世の中の移り変わり 西 暦 元 号 年 干支 古代 原始 旧 石器 時代 縄 文時 代 月 お もな で きご と ※ 太字 は本 邑 (本 町 )関 係 天 草に 人 間が 住み 始 める 牛 深内 野 原遺 蹟 倉 岳下 塔 尾遺 蹟 狩 猟 漁 の生 活 (た て穴 式 住居 .石器 .骨格 器 .縄 文 式土 器) 枦 の原 遺 跡・ 道面 遺 跡・ 新 休遺 跡・ 福 岡遺 跡( 石 器) 本 渡丸 尾 が丘 遺蹟 五 和町 二 江沖 ノ原 貝 塚 本 渡大 矢 遺蹟 (土 偶 .動物 形土 製 品) 本 渡浜 崎 貝塚 浜 崎遺 蹟 (小 児用 甓 棺) 水 田稲 作 農 耕生 活 始ま る 弥 生式 土 器.鉄器 .青 銅器 二 江沖 ノ 原遺 蹟( 埋 葬人 骨 あり ) 各 地に 古 墳が 造ら れ 始め る 妻 の鼻 大松 戸 須 森 新 田 古墳 ) 天 草式 土 器を 使っ て 海水 よ り塩 を造 る (約1万 年前 ) 早期 中期 後期 晩期 弥 生時 代(約 2,4 00 年 前) 古 墳時 代(約 1,7 00 年 前) 大 和時 代 景行 景行 成務 飛 鳥時 代 53 8 59 3 60 4 60 7 64 5 奈 良時 代 71 0 71 2 71 3 72 0 74 3 74 4 12 18 5 景 行天 皇 熊 襲征 伐 景 行天 皇 が御 所浦 樋島 姫 浦に 寄港 ( 船止 まり 伝 説) 天 草国 造 に建 島松 命 任 命 され る 「 先 代旧 事本 記 」 大 和朝 廷 の全 国統 一 進む (4世 紀 中期 ) 百 済か ら 仏教 伝来 聖 徳太 子 推 古 天皇 の摂 政 とな る 肥 後国 天 草郡 小 野妹 子 遣 隋 使派 遣 大 化の 改 新 推古 12 大化 元 和銅 養老 3 5 6 4 天平 16 77 8 寶龜 9 平 安時 代 79 4 87 3 88 5 延暦 貞観 仁和 13 15 元年 天慶 4 平 安京 (京都 )に遷 都 51 2 ( 都を 移 す) 渤 海国 入 唐使 崔宗 佐 門一 行 甑島 に漂 着 「日 本三 代 実録 」 新 羅国 使 徐善 行 高 興善 ら 天草 へ 上陸 「日 本 三代 実録 」 「 和 名 類 聚 抄 」 に は 「 肥 後 国 安 万 久 佐 郡 に 波 太 .天 草 . 志 記.恵 家.高 屋の 五 郷あ り」 と 記し てあ る 。 弘 法大 師 の法 孫妙 覚 法印 が 蘇迷 岳観 音 院を 開基 保延 3 平 清盛 肥後 守 とな る 94 1 鎌 倉時 代 1 13 7 平 城京 (奈良 )に都 を 移す 古 事記 で きる (両 児 島.天 両屋 島 の名 があ る) 道 君首 名 筑 後 肥 後 の国 司 とな る 日 本書 紀 が完 成す る 筑 紫館 跡 から 木簡 「 肥後 国 天草 志記 里 」出 土 続 日本 記 に天 草の 名 があ る 肥 後国 八代 芦北 天草 三 郡に 大 洪水 郡 人1 ,52 0余 溺 死 「続 日本 記 」 11 遣 唐使 大伴 宿弥 一 行 天 草仲 島 (長 島) に 漂着 「 続 日本 記」 7 4 1 18 5 1 19 2 1 20 5 文治 建久 元久 元 3 2 1 23 3 1 26 0 1 27 4 1 28 1 1 28 3 1 29 3 室 町時 代 1 31 3 貞永 文應 文永 弘安 弘安 永仁 2 元 11 4 6 元 正和 2 1 33 8 1 33 9 1 34 0 1 46 7 1 48 7 1 49 6 1 50 1 暦応 暦応 興国 応任 長享 明応 明応 元年 2 元 元 1 5 10 1 50 2 永正 2 1 53 0 享禄 1 53 6 天 文 1 54 1 1 54 3 天 文 1 54 5 天 文 1 54 9 天 文 1 55 5 弘 治 3 5 10 12 14 18 元年 1 56 0 1 56 6 1 56 7 1 56 8 永禄 永禄 永禄 永禄 3 9 10 11 1 57 0 元 亀 安 土桃 山時 代 1 58 2 天 正 元 7 源 頼朝 全国 に 守護 ・地 頭 をお く 源 頼朝 鎌倉 幕 府を 開く 志 岐左 衛 門尉 光弘 志岐 6 ケ浦 の 地頭 職に 任 命 6 ケ浦 ( 佐伊 津沢 張 鬼 池 蒲牟 田 大 浦 須 子浦 志木 浦 ) 天 草種 有 本 砥 (本 渡 河 浦 産島 高浜 )の地 頭職 と なる 種 有の 子 播磨 局に 本 砥の 地 頭職 を譲 る 大 蔵太 夫 (播 磨局 ) 亀川 に 来迎 寺を 建 立 文 永・ 弘 安の 役に 大 矢野 、 天草 、志 岐 氏ら 出陣 弘 安の 役 蒙 古 襲来 に大 矢 野種 保 種 村 奮 戦 殊勲 樹立 本 砥郷 山 口に 諏訪 宮 を建 て る 竹 崎季 長 が蒙 古襲 来 絵詞 を 完成 本 砥・ 亀 河の 地頭 職 、志 岐 景弘 に与 え られ る 河 浦一 町 田に 信福 寺 (天 台 宗) を開 山 足 利尊 氏 室 町 幕府 を開 く 志 岐高 達 菊 池 武朝 から 本 戸を 与 えら れる 蘇 迷岳 観 音院 に無 外 禅師 ( 曹洞 宗道 元 和尚 の法 孫 )入 山 応 任の 乱 栖 本河 内 の小 ヶ倉 に 磨崖 佛 建立 鹿 子木 親 員が 隈本 城 を築 く 天 草一 揆 志 岐 上 津浦 宮地 天草 長 島 大 矢野 栖本 久玉 ) 河 浦益 田 に観 音寺 ( 浄土 宗 )再 興 河 浦今 村 に薬 師寺 ( 浄土 宗 )再 興 栖 本湯 舟 原に 利明 寺 (浄 土 宗) 再興 河 浦下 田 に信 福寺 ( 浄土 宗 )再 興 天 草氏 が 本戸 城を 築 城 城 木場 城 主硴 久大 膳 太夫 圓覺 寺 (真 宗 西)開 基 現南 町 本 戸馬 場 村に 延慶 寺 (真 宗 東)創 建 ポ ルト ガ ル船 が種 子 島に 漂 着 鉄砲 伝 来 大 矢野 に 唐船 着く フ ラン シ スコ ・ザビ エル 鹿 児島 に 上陸 キリ スト 教 布教 天 草五 人 衆時 代 志 岐麟 泉 .天 草鎮 種 .大矢 野種 基 .栖 本 親高 .上津 浦 鎮直 ) 栖 本・ 上 津浦 戦で 鉄 砲が 使 われ る 志 岐麟 泉 キ リ スト 教宣 教 師ヴ ィ レラ を招 聘 する 全 国の 宣 教師 を招 集 して 志 岐宗 教会 議 を開 催 天 草鎮 種 (鎮 尚 ) 修 道士 ル イス ・ アル メー ダ を招 聘す る 崎 津に 天 主堂 を建 設 天 草志 岐 に全 国の 宣 教師 を 招き 第二 回 宗教 会議 を 開く 10 1 58 7 天 正 1 5丁 亥 4 1 58 9 天 正 1 7己 丑 11 「 本能 寺 の変 」織 田 信長 が 明智 光秀 に 攻め られ 自 害す る 豊 臣秀 吉 が明 智光 秀 を討 つ 「山 崎の 戦 い」 大 友宗 麟 、ロ ーマ に 遣欧 少 年使 節団 を 派遣 豊 臣秀 吉 九 州 征伐 肥 後 南半 分 は小 西行 長 支配 豊 臣秀 吉 バテ レン 追 放令 を 出す 天 草天 正 の合 戦 (仏 木坂 に於 い て木 山彈 正 加藤 清正 軍 に刺 殺さ る ) 1 59 0 天 正 1 8庚 寅 1 59 1 天 正 1 9辛 卯 1 59 2 文 禄 元 年壬 辰 江 戸時 代 1 59 7 1 59 8 1 60 0 慶長 慶長 慶長 2 丁酉 3 5 庚子 1 60 1 1 60 2 1 60 3 慶長 慶長 慶長 6 7 8 癸卯 1 60 4 1 60 5 慶 長 9 甲辰 慶 長 1 0乙 巳 1 60 7 1 61 3 1 61 6 1 62 1 1 62 2 1 62 3 1 62 9 1 63 2 1 63 3 1 63 4 1 63 5 1 63 6 慶長 慶長 元和 元和 元和 元和 寛永 寛永 寛永 寛永 寛永 寛永 1 63 7 寛 永 1 4丁 丑 蘇 迷岳 観 音院 が小 西 行長 の 兵火 を浴 び 全焼 志 岐城 が 落城 本 渡 城が 落 城 豊 臣秀 吉 の全 国統 一 が完 成 する 少 年使 節 団、 活版 印 刷機 を 持ち 帰る コ レジ オ (大 神学 院 )天 草 学林 口之 津 より 天草 へ 移転 遣 欧四 少 年天 草の ノ ビシ ア ド( 修練 院 )に 入る 遣 欧少 年 使節 団、 聚 楽第 で 豊臣 秀吉 に 謁見 日 本最 初 の金 属活 字 本「 平 家物 語」「 伊曽 保 物語 」出 版 町 山口 村 に鎮 道寺 ( 真宗 東 )建 立 現 富岡 豊 臣秀 吉 朝 鮮 出兵 (文禄 の 役) (大 谷諸 兵衛 益田 日向 兵 衛ら 天 草水 軍を 率 いて 出陣 ) 1 2丁 未 1 8癸 丑 2 丙辰 7 辛酉 8 9 6 己巳 9 壬申 1 0癸 酉 1 1甲 戌 12 1 3丙 子 10 1 63 8 寛 永 1 5戊 寅 11 12 2 3 大 島子 村 に西 法寺 (真宗 西 )建 立 現 佐 伊津 学 林、 天 草よ り長 崎 へ移 転 関 ケ原 の 戦い で徳 川 家康 が 勝利 する 天 草は 加 藤清 正の 領 とな る 天 草は 唐 津藩 寺沢 広 高の 領 地と なる (総高 4万 2 千石 ) 寺 沢広 高 富岡 城を 築 城 徳 川家 康 江 戸 幕府 を開 く 。 日 ポ辞 書 を刊 行( 長 崎) 富 岡に 唐 津城 の支 城 を築 き 、番 代を 置 く 徳 川家 康 徳 川 秀忠 に将 軍 職を 譲 る 幕 府 諸 国大 名 に国 絵図 郷 帳作 成( 統 計調 査) を 命ず 肥 後国 絵 図( 永青 文 庫) ( 河内 村 石高 10 2 8. 