第一課 正直と嘘つき

少年 1-4
第一課 正直と嘘つき
聖書:王下五 1 〜 27
聖書朗読:王下五 25 〜 27;マタ五 37;箴十二 19
聖句:箴十二 22
本文内容:
今日、先生はみなさんに正直と嘘つきの話をしたいと思います。
(用意した 5 枚のカードを出
して)。ここには五つの問題があって、四つの解答があります。どの解答が一番正しいかを見て
みましょう。まず、嘘とは何でしょうか(生徒たちに考えさせておく)。すべての神話とか寓話
などは嘘に属する物でしょうか(いいえ)。それでは何が嘘でしょうか、人を傷つける言葉は嘘
でしょうか(生徒にそれはどう言う状況かを考えさせる)。しかし、場合によって、嘘はわざと
人を傷つける物でもないのです。例えば、私はお母さんを騙して、宿題ができていないのに、で
きたと言うなど、これは人を傷つけなかったけど、自分を傷つけてしまいました。もっと考えて
下さい、また何が嘘でしょうか(四枚目のカードを出して)。正しくない偽りの話のすべては嘘
です。みなさんの法螺を吹くおおげさの話も含めます(五枚目のカードを出す)。
神様は絶対に嘘をつかない神なのです。だから、十戒の中に嘘をついてはいけない、正直な子
になろうと書いてあります。みなさん、これは何番目の戒めでしょうか(第九の戒め)。私たち
は常に知らないうちにたくさんの嘘をついています。
ある物語は次の通りです。
天使は男の子に嘘をついてはいけないと言いました。男の子はないよ、嘘をついてないと答え
ました。すると、天使は男の子に、よし、今日からもし嘘を一つついたら、鼻が 1 センチ伸びる、
こうして、あなたは自分が嘘をついたかどうかが分かるでしょうと言いました。結果的に、一日
で男の子の鼻が肩に垂れるまで伸びたのです。
この物語は私たちに自分の口に責任を持つように
と教えています。正直な子になるのがそう簡単な物ではないからです。
嘘をつくゲハジ
聖書にはゲハジと言う人が嘘をついて、神様に罰された事を書いています。その筋は次の通り
です。
スリヤと言う国にはナアマンと言う軍勢の長がいて、彼は大勇士だが、ライ病にかかりました。
至る所のお医者さんに見てもらっても治らなかったのです。そして、ある女の子の話を聞いて、
イスラエル国に行って、エリシャ預言者に会いました。エリシャ預言者はただヨルダン川に七度
入浴させただけでライ病はいやされました。ナアマンは感謝の気持ちで一杯でした。ヨルダン川
から戻ったら、エリシャ預言者にお礼をしました。
(王下五 15、16、20 〜 27)順番で読んで
もらってから、あなたはこの物語を話してみて下さい(子供が発表して、先生は整理する)。
①ナアマンはエリシャにイスラエルの神こそ真の神なのだと言って、贈り物を捧げました。
②エリシャは断じて贈り物を受け取らなかったのです。
③エリシャのしもべのゲハジは欲望を起こし、ナアマンの後を追いました。
④ゲハジはナアマンの二袋の銀と二着の服をだまし取りました。
⑤ゲハジの陰謀はエリシャに知られ、彼とその子孫はライ病にかかると呪いました。
⑥今、あなたは自分の聞いた内容の中で嘘に属するものを言ってみましょう。
1
⑦(22 節)
⑧(25 節)
以上の話を聞いて、次の質問を考えて下さい(子供に発表してもらう)。
①ゲハジはなぜ正直になれなかったのでしょうか?
▲人のお金と財産を貪ったからです。
②彼の嘘はどう言う酬いを受けたのでしょうか?
▲彼とその子孫はみんなライ病にかかる。この病気は治らない病気なのです。
③なぜエリシャはこんなに彼を呪ったのでしょうか?
