「神様の約束は永遠」

1
2010 年 9 月 5 日
豊田師礼拝メッセージ
「神様の約束は永遠」
2列 11:1
1.「救い主誕生」の約束
①2 列王 11:1 アハズヤの母アタルヤは、自分の子が死んだと知ると、ただちに王の一族を
ことごとく滅ぼした。
南ユダの王アハズヤが命を落としたとの悲報が母アタルヤのもとに届けられたとき、彼女はダ
ビデの子孫を根絶やしにするために、
「ただちに王の一族をことごとく滅ぼした」と記
されています。ヨシャパテが北イスラエルのアハブ王と友好関係を積極的に築いたことの代償は身
内の人間、アタルヤによる「王の一族の虐殺」という悲劇をもたらしたのです。アハズヤ王の
母アタルヤがダビデの子孫を根絶やしにしようとしたのは自分の息子が殺されたことへの
報復行動ではなく、自らがダビデの王座に座り、
「救い主の誕生」を阻止しようとする
サタンの働きが背後にあったのではないでしょうか。
②イザヤ 9:6~:7 ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。ひとりの男の子が、私たち
に与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和
の君」と呼ばれる。 その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に着いて、そ
の王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これをささえる。今より、とこしえまで。
万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる」
、これは「救い主の誕生」の預言で
す。救い主は「ダビデの王座に着いて、その王国を治める」との約束は神様がダビデ
自身に与えられた接約でもありました。イザヤの預言は神様がダビデに直接与えられた
約束の再確認でもありました。
「ダビデの王座に着かれる」とは、ダビデの子孫として
誕生されることを意味しています。ダビデの子孫以外から「救い主」が誕生されるこ
とはありませんし、
「救い主」として認められることはありません。救い主は約束の言
葉通り、ダビデの子孫として誕生されなければなりませんでした。
1
2
2.不変の約束
①ヘブル 6:16~:19 確かに、人間は自分よりすぐれた者をさして誓います。そして、確証のた
めの誓いというものは、人間のすべての反論をやめさせます。 そこで、神は約束の相続者
たちに、ご計画の変わらないことをさらにはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたので
す。それは、変えることのできない二つの事がらによって、・・神は、これらの事がらのゆえ
に、偽ることができません。・・前に置かれている望みを捕えるためにのがれて来た私たち
が、力強い励ましを受けるためです。 この望みは、私たちのたましいのために、安全で確か
な錨の役を果たし、またこの望みは幕の内側にはいるのです。
私たちは約束を果すことを「誓約」によって保証します。その際、
「人間は自分よりす
ぐれた者をさして誓います」と記されているように、自分自身の誠実さを担保にする
ことはできません。基本的に私たちの誠実さは約束を果すことを保証する担保にはな
らないのです。銀行などの金融機関からお金を借りる場合でも借りるひとの誠実さは
担保にはなりません。住宅ローンの場合は貸主が購入した住宅の「抵当権」を担保にしま
す。残念なことですが、私たちの誠実さは担保にはならないのです。それは、結婚に
おいても言えます。ですから、結婚式において神様の御前でいつまでも愛するとの約
束を誓約するのです。結婚において約束が果されることを保証する担保は互いの誠実
さではなく、神様の御前で交された誓約だけなのです。しかし、多くのひとは神様の
御前で交された誓約を軽んじています。誓約を軽視する心は神様の約束の確かさを悟
ることはできません。
神様は約束の相続者、私たちひとりひとりに対して「ご計画の変わらないことをさら
にはっきり示そうと思い、誓いをもって保証されたのです」とあります。神様は「ご
計画の変わらないこと」、約束が変更されたり、取り消されたり、いかなる理由によっ
てでも反故にされないことを保証する担保は神様の真実さだけで十分であったのに、
神様ご自身が誓いを担保にして保証されたのです。ですから、もし、万が一にも約束
が破られたり、反故にされると「担保」は没収されてしまいます。神様はご自身の真
実さを「担保」として誓約されたので、一つの約束でも破られると神様は真実さを失
い、偽り者とされるのです。
