。
改革開放政策は84年10月以降第2段階に進む。それは
第3に、国有企業では国有という所有制を変えずに請
農村企業が「郷鎮企業」と改称されて新発足し、急速に
負契約によって所有権と経営権を分離しようとしたが、
発展していく一方、「経済体制改革に関する党中央の決
第1、第2の問題点と重なって、経営自主権の保障は次
定」(党の第12期3中全会、84年10月)によって、商工
第にできなくなったことである。そのために結果として
業が集中し、その中核を国営企業が担う都市経済体制の
は欠損や借入金に企業が自己責任を持つことにならず、
改革が開始される。同年5月に「国営工業企業の自主権
政府が最終責任を持つ「大 飯(親方五星紅旗の意)」
を一層拡大することに関する暫定規定」が公布され、10
体制を打破できなかったのである。
4)
項目の経営自主権が規定され、その拡大が図られた 。
このように経営請負責任制は大きな意義を持ったが、
80年代後半から90年代はじめにかけて、実施された経
経営自主権を確立し、国有企業のメカニズムを根本的に
営自主権の拡大方式は、
「経営請負責任制(承包責任制)」
転換することができなかった。このために自立的な企業
−20−
中国における国有企業の会社化と政府の役割変化(曹)
経営の基礎となる企業財産権(産権)や所有制の変更に
営自主権の全面的実行をめざした。この14項目は「88年
5)
関わる改革が要請されることになる 。
企業法」の13項目と近似しているが、内容には大きな差
法制的には、88年4月に制定された「全人民所有制工
異がある。従業員に対する人事権が「92年条例」では管
業企業法」(全人民所有制は国有と同義である。以下
理者・技術者に対する人事権と労働者に対する人事権と
「88年企業法」と略す)
、92年7月公布の「全人民所有制
に分割された。そして各自主権の具体的項目が前者では
工業企業経営メカニズム転換条例」(以下「92年条例」
27項目であったのに対し、後者では72項目へと増加して
と略す)は経営自主権の拡大や現代企業制度を確立する
いること、輸出入権、強制割り当て拒否権が新しく加わ
政策の形成にとって重要な意義を持つ。「88年企業法」
り、投資意志決定権(2から8)、人事管理権(2から
では、「国有企業は自主経営、損益自己責任、独立採算
6)、労働雇用権(2から8)の項目数が大幅に増加し
による社会主義商品生産と経営の単位である」こと、
ているからである。
「所有権と経営権の分離原則に照らして、企業に経営管
川井伸一教授は、87年から94年にかけて国有企業の経
理権を与える」ことを明文化し、経営管理権として13項
営自主権の実情に関する調査が13あることを示し、93年
目の権限を付与することを定めている。後者の「92年条
の調査(2,620企業)と94年の調査(2,756企業、国有企
例」は「88年企業法」を具体化し、その徹底を図るため
業はその約4分の3を占める)について次の傾向を明ら
に制定された。そこでは国有企業を「法に基づいて自主
かにしている。「92年条例」で規定された14項目の自主
経営、損益自己責任、自己発展、自己規制をする商品生
権のうち、生産経営決定権、価格決定権、製品販売権、
産・経営単位」「独立した企業法人」とすることが「経
物資購入権(原材料仕入れ権)、賃金奨励分配権、内部
営メカニズム転換の目標」として規定され、14項目の経
機構設置権は70∼90%という高い割合で確保されてい
表2 経営自主権の実施状況
単位:%
J調査
(1993)
K調査
M調査
中央政府
省市政府
(1994)
(1994)
(1994)
(1994)
生産経営決定権
A
88.7
94.0
84.2
95.4
価 格 決 定 権
A
75.9
73.5
54.2
75.0
製 品 販 売 権
A
88.5
90.5
76.2
92.4
物 資 購 入 権
A
90.9
95.0
88.4
96.4
輸 出 入 権
C
15.3
25.8
21.7
28.0
投 資 決 定 権
B
38.9
61.2
44.8
61.4
留保利潤支配権
A
63.7
73.8
65.8
76.4
資 産 処 分 権
B
29.4
46.6
32.1
46.9
連合・合併権
B
23.3
39.7
29.2
40.4
労 働 雇 用 権
B
43.5
61.0
46.2
59.7
人 事 管 理 権
A
53.7
73.3
72.2
72.2
賃金奨励金分配権
A
70.2
86.0
81.6
86.5
内部機構設置権
A
79.3
90.5
86.1
90.0
割 当 拒 否 権
C
7.0
10.3
5.9
8.4
注: *J調査におけるAは「基本的に実施されている」、Bは「一部実施され
ている」、Cは「ほとんど実施されていない」ことを示す。
**このデータの%は工業企業の自主権累積実施率を示す。
出所:[川井、1996]23頁、33頁の表により作成。
−21−
政策科学8−1,Sep. 2000
る。利潤留保支配権、人事管理権については、93年調査
る権限を放棄したくないから、それまでの直接的隷属関
の50∼60%台から94年調査では70%を超え(それぞれ
係を利用して、その形骸化を図るからである。他方で、
73.8%、73.3%)、投資決定権(38.9%から61.2%へ)、
一定の企業制度や所有者の制約がないと、企業が経営自
労働雇用権(43.5%から61.0%へ)についても60%を超
主権を確立する場合、企業経営者が国家の利益や社会的
えている。この2つはまだ十分とはいえないが、他の4
安定を考慮せずに、恣意的な経営を行う恐れがあったこ
項目、資産処分権(46.6%)、連合・合併権(39.7%)、
とである8)。
輸出入権(25.8%)、強制割り当て拒否権(10.3%)は、
こうして、財産権の問題を解決せずに経営自主権を確
50%以下となっていた。94年の調査はまた企業規模別の
立し、独立的な企業を作ることはできないと考えられる
自主権の実施率を示しているが、14項目全体として大、
ようになる。株式制企業(会社制度)の導入は80年代後
中、小型企業ともほぼ同様の傾向を示している。しかし
半から実験的に行われてきたが、94年以降、その全面的
企業の所属政府別では、中央政府所管の企業において実
な導入が、「現代企業制度の確立」として政府の国有企
施率は低い。例えば、労働雇用権46.2%(省・市政府で
業改革の政策に採用されるのである。
は59.7%)、投資決定権44.8%(同61.4%)、資産処分権
Ⅲ.大中型国有企業への会社制度の導入政策
とその特質
32.1%(同46.9%)、連合・合併権29.2%(同40.4%)で
あった。このことは中央政府の主管部門の国有企業に対
する権限がより強いことを表している6)(表2、参照)。
このように、国有企業の経営自主権は日常的な生産販
1.会社制度(株式制企業)の試行から全面的導入へ
売活動に関する権限についてほぼ確立してきたといえる
会社制度(株式制企業)は、すでに84年から86年にか
が、投資、資産処分、雇用、人事管理、連合・合併とい
けて、一部の都市でその試行が開始された。1984年7月、
った企業の将来を決めるような重要権限についてはきわ
株式会社第1号として北京天橋百貨株式有限会社が成立
めて不十分であり、未確立であった。政府が80年代中頃
し、市中に対しはじめて300万元の株式を発行したが、
から、経営自主権の徹底、確立の政策を展開してきなが
その後、北京、上海、広州、瀋陽などの都市で株式制の
ら、それができなかったのは以下の理由による。
企業が登場した。85年10月には、最初の証券会社である
深
まず政府機関の統制干渉、企業環境とくに市場システ
経済特区証券会社が設立され、瀋陽、上海、北京、
ムの未確立・未整備、及び企業側の経営不良と受動的姿
広州などで証券会社の設立が続いた。この時期、株式制
勢がそれである。この中では、行政の主管部門の統制干
の試行は集団所有制企業や一部の小型国営企業を対象と
渉が最も重要な原因である。その背景には、次の事情が
し、しかも株式の発行方式は内部の非公開株が主で、公
ある。第1に政府の行政機能が転換されず、旧来の行政
開されたのは一部にすぎなかった。
的管理が継続していること、第2に、1988年以降、イン
1986年末、国務院が「企業改革の深化と企業活力の増
フレ抑制のためにマクロ経済の統制強化と社会安定化の
強に関する若干の規定」
(1986年12月)を公布し、
「各地
政策が選択されたこと、第3に、政府組織側の既得利益、
で条件のある少数の全人民所有制(国有制)大中型企業
既得権限の維持であるとしている。しかし、川井教授に
を選択して株式制の試験先にする」方針を打ち出した。
よると、主管部門の介入・干渉は行政側の一方的原因に
88年末には株式制の試行企業は6000余りに達し、株式の
由来するものだけではなく、企業側にそれを受け入れる
