オペラの風景(46) 「ロメオとジュリエット」天才ベルリオーズの「空想 ドラマ」 本文 デームリング演出の「ロメオトジュリエット」 グノーのオペラ「ロメオとジュリエット」は傑作とは言えず、余り人気も なかったようでした。クラシックで「ロメオとジュリエット」というと、 チャイコフスキーのオーケストラ序曲、プロコフィエフのバレー音楽を思 いだすのが普通です。これらはロマン派とは言えません。ロマン派オペラ に近い名作はベルリオーズの「合唱つき劇的交響曲」です。正しくは「ロ メオとジュリエット、劇的交響曲」 (1839 年) 、前述「ファウストの劫罰、 劇的伝承」 (1845 年)より前の作品です。彼の作品は名称が慣行の分類に 従っていないので、通称の多くは後年、他人がやった仕事です。この二つ の他、晩年の「キリストの幼時、聖三部作」 (1850~54 年)が「劇的交響 曲」として一括されるのが普通です。 ベルリオーズは、ベートーヴェンの第九交響曲で、器楽と声楽を合体させ て、最高傑作をつくり、ハイドン、モーツアルト、ベートーヴェンと発達 した、器楽で作る交響曲は新しい段階に入ったと考えました。 一方この 19 世紀前半には夢を語る「ロマン派の時代」の幕がきられ、文 学だけでなく、音楽も新しい時代に入ったと、普通言われています。「空 想ドラマ」はロマン派に共通する考えです。これは、現実を無視し、言葉 によって人生を空想し、虚構を楽しむという人間能力の原型です。これは ベルリオーズの創造の中心となる舞台です。この舞台は新しいもので、現 実舞台の役者の下手さ加減に煩わされないという、[肘かけ椅子で見る芝 居]などと言われた作品です。ベルリオーズには「空想ドラマ」は多くあり ます。「音楽は劇場の壁のなかでは広げきれないほど大きな翼を持ってい る」と彼が書いたのは 1834 年です。 19 世紀始めには「ドラマ」は「交響曲」と深い関係にある、と暗黙で考え られていました。幻想をドラマにしようと思えば、先ず器楽に頼るのが自 然です。ベルリオーズは「空想ドラマ」を作るにもこの考えをとりました。 そこで先ず、幻想交響曲(1830 年)が器楽だけでつくられました。説明 はテキストとして文章化しました。これが「イタリアのハロルド」(1834 年) を経て進展し、「ロメオとジュリエット」(1839 年)で完成したと考えら れています。 ところが「ロメオとジュリエット」では、ベートーヴェンが最高の表現が 出来ると考えた声楽に対し、反対に軽い役割を与えています。そして器楽 に「空想ドラマ」では最も重みを与えています。元来18世紀には器楽の 重みは軽く、シンホニア(序曲)で器楽は曲の開始を告げ、音楽本体(オペラ、 オラトリオ、カンタータ)では伴奏を勤めました。交響曲で地位はじょじょ に逆転し、ベートーヴェンの 8 つのシンホニーとなりました。第九で、器 楽と声楽の対等な合併になったのでした。 「ロメオとジュリエット」では、大胆な改革を行い、 「空想ドラマ」を作 品化しました。前奏を器楽ではなく声楽を、更にシーンの大枠や、注釈も 声楽を使い、曲の山場を器楽の仕事としたのです。これが「ロメオとジュ リエット」で具体的にどう行なわれたか、それが今回の話題です。 「ロメオトジュリエット・劇的交響曲」のあとの作品《ファウストの劫罰》 には副題として《オペラ》という言葉を入れていますが、《ロメオ》には 入っていません。ただ第三部の[フィナーレ]の一部、ロランス神父が歌う [レシタチーボとアリア]やそれに続く、[和解の誓い]に私はオペラ的な感動 を覚えますが。 ベルリオーズがオペラを始めて書いたのは「ベンベヌート・チェリーニ」 (1838 年)でロメオの直前です。劇的交響曲「ファウストの劫罰」は 1846 年、 「キリストの幼時 3 部作」は 1954 年、名作オペラ「トロイ人」は 1858 年、そしてシェクスピアーの作品「から騒ぎ」をオペラ化した「ベアトリ スとベネディクト」は 1862 年です。こうしてみると、 「ロメオとジュリエ ット」は彼の関心が交響曲とオペラの間を揺れ動いた、只中の作品といえ ます。 この作品が詳しく紹介されている研究書と代表的演奏DVDで私が使っ たのは次の二つです。 (DVD)ベルリオーズ「ロメオとジュリエットOp17」(合唱、独唱、お よび合唱のレシタティーヴォを伴う劇的交響曲)ハンナ・シュヴァルツ(ア ルト)/フィリップ・ラングリッジ(テノール)/ペーター・メーヴェン (バス)/サー・コーリン・デーヴィス指揮/バイエルン放送交響楽団& 合唱団(ライヴ収録:1991 年 ドイツ、ミュンヘン、ガスタイク文化セ ンター) 。このDVDには字幕がついています。ただ輸入盤ですから日本 語ではありません。書籍にプログラムのリブレットに丁寧な訳があります。 (書籍)ヴォルフガング・デームリング著池上純一訳「ベルリオーズとその 時代」(西村書店) (ドラマの音楽化)原作ドラマの進行に従って音楽は凡そ進みますが、正 しくは一致していません。勿論シェクスピアーの台詞を一語一句追ってい ません。台詞をベルリオーズ流の解釈で再編性している箇所が大半です。 寧ろ「愛の成立」 (最初)と「死と両家に和解」(最後)だけが音楽化された とさえ極言できます。 作品全体についてベルリオーズは文書化していませんが、これはシェクス ピアーの原本の文頭に序詞役が述べる序詞(前回に記載)で全て示されて いるためのように私には思えます。 劇的交響曲は 3 部からなります。 第1部は器楽の序奏と《合唱、独唱》のプロローグ第一~第三です。 「序奏」では両家の争いが弦を中心とした器楽で示され、 「戦い」 「騒動」 「領主の仲裁」と名がつけられています。 「プロローグ」第一は三部からなる合唱と独唱で、要所の文章を次に示し ます。 「合唱によるレシタティーフ」 「眠りこんでいた古い憎悪が まるで地獄からよみがえったように息を吹き返した。 ・・・・・・・・・ けれども領主は、 これ以上の流血を禁じ、命令にそむいて剣の裁きに訴えるものは、死罪 に・・・・・・ ・・・・・・・・・ この平和の束の間 キャビュレット家の老主は狂宴をもよおす。」 (ここからアルトが歌う) 「若きロメオは、わが身の悲運をなげきながら、・・・・・・彼のもえる ような恋のあいてはジュリエット・よりによって一門の敵の娘だ。」 (この後は合唱にもどります。 ) 「金色に輝く広間から聞こえてくる、 楽器の輝きや歌の調べは 踊りや華やいだ雰囲気をもりあげる。」 宴がお開きになり、皆は帰っていきますが、ロメオだけはジュリエットの バルコニーの下にきて、愛を交わします。 プロローグの第ニはアルト独唱の「愛の詩」です。 「イタリアの星空の下で、愛し逢うふたりが味わった忘れようとて、忘れ えぬ始めての歓喜、」で始まる愛の喜びはこれも感激そのものを表すより、 出来事として言葉が選ばれています。愛本番でなく、愛にいたる前奏であ り、雰囲気ですから、当然プロローグです。 プロローグ第三は恋の幻想的な側面を「マブの女王」の悪戯として捉え、 恋に落ちたロメオの思いを若者がからかいます。これらをスケルツオ風に まとめテナーが歌います。 以上三つがプロローグです。ここでは合唱が音楽劇の序となって、オペラ の器楽の序曲のように使われています。この後本番が始まると考えていい でしょう。 19 世紀始めに、ベートーヴェンの第九がやった「声楽こそ器楽の冠く宝冠」 とは反対で、ベルリオーズは声楽に軽い役を与えたのです。 ベルリオーズは「空想ドラマ」を、この形で実現しました。つまり合唱の 部はイントロであり、普通のオペラの序曲のように、イントロに本番の内 容の多くが入っています。アルトの《愛の詩》も同じです。更にはマブの 悪戯という側面もこの「空想ドラマ」では大事で、運命の悪戯が二人を出 会わせたのです。最後に二人の死が両家を和解させるという結末まで暗示 し、プロローグを閉じています。 第2部は「空想ドラマ」のピークです。オペラなら声が大事な役を果たし ますが、 「空想ドラマ」では器樂が重い役をはたします。以下の1)~3) はベルリオーズの書いたテキストですが、それは声ではなく、殆んど器楽 です。 1) (ロメオ一人)-1、 (悲しみ)-2、 (遠くから聞こえてくる音楽と 舞踏の響き)-3、(1~3)で演奏時間 7 分、以下同様)、 (キャビュレッ ト家の響宴)-4(6 分) 。以上は全て器楽です。 2) (雲ひとつなく晴れた夜)-1、 (静かで人気のないキャビュレット家 の庭)-2(1,2 で 3 分) (祝宴の会場を出て、舞踏の音楽を思い出して口ずさみながら通っていく キャビュレット家の若者達)-3(4 分) 最後は合唱です。 (合唱)「それでは、キャビュレット家の方々、ごきげんよう、紳士諸君さ ようなら! ああなんと素晴らしい夜、なんと素晴らしい狂宴だったろう! 見事な踊 り! ・ ・・・・・・・踊りや愛の夢をみたしてください、あさがくるまで」 この合唱は普通のオペラなら間奏曲というところでしょう。 3) (マブの女王あるいは夢の精) (8 分)(スケルツオ) 1)-2ではロメメオの悲しみ、孤独と舞踏の響きが重なるためか、ベル リオーズは複合リズムという二つのリズムを同時にならす方法をとって います。オーボエの悲しい響きが小太鼓などの騒音と重なりあいます。ド ラマの筋が音楽に反映して聞こえます。 2)-1、-2にはロマンチックな歌が感じられますが、-3、の「愛の 情景」では具体的なイメージは浮かびません。 3)のマブの女王はスケルツオが崩れていて、第一部より、一層夢の世界 を感じさせます。 