[人工妊娠中絶] 人工妊娠中絶問題 ∼クリントン政権以降の政策とプロ・ライフ∼ 川口 目次 序章 第1章 第2章 第3章 第4章 終章 洋介 歴史的背景 プロ・ライフとは クリントン政権とプロ・ライフ ブッシュの路線 序章 アメリカではこの 30 年間、司法、政治の場において人工妊娠中絶を巡って激しい論 争が繰り広げられてきた。中絶についての論争はその激しさからよく「内戦」と表現 される。胎児の生命、権利を尊重するプロ・ライフ派と女性の自己決定権を重視する プロ・チョイス派の対立は、ときにはプロ・ライフ派による中絶を行う医師への暴行、 殺害、中絶クリニックに対する嫌がらせといった様々な暴力行為を伴ってきた。殺人 などの凶悪な暴力行為が目立つようになったのは、1992 年にプロ・チョイス派の民主 党クリントン大統領が就任してからのことである。本論文ではクリントン政権期にと られた様々な政策と、それらに対するプロ・ライフ派の活動について見ていく。これ によってプロ・チョイスのクリントン大統領のもとプロ・ライフ派がどのような立場 にあり、また、どのように考えていたのかといったことについて明らかにする。さら に後半ではレーガン・ブッシュ大統領と異なり「思いやりの保守主義」を掲げるジョ ージ・W・ブッシュ大統領とプロ・ライフ派の関係についても触れ、今後のプロ・ラ イフ派と中絶問題の行方についても考えていきたい。 第 1 章 歴史的背景 1973 年 1 月、連邦最高裁は中絶を合法とする画期的な判決を下した。この判決は一 般的にロウ対ウェイド判決と呼ばれているが、実際はロウ対ウェイド、ドウ対ボルト ンという 2 つの裁判から構成されていた。これら 2 つの裁判では、女性に生命の危険 がある場合を除いて中絶を禁止したテキサス州法と、医学的理由から中絶を受ける際 に様々な制約条件を課したジョージア州法の合憲性が問われた。この判決によって人 工妊娠中絶が条件付とはいえ合法化されたことは、中絶論争を終息させるどころか中 絶反対の立場の人々に危機感を与え、以後今日まで続く論争のきっかけとなった。 1980 年代に入ると、プロ・ライフ派はさらに組織を強化、政治力をつけ、レーガン・ ブッシュ両大統領のもと中絶に関わる連邦機関への予算の削減、中絶反対派の連邦最 高裁判事の任命といったプロ・ライフ的な政策がとられた。さらに裁判においても 1989 年には中絶の権利を支持する一方、州の中絶規制権を認めたウェブスター判決、 1992 年にはペンシルヴェニア州法を巡って、女性に「不当な負担」を課さない限りは 州の規制は合憲であるとするケイシー判決が下された。しかし、この時代、ロウ対ウ ェイド判決を覆すことができなかったこと、反対派の期待を背負ったレーガン政権が 人間の生命は受胎の瞬間から存在することを明記する憲法修正に失敗したことに不満 53 三田祭論文集 2002 を募らせたプロ・ライフ過激派による暴力行為が増加するようになった。1984 年を境 にほぼ毎年 10 件以上の中絶クリニックに対する放火、爆破事件が発生している1。 このような時代背景のもと 1993 年 1 月、クリントン政権が誕生するのである。 第 2 章 プロ・ライフとは 第 1 節 プロ・ライフ派組織 中絶反対の立場をとる人びとはプロ・ライフと呼ばれる。中絶反対を最初に訴えた のはカトリック教会であった。彼らは「人間の生命は受胎の瞬間から始まる。よって 受精卵や胎児は1人の人間であり、中絶は殺人である」と主張し、全米生存権委員会 (National Right to Life Committee:NRLC) 、生命を守る活動委員会を組織してき た。カトリックの立場では強姦、近親相姦の結果妊娠したとしても中絶は認められな い。 NRLC は全米 50 州とコロンビア特別区に 3000 以上の支部を持つアメリカ最大のプ ロ・ライフ団体であるが、もとは 1966 年にジェームス・マクヒュー神父が少数の反中 絶活動家を集めることでスタートした団体である。1973 年以降、政教分離に違反した としてカトリック教会が免税措置を受けられなくなるのを避けるため、指導者にプロ テスタントをあてるなど、脱カトリック化が計られたが、人員、資金などの面でカト リック教会が組織を援助し続けたことは明らかであった。1980 年に行われた調査によ れば、NRLC のメンバーの約 70%をカトリック信者が占めており、これは国民全体の カトリックの比率の 2.5 倍にあたる2。 