9 76 石の 記 録あ り) ※ 河内 村 (現 在の 本 町・ 本 泉・ 広瀬 ) 熊 本城 完 成( 隈本 城 を熊 本 城に 改め る ) 将 軍徳 川 秀忠 全国 にキ リ シタ ン 禁制 を発 令 鎮 道寺 に 真宗 天草 総 録所 を 命じ 富岡 へ 移転 三 宅藤 兵 衛 天 草の 番代 に 着任 徳 川家 康 が禁 教令 を 出す 徳 川家 光 が3 代将 軍 とな る 踏 絵令 を 発す 切 支 丹宗 徒 の大 検挙 細 川氏 が 肥後 藩主 と なる 幕 府鎖 国 令発 布 1 4年 ま で異 常気 象 天 草 不作 続 く 餓 死者 多数 参 勤交 代 が制 度化 さ れる 寛 永通 寶 鋳造 さる 天 草の 人 口2 万5 千 人 本 村及 び 近村 の百 姓 が天 草 四郎 勢を 攻 撃 天 草島 原 の乱 切 支丹 一 揆勢 〈天 草 四郎 〉 と領 主寺 澤 勢が 島子 村 で合 戦 本 戸の 合 戦で 番代 三 宅藤 兵 衛討 死 更 に富 岡 城を 攻め た が落 ち ず坂 瀬川 よ り原 城へ 向 かう ) 一 揆勢 原 城に 篭城 宮 本武 蔵 、原 城総 攻 撃に 参 戦し 一揆 勢 の投 石で 負 傷 天 草よ り 籠城 者男 女 12 ,20 8 人死 滅 原 城 落 城す 天草 四 郎以 下 一揆 勢3 万 7千 人は 討 死 松 平伊 豆 守信 綱 乱 後の 天 草巡 視 人 口: 1 76 00 人 山 崎家 治 が領 主と な る 富 岡城 を 再建 魚 貫崎 遠 見番 所設 置 幕 府は 鎖 国令 によ り キリ シ タン を厳 し く取 り締 ま る 1 63 9 寛 永 1 6己 卯 天 領専 任統 治 1 64 0 寛 永 1 7 1 64 1 寛 永 1 8辛 巳 1 64 2 寛 永 1 9壬 午 7 1 64 3 寛 永 2 0癸 未 10 1 64 4 正 保 元 年甲 申 11 12 1 64 5 正保 2 乙酉 1 64 6 正保 3 丙戌 1 64 7 正保 4 丁亥 1 64 8 慶 安 元 年戊 子 11 12 宮 本武 蔵 が細 川忠 利 に招 か れ熊 本城 下 に住 む 幕 府天 草 を天 領と し 鈴木 重 成を 初代 代 官に 任命 重 成は 天 草を 10 組 86 ヶ 村に 分け 、 村々 に庄 屋 を置 く 旧 「河 内 村」 は御 領 組( 下 河内 村: 佐 藤家 ・ 新 休村 : 福田 家・ 本 村: 鶴 田家 ) 諏 訪神 宮 は本 渡へ 移 転、 本 渡の 市始 ま る 牛 深遠 見 山番 所設 置 幕 府、 天 草に 移民 を 奨励 薩 摩藩 よ り移 民3 5 戸1 5 5人 馬匹 49 頭 移入 熊 本藩 よ り移 民5 0 戸1 7 0人 馬匹 2頭 移 入 富 岡に 帰 命山 寿覚 院 を建 立 :鈴 木重 成 富 岡に 飛 龍宮 10石 創 建: 鈴 木重 成 正 天皇 譲 位後 光明 天 皇踐 祚 (位 を継 ぐ): 將 軍徳 川家 光 宮 本武 蔵 「五 輪ノ 書 」を 著 す 山 口村 に 諏訪 宮を 再 建( 鈴 木重 成) 志 岐村 に 白華 山円 通 寺を 創 建: 鈴木 重 成 本 戸郡 代 役所 跡に 禅 寺向 陽 山明 徳寺 12石建 立: 鈴 木重 成 志 岐に 万 松山 国照 寺 を建 立 :鈴 木重 成 富 岡に 飛 龍山 瑞林 寺 を建 立 :鈴 木重 成 本 渡に 向 陽山 命徳 寺 を建 立 :鈴 木重 成 平 床矢 筈 岳に 山ノ 神 建立 江 戸幕 府 正保 郷帳 ( 統計 調 査) 作成 を 命ず 湯 舟原 に 浄土 宗仏 性 山宗 円 性寺 30石 を 再建 :鈴 木 重成 一 町田 に 浄土 宗天 草 山崇 円 寺30石を 創 建: 鈴木 重 成 大 浦に 浄 土宗 平囲 山 九品 寺 5石 創 建: 鈴木 重 成 御 領に 曹 洞宗 月桂 山 芳證 寺 12石 創建 : 鈴木 重成 本 渡に 曹 洞宗 向陽 山 明徳 寺 12石 創建 : 鈴木 重成 大 江に 曹 洞宗 徳照 山 江月 院 10石 創建 : 鈴木 重成 栖 本に 諏 訪神 宮7石 を建 立 :鈴 木 重成 上 津浦 に 曹洞 宗圓 明 山正 覚 寺10石を 創 建: 鈴木 重 成 大 矢野 に 曹洞 宗古 城 山遍 照 院13石創 建 :鈴 木重 成 棚 底に 浄 土宗 海雲 山 江騎 士 寺10石創 建 :鈴 木重 成 正 保郷 帳 (石 高 下 河内 村 10 4 石 枝 郷「掛 道村 」31 石 6斗 本村 20 3 石、新 休村 86 石 ) 荒 河内 に 曹洞 宗洞 照 山観 音 寺 10 石 創建 : 鈴木 重 成 教 良木 に 曹洞 宗淘 汰 山金 性 寺 3 石 創 建: 鈴木 重 成 郡 中に 移 住民 50 0 人を 招 致 農 具は 公 儀持 ち 家 居は 其 村提 供 富 岡に 天 草島 原の 乱 戦没 者 の首 塚供 養 碑を 建立 : 重成 新 休村 に 曹洞 宗松 栄 山東 向 寺50石創 建 :鈴 木重 成 久 玉に 浄 土宗 久玉 山 無量 寺 10 石 創 建: 鈴 木重 成 一 町田 に 浄土 宗清 瀧 山信 福 寺 5 石 創 建: 鈴木 重 成 徳 川將 軍 家菩 提所 と して 郡 中鎭 護の 霊 場に 当て る 中 華珪 法 、開 基 重 成 郡 中諸 寺 社へ 寺社 領 寄与 の 證状 を発 令 総 石高 3 00 石 東 向寺 5 0石 国照 寺 45 石 1 65 0 1 65 1 慶安 慶安 3 庚寅 4 辛卯 1 65 3 承應 2 癸巳 夏 8 春 10 3 3 1 65 4 承應 3 甲午 1 65 5 1 65 9 明暦 萬治 元 乙未 2 己亥 4 1 66 3 寛文 3 癸卯 9 1 66 4 寛文 4 申辰 6 7 1 66 5 1 66 6 寛文 寛文 5 乙巳 6 丙午 1 67 0 1 67 1 寛 文 1 0庚 戌 寛 文 1 1辛 亥 1 67 2 延寶 元 癸丑 二 次天 領統 治 1 67 6 延 寶 1 67 9 延 寶 1 68 0 延 寶 6 戊午 7 己未 8 庚申 7 8 1 68 2 天和 2 壬戌 10 1 68 5 貞享 2 乙丑 春 1 68 7 貞享 4 丁卯 1 68 8 1 69 1 貞享 元祿 5 戊辰 4 辛未 1 3 8 10 3 5 円 性寺 3 0石 崇 円 寺3 0 石 瑞林 寺 15 石 明 徳寺 1 2石 (内明 栄寺 2 石) 芳 證寺 1 2石 (内 長 興寺 2 石) 遍 照院 1 3石 (内 金 性寺 3 石) 下 河内 村 普門 院創 建 東 向寺 の 工略 々成 就 中 華 珪法 家光 の 廟に 弔禮 徳 川家 綱 を4 代將 軍 とす る 重 成上 府 す 直 接老 中に 郡 状を 訴 え 石 高半 減の 聴 許求 む 小 宮地 に 曹洞 宗金 剛 山明 栄 寺 2 石 創 建: 鈴木 重 成 御 領に 曹 洞宗 長興 寺 2 石 創建 :鈴 木 重成 重 成 江 戸神 田 賜邸 にお い て自 刀 (切 腹) す る 年 66 郡 中に 始 めて 切支 丹 禁制 の 高札 を建 て る 下 河内 佐 藤家 3代 ( 俗名 不 祥) 歿す 自 刀し た 鈴木 重成 公 の遺 髪 を中 華珪 法 が貰 い受 け 寺領 内 に 埋葬 す る 鈴 木伊 兵 衛重 辰を 天 草代 官 に任 命 下 向す る (派 遣) 鈴 木重 成 重 辰 親子 2代 に 亘り 郡 高減 石を 申 請の 熱意 は 漸 く幕 府 要路 の容 る 処と な り検 地改 替 え許 容さ る 即 ち総 高 2万 1千 石 余の 決 定。 石高 半 減の 宿望 遂 に達 成 萬 治検 地( 石高 下 河内 村1 9 5石 9 斗、新 休 村1 04 石 、 本 村1 2 3石 7斗 ) 天 草 人口 :1 万 6千 余人 福 連木 官 山の 樫の 木 切り 出 し始 まる 天 草東 部 禅宗 本寺 新休 東 向寺 開山 の 中華 珪法 が 示 寂( 死 去) (76才) 新 休 東 向寺 梵 鐘改 鑄( 2 世神 養 珪谷 ) 私 領復 活 統治 戸 田 忠昌 支 配 鈴 木重 成 重 辰 の功 績を 称 え 郡 民各 村 に鈴 木塚 を 建立 郡 中郷 村 5人 組帳 始 まる 佐 藤家 4 代弥 兵衛 歿 す( 死 去) 富 岡城 破 城( 戸田 忠 昌) 戸 田忠 昌 関東 に領 地 替え 小 川藤 左 衛門 正辰 着 任す 小川 代官 支 配 福 岡 聖 福庵 創 建 染 岳観 音 堂の 草庵 と して 〔 慈眼 庵〕 を 建立 郡 中の 馬 4千 頭余 り 瀕死 翌 年幕 府 より 千両 拝 借し 薩 摩よ り馬 6 67 頭購 入 長 崎奉 行 始ま る 大 風水 害 で天 草被 害 甚大 凶作 徳 川綱 吉 を5 代将 軍 にす る (靈 元天 皇 ) 幕 府 切 支丹 厳 禁の 令を 発 令 南 西に 彗星 現 れる こ の年 大 飢饉 奢 侈禁 令 郡中 に觸 逹 され る 本 村平 床 に光 徳庵 ( 香徳 庵 )創 建 服 部六 左 衛門 三正 着 任す る 服 部代 官 支配 幕 府 生 類憐 愍 の令 を発 令 犬の 繋ぎ 置 きを 禁止 幕 府 更 に生 類 憐憫 の令 を 発令 生 類の 戸籍 帳 作成 を命 ず 靈 元天 皇 譲位 、東 山 天皇 受 祚( 位を 継 ぐ)( 将軍 綱吉 ) 下 河内 十 五社 宮鳥 居 建立 ( 庄屋 佐藤 平 左衛 門) 天 草の 人 口3 4,3 5 7人 1 69 2 元祿 5 壬申 1 69 3 元祿 6 癸酉 1 69 4 1 69 5 1 69 7 1 69 8 元禄 7戌 元祿 8 元 禄 1 0丁 丑 元 祿 1 1戊 寅 1 69 9 1 70 1 1 70 2 元 祿 1 2己 卯 元 祿 1 4辛 巳 元 祿 1 5壬 午 1 70 3 1 70 7 1 70 9 元 祿 1 6癸 未 寶永 4丁 亥 寶永 6己 丑 1 71 1 1 71 2 1 71 3 正徳 正徳 正徳 元 2 3癸 己 1 71 4 正徳 4甲 午 1 71 5 1 71 6 1 71 7 正徳 5 享 保 元 年丙 申 享 保 2 丁酉 1 72 0 1 72 1 享保 享保 1 72 4 1 72 5 享 保 9 甲辰 享 保 1 0乙 巳 5 庚子 6 辛丑 12 10 4 11 7 6 3 9 1 72 8 享 保 1 3戊 申 2 下 河内 村 19 5石 9 斗4 升 、庄 屋佐 藤 平左 衛門 。 2 3軒 2 27 人( 男 12 2 ・女 1 05 ) 新 休村 1 04 石4 斗 6升 、 庄屋 福田 平 兵衛 。 1 5軒 1 56 人( 男 82 ・女7 4 ) 本 村1 2 3石 7斗 2 升、 鶴 田市 之丞 。 