コミュニケーション・メディアとしてのソーシャル・ラベル ―フェアトレード

コミュニケーション・メディアとしてのソーシャル・ラベル
―フェアトレード認証制度を事例に―
畑山要介(早稲田大学)
1.はじめに―本報告の地平
倫理的経済の可能性をめぐる問題は、これまで「規範的価値を通じた合意形成はいかにし
て可能か」という問題構成によって問われる傾向にあった。ところが今日、このような規範
的合意形成という図式では必ずしも理解することができないような新たなタイプの倫理的
経済の潮流が台頭してきている。この潮流は、特定の価値の内面化・共有という過程を経由
することなく、
企業や消費者に自然環境や社会環境への配慮を促すような制度的枠組みに基
礎づけられるように思われる。こうした新たな制度編成のあり方をいかにして理解・説明す
ることができるだろうか。本報告では、ソーシャル・ラベルの機能の分析を通じて、今日的
な倫理的経済のあり方に対するひとつの理解可能性を与えること試みる。
2.ソーシャル・ラベルの機能への問い
ソーシャル・ラベルとは、第三者機構や企業自身が自然環境・社会環境に関する基準を作
成し、その基準を満たした商品に認証を与えることよって、社会的に配慮された製品である
ことを証明するラベル一般のことを指し示す。とりわけ1990年代後半以降は、CSR(企業の
社会的責任)との結びつきを強め、企業による倫理的調達を証明する第三者機構による認証
制度として世界的に普及してきた(Zadek, Lingayah and Forstater 1998)。
本報告では、このソーシャル・ラベルが市場取引の複雑性を縮減する〈コミュニケーショ
ン・メディア〉として機能する側面を焦点としながら、この機能がいかにして倫理的な生産・
取引を可能とするのかという問題に一定の理解を与えていく。この分析によって明らかにな
るのは、ソーシャル・ラベルを通じた倫理的経済への取り組みは、企業や消費者による自ら
の関心の追求を制御するものではなく、
そのような関心の追求を通じた自由な経済活動を基
盤とするものだということである。従来、倫理的な経済は人々の利己的な経済活動の制御に
よって実現されると想定されてきた。だが、ソーシャル・ラベルを中心とする新たな倫理的
経済のあり方は、必ずしもそうした想定ではとらえられないであろう。本報告では、
〈組織〉
と〈コミュニケーション・メディア〉という市場の複雑性縮減のための2つの手段の対比を
通じて、
この新しい倫理的経済の枠組みがどのような点で従来的な枠組みから区別されるの
かを明らかにしていく。
3.フェアトレードにおけるソーシャル・ラベルの導入
ソーシャル・ラベルの導入によって、1990年代後半以降、急速に普及が進んだもののひと
つがフェアトレードである。フェアトレードは、主に途上国の生産者への公正な対価を支払
う取引・貿易のあり方であり、古くから慈善事業、開発支援、対抗経済運動など様々な文脈
のなかで実践されてきた(渡辺 2007)。フェアトレードは1980年代頃までには、市場経済
の外部を志向する社会的経済ないしは連帯経済という思想的色彩を強く持つ運動へと発展
する。そこでは、市場経済の外部としての協同組合の組織化を通じて、生産者と消費者の透
明かつ直接的な結びつきによる公正な取引を実現することが試みられた。
しかし、1990年代以降は、ソーシャル・ラベルの導入によってフェアトレードの市場化が
進行する。1997年に設立されたFLO(フェアトレードラベル機構)の認証ラベルは、生産と
取引のルールを遵守すれば、誰もがフェアトレード商品を取り扱うことを可能とした。2000
年代には、協同組合のみではなくビジネス志向の強い社会的企業、さらにはネスレやテスコ
といったグローバル資本もフェアトレードのサプライチェーンに参入し、
このような企業の
CSRの取り組みを通じてフェアトレードは飛躍的に普及する。現在、フェアトレード商品の
世界販売総額は44億ユーロに至るが、そのうち実に90%をFLO認証ラベル商品が占めている。
4.FLOにおけるルールの設定
FLOは、生産者と直接取引をおこなう組織ではなく、公正な対価の支払いや労働者の人権
保護のためのルールを設定し、
その基準を満たした生産者及び取引従事者に認証を与える第
三者機構である。FLO認証の基準は主に、生産者を対象とする「生産基準」、取引従事者を
対象とする「取引基準」、そして取引品目別の「最低価格基準」によって構成されている。
これら全ての基準を満たした商品にのみFLO認証ラベルの使用は許可される(FLO 2011)。
「生産基準」は、生産者の規模や形態によって3つのカテゴリに分けられるが、たとえば
小規模な生産者であれば121個のルールが定められており、これら全てを満たした商品がフ
