インドネシア(アチェ) 紛争下における女性 佐伯奈津子

フェリス
「アジアの女性問題」
フェリス「
インドネシア
(アチェ) 紛争下における女性
インドネシア(
佐伯奈津子
【上】インドネシア地図
【右】ナングロー・アチェ・ダルサラム州地図
現在、東アチェ県から分割したアチェ・タミアン県、西
アチェ県から分割したアチェ・ジャヤ県ができている。
【ワヒド大統領時代】
● 2002 年 12 月 3 日
● 2000 年 5 月
「アチェ和平・復興支援準備会合」(東京)
「人道的停戦の合意」(6 月から実効)
米国、日本、世銀の呼びかけ、24 の国・機関が参加
スイスのアンリ・デュナン・センター(HDC)が仲介 ● 2003 年 12 月 9 日
自由アチェ運動(GAM)を交渉相手として認定(これ 「敵対行為停止の合意(CoHA)」
までは GAM 存在そのものを認めず)
信頼醸成期間、武装解除期間、平和ゾーン構築など
→破綻後、
「対話を通じた平和」で一応は協議がつづ が決まる
けられる
CoHA 実施状況の監視として、共同治安委員会(JSC)
● 2001 年 3 月
が結成される
治安上の理由でエクソン・モービル操業一時停止
JSC はインドネシア政府、GAM、海外(タイ、フィリ
● 2001 年 4 月
ピン軍など)から成る
アチェ問題に関する大統領令第 4 号
● 2003 年 1 月
協議をつづけながらも、アチェ問題解決に軍事力を 「インドネシア支援国会議(CGI)」
用いるよう方針転換
アチェ和平・復興への国際支援について話し合い
● 2002 年1∼ 4 月
【メガワティ大統領時代】
反 CoHA、反 JSC の組織的デモ、襲撃事件などつづく
● 2001 年 7 月
● 2003 年 5 月 18 日
メガワティ政権誕生→国軍の支配力より強大に
「共同評議会(JC)会合」(東京)
● 2002 年 8 月
インドネシア政府、GAM に対して、独立要求の取り下
政府、最後通牒を出す
げ、特別自治の受け入れ、即時完全武装解除などを
→ HDC がアンソニー・ジニ(米国退役将校、中東和平 要求し、協議は破綻する
に携わっていた)をアチェに派遣
● 2003 年 5 月 19 日
→最後通牒がラマダン(断食月)後に延期
軍事戒厳令適用(2003 年大統領決定第 28 号)
● 2002 年 11 月
6 カ月の予定
インドネシア国軍、GAM 包囲作戦
外国人のアチェ入域規制
すべての権限を軍事戒厳令司令部が握る
■アチェ略史
15 世紀末
アチェ・ダルサラム王国
16、17 世紀 マラッカ王国、ポルトガルと恒常的に戦争
スルタン・イスカンダール・ムダ(1607 ∼
1636)
ジョホール、ケダ、ペラックなどを包括する
王国
"Serambi Mekah"(「メッカのベランダ」)と
してアラブ、インド、ポルトガルと交流
19 世紀後半 イギリスのスマトラ進出を警戒したオラン
ダがス マトラ東海岸へ干渉を拡大、アチェ
王国はトルコ、アメリカ、イタリアと秘密に
接触
1873 年 3 月 オランダのアチェ侵略開始→アチェ戦争
1880 年代∼ トゥンク・ティック・ディ・ティロらが「聖
戦」を叫び、ゲリラ攻撃を展開
1903 年
スルタンらが降伏
1904 年
アチェ戦争終結(アチェの抵抗は主なもの
でも 1912 年まで続発)
日本軍政期 ウラマーはアチェの解放と期待するが、オ
ランダ と大差なし
1949 年
インドネシア中央政府、アチェ州設置を認
める
1950 年
イ中央政府、アチェ州を北スマトラ州に併
合する 決定(1951 年に実施)
1953 年
ダウド・ブルエを中心とするプサ(全ア
チェ・ウラマー同盟)系勢力が、ダルル・イ
スラーム運動に連帯し、イスラーム共和国
建設を唱えて反乱
1959 年
首相決定第 1 号によって、アチェが特別州に
1962 年
反乱が終結
1976 年
12 月 4 日、トゥンク・ハサン・ディ・ティロ
(アチェ・スマトラ民族解放戦線議長)が独
立宣言「ジャカルタ体制による政治的コント
ロールからの自由と独立」→「自由アチェ運
動(GAM)」
→ GAM の多くが殺害されるか逮捕され、一部
はスウェーデンに亡命
1982 年
第 4 回総選挙で、唯一ゴルカル以外の政党が
過半数を占めた州に
1986 年
開発統一党(PPP)がパンチャシラを受け入
れる
1987 年
第 5 回総選挙でも、大アチェ、ピディエ、北
アチェ では PPP が過半数
1989 年
GAM、2 度目の蜂起
1990 年
HR ジョコ・プラモノ少将率いる掃討作戦開
始=軍事戒厳令地域(DOM)
領域、諜報活動、戦闘、社会治安・秩序
第 1 軍管区ブキット・バリサン師団
→北スマトラから 125、126 歩兵
ジャワから特殊部隊(Kopassus)