3 2軒 、 37 5人 ( 男2 0 8・女 16 7) 平 床の 山 奥に 鉄山 あ り 幕 府對 高 野山 學侶 行 人之 間 的沖 突進 行 裁判 驅 逐 千余 人 幕 府 高 野山 の 真言 宗僧 徒 60 0余 人 を流 刑 東 向寺 五 世、 密山 道 實に よ り寺 領に 迦 葉軒 を創 建 高 野山 の 行人 僧 1 40 人 を天 草 へ流 刑 富 岡7 志岐 16 御 領15 本戸 20 栖 本20 大矢 野18 砥 岐8 久 玉7 一町 田11 大江 10 五 島155 隠 岐 155 高 野山 流 人 権 大僧 都栄 遍 、大 浦 で示 寂(九 品寺 ) 高 野山 流 人 権 大僧 都祐 慶 大和 上 、大 浦で 示 寂(九 品寺 ) 高 野山 流 人 西福 院 法印 祐 遍覚 燐峰 寺で 入 寂 高 野山 流 人 長 福院 阿闍 梨 秀漢 、 志岐 で入 寂 (国 照寺 ) 魚 貫崎 に 唐船 漂着 す る 高 野山 流 人 正 福院 阿闍 梨 乗良 雲 、志 岐で 入 寂( 国照 寺 ) 下 河内 村 庄屋 5代 佐 藤平 左 衛門 歿す ( 死去 ) 福 連木 の 樫7 ,0 0 0 本を 槍柄 に 切り 出す 江 戸無 宿 55 人天 草 に配 流 赤 穂浪 士 47 名が 討 ち入 り 江 戸無 宿 45 人天 草 に配 流 富 士山 噴 火し 山腹 に寶 永 山を 生 ず 徳 川家 宣 6代 将軍 郡 中疱 瘡 病人 手当 方 を制 定 天 草人 口 :5 2,7 8 5人 天 草陶 石 発見 徳 川家 継 7代 将軍 高 野山 流 人 正 覚院 権大 僧 都秀 量 、志 岐で 示 寂( 国照 寺 ) 天 領委 任 統治 豊 後 日田 の 室七 郎左 右 衛門 代官 兼 摂 凶 作に て 大飢 饉 切 支丹 宗 禁制 高札 2 6枚 立 つ 享 保の 改 革 (徳川 吉 宗8 代 将軍 ) 唐 津浪 人 広 田 和平 が横 久 保で 泥 人形 製作 始 める 明 徳寺 楼 門建 立 西 国巡 検 使来 島 島 原領 所 支配 松 平 忠雄 兼 帯 「 宗門 人 別改 帳」 の 実施 幕 府諸 国 の人 口田 畑 を録 進 させ る 天 草は 島 原城 主松 平 主殿 頭 忠雄 の預 地 とな る 富 岡で フ カ狩 り始 ま る 江 戸よ り の流 人4 8 名を 村 預け 東 向寺 六 世 迦 葉軒 2世 に 泰林 光 心 下 河内 神 社に 石灯 籠 建立 大 地震 天 草で 甘 藷栽 培始 ま る 新 休村 東 向寺 6世 泰 林光 心 示寂 す 年 62才 福 岡行 人 岳に 観音 堂 を建 立 1 72 9 1 73 1 1 73 2 1 73 4 1 73 6 享保 享保 享保 享保 元文 1 4己 酉 1 6辛 亥 1 7壬 丑 1 9甲 寅 元 年丙 辰 10 1 74 0 1 74 3 元文 寛保 5 庚申 3 癸亥 12 1 74 5 延享 1 74 6 延享 3 丙寅 1 74 7 延享 4 丁卯 1 74 8 1 74 9 寛 延 元 年戍 辰 寛延 2己 巳 7 1 75 0 寛延 1 1 75 1 寶暦 1 75 4 寶暦 4 甲戌 1 75 5 1 76 0 1 76 1 寶暦 寶暦 寶暦 5 乙亥 10 11 1 76 2 寶 暦 1 2壬 午 8 2乙 丑 3 辰午 5 元辛 未 9 12 1 76 3 1 76 5 寶 暦 1 3癸 未 明 和 2 乙酉 1 76 8 1 76 9 1 77 0 明 和 5 戊子 明 和 6 己丑 明 和 7 庚寅 7 明 和 8 辛卯 1 77 1 4 7 郡 中大 飢 饉死 者4 百 餘人 本 村神 社 に鳥 居建 立 (庄 屋 磨田 孫右 衛 門) 大 凶作 巡検 使1 3 名来 島 西 南諸 国 餓死 者百 万 人 幕 府島 原 藩に 命じ 救 援米 千 石を 貸す 島 原新 城 主松 平主 殿 頭忠 俔 天草 巡視 ( 新休 村 東向 寺参 詣 本村 ~ 仏木 坂~ 志 岐) 島 原藩 主 松平 忠刻 初 巡察 天草 は大 凶 作 西 空へ 菷 星出 現 翌 子年 正 月1 3 日頃 まで で 罷む 志 岐方 面 の石 炭を 発 見す る 徳 川家 重 9代 将軍 大 雨の た め大 凶作 西 国巡 検 使来 島 郡 中惣 高 21 ,2 8 6石 ・8 ,2 88 軒 人 口: 7 4,65 7 人 ・牛 70 8 頭・ 馬3 ,93 7 頭 船 1,3 42 隻.鉄 砲 5 46 挺 ) 郡 内(寺 数 5 1社 .神 宮 2 66 . 郡 中村 々 道法 調査 ( 本泉 村 より 下河 内 村へ 8丁 、 下 河内 村 より 新休 村 へ1 8 丁、新 休村 より 本 村へ 6丁 ※ 1丁 は 10 9m (下河 内 村庄 屋 佐 藤務 右 衛門 ・ 新 休村 庄 屋 福 田杢 右衛 門 ・本 村 庄屋 鶴田 令右 衛 門) 桃 園天 皇 踐祚 あら せ らる 将軍 家重 飢 米 1 ,9 8 6石 4 斗 公 儀よ り 拝借 に及 ぶ 松 平忠 祇 兼帯 新 休村 東 向寺 (9世 靈泉 惠 照)随 意會 地 とな る 本 村前 原 の鈴 木塚 近 くに 石 造社 殿新 建 正 式に 鈴 木社 を奉 祠 し随 意 會開 帳さ せ る 平 床鉾 矢 筈岳 に観 音 菩薩 を 建立 島 原預 所 支配 戸 田 忠盈 兼 帯 肥後 藩 .寶 暦の 改 革 下 河 内 村 庄 屋七 代 佐 藤 茂 兵 衛 の次 男 瑞 岡珍 牛八 才 にし て 新 休村 東 向寺 九世 、 靈泉 惠 照を 禮し 薙 髪( 剃髪 ) 具 足戒 ( 僧侶 が守 る べき 道 徳規 範・ 規 則) を受 く 宝 暦年 間 (1751~ 1763) 新休 に花 谷 庵を 創建 戸 田忠 辰 島原 藩主 と なる 高 浜に て 陶石 採掘 を 始め る 智 子内 親 王踐 祚あ り 、後 櫻 町天 皇 福 岡に 地 蔵堂 を建 立 (観 音 菩薩 を合 祀 ) 下 河内 村 庄屋 六代 佐 藤彌 兵 衛歿 す 徳 川家 治 10 代将 軍 中 村頤 亭 御領 に私 塾 「正 論 社」 を開 塾 天 草人 口 :8 9,9 8 2人 高 浜上 田 伝五 衛門 が 鷹巣 山 に高 浜焼 き を始 める 寺 領迦 葉 軒下 に地 蔵 尊建 立 本 渡諏 訪 神社 町山 口 より 遷 座 大 祭に 農具 市 開く 下 河内 神 社に 石灯 籠 建立 山 仁田 に おい て水 平 焼き 始 まる 日 田西 国 郡代 支配 揖斐 政 復兼 任 東 向寺 1 0世 泰梁 慧 貞 染 岳観 音 院を 再興 東向 寺 門末 寛 永通 寶 増鋳 (追 加 発行 ) され る 下 掛道 秋 葉さ ま建 立 大 庄屋 に 名字 帯刀 ( 姓と 刀 剣所 持) を 許す 1 77 3 安永 2 癸巳 1 77 4 安永 3 甲午 1 77 7 安永 6 丁酉 1 77 8 1 77 9 1 78 1 1 78 2 1 78 3 1 78 5 安 永 7 戊戌 天 明 8 己亥 天 明 元 年辛 丑 天 明 2 壬寅 天 明 3 癸卯 天 明 5 乙巳 1 78 6 天明 6 丙午 1 78 7 天明 7 丁未 1 78 8 天明 8 戊申 5 11 9 9 9 2 3 6 10 10 1 78 9 寛 政 元 年己 酉 1 79 0 1 79 2 寛政 寛政 2 庚戊 4 壬子 1 8 12 4 7 1 79 3 1 79 4 1 79 5 1 79 6 寛政 寛政 5 癸丑 6 甲寅 7 8 丙辰 5 1 79 7 寛政 9丁 巳 7 出 米騒 動 起こ る 枦 原高 尾 山に 鈴木 三 神像 を 建立 天 草、 最 初の 大規 模 な百 姓 一揆 杉 田玄 白 ら「 解体 新 書」 著 わす 揖 斐靱 負 兼任 大 暴風 郡中 の 田6 割が 被 害 畑 収穫 皆 無 枦 原に お いて 金助 為七 久 平等 、邪 宗 の信 仰が 発 覚、 庄 屋よ り 一喝 され 忽 ち飜 心 (悔 い改 め る) 3名 は 惣 村中 へ 詫び 證文 を 入れ 内 濟と なる 大 島子 村 に隠 れ切 支 丹4 名 が発 覚 牢 屋 手鎖 光 格天 皇 将 軍家 治 下 河内 村 庄屋 7代 佐 藤茂 兵 衛歿 す 天 明の 大 飢饉 起こ る (~ 1 78 7) 島 原預 所 支配 松 平 忠恕 兼 帯 枦 の原 下 に弘 法大 師 堂建 立 (地 蔵合 祀 ) 越 中富 山 の売 薬業 者 来島 の 記録 あり 光 格天 皇 福 岡長 田 に秋 葉さ ま 建立 徳 川家 齋 11 代将 軍 寛 政 の改 革 牛 深村 に て一 揆起 こ る 東 向寺 1 2世 超宗 越 覺 常 恒會 地 聽許 を得 て 帰山 する 米 穀買 占 酒類 密造 厳 禁令 発 布 郡 中酒 屋6 6 軒 株 高1 ,76 6石 4 斗 2升 5合 酒 造総 高 3,16 8 石 7斗 9升 島 原城 主 松平 忠恕 天 草巡 視 のた め来 島 東 向寺 常 恒會 開発 結 制申 立 相撲 興行 (13 日 まで ) 本 村前 原 鈴木 社を 茅 葺き の 社殿 拝殿 に 改築 鈴木 三 神を 祭 神と し て併 祠し 常 恒會 結 制に 引き 続 き1 5日 ま で開 帳 相 撲興 行 を続 行こ れ より 1 4日 を以 て 社祭 日と 定 める 瑞 岡珍 牛 ( 48 )長州 より 帰山 し 染嶽 観 音院 へ 入る 珍 牛、 東 向寺 へ晋 山 (1 3 世) 下 河内 神 社に 石灯 籠 建立 江 戸勘 定 所よ り関 東 移民 を すす めた が 希望 者な し 島 原(眉 山)大 爆発 天草 一 帯津 波襲 来 家 屋流 失 死者 15 ,0 00 余人 、 郡中 被害 18 ケ 村 世 に「 島 原大 変肥 後 迷惑 」 と言 う 松 平忠 馮 兼帯 一 町田 ・ 大江 組に 願 い百 姓 一揆 あり 宗 門改 め の為 島原 表 より 出 役 人口 : 11 万2 千 余人 寺 領鈴 木 社下 に観 音 菩薩 を 建立 新 休中 尾 に金 比羅 さ ま建 立 百 姓相 続 方仕 方1 1 ケ条 裁 許( 寛政 の 特政 ) 宗 門改 め の為 島原 表よ り 出役 大 雨洪 水 田 畑 被害 甚大 田 方半 作 下 河内 村 庄屋 佐藤 周蔵 新休 村 庄屋 福田 恒助 本 村庄 屋 鶴 田 新五 右衛 門 相 続方 仕 方実 施に 当 たり 郡 中村 役よ り 相続 方掛 庄 屋 佐 藤周 蔵 など 22 名 に島 原 表よ り褒 詞 の晒 布拝 領 島 原藩 主 松平 忠憑 天 草初 巡 視一 行2 0 8人 東 向寺 山 門前 に准 胝 観音 を 建立 1 79 9 寛 政 1 1己 未 1 79 9 寛 政 1 1己 未 1 80 2 享和 1 80 3 享和 9 12 2 壬戌 7 3癸 亥 5 1 80 4 文 化 元 年甲 子 11 1 80 5 文化 2乙 丑 9 1 80 6 文化 3丙 寅 1 80 7 文化 4 丁卯 1 80 8 文化 5 戊辰 1 81 0 文化 7 庚午 1 81 1 文化 8 辛未 1 81 2 1 81 3 文化 9壬 文 化 1 0癸 酉 6 10 11 2 宗 門改 め の為 島原 表 より 出 役 5 月中 旬 より 旱魃 無 類の 不 作に つき 百 姓騒 ぎ 立て 村々 を 袖乞 (物 貰 い) し て押 廻 り遂 には 打 毀( 破 壊) や暴 挙 に及 ぶ 重 立つ 者 に牢 舎又 は 手錠 申 し付 け島 原 表よ り吟 味 の上 江 戸表 へ 経伺 中の 処 、裁 決 あり 夫々 罪 科申 し渡 さ れる (下河 内 村忠 兵衛 を 追放 不逞 百 姓を 出し た 下河 内村 庄 屋 へ 過料 銭9 0 貫文 ) 役 所へ 拝 借銀 願上 げ 3千 貫 匁の 下銀 ( 給付 )あ り 下 河内 村 庄屋 八代 佐 