▲ゲハジは嘘をついたのです。神は嘘つきが嫌うからです。
▲彼はナアマンに神や預言者が自分の病気を直すのは金銭目当てだと誤解させました。
だから、
ゲハジはナアマンの財産を得たので、ライ病にかかりました。
④聖書朗読(箴二 19、22;マタ五 37)
死んでも嘘をつかない
遠い昔に、アメリカ行きのイギリスの船が出航して四日目に船の底からジャックと言う九才の
子が這い上がりました。服はぼろぼろで疲れ果てて、餓えた様子でした。彼はアメリカまでただ
乗りしようとしていたのです。
食べ物は全部食べ切ったので、
仕方なく上に這い上がったのです。
ある船員は彼を船長の所へ連れて行きました。船長は厳しい口調で彼に、どうして切符を買わず
に船に乗ったのかと聞きました。ジャックは、私の継父は非常に貧しく、私を養う事ができない
ため、私をアメリカのおじの所にやりたいけど、切符を買うお金がないから、こっそりと船の底
に隠したと答えました。船長はこれと似た話を飽きるほど聞いた事があるので、あまり信じな
かったのです。船長は船員の中に協力者がいると疑っていたから、彼は毎日ジャックと話したが
ジャックの答えはいつも同じだったのです。最後に、船長はもう我慢できなくなって、十分間以
内に本当の事を言わないと、お前を海へ捨てると脅かしてやったのです。
かわいそうなジャックは一人ぽっちで船長の前に立って、
誰も彼を助けようとしなかったのです。
彼は非常に怖がって、顔が真っ青になって、涙ぐんで船長を見つめるしかできなかったのです。多
くの人はまわりに囲んで、おもしろがる目で彼を見ていました。船長は時計をもって、そこに座っ
て、もう八分間経ったぞ、あと二分だ、早く白状しなさいと言ったのです。ジャックは二つの目で
厳しい船長を見て、私はまずお祈りしてもいいですかとお願いしました。船長はうなずいたが、何
も言わなかったのです。すると、ジャックはそこで跪いて、尊敬する神様よ、もうすぐあなたと会
えますよ、天国へ迎えて下さい。私は嘘をついてはいけないからと祈りました。そばにいる見物者
はジャックを見て、みんな感動しました。船長も同じだったのです。船長は厳しい方法でジャック
を試すだけで、本気で彼を海へ捨てるつもりがなかったのです。そして、船長は、君は本当に正直
な子だね、よし、私がただで君をアメリカへ送ろうと言いました。そばで見た人たちはこの子に同
情し、みんなは寄付して彼が無事にアメリカに到着するように手伝いました。
ジャックは海に捨てられても嘘をつかない決意を固めました。最初、
誰も彼を信じなかったが、
しかし、彼はどんなにひどい目に遭わされても、決して嘘をつかなかったのです。人々は彼の表
れを見て感動し、彼は本当に正直な子だと分かり、その後、彼は得た助けが苦しみよりずっと多
かったのです。
もし、彼は嘘で自分を守ろうとすれば、人々は彼を助けたのでしょうか。正直のメリットと嘘
つきのデメリットを知ったら、私たちもこれからどんな事にあっても、決して嘘をつかない志を
立てましょう。
みなさん、考えて見ましょう。今まで嘘をついた事がありますか。どうして嘘をついたので
2
しょうか(真実を言ったら、人を悲しませるとか、仕事をさぼりたいからとか、打たれたり、怒
られたりされるのがこわいとか、ねたみ、復讐をさけるためとか、あるいは人の機嫌を取るため
など)。常に嘘つく人はどんなデメリットがありますか(人を傷つける、自分の信用をなくす、嫌
われる)。もっと大事なのは主イエス様の御名を傷つける事になります。だから、主イエス様の
助けも得られなくなります。サタンは私たちが嘘をつく事が好きだから、もし、君は嘘をつくな
らば、サタンにだまされた事になって、将来は天国に入る事ができなくなります。だから気をつ
けなければなりません。
今日の物語を聞いて、私たちはこれから、絶対に嘘をつかない決意を固めなければなりません。
先、私たちは嘘をつく口は主に憎まれると言う聖句を読みました。みなさんはこの聖句をちゃん
と覚えて、毎晩寝る前に、今日、嘘をついたかどうかをよく考えて、もし、うっかりして、嘘を
ついたらどうしますか(神に悔い改めるように祈らなければなりません)。
第二課 一本の靴ヒモ、一本の糸