第3部 これらの作品には明確なまとまりが欠けますが、まとめは追体験する側の 想像力に任せられています。こういったものが「空想ドラマ」と呼ばれた のでしょう。 ばらばらな場面や情景をならべ、それらを纏め上げる連関の糸は、大まか な輪郭だけが描かれ、連想空間のなかで読者のファンタジーが織り上げる のに任せるという手法は、ベルリオーズの「空想ドラマ」、あるいは「劇 的交響曲」の重要な特徴の一つです。 交響曲には輪郭がはっきりしたドラマ的な表現と空想的表現の二つが共 存しています。 良い例である第 3 部2)の「キャビュレット家墓場でのロメオ」ではドラ マ的表現が器楽ではっきり示せるとデームリングは指摘します。即ちキャ リック演出の演劇「ロメオとジュリエット」の場面が器楽で再現されてい て、楽譜の特定の箇所が演劇の特定の場面に対応していると、彼はいいま す。尐したちいると、合唱のあと、1 小節から 210 小説までで、 《墓場へ の侵入》は(34 小節以降・・・34 章小節。以下同様) 、《最後の祈願》は (48 小節)、 《毒をあおった》は(70 小節) 《ジュリエット目をさます》は (74小節) 、 《彼女が口を開く》は(86 小節) 、 《ロメオ狂おしい叫びをあ げる》は(90 小節)、 《毒がまわっていく》は(143 小節) 、 《ずたずたにさ れた旋律》、 (148 小節) 、 《苦悶と死》 (168~211 小節) 、 《ジュリエットが 剣をつく》は(211 小節)、 《死》。ここでは器楽で具体的に場面を表現して いるとデームリングは指摘しています。 一方空想的表現がみられるのは、例えば第 2 部―2 の「愛の情景」などで、 ベルリオーズが演劇で体験した舞台シーンを下敷きにしていますが、彼独 自の文学的イメージと音楽的構築に基づく、空想的な展開だそうです。(デ ームリング) ベルリオーズがこういった工夫をしたのは、 「この名作最高の愛の場面は、 普通の方法では多くの人がこれまでに表現の工夫をしているから、新しい 表現方法をとりたい。それに見合う方法として考えたのは、声ではなく、 器楽だった」 、と彼はいいます。彼の管弦楽法が優れているのは有名です が、その力がここで存分に発揮されます。 こういったアイデアのため、劇的交響曲では主役 2 人は歌わず,端役だけ が歌うという珍妙な結果になっています。 この交響曲では、前に述べたように、声の果たす役割は器楽より低いので す。このことを考えると、「ロメオとジュリエット」のフィナーレでオペ ラ的な印象を受けた私の感性はこう解釈できるでしょう。即ちオペラ的に したこと自体、ベルリオーズがこの劇的交響曲を幸福な解決に導きたかっ たのではないか。この芝居は「墓場の場面」で完結しており、そのあとは ドラマとしては高まった緊張を緩める役割、二人の純愛を賛美する役割を 果たしているに過ぎない。そのためにオペラ的手法を使った。こう解釈し たらどうでしょうか。実際に演奏のこの場面を聞くと、私は慰めを感じま す。 第 3 部―1は(葬送)で,小合唱団で「花を播け」と歌い、-2は上記器 楽だけで成り立つドラマ、-3 はフィナーレでここがオペラ風。 《オペラ風 ィ》は次のように分かれています。ー1(人人が墓地にかけつける)-2 (キャビュレット家、モンタギュー家のあらそい) 、-3(ロランス神父 のレシタティーフとアリア) 、-4(和解の誓い)はロランス神父と両家 合唱の対話になっていて、極めてオペラ的です。「ナンだと、ロメオが帰 ってきたと、 」で始まり、ロランス神父が「二人をめあわせた」と告白、 「両 家が仲良くなるため」とロランス神父、両家は「仲良くと、和平なんて真 っ平だ」と叫ぶ。神父は「ここへ来たのは乙女を助けるため。それが手違 いで、ロメオの勘違いをうみ、ジュリエットは目を覚ますや,自刃した」 。 この後ロランス神父の悲しみにみちた、愛のある弁舌となり、両家の人人 の心をうって、和解にいたる。 (おわり)以上から、グノー・オペラの台詞を作る姿勢(単に原作の短縮) (オペラの風景(45) )とベルリオーズが原作を詩とする姿勢の違いが はっきりします。前回述べたように、グノーでは当ったファウスト(65 年作)を土台に、ロメオ(68 年作)を作った、つまり、頭の中にあったス トーリーに不都合な部分を原作からカットしてオペラを作った。一方ベル リオーズの「ロメオとジュリエット」(39 年)は尊敬するシェクスピアの 「ロメオとジュリエット」を、原作の心にまで立ち戻って、新しい音楽化 の方法を模索して作った。どちらが名作かは言うまでもないでしょう。
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