1973 年のロウ対ウェイド判決以降、プロ・ライフ運動はカトリックをはじめ、プロ テスタント原理主義、モルモン教、正統派ユダヤ教、ブラック・ムスリムといった宗 教右翼、ニューライト、中絶に限らずあらゆる殺人に反対する人々などに広まり、複 雑なものとなった。彼らは、生命の尊厳、中絶と殺人は同じとする、家父長的な古き 良き家族観といった点では共通であったが、決して一枚岩ではなく多くの違いを含ん でいた。代表的な団体としては前述の NRLC の他に Family Research Council、 Focus on the Family、クリスチャン・コアリション、イーグル・フォーラム、モラル・ マジョリティなどが挙げられる。 第 2 節 プロ・ライフ派の活動 中絶に反対するプロ・ライフ派の活動は非常に多様である。議会では反対派議員を 通じて立法活動が行われる。前述のように人間の生命は受胎の瞬間から存在すること を明記するよう求める憲法修正法案が提出され、メディケイド(貧困者向けの医療扶 助制度)による中絶を阻止するため、保健教育福祉省の次年度の予算案に、中絶への 支払い、または中絶を促進、奨励することへの連邦予算の支出を禁じるというハイド 修正案を成立させた。 胎児も人間であり、中絶は殺人であるという主張に説得力を持たせるため、ヴィジ ュアル・イメージも利用されてきた。中絶された胎児の写真がビラやパンフレットと して大量にばらまかれ、法廷には胎児の標本が持ち込まれる。さらには胎内の胎児の 様子を撮影した『声なき叫び』などのビデオを用いて、自分たちの主張を人びとに浸 透させるのである。 1980 年代半ば以降には過激なプロ・ライフ組織が結成され、中絶クリニックへのピ ケ、爆破、放火、女性が中絶を受けたことを家族や近所に暴露する、関係者への脅迫 54 [人工妊娠中絶] 電話等の妨害・暴力行為が急増した。1984 年には中絶クリニックの爆破が 18 件と過 去 7 年間の合計の 2 倍以上も発生している3。過激派の代表的な組織としては、オペレ ーション・レスキュー(OR)がある。 プロ・ライフ派を形成する保守派団体は選挙においても資金的、さらには人的に非 常に大きな影響力を特に共和党に対し発揮し、保守派議員の当選に貢献している。資 金面では 1998 年の連邦議会選挙において、NRLC は総額約 11 万ドルの政治献金を行 ったが、そのうち 92%は共和党候補に対しての献金であった4。人的影響力については、 クリスチャン・コアリションは 100 万人以上の会員、全米 50 州に 1500 以上の支部を 抱え、2000 年選挙では 7000 万枚の投票者ガイドを配布した5。NRLC もホームページ 上で、議員の法案に対する態度をスコアカードにして公表している。また、各議員の 名前の前には必ず Pro-life、または Pro-abortion という表示がされており、中絶に対 する態度によって完全な差別化が図られている。これらの保守派団体はレーガン政権 以降、共和党にとっては無視できない支持基盤となっており、選挙においては共和党 候補者の中絶に対する態度が結果に大きな影響を及ぼしてきた。一方、保守派団体に とっても自分たちの主張を政策的に実現していくうえで共和党の存在は非常に重要な ものとなっている。 このところ中道化が進むアメリカ社会において、共和党も中道寄りの姿勢をとり、 ブッシュ大統領も「思いやりのある保守主義」を掲げている。クリスチャン・コアリ ションもより広い国民の支持を獲得するため、倫理観を前面に押し出す戦術から、犯 罪防止、減税などを主張するように変わってきた。しかし、ほとんどの原理的宗教右 派は妥協を認めず、プロ・ライフ派は 1992 年大統領選挙以降、重要な支持基盤である と同時に共和党を苦しめる原因ともなっている。 第 3 章 クリントン政権とプロ・ライフ 1992 年の大統領選挙では、現職ブッシュ陣営は中絶問題について触れずにいこうと 考えていた。しかし、保守派の支持を得るため結局中絶禁止の立場を固持し伝統的価 値観を強調したため、ブッシュは男性票ではクリントンと 4%の差であったものの、女 性票では 11%の差が開き、敗北の主要な要因となった6。 クリントン大統領はロウ対ウェイド判決 20 周年の 1993 年 1 月 22 日に、それまで の中絶規制措置を撤廃する大統領命令に署名した。廃止されたのは、連邦政府から資 金援助を受けている医療機関に女性に対して中絶についてのアドバイスをすることを 禁じた「ギャグ・ルール」 、国連の国際家族計画担当組織への資金提供の禁止、海外の 軍関係病院での患者の自己負担による中絶の禁止、中絶された胎児の組織を使用した 医学研究への連邦予算の提供禁止、そして経口中絶薬 RU486(ミフェプリストーン) 輸入禁止の 5 点であった。 