「それは、変えることのできない二つの事がらによって、
・・神は、これらの事がらの
2
3
ゆえに、偽ることができません」記されているのです。神様がご自身の「真実さ」を
担保に約束を果すことを誓いをもって保証された瞬間、全ての約束は永遠に変わらな
いものとなり、神様ご自身でさえも変えることができない、変更もできない、取り消
すこともできないものとなったのです。
私たちが失望する一つの理由は私たちの態度によっては心変わりされる、約束を変更
されたり、取り消されるとの恐れがあるからではないでしょうか。しかし、神様が約
束を与えられただけでなく、ご自身の真実さを担保に保証されたことによって、すべ
ての約束は神様ご自身によっても変更も取り消しもできないものとなったことが約束
を相続者にとっての「励まし」なのです。
②創 27:1~:4 イサクは年をとり、視力が衰えてよく見えなくなったとき、長男のエサウを呼
び寄せて彼に「息子よ。」と言った。すると彼は、「はい。ここにいます。」と答えた。 イサクは
言った。「見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。 だから今、おまえの道具の矢
筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。 そして私の好
きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身
が、おまえを祝福できるために。」
イスラエルの父祖アブラハムの息子イサクには二人の息子、長男エサウと次男ヤコブがいました。イサクが
年老いたとき、長男エサウを枕元に呼び、「私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福でき
ために」と長子の祝福を与えることを約束しました。イサクの妻リベカはイサクとヤコブの会話
を盗み聞きし、溺愛した次男のヤコブに「長男の祝福」を得させようとしました。次男
のヤコブを変装させ、食事を持たせて父イサクの寝床へと行かせ、長男の祝福を与える祈り
を受けたのです。
次男のヤコブが父イサクのもとを立ち去った直後、長男のエサウが食事を携えてやって来まし
た。父イサクは次男のヤコブが長男のエサウを装い、長男の祝福を横取りしたことに気づいた
とき、激しく身震いし、長男の祝福を次男のヤコブに与えたことを深く悲しみました。
③創 27:37~:38 イサクは答えてエサウに言った。「ああ、私は彼をおまえの主とし、彼のす
べての兄弟を、しもべとして彼に与えた。また穀物と新しいぶどう酒で彼を養うようにした。そ
れで、わが子よ。おまえのために、私はいったい何ができようか。」 エサウは父に言った。
3
4
「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私をも祝福してください。」エサ
ウは声をあげて泣いた。
長男のヤコブは父イサクに「お父さん。祝福は一つしかないのですか。お父さん。私を、私
をも祝福してください」と嘆き悲しみましたが、父イサクは「わが子よ。おまえのために、
私はいったい何ができようか」と長男の祝福を与えるとの約束の誓いはもはや変更も、
取り消しもできないと語ったのです。次男のヤコブが父イサクを騙して長男の祝福を横取り
したとしても、一度、交された約束の誓いはもはや変更も、取り消すこともできない
のです。
3.約束の成就
2 列 11:3 こうして、彼はうばとともに、主の宮に六年間、身を隠していた。その間、アタルヤ
がこの国の王であった。
南ユダの王アハズヤ王がエフーによって命を落としたとの知らせが母アタルヤに届けられたとき、
彼女は「ただちに王の一族をことごとく滅ぼした」
、ダビデの子孫を「ことごとく滅ぼ
した」のです。
アハブ王の娘アタルヤが南ユダの王ヨアルの妻として入り込み、アハズヤ王の母としてダビデの子孫
をことごとく滅ぼしたことで「救い主の誕生」の約束を無効にしようとしたのです。
そして、アタルヤによって「救い主の誕生」の約束は無効にされたかのように見えました。
神様が偽り者とされたかのように思われました。アタルヤがダビデの子孫を一人残らず殺
害することを命じたとき、ヨラム王の娘でアハズヤの姉妹エホシェバが兄の子ヨアシュを盗み出し、
彼と乳母とを寝具をしまう小部屋に隠したことで、
「彼は殺されなかった」のです。
「救
い主の誕生」の約束は断ち切られることはなかったのです。アハズヤの姉妹エホシェバの勇敢
な行動を背後で支えられた神様ご自身が「救い主の誕生」の約束を守られたのです。
この出来事は単なるお家騒動ではなかったのです。
神様のご計画、約束の成就だったのです。
4