藤周 蔵 歿す 幕 府 醸 酒の 冥加 金 を徴 収 する 普 門院 入 口に 准胝 観 音を 建 立 郡 中痲 疹 大流 行 大 雨洪 水 郡中 田畑 の 荒地 頻 出 被 害特 に 甚大 の下 河 内村 本村 な ど1 3ケ 村 は見 分の 上 荒 高5 0 0石 減石 さ れる 郡 中村 々 消防 組 施 設に つ き令 達 今 富村 で 銅製 の異 仏 が発 見 され る 尾 張瀬 戸 焼の 陶工 加 藤吉 左 衛門 の次 男 民吉 高浜 焼き の 染 付秘 法 を得 るた め 東向 寺 天中 を介 し て高 浜村 庄 屋上 田 源 太夫 の 製陶 工場 へ 入所 す る 郡 中宗 門 改め 絵踏 廻 村の 為 出役 隠れ キリ シ タン 発覚 5 20 0 人余 (高浜 大江 崎津 今富 ) 郡 中貯 穀 過納 税酒 造 税( 酒 造2 1歩 米 代銀 )取 立 方掛 り 庄 屋1 2 名を 選定 下 河内 村 庄屋 佐藤 弥 右衛 門 下 河内 神 社の 拝殿 再 建 新 休竹 の 尾に 愛宕 さ ま建 立 御 領石 本 平兵 衛、 大 飢饉 救 済米 を贈 る 旱 魃に 付 き 東 向寺 に於 て 17 日 より 17 日 間祈 祷 御 領村 銀 主松 阪屋 石 本平 兵 衛丁 銭三 千 貫文 ( 750両 ) 郡 中へ 村 方の 夫食 料 とし て 寄付 郡 中宗 門 改め 絵踏 廻 村の 為 出役 害 虫発 生 稲 作 被害 甚大 高 浜村 に 疱瘡 流行 罹 患1 8 0余 人死 者 72 人 異 国船 入 港の 報に 村 々心 得 方配 布 厳 重警 戒 にあ たる 京 阪よ り 流人 9人 を 村預 け 郡 中宗 門 改め 絵踏 廻 村の 為 出役 測 量方 伊 能勘 解由 忠 敬一 行 薩州 長島 獅 子島 ~大 多 尾 着 船( 牛 深に 至り 高 浜 富 岡 二 江を 測 量) 下 河内 を 測量 し亀 川 瀬 戸 ~上 島 大矢 野を 測 量 御 所浦 諸 島を 最後 に 天草 全 島の 測量 完 了 5 3日 間 本 村鈴 木 神社 境内 に 祭神 三 君を 称え た 顕彰 碑建 立 宇 土梶 山 に観 音菩 薩 を建 立 本 村人 高 13 33 人 (男 6 60 ・女 6 73 ) そ の他 寺 領人 高3 9 2人 ( 男2 07 ・ 女1 85 ) 御 領石 本 平兵 衛、 大 飢饉 救 済米 を贈 る 富 岡町 の 銀主 等は 年 賦貸 付 金の 全て を 棄損 する 枦 原の 百 姓清 作外 7 名が 秘 仏を 拝ん で いる 事が 発 覚し 佐 藤庄 屋 へ詫 証文 を 入れ 内 済に 取り 計 らわ れる 天 草人 口 :1 39 ,0 41 人 1 81 4 1 81 5 文 化 1 1閏 癸 文化 12 1 81 6 1 81 7 文化 13 文 化 1 4丁 丑 1 81 8 文 化 文政 15 元 戊寅 2 1 3 2 7 1 1 81 9 1 82 1 文政 文政 2 4 辛巳 4 7 1 82 3 文政 6 癸未 1 82 4 文政 7 甲申 1 82 5 1 82 6 1 82 7 8 9 文 政 1 0丁 亥 1 82 8 文 政 1 1戊 子 5 1 82 9 文 政 1 2己 丑 9 1 83 0 天 保 元 年庚 寅 1 83 1 天保 2 辛卯 1 83 2 天保 3 壬辰 1 83 3 天保 4 癸巳 9 9 3 長 崎代 官 支配 高 木 忠任 兼 任 仁孝 天 皇 将軍 家 齋 迦 葉軒 入 口に 准胝 観 音を 建 立 新 休花 谷 庵に 准胝 観 音を 建 立 二 又阿 弥 陀堂 脇に 准 胝観 音 を建 立 本 村新 休 村外 三ケ 村 入會 嫁 場出 入の 件 井 手組 大 庄屋 長島 宇 源太 本戸 組 大庄 屋木 山 十兵 衛 志 柿村 庄 屋永 野九 郎 太夫 を 現場 見分 に 立会 わせ 内 濟扱 高 浜上 田 宜珍、陶石販売をはじめる 洗 切に 准 胝観 音を 建 立 吉 田左 太 一東 壁が 栖 本河 内 村に 私塾 「 学半 舎」 を 開く 本 村梶 山 で下 駄山 を めぐ る 入会 山紛 争 起る 音 丸周 硯 が大 島子 に 寺小 屋 開設 (2 5 名) 下 鶴久 保 利に 准胝 観 音を 建 立 伊 能忠 敬 の大 日本 沿 海実 測 地圖 同実 測録 完 成す る 郡 内諸 色 雑貨 小売 商 に大 問 屋株 を設 定 株元 は夫 々 運上 を 上 納し 郡 内消 費の 餘 荷は 代 銀に て年 々 會所 に納 付 させ る 蝋 燭鬢 付 け( 整髪 料 )引 請 下 河 内村 (伊 三 郎) 馬 尾掛 尻 具 下 河内 村( 幸 之丞 ) 上 田宣 珍 「天 草島 鏡 」完 成 本 村鈴 木 社に 対し 神 祇管 長 より 鈴木 明 神と 称す る 神宣 状 を 下附 さ れる こ の頃 甘 蔗(さ とう きび )栽 培盛 んに な る 本 村鈴 木 社社 殿再 建 の工 成 就す る 横 久保 に 三宮 神社 ( 東向 寺 の鎮 守) 創 建 上 鶴に 金 比羅 さま 建 立 天 草の 人 口1 4万 人 村 々貯 穀 並2 0分 1 御下 穀 石數 改請 印 覺 下 河内 村 籾 7 石2 斗2 升 7合 外籾 1 斗2 升 新 休村 籾4 石 6斗 6合 外 籾7 升8 合 本 村 籾 5石 1 斗7 升4 合 外籾 9升 ) 天 草灘 の 海底 で噴 火 現象 大 暴風 被 害甚 大( 損 害反 別 田 1 ,0 99 町 2反 8 畝7 歩 畑 23 5 町9 反2 畝 5歩 漬家 ( 床下 浸水 ) 4,6 86 軒 半 漬家 1 ,4 15 軒 溺死 2 2人 ) 新 休若 宮 社に 標柱 を 建立 昭和64年1月鶴田功確認 本 村神 社 に石 灯籠 建 立 天 草人 口 :1 41 ,5 29 人 大 暴風 雨 新 休村 被 害甚 大幕 府 より 手 当銀 4貫 9 83 匁借 入 本 渡町 山 口村 に徳 田 屋塾 ( 平方 権之 助 )開 塾 水 害虫 害 相嵩 み作 物 大被 害 新 休若 宮 神社 に石 灯 籠建 立 (廃 棄) 福 岡に 志 賀さ ま建 立 天 草人 口 :1 41 ,9 88 人 日 田郡 代 支配 監 谷 正義 兼 任 町 山口 川 の祇 園橋 建 立 知 恩院 権 大僧 都定 舜 上人 河 浦へ 流罪 ( 信福 寺) 天 草人 口 :1 43 ,0 41 人 旱 魃水 害 虫害 相嵩 み 被害 甚 大 7 10 11 1 83 4 天保 5 甲午 9 10 1 83 5 天保 6 乙未 1 83 6 1 83 7 1 83 8 天保 天保 7 丙申 8 9 1 83 9 天 保 1 0己 亥 10 1 84 0 1 84 1 天 保 1 1庚 子 天 保 1 2辛 丑 1 84 2 天 保 1 3壬 寅 1 84 3 1 84 4 1 84 5 天 保 1 4癸 卯 弘 化 元 年甲 辰 弘 化 2 乙巳 1 84 7 弘化 4 丁未 1 84 8 1 85 1 嘉永 嘉永 元 戌申 4 辛亥 1 85 3 嘉永 6 癸丑 1 85 4 安 政 元 年甲 寅 1 85 5 安政 3 1 1~ 1 6 2 乙卯 2 郡 内百 姓 騒動 (都呂 々 下 津 深江 櫨宇 土 楠 浦 宮 地) 長 崎代 官 支配 喬 木 忠篤 兼 任 東 向寺 出火 全 焼す 法堂 庫裡 方丈 東司 僧堂 衆 寮 下 部屋 納屋 山門 廻 廊 鐘 樓 法 藏二 宇 悉く 全焼 と なり 僅 かに 仏像 記録 過 去帳 の み残 存し 古 佛の 宝物 什 器一 切 を焼 却す (18 世 老山 梅 翁) 本 村永 野 に屯 する 3 8人 程 の小 前百 姓 共 枦 宇土 を經 て 帽子 岳 の同 勢へ 合 躰す 下 河内 村 庄屋 佐藤 弥太 郎 46 新 休村 庄 屋 福 田平 右衛 門 27 本 村庄 屋 鶴 田 左一 郎 20 下 河内 村 百姓 壽助 騒 立件 に 付取 糺筋 あ り長 崎奉 行 所 へ 出頭 さ せよ と郷 宿 圓城 寺 儀兵 衛方 へ 届け られ る 寺 領に 天 神様 (菅 原 道真 公 )建 立 下 河内 村 庄屋 九代 佐 藤弥 右 衛門 歿す 船 之尾 の 祇園 橋完 成 石 工 下浦 辰右 衛 門 こ のこ ろ 定舜 上人 が 一町 田 に「 臨川 塾 」を 開く 天 保通 寶 鋳造 さる 梶 山に 志 賀大 明神 建 立 鶴 田代 に滝 の 上観 音建 立 郡 中食 料 欠乏 飢餓 死人 出 る 徳 川家 慶 12 代将 軍 矢 筈岳 に 金比 羅さ ま 建立 天 草人 口 :1 42 ,7 82 幕 府 百 姓の 武 芸を 禁ず 下 河内 十 五社 宮を 改 築 幕 府 神 事祭 礼 の華 美・ 百 姓の 武 芸を 禁止 す る 天 保の 改 革 下 河内 村 差置 の流 人 無宿 江 戸の 岩吉 (23) 島抜 け (脱 獄) 富 岡志 岐 で疱 瘡大 流 行罹 患 者千 人余 死 者5 0余 人 二 又黒 染 に観 音菩 薩 を建 立 天 草の 百 姓ら 相続 仕 法復 活 要求 で長 崎 奉行 所へ 出 訴 大 矢野 砥岐 栖本 の 百姓 数 千人 所々 打 毀( 破壊 ) 御 領組 大 庄屋 長岡 太 郎左 衛 門相 続仕 法 要求 のた め 江戸 幕 府へ 越 訴( 本来 の 手続 き を飛 び越 し て訴 訟す る ) 弘 化 の 討 壊 し 古 江 村 庄 屋 永田 隆 三 郎 を 盟 友 とし て 一 揆 勃 発 忽ち 郡 中へ 広が る 外暴 民 15 ,0 2 1人 新 休の 若 宮神 社に 鳥 居建 立 下 河内 道 面に 清正 公 さま を 建立 天 草は 日 田大 官 竹 尾清 右 衛門 の 領有 とな る 池 田岩 之 丞兼 任 日 本近 海 に異 国船 の 出没 が頻 繁 凶 作続 き にて 夫食 窮 迫す ( 食糧 危機 ) 下 河内 村 差置 の流 人 亀助 ( 27 )島抜 け する ( 脱獄 ) 東 向寺 伽 藍再 建( 2 0世 師 静祖 眞) 徳 川家 定 13 代将 軍 ペ リー 浦賀 に 来航 ロ シヤ 特 使プ チャ ー チン 長 崎に 来航 日 露和 親 条約 調印 北 方四 島 (国 後 .択 捉 .歯 舞 .色 丹 )日 本 帰属 が 決定 日 米.日 英和 親条 約 締 結 日 仏.