店頭販売業務がはじまり、株式の流通市場の形成が見ら
大きな要因があることが強調されている。すなわち、政
れるようになる。それらの試行企業は、大中型国有企業
府の温情主義の下で、多くの企業は損益に自ら責任を持
を含み業種が拡大していく。しかし89年の半ばごろから
つ体制を構築できていないこと、そのために一部の積極
91年にかけては、経済調整・引き締め政策の影響で株式
的企業を除いて、多くは経営自主権に消極的姿勢を取っ
制の導入が停滞し、上海、深 の両証券取引所で、株式
7)
の取引が継続していただけである9)。
ていることである 。
また、92年の「転換条例」の実施には次の理由のため
90年代に入ると、中国は市場経済に全面的に移行する
に、経営自主権の確立は困難であった。一方で、企業に
路線を明確にし、目指している経済システムは「社会主
権限が与えられても、行政の主管部門はすでに持ってい
義市場経済」であると規定(92年9月第14回党大会、93
−22−
中国における国有企業の会社化と政府の役割変化(曹)
年3月全人代で承認)された。そして「93年決定」にお
生産効率の向上を可能にする。政府と集団が一定の株式
いて、改革開放政策の新しい段階の諸課題の一つとして、
を保有すれば、政府単独出資とともに、国有株コントロ
10)
ール企業と総称し、公有的性格をもつ。④株式合作制
「現代企業制度の確立」という政策が提起された 。
現代企業制度の確立とは、大中型国有企業に全体とし
―企業の資産をすべて株式化して、従業員がその株式
て会社制度(株式制企業)を導入する政策である。会社
を保有し、国家はその企業から撤退する。小型国有企業
制度の下では、財産権が明確化され、企業は法制的に行
が株式合作制に転換すると、政府はその所有権を企業の
政部門と分離された独立的な存在となる。これによって
従業員に譲渡することになる。これは小型国有企業の振
企業と行政部門との関係、ないしコーポレートガバナン
興に有効である。⑤混合所有制―主に政府と集団、政
スを改善し、市場で自由に活動できる企業、生産性の高
府と外資系、政府と私営企業などとの混合所有制企業で
い企業を作ろうとしたのである。また、苦境にある企業
ある。⑥社会基金所有制―従業員養老保険基金、従業
の経営改善によい影響を与えることができると考えられ
員医療保険基金による所有である13)。
た。
実際の動きでは、
会社化を中心とする現代企業制度の確立が国有企業改
小平の「南巡講話」(92年1月下
革の目標であることは最近の「国有企業改革と発展に関
旬)をきっかけに、上海、深 の両都市で会社制度(株
する若干の重要問題の決定」(99年9月の党の15期4中
式制企業)の導入が再び活発になる。特に94年の「会社
全会で採択)においても確認され、次の4つが柱である
法」の施行後、国有企業を含む企業の株式会社化、有限
ことが改めて強調されている。法人財産権の確立(産権
会社化が急速に進む。94年末に3万3727社(うち株式会
明晰)、政府と企業の分離(政企分開)
、権限と職責の明
社483社)だった会社数は、97年末に45万社を超え(45
確化(権責明確)、科学的な経営管理(科学管理)がそ
11)
万2686社、同5865社)、上場会社数は745社に達した 。
れであり、これらを通じて企業を自ら損益に責任を負い、
これと並行して、株式制に関する法制上の整備が進ん
独立的な市場競争の主体にすることをめざしているので
だ。92年5月に国家体制改革委員会及び国家関連部門は
ある。
「株式制企業試行方法」「株式有限会社規範意見」「有限
国有企業の会社化(株式制企業、国有株コントロール
責任会社規範意見」を公布した。そして「会社法(公司
会社)とは、これまでの大中型国有企業を法人化をとお
法)」(93年12月公布、94年7月施行)はその集大成であ
して株式会社や有限会社に転換することをさす。つまり、
る。これは中国での会社制度(株式制企業)の法律的保
公有制を主体とする枠組みの中で、一種の新たな所有制
障の確立を意味し、94年以降を国有企業改革の新しい段
形態を作ることである。企業の法人化の下では、政府は
階、本格化の時期とみなす大きな根拠の一つである12)。
出資者であり、大株主であるが、企業経営に直接的なコ
ントロールを行わず、経営権は選出された経営者に委任
2.「万千百十計画」と百企業の会社化
する。会社内部では、管理者の報酬と経営業績をリンク
90年代後半の会社化を基軸とする国有企業改革は、次
させた自動的刺激・抑制メカニズムが作用し、経営者に
よる利潤極大化の追求が期待できる14)。
の計画や方針によって進められた。94年に、国家経済委
員会は、「93年決定」にもとづいて「経営メカニズムを
国家経済委員会策定の「経営メカニズムを転換するた
転換するための万千百十計画」を策定した。95年、党中
めの万千百十計画」(1994年、「万千百十計画」と略す)
央は「大企業は政府のコントロールの下に会社化し、小
は90年代後半の国有企業改革の中心的な計画である。そ
企業は売却化などによって手放す(抓大放小)」政策を
れは次の4点を内容とする15)。
打ち出し、党の第15回大会(97年9月)では、公有制の
1「万」とは、1万社の大中型国有企業をさし、「92
多様な形態を承認し、6つの実現形態が提示された。①
年条例」で付与された14項目の経営自主権の完全な
政府単独出資企業(国有独資企業)―独占的で公益性
実行を求めるとともに、国有資産を清算査定し、市
が強いインフラ的産業、資源産業、重要産業などにおい
場で競争できる土台を作る。
て支配的形態とする。②集団所有制企業―郷鎮企業、
2「千」とは政府が監査会を派遣する形で、国民経済
都市部の集団企業、③株式会社、有限会社―現代企業
において重要性の高い中核的な1千社の国有大中型
の主要な資本組織形態として、所有権と経営権の分離、
企業に対し監督管理を行うことを指す。
−23−
政策科学8−1,Sep. 2000
3「百」とは、さまざまな類型の100の国有大中型企
休(下崗)などの方法がとられた。
業を選択し、そこでの会社制度を導入することを指
⑤会長(董事長)、社長(総経理)、取締役会(董事会)、
す。
監査役会(監事会)を設置し、『会社法』の規定に
4「十」とは、10(95年に8都市を追加)の都市また
相応しい法人組織が作られた。
は地域の指定を意味し、企業の不合理な負担を減ら
⑥経済効率と市場競争力を高めるために、企業内部の
し、企業の自己流動資金の比重を高めて、国有企業
管理強化、技術改造、生産コストの削減などの措置
の会社化、経営不良企業の整理を重点的に行う。
が講じられた。
会社制度導入の対象となった100の国有大中型企業は、
天津市、長春市における代表的事例にみるように、試
会社法の規定にもとづいてそれぞれ実施案を作り、97年
験企業はそれぞれ会社化によって顕著な成果をあげてい
3月までに、90社について承認された。この90社は、基
る。天津市では、従来の国有企業を投資主体の多元的な
本的に次の3つの方法で会社化を進めている。これらの
株式会社に改組することは困難であった。その原因は企
会社は政府が全体の50%以上の株式所有を原則とし、そ
業の資産負債構造に多くの問題点があり、経済効率は低
れを通じて企業をコントロールするという意味で国有株
く、外部からの投資を吸収する競争力を欠いていたから
16)
コントロール企業と呼ばれる 。
である。このため、次の8つの方法によって、会社化に
第1に、国有企業を政府単独出資会社グループ(国有
成功し、黒字化できたのである。
独資集団公司)に改組する方法である。これを講じたの
①従業員の出資による従業員持株組織が株主となる。
は73社で、全体の81%を占める。この73社のうち、①新
②従業員持ち株組織が株に換算された企業の一部資産
しくできた政府単独出資会社(国有独資集団公司)が投
を買い取る。
資主体となり、傘下の主要企業を株式会社、または有限
③他の企業法人に対し、投資を要請する。
会社に改組したのは27社で、その37%を占める。②従来
④企業に対する投資銀行の債権を株式に転換する。
の業種別主管部門が株主となり、政府が100%の株式を
⑤企業に対する非銀行金融機関の債権を株式に転換す
所有する単独出資会社(独資公司)に改組したのは10社
る。
で、その14%である。③生産活動と資産管理機能の両方
⑥企業間で株式を持ち合う。
を担う政府単独出資会社(国有独資公司)に改組された
⑦連合経営企業では出資者が株主となる。
のは36企業で、その49%を占めている。
⑧企業間の債権債務を株式に転換する。
第2に、株主が複数である会社に改組されたのは16社、
長春オートバイ企業集団(長春摩托車集団公司、吉林
全体の18%を占め、このうち、株式会社化されたのは11
省長春市)の株式会社化はもう一つの代表例である。こ
