インド洋大津波(復興まちづくりの例) 写真1:インドネシア・アチェ 2005(UNCRD) 写真2:アチェ・学校 2005(UNCRD) 写真1は 2004 年 12 月 26 日に起こったインド洋大津波のアチェである。右上の船のある ところは海岸から3キロほど内陸に入った場所で、右下の写真2は学校の壁が津波で崩壊 している写真である。右側の大きな船は先ほどの船と同じだが、周りに家がだいぶ建ち始 めていたのが3年後の状況である。 3年後のアチェに行ったときは、小型船が家に乗っていて、この地方政府の人に聞いた らこれは記念物として残し、周りを公園にすると言っていた。東北の津波で被災した所で も大型船はみな撤去したが、写真3のようなメモリアルとして現地に残しておくと後世に 伝承できる。インド洋津波の教訓として、耐震設計された建物は一般的に津波に対しても 安全であった。 写真4は国連の報告書の中から取ったもので、いくつか事例が出ている。写真5はイン ドネシアで大学の建築学科の先生が津波に強いヤシの木住宅を考案したものが大学の構内 に建っていた。このほかも、様々な提案が出ていた。それからまちづくりの中ではインド 洋津波のときのスリランカが大きな経験になると思われる。写真6のようにスリランカの 東部・南部が大きな被害を受けたので、国は海岸線から最大 500mの範囲を一律建築禁止に した。しかし、漁民の人たちは海から 500mも離れたところに住んでいられないと、なし崩 し的にもとあったところに住み始めている。建築禁止をかけても実態に合わないと、結局 は元に戻ってしまうのである。 後に建築禁止を外したかはフォローしていないが、スリランカの事例は建築制限だけで 津波対策ができるかという1つの例になると考える。東日本大震災も復興と同時に、今後 どういう街を作るかが大きな課題である。 写真3:インドネシア・アチェ 2007 写真4:耐震耐浪性のある建物(国連、EERI) 写真5:ヤシの木住宅インドネシア 2008 写真6:スリランカの津波被害 2005(国連)
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