【書評】周応恒著『中国の農産物流通政策と流通構造』勁草書房 2000 年

【書評】周応恒著『中国の農産物流通政策と流通構造』勁草書房
2000 年
Ⅹ+191 頁
1
改革・開放が始まった 1970 年代末までの中国経済は集権的な計画の下で運営されてい
た。食糧をはじめとする主要農産物の流通や消費の過程にも厳格な指令計画が存在した。
人民公社という制度装置の存在とも相俟って,農産物の流通ルートと価格決定はほぼ完全
に食管行政などによって握られていた。食糧など主要農産物が全体として不足する状況下
で価格の安定と分配の平等を実現する必要があるからだけでなく,安い国定価格で買い上
げられた食糧を都市住民に安い価格で配給することにより,国営企業の低賃金→高利潤→
国家工業化のための資本蓄積が可能になる,という農業から工業への資本移転を実現する
手段としてもそれが必要だったからである。
1980 年代以降,市場経済化改革が強力に進められいる中で,農産物の流通政策や流通構造
にも大きな変貌が見られる。食管行政は流通過程の直接的な担い手から流通の基礎条件の
改善や法律・制度の整備を進める脇役へ変身しつつあるし,都市化の進展に起因する生産地
と消費地の遠隔化,所得増加に伴う消費構造の高度化などに対応する新しい流通システム
の構築が推し進められている。
日本の中国研究では,中国の農産物流通の制度と実態に関する研究は以前から行われ,一
定の蓄積ができている。しかし,日本の農産物流通の研究に較べて,中国のそれは量的に少
ないだけでなく,研究の視点や方法論もかなり異なっている。国家工業化のための資本蓄積
はいかにして可能となったか,あるいは農産物流通政策は農工間の資本移転にどのような
役割を果たしたか,というようなことは多くの先行研究に見られる問題意識であるが,農産
物流通・市場の基本構造,流通主体の競争構造,農産物の価格形成,など農産物流通・市場論
で重要視されている研究テーマについては,資料の制約もあって,ごく限られた成果しか見
当たらない。また,中国でも,農産物流通に対する流通論・市場論的研究がスターとしたば
かりである。
2
本書は,著者の京都大学大学院に提出した博士号請求論文「中国における農産物流通政策
と流通構造の展開に関する研究」を大幅に加筆修正したものである。8つの章からなる本
書の構成は以下のとおりである。
序章
課題と方法
第1章
農産物統制流通制度の形成と展開
第2章
農産物統制流通制度の運営構造と問題点
第3章
農産物市場流通制度への転換
第4章
生鮮食料農産物の市場再編政策の構造と課題
第5章
青果物卸売市場の実態と流通構造
第6章
農産物出荷・販売の組織化の現状と課題
終章
要約と結論
本書の主な目的は,「中国における農産物流通体制の展開過程を体系的に分析すること」
であり,具体的な研究課題は,「統制流通制度成立の意義,展開過程ならびにその崩壊要因を
明らかにすることと,改革以降の制度の展開過程および流通体制の現状と問題点を明らか
にすること」
(4ページ)の2つである。
この2つの課題にアプローチするために,主流派の農産物流通論のフレームワークが全
面的に援用された。すなわち,流通成果(流通問題)を規定するものには流通における横列
的構造と縦列的構造があり,そうした流通組織の構造(流通経路構造と各流通段階の競争構
造)はまた流通の一般条件(人口分布構造,物流条件と労働事情)と流通の基礎条件(消費・
需要事情,生産・供給事情,商品特性,政策・制度)の変化から大きな影響を受ける,というよ
うな農産物市場構造が存在するとされている。ただし,計画経済時代の農産物流通を分析す
る際にはこの方法論が適用されなかった。市場そのものが存在しなかったという理由から
である。
第2章から第6章までの主な分析結果を簡単に纏めよう。
第1章では,「農産物統制流通制度」が 1953 年に導入された時代的背景,同制度の目的と
内容,それに同制度の調整と変容について,農民からの買付,都市住民への配給と自由市場の
管理という3つの側面から体系的な整理と分析が行われ,同制度の形成と展開過程が鮮明