1998 年
8 月 7 日、DOM 解除とウィラント国軍司令官
の謝罪
1999 年
2000 年
2001 年
2002 年
2003 年
アチェのいたるところで白骨化した死体が
大量に発見される(ウィラント「インドネシ
ア共産党の仕業」として、国軍の関与を否
定)
8 月 31 日、軍の一部撤退にともないアチェ・
ロスマウェで暴動、軍の撤退延期(軍の陰謀
説)
12 月末、インドネシア国軍、アチェで 7 人の
兵士が殺害されたと主張
1月、ウィバワ99 作戦→ふたたび深刻な人権
侵害
5 月、北アチェ県アチェ・クラフト製紙社交
差点事件(100 人以上が死亡か)
7 月、西アチェ県トゥンク・バンタキア殺害
事件(五十数人が死亡)
8 月、東ティモール住民投票→独立へ
11 月、ワヒド新大統領、アチェの住民投票
実施に支持を表明
5 月、イ政府と GAM で「人道的停戦合意」
8 月、人権活動家ジャファル・シディック・
ハムザがメダンで誘拐される(9 月に遺体で
発見)
1 月、国家人権委員会、アチェの人権侵害調
査委員会設置を発表→機能せず
4 月、アチェ問題に関する大統領令第 4 号
7 月、ワヒド失脚、メガワティ新大統領に
8 月、メガワティ、アチェの人びとに謝罪
10 月、アチェ問題に関する大統領令第 7 号
2 月、イスカンダル・ムダ軍管区復活
12月、東京でアチェ和平・復興準備会合開催
12 月、「敵対行為停止のための合意」
5 月、「敵対行為停止のための合意」が破綻
→軍事戒厳令に
■アチェの社会・経済的側面
天然資源の豊かな地域
天然ガス(インドネシアのガス・石油輸出の 30%をしめ
る)
、天然ゴム、コーヒー、たばこ、コショウ、ヤシ油、
熱帯林
1980 年代のプランテーション開発
ジャワからの移民
アチェ東北部の人口、一時的に増大(1 キロ四方 105 人、
西部の 5 倍)
開発の波
ピディ北東、北アチェ、東アチェ
ロスマウェ(北アチェ地域の 5 つの provit、基幹プロ
ジェクト)
PT Arun(PTA)
1971 年、MOI がアルン・ガス・フィールドを発見
日本から LNG 開発借款、1974 年 9 月 20 日締結、318 億円
1974 年、天然ガス精製 1、2、3 号機
1978 年 3 月、天然ガス精製開始
1978 年 8 月、1 号機で最初の LNG
1982 年、4・5 号機建設開始
340 万トンの増産(すべて日本向け)、千代田化工機建
設、三菱商事が建設の請負
世界の市場の 40%を占める
LNG は日本と韓国、LPG はすべて日本に輸出
タイ ソーダ灰工場プロジェクト
1979 年 4 月 12 日、ジャカルタで PT ASEAN Aceh Fertilizer 設立を宣言
1980 年 12 月、東洋エンジニアリングと契約(工場建設、
港、水)
1983 年 12 月 26 日、建設終了
1984 年 1 月 18 日、スハルトが正式に署名(ASEAN 諸国の
工業相、大蔵相、日本外相)
ベトナム、中国、スリランカ、カンボジアに輸出
株主(株所有率)
インドネシア PT Pupuk Sriwijaya(60%)
マレーシア Petroliam Nasional Berhad(13%)
フィリピン National Fertilizer Corporation of The
Philippines(13%)
シンガポール Temasek Holdings Ltd(1%)
タイ大蔵省(13%)
工場関連面積(ha)
工場・港
130
緑地帯
従業員用住宅
水路、パイプ
60
88
29
PT Kertas Kraft Aceh(PT KKA)
Mobil Oil Indonesia(MOI)
Pabrik Pupuk Iskandar Muda(PT PIM)
株主(株所有率)
国営石油公社(プルタミナ)(55%)
エクソン・モービル・オイル・インドネシア(30%)
日本インドネシア LNG(株)(JILCO)(15%)
Batuphat 従業員住宅地
軍事作戦との関わり
1992 年にはジャカルタから 3000 人の兵士が PTA を警護
するために駐屯
拷問センター
北アチェ県バンダ・サクティ郡ウジョン・ブラン村が受
けた影響
PT Aceh Asean Fertilizer(PT AAF)
尿素肥料工場
アセアン工業プロジェクト、1979 年 10 月 23 日締結、330
億円+輸銀 145 億円
1979 年 7 月、日本・アセアン外相会議において、資金協
力を事前通報
金利 2.5%/年、元本償還条件 25 年、一般アンタイド
1976 年 3 月、5 参加国の工業化プロジェクトについて議
論(KL のアセアン蔵相会議にて)
インドネシア、マレーシア 尿素肥料工場プロジェクト