聖書:創十四 17 〜 24;王下五 1 〜 19;ルカ二十二 3
聖書朗読:ピリ四 11 〜 12;I テモ 六 7 〜 10
聖句:ヘブ十四 5
本文内容:
先週、先生は「正直と嘘つき」の話をしました。ゲハジは嘘をついたため、神様はどう彼を罰
されたのでしょうか(彼と彼の子孫はみんなライ病にかかる)。このことから見ても、神様は嘘
をつく人を嫌う事が分かるでしょう。今、みなさんは目を閉じて下さい。よく先生の言ったテー
マを聞いて下さい。用意できた人は手を挙げて下さい。
1. 先週、嘘をついた事がない人。
2. 先週、正直な事をやって、いい結果を得た人(名前を記録する)。
3. 先週、寝る前に自分が嘘をついたかどうかを反省した人。
(先生は手を挙げた人をほめ、第二項目で手を挙げた子供に発表してもらう。手を挙げなかった
子供を責めないで、彼らを正直に過ちを認め、二度と犯さなければいいと注意すればいい)。
一本の靴ヒモと一本の糸
今日、先生が話そうとするテーマは「一本の靴ヒモと一本の糸」です。これは聖書に書いてあ
るテーマです。聖書を開いて下さい(創十四 23)。なぜ、アブラム(アブラハム)はこの事を
言ったのでしょうか、この話は私たちにとってどんな教訓があるのでしょうか。
アブラハムの時代にカナン地方に大きな戦争が起きました。四人の国王が連合して、五人の王
を攻めました。五人の王が負けたため、四人の王は彼らの民、財産、食糧を奪ってしまいました。
これらの奪われた人の中にアブラハムの親戚がいました。名前は何でしょうか(ロト)。この事
を聞いたアブラハムは非常に心配しました。彼は 300 人の家来を率いて四人の王を追いかけま
した。自分の甥を助けようとしました。彼らは夜を乗じて、何ヶ所から敵を攻めて、彼らを撃ち
3
破りました。奪われた物を全部取り返したばかりでなく、五人の王も救い出しました。五人の王
の中の一人、ソドム王はアブラハムにこれらの敵から取り返した物は全部あなたにあげると言い
ました。アブラハムは大変苦労して彼らを四人の王の手から救い出したから、アブラハムはそれ
を受け取る資格は十分あるのだが、アブラハムは全然欲望を起こさずに、あなたの物なら、糸一
本にせよ、靴ヒモ一本にせよ、私は取るつもりがないと言いました。アブラハムの貪らない美徳
は子孫に良い手本を示しました。
ある台湾の人はイスラエルへ旅行に行って、思いがけないことに、ホテルで財布をなくしまし
た。彼は急いでホテルに戻って、カウンターの係に財布を見ましたか、中にはパスポート、小切
手、米ドルと一部の個人情報が入っていると言いました。ある係はすぐカウンターの中から、財
布を取り出して、彼に、もし、1 ドルでも足りなかったら私たちは 10 倍を弁償する用意があり
ますと。あの人は財布を開いて、お金を数えて見たら、一銭もなくなっていないと分かってから
彼は財布から 100 ドルを出して、謝礼として、係に渡そうとしたが、係は受け取るのを断わり
ました。そして、私たちの先祖アブラハムは私たちに極めて良い手本を示しました。人の物なら、
一本の糸にせよ、一本の靴ヒモにせよ、決して取ってはいけないと言いました。
聖書の中の戒め
神様は十戒の中に貪ってはいけないと教えています。人は自分の所有する物が他人の物に劣る
と貪る心持ちになるのです。先生の所に聖書に書いてある何人かのどん欲な人の名前が記されて
いる紙があります。一緒に穴埋めしましょう。
(先生は授業前に黒板に書いておく、
「経過状況」
と「結果」の欄は空白にして、或いは紙で隠す。
人名
経過状況
結果
1. アカン エリコの町を攻める時に、金、銀、
服を盗んだのです(ヨシュア 7)。
彼と彼の家族はイスラエルの民たちに
石で打ち殺され、物は火で焼かれました。
2. ゲハジ ナアマンから二袋の銀と二着の服を
彼と彼の子孫はライ病にかかる事
だまし取りました(王下五 1 〜 19)。 になりました。
3. ユダ
30 枚の銀貨のために先生を
後悔して、首を吊って自殺し、腸は腹の中
裏切ったのです(ルカ二十二 3 〜 6)。 から流れ出てしまいました。
第四の欄はみなさんが自分で埋めて見て下さい(例えば、アハブ王)。日常生活の人物を使っ
ても良い。