第 1 節 プロ・ライフ派の過激化 このプロ・チョイス派政権の誕生にプロ・ライフ派は不満を募らせ、1993 年 3 月に はフロリダ州で中絶クリニック医師が射殺され、プロ・ライフ派による初めての殺人 事件が発生した。その後も殺人事件は続き、1994 年までに中絶医やクリニックの職員 5 人が殺害され、6 人が死亡している。これに対し政府は 1994 年 5 月に「クリニック へのアクセス自由法」 (Freedom of Access to Clinic Entrances Act 通称 FACE)を制 定した。これはクリニックに入ろうとする医師、職員や女性を妨害、脅迫、傷つける ことを連邦犯罪とし、初犯でも 6 ヶ月以下の禁固刑とする法律である。この法律では、 55 三田祭論文集 2002 生殖医療サービスを提供しているという理由からその施設を破壊することが禁じられ、 また、犯罪行為の中には非暴力的なものも含まれており、それらの行為に対する罰金 額、投獄期間なども具体的に記載されている。 FACE 制定後も 1998 年には、クリントン大統領は司法省内に医療保護提供者に対す る暴力行為特別対策本部(タスク・フォース)を創設するなど暴力行為の減少に力を 注いできた。しかし、1998 年にはアラバマ州の中絶クリニックが爆破され、2 人が死 傷、ニューヨーク州では中絶医が射殺されるといった事件が発生している。殺人事件 に対し、カトリックの司祭、オペレーション・レスキューのリーダーなど数十名のプ ロ・ライフ活動家は、「正当である」との声明を発表している。暴力化という点では、 1999 年 2 月には、 「反人類的な罪を犯す者」として中絶手術を行う医師計 282 人の顔 写真や住所を掲載したプロ・ライフ派生命活動家連合(ACLA)のホームページ「ニュ ルンベルグファイル」の開設者に対し、約 1 億 900 万ドル(約 120 億円)の支払いを 命じる評決も出されている7。殺害された医師の名前には傍線が引かれ、負傷した医師 の名前は灰色に変えられていた。連邦裁判官は、過激なプロ・ライフ活動家に対し、 殺害を脅迫する違法なコミュニケーションを止めるように命令したが、このホームペ ージは現在も存続している。 第 2 節 部分出産中絶禁止法 過激派による暴力のエスカレートは世論の反発を招き、1994 年の世論調査では、無 条件に中絶の権利を支持する人の割合が、それまでの 20%台から 38%へと大きく上昇 した 8 。しかし、1994 年の中間選挙では共和党は「国民との契約(Contract with America) 」の中で中絶の非合法化などの争点を外すなどの配慮を見せ上下両院におい て圧勝し、1995 年以降、世論に反し多くのプロ・ライフ政策が提出されてきた。 その中でも特に民主・共和両党が激しく争っているのが「部分出産中絶禁止法」 (Partial-Birth Abortion Ban Act)である。この法案は、女性の生命を救うために必 要な場合を除き、胎児の体の一部を産道内に出させた後、胎児を殺してから娩出させ るという特定の中絶方法を禁止するものであり、女性に対し冷たい共和党というイメ ージを払拭しようという戦略の変化の現れであったが、解釈次第ですべての中絶を事 実上禁止しようという狙いをもったものであった。この法案は議会を2度通過したが、 共にクリントン大統領に拒否権を発動されている。その後、下院はオーバーライド(3 分の 2 以上の賛成により拒否権を乗り越えること)に成功するものの、上院は 2 度と もオーバーライドに 3 票及ばず成立に失敗した。法案の成立には失敗したものの、上 院では 13 人の民主党議員が賛成票を投じており、法案を巡る動きを通じて共和党はそ れまでの保守主義、女性に冷たい党というイメージを和らげることには成功したと言 えるのではないだろうか。 第 3 節 1996 年大統領選挙 1996 年の大統領選挙では、共和党は人口妊娠中絶への態度を巡って大きく揺れるこ ととなった。最有力候補であったボブ・ドールは当初保守寄りの立場をとってきたが、 本選挙をにらみ政策を中道路線に移し、クリスチャン・コアリションの反発を買った。 一方、候補者の1人であったパット・ブキャナンは、中絶合法化判決を覆すために最 高裁判事に中絶反対派を指名すると主張するなど保守色を前面に押し出し、クリスチ ャン・コアリションの支持を得ることに成功した。