日 蘭和 親条 約 締 結 1 85 6 安政 3 丙辰 春 4 丁巳 春秋 6 1 85 7 安政 1 85 8 安 政 5 戊午 1 85 9 1 86 0 6 萬 延 元 年庚 申 8 1 86 1 文 久 元 年辛 酉 1 86 2 文久 2 壬戌 1 10 3 4 1 86 3 文久 3 癸亥 1 86 4 元 治 元 年甲 子 1 86 7 慶応 3 丁卯 1 86 8 慶応 4 戊辰 現 代 1 86 8 1 86 9 1 87 0 明治 明治 明治 元 2 3 1 87 1 明治 4 1 87 2 明治 9 9 4 11 5 2 4 6 8 下 島に 天 然痘 流行 新 休黒 岩 に将 軍様 ( 鈴木 重 成) の碑 を 建立 下 河内 村 差置 の流 人 亀吉 居小 屋 に不 在 探 索厳 命 の回 書 東 向寺 境内 に 私塾 聽松 堂 を開 塾 (文 久3 年 廃業 ) ( 大 矢野 上村 の 竹添 順左 衛 門荀 園 ) 生 徒70名 勝 麟太 郎 (海 舟 )富 岡 鎮 道 寺に 宿 す この 年 大旱 魃 下 河内 村 庄屋 佐藤 弥 太左 衛 門・ 寺 領引 地 に城 の神 様 (鈴 木 重成 )を 建 立 新 休村 庄 屋福 田又 七 朗門 ・ 本村 庄屋 鶴田 要 之丞 ) 徳 川家 茂 14 代将 軍 郡 中に コ レラ 病流 行 劇 痢 病流 行し 死 者多 数 金 性寺 境 内8 8ヶ 所 霊場 東 向寺 を 肥後 33 観 音1 1 番札 所に 指 定 桜 田門 外 の変 (井伊 直弼 殺 害) 精鐵 錢 鋳造 され る 東 向寺 本 堂復 興 前 原の 山 王宮 に鳥 居 建立 天 草の 人 口: 155,075人 赤 崎村 庄 屋北 野識 部 、長 崎 外人 居留 場 2万 坪埋 立 に成 功 本 村の 為 兵衛 外3 名 隱 酒 造発 覚 し 手 鎖宿 預け 本 村庄 屋 は會 所預 け とな る 楠 浦村 庄 屋宗 像堅 固 釜ノ 迫 堀切 工事 着 工 長 崎代 官 高木 作右 衛 門( 健 太郎 )兼 任 本 村に 差 置の 流人 鐡 三( 33 )島 抜け 枦 ノ原 地 蔵堂 に捨 て 児事 件 本 村に 野 狐使 いが 居 て2 百 人餘 も一 時 に熱 病患 者 続出 日 田郡 代 支配 屋 代 増之 助 兼任 文 久永 寳 鋳造 され る 値賀紋水、 本戸 馬 場村 に私 塾 集義 館を 開 く 竹 添荀 園 、町 山口 村 に私 塾 誠文 堂開 く 郡 中よ り 薩摩 へ出 稼 ぎ人 出 発 窪 田郡 代 支配 楠 浦村 庄 屋宗 像堅 固 の前 潟 新田 釜の 迫 鑿河 工事 完 成 御 領村 大 島の 小山 秀 の進 、 長崎 の大 浦 天主 堂を 建 立 1 5代 将 軍徳 川慶 喜 が大 政 奉還 長崎の漢詩人谷口藍田が本戸馬場村明徳寺内に文学塾開 く 天 草郡 は 富岡 県と な る 天 草県 と なる 天 草は 長 崎府 に併 合 され 、 37 村に 統 合 天 草の 人 口: 15 6 ,1 6 1人 元 号 を明 治と 改 める 神 仏 分離 令 出る 米 1 升2 銭3 厘 長 崎 県の 管轄 と なる 庄 屋 を廃 止里 正 を置 く 佐 藤弥 太 郎( 本 村 新 休 下 河内 本泉 ) 平 民 に氏 の称 を 認め る 廃 藩 置県 熊 本 県八 代県 を 設置 北 海 道へ 移 民募 集 天 草 は八 代県 に 所属 里 正 を戸 長 と改 称 学 制 頒布 天草 学校 が 設立 1 87 3 明治 6 1 87 5 明治 8 1 6 1 87 6 明治 9 1 87 7 1 87 8 明 治1 0 明 治1 1 2 2 11 1 87 9 1 88 1 1 88 2 1 88 3 1 88 4 1 88 5 明 治1 2 明 治1 4 明 治1 5 明 治1 6 明 治1 7 明 治1 8 1 88 6 明 治1 9 4 4 7 1 88 8 1 88 9 明 治2 1 明 治2 2 4 1 88 9 7 明 治2 2 1 1 1 89 0 1 89 1 明 治2 3 1 0 明 治2 4 1 89 2 1 89 4 1 89 5 明 治2 5 明 治2 7 明 治2 8 1 89 6 明 治2 9 8 11 4 4 5 1 89 7 明 治3 0 太 陽 暦を 採用 天草 で郵 便 始ま る 肥 後 国全 体を 白 川県 とし 、 天草 は 白川 県に 編 入 天 草 郡役 所が 富 岡か ら町 山 口村 ( 本渡 )へ 移 転 地 祖 改正 条例 公 布 切 支 丹禁 制の 高 札撤 廃( 2 61 年 間) 平 民 に苗 字を 義 務付 る 球 磨郡 へ 移民 募集 旧 幕 時代 の雑 税 を廃 止し 車 税.酒 税.煙 草税 を定 め る 下 河 内村 晋門 院 を校 舎と し て下 河 内新 休学 校 開設 教 員 萩野 孫三 郎 本 村 引地 に民 家 を借 り小 山 忠重 を 教員 とし て 本村 学校 を 開設 上 舜 上人 示寂 ( 信福 寺) 白 川 県を 熊本 県 と改 める 廃 刀 令布 告 断 髪令 がで る 西 南 戦争 郡 区町 村 の編 成 東 向 寺門 前に 下 河内 新休 学 校校 舎 新築 本 村 学校 福岡 に新 築 移転 各 村 に郵 便局 開 局 国 会 開設 荷 車 使用 始ま る 6 台 下 河 内市 ノ瀬 橋 完成 フ ェ リエ 神父 大 江天 主堂 設 立 天 草 全郡 53 町 村列 に編 成 変え フ ェ リエ 神父 崎 津教 会設 立 ハ ワ イ移 民始 ま る 学 校 令発 布 小 学校 は 尋常 4年 ( 義務 制 )高 等4 年 とな る 下 河 内学 校 本 村学 校 を合 併 寺 領 庄司 原に 天 草郡 立本 村 小学 校 校舎 新築 下 河 内市 ノ瀬 橋 未曾 有の 洪 水で 流 失 熊 本 鎮台 を第 六 師団 と改 称 する 警察 署を 設 置 天 草 全郡 が一 町 65 ケ村 に なる 町 村 制施 行 本 村 新 休村 下河 内 村の 3ケ 村 を合 併し 本 村 と称す 熊 本 地震 本 村 小学 校を 本 村尋 常小 学 校と 改 称 荒 木 誠初 代校 長 着任 卒業 生4 名 天 真 寺裏 山 88 ヶ 所 教 育 に関 する 勅 語が 出さ れ た 下 河 内 市 ノ瀬 の眼 鏡 橋開 通 本 村 組戸 長 佐 藤信 邦 石 工 下 浦 村大 塚光 治 2 3 .6m 幅4 .5m 天 草 に自 転車 出 現 日 清 戦争 始ま る 県 道 (登 立~ 富 岡) 起工 本渡 ~ 牛深 起 工改 修(大 正元 年 竣工 ) 暴 風 雨の ため 本 村尋 常小 学 校校 舎 倒壊 伽葉 軒を 借 り授 業 中 学 濟々 黌天 草 分校 (天草 高校 )開 校す る 第 1 回天 草郡 会 開か れる 本 村 尋常 小学 校 新校 舎落 成 (建 坪 72 坪2 合 ) 香 福 庵(鶴 ) 光 徳庵 (平床 ) 晋門 院 (下 河 内)に 分教 場設 置 3 年 生以 上は 本 校 水 平 窯場 がな ま こ焼 きを 考 案 本 渡 外港 大門 港開 港 1 89 8 明 治3 1 1 89 9 1 90 0 1 90 1 1 90 4 明 治3 2 明 治3 3 明 治3 4 明 治3 7 1 90 5 明 治3 8 1 90 6 明 治3 9 1 90 7 明 治4 0 1 90 8 明 治4 1 1 90 9 明 治4 2 1 91 0 明 治4 3 1 91 1 明 治4 4 1 91 2 1 91 2 明 治4 5 大正 元 1 91 3 大正 1 91 4 大正 1 91 5 1 91 6 大正 大正 4 5 1 91 7 大正 6 5 1 91 8 大正 7 2 1 91 9 大正 8 1 92 0 大正 3 6 11 2 4 6 12 3 8 10 5 12 9 2 4 本 渡 ・牛 深町 制 施行 人 力 車(4 3台 )荷馬 車(2 台)客 馬 車(2 台)走 り始 める た ば こ専 売制 実 施 三 角 鉄道 開通 天 草 で汽 船運 行 熊 本 郵便 局で 電 話業 務を 開 始 日 露 戦争 起こ る 本 村 に伝 染病 蔓 延 新 休伝 染病 院 にお い て死 者多 数 熊 本 ~東 京間 に 直通 列車 開 通 本 村 尋常 小学 校 に高 等科 (2年 修 業)を 併置 本 村 尋常 高等 小 学校 と改 称 富 岡 往還 (現 県 道本 渡五 和 線) 開 通 自 転 車使 用始 ま る 7 台 天 草 (本 渡 .宮 地 .牛 深 )に 始 めて 電灯 つ く 吉 井 勇一 行天 草 来島 (5足 の鞋 ) 小 学 校義 務教 育 6カ 年に 延 長 高 等 科を 廃止 本村 尋 常小 学校 と 改称 青 年 団が 結成 さ れる 寺 領 の寅 ノ尾 堤 が竣 工 熊 本 県立 天草 中 学校 独立 本 村 にネ ーブ ル を導 入( 野 島治 市 氏) 伊 藤 博文 が暗 殺 され る 日 韓 併合 条約 締 結 本 渡 大 浦 県道 開通 牛 深 に蒸 汽船 2 隻進 水す る 下 河 内~ 寺領 間 道路 完成 明 治 天皇 崩御 大正 と 改元 天 草 電燈 会社 発 足 本 渡 発電 所開 設 米 1 升2 円8 銭 私 立 天草 養正 女 学校 開校 迦 葉 軒の 本堂 庫 裡を 大改 修 亀 川 に天 草蚕 糸 株式 会社 創 業 ド イ ツ国 へ宣 戦 布告 (第 一 次世 界 大戦 )日 本 軍 青 島占 領 迦 葉 軒に 鐘つ き 堂建 立 大 矢 野に ホル ス タイ ン種 乳 牛を 導 入 天 草 に始 めて 自 動車 が走 る 天 草 にコ レラ 発 生、 死亡 者 多数 下 津 深江 村に 水 力発 電所 が でき る 寺 領 ~福 岡間 道 路完 成 天 草 郡聯 合青 年 團設 立 澱 粉工 場 (萩 原 宗作 )建設 富 岡 町に 電灯 が 灯る 本 村 尋常 小学 校 に農 業公 民 学校 併 設 第 一 次世 界大 戦 終結 ベ ル サイ ユ条 約 締結 天 草 製糸 株式 会 社創 業 天 草酒 造 株式 会社 設 立 本 渡 で電 話交 換 業務 開始 天 草 繭市 場開 業 天 草 郡立 天草 実 業学 校開 校 本 村 尋常 高等 小 学校 とな る 1 92 1 11 大 正1 0 4 7 10 1 92 2 1 92 3 大 正1 1 大 正1 2 3 7 9 10 1 92 4 大 正1 3 1 8 1 92 5 1 92 6 1 92 7 大 正1 4 大 正1 5 昭和 2 5 1 92 8 昭和 3 3 1 92 9 昭和 4 4 1 93 0 1 93 1 昭和 昭和 5 6 9 1 93 2 1 93 3 昭和 昭和 7 8 1 93 4 昭和 9 1 93 5 昭 和1 0 3 3 10 1 93 6 昭 和1 1 2 下 河 内神 社狛 犬 建立 (毛 利 直三 郎 寄進 ) 第 1 回国 勢調 査 、県 人口 1 , 233 , 233人 天草 175 , 576人 熊 本 県立 天草 高 等女 学校 改 名 肥 後 銀行 天草 支 店開 業 本 村 青年 団新 休 分団 「皇 太 子殿 下 御渡 欧記 念 樹」 