ェアトレード商品として認証される。この生産基準のなかには、労働条件や環境条件などが
盛り込まれており、これらのルールによって倫理的な生産であることが保証される。
また「取引基準」は、サプライチェーン上の取引従事者(輸出業者、輸入業者、卸売業者、
加工業者、販売業者)に適用されるものであり、49個のルールから成っている。これらのル
ールにより、
取引従事者はフェアトレード商品の取り扱いにおける前払いや認証料の支払い
とともに、厳格なトレーサビリティ(追跡可能性)が求められる。その全ての基準を満たし
た企業のみがフェアトレード商品のサプライチェーンに参加可能となり、また、その認証を
取得した企業の間でのみフェアトレード商品の取引は可能となる。
そして「最低価格基準」は、1000品目以上の取引対象商品の最低価格を品目別に一覧表化
した価格表である。市場価格がこの最低価格を上回っている場合は、市場価格が適用され、
加えてプレミアムと呼ばれる価格が付加される。
市場価格が最低価格を下回っている場合に
は最低価格が適用され、プレミアムは生じない。フェアトレードに参入する生産者や取引従
事者は、この基準に従うことになる。以下の分析で明らかとなるように、これら一連のルー
ルは、市場に対して統制的に作用するというよりも、むしろ構成的に作用する。
5.一般企業によるフェアトレード参入―環境適応行動としての認証取得
FLO認証ラベルは、フェアトレードを「顔と顔の見える直接取引」から、「特定のルール
に従った取引」へと変換した。この変換の意義はきわめて大きい。社会的経済を志向する運
動組織でなくとも、フェアトレード商品を扱うことが可能となったからである。しかし、認
証料の支払いや厳格な商品管理が要求されるので、
一般企業によるフェアトレードのサプラ
イチェーンへの参入はそれなりの労力を必要とする。にもかかわらず、企業の認証取得が
2000年代以降、急速に増加している理由としては、CSRを通じた企業の社会的正当性の獲得
という側面が挙げられる。それは、企業の認証取得が、倫理的消費や倫理的投資という企業
経営を取り巻く環境への適応の欲求に導かれているということを意味する。
こうした認証取
得の傾向は、多くの経験的研究で明らかとされている(Low and Davenport 2006)。
企業の認証取得を社会的正当性の獲得、すなわち環境適応という視点からとらえるならば、
企業によるフェアトレードの実践を「企業ブランディング」という一種のマーケティング戦
略としてみなすことができる。特に昨今では、SRI(社会的責任投資)の指標のために企業
の社会的環境への配慮がポイント化される評価制度が普及し、アメリカではフェアトレード
の導入も加算対象となっている。
この評価制度を通じてラベルの導入それ自体が社会的正当
性獲得の競争となっているという点から、ここに「ソーシャル市場」あるいは「エシカル市
場」なるものが見出される。フェアトレードも、こうした競争におけるひとつの手段として
企業に導入されていると考えるならば、
2000年代におけるフェアトレードの急速な普及を支
えたのは、こうした新たなタイプの市場競争であったと言えるであろう。
6.フィードバック機構としてのFLO
FLO認証ラベルは、他のソーシャル・ラベルと競合関係にあり、常にそのルールを変化さ
せることによって市場に適応している。ここに、企業間の市場競争とともに、ラベル間の市
場競争も見出すことができる。ラベルを構成するルールは、企業にとって環境適応のための
指標であり、FLOは生産者や取引従事者、消費者などステークホルダーが求める自然環境・
社会環境配慮に適合するようその指標を常に更新している。FLOは、評価制度や消費者行動
をチェックするフィードバック機構として機能し、
ラベル間競争のなかでフェアトレードの
受け入れ可能性を高めるようシステムを調整していると言えよう。それが意味するのは、
「公
正な取引」に関する基準が、様々なステークホルダーのパースペクティブからの反射を通じ
て導き出されるということ、
そして市場参加者に分散された情報の利用を促進することで倫
理的に配慮された経済的コミュニケーションを生み出しているということである。
しかし、こうしたソーシャル・ラベルを通じた公正な取引に対しては、従来のフェアトレ
ード運動から疑念の眼差しが向けられる。というのも、公正な取引は生産者と消費者の間の
組織化を通じた「顔と顔の見える関係」のなかの対話的次元においてのみ成り立つものだと
考えられてきたからである。では、対話的次元を欠くソーシャル・ラベルが倫理的取引を促
進するあり方をいかにして理解・説明することできるだろうか。以下では市場の複雑性を縮
減する2つの手段を比較することを通じて、そのあり方に理解可能性を与えていく。
7.〈組織〉か〈コミュニケーション・メディア〉か?