社、有限会社化されたのは5社であった。第3に、経営
こでは第1に、「長春オートバイ企業集団」が吉林省と
不良の国有企業の整理であり、上海ラジオ第三工場(無
長春市の委任を受けて、国有資産の投資主体となり、経
線電第三工場)1社が解体の対象となった。
営権、すなわち損益計算、重大問題の決定及び経営者の
会社制度が導入された大型企業では、以下のことが行
選出についての権限を付与された。それは独立的な民事
われた。
権利を有すると同時に、民事責任、つまり、国有資産価
①株式会社、有限会社及び政府単独出資会社に改組す
値の保持増加、企業経営及び債務負担に有限責任を負う
る国有企業は国有資産の清算査定と資産評価、『会
ことになった。
社法』やその他の法規にもとづいて、申請、登録の
第2に、当該企業集団は長春市政府の規定により、グ
手続きを行った。
ループ本社の資産に対し清算・査定を行い、法人の財産
②国有資産に対する投資主体を明確にし、行政機関は
権を確立したうえで、親子会社のシステムを作った。傘
資産所有者である政府を代表して試験企業に対し新
下の長鈴実業有限会社、丹東販売会社などの7社は、親
しい関与の仕方を決める。
会社である「長春オートバイ企業集団」に属する政府単
③債権債務の清算、資産の所有関係が明確化され、法
独出資会社に、長春オートバイ有限会社などの会社はそ
人財産の保有額が査定された。
の財産の保有量によって政府保有株によるコントロール
④従業員の再配置が行われ、余剰人員について一時帰
子会社に、江門販売会社などの会社は持合株子会社にな
−24−
中国における国有企業の会社化と政府の役割変化(曹)
ったのである。
て、上海の国有企業の組織構造は大きく変化し、国有資
第3に、企業グループでは親会社が持ち株会社となり、
産は優秀な企業家に、資源は優良な企業に、資金投下は
また「会社章程」及び「国有資産経営管理方法」の制定
有望な商品の生産に集中するようになった。
や、地方政府との「国有資産管理契約」によって、資産
上海市はまた国有資本を先端技術産業、重要産業、都
管理の責任制を実行している。すなわち親会社は取締役
市のインフラ整備と公益産業に集中し、産業技術、サー
会、監査役会、管理子会社の経営者に対する監督機構を
ビスのレベルアップ及び投資環境の改善をはかってい
作り、国有資産の投資主体として、子会社の統一的な管
る。一般的な競争業種においては、企業に対する直接コ
理を行うのである。この再編成によって、22の処・室、
ントロールを放棄し、国有経済から撤退している。ここ
7つの工場は9部2室の機構となり、管理職員は従来の
では資金協力、資産の譲渡、公開払い下げなど多様な方
350人から245人へと30%減少させることができた。
式がとられ、非国有経済の発展領域が拡大された。この
結果、国有工業資産の総量は98年に、全市の国有企業及
94年の「万千百十計画」において、重点地域として10
び国有株コントロール企業の資産総額は5,400億元余、
の都市が指定され、それは翌95年8都市を追加されて18
17)
都市となった 。その一つである上海市は国有企業の会
90年より10倍近くに増加したものの、全市工業総資産に
社化などの改革が最も成功している都市である。95年以
占める上海の国有資産は90年の約80%から98年の62%ま
降、市政府の19の企業主管局を40の国有株コントロール
で低下している18)。
「万千百十計画」の実施以降、国有企業の会社化は急
会社、或いは大型企業グループに改組した。これを通じ
表3 会社化した国有工業企業の実態
1996(A)
国有工業企業数(T)
会 社 数(C)
113,800社
(%)
100
11,801社
98,600社
10.4
100
100
30.2
86.6
10.2
100
3,448社
34.5
(D/C)
569.0万人
国有工業企業全体 4,277.0万人
B/A(%)
84.8
(C/T)
3,566社
赤 字 企 業 数(D)
(%)
10,009社
(C/T)
うち
従 業 員 数(E)
1997(B)
13.3
(D/C)
431.9万人
100
96.7
4,040.0万人
10.7
75.9
100
94.5
生 産 額
6,287.4億元
6,319.6億元
100.5
国 有 資 産 価 額
5,891.7億元
5,852.2億元
99.3
税 引 き 前 利 潤
679.0億元
税引き後利潤
299.3億元
100
44.1
742.5億元
378.7億元
100
51.0
109.4
126.5
注:会社化企業とは会社法の適用を受ける株式会社と有限会社で、国有株コントロール企業
(国有控股企業)と総称されている。
出所:国家統計局工業交通統計司編『98中国工業経済統計年鑑』17∼22頁、52∼53頁、76∼
81頁により作成。
−25−
政策科学8−1,Sep. 2000
速に進展した。96年には国有工業企業11万3,800社のう
した。一時帰休者はこのセンターに登録され、その93%
ち会社化したのは、1万1,801社、10.4%を占める。97
以上について基本生活がここで保障されている。50%以
年には総数9万8,600社のうち会社数は1万0,009社、
上の一時帰休者が再就職訓練を受け、99年末までに、
10.2%であった。会社化企業の従業員数は96年の569万
492万人が再就職した21)。
人から、97年に432万人弱へと大幅に(24.1%の減)減少
第3に、会社化の導入、普及は、またそうでない国有
し、人員整理が進められていることを示している。96年
企業や他の企業形態に対しても大きなインパクトを与え
と97年との比較では税引き前利潤、税引き後利潤とも着
ている。会社化した国有企業は、どのような方法で企業
実に増加している。しかし、赤字企業が30%以上
(97年、
の経営状態を改善し、経営管理をすれば、品質がよくか
34.5%)を占めることは、問題点の一つとして留意する
つ市場で競争できる製品を作り、市場で生き残れるかと
必要がある。また国有工業全体従業員数の減少率は
いう見本を示し、インセンティブを与えるからである。
5.5%(237万人)と低いが、これは人員整理が決して容易
第4に、中国の株式市場における投資家構造の変化か
ではないことを示している。会社制度の導入は国有企業
ら分かるように、株式による資金調達が進展し、国民貯
全体についてはいくつかの障害があり、ある程度の期間
蓄の投資資金への転換が可能になったことである。急速
を要すると考えられるが、年々条件のより恵まれた国有
な経済成長を背景に国民貯蓄が急増し、都市部と農村部
19)
企業から実行に移されているのである (表3、参照)。
の貯蓄残高は1978年の210億元から1990年の7,034億元、
97年の4兆6,279億元まで増大した。99年、中国の国信
Ⅳ.国有企業の会社化による企業・政府間関
係の変化
証券会社と『証券時報』が行った1400名の中国個人投資
家に対するアンケート調査によると、株式市場の投資家
は主に収入が安定し、一定の貯蓄をもつ30才から49才ま
1.会社化した企業と行政機関との関係
での層であり、そのうち3割の投資家の投資額は10万元
国有企業への会社制度の導入は企業と行政機関との関
から30万元に達することが明らかにされている22)。
係、つまりコーポレート・カバナンスを改善し、生産性
これらの4つの理由の中で最も重要で根底的な意義を
向上や経営効率化に大きなインセンティブを与えてき
もつのは、第1の法人財産権の成立(産権明晰)とそれ
た。その理由として次の4点があげられる。
による損益責任制の強化である。株式会社や有限会社は、
一つは、国有企業が株式会社や有限会社に改組される
先進諸国とほぼ同じ内容を持つ会社法にもとづいて法人
と、会社法(1994年施行)の適用を受けて、法人財産権
財産権を持ち、行政機関との関係は株式所有を通じた関
が成立することである。国有資産の所有権と法人財産権
係になる。この下では、会社は営利企業として生産性を
が区別され、一方で政府は企業の出資者(株主)として
向上させ、利潤を上げなければ存続できないし、株主に
資産収益、経営者の選出、重大政策の決定などの権限を
対して配当を増やし、株価を維持、増大させる責任を持
持つが、他方で企業の債務に有限責任を有するようにな
つことになる。政府が強調してきた「国有資産の所有権
る。企業は独立した経済主体として、法人財産の使用、
と法人財産権の分離(両権分離)」という目標には、こ
収益分配、財産処分の権限と損益責任を持つとともに、
のような意図が込められているのである23)。
会社化した企業では制度上、その最高決定機関は株主
株価や資産価値の保持、増大に責任を負わねばならない
20)
のである 。
総会であり、取締役は株主総会で、社長、会長は取締役
第2に、会社化によって余剰人員を削減し、経営効率