とし て 松を 植 樹 し記 念碑 を 建立 (後 の 一本 松 ) 和 牛 導入 飼育 始め る 本 渡 牛深 間に 定 期バ スを 運 行 苓 州 銀行 設立 天草 共進 会 産業 博 覧会 を開 催 熊 本 県立 天草 農 業学 校改 名 瀬 戸 開閉 橋開 通 本 渡外 港 錦 島 港開 港 関 東 大震 災 本 村 堂 の 迫に 本村 尋 常小 学校 校 舎新 築着 工 下 河 内・ 鶴分 教 場廃 止 迦 葉 軒を 迦葉 寺 へ昇 格 大 宮 地村 に水 力 発電 所建 設 清 浦 内閣 誕生 熊 本 市電 開通 県 連 合処 女会 発 足 大 矢 崎築 港完 成 天 草 の人 口: 195,344人 普 通 選挙 法公 布 治 安維 持 法施 行 天 草 郡役 所廃 止 天 草 支庁 に改 名 大正 天皇 崩 御 昭 和と 改元 米 1 升3 円4 9 銭 電灯 が つく 普 通 選挙 によ る 初の 県会 議 員選 挙 福 岡 ~平 床間 道 路完 成 寺 領~ 鶴 間道 路完 成 本 村 より 繭1 万 貫( 37 ,5 00 ㎏) 出 荷 本 渡 新港 大矢 崎 港開 港 ラ ジオ 使 用始 まる 苓 洲 バス 設立 ( 本渡 -富 岡 間1 5 人乗 りバ ス ) 富 岡 に九 州大 学 付属 臨海 実 験所 開 設 本 村 郵便 局開 局 平 床分 教 場廃 止 上 掛 道橋 架設 龍の 橋架 設 本 村 ワサ ビ組 合 加工 販売 トマ ト 栽培 始ま る 上 津 浦正 覚寺 で 切支 丹墓 石 を発 見 満 州 事変 起こ る 本 渡 町に 5間 道 路が 開通 稲 の 平地 干を 架 干方 式へ 県 令 によ り水 稲 晩期 栽培 始 まる 本 渡 ~本 村間 岩崎 タ クシ ー運 行 二 浦 の横 田良 一 「天 草小 唄 」を 出 す 天 草 大干 ばつ 本 渡 下 田 県道 開通 天 草 教育 会館 完 成 本 渡 上水 道完 成 本 渡 町と 本戸 村 が合 併 本 村 青年 学校 設 置 本 村 小学 校へ 校 旗.ピア ノ 寄 贈( 田中 直 一氏 ) 宇 土 洗切 まで 道 路完 成 2 ・ 26 事件 1 93 7 昭 和1 2 7 1 93 8 昭 和1 3 1 93 9 昭 和1 4 1 94 0 昭 和1 5 1 94 1 昭 和1 6 4 4 1 94 2 昭 和1 7 7 12 1 94 3 昭 和1 8 1 94 4 昭 和1 9 1 94 5 昭 和2 0 2 6 8 9 10 10 1 94 6 12 12 昭 和2 1 1 1 2 本 渡 町上 町に 合 同停 留所 完 成 大 矢 野村 の森 慈 秀が 県議 会 に天 草 架橋 提案 葉 煙 草耕 作始 ま る 国防 婦 人会 結 成 廬 溝 橋事 件 日 中戦 争始 ま る 産 業 組合 再建 満 州 移民 を奨 励 天 草に 豪 雪 天 草人 口2 5 万人 本 村 に葉 煙草 栽 培始 まる 2 9戸 警 防 団令 公布 米穀 配給 制 始ま る 国 民徴 用 令公 布 価 格 等統 制令 公 布 「産 め よ殖 や せよ 」発 表 日 独 伊三 国同 盟 締結 南 京 国民 政 府樹 立 米 味 噌醤 油砂 糖 塩な ど切 符 制採 用 「 贅沢 は 敵だ 」 紀 元 2,6 00 年祭 十 万 山登 山口 に 桜の 木を 記 念植 樹 (天 中生 ) 招 魂 場に 桜の 木 を記 念植 樹 (天 農 生・ 本渡 高 女) 太 平 洋戦 争勃 発 真 珠湾 空 襲 国 民学 校令 公 布 満 州 開拓 青少 年 義勇 軍出 発 本 村 尋常 小学 校 を本 村国 民 学校 と 改称 本 村 上平 床に 電 灯つ く 青 年 学校 へ報 国 木炭 供出 を 割当 て られ る 天 草 郡聯 合處 女 會設 立 九 州 産業 交通 株 式会 社が 設 立 天 草 支庁 は天 草 地方 事務 所 に改 名 食 料 管理 法公 布 衣 料切 符 制実 施 金 属回 収 令で 梵鐘 供 出 福 岡 ~二 叉間 道 路完 成 学 徒 動員 要項 決 定 女子 勤 労動 員 強化 佐 伊 津に 天草 海 軍航 空隊 が 設立 山 本 五十 六戦 死 学 徒出 陣 沖 縄 疎開 児童 4 0名 本村 小 学校 へ 入籍 、 食 料 増産 のた め 運動 場の 栴 檀伐 採 神 風 特別 攻撃 隊 編成 佐 伊 津海 軍 航空 隊創 設 学 童 疎開 、竹 槍 訓練 始ま る 巡 洋 艦長 良が 牛 深沖 で撃 沈 農 会 産 業 組合 が合 併 し農 業会 発 足 本 村 小学 校運 動 場北 側に 横 穴式 防 空壕 を構 築 空 襲 警戒 のた め 分散 教育 (枦原 道 場・ 下河 内 神社 ・新 休 神社 本 村 神社 ・聖 福 庵・ 平床 消 防ク ラ ブ・ 香福 庵 ) 佐 伊 津海 軍航 空 隊よ り沖 縄 戦へ 出 撃( 16 名 戦死 ) 広 島 .長 崎 に原 爆投 下 ポ ツ ダム 宣言 受 諾 終戦 墨 塗 り教 科書 出 現 農 地 改革 を指 令 国 民 学校 授業 再 開 平 床.宇 土は 教 育分 駐教 育所 東 向 寺に 菊池 農 兵隊 天草 支 部を お く マ ッ カー サー 五 大改 革指 令 (男 女 同権 労働 者 団結 権 学 校 教育 民主 化 専 制 政治 廃止 経 済機 構民 主 化) 第 一 次農 地改 革 下 河 内に 酒井 医 院開 設 天 皇 、人 間宣 言 全 国ご 巡 幸始 ま る 公 職 追放 令出 る 天 草 人口 21 万 7千 人( 内 、外 地 引上 げ1 万 2千 人) 貨 幣 封鎖 (新 円 切替 ) 4 10 1 94 7 11 12 昭 和2 2 3 4 4 5 10 1 94 8 昭 和2 3 4 1 94 9 昭 和2 4 4 5 1 95 0 昭 和2 5 4 6 8 9 1 95 1 昭 和2 6 3 9 10 1 95 2 昭 和2 7 4 1 95 3 昭 和2 8 2 8 1 95 4 昭 和2 9 2 3 戦 後 初め ての 総 選挙 農 地 改革 (11 ・2 9 施行 ) 有 機 合成 剤D D T・ BH C を殺 虫 剤と して 使 用 沖 縄 より 本村 へ 疎開 して い た人 1 55 人が 故 郷へ 帰還 す る。 松 田 唯雄 「天 草 近代 年譜 」 を刊 行 日 本 国憲 法( 平 和憲 法) 公 布 大 連 ・樺 太・ シ ベリ アか ら 引上 げ 船第 1号 舞 鶴港 へ入 港 教 育 基本 法.学 校教 育法 公 布 (小 中 学校 6・ 3 制 発足 ) 国 勢 調査 地 方 自治 法施 行 (初 の 民選 知事 .市 町村 長統 一選 挙 ) 本 村 国民 学校 を 本村 立本 村 小学 校 と改 称 新 制 本村 中学 校 発足 (生徒 数1 4 2名 ) 校舎 を共 有 日 本 国憲 法施 行 第 一 回県 民体 育 祭 八 久 保開 拓に 1 8世 帯入 植 下 河 内に 毛利 医 院開 業 枦 の 原下 公民 館 が落 成 教 育 委員 会法 公 布 サマ ー タイ ム 実施 三 輪 車入 る 宇 土 分校 設置 認 可 本 村 農業 会解 散 本 村 農業 組合 設 立 果 樹 試験 場設 置 養 豚始 ま る 新 休 三五 番地 (東向 寺 前)に 本村 中 学校 落成 校 舎 91 2㎡ 敷地 4 ,7 5 2㎡ ) 天 皇 陛下 天草 御 巡行 天 皇 陛下 八久 保 へ立 ち寄 ら れる 農 地 改革 進む 動力 噴霧 器 入る 本 渡 電報 電話 局 開局 単 一 為替 レー ト 一ド ル3 6 0円 設 定 牛 深 鰯景 気 魚 貫炭 坑事 故 19 名 死亡 除 草 剤に 24 D 使用 始ま る 本 村 開拓 団 天 皇御 立 寄り の碑 建 立 朝 鮮 戦争 勃発 警 察 予備 隊令 公 布 公職 選 挙法 施 行 本 村 小学 校P T A結 成 初 代会 長 鶴田 作雄 氏 就任 本 渡 本 村 間バ ス運 行 天 草 の人 口240,750人 日 米 安全 保障 条 約に 調印 本 村 農業 委員 会 設立 太 平 洋戦 争講 和 条約 調印 本 村 鶴の 山林 (5町 6 反5 畝7 歩 )を学 校林 と し本 村小 中 学校 P T Aが 共有 す る ル ー ス台 風 パ チン コブ ー ム 警 察 予備 隊設 置 志 岐 に久 恒炭 坑 を開 坑 平 床 分校 設置 認 可 児 童数 23 名 教師 1名 天 草 農業 試験 場 開設 N H Kテ レビ 本 放送 開始 迦 葉 寺の 本堂 庫 裡を 改修 富 岡 で鱶 狩り 2 0頭 志 岐 炭鉱 出水 事 故3 6名 死 亡 本 村 中学 校特 別 教室 (3室 25 6 ㎡)新 築 4 4 1 95 5 1 95 6 7 8 12 12 昭 和3 0 3 8 9 昭 和3 1 4 6 7 6 10 1 95 7 昭 和3 2 1 95 8 昭 和3 3 1 95 9 昭 和3 4 1 96 0 昭 和3 5 4 6 5 2 3 4 9 9 1 4 9 10 1 96 1 昭 和3 6 3 4 市 制 施行 によ り 本町 小学 校 本 町 中学 校と 改 称 本 町 学校 林を 本 渡市 へ委 譲 本 渡 市学 校林 設 置条 例施 行 市 制 施行 (本渡 佐伊 津 本 亀場 枦宇 土 楠 浦 志 柿 下 浦 ) 総 面 積1 22 ,56 平方 キロ 人口 約 4万 7百 人 初 代 市長 に金 子 亮夫 氏就 任 自 衛 隊発 足 県 警察 本部 発 足 消 防 署開 庁 本 渡 市漁 業協 同 組合 発足 吉 田 内閣 総辞 職 電 話架 設 本 渡 市森 林組 合 結成 本 渡 港完 成 天 草 産業 観光 大 博覧 会本 渡 港埋 立 地(1 1月 11 日 まで ) 第 8 回国 勢調 査 人口 8,9 2 7万 人 天 草 架橋 期成 会 発足 水 稲 耕作 に耕 耘 機使 用始 ま る 水 稲早 期栽 培 始ま る 政 府 買入 米の 予 約売 渡制 度 始ま る 客 馬 車な くな る 天 草の 人 口: 2 4万 余人 第 2 代本 渡市 長 に値 賀正 次 郎氏 就 任 日 ソ 国交 回復 国際 連合 に 加盟 千 人 塚落 成 殉 教慰 霊祭 開 催 天 草 雲仙 国立 公 園発 足 本 渡 市本 町支 所 廃止 岡 部 禅龍 氏が 教 育委 員就 任 売 春 禁止 法成 立 占 領軍 総 引揚 げ 宮 地 岳村 本渡 市 へ編 入 ミ ル ク給 食開 始 本 渡市 に テレ ビ が入 る 新 農 山漁 村建 設 対策 事業 実 施さ る 耕 運機 入 る 本 町 雪州 林道 が 完成 N H K熊 本テ レ ビ局 開局 瀬 戸 橋は ね上 げ 式に 