(もし時間があれば、先生は用紙内の内容を消して、
子供に日常の生活の中に聞いた或いは会っ
た貪る例を書いてもらう)。聖書朗読ヘブ十三 5。
貪欲に打ち勝つ、満足を知ればいつも楽しい
先生は以前、貪欲は罪を犯す基だと言ったことがあります。貪欲が起きれば、人は騙し、嘘つ
き、盗み、人殺しまでやるようになるのです。いったい、どうやって貪欲に打ち勝てるのでしょ
4
うか。聖書は自分の所有に満足するべきだと書いてあります。主イエス様は私たちの必要を知っ
ておられるので、私たちにそれぞれ違った才能を与えられました。私たちは神様に頼ることを学
ばなければなりません。貪欲で満足を知らない事をしてはいけません。もしあなたはいつも自分
の物が足りない、もっと欲しいと思ったら要注意です。私は自分の所有に不満があって、貪欲心
が起きるかどうかと反省しなければなりません。
安ちゃんのお父さんは大工で、家は裕富の方ではないのです。しかし、彼は努力家だから、み
んなは彼が成績でも、品性でも優秀な生徒だと認めています。
安ちゃんのクラスメートの全員は時計を持っているけど、
安ちゃんだけが持っていないのです。
彼はお父さんの苦労を知っていて、
一家を養っていくのはとてもたいへんだと分かっていたので、
お父さんに時計をせがむ気にならなかったのです。彼の心の中に、時計をつけているクラスメー
トに羨ましいと思うと同時にねたむ気持ちもありました。その後、彼は一つ簡単な方法を思い出
したのです。それは、盗むと言う事だったのです。チャンスがついにやって来ました。その日、
ちょうど安ちゃんの当直の日でした。クラスメートたちはみんな体育の授業に出て、教室には彼
一人だけが残っていました。彼もちょうど華ちゃんはそのきれいな時計をカバンに入れたのを見
てしまいました。そこで、安ちゃんは大胆に教室の窓とドアを全部閉めて、華ちゃんのカバンに
手を入れ、あっ、あった、見つかった。この時、彼の心臓がドキドキしました。彼は急いでまわ
りを見渡して、誰もいないのを確認してから、ハッハッハと笑い出して、彼は意気揚々に私はな
かなかやるもんじゃないか、ついに自分に属する時計を手に入れたと言いました。突然、安ちゃ
んの脳に貪ってはいけないと言う戒めがよぎったのです。彼はすぐ自分が良心にさいなまれる事
をしたと気づき、しかも、これは神様が最も嫌う事なのです。彼はもし先生に見つけられたらど
うしよう、みんなの前で恥をかかせるじゃないかと思いました。しかし、あのきれいな時計を見
て、なかなか放したくない。それはだめだ、盗んだ時計はきれいだけれども、堂々とつける事が
できないので、ないと同じではないと安ちゃんは思いました。そこで、安ちゃんその時計をもと
に戻しました。
その晩、安ちゃんは寝ぬ前のお祈りの中で、昼間の事を思い出すと、大変恥ずかしいと思いま
した。涙をこぼしながら神様に、主よ、安ちゃんが間違いました、どうか許して下さい。私を注
意して下さった事を心から感謝します。それで、私が目覚めて、大きな過ちを犯さずに済む事が
できました。これから私は絶対に人の物を取りません。主よ、お許し下さい。私は二度と同じ事
をしないからと祈りました。
問題提起
一、安ちゃんはなぜ華ちゃんの時計を盗んだのでしょうか?
▲彼は人が時計を持っているのを見て、羨ましいし、ねたんだため盗もうと思いました。
二、安ちゃんは時計を盗んでから、なぜまた華ちゃんのカバンに戻したのでしょうか?
▲彼は急に神様の貪るなと言う戒めを思い出し、神様が貪る子が好きじゃない、しかも、盗んだ
時計は堂々と腕につける事ができない。先生に見つけられたら、恥をかくし、クラスメートに軽
蔑される事を知ったからです。
三、この物語を聞いて、安ちゃんにどんなよくない行為があったのでしょうか、そこから何を学
ぶ事ができたのでしょうか?
▲ 1. 神様の御言葉を思い出し、時計を華ちゃんのカバンに戻しました。
2. 正直に神様に悔い改めて、神様の許しを求めました。
四、考えて見て下さい。あなたも日頃、自分の物は人より少ないと思って、不満を感じる時があり
ましたか?どんな物が人より少ないと思いましたか(お小遣い、カバン、カラー鉛筆、洋服、靴)
。
5
五、もしこういう考えがあれば、あなたはどう対処しますか?