会で選出される。現実には政府が100%または50%以上
を向上させる道が開かれたことである。企業の経営状態
の株式を所有している会社がほとんどであるが、会社自
を改善し、コストを下げるために、企業は内部の余剰人
身が利潤の最大化、成長を達成し、行政機関は出資者、
員を整理する必要があるが、これまでは自由に人員削減
株主としての政府を代表して配当を受け、株価や資産価
をできなかった。会社化に伴い、また社会保障制度の整
値の保持、増大が実現する限りでは利害が一致する。こ
備と歩調を合わせて、企業は余剰人員の削減が可能にな
の場合には優れた能力を持つ人材が経営者に選出され、
っているといえる。1998年末までに、多くの国有企業は
経営者の能力が大いに発揮されているといえる。ところ
「再就職センター」あるいは、それに類似の機構を設立
が会社と行政機関との利害は利潤の分配や投資のあり方
−26−
中国における国有企業の会社化と政府の役割変化(曹)
る25)。
について、つねに一致するとは限らない。企業は従業員
への大きな分配や会社の成長のための内部留保を強く求
会社化した企業に存在する2重の管理機構の調整は、
めるし、行政機関は株主として高い配当や影響力の行使
それぞれの機能を明確に区別し、相互に尊重することに
に関心をもつからである。その際の緊張関係も、両者の
よって図るべきである。経営者としての取締役は企業の
調整努力によって経営効率化にはよい面に作用すること
経営に責任を持ち、株主の利益を最大限に確保すること
が可能であろう。会社化した企業が良好な業績を上げて
がその任務である。監査役会は株主の委託を受けて、経
きたのは高品質の製品を生産できたからであるが、技術
営者や財務状態を監視する。労働組合の本来の役割は、
革新や資金の調達、販売網などの条件に恵まれるととも
賃金や労働条件、福利厚生の改善のために労働者を代表
に、コーポーレート・ガバナンス、とりわけ企業経営と
して経営者と交渉するための組織であり、それを逸脱す
行政機関との関係改善の成果にもとづいている。
ることは望ましくないであろう。それぞれの組織は中国
しかしながら、これまでの会社制度の導入普及には不
の歴史的社会的伝統に根ざしているので、それらの間の
十分さや弱点がある。一つは、会社化した企業が国有株
調和は決して容易ではなく、経験を蓄積することが必要
コントロール企業と呼ばれるように、ほとんどの場合、
であるが、合理性の高い企業形態である会社制度の普及
政府が単独出資者(国有株100%)であるか、50%以上
とともに、中長期的には解決されていくと考えてよいで
の株式を所有していることである。これは巨額の初期投
あろう26)。
資を必要とし、採算性は低いが、経済活動の基盤として
不可欠なインフラ的産業については合理性があるといえ
2.政府の役割及び税制、財政の変化
る。しかし競争的な多くの業種では、国有株が株式所有
国有企業の会社化(国有株コントロール会社)によっ
の構成において支配的地位を占めていると、行政機関は
て企業と行政機関の権限・責任の境界が一層画然とする
経営者の人事権などの重要権限を掌握できるし、企業へ
ようになったが、これによって広義の企業・政府間関係
の介入干渉がきわめて容易となる。他方では、その反面
に顕著な変化が表れている。会社化政策=現代企業制度
である企業の依存心が除去できないし、所有権と経営権
の確立はまた「政府と企業の分離(
「政企分開」
)」、すな
の実質的な分離を困難にするのである。競争的業種でこ
わち政府と企業の役割を分離・区別することをその内容
の問題を解決する有効な方法は、株式所有を多元化、多
の一つとし、企業はもっぱら営利企業として経済活動を
様化し、国有株の割合を低下させることである。すでに
行うのに対し、政府は社会全体の管理者としての任務を
国有株の比率50%以下の会社が作られているように、こ
担うことを目指している。この結果、以下に示すように
の割合は可能なかぎり50%以下にすることが望ましいと
会社制度の普及につれて、両者の役割分担が一層進展し、
考えられる24)。
政府の役割及び税制・財政の構造が大きく変化している
第2の問題点は、会社化した企業において「老三会」
のである27)(前出の「図1」参照)。
と「新三会」という2重の管理機構が存在することであ
る。前者は「全人民所有制工業企業法(1988年施行)」
1会社化と94年税制改革との相互関係
を根拠法とする党委員会、従業員代表大会、労働組合で
会社化した国有企業は、法人財産権を付与されて自立
あり、後者は「会社法(1994年施行)」を根拠法とする
性を高め、政府との関係は会社と大株主という関係にな
取締役会、株主総会、監査役会である。ここでの核心的
ると同時に、独立的納税主体となることがはっきりして
問題は党委員会を代表する党委員会書記と取締会を代表
くる。会社法(公司法)の施行は94年であったが、この
する社長(総経理)、会長(董事長)との関係の調整で
年、実施された抜本的な税制改革は会社制度を導入し、
ある。党委員会書記が経営能力を持ち、代表取締役(社
普及する政策と軌を1つにしている。その最も重要な内
長)または会長を兼任する場合は、両者の関係は比較的
容は次の4点である28)。
①それまで複数あった国有企業に対する所得税を統一
矛盾や対立は少なく、会社化のメリットは十分発揮され
ているといえる。ところが両者が別々であり、
「老三会」
し、基本税率を33%に一本化する。これに伴い国有
と「新三会」の間に対立や矛盾があるときには、生産性
企業の経営請負制が廃止された。
②外国人を含む統一的な個人所得税を創設し、4%か
向上や経営効率化の推進は限界を持つことが多いのであ
−27−
政策科学8−1,Sep. 2000
ら45%までの超過累進税率を適用する。
消費課税では、大部分の商品が付加価値税の対象となり、
③付加価値税の課税方法を統一し、税率は17%の標準
それまで3つの税目の下で8%から45%まで12種類の税
税率と13%の軽減税率の2本立てとする。
率が標準税率17%、軽減税率13%の2本立てに簡素化さ
④国有企業調節税、企業から追加徴収するエネルギー
れたことにより、業種間商品間にあった税負担の不均衡
が緩和された29)。
交通重点建設基金、予算調節基金を廃止する。
財政収入は、85年の利改税(利潤上納制から租税納付
このような内容の税制改革は、国有企業の会社化政策
制への改革)以降、租税収入が70%前後を占めるように
との間に次のような密接な関連がある。一つは、国有企
なっていたが、税収以外ではその他収入の方が債務収入
業の会社化の外部環境を作ることに役立っていることで
(公債)よりもはるかに高い割合を占めていた。しかし
ある。企業所得税の統一や、政府収入の中で一定の割合
94年以降は前者の地位が低下するのに対し、後者の地位
を占めていた企業の追加負担の廃止によって、税制面か
が上昇していく。債務収入は91年の全歳入比10.0%から
ら企業間に存在した競争条件の違いが解消し、国有企業
年々増大し、94年に15%を超え(16.5%)、97年以降は
は非国有企業と同等な競争条件の下におかれるようにな
20%を上回る(98年25.2%)ようになっている。これに
った。この意味において、国有企業の会社化の前提条件
対して92年にまだ20%を超えていた(21.3%、93年
を作っているのである。
15.5%)その他の収入は、94年以降10から11%台へと低
第2に、94年税制改革によって、企業所得税の規範化
下してきた。これが意味するのは、基本的に租税収入と
に反する80年代以降の請負制(請負契約による企業所得
公債収入からなる財政収入システムが成立したことに他
税の納付)が廃止された。このことは租税を通じた政府
ならない。他面では公債への依存が高すぎると公債残高
と企業の分配関係を法制化の軌道に乗せることを意味
が累積し、中国の財政においてその圧迫要因になるとい
し、会社化を可能にする条件の一つとなっている。
う新たな問題が発生していることを示している。
第3に、会社制度の普及は税務機構・税務行政の整備
租税収入の構成では、企業所得税が税率引き下げなど
を促していることである。国有企業が単に行政の1部門
の影響でそのウエイトを低下(94年から97年の平均
にとどまっていると、企業と税務局の間は緊張を欠き、
10.9%)させているし、個人所得税はまだ3%程度(94
税務行政は不完全になりやすいのが実情であった。しか
年1.4%(72.85億元)、97年3.1%(259.55億元))を占め
し、企業が納税主体として独立性を高めると、税務局は
るにすぎない。これに対して付加価値税を中心とする3
法に従い厳格な税務行政を行うことが求められる。こう
つの間接税が税収全体の約3分の2を占め(94年∼97年、
して国有企業の会社化は租税制度や税務行政の整備、拡