改修 1万 円 札発 行 本 渡 町土 手区 大 火 本 村 に有 線放 送 電話 業務 開 始( 4 7年 4月 廃 止) 皇 太 子御 成婚 公 社 電話 自動 化 農 畜産 物 輸入 自 由化 酒 井 医院 改め 酒 井病 院開 設 二 江 沖の 原古 墳 発掘 始ま る 7千 年 前の 人骨 出 土 日 米 安全 保障 条 約調 印 第 3 代本 渡市 長 に横 山寛 人 氏就 任 熊 本 空港 オー プ ン 富 岡 で鱶 狩り 1 01 頭 市 営 グラ ウン ド 完成 第 1 5回 国体 (高校 軟 式野 球)開 催 蜜 柑 園造 成始 ま る 郡 内 で町 制施 行 進む (大 矢 野・ 河 浦・ 五和 ・ 苓北 ・天 草 ・ 松 島 ・有 明・ 竜 ヶ岳 ・倉 岳 ) 国 民 年金 法施 行 農 業基 本 法施 行 第 一 次瀬 戸開 削 工事 竣工 新 和 町発 足 1 96 2 1 96 3 1 96 4 昭 和3 7 5 3 4 5 5 6 7 8 9 9 9 10 昭 和3 8 2 4 昭 和3 9 11 6 6 6 10 10 10 10 12 1 96 5 昭 和4 0 2 11 1 96 6 昭 和4 1 2 8 8 9 11 11 1 96 7 昭 和4 2 3 4 4 4 6 本 町 寺領 農道 が 竣工 本 町 小学 校(本 渡市 最 初の 鉄筋 校 舎)落 成 完 全給 食開 始 姫 戸 町発 足 平 床 公民 館(分 校兼 用 )落 成 栃 光 大関 にな る 太 田 町 南 新町 埋立 完 成 天 草 架橋 着工 本 村 にプ ロパ ン ガス 普及 す る 天 草 西海 岸道 路 (大 江- 崎 津) 開 通 水 中 翼船 就航 (本渡 三 角 本 渡島 原 ) 本 町 中学 校に 校 歌を 制定 栖 本 町発 足 本 町 保育 園開 園 60 名 理 事長 松 下義 雄 園 長 鶴田 義正 本 渡 ~熊 本間 の 電話 ダイ ヤ ル即 時 化 県 立 天草 工業 高 校開 校 深 海 村出 身力 士 の栃 光が 大 関昇 進 御 所 浦町 発足 本 町 支館 から 本 町公 民館 へ 移行 本 渡 市農 業協 同 組合 誕生 本 渡 市農 協下 河 内出 張所 開 設 ヘ リ コプ ター に よる 農薬 散 布実 施 農 業 構造 改善 事 業実 施 平 床に 果 樹園 (14 .39 ha)造 成 本 渡 町中 央商 店 街大 火(損 害約 1 0億 円 ) 舟 浜 地区 埋立 完 成 オ リ ンピ ック 東 京大 会開 催 岡 部 禅龍 氏教 育 委員 長に 就 任 本 町 中学 校技 術 実習 室(1 16 ㎡ )竣工 本 町 ~坂 瀬川 線 竣工 天 草 四郎 陣中 旗 が国 重要 文 化財 に 指定 東 海 道新 幹線 開 通 米 、 北ベ トナ ム 爆撃 開始 本 町 で水 稲一 斉 航空 防除 公 社 電話 全国 即 時通 話網 に 編入 天 草 みか ん第 一 選果 場落 成 米 づ くり 運動 実 施 吉 展 ちゃ ん事 件 本 町 中学 校第 二 運動 場(8 13 ㎡ )新設 本 渡 中学 校落 成 天 草 職業 訓練 所 落成 本 町 掛道 に精 薄 児施 設天 草 学園 開 設 天 草 切支 丹館 落 成 天 草 五橋 開通 本 渡 市農 協ミ カ ン低 温貯 蔵 庫落 成 市 庁 舎落 成 消 防庁 舎落 成 大 旱 魃 新 休 の門 前橋 が 竣工 カ ラ ーテ レビ 入 る 新 県 庁舎 落成 県 営 楠浦 ダム 完 成(1 06 万トン.工 費5 億4 千万 円 ) 本 町 小学 校特 殊 学級 二学 級 設置 本 町 中学 校特 別 学級 設置 ア ラ ブ諸 国と イ スラ エル の 中東 戦 争開 始 7 8 9 11 1 96 8 昭 和4 3 4 5 6 1 96 9 9 10 11 11 昭 和4 4 1 3 7 8 10 1 97 0 昭 和4 5 5 5 6 8 8 1 97 1 10 10 11 昭 和4 6 3 1 97 2 4 6 7 7 12 昭 和4 7 4 5 7 1 97 3 昭 和4 8 2 3 4 5 港 大 橋竣 工 本 町 中調 理室 (67 ㎡ )竣 工 ホ ー バー クラ フ ト就 航 本 渡~ 熊 本要 江港 本 町 掛道 に精 薄 者施 設苓 山 寮開 設 県 下 全域 大干 ば つ 皇 太 子.美 智子 妃殿 下御 行 啓 天 草 農業 経済 圏 共販 セン タ ー落 成 本 渡 市農 協長 に 松下 義男 氏 就任 本 町 福岡 に温 水 循環 育苗 ハ ウス 設 置(葉 煙草 ) 水 俣 病を 公害 認 定 第 2 3回 県民 体 育大 会開 催 本 渡 ~大 矢野 間 完全 舗装 市 民 セン ター 開 館 本 渡 郵便 局舎 落 成 郵便 番 号制 発 足 東 大 紛争 学生 37 4 人逮 捕 熊 大紛 争 本 渡 交通 セン タ ー落 成 蜜 柑 選果 場落 成 枦 原 パイ ロッ ト 事業 完成 ア ポ ロ1 1号 月 面着 陸 医 療 法人 啓正 会 酒井 病院 と 改称 県 天 草総 合庁 舎 落成 誘 致 企業 ( 渋谷 電器 羊 角 湾干 拓工 事 起工 都 呂 々竹 の 迫炭 坑閉 山 本 渡 -富 岡間 が 国道 32 4 号線 と なる 羊 角 湾地 域総 合 開発 事業 始 まる 米 軍 北 ベ トナ ムを 猛 爆撃 本 町 中学 校体 育 館(5 10 ㎡)竣 工 本 渡 市議 員定 数 26 名に 天 草 総合 庁舎 落 成 本 町 掛道 にに 火 葬場 完成 ( 総工 費 1,4 15 ,0 0 0円 ) カ ラ ーテ レビ 普 及 米の 生 産調 整 始ま る 日 本万 国博 開 幕 本 町 公民 館移 転 改築 落成 19 9 ㎡ 28 9 万円 本 町 青年 団虫 追 い太 鼓復 活 宇 土 分校 改築 落 成 農 免 道路 本渡 ~ 五和 間完 工 本 渡 地区 消防 組 合発 足 新 熊 本空 港開 港 沖 縄 返還 協定 調 印式 市 営 グラ ウン ド ナイ ター 施 設完 成 本 町 小学 校プ ー ル完 成 下 河内 簡 易水 道完 成 円 切 上げ (1 ド ル3 08 円 ) 地 域 集団 電話 開 通 有線 電 話廃 止 横 浜 でカ ラオ ケ 始ま る 沖 縄 返還 、県 民 95 万の 沖 縄県 発 足 日 中 国交 回復 ( 田中 角栄 ) 天 草 上島 に集 中 豪雨 山津 波発 生 死者 不明 1 23 名 家 屋 全半 壊8 百 戸 二 又 橋架 設 田 代橋 架設 林 業 構造 改善 事 業林 道 広 野線 開 通 本 町 中家 庭科 室 音楽 室(1 69 ㎡ )竣工 天 草 広域 消防 組 合開 所 中 央 公民 館.勤 労青 少年 ホ ー ム完 成 11 1 97 4 昭 和4 9 5 11 1 97 5 昭 和5 0 12 4 5 6 6 7 8 10 1 97 6 昭 和5 1 2 3 4 4 1 97 7 10 11 昭 和5 2 3 4 5 1 97 8 昭 和5 3 3 3 4 10 1 97 9 昭 和5 4 3 9 9 1 98 0 昭 和5 5 2 9 県 立 天草 青年 の 家開 設 熊 本 大洋 デパ ー ト大 火災 石 油 ショ ック に より 温州 ミ カン 価 格大 暴落 県 立 天草 東高 校 ・天 草西 高 校発 足 本 町 新休 に県 立 天草 養護 学 校開 校 小 中学 校 の特 殊学 級 廃止 普 門 院.光 徳庵 .香 福 庵 廃 庵 天 草 瀬戸 大橋 開 通 市 の 木「 樫」 を 選定 福 岡 樋の 口橋 架 設 市 役 所行 政機 構 改革 部長 制採 用 と お しも ん復 活 枦 原 に知 的障 害 者更 正施 設 「南 海 寮」 認可 志 岐 炭鉱 閉山 本 渡 市文 化財 に 東向 寺歴 代 住職 の 墓を 指定 本 渡 市農 協本 町 支所 落成 学 校 給食 セン タ ー施 設完 成 中 学 校も 学 校給 食始 ま る 五 橋 通行 料無 料 化 農 地 転用 転作 (小麦 .大 豆 )奨励 農機 具セ ンタ ー 落成 本 町 小学 校創 立 百周 年記 念 式典 挙 行 人 口 2 64 6 人 世帯 57 6 戸 ロ ッ キー ド事 件 発覚 十 万 山展 望台 完 成 行 政 自治 会長 制 度発 足 本 渡 市青 少年 セ ンタ ー発 足 本 町 寺領 青壮 年 会設 立 初 代会 長 に鶴 田経 久 氏 日 中 海底 ケー ブ ル開 通 広 域 農道 トン ネ ル開 通 本 渡 市立 図書 館 .南 公民 館 落 成 本 町 東向 寺保 育 園開 園3 6 名 園 長岡 部禅 龍 氏 本 渡 地区 清掃 セ ンタ ー操 業 開始 地域 農政 特 別対 策事 業 始 教 良 木ダ ム完 成 本 町 福岡 青壮 年 会設 立 初 代会 長 に松 下行 男 氏 本 渡 バス セン タ ー落 成 下 島横 断 有料 道路 完 成 本 町 枦原 青壮 年 会設 立 初 代会 長 に鶴 田功 氏 浄 水 セン ター 処 理開 始 瀬 戸歩 道 橋完 成 高 速 船就 航 本 渡~ 島原 天 草 下島 北部 地 区広 域農 道 完成 道目 木ト ン ネル 完成 下 河 内に テレ ビ 中継 局開 局 NHK RKK TKU 電 話 ダイ ヤル 化 平 床 公民 館改 修 掛 道橋 架 設 第 3 4回 県体 天 草大 会 温 州ミ カ ン園 転換 促 進事 業実 施 錦 島 野 菜 一次 加工 施 設落 成 本 町 小学 校体 育 館落 成工 費 5,0 48 万 歴 史 民俗 資料 館 完成 運 動 場完 成1 1 ,7 65 ㎡ 工 費 7,2 99 万 本 町 新休 寺領 地 区圃 場整 備 完成 30ヘクタール 工費 2億 4 ,4 9 8万 6 千円 掛 道 自治 公民 館 改修 農 用 地高 度利 用 促進 事業 始 まる 1 98 1 1 98 2 10 10 11 昭 和5 6 2 4 5 昭 和5 7 3 4 9 1 98 3 昭 和5 8 3 3 3 3 1 98 4 昭 和5 9 1 9 1 98 5 1 98 6 11 昭 和6 0 1 0 11 12 昭 和6 1 2 3 3 1 98 7 昭 和6 2 1 98 8 昭 和6 3 4 1 98 9 昭 和6 4 3 9 1 1 98 9 平成 2 元 11 本 町 下河 内青 壮 年会 設立 初代 会 長に 森寅 信 氏 国 勢 調査 (1 億 1, 70 5 万7 4 85 人) 米 飯 給食 週2 回 実施 第 1 回市 民大 運 動会 開く 早 期 米コ シヒ カ リ導 入 栽 培講 習 会 市 立 民族 資料 館 開館 亀 川 ダム 貯 水始 まる 枦 の 原公 民館 改 修 本 町 横久 保青 壮 年会 設立 初代 会 長に 松村 真 澄氏 福 岡 地区 圃場 整 備完 成 福 祉 セン ター .