アキテーヌの馬

シェリーについて
シェリーはスペインのヘレス地方を原産とするワインの銘酒。酒精分はブランデーを加
15∼19%である。シェリーの特長は、
え補強してあるので、普通のワインより高く、
そのコク味と独特の芳香を持っていることで、これは醸造工程で主発酵の終わったワイ
ンの表面に特殊の酵母が別に増殖し、皮膜をつくる結果、シェリー特有の香気が生まれ
るのである。酒の色は淡黄色から褐色であって、味も甘口、辛口、その中間もある。十分
に熟成させたもので、味はまるみをおび、その芳香とあいまって普通のワインにない風
格を持った酒である。ドライのシェリーは、完全な食前酒として、スープにもよく合う
とされ、甘口のシェリーは、ポート以上に食後の酒として貴ばれる。シェリーの原料とな
るぶどうの畑は、セヴィラの南、ヘレス・デ・ラ・フロンテラの町の周囲にある。この
辺は毎年春に催される馬市で有名な所で、ヘレスはワインと馬の町である。シェリーを
生産する地帯はヘレスの付近であるが、最も良質なものは通称三角地帯と呼ばれる地区
のなかにできる。これは三つの都市、ヘレス・デ・ラ・フロンテラとサンルカール・デ
バラダメとエルプエルト・デ・ラ・サンタマリアを結ぶ不整三角形地帯である。この地
区は白亜の石灰岩土質であり、その石灰のため良質のぶどうができ、また夏の熱気から
も、湿気をおびている地面によって守られている。なおこの地区以外にはまた粘土質と
砂質の混じった石灰岩地帯、アルミナとケイ酸に富んでいる地区など、ぶどう園のある
土質もさまざまで、これによってもいろいろのタイプのシェリーができるのである。シ
ェリーのタイプはいろいろあり、Fino Amontillado Oloroso
など数が多い。
歴史
シェリーという名前はラテン語の Xeres’ アラビア語の Sherrisch からきている。ぶ
どう酒は紀元前1000年位にフェニキア人がこのヘレスの街をつくってからこの地
帯に栄えた。やがてギリシア人、ローマ人が約四百年支配する。バンダル人が支配する
ころアンダルシアとよばれるようになる。700年台にはムーア人がやってくる。そし
て1260年代までこの地はキリスト教とイスラム教の間の境に位置していた。現在の
シェリーの原点になったものが造られ始めたのはレコンキスタの後期である
アルフォンソ
年に
世によってヘレスが奪回されてからである。これに対し、当時の英国
ではその寒い気候のため葡萄などの栽培に向いておらず、英国産の酒といえば穀物原料
のものばかりであった。
このため12∼14世紀の間は、当時英国領であった『アキテーヌ』(現在のボルドー周辺)
からワインを自国領の製品の一つとして、英国へ運んでは消費していた。これが後の『ク
ラレット』と呼ばれるものになる。
ところが後の1339年に、英国のエドワード
世がフランスの王位敬承権を主張し、
これを発端として英仏間で「百年戦争」が勃発し、そしてこの戦争の影響で、戦場とな
った『アキテーヌ』からはワインを初めとする商品の交易が断たれてしまった。そして
戦争の続く中、英国内で酒の需要に対して供給が追い付かなくなると、『アキテーヌ』
産のワインに代わるモノを求める動きが出てきた。英国は戦地のフランスを避けて南下
し、寄港するのに好都合だったスペインの「カディス港」に来て、その周辺で造られて
いた『ヘレス・ワイン』に注目した。 ただ、まだこの頃はその現在のような醸造方法
(酒精強化)ではなく、ほとんどがスティル・ワインのようだった。やがて百年戦争も
落ち着きを見せ始めた
世紀頃には、ヨーロッパや地中海地帯では交易がますます盛
んになり、各国は競って外海へと動き始めるようになる。中でもエンリケ王子、ヴァス
コ・ダ・ガマコロンブスなどが他国に先立って外洋航海を始めて、『大航海時代』の