倫理的な取引はいかにして可能かという問題を、取引相手の生産・取引過程に関する情報
の獲得はいかにして可能かという問題として取り扱うならば、倫理的取引の可能性をめぐる
問いは、市場における複雑性の縮減可能性への問いとして再定式化できるだろう。であると
すれば、
もはや問題となるのは組織と市場の区別ではなく、その市場の複雑性を縮減する
〈組
織〉と〈コミュニケーション・メディア〉の区別なのではないだろうか。
〈組織〉は市場における複雑性の縮減のためのひとつの手段であり、古くより人間の直接
的な相互行為を通じてコミュニケーションを透明化する仕組みとして理解されてきた
(Polanyi 1922)。機会主義的な市場参加者のもとでは、他者の思考は不透明であるが、〈組
織〉
を通じて取引費用を縮減することによって相互の理解可能性を高めることができるとさ
れる(Williamson 1975=1980)。市場においては、生産・取引においてどのような倫理的配
慮がなされているかもまた不透明であり、〈組織〉を通じてそうした不透明性に対処するこ
とが試みられてきた。ソーシャル・ラベルが普及する以前のフェアトレードの枠組み、すな
わち社会的経済の枠組みは、こうした〈組織〉による「異質性の同質化」ないしは「不透明
性の透明化」によって倫理的取引を実現しようとするものであったと考えることができる。
一方、市場における複雑性の縮減のためのもうひとつの手段としての〈コミュニケーショ
ン・メディア〉は、諸個人にコミュニケーションに対する一定の解釈可能性を与えることに
よって予期の蓋然性を高める機能を持つ(Luhmann 1997=2009)。これは、コミュニケーシ
ョンの成立可能性が、指示と指示対象の「一致」やコミュニケーションの「透明性」にでは
なく、
他者の予期を反映するようなメディアを通じた調整に与えられるという考え方に基づ
いている。たとえば、市場的な取引においては他者の思考は不透明であるが、人は他者の予
期が反映された価格を通じて予期することができる(Hayek 1946=2008)。だとすれば、倫
理的配慮をめぐる不透明性もまたそのようなメディアを通じて克服しうることになろう。
フ
ェアトレードの場合であれば、企業はFLO認証ラベルのような指標によって、倫理的取引の
ためには誰と取引すべきか/すべきでないかを判断することができる。そこでは、FLO認証
ラベルが生産基準と取引基準の170個のルールとそれに関連する言外の暗黙の情報を含むこ
とによって、市場参加者に環境への適応可能性を与えていると考えることができる。それは
つまり、
市場参加者のパースペクティブの反射を通じて企業自身がいかにして自らの環境に
適応することができるかを学習し、
それをもとにそれぞれの企業が取引を展開する過程にお
いて倫理的に配慮された経済的コミュニケーションが生じていくということを意味する。
こうした〈コミュニケーション・メディア〉を介した取引においては、〈組織〉を通じた
取引とは異なり、必ずしも価値共有・合意形成は必要とされない。必要とされるのは、企業
が自らの関心に沿ってルールに従うことである。そうであるとすれば、ソーシャル・ラベル
は、こうした環境適応行動の結果として「企業が進んで倫理的配慮を実践する」というきわ
めて「蓋然性の低い出来事」が生起する蓋然性を高めるという機能を持つと言える。
〈組織〉と〈コミュニケーション・メディア〉は、ともに市場の複雑性を縮減することに
よって倫理的取引の蓋然性を高めるという点では機能的に等価である。しかし、以下の表に
まとめたような相違点を持つ。
倫理的経済の可能性をめぐる2つの考え方の分水嶺を構成し
ているのは、市場の複雑性の縮減のための2つの手段の相違だとは考えられないだろうか。
表
複雑性縮減の手段
制度編成の特徴
蓋然性の高め方
行為の説明図式
行為調整の位相
成立可能性の条件
市場の複雑性を縮減する2つの手段の相違点
〈組織〉
集合主義的
差異の同質化
規範的コミットメント
対話を通じた合意形成
承認
〈コミュニケーション・メディア〉
個人主義的
差異の架橋
環境への適応