保健 セン タ ー 完成 県 営 亀川 ダム 完 成 総合 武 道館 完 成 学 校 規模 適性 化 審議 会発 足 本 渡 中央 銀店 街 アー ケー ド 増築 本 町 新休 青壮 年 会設 立 初 代会 長 に岡 部有 恒 氏 本 町 小学 校ナ イ ター 施設 完 成 7 58 万円 鶴 地 区圃 場整 備 完成 新 休 公民 館 改修 横 久 保公 民館 改 修 水 平 ~下 河内 間 二車 線化 一の 瀬 橋架 設 毛 利内 科新 築 移転 学 校 規模 適正 化 審議 会の 答 申で る 市 庁 舎増 築工 事 完成 政 府 臨時 行革 推 進議 会意 見 書提 出 本 町 小学 校宇 土 分校 閉校 ( 昭和 2 3年 開校 ) 本 町 平床 青壮 年 会設 立 初 代会 長 に松 下義 重 氏 鈴 木 神社 33 0 周年 大祭 拝殿 新 築落 成 市 の 瀬眼 鏡橋 と 石碑 を本 渡 市文 化 財に 指定 第 9 代本 渡市 長 に久 々山 義 人氏 就 任 本 渡 の歌 「本 渡 わが 街」 決 る 本 町 鶴青 壮年 会 設立 初 代 会長 に 若林 一也 氏 市 制 施行 30 周 年記 念式 典 市 の 鳥「 カワ セ ミ」 を選 定 第 1 回ト ライ ア スロ ン天 草 大会 開 催 本 渡 市行 財政 改 革推 進協 議 会発 足 港 新 橋開 通 本 渡 市行 財政 改 革大 綱を 発 表 本 渡 警察 署東 浜 派出 所完 成 本 町 小学 校平 床 分校 廃校 ( 昭和 2 7年 開校 ) 本渡市PTA会長・学校給食会長・天草PTA会長に鶴田功氏 就任 消 防 防災 無線 開 局 天草 島 原の 乱 35 0年 祭 開か る 町 内 で施 設園 芸 (ハ ウ ス)農 業始 ま る 新 休 運 動 広場 完成 県 道 下 河 内~ 新休 間 二車 線化 広 瀬 公園 野球 場 完成 本 渡 運動 公 園改 修工 事 完成 米 国 カリ フォ ル ニア 州エ ン シニ タ ス市 と姉 妹 都市 締結 昭 和 天皇 崩御 魚 貫 崎漁 港に 難 民船 (1 6 7人 ) が漂 着 昭 和 天皇 大喪 の 礼 広 瀬 公園 野球 場 (長 島茂 雄 球場 ) 完成 消 費 税ス ター ト 本 渡 五和 農業 協 同組 合発 足 ベ ル リン の壁 崩 壊 11 11 1 99 0 平成 2 3 1 99 1 1 99 2 平成 平成 6 10 10 11 11 12 3 1 4 4 6 9 11 11 12 4 1 3 6 10 1 99 3 平成 5 7 9 1 99 4 平成 1 99 5 平成 1 99 6 平成 1 99 7 平成 12 6 2 4 7 11 7 1 3 4 12 6 12 9 2 4 8 大 矢 遺蹟 から 九 州最 古の 土 偶出 土 本 渡 勤労 者福 祉 セン ター 開 館 東 西 ドイ ツ統 一 本 町 公民 館落 成 第 1回 ふ るさ と 祭り 実施 広 瀬 砂防 ダム 完 成(宇 土) 枦 原 運動 広場 完 成 寺領 自 治公 民 館落 成 ペ ル ー大 統領 に 日系 2世 フ ジモ リ 氏( 川内 町 )当 選 東 西 ドイ ツ4 5 年ぶ りに 統 合 ベ ルリ ン の壁 崩壊 県 民 文化 祭(本 渡市 牛深 市 ) 雲 仙 普賢 岳噴 火 天 草 森林 組合 発 足 本 町 町 づ くり 推進 委 員会 発足 中 東 湾岸 戦争 勃 発 県 知 事に 福島 譲 二氏 が初 当 選 市 立 看護 専門 学 校開 校 ソ 連 邦ゴ ルバ チ ョフ 大統 領 初来 日 市 立 看護 専門 学 校開 校 誘 致企 業 西 九 州部 品営 業 開始 雲 仙 普賢 岳大 火 砕流 発生 台 風 17 号・ 1 9号 県下 災 害甚 大 第 一 回市 民文 化 祭開 催 鈴 木 神社 顕彰 祭 を1 1月 2 3日 ( 勤労 感謝 の 日) 催行 ソ ビ エト 社会 主 義共 和国 連 邦解 体 商 工 会館 完成 本 町 町 誌 編纂 委員 会 発足 シ ル バー 人材 セ ンタ ー設 立 東 向 寺庫 裡屋 根 工事 あ ま くさ 農業 協 同組 合発 足 都 呂 々漁 港に 中 国密 航者 ( 61 人 )上 陸 天 草 学林 開設 4 00 年祭 開 催 日 本 ポル トガ ル 友好 50 年 祭開 催 連 合 政権 樹立 細川 総理 誕 生( 日 本新 党) 政 府 、米 市場 部 分開 放を 決 定 台 風 13 号九 州 被害 甚大 冷夏 で 米不 作 山 口 ~道 面間 二 車線 化 掛 道橋 架 設 下 河 内自 治公 民 館新 築再 建 H Ⅱ 型国 産ロ ケ ット 打上 げ 成功 米 穀 緊急 輸入 ウ ル グア イラ ウ ンド 最終 合 意 1 ドル 10 0 円を 突破 向 井 千秋 日本 人女 性 初の 宇宙 飛 行士 に 政 治 改革 法成 立 阪 神 淡路 大震 災 (M 7・ 2 、死 者 5千 余名 ) オ ウ ム真 理教 事 件 円 が 戦後 最高 値 を記 録 東 京 外国 為替 市 場で 1ド ル 79 円 75 銭) 熊 本 市が 中核 指 定都 市 苓 北火 電 本格 稼働 東 向 寺開 創3 5 0年 法要 〔 天 草方 言集 〕 ホー ムペ ー ジ開 設 枦 原 下自 治公 民 館新 築再 建 東 向 寺3 1世 入 山式 迦 葉 寺法 堂、 庫 裡を 新築 再 建 1 99 8 平 成1 0 1 99 9 平 成1 1 2 00 0 平 成1 2 1 3 3 3 4 5 12 2 00 1 平 成1 3 11 12 2 00 2 平 成1 4 3 4 5 6 8 9 2 00 3 平 成1 5 3 3 4 2 00 5 10 10 平 成1 6 4 7 10 平 成1 7 1 2 00 6 平 成1 8 2 00 7 平 成1 9 2 00 4 2 00 8 3 6 10 平 成2 0 4 10 本 渡 ~熊 本新 港 間に 高速 艇 マリ ン ビュ ー就 航 御 所 浦町 で肉 食 恐竜 の歯 を 発見 本 渡 祇園 橋国 重 要文 化財 に 指定 〔 天 草方 言集 〕 鶴田 功著 発 刊 天 草 エア ライ ン 株式 会社 設 立 本 渡 馬場 ~法 泉 寺間 バイ パ ス開 通 鈴 木 正三 シン ポ ジュ ーム が 開催 さ れる 三 県 架橋 シン ポ ジュ ーム が 開催 さ れる 熊 本 未来 国体 開 催 携帯 電 話が 一 般に に普 及 する 天 草 広域 連合 設 置 福 島 県知 事死 去 新 本 渡清 掃セ ン ター 落成 天 草 空港 開港 、 ダッ シュ エ イト 就 航 ホ ー ムペ ージ 〔 天草 本邑 の あゆ み 〕開 設 潮 谷 義子 知事 誕 生 第 1 3代 本渡 市 長に 安田 公 寛氏 就 任 東 向 寺3 1世 岡 部守 信和 尚 晋山 式 天 草 中央 漁業 協 同組 合発 足 J A 本渡 五和 本 町支 所新 築 移転 天 草 消防 組合 ・ 衛生 施設 ・ 斎場 管 理組 合が 広 域連 合に 統 合 学 校 給食 に強 化 磁気 食器 導 入 普 門 院境 内の 子 安弘 法大 師 堂新 築 再建 ニ ュ ーヨ ーク 市 同時 多発 テ ロ 東 向 寺で 天草 土 人形 展が 開 かれ る 天 草 アー カイ ブ ス( 文書 館 )開 館 ワ ー ルド カッ プ サッ カー 大 会が 開 かれ る 天 草 地域 森林 組 合発 足 本 町 「ま ちづ く り実 行委 員 会」 発 足 ホ ー ムペ ージ 「 本町 のホ ー ムペ ー ジ」 開設 県 道 寺領 平~ 引 地線 開通 天 草 2市 8町 で 「天 草合 併 協議 会 」設 置 寺 領 迦葉 寺に 葛 西啓 二和 尚 が入 山 イ ラ ク戦 争勃 発 J A 本渡 五和 が 機構 再編 、 北支 所 本町 支店 と なる あ ま くさ 漁業 協 同組 合発 足 掛 道 に天 草本 渡 斎場 落成 本 町 公民 館 全 国優 良公 民 館表 彰 受賞 鈴 木 重成 公没 後 35 0年 式 典 第 1 4代 本渡 市 長に 安田 公 寛氏 就 任 天 草 2市 8町 で 天 草合 併 協議 会 再 設置 本 町 小学 校 PTA が 日 本 PTA 連 合会 表 彰・ 文部 大 臣表 彰受 賞 県 知 事に 「廃 置 分合 申請 書 」提 出 天 草 漁業 協同 組 合発 足 〔 本 町の 歴史 〕 発刊 天 草 市発 足 枦 原 に老 人福 祉 施設 葉山 苑開 設 年 金 記録 未統 合 判明 郵 政 民営 化ス タ ート 下 河 内に 老人 福 祉施 設 天 領の 杜 開設 日 本 人 4 人 が ノー ベル 賞 2 00 9 2 01 0 2 01 1 2 01 2 11 5 8 平 成2 2 2 3 4 6 9 平 成2 3 3 3 7 9 平 成2 4 平 成2 1 2 01 3 平 成2 5 2 01 4 26 2 01 5 2 01 6 27 28 1 1 5 6 2 2 10 4 5 7 9 ア メ リカ で史 上 初の 黒人 系 のオ バ マ大 統領 が 誕生 迦 葉 寺11世晋 山 式( 葛西 啓 二和 尚 ) 衆 院 で民 主党 圧 勝 政権 交 代成 る 鳩 山由 起 夫総 理誕 生 郷 土 の本 ・著 者 の集 い( 熊 本県 文 化教 会) 本 町 中学 校閉 校 本 渡 中・ 本町 中 ・佐 伊津 中 が統 合 して 本渡 中 学校 に校 名 変更 菅 直 人総 理 尖 閣 諸島 で中 国 漁船 が巡 視 船に 衝 突 東 日 本大 震災 ・ 福島 原発 事 故 九 州 新幹 線全 線 開通 東 向 寺鐘 楼堂 再 建 第 9 5代 野田 佳 彦総 理大 臣 領 有 権問 題( 尖 閣・ 竹島 ) 悪化 東 向 寺保 育園 新 築移 転 阿 蘇 集中 豪雨 で 被害 甚大 山 中 伸弥 教授 ノ ーベ ル賞 授 賞 衆 議 院自 民党 圧 勝 安倍 晋 三総 理 〔 天 草方 言集 第 七版 〕発 刊 ( 熊 日・ 西日 本 新聞 掲載 ) 〔 天 草方 言で 読 む古 典集 〕 発刊 郷 土 の本 ・著 者 の集 い( 熊 本県 文 化協 会 日 航ホ テル 熊 本) 〔 天 草方 言集 第 八版 〕発 刊 〔 天 草狂 句集 〕 発刊 熊 本 地震 被 害 甚大 東 向 寺法 堂・ 庫 裡大 改修 〔 天 草方 言集 第 九版 〕発 刊 〔 天 草方 言で 読 む古 典集 第 二版 〕 発刊
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