▲人と比べない、自分の物が足りると思えばいい。人を羨ましがる必要がない。こうしたら、私
たちは毎日楽しく暮らせます。これこそ満足を知れば、常に楽しいと言うわけです。
第三課 七十個の七回
聖書:マタ十八 21 〜 35
聖書朗読:エゼ三 13;箴十九 11;マタ六 14、15
聖句:エペ四 32
本文内容:
前回、先生は一本の靴ヒモと一本の糸の話をしました。その話は私たちに貪ってはいけない事
を教えてくれました。私たちはどうやって貪欲心に打ち勝つ事ができますか(満足を知れば、常
に楽しい)。今、私たちは先週に暗唱した聖句をもう一度読みましょう(ヘブ十三 5)。
今日、先生が話したいテーマは「七十個の七回」です。このテーマも聖書に載っています。私
たちに人を七十個の七回を許すべきだと教えています。みなさん、七十個の七回は何回ですか
(四百九十回)。もし誰かが私たちの機嫌を損なったら、私たちに四百九十回許すようにと求めら
れたら、私たちはできますか(できないでしょうね)
。一年は 365 日があり、一日一回許しても
365 回しかありません。まして私たちは人に次から次へと機嫌を損なわれたら、とても耐えら
れないでしょう。それでは、主イエス様はなぜこんな話をされたのでしょうか(完全に人を許す
ように)。なぜ完全に人を許す必要があるのでしょうか(子供に発表してもらい、教師は解答を
保留する)。
七十個の七回
ある日、主イエス様は弟子たちと一緒にカペナウムで説教をしていました。弟子たちは聞きな
がら質問しました。主イエス様は彼らにもし、教会の人があなたの機嫌を損なったら、あなたは
個人的に人のいないところで彼に注意すべきだと語られました。反応の早いペテロはすぐに、主
よ、もし私の兄弟が私の機嫌を損なったら、私は彼を何回許したらいいでしょう、七回で足りる
でしょうかと聞きました。
ペテロは人を七回許したらもうたいへんな忍耐力が必要だと思ったが、
しかし、主イエス様は七回は足りないんだ。七十個の七回を許すべきだと言われました。この一
言はペテロを混乱させてしまいました。彼はなぜこんなに多く人を許さなければならないのか理
解に苦しんだのです。主イエス様は一つの譬えで彼らを導かれました。聖書マタ十八 23 〜 35
を読みましょう。順番でこの聖句を読み終わったら、この物語のあらすじを話して下さい(子供
に発表してもらい、先生は整理する)。
1. 王は一万両の銀を借金したしもべと決算する。
2. しもべは返済する能力がないので、王は僕に全ての財産を売り払って返すように迫る。
3.しもべは王に少し延期して下さるように哀願した。王は彼に同情を示し、彼の債務を免除しま
した。つまり、僕は借金を返す必要がなくなったのです。
6
4.彼は出て来て、自分に十両の銀を借金した仲間に出会った。あの仲間はかわいそうなほど彼に
哀願したが、彼はやはりあの仲間を牢屋に入れた。(黒板に一万両と十両の数字を比較する)。
5.ある人がこの件を王に報告した。王は大変腹が立って、この僕をも牢屋に入れました。
(35節
を読む)。
このたとえの中に主人は誰を指して知るかを考えて下さい
(神様)
。
僕は誰を指して知るのでしょ
うか(私たち世の中の人間)
。僕の友たちは誰を指しているのでしょうか(私たちの機嫌を損なっ
た人)
。先生はこのたとえをもっとはっきり説明しますが、すなわち、ある悪人はたくさんの悪い
事を働いて、その後、人は彼を神の前に連れて行ったのです。神様は彼がやった悪い事を計算され
ました。これらの悪い事はみんな彼が神様に対する借金です。神様に一万両の銀の借金があるよう
に。人間は神様の創造物であるから、神様の話を聞いて、良い子にしなければいけないはずなのに、
あの悪人は話を聞かないばかりか、あちこちで悪い事を行なって、神様を怒らせ、心を傷付けまし
た。そのため、神様は彼と勘定する事になりました。結局、あの悪人は返済できなくて、地にひれ
伏して哀願した、
「お願いします。これからきっと良い事をして弁償しますから」と言いました。神
様は彼の話を聞いた後、そばの人に、許そう、彼を放そう、彼のやっと悪い事はもう追究しないと
おっしゃいました。この悪人はこれを聞いて、大変喜んで外へ出て、一人の彼の機嫌を損なった人
に出会いました。彼はあの人の首を掴んで、とうとう捕まえた。今度は逃がさんぞ。前回お前は俺
を騙しやがって、私を捕らわれるはめにさせた、どう弁償したいか言って見ろと言ったのです。こ
の事は神様に知られたので、その悪人を呼んで来て、お前、この悪いやつ、お前は私に哀願したら、
私はお前を許した。お前は私のように人を許すべきではないかとおっしゃいました。そして、神様
は彼を牢屋に入れました。それから、神様はあなたたちはもし心から本気で兄弟を許さないなら、
私の天の父もまたあなたたちに対して、そのようになさるであろうとおっしゃいました。このたと
えは主の祈りと似ています。
主の祈りは私たちの負債を免じる事は私たちが人の負債を免じる事と
同じだと言っているので、
主イエス様は私たちを許されたのは私たちはたくさんのいい事をしたか
