多様性共存とは何か? - 地球社会統合科学府

第 7 回地球社会統合科学セミナー
九州大学大学院地球社会統合科学府
趣旨説明:Andrea GERMER(地球社会統合科学府)
「多様性共存とは何か?」
本日のセミナーのタイトルは「多様性共存の可能性――ジェンダー・セクシュアリティ・
クィアの観点から」である。私たちをこのタイトルへと導いた問い、そしてこのタイトル
が私たちに投げかける問いは、多様性とは何か、私たちが共存と言うとき、それは何を意
味しているのか、ということである。人によって、この意味は多少異なるだろう。私たち
は皆、大きな差異を伴った個人であり、同時に社会構造の一部でもある。それぞれが、生
まれながらに、いわゆる自然に異なった個人である。自然について断言できることは多く
ないが、一つはっきりしていることがある。それは、自然が多様性を愛しているというこ
とである。 Nature loves Diversity。 農学やエコロジーで指摘されているように、単一
栽培、単一文化は、それ自体の存在と世界におよぼす影響に、根本的な問題を内包してい
ると言える。
人間社会において多様性と言うとき、それはいったい何を意味しているのであろうか?
また、多様性と言うと、私たちはグローバリゼーションの風潮のこと、つまりヒト、モノ、
そしてアイディアが世界中を移動して交換され、それがまた急激に加速しているもののこ
とだと考えるかもしれない。また最近の日本では、移民についての議論をめぐって多様性
や共存といった言葉が持ちだされている。あるいは、もっと根本的な問題だが、人間社会
と自然の共存を意味することもある。今や、グローバルな工業社会による環境汚染は、専
門家たちが言うように、この惑星を住むことができないまでに変えてしまう瀬戸際にまで
来ていると言えるだろう。
こういった現象と様々な関係性の元にあるのは、私たちそれぞれが、「他者」と呼ばれて
いるものと自分自身をどのように見、そして関係づけているのかということである。ここ
に、グローバルな問題とグローバルな現象がそれぞれの個人と結びつく接点がある。どの
ようにして他者を理解し、どのように他者性を受け入れ、自分自身のどの部分が自分のア
イデンティティを構築するために、他者性を排除することを必要としているのであろう
か?
他者は自然かもしれないし、外国人かもしれない。あるいは他の階級の人々かもし
れない。
人間社会におけるもっとも根本的な他者は、ジェンダーにおける他者である。ジェンダ
ーは、より適切な言い方をすればジェンダー・システムは、他者性を作り出す中心的な方
法である。男性と女性が権力や特権や交換の配置システムの中、不平等に位置づけられる
方法は、あらゆる他の他者との不平等の関係性を作る唯一のモデルとなる。このジェンダ
ー・システムは、多くの部分で性役割分業と異性愛規範(heteronormativity)に依拠して
いる。つまり、異性愛の特権化はそれ以外の性的指向を差別することに依存しているので
ある。
私たちは今日ここで、ジェンダーとセクシュアリティと他者性というテーマに注目して
いる。性的マイノリティの状況を検討すると、それは決して、周辺的な社会現象としてで
はなく、むしろあらゆる他者性と多様性の実存とその受け入れの可能性に根本的につなが
っている。
ジェンダーとセクシュアリティの観点で言えば、二つの性しかないという主張とそれに
したがって、ジェンダーの二項対立は自然の産物だという神話は、現に在る様々な形の同
性愛、そして体と心の性は同じではないというトランスジェンダー、そして性器があいま
いな形というインターセックス、それらの人間に対して暴力をふるう。自然が異性愛規範
の二項対立に従わない身体と欲望を持つ人間をもたらしてくれているのに、私たちはなぜ
「本物・真実の性」やその延長線として異性愛規範しか許さないとするのであろうか。こう
いったことや、これに関係する問題は、今日の報告者とコメンテーターが様々な観点から
探求する主題となるであろう。
しかし私は、希望に満ちた予告で話を終わらせたいと思う。歴史家として自信を持って
言えることは、この排外的な二項対立であるジェンダーと異性愛規範は、社会的に言って
も歴史的に見ても常に変化するものである。多様性共存は長い間、
「問題」として語られて
きたが、今まさに、平等を本格的に実現し、多様性を「祝う」時期がやっと来たと言える
のではないだろうか。皆様が今日、この希望を共有し、活発な議論に参加くださることに
心からの感謝を申し上げたい。