予備選挙が進むにつれ多くの候補 者が選挙戦から撤退する中、ドールの指名が確実になった後もブキャナンはドール批 56 [人工妊娠中絶] 判を展開するなど戦い続け、これがドールを本選挙において不利な立場に追い込むこ ととなった。また、党綱領についても宗教右翼の影響のもと 1992 年に続き、 「人口妊 娠中絶に反対し、それを禁止する憲法修正を求める」という提案が採択され、付帯条 項の中で少数意見としての中絶容認論が言及されただけであった9。このように、プ ロ・ライフ派に支えられた強硬な保守派候補が出馬し指名を争ったこと、党綱領に再 び中絶禁止を支持する保守的主張が採用されたことがマイナスとなり、共和党候補ド ールは現職クリントン大統領を破ることができなかったのである。 プロ・ライフ派、特にクリスチャン・コアリションなどの宗教右翼と共和党では、 レーガン・ブッシュ政権期とは異なり、必ずしも見解、政策が一致しなかった。しか し、宗教右翼が自分たちの主張を曲げなかったことがドール候補の力を弱め、世論の 共和党に対するマイナス・イメージを増幅させた。その結果、自分たちの主張を実現 していく上で極めて重要な支持政党、共和党からの大統領輩出に失敗することとなっ たのである。 第 4 節 経口中絶薬 RU486(ミフェプリストーン) 経口中絶薬 RU486(ミフェプリストーン)についての論争もクリントン政権期の 特徴の 1 つである。これは、妊娠を持続させるのに必要なプロゲステロンというホル モンの働きを阻害することにとって作用する薬であり、流産までの時間は平均 4 時間 程度である。クリントン大統領は就任 2 日後に RU486 の輸入禁止を解除、臨床試験を 許可し、米食品医薬品局(FDA)は 2000 年 9 月、販売を承認すると発表した。 これに対し、プロ・ライフ議員は麻薬取締局(DEA)に RU486 を有害物質に指定 させる法律の制定を試みたが失敗に終わっている。NRLC も RU486 については毎月 のように大きく取り上げ、科学薬品よる中絶がどんなに危険か等を市民に向けて訴え 続けている。プロ・ライフグループの 1 つ、アメリカン・ライフ連盟のジュディー・ ブラウン氏も次のように語った。「われわれは薬品による化学的な妊娠中絶を通して 罪のない人々を破壊することを認める FDA の決定を許すわけにはいかない」10。 「罪 のない人々」とは着床前の受精卵のことである。プロ・ライフ過激派のオペレーショ ン・セーブ・アメリカは「医師の仕事を続けられなくなってもよければ、処方すれば いい」11と脅迫し、RU486 を処方する医師の実名を公開すると警告するプロ・ライフ 活動家もいた。 しかし、この承認により、プロ・ライフ派がより苦しい立場に立たされたのは確か である。今後、プロ・ライフ派は活動の場を州に移していくことになるだろう。なぜ なら、経口薬以外にも中絶の方法はあるため、 「州議会が中絶薬の処方を制約する州法 を成立させても、中絶の権利を侵害したことにはならない」12からである。 第 4 章 ブッシュの路線 第 1 節 2000 年大統領選挙 2000 年の大統領選挙で共和党候補となったジョージ・W・ブッシュは強姦、近親相 姦、母親の生命が危険な場合を除く中絶には反対の立場であったが、選挙戦において は、 「思いやりのある保守主義」を掲げ中道的立場をとり、共和党保守派やプロ・ライ フ派が重要視する中絶問題については優先的な争点としない戦略を採った。1992・96 年の大統領選挙のように宗教色を押し出したために、支持を減らすという事態は避け たかったのである。ブッシュはテキサス州知事を 2 期務めたが、1998 年の選挙では中 57 三田祭論文集 2002 絶問題について穏健な姿勢をとり、女性やヒスパニック系などの幅広い支持を集めて 当選してきた人物である。世論の多くがプロ・チョイス寄りである、また、選挙の争 点としての中絶問題の重要性が低下したという要因のもと採られた戦略であったが、 宗教右翼を中心とする保守派の批判にさらされることとなった。 NRLC の PAC である National Right to Life Political Action Committee による献 金も僅か 4329 ドルにすぎず、これは共和党下院議員候補だったマイク・ファーガソン 氏への献金額、9500 ドルの半分にも及ばない13。しかし、同 PAC への寄付金額は、2000 年度は約 380 万ドル14となり、1998 年の約 2.6 倍15と大きく増加している。これは全 体で 8 位の伸び率であり16、NRLC の影響力はますます強まっているとみることがで きる。 