1980年、日韓関係と北朝鮮 – 韓国外交史料からみた「5.17クーデター」と日本 朴正鎮(津田塾大学国際関係学科) 1.はいじめに ㅇ 履行期の日韓関係 ‐ 1970年代後半∼1980年代:デタントから新冷戦へ ‐ 日韓関係の第2幕、安保経協へと履行:韓国(朴正熙の死→崔圭夏政権→新軍部のクーデ ター→全斗煥の第5共和国)、日本(大平の死と40日抗争→鈴木内閣→中曽根内閣) ㅇ 朴善源(2000; 2002) ‐ 米国の対韓政策が韓国の危機状況で効果を発揮しない時、日本は一時的に韓国の政治的環 境に独自的な影響力を行使 ‐ 大平内閣は、カーター政権の消極的な対韓政策(道徳外交)が安保を重視する日本の利害 関係と合致しないと判断、総合安保論に基づいた独自的な対韓政策の一環として全斗煥の権力 掌握を通じて朝鮮半島の安全保障を確保 ‐ 日本は非常に迅速でかつ積極的にクーデター政権の登場を支援 ‐ その決定的な根拠として、日本政府は「北朝鮮による南侵」情報を提供 ‐ ①1980年の米韓関係に関する研究成果との整合性、②民主化や人権(金大中)に対する対 応における日米の温度差、③「総合安保論」に対する解釈と有効性 ㅇ 試論的検討 ‐ 再論:履行期における日韓関係の構造変動過程 ‐ 観点:1980年を前後した韓国の対日政策及び日本の朝鮮半島政策の連続と変化 ‐ 局面: ①「10.26」∼「12.12」・大平内閣と派閥闘争の激化、②「5.17クーデター」; 大平の死とダブル選挙、③第5共和国;鈴木内閣 ‐ 争点:安保(北朝鮮)と民主(金大中)そして経協 ‐ 資料:韓国外交通商部公開資料(2011) 2. 日韓「癒着」構造の亀裂 (1) 亜州局「韓国の日本外交政策、1979-80 (1979.8)」 ㅇ 通商戦略の修正:水平的分業を目指した重化学工業中心の輸出商品構造改善 ㅇ 関係秩序の再編:「善隣友好」から「安保協力」へ、日本の革新勢力への関係拡大 ㅇ 当面の政策課題:10月の総選挙に際して、自民党・保守勢力への側面支援 (2) 亀裂の兆候 ‐ 「10.26事態」と日韓関係 ㅇ 「10.26事態」に対する日本側の初期対応 ‐ 第2次大平内閣の登場(1979.10.7)と朴正熙の死(10.26) ‐ 外務省:中国とソ連大使館を通じて北朝鮮の動向に関する情報収集 ‐ 春日一幸, 岸信介, 中曽根康弘, 矢次一夫, 長谷川峻, 福田赳夫(日韓議員連盟と日韓協 力委員会、田中派と福田派) ‐ 日本安全保障センター(1979年4月)と日本戦略センター(1980年7月)の設立と瀬島龍三 ㅇ 日韓「癒着」問題の台頭:「12.12事態」と「40日抗争」 崔圭夏大統領の権力移譲と新軍部の反乱(12.12事態) 「40日抗争」と日韓「癒着」スキャンダル、高まる業界の不安 大出俊(社会党)の国会質疑(1980.3.7) ㅇ 「12.12事態」以後の日韓両国の利害関係 ‐ 韓国:北朝鮮情勢に関する情報、大平の環太平洋構想への参加(対中接近可能性の模索) ‐ 日本: 金大中の身辺問題(金鍾泌‐宮澤喜一政治決着問題)、漁業及び通商問題 ‐ 柳各謙介(外務省アジア局長)の韓国派遣 (3) 第1次日韓局長会談と朴東鎮の訪日 ㅇ 第1次日韓局長会談(柳谷謙介‐金太智、1980.1.8-13) ‐ 「金大中氏に対しては公権力が介入しておらず、したがって主権侵害はあるまい」 ‐ 「大平首相の訪中の際(中略)北朝鮮の「南侵」意図はないということを確認」 ‐ 「現時点においては、日朝間の(中略) 関係樹立や交流増進事態は決して起こってはい けない」 ‐ 「(韓国の)経済不安が政治的不安を招く(中略)日本は日韓貿易のバランスのための努 力をより強めるべき」 ㅇ 朴東鎮外務長官の訪日(1980.4.16-18) ‐ 日韓安保協議会の始動(1980.5) ‐ 独島付近の漁業問題と日本の北朝鮮輸出抑制 ‐ 日本の朝鮮半島政策の再確認:「これからも北朝鮮と経済、文化などの各分野における交 流を積みがさねが必要(大平首相施政演説、1980.1)、「北朝鮮との関係を一歩前進させる道 が開かれる可能性あり(大来外相の発言、1980.3)」 3. 模索と不信:「5.17クーデター」と大平の死 (1)「5.17クーデター」と第2次日韓外務局長会談 ㅇ 駐日大使の報告(1980.5.16) ‐ 「自民党の内部抗争の激化で政治不安が続く」、したがって ‐ 朴東鎮外務長官の訪日の成果(たとえば大韓輸出促進使節団の派遣誘致) は実現不明、 と分析 ㅇ 「5.17クーデター」と「光州民主化抗争」に対する日本の反応 ‐ 「光州民主化抗争」と金大中:新軍部勢力への非難とそれに友好的な大平内閣への批判高 まる ‐ 大平内閣:5.19衆議院解散、6月の衆参ダブル選挙 ― 木内昭胤外務省新任局長派遣 ㅇ 第2次日韓局長会談(1980.6.9-12)木内昭胤-金太智 ‐ 「金氏が死刑になると(日韓)閣僚会議の開催は難しい」 ‐ 「北朝鮮の南侵可能性を否定する中国側の発言を100%信じるのは危険」 ‐ 経済協力:大韓輸出促進使節団誘致は計画通りに (2)大平の死以後韓国の対日認識 ㅇ 大平の死(1980.6.12)に対する韓国政府の初期対応 ‐ 最高レベルの弔問使節団の派遣、日本の対北朝鮮への接近けん制 ㅇ 日本のダブル選挙(1980.6.24)と韓国政府の対日認識 ‐ 自民党の圧勝と韓国政府の楽観論 ‐ 日韓議員連盟及び日韓協力委員会関係者(衆議院164名、参議院34名) ‐ 「日本政府の北朝鮮へ接近は鈍化し、安保問題を中心として韓国へのアプローチが積極化 する見込み」 ※ 次期首相の予想:中曽根、宮澤 (3)鈴木内閣といわゆる「金大中問題」 ㅇ 「金大中問題」に対する韓国政府の方針 ‐ 新軍部に批判的な日本メディアのソウル支部の閉鎖 ㅇ 鈴木内閣の登場 ‐ 鈴木内閣:韓国にとっては「意外な内閣」 ‐ 伊東正義外相:日朝議連所属、「金大中問題」に関する日韓間の政治的決着があった1975 年に北朝鮮訪問 ‐ 大韓輸出促進使節団誘致のみ続行 ㅇ 鈴木内閣の折衷案 ‐ 「金大中内乱陰謀事件」第1審裁判に際した木内局長の提案 ‐ 「日韓関係を安保的な次元で評価」し、それに基づいて「金大中問題に関する両国間の了 解事項は必ず守られるように」(1980.8.4) ‐ 韓国側の棄却 4. 対立と縫合:安保vs民主化の構図 (1)日韓対立、金大中と北朝鮮 ㅇ 第5共和国の登場 ‐ 崔圭夏大統領の退陣(8.16)及び全斗煥大統領の選出(8.27) ‐ 政権の正当性問題:対日経済協力の重要性、金大中裁判 ㅇ 金大中裁判第1審の判決(1980.9.17) ‐ 日本、批判世論の噴出: 「強権政治で真の安定は可能なのか、疑問」(『読売』)、 「抑圧政治では朝鮮半島の平和と安定は不可」(『毎日』)、「韓国の民主化が国内問題であ るとしても、国内建設のためには国際信用が重要」(『朝日』) ㅇ 