フィリピン 過リン酸塩肥料工場プロジェクト
シンガポール ディーゼル・マシン工業プロジェクト
開発がもたらしたもの
アチェの伝統、文化に衝撃を与える価値観などの流入
土地所有、プランテーションでの賃金労働、近代的な娯
楽
アチェ人と移住者との格差が増大
国家予算の11%を稼ぎ出すが、政府からアチェへの補助
金はたった 0.8%
開発の「傍観者」でしかないアチェ人
軍事戒厳令下のアチェ(2003 年 5 月 19 日∼)
●民間人の死者は 319 人に
アチェ州警察広報部長サイド・フサイニは 9 月 5 日、軍
事戒厳令下のアチェにおける犠牲者数を公開した。5 月 19
日から 9 月 3 日までに、民間人に少なくとも 319 人の死者、
108 人の行方不明者、117 人の負傷者が出ているという。死
亡した民間人は流れ弾、GAM の銃弾、または無責任な集団
がおこなった虐待などで犠牲になったという(もちろん、
これは治安部隊側の発表なので信憑性は薄い)。もっとも
多くの犠牲者が出たのは北アチェ県で、110 人にのぼる。
いっぽう軍事戒厳令当局広報特別編成チーム司令官ディ
トゥヤ・スダルソノ大佐は 8 月 27 日、軍事戒厳令を布告し
て最初の 100 日間で、GAM メンバー 752 人を殺害し、555 人
を逮捕したことを明らかにした。さらに 457 人の GAM メン
バーおよび支持者が降伏し、335の武器が押収されている。
治安部隊側の犠牲者については、国軍側の死者 45 人、負
傷者 112 人、警察側の死者 45 人、負傷者 60 人と発表され
ている。
● 100 人以上の女性がレイプされる
アチェを支援する NGO の連合体「アチェの友」は 8 月 28
日、国家人権委員会に対し、軍事戒厳令が布告されてから
最初の 100 日間で、100 人の女性がレイプされたことを報
告した。ほとんどの犠牲者が恐怖のため法的手段をとって
おらず、21 件のレイプ、性的嫌がらせについて警察に届け
られただけである。7 月から、北アチェ県で 4 人の女性が
3 人の国軍兵士にレイプされた事件、ビルン県で 15 歳の少
女が警察機動隊員にレイプされた事件についての公判がお
こなわれている。北アチェ県の事件について、すでに判決
が言い渡されたが、3 年、3 年半という短い懲役刑で終わっ
た。
「アチェの友」の報告によれば、北アチェ県で 5 人の国
軍兵士が 16 歳の女性を集団レイプした事件で、犠牲者と
その家族が地元軍分支部の兵士から事件を警察に報告する
なと脅されたという。また 100 人の女性がレイプされたと
報告したアチェ、ジャカルタの NGO7 団体に対し、軍事作
戦司令官バンバン・ダルモノ少将は訴える構えを示してい
る。
●避難民の状況
アチェ州社会局は 7 月 17 日、南アチェ県、北アチェ県、
東アチェ県を中心に 4 万 854 人の避難民が発生しており、
多くが劣悪な健康状況におかれ、医薬品が不足しているこ
とを明らかにした。しかし、アチェで人権擁護活動、人道
支援に携わる活動家によると、避難民への支援は困難だと
いう。現在、アチェでは、GAM と分離するため、国軍が組
織し避難を命じた避難民と、自発的に避難した避難民が存
在するが、自発的避難民に対して、人道的支援はまったく
供与されていない。国軍が組織した避難民についても、イ
ンドネシア赤十字ですら、避難民キャンプに入ることがで
きない状況である。また避難後、家財道具や家畜が略奪さ
れた避難民も多数発生しており、避難中に田畑を耕すこと
ができなかったこととあわせて、避難民の今後の生活が心
配されている。
さらに避難民はとくに、心的外傷後ストレス障害
(PTSD)を経験していると伝えられている。アチェにおけ
る精神障害の件数は昨年の 2 倍に跳ね上がり、バンダ・ア
チェの精神病院も定員いっぱいだという。
●日常生活での規制
インドネシアでは、全国民が住民登録証(KTP)の所持
を義務づけられているが、アチェでは新しく「紅白住民登
録証(KTP MP)」
(紅白は、インドネシア国旗の色)所持が
義務づけられた。紅白住民登録証には、郡長、郡レベルの
警察署長、国軍司令官のサインがされている。
当初、紅白住民登録証申請には料金がかからないと言わ
れていたが、住民は 5000 ルピア支払わなくてはならない
という。しかし 5000 ルピアでは、手続きに 2 カ月かかるこ
とから、2 週間程度で手続きが終了するよう、数万ルピア、
多いときには数十万ルピア支払ったケースもある。多くの
住民は当然、5000 ルピア支払うのも厳しい状況のため、紅
白住民登録証を取得するのに長い期間待たなくてはならな
い。そのため、ある住民は、郡長から、現在申請中である
旨を記した手紙を携帯していたにもかかわらず、警察機動
隊から殴打されたという。