第 2 節 ブッシュの政策 大統領に就任したブッシュは、上院議員時代、強姦や近親相姦による中絶さえ認め なかった強硬なプロ・ライフであるジョン・アシュクロフトを司法長官に任命した。 また、妊娠中絶を実施・支援する国外の家族計画関連 NGO に対する連邦政府資金援 助の停止、クリントン政権では廃止されていた「ギャグ・ルール」の採用を発表した。 これらの動きは共和党保守派、プロ・ライフ団体に配慮したものと考えられる。2001 年には妊婦が犯罪被害にあい流産あるいは胎児に影響が出た場合、妊婦への犯罪とは 別に、胎児への犯罪としても認めるという法案が連邦下院を賛成多数で通過した。犯 罪の際に胎児を人間とみなす考え方は、州レベルでは約半数の州で既に採用されてお り、ブッシュ政権も法案への支持を表明している。 今年7月には中絶や中国での産児制限に使われているとして、国連人口基金 (UNFPA)に予定していた約 3400 万ドル(約 40 億円)を拠出しない方針を決めた17。 この問題については政権内部で協議されていたが、保守派、プロ・ライフ団体が拠出 に反対しており、これらのグループの主張を採るかたちとなった。プロ・ライフ派の 主張は対外政策にも影響を及ぼしているのである。この翌日には映画スター、ブルー ス・ウィリスをスポークスマンとする新しい養子縁組促進キャンペーンも立ち上げら れている。 「思いやりのある保守主義」を掲げ大統領となったブッシュであったが、これまで の政策を見る限り、かなり保守的であると見ることができる。その背景にはプロ・ラ イフ派の大きな影響力があることは言うまでもない。また、プロ・ライフ的政策の実 現をうけて、プロ・ライフ過激派による殺人事件もブッシュ就任以降は発生しておら ず、ブッシュ大統領はまずまずプロ・ライフ派の期待に応えているとみることができ るのではないだろうか。 終章 昨年の同時多発テロ事件以降、教会の出席率が上がるなど、国民の信仰心が深まっ ている。これをうけ現在、宗教右派が政策決定における影響力を増している。11 月の 中間選挙に向けて今後も保守、プロ・ライフ寄りな政策が提案される可能性はある。 しかし、この信仰ムードがいつまで続くかはわからない。世論がテロ事件以前に戻っ た場合、ブッシュ政権はどのような方針をとるのであろうか。 「思いやりのある保守主 義」は非常に曖昧な表現であり、再選に向けて、中道派の取り込みに走る可能性もあ る。この場合、保守的主張を固持する宗教右翼との溝は深まるであろう。 現在、最高裁判事 9 人のうち、プロ・チョイスは 5 人、プロ・ライフは 4 人である。 58 [人工妊娠中絶] ブッシュ大統領の任期中にウィリアム・レンキスト最高裁長官ら 3、4 人の判事が交代 するのではないかと見られており、ブッシュの姿勢によってはロウ対ウェイド判決が 覆される可能性もあり、注目される。 また、今年 7 月 24 日にはブッシュ政権となってからは初となる部分出産中絶禁止法 案である「Partial-Birth Abortion Ban Act of 2002」が下院を 274 対 151 と言う大差 で通過した。この採決では 65 人の民主党員が賛成に回っている。ブッシュ大統領は部 分出産中絶禁止には賛成の立場であるため、上院で可決された場合には一気に成立す る可能性が高い。今後、上院での採決に向けプロ・ライフ派、プロ・チョイス派が激 しい論戦を繰り広げることは必至である。部分出産中絶禁止法は前述の通り、解釈次 第ですべての中絶を事実上禁止するという狙いをもったものであり、成立した場合中 絶を巡る状況を大きく変える可能性があるため、中絶問題の今後を占う上でも非常に 注目される。このように中絶を巡る動きは今後も活発に続きそうだ。 プロ・ライフ派は今後、あくまで胎児も1人の人間であり、中絶は殺人であると主 張し続けるか、中絶に反対しつつも母体が危険にさらされる場合などは例外的に認め、 妥協するのかの選択を迫られることになるだろう。そして、妥協を受け入れない場合 は共和党や世論からも孤立していくことになる。1980 年代以降レーガン・ブッシュ政 権を生み出し、共和党の重要な支持基盤であったプロ・ライフ派が今後も同様の影響 力を発揮できるのか、あるいは孤立してしまうのか。そして、もし孤立するようなこ とになった場合、どのような行動をとるのか。中絶問題の行方と共に見ていきたいと 思う。 