臨時国会を控えた日本政府の最終立場の草案 ‐ 裁判の結果への再考を間接的に促す ‐ 「韓国の安定が日本、ひいてはアジアの平和と安定に不可欠であるという認識」の下、 「韓国の民主化を通じた国内安定を期待する」 (2)福田の訪韓(1980.9.24-26) ㅇ 日本側の構想 ‐ 朴正熙時代のネットワークの再稼働:矢次一夫(日韓協力委員会常任委員、国策研究所の 理事長)のイニシアティブ ‐ 第5共和国の政権安定性の確認及び技術援助や経済協力再開の可能性を打診 ‐ 韓国の民主化と日韓経協の連携:両国の経済協力のためには韓国の民主化が前提 ㅇ 韓国政府の腹案 ‐ 「日本政府がいくら自由を重んじているとしても(中略)言論としての守るべき節度と均 衡がある」(盧信永外務長官の発言、9.24) ‐ 対日世論政策:政権の安定性アピール、日本メディアのソウル支局閉鎖措置の解消 ‐ 日韓了解の遵守:裁判の際に、反共法第4条、すなわち反国家団体賛美の罪は起訴から排 除、ただし裁判の結果はあくまでも国内問題 ‐ 日朝交流と日韓経協の連携:日韓貿易の不均等を是正するための日本側の「誠意ある行 動」を促す一方、自民党アジア・アフリカ問題研究所所属議員らの訪朝(1980.9.9-16)をも う非難 (3)対立の縫合‐安保論理の優勢へ ㅇ 福田の見解 ‐ 「金大中問題は外交交渉で解決できる問題ではない(中略)日本政府及び世論の冷静でか つ静かな対応が必要」 ‐ 「経済協力と連携しようとする動きは、むしろ金大中氏のむしろ身辺に悪影響を及ぼす恐 れがある」 ㅇ 問題の縫合 ‐ 日韓間における安全保障における協力の強化が持つ重要性を確認 ‐ 金大中問題に関する両国の了解事項を再確認 ‐ 日朝交流に対する韓国政府の黙認 ㅇ 亜州局「中長期対日外交対策(1980.12.18)」 ‐ 通商問題:輸出商品構造の改善(重化学工業製品の輸出に重点)、水平的な国際分業(比 較優位産業分野における技術移転の促進)、輸入先の多様化(対日輸入依存軽減) ‐ 「善隣友好」から安保協力関係へ:日米韓の安保協力を軸に、日本の軍事大国化の牽制及 び北朝鮮の挑発を抑制 5.まとめ ㅇ 韓国のクーデター及び新軍部に対する日本政府の対応 ‐ 朝鮮半島の安全保障は重視するが、それは(米国より)積極性を持つものではない ‐ 新軍部が過去の日韓間の政治・経済ネットワークを代替する勢力であることが確認できる まで、日本のアプローチは慎重 ‐ この過程で北朝鮮の「南侵」可能性は日本政府によって否定され(それを有力な「説」と してより積極的に活用したのは韓国の新軍部) ㅇ 安保vs民主、そして北朝鮮と金大中 ‐ 金大中問題に対する日本政府の積極性:韓国政権の性格を図るバロメーター、日本国内政 治の不安定とそれによる世論への敏感性 ㅇ 対日政策と朝鮮半島政策 ‐ 履行期に伴った混乱の中でも従来の対日政策と朝鮮半島政策の基調維持 ‐ 韓国:経済協力の調整、安保協力の強化、日朝関係の牽制 ‐ 日本:日韓友好関係の維持の下、日朝関係の漸進的な拡大 ㅇ 日韓経協と安保優先構図 ‐ ただし、日本は経済協力を連携させることには一貫性を欠如 ‐ 反面、韓国は安保と経済を連携させる日韓経済協力の論理を貫く ‐ 安保経協の萌芽:1980年を通して韓国の論理が相対的に優勢された形で対立が調整される 過程
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