膵癌の診断と治療の変遷

第642回健康教育講座
平成17年11月4日
膵癌の診断と治療の変遷
独立行政法人国立病院機構豊橋医療センター副院長
市原
透
膵癌はもっとも悪性度の高い癌の一つで、我が国の癌による死因の統計では平成15年
の死亡数は21、148人で昭和35年の7倍に増加しています。男性では肺癌、胃癌、
肝癌、大腸癌についで、女性では胃癌、大腸癌、肺癌、肝癌についでともに第5位を占め
ています。癌に対する診断法や治療法の進歩により約4割の癌が治るようになったといわ
れていますが、膵癌については発生数と死亡数がほとんど同数であることから治療のきわ
めて困難な癌であることがわかります。膵癌発生の原因については、遺伝的要因、高脂肪
食、肥満、環境汚染、自然界の放射線などが挙げられておりますがはっきりしたことは未
だわかっておりません。ただ飲酒、喫煙についての因果関係は指摘されており、慢性膵炎
や糖尿病、胆石症患者さんに頻度が高いといわれています。
膵臓は長さ15cm、厚さ1、5cm、重さ70∼80gぐらいの臓器で消化液として
の膵液を十二指腸に注ぎ、インスリンと呼ばれる血糖を調節するホルモンを分泌する機能
をもっています。膵癌の悪性度の高い理由は膵臓の存在部位にあります。膵臓は胃の後ろ
で背骨と腹部のあいだ、すなわち後腹膜腔に存在し、胃や腸のように癌の進展をくいとめ
る防波堤の役目をする丈夫な漿膜と呼ばれる膜を膵臓はもっておらずいわばむきだしの状
態で存在しており、しかも重要な血管や神経に直接接しています。膵癌は膵液を集めて十
二指腸に注ぐ導管である膵管細胞から発生するのですが、胃や大腸のように直接内視鏡で
みることができず、従ってガン細胞を術前に顕微鏡で見ることなども不可能です。このた
め早期診断や確定診断がきわめて難しく、上記のような理由で癌が発生するとすぐに重要
な神経や血管を巻き込みやすいうえに小さいうちから転移しやすいため、手術的に切除が
できなくなることが多いのです。また膵臓の中を膵管と胆管が合流して十二指腸に注ぐた
め、癌がそこに近いところにある場合(膵頭部癌)には胃の一部や胆嚢、十二指腸、胆管、
膵臓の頭の部分を一緒に切除しさらに食物、膵液や胆汁の通る道をつくりなおすおおがか
りで大変熟練の必要な手術が必要になります。また症状に乏しいため、神経を巻き込んで
腰の痛みが出たり胆管が閉塞して黄疸がでて初めて病院にかかるなど進行癌の比率が極め
て高いのが特徴です。また膵臓の頭部から離れたところの癌(膵体尾部癌)は黄疸こそで
ませんが、とくに症状に乏しいためひどく進行するまで病院に受診されないことが多いの
です。1999年の膵癌全国登録調査では、切除例574例を含む1457例のうち無症
状12.4%、腹痛36.9%、黄疸15.2%、腰背部痛7.8%、体重減少6.2%
の順でした。また急速に進む糖尿病(20.7%)も特徴的です。
1980年頃までは診断法が十分ではなかったため、膵癌の診断そのものがほとんど不
可能で手術法や術後の管理も確立しておらず世界的にも治療などまともにはできませんで
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した。しかし1980年代にはいると、CT、超音波、血管造影、内視鏡による膵管胆管
造影などの検査や腫瘍マーカーの測定法などの診断法が急速に進歩しました。欧米では膵
癌に対する膵切除術の手術死亡率は高く、かりに手術が成功しても癌はなかなか治癒しな
いため、一部の施設をのぞきほとんど膵切除は行われていませんでした。米国では199
1年で切除率14.2%、英国では1977年から1986年の10年間で2.6%とい
う低率であり現在でもあまり向上していません。一方我が国では1970年代後半より積
極的に手術に取り組み、日本人特有の職人技ともいえる外科医の精緻な技術の習得や機器
の工夫などとも相俟って、1981年には切除率は24.5%、1996年には43.4
%、2000年には42.6%と飛躍的に向上しております。切除率の向上に伴って広範
囲のリンパ節を一緒に摘出したり血管を合併切除するなどして相当進んだ膵臓癌が多く切
除されるようになりましたが、それでも手術による死亡率は1999年度では574例中
6例約1%と大変低い数字です。また最近では胃や十二指腸、胆管を温存して、できるだ
け術後の臓器の欠落症状を少なくする工夫がなされるようになりました。日本の外科手術
のレベルは他の腹部の手術においても世界で群を抜く水準です。また診断技術の進歩も急
速に進み、MRI,超音波内視鏡、一部の施設では膵管鏡なども行われるようになりまし
た。
しかしこのように手術切除率の著しい向上にもかかわらず、術後の再発率は高く5年生
存率は10%前後にすぎず、最近もあまり向上していません。1999年の膵癌全国登録
調査では比較的初期(StageⅠ)の膵頭部癌の5年生存率は56.9%と比較的よい
ものの、切除例全体のこれらの占める比率はわずか4%にすぎず相変わらず2cm以下の
小さい膵癌の早期診断が難しい現状です。再発形式でとくに目立つのが肝臓への転移、膵
後面の局所再発や腹膜への散在性の転移です。 抗ガン剤による治療も検討され、実施さ
れてはおりますが今のところ満足すべき成果は上がっておりません。唯一ゲムシタビンに
よる治療のみによって切除できなかった膵癌患者さんの生存期間が延長(平均5.7月、
他剤4.4月)し、1年生存率が18%であった(他剤では2%)という海外でのデータ
がありますが、もちろん治癒に結びつく結果はでておりません。また膵剥離面の目に見え
ない癌遺残にたいして手術中に放射線照射する方法では局所再発の抑制効果と膵癌再発に
よる痛みを抑える効果はあるとされておりますが生存期間の延長に結びつく結果は得られ
ておりません。その他膵癌に対する新しい補助療法の研究はなされておりますが、いずれ
も現状では有効性が明らかでなく臨床に応用するには時期尚早といえます。
まとめますと、日本では100例の膵癌患者さんのうち4割が切除が可能でその5年生
存率は10%であるということです。言い換えると100人のうち4人しか生きられない
ということになります。しかしそれでも手術を受ける以外に生き延びるチャンスはないと
いうことでもあります。いかに早期に発見するかが今後の課題でもあり、皆さんがいかに
膵癌の早い時期に病院を訪れることができるか、また現代医学がいかにしてそれに応えら
れる診断技術の革新が得られるかが21世紀の癌といわれる膵癌を克服する鍵といえるで
しょう。
愛知県医師会
名古屋市中区栄4−14−28
TEL052−241−4143
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