らではなく、主イエス様は私たちの事を愛して下さり、無条件に私たちを許されたからです。私た
ちも主イエス様のように、常に私たちの機嫌を損なった人を許すべきです。私たちの心の中にいつ
も許す事ができない人がいるかどうか、どうやって彼に彼を許した事を示すかを考えて下さい(子
供に発表してもらう。或いは日常生活の中の実例を利用して、普段の言行、態度において、注意す
べき事を討論する)エペ四 32 を読みましょう。
人を許すこそ愛
昔、ある船主は従業員に非常にケチで乱暴でした。この従業員は小柄で貧しい、いつも腹一杯
ご飯を食べられないのです。この小柄従業員は大きな桶と箱を担ぐ事ができなければ、社長は足
で彼を蹴っていました。小柄従業員は一生懸命働いて、大変苦労したのに、船主は全然彼に同情
を示さないのです。だから、この小柄従業員は船主を離れる事にしました。彼は別の仕事に就き
ました。その後、小柄従業員は主を信じるようになりました。彼は常に教会の集会に参加して、
たくさんのイエス様が人を愛する話を聞きました。何年も経って、彼は判事になりました。ある
日、あの船主が詐欺罪で訴えられて、ちょうどあの判事になった小柄従業員のところで裁判を受
ける事になりました。判事は高い座席に座って、悪魔は判事の心に、今は復讐する時だ、昔彼に
ひどい目に遭わされたから、今は仕返すチャンスだ。しかも、彼は今法律を犯したから法律に
よって、最も重い処罰を下してやろうじゃないかとつぶやいたのです。最後に、判事は悪魔の試
練に耐えられて、サタン、出て行け、私はあなたの話を聞くのか、私は彼を許し、彼が悔い改め
るよう期待していると心に決めました。この判事はいったいどうしたのだろう。彼は法律に従っ
て、公正にあの人の罪を裁きました。しかも、あなたはだまし取ったお金を全部返さなければな
7
らない。さもないと、あなたは刑務所行きだとあの人に言いました。私は返せない、私は本当に
返しようがないから、私を牢屋へ入れないようお願いしますとあの人は判事に哀願したのです。
あの人はこの若い判事が誰かまだ分かっていなかったのです。
若い判事は自分のお金で返済して
あげてから、あの人を牢屋から出しました。あの人は判事の恩恵を受けて、言葉が出られないほ
ど感動しました。最後に、彼はあなたはどうしてこんなに私を対処したのですか。あなたは私に
本当に考えられないほど寛大だとたどたどしく言いました。その時、判事はあなたはもう私を忘
れたでしょうか。よく見て下さい。私は昔あなたの船で働いた事のあるあの小柄従業員なのだ。
あなたに虐待されたあの若者なのだと言いました。あの人は頭を挙げて見ると、恥ずかしくてた
まらないから、頭を下げて過ちを謝ったのです。その後、あの船主は貧乏人をよく助ける良い人
になりました。
討論問題:
①あの船主はもともと人に非常にケチだったのに、なぜ貧乏人を助けるようになりましたか。
▲判事は彼を許したばかりでなく、彼の債務まで精算してあげたから、彼を感動させました。
②もしあなたはその判事なら、どうするつもりでしょうか(子供に発表してもらう)。
③もしある日、弟や妹などうっかりして、あなたのノートや教科書や、或いはあなたの引出しを
かき乱したら、あなたはどうするつもりでしょうか。
④学校でもしクラスメートはあなたを打ったら、あなたはどうするつもりでしょうか。
⑤あなたの機嫌を損なう人がいますか。もしいたら言って下さい。
第四課 小信の者よ
聖書:マタ六 30 〜 34;八 23 〜 27
聖書朗読:マタ二十一 21 〜 22;ヘブ十一 6;マタ十七 20
聖句:II コリ五 7
本文内容:
前回、先生は七十個の七回について話しました。つまり、常に人を許さなければならないと言
う事です。
(主イエス様は私たちの罪のために十字架にかけられて、なくなりました。主イエス
様はこんなに人を愛されたので、私たちも主イエス様を見習って、人を愛するようにしなければ
なりません。)みなさん、目を閉じて、先生の話をよく聞いて、できた人は手を挙げて下さい。
1、先週、私は人を許したことがある。
2、先週、私は人を許すことによって、楽しさを感じた。(名前を記録する)
3、先週、私はずっとある人を許さなかった。
4、先週、私は人を許さなかった事で、不安を覚えた。
(先生は1と2をすることができた子供をほめる。3、4項目の子供に対して責める必要がな
い。正直に過ちを認めることをほめる。そして、ほかの子供達に彼らのため愛する心をもつよう
に助祷することを頼む)。
8
今日、先生が話そうとするタイトルは「小信の者よ」です。これは主イエス様が弟子たちの行
いに対して出された嘆きです。
「小信」とはどういう意味でしょうか(信仰心がない)。神様は大
きな力をもっておられることを知っていながら、神様に頼らないのは小信の者です。主イエス様
はどんなことで弟子たちに小信だと言われたのでしょうか。
小信の者(一)生活のことを心配する
聖書マタ六 30 〜 34 を開いて、一緒に読みましょう。
1、この段落の聖句の中に、私たちは何事に対して心配すると指摘されたのでしょう?