66∼67%)、高い地位を保持している。経済発展の途上
充を促進し、その近代化のテコとなっているのである。
では、直接税よりも間接税に重点が置かれるのは不可避
的である。しかし将来的には企業所得や個人所得の水準
2財政支出の構造変化とその意義
が高くなるにつれて、企業所得税や個人所得税などの直
国有企業の会社化政策の下で、企業と政府の職責は次
接税がある程度の地位を占めるようになると見られる
のような基本的分担関係になる(前出の図1、参照)。
(表4、参照)。
会社化した企業は、営利を目的とし、効率の高い生産性
94年税制改革の意義は、企業所得税と付加価値税を基
と利潤最大化の実現をめざす。これに対し、政府の任務
幹税とする税体系がほぼ確立し、他方で、追加課税の性
はインフラの整備、教育制度や社会保障制度の整備・拡
格を持ち、徴収基準の明瞭でない2つの基金(エネルギ
充といった本来的行政活動に限定されていくとともに、
ー交通重点建設基金、予算調節基金)が廃止され、市場
経済活動に対する政府の関与は、間接的なマクロ経済の
経済に適合的な税制の確立が大きく前進したことであ
コントロールを中心とするようになる。90年代後半以後、
る。そして、税法の統一化を基礎に企業所得税負担の公
国有企業を含む企業全体と政府との関係は、このような
平や付加価値税における業種間商品間の不均一な税負担
役割分担の方向に向かっている。
が改善された。企業所得税では国有企業の負担率に差異
このように政府は直接的な企業的活動を減少させ、そ
を生んでいた調節税や経営請負制の廃止、国内企業所得
の役割を本来的行政活動に重点化していくが、このこと
税の一本化によって負担の公平化が進んだ。売上課税、
は次のような財政構造の変化によく表れている(表5、
−28−
中国における国有企業の会社化と政府の役割変化(曹)
表4 歳入及び税収の構成とその推移
単位:億元(%)
(1)
歳入合計
1985
1990
租税収入
2,601.7
2,040.8
(100)
(78.4)
3,891.5
国有企業
集団企業 付加価値税
サービス関係税
特 別
所 得 税
所 得 税 (増値税) (営 業 税)
消費税
595.8
(100)
(29.2)
2,821.9
604.1
100.2
147.7
(4.9)
(7.2)
111.9
400.0
211.1
(10.3)
515.8
594.6
関 税
205.2
1991
4,631.1
(21.4)
(4.0)
(14.2)
(18.3)
2,990.2
627.5
90.6
406.3
564.0
580.9
159.0
5,042.6
629.4
187.2
5,910.4
(100)
(21.0)
(3.0)
(13.6)
(18.9)
7,125.5
3,296.9
627.7
96.0
705.9
658.6
693.2
212.7
(100)
(19.0)
(2.9)
4,255.3
582.9
95.6
(21.4)
1,081.4
(20.0)
8,447.2
966.0
821.4
256.4
(100)
(13.7)
(2.3)
5,126.9
609.7
98.7
(25.4)
2,308.3
(22.7)
10,049.7
670.0
487.4
272.6
11,127.9
(100)
(11.9)
6,038.0
759.3
(1.9)
(45.0)
119.0
2,602.3
(13.1)
694.1
865.5
(100)
(12.6)
6,909.8
822.3
(100)
(11.9)
8,234.0
585.9
(100)
13,163.9
8,816.2
(100)
(67.0)
(7.1)
541.4
291.8
(2.0)
(43.1)
(14.3)
(9.0) (4.8)
146.1
2,962.8
1,052.6
620.2
301.8
(2.1)
(42.9)
(15.2)
(9.0) (4.4)
205.8
3,481.3
1,353.4
711.1
――
(2.5)
――
(42.3)
――
(16.4)
――
375.5
(17.8)
(9.6)
1,179.5
461.4
(10.0)
1,076.1
669.6
(21.3)
(13.3)
915.9
739.2
(15.5)
(12.5)
823.4
1,175.2
(16.5)
(9.5) (5.3)
319.5
(100)
1998
(3.5)
(11.6)
(100)
1997
(18.1)
(19.3) (6.0)
(100)
1996
89.9
(21.0) (6.5)
(100)
1995
471.0
(21.0) (6.3)
(100)
1994
債務収入
(25.5)
(100)
1993
その他収入
(20.6) (5.6)
(100)
1992
(3)
(29.1) (10.1)
(100)
(100)
(2)
859.5
1,549.7
(10.2)
(18.3)
1,172.7
1,967.2
(11.7)
(19.6)
417.1
2,476.8
(3.8)
(22.3)
(8.6) (3.9)
――
――
――
3,310.9
(25.2)
注:1)中国の統計では、歳入は債務収入と赤字補填額を除外したものを計上しているが、ここでは両者を含めている。
2)97、98年の統計は[98、99年統計摘要]、「99中国税務年鑑」により作成。
3)
[98、99中国統計摘要]により、国有工業企業(国有株コントロールを含めて)の納付した増値税に関して、
97年1,512.2億元、98年1,754.0億元。
−29−
政策科学8−1,Sep. 2000
表5 国家財政支出(中央、地方)の構成と推移
(単位:億元、%)
支出合計
1985
1986
1987
1988
1989
1990
1991
1992
1993
1994
1995
1996
1997
1998
基本建設費
(公共事業費)
文化、教育
科学、衛生
うち●
関 係 費
教育費
226.8
2,511.2
554.6
316.7
(100)
(22.0)
(12.6)
2,629.7
596.1
379.9
274.7
(100)
(22.7)
(14.5)
(10.5)
2,638.6
521.6
402.8
293.9
(100)
(19.8)
(15.3)
(11.1)
2,937.7
494.8
486.1
356.7
(100)
(16.8)
(16.6)
(12.1)
3,422.7
481.7
553.3
412.4
(100)
(14.1)
(16.2)
(12.1)
3,662.5
547.4
617.3
462.5
(100)
(15.0)
(16.9)
(12.6)
3,896.8
559.6
708.0
532.4
(100)
(14.4)
(18.2)
(13.4)
4,187.1
555.9
792.9
621.7
(100)
(13.3)
(18.9)
(14.9)
5,053.6
591.9
957.8
754.9
(100)
(11.7)
(19.0)
(15.0)
6,158.2
639.7
1,278.2
1,018.8
(100)
(10.4)
(20.8)
(16.5)
7,151.5
789.2
1,467.1
1,193.8
(100)
(11.0)
(20.5)
(16.7)
8,275.0
907.4
(100)
(11.0)
(20.6)
9,233.6
1,019.5
1,903.6
(100)
(11.0)
(20.6)
――
――
10,771.0
(100)
1,704.3
(9.0)
――
国有部門
年 金 費
医療費
――
――
――
――
――
――
――
――
――
――
――
――
260.7
79.0
行 政
管理費
130.6
国防費
価格補助
赤字補填
191.5
261.8
507.0
(5.2) (7.6) (10.4)
168.0
200.8
257.5
(6.4) (7.6)
(9.8)
179.3
294.6
209.6
(6.8) (7.9) (11.2)
220.9
218.0
316.8
(7.6) (7.4) (10.8)
261.9
251.5
373.6
(7.7) (7.4) (10.9)
303.1
290.3
380.8
(8.3) (7.9) (10.4)
343.6
330.3
373.8
(6.7) (2.0) (8.8) (8.5)
(9.6)
317.6
321.6
98.2
424.6
377.9
(20.2)
324.8
(12.4)
376.4
(14.3)
446.5
(15.2)
598.9
(17.5)
578.9
(15.8)
510.2
(13.1)
444.9
(7.6) (2.4) (10.1) (9.0)
(7.7)
404.8
299.3
411.3
(8.0) (2.6) (10.6) (8.4)
(5.9)
(8.1)