に描き出されている。
第2章は「農産物統制流通制度」の具体的な運営の分析に当てられている。食糧の流通
統制と都市部における蔬菜の統制管理の仕組みや農産物価格の決定原則と変化状況につい
て実証的な分析が展開され,農産物価格の経済的効果に対する理論的分析も試みられた。本
章では,人民公社制度,戸籍制度とセットされた農産物統制制度は,国家工業化のための資本
蓄積などを促した側面で一定の評価が与えられるものの,農業生産の低生産性や農村・農民
の貧困化をもたらした問題を内包している,と論じられた。
第3章は 1980 年代以降における農産物流通の市場化・自由化のプロセスを描いたもの
である。計画に基づく買付と配給,市場統制と国定価格を基本内容とした農産物の流通統制
は,流通自由化の拡大,流通ルートの多元化と流通主体の多様化の中で次第にその機能を失
っていった。1990 年代以降,生鮮食料品だけでなく,聖域とされてきたコメなどの食糧の流
通にも市場競争のメカニズムが取り入れられつつある。また,食糧流通の自由化と併行して,
食糧備蓄制度と価格安定制度など制度面の改善と卸売市場や先物取引市場など流通インフ
ラの整備にも大きな力が傾注され始めたことは本章の分析で明らかとなった。
第4,5章では,1980 年代以降における生鮮食料農産物の流通問題と青果物卸売市場の実
態ならびに流通構造について制度論的分析と実証的分析が行われた。農産物流通・市場論
の枠組みをベースにした第4章では,まず中国における流通の一般条件と基礎条件が大き
く変わったことが明らかにされた。次にそうした条件変化の中で開始された「菜藍子(副
食品の買い物かご)プロジェクト(都市住民に対する生鮮食料品の安定供給が主なねらい)」
が取り上げられた。同政策の形成過程と主な内容,実施状況および実績などは,膨大な一次
資料に対する綿密な整理と分析によって初めて浮き彫りになった。
また第5章では,まず農産物流通において重要性を増してきた青果物卸売市場の成長状
況と類型に関する全国的な状況が分析された。それに続いて,内外で有名な北京市大鐘寺市
場と山東寿光市場が事例として取り上げられ,それぞれにおける組織構造,取引方式,集荷・
分荷および価格形成などの市場機能について詳細な分析が行われ,現段階の卸売市場の特
徴と問題点が明らかにされた。
第6章の主な目的は,北京市と南京市の代表的な卸売市場を対象とした実態調査と,各卸
売市場における出荷・販売組織を対象にしたアンケート調査から得られた一次データを分
析し,出荷・販売組織の構造と運営方式,組織の成立過程と背景,個人商人や農家との競合関
係などを明らかにすることであるとされているが,それが概ね果たされた。
3
本書は,産業組織論のフレームワーク(流通の諸条件→流通構造→流通成果)を援用した
オーソドックスな中国農産物流通論であり,日本における農産物流通研究の理論的枠組み
と実証研究の方法を強く意識した,本格的な学術書である。断片的な情報を用いた解説や状
況説明的な分析が主であったこれまでの同類の研究に較べて,本書の学術的価値が群を抜
いて高いと評価されうる。また,数多くの一次資料をかき集め,それを確かな分析枠組みの
下で丹念に分析したのみならず,現地調査やアンケート調査などで一次データの開発とそ
れに基づくミクロ分析も怠らなかった実証研究の姿勢は高い評価に値する。
しかし,本書では十分にやりこなせなかった課題もある。著者自身が指摘しているように,
流通組織構造の全貌を把握するためには,生産・出荷段階と小売段階の組織も解明されなけ
ればならず,品目別,類型別の市場流通,それに非市場流通に対しても綿密な調査研究が必要
である。その意味では,本書は中国における農産物流通を近代経済学の理論と手法で研究す
る出発点であると位置づけられよう。また,評者としては,農産物流通の相当部分を担って
いる「農貿市場(生鮮食料品市場)」や農村部の町に存在する無数の自由市場の構造や運営
実態の実証分析にも大きな力を傾注してほしい。
(桃山学院大学
厳
善平)