▲ 生活上のこと。例えば、何を食べるのか、何を飲むのか。
2、主イエス様はなぜ私たちにあんなことを心配する必要がないと言われたのでしょうか。
▲ 野原の草の命はあんなに短くても、神様も彼らを美しく飾ってあげたから、まして私たち人
間はなおさらです。神様はきっと面倒を見て下さるからです。
▲ 神様は必ず私たちのために必要とする物を用意して下さいます。
3、人間はどうすれば、神様は人間の必要とする物を用意してくださるのでしょうか。
▲ 神様に対して信仰心を持つこと、まず「神の国と神の義」とを求めることです。つまり、具
体的に言えば、喜んで集会に参加するとか、良い行いをするとか、喜んで捧げをするとか、神様
の教会を愛して守るなどなどです。
証し、奇妙な泉
昔、台湾の山地の住民は常に山へ行って狩りをします。しかも、行ったら何日も帰らないので
す。山の奥に水道、電気などがないし、毒蛇や野獣は多いので、彼らは安全を確保するために、
多くの仲間が一緒に出掛けて、お互いに面倒を見合うのです。
ある日、山の奥にある教会の 9 人の兄弟が一緒に鹿取りに山奥へ行きました。彼らは 4 月 24
日に山に入り、5 月 1 日に山を下りて、次の日の県長選に参加する予定でしたが、不幸なことそ
の中の一人の兄弟が毒蛇にかまれ、左足は石にぶつかって腫れてしまいました。立つことさえで
きないほど痛かったのです。だから、ほかの 8 人の兄弟は毎日狩りに出て、彼一人だけが山の穴
で横になって休養することになりました。5 月 1 日になっても、その兄弟の傷が治らなかったの
です。一体、山の穴に残していいのか、それとも 8 人が力を合わせて彼を山の下へかついで行っ
たらいいのかと相談しました。山道はあまりにも険しいので、みんなに迷惑をかけては行けない
と彼が思ったので、私は一人で山に残ってケガが直ってから、自分で山を下りると彼が言いまし
た。でも、みんなはやはり安心できないのを見て、彼はまた、皆さんは私のことを心配しなくて
いい、聖霊はいつも私と共にいるから、心配しないで帰ってくださいと言いました。そこで、み
んなは残った食べ物を残して、また弁当箱や、ナベや、ビンなどで水いっぱい汲んで、彼のそば
に置きました。山の上に水がないので、山の下の川に取りに行かなければならないからです。す
べてを用意してから、みんなが心を一つにして祈ってから別れました。
その晩、この兄弟は一人で山の穴に残って、寂しくて怖かったのです。突然、彼はもっぱら主
にいつも共にしてくださるように、自分を哀れむように祈ることを思い出しました。切に祈って
から、すぐに信仰心がだいぶ強くなって、喜びが心に満ちていました。主が自分のそばにいると
感じて、静かに眠りについたのです。眠っている間に、ひげを生やした老人が自分に三つのパン
をくださって、三日後に全快して、家に帰ることができると言った夢を見ました。目が覚めたら
すぐ、ケガした足を動かしてみたが、やはり痛くてたまらなかったのです。しかし、彼は主イエ
ス様の御旨を深く信じ、少しも疑わなかったのです。時間はだんだんと過ぎ去って、山の穴にあ
る水は少ししか残っていませんでした。もし水が切れたら、どうしようと彼は考えました。しか
9
し、彼はここには水がなくなったとしても、主イエス様は全能の神だから、私はしきりに祈って、
神は聞いてくだされば、きっと何とかなると考え直しました。彼は適当に手元にある道具を持っ
て、地面を掘りました。約 50 センチ掘ったところ、地下から二本の泉が出て来たのです。この
兄弟はハレルヤ、主に感謝しますと叫びました。こんなに高い山には何と泉が出て来て、主の恵
みは本当に大きいのです。三日後、この兄弟は本当に主にいやされて、山を下りて家に帰りまし
た。(聖霊報 51 号による)
■ 討論
1、なぜ彼らは多くの人たちが一緒に山へ行って、狩りをするのでしょうか。
▲ 山の中に水道や電気などがないし、毒蛇や野獣もたくさんいるし、多くの人が一緒に行った
ら、お互いに面倒を見合うことができるからです。
2、8 人の兄弟はなぜケガした兄弟一人を山に残したのでしょうか。
▲ ケガした兄弟がそう望んで、みんなに迷惑をかけたくなかったからです。
3、8 人の兄弟は山を下りる前にケガした兄弟のために何をしましたか。
▲ 食べ物を残して、水を用意しました。しかも、彼のために祈りました。
4、独りぽっちで山に残るのが怖いことです。この兄弟はどう対応しましたか。
▲ 切に祈り、主は彼の信仰心を強め、彼と共におられ、彼に喜びと平安を与えられました。