724.9
314.5
366.2
(5.1)
(6.0)
364.9
327.8
(12.9) (2.9) (12.2) (8.9)
(5.1)
(4.6)
1,121.1
453.9
337.4
(5.5)
(4.1)
129.5
163.6
535.8
729.4
425.8
550.7
(11.8) (2.7) (11.8) (8.9)
921.8
203.2
872.7
230.0 1,040.8
636.7
720.1
(13.6) (2.8) (12.6) (8.7)
――
――
――
――
――
――
1,137.2
812.6
(12.3) (8.9)
――
――
(10.6)
――
――
――
――
注:財政支出に赤字補填が含まれているが、債務支出が含まれていない。97年、98年の支出合計は赤字補填、債務支
出が控除された数値である。
出所:96年までは「97中国財政年鑑」、「97中国統計年鑑」、97年以降は「98、99中国統計摘要」による。
参照)。1つは、国有企業と密接な関連をもつ赤字補填
支出の10%前後の大きさ(90年10.4%)であったのに対
支出や価格補助のウエイトが著しく低下していることで
し、94年以降は5%余(95年5.1%)に低下し、両者を
ある。前者は80年代末には全支出の15%を超え、92年に
合わせても10%以下(96年9.6%)の水準となったので
も10%以上(10.6%)であったが、90年代に入って減少
ある。このことは一般財政において、直接的に国有企業
に転じ、95年以降は4%台となった。後者は91年までは
との関係の深い支出が減少し、財政面から政府と国有企
−30−
中国における国有企業の会社化と政府の役割変化(曹)
業の相互分離・自立化が進んでいることを示している30)。
表6 予算外資金会計(支出)の規模
第2に、反対に本来的な行政に要する経費、基本建設
(単位:億元、%)
(A)
費(主として公共事業費)、教育・衛生関係費、社会保
(B)
障関係費、行政管理費などのウエイトが増大しているこ
予算内資金 予算外資金
とである。増加率の高いのは教育・衛生関係費、特にそ
会計(支出)会計(支出)
の中の教育費である。前者は80年代末には全支出に対し
(一般会計)(特別会計)
1988
て16%台であったが、90年代に入って金額、割合とも増
3,208.5
2,145.3
(100)
加傾向となり、93年までは18∼19%台、94年以降は20%
1989
(97年、20.6%)台、全額では1,900億元以上(97年1,903
3,705.7
億元)になったのである。教育費は88年から90年までは
1990
12%台にすぎなかったのに対し、その後地位を高め94年
4,038.0
以降は16%を超え(95年16.7%)、支出額は約1,200億元
31)
(95年、1,193億元)に達しているのである 。
1991
4,358.2
社会保障関係費では、国有部門の年金費が急増してき
1992
た。91年には、260.7億元(指数100)、全支出に占める
4,856.8
割合は6.7%であったが、94年に724.9億元(同278)、
11.8%、96年に1,121億元(同429)、13.6%に達している。
1993
5,792.8
2,503.1
1994
額、割合とも明らかに増勢にある。これまで教育費や社
7,334.1
1995
によってなされてきた。そして、それは国有企業の経営
8,701.3
を圧迫する大きな要因の一つであった。会社政策は社会
1996 10,242.3
的負担を企業から切り離し、政府の責任とすることを内
容の一つとしていたが、それが財政構造の変化に表れて
1997 11,710.4*
いるのである。
行政管理費も急増しており、以前の10%以下の水準か
地 方
842.9
1,302.4
975.9
1,527.2
2,707.1
1,037.7
(100)
(38.3) (61.7)
3,092.3
1,263.3
(100)
(40.9) (59.1)
3,649.9
1,592.8
(100)
(43.6) (56.4)
1,314.3
1,710.4
2,331.3
67:100
(39.3) (60.7)
(39.0) (61.0)
(100)
会保障費を中心とする社会的負担の多くは直接国有企業
中 央
(100)
(100)
医療費はその割合はまだ大きくないが(96年2.8%)、金
B:A
198.9
1,669.4
1,829.0
2,057.1
1,115.4
68:100
67:100
71:100
75:100
23:100
(15.1) (84.9)
225.0
1,485.4
23:100
(13.2) (86.8)
351.4
1,979.9
(100)
(15.1) (84.9)
3,838.3
1,034.9
(100)
(27.0) (73.0)
2,803.4
2,685.5
143.9
2,541.6
(100)
(5.4) (94.6)
27:100
38:100
23:100
ら95年以降は12%を超え(97年、12.3%)、支出額は
注:予算内資金会計(支出)は債務収入と赤字補填を
1,100億元以上(97年、1,137億元)になっている。基本
含むものである。97年については、債務収入が含
建設費は割合では低下し、94年以降は約11%であるもの
まれるが、赤字補填が除かれている数字である。
の、支出額自体は急増し、97年には1,000億元を超える
出所:『99’
中国統計摘要』57頁、67頁、『97'中国財政
年鑑』462頁、465頁により作成。
(1,019億元)のである。
第3に、国有企業と結び付きの強い政府予算外資金会
計(国、地方計)の規模が93年以降大幅に縮小している
億元を超える水準(97年2,541.6億元)にある。それは
ことである。それは80年代末から90年代はじめにかけて
省や大都市で、行政的活動と企業的活動の分離がまだ十
拡大し、予算内資金(一般会計)に対して、88年67%、
分ではないことを示しているが、将来の方向としては縮
90年以降は70%以上に達した。しかし、93年度に予算外
小させることが望ましいと考えられる32)(表6、参照)。
資金の思い切った整理が実行され、96年を除いて25%前
このように会社化政策の進展と並行して、国有企業と
後の規模(97年23%)となった。その最大の要因はこの
政府・行政機関の分離、役割分担が明瞭となり、それは
年から中央政府の国有企業及び主管部門の予算外資金会
財政構造の変化に反映されているのである33)。
計が廃止されたことである。このため、90年代はじめ
1,000∼1,500億元規模であった中央政府のそれが急減し
ている(96年を除く)。しかし、地方政府のそれは2,500
−31−
政策科学8−1,Sep. 2000
Ⅴ.まとめ
業への資金供給を止め、本来的行政活動が中心となる。
財政支出面では、国防・警察、インフラ整備、教育、社
国有企業の改革は80年代から90年代前半まで経営自主
会保障などへの支出が大幅に増加し、圧倒的な部分を占
権の拡大を主とするものであり、一定の成果があった。
めつつある。このことは、他面で企業への赤字補填がき
しかし、投資決定や経営者の人事など重要な経営権につ
わめて小さくなっていること、国有企業自体と密接な関
いてはほとんどの場合、主管の行政機関がそれらを掌握
係を持っていた「予算外資金」の規模が大幅に縮小して
しており、経営自主権の確立は達成されなかった。「現
いることに表れている。
代企業制度の確立」の名で打ち出された国有企業の会社
第4に、会社化によって国有企業は、納税主体として
化(株式会社、有限会社)、再建の見込みのない企業の
の独立性を強め、安定的租税制度の支柱になることであ
吸収合併、破産・整理する措置はこの限界を打破し、国
る。会社法の制定と軌を一にして、94年に抜本的な税制
有企業の独立性を高めようとする政策である。93年の企
改革が行われ、企業所得税、付加価値税を中心とする税
業会計準則、会計財務通則、94年の会社法の制定施行、
体系が形成されたのはこのためである。
抜本的税制改革はその法制的整備であった。
しかしながら、この研究には、いくつか不十分さがあ
会社制度の導入は、国有企業にとって法人財産権、経
る。たとえば、本稿では主として国有企業と中央政府と
営権と所有権の区別が法制的に保障されることを意味す
の関係を念頭において考察したが、地方政府との関係は
る。会社化の普及は、企業内外の諸問題を一体として解
検討されていない。地方政府は多くの国有企業を所管し
決する必要があるから今後とも決して容易でないが、こ
ており、両者の関係や地方政府の財政・税制の研究はき
れ以外に国有企業改革の道がないことも事実である。社
わめて重要である。また国有企業の会社化や財政構造の
会主義市場経済、つまり公有制を重視した市場経済の成