【註】 1 荻野美穂『中絶論争とアメリカ社会』岩波書店、2001 年、p.115 2 同上 p.95 3 同上 p.117 4 http://www.opensecrets.org/pacs/lookup2.asp?strid=C00111278&cycle=1998 5 クリスチャン・コアリション:http://www.cc.org/ 6 五十嵐武士、古矢旬、松本礼二編『アメリカの社会と政治』有斐閣、1995 年、pp.171~172 7 http://homepage1.nifty.com/kito/mac11.htm 8 荻野、前掲書、p.140 9 『1996 年大統領選挙とアメリカの政治動向』日本国際問題研究所、1997 年、p.42 10 小原克博「同性愛、中絶、不倫……米キリスト教会と「多様な性」 」 『論座』73、2001 年、p.184 11 デービッド・フランス、デブラ・ローゼンバーグ「戦いは終わらない」 『Newsweek 日本版』728、 2000 年、p.24 12 同上、p.25 13 http://www.opensecrets.org/pacs/pacgot.asp?strID=C00111278&Cycle=2000 14 http://www.opensecrets.org/pacs/lookup2.asp?strid=C00111278&cycle=2000 15 http://www.fec.gov/press/053101pacfund/tables/recgro00.xls 16 http://www.fec.gov/press/053101pacfund/tables/recgro00.xls 17 http://www3.nikkei.co.jp/kensaku/kekka.cfm?id=2002072306476 【参考文献・資料】 蓮見博昭『宗教に揺れるアメリカ』日本評論社、2002 年 荻野美穂『中絶論争とアメリカ社会』岩波書店、2001 年 藤本一美『クリントンの時代―1990 年代の米国政治』専修大学出版局、2001 年 グレゴリー・E・ペンス『医療倫理1』みすず書房、2000 年 砂田一郎『現代アメリカ政治―20 世紀後半の政治社会変動』1999 年、芦書房 ロナルド・ドゥオーキン『ライフズ・ドミニオン』信山社、1998 年 明石紀雄、川島浩平編『現代アメリカ社会を知るための 60 章』明石書店、1998 年 59 三田祭論文集 2002 進藤久美子『ジェンダー・ポリティックス―変革期アメリカの政治と女性―』新評論、1997 年 渡辺和子『アメリカ研究とジェンダー』世界思想社、1997 年 『1996年大統領選挙とアメリカの政治動向』日本国際問題研究所、1997 年 ロジャー・ローゼンブラット『中絶―生命をどう考えるか』晶文社、1996 年 五十嵐武士・古矢旬・松本礼二編『アメリカの社会と政治』有斐閣、1995 年 小原克博「同性愛、中絶、不倫……米キリスト教会と「多様な性」 」 『論座』朝日新聞社、2001 年 6 月号 デービッド・フランス、デブラ・ローゼンバーグ「戦いは終わらない」 『Newsweek 日本版』TBS ブ リタニカ、2000 年 10 月 11 日号 毎日新聞 読売新聞 朝日新聞 日本経済新聞 NRLC:http://www.nrlc.org/ Focus on the Family:http://www.family.org/ クリスチャン・コアリション:http://www.cc.org/ イーグル・フォーラム:http://www.eagleforum.org/ オペレーション・レスキュー:http://www.operationrescue.org/ ニュルンベルグファイル:http://www.christiangallery.com/atrocity/ http://www.opensecrets.org/ http://www.pollingreport.com/ http://www.kokugai.com/zakki_abortion.html http://www.carmical.net/Japanese/articles/prolife.shtml http://www02.so-net.ne.jp/~a-mizuno/koho.html http://homepage1.nifty.com/kito/mac11.htm http://village.infoweb.ne.jp/~fwgl6015/hitori/ht092.htm http://thomas.loc.gov/ http://homepage1.nifty.com/kito/mac11.htm http://www.fec.gov/ 60
© Copyright 2024 Paperzz