シンボルを通じた予期形成
信頼
8.結論と展望―ソーシャル・ラベルを通じた倫理的経済の可能性
ソーシャル・ラベルは、経済取引における〈コミュニケーション・メディア〉として機能
することによって、
企業が倫理的取引を実施する蓋然性を高める役割を果たしていると理解
することができる。このラベルの機能によって、企業は倫理的配慮を、自らの関心の追求を
抑制することによってではなく、
むしろ自らの関心の追求のための手段として選択すること
が可能となる。それは、社会の潜在的な活力を最大限に利用することによって倫理的な経済
を維持・形成する制度編成のあり方だと言えるのではないだろうか。
倫理的経済をめぐる今日的な制度編成を〈コミュニケーション・メディア〉を通じたフィ
ードバックシステムの形成としてとらえるならば、
その制度編成を問うことは次の2つの問
いを展望として含み持つことになる。(1)「公正の条件としての市場」:社会の成立の前
提を指示と指示対象の一致ではなく、
指示と指示対象の差異を架橋するメディアの存在のな
かに認めるならば、「公正」の条件は合意可能性ではなく情報の利用可能性だということに
なるのではないだろうか。この問題は、人は公正の基準をいかにして知りうるのかという問
題を含む。(2)「個人主義的連帯の可能性」:〈組織〉を通じた「連帯」は、不透明性の
透明化を通じた「わかりあえる人間どうしの連帯」であった。他方で、〈コミュニケーショ
ン・メディア〉を通じた「連帯」は、他者の匿名性とコミュニケーションの不透明性を維持
した「わかりあえない人間どうしの連帯」であると言える。今日、倫理的に配慮された経済
的コミュニケーションの創出の条件として求められるのが後者の意味での「連帯」であると
すれば、こうした「連帯」をいかに理解・説明できるのかが重要な問題となるだろう。
参考文献
FLO,2011.“Fairtrade Standard for Small Producer,” FLO.
Hayek, Friedlich A.,1946,“The Meaning of Competition,” Individualism and Economic
Order,London: Routledge & Kegan Paul.嘉治元郎・嘉治佐代訳、2008「競争の意味」
『個人主義と経済秩序』春秋社、129-147。
Low,
Will and Eileen Davenport,
2006.“Mainstreaming Fair Trade: Adoption,Assimilation,
Appropriation,” Journal of Strategic Marketing,14(4): 315–327.
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und Sozialpolitik,49: 377-420.
Luhmann, Niklas, 1997, Die Gesellschaft der Gesllschaft, Frankfurt am Main: Suhrkamp.
馬場靖雄・赤堀三郎・菅原謙・高橋徹訳、2009『社会の社会1・2』法政大学出版局。
渡辺龍也、2007「フェアトレードの形成と展開―国際貿易システムへの挑戦」『現代法学』
14: 3-72。
Williamson, Oliver E., 1975. Markets and Hierarchies: Analysis and Antitrust
Implications: a Study in the Economics of Internal Organization, New York: Free Press.
浅沼万里・岩崎晃訳、1980『市場と企業組織』日本評論社。
Zadek,Simon,Sanjiv Lingayah, and Maya Forstater,1998. Social Labels: Tools for
Ethical Trade,London: New Economics Foundation for the European Commission.