背後にある社会保障制度などについての統計的検証が十
否は会社化によって国有企業が全体として高い生産性を
分でないことである。それらは今後の研究課題にしたい
実現できるかどうか、また狭義、広義の国有企業・政府
と考える。
間関係において調和的関係を確立できるかどうかにかか
っている。
注
この論文では、狭義及び広義の国有企業・政府間関係
1)人民公社時代の社隊企業が1984年に改組され郷鎮企業とな
の視点から90年代の大中型国有企業への会社制度の導入
った。それは農村における集団所有制企業であり、農村の行
政策とその特質について分析し、国有企業の会社化によ
政単位である郷、鎮(村)、またはその政府が所有、経営す
る政府の役割、特に税制・財政の変化について明らかに
る農村企業である。
した。
2)会社化による国有企業・政府間関係の改革方向は、中国語
第1に、企業・政府間関係が規範的となり、国有企業
では「両権分離(国有資産の所有権と法人財産権の分離)」、
「政企分開(政府と企業の分離)」と表現されているが、両者
が独立性を確保し、全体として生産性の高い企業に変え
は狭義及び広義の国有企業・政府間関係に対応している。
る条件が整ったことである。確かに政府の持ち株比率が
「両権分離」という用語は80年代には国有企業の所有権と経
50%以上を占めることが多いことから、行政機関による
営権の分離を内容としていたが、94年の会社法施行後、国有
直接間接の介入・干渉の可能性は残っているが、株主と
資産の所有権と法人財産権の分離を内容とするようになって
しての行政機関の役割を会計監査などの監視機能に限定
いる。
することになれば、経営権と所有権の調和的な関係が可
3)林毅夫氏らは四川省、北京、天津、上海で行った企業権限
拡大(利益留保の容認)の実験方式が、80年秋に6000社余に
能になるのである。
導入されたこと、81年8月末に工業経済責任制(利益留保の
第2に、行政機関の国有企業に対する個別的、直接的
一方式)を実施する企業のシェアが65%に達したことを上げ、
介入が解消に向かうにつれ、政府の経済に対する役割は
「放権譲利」が広く行われたと述べている。林毅夫・蔡彷・
間接的なマクロ経済のコントロール、経済活動のルール
李周共著『中国の国有企業改革』(日本評論社、1999年)46
作り、本来的な行政活動、経済格差の是正が中心となっ
頁∼48頁、参照。
ている。
4)93年前後まで国家所有の企業は「国営企業」と呼ばれてい
たが、93年以降「国有企業」と呼称されるようになった。前
第3に、政府の財政は、例外的場合を除いて事実上企
−32−
中国における国有企業の会社化と政府の役割変化(曹)
者は国家が経営する企業という意味が強いが、後者は所有権
王保樹・崔勤之著『中国会社法論』(晃洋書房、1998年)第
と経営権の区別に力点を置いた表現である。本稿では「国有
1章∼3章、参照。
企業」という用語を主として用いるが、必要な場合のみ「国
13)中国の社会主義市場経済における所有制については、『大
営企業」という用語を使用する。
連日報』1997年11月17日、第2版、萬成博編著『現代中国国
5)経営請負制とその評価は、川井伸一著『中国企業改革の研
有企業Ⅱ』(白桃書房、1999)4∼5頁などにもとづいて整
究』(中央経済社、1996年)第3章、呉敬鏈著『中国の市場
理した。
経済』(同上文献の日本語訳は凌星光・陳寛・中屋信彦(サ
14)国有大中型企業は2種類に区分できる。一つは非競争的部
イマル出版社、1995年)第6章にもとづく。
門で巨額の初期投資を要する。つまり交通、通信、電力など
6)川井、前出書、22∼24頁による。川井氏が明らかにした14
項目の自主権の実施状況は
のようなインフラ的産業であり、会社形態となっても、一定
仁平氏が「国有企業活力評価組」
期間は政府の補助金を必要とすると考えられる。もう一つは
による1055の大中型国有企業の調査(93年)にもとづく評価
競争的産業であり、ここでの企業は会社化によって損益に自
とほぼ同じである。
己負担をもつことが求められている。
仁平「経済改革に伴う政府・企業間関
係の変化」『大国への試練』(日本評論社、1999年)所収、29
15)「万千百十計画」の内容については、王
∼35頁、参照。
通・
7)この評価は川井教授の見解による。川井、前出書第1章、
36∼41頁、参照。
版社、1996年)第6章、参照。
16)天津市と長春市の事例を含む100社の大中型国有企業の会
8)楊啓先教授は同じ指摘を行っている。楊啓先「国有企業改
革は制度斬新を実現すべきである」『国有企業:
編監修、陳文
肖輝・莫増斌執筆『国有企業改革新探』(上海遠東出
社化の実態は、謝世栄主編『財産権(産権)理論と国有企業
的路在何
制度の創新』(中共中央党校出版社、1996年)第13章にもと
9)株式制の試行に関しては、励以寧主編『株式制試験企業政
17)会社化を中心とする国有企業改革の重点都市・地域(優化
方』(経済科学出版社、1997年)33頁による。
づいて整理した。
策法規諮問全書』(東北財経大学出版社、1993年)8頁∼9
資本結構試点城市)に指定されたのは、次の18都市である。
頁、川井、前出書、138頁∼139頁、などによる。
上海、天津、武漢、重慶、成都、瀋陽、ハルビン、長春、チ
10)社会主義市場経済体制を確立するための方策を示した「93
チハル、唐山、錙博、青島、太原、常州、蚌埠、株洲、宝鶏、
年決定」は次の5点を主要課題としている。それは、①国有
柳州であり、そこでは「資本増強」、
「技術改造」、
「業種転換」、
企業をはじめとして現代企業制度を確立する、②金融制度改
「合併」などの手段を通じて、国有企業全体の経営効率化、
革(中央銀行制度、商業銀行の確立)、③税財政改革(分税
生産性向上がはかれている。95年には、大中型企業間の合
制改革、税制改革)、④統一的市場体系の確立(価格決定の
併・統合が目立ち、18都市で、整理された企業は103社、吸
自由化)、⑤貿易体制改革、対外開放の一層の促進である。
収合併された企業は366社に達した。井上隆一郎編著『中国
社会主義市場経済システムは大きく次の3点を内容とすると
の企業と産業』(日本経済新聞社、1996年)136∼137頁によ
考えられる。第1に、所有制において公有制(全人民所有
る。
制=国有制、集団所有制)を主体とし、その下で企業や個人
18)上海市の事例は『人民日報海外版』1999年11月8日号、第
などの経済主体が市場で原則自由な経済活動を行うシステム
1版による。
である。第2に、政府の任務は秩序のある統一的な市場、公
19)96年から97年にかけて会社化した企業数が1800社近く減少
正な競争を保障し、対外的に開放された市場の枠組みを構築
している。その原因としては合併、統合などが考えられるが、
するとともに、間接的な手段を通じて経済のマクロ的コント
それが一時的なものかどうかを98年以降の動向とあわせて検
ロールを行うことである。第3に、社会主義市場経済の目標
討する必要がある。また会社企業の赤字について、それが会
は社会主義の優越性と市場経済の効率性を結合することによ
社発足時のやむをえないものか、構造的なものかの評価は重
って、生産力の発展を促進し国民の物資的文化的生活の水準
要な研究課題である。
を高めることである。曹瑞林「中国の市場経済化の進展と94
20)呉敬鏈教授は、法人化による所有や、企業経営の変化につ
年税制改革」『立命館大学政策科学』(6巻2号、1999年)32
いてすでに次のように指摘した。法人の資産所有は全人民所
頁による。
有(国有)とは区別され、全人民所有や他の資産所有との間
11)王東明氏が中国誠信証券評估有限公司『中国上場会社(上
に明確な境界が引かれる。会社制度はその法人財産にもとづ
市公司)基本分析1998』などによって作成した表による。
いて、民事上の有限責任を負うとともに、行政機関が企業に
12)94年の『会社法』によって株式会社と有限会社は独立の法
直接干渉する基礎をなくし、所有と経営の分離、専門家によ
人格を付与されるとともに、会社は営利を目的とすることが
る企業経営を可能にする条件を作る。呉敬鏈、前出書、243
明記された。企業改革の中心問題である法人財産権の確立と
∼244頁による。
企業・政府間関係の明確化、相互自立化は、法制上これによ
川井伸一教授によっても同様のことが述べられている。
ってぼほ達成されたと見なされる。志村治美編著、王家福・
「会社化が企業の法人財産の保証、そして法人財産権にもと
−33−
政策科学8−1,Sep. 2000
づく企業の自主経営権と有限責任制を明記しており、その点
27)石原享一教授は中国の市場経済における政府の役割につい
では、所有権と経営権の両権分離に関する従来の議論のあい
て、すぐれた総合的研究を行われている。本稿は同教授の市
まいさを克服している。同時に、それは西側世界における資
場経済への転換に果たした政府の役割、行政機関であるとと
本主義的企業編成原理を踏襲するものである。」川井、前出
もに、利益追求の主体でもあるという地方政府の二重性、広
書、140頁による。
範な機能を果たしている政府の重要性や問題点の解明から多
21)『人民日報海外版』2000年1月26日号、第1版による。
くのことを学んでいる。狭義・広義の企業・政府間関係は事
22)都市部と農村部の住民貯蓄残高の年増加額は『中国統計摘
実上区別されているが、狭義の関係と広義の関係が相互に影
要』1998年版、78頁により、中国個人投資家に対する調査状
響しあっている点についての認識は十分ではないと思われ
況は『人民日報海外版』2000年1月15日号、第5版による。
る。(石原享一「中国型市場経済と政府の役割」『現代中国の
構造変動』第2巻、中兼和津次『経済−構造変動と市場化』
23)林毅夫教授は「財産権の明確化を改革の主要な方向として
(東京大学出版会、2000年)第2章、参照。)
も、効果は期待できないであろう。企業経営に関する十分な
28)94年税制改革の内容については、詳しく石般若・宋蘭
情報の獲得はすべての有効なコーポーレート・ガバナンスの
『1994:中国税制改革』
(中国物価出版社、1994年)、
「曹瑞林、
前提条件である。しかし、この前提条件がまだ存在しない中
1999年」など、参照。
で、先進市場経済諸国において有効な内部ガバナンス・モデ
ルを盲目的に導入しても、中国国有企業の現状には適用しな
29)94年の税制改革は分税制改革(国と地方の税制財政関係の
いであろう。」と述べ、情報の非対称性の解消がより重要だ
改革)と一体のものとして遂行された。したがって分税制改
革の検討が課題として残っている。
と考えている。しかし、本稿では、法人財産権は唯一の要因
30)赤字補填の中央、地方両政府の内訳では、地方政府分が
ではないとしても、生産性の高い企業を作るうえで、積極的
意義をもつと評価している。林毅夫・蔡彷・李周、前出書、
80%前後を占める。96年は国71.8億元に対し、地方は265.6億
108∼109頁、参照。
元、全体の78.7%であった。
24)国有株の保有の割合の引き下げは99年から始まった。現在
31)馮秀華氏(財政部公共支出局長)は政府の役割や財政支出
900社の上場会社について、国有株の平均保有率は62%であ
の構造変化について次のように述べている。「今後、経済活
るが、これを51%まで引き下げることがめざされている。ま
動の投資主体は政府から企業に転換し、財政活動は国防、外
た国有株保有率の引き下げは、上場会社の経営自立性の強化
交、社会治安、公共施設、基礎教育、基礎科学研究、衛生保
険、環境保全などの分野に集中されるようになる。」馮秀華
や業績の向上に有効であると指摘されている。『人民日報海
「公共財政の役割変化」『行政事務財務』(1999年2月号)第
外版』1999年12月11日号、第5版による。
4∼6頁。
25)謝世栄教授は、「老三会」と「新三会」がそれぞれの職務
を区別し相互に保証すべきであることを強調している。謝世
32)予算外資金(会計)とは、①財政的資金としての性質をも
栄、前出書248∼249頁、参照。同様のことは川井教授によっ
つが、予算内資金(一般会計)に含まれない各種資金の会計
ても強調されている。川井、前出書157頁、参照。
である。②各地方政府、中央政府の各部門および各組織が法
仁平氏は論文「経済改革にともなう政府・企業間関係
令の定める徴収基準によって徴収する資金を財源とする。③
の変化(前出)」において本稿と同様の問題意識で地方政府
それは法令に規定された範囲と基準にもとづいて各地方政
所管の国有企業における経営自主権拡大の実態を研究してい
府、各部門と各組織によって支出される。④市及び県、区の
る。そこでは、国有企業の圧倒的部分(94年、約95%)が地
財政局も予算外資金の管理主体となることができる。予算外
方政府の管轄下におかれているが、地方レベルでは行政権と
資金の説明は、李海波編著『新編・財政と金融』(立信会計
企業所有権が一体的である場合が多く、地方政府と国有企業
出版社、1996年)158∼207頁、にもとづく。
26)
との間に癒着関係が生じることを明らかにしている。しかし、
33)市場経済化は財政・金融の各システムの分離をその内容の
この問題の解決策としての会社化政策には、次のように「こ
一つとしており、財政・金融の両改革は密接な関係にある。
の問題は国有企業の公司化、株式化(会社政策、筆者注)に
したがって財政の構造変化を評価するためには金融改革との
よって解決可能であろうか。...この点に対し疑問を抱かざる
関係にふれる必要がある。次の論文は両者を一体的に検討し
をえない。」」(同論文、43頁)と述べ、悲観的な見方をして
たすぐれた研究である。田島俊雄「中国の財政金融制度改革」
いる。そして「国有企業の改革を成功させるためには、所有
前出の『現代中国の構造変動』(全8巻)第2巻、第3章。
権制度改革と同時に、......政府機能転換と行政機構の改革に
も力を入れるべきであろう。」
(同論文、43頁)と述べている。
筆者は本稿で国有企業の改革は会社化しただけでできるわけ
参考文献
ではないが、それは行政機関との相互分離、機能分担の重要
董輔
・励以寧・韓志国『国有企業:
的路在何方(50位経済
学者論国有企業改革』(経済科学出版社、1997年)
な条件になり、実際に狭義、広義の企業・政府間関係が改善
林毅夫・蔡彷・李周[共著]関志雄[監修]李粋蓉[訳]
されつつあることを明らかにしている。
−34−
中国における国有企業の会社化と政府の役割変化(曹)
『中国の国有企業改革(市場原理によるコーポレート・ガ
井上隆一郎『中国の企業と産業(21世紀への展望と戦略)』(日
バナンスの構築)』(日本評論家、1998年)
本経済新聞社、1996年)
林毅夫・蔡彷・李周[共著]渡辺利夫・杜進[訳]『中国の経
川井伸一『中国企業改革の研究(国家・企業・従業員の関係)』
済発展』(日本評論社、1997年)
励以寧『株式制試験先企業政策法規諮問全書(股
(中央経済社、1995年)
制試点企業
萬成博『現代中国国有企業Ⅱ』(白桃書房、1999年)
政策法規諮詢全書)』(東北財経大学出版社、1993年)
南亮進・牧野文夫編著『大国への試練−転換期の中国経済−』
李海波編著『新編・財政と金融』(立信会計出版社、1996年)
(日本評論社、1999年)
孫尚清『新経済問題上・下巻』(中国発展出版社、1996年)
中兼和津次『中国経済発展論』(有斐閣、1999年)
孫尚清著、今村弘子・筒井紀美・今井健一[訳]『中国経済の
中兼和津次編『現代中国の構造変動(経済−構造変動と市場化』
改革と発展』(お茶の水書房、1999年)
(東京大学出版社、2000年)
石般若・宋蘭『1994:中国税制改革』(中国物価出版社、1994
志村治美編著、王家福・王保樹・崔勤之著『中国会社法論』
年)(同上文献の日本語抄訳は曹瑞林・内山昭「改革開放
(晃洋書房、1998年)
政策下の中国税制改革1234」九州国際大学『経営経済
総合研究開発機構編『中国市場経済の成長と課題−日中経済学
論集』第2巻第2号(95年12月)、第2巻第3号(96年3月)、
第3巻第1号(96年7月)、第3巻第3号(97年3月))
曹瑞林「中国経済の改革と税制改革−84年国営企業課税改革を
呉敬鏈著、凌星光・陳寛・中屋信彦[訳]『中国の市場経済
中心に−」(『財政学研究』1997年、第22号)
(社会主義理論の再建)』(サイマル出版社、1995年)
王
主持、陳文通・
術シンポジウム報告』(NTT出版、1999年)
曹瑞林「中国の市場経済化の進展と94年税制改革」(『立命館大
肖輝・莫増斌執筆『国有企業改革新探』
(上海遠東出版社、1996年)
学政策科学、1999年』第6巻第2号)
国家統計局『中国統計年鑑』(中国統計出版社、1997年)
謝世栄『財産権理論及び国有企業制度の創出(産権理論与国有
国家統計局『中国統計摘要』(中国統計出版社、1998年版、
企業制度創新)』(中共中央党校出版社、1997年)
1999年版)
『大連日報』1997年11月17日号第2版
国家統計局工業統計司『中国工業統計年鑑』(中国統計出版社、
『財経資訊』1999年12月5日号
1998年)
『人民日報海外版』(人民日報出版、1999年8月7日号、11月8
中国財政年鑑編集委員会『中国財政年鑑』(中国財政雑誌社、
日号、11月15日号第1版、第5版、1999年12月11日号第5
1997年)
版、2000年1月15日号第5版、2000年1月26日号第1版、
2000年3月10日号第12版
中国税務年鑑編集委員会『中国税務年鑑』(中国税務出版社、
1998年)
伊藤正一著『現代中国の労働市場』(有斐閣、1998年)
−35−