5、みなさん、夢の中のあの老人はだれだと思いますか。
▲ 主イエス様です。
6、山の穴の中に水がなくなり、どうして二本の泉が湧いて来たのでしょうか。
▲ 主は全能の神だから、しかも、これもその兄弟の信仰によるものです。主は彼の祈りを聞き
入れました。
7、この証しを聞いて、私たちはどんな教訓を得ることができましたか。
▲ 私たちは生活の事を心配しなくていい、ただ神に対する信仰心さえあれば、集会を守れば、主
イエス様はきっと私たちが必要とするすべてのものを与えてくださるのです。
小信の者(二)困難に遭うとどうしよう、どうしようと慌てる
聖書マタ八 23 〜 27 を開いて、一緒に読みましょう。
■ 討論:
1、船にはだれが乗っていましたか。
▲ 主イエス様と弟子たち。
2、弟子たちはなぜ主イエス様を起こしたのでしょうか。
▲ 海は急に嵐が起きて、船は沈みそうになったからです。
3、弟子たちはどうやって主に助けを求めたのでしょうか。
▲ 主よ、助けてください。私たちは死にそうと言ったのです。
4、主イエス様はどう答えられましたか。
▲ 主イエス様は海をしかられました。
▲ 主イエス様はまた、この小信の者よ、なぜ怖がるのかと責められました。
5、主イエス様はなぜ彼らを小信の者だと責められたのでしょうか。
▲ 主イエス様といつも一緒にいるから、怖がるものなんかないからです。
(嵐は私たちの日常生活における困難を指しています。例えば、突然病気になるとか、事故に遭
うとか…。また何がありますか?子供に発表してもらう。こんな困難に出会ったら、恐れること
がない、神は私たちと共におられることを思い出すことです。
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信仰心のある祈りは必ず神が聞いてくださるのです
ある船は台湾から出航してアメリカへ向かいました。太平洋での航海中に突然濃い霧が海一面
に立ちこもって二日間続きました。船は危険を恐れ、ゆっくりと進むしかなかったのです。ふだ
んのスピートが出せなかったのでキャプテンは時間通りアメリカに到達することができないので
はないかと心配していました。
その船に熱心に神のために働く伝道者の木さんが乗っていました。
彼はキャプテンに、あさっての午後に私たちはきっとアメリカに着くと言いました。これは不可
能だとキャプテンは答えました。天には全能の神がいるから人間が不可能だと思うことは彼が必
ず可能にすることができます。私たちは彼を信じさえすれば、神は必ず助けてくださると伝道者
の木さんが言いました。キャプテンは私たちはどうしたらいいかと聞きました。そこで、木伝道
者はキャプテンを船の中へ連れて行って祈りました。
木さんは切々と船が時間通りにアメリカに
着くように祈りました。しばらく祈って、木さんは神が自分たちの祈りを聞いてくださったこと
を知って、立ち上がって外へ出たら、不思議なことに、日が出て、霧がウソのように消えました。
彼らの心に喜びでいっぱいでした。彼らは心から神様に感謝しました。船はこうして時間通りに
アメリカにつきました。
■ 討論:
1、
木さんはなぜ船が時間通りにアメリカに着くことができるという自信があったのでしょうか。
▲ 彼は神様が助けてくださることを信じたからです。
2、結果はどうだったでしょうか。
▲ 彼はキャプテンと一緒に祈ってから、神様は彼らの祈りを聞き入れ、日が出て、霧が消えま
した。
今日、私たちは小信の者の話をしました。主イエス様はどんな行いを小信だと言われたので
しょうか(生活のことを心配し、困難、危険に出会ったら怖がって、どうしたらいいか分からな
い)。私たちは日常生活の中で困難、危険に遭うこともあります。どんなことが考えられるので
しょうか(子供に発表してもらってから、先生は結論を出す。例えば、帰りの途中悪い人に遭っ
たとか、試験の成績が悪いとか、親が病気になったとか、お父さんが失業したとか、親が夫婦ケ
ンカしたとか、家出したとか)。もし、あなたはこのような困難に出会ったら、どうするつもり
でしょうか(子供に発表してもらって、主に祈り、助けを求めることを教える)。あなたは信仰
心さえあれば、主イエス様はきっと助けてくださるのです。
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第五課 聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな
聖書:イザ六 1 〜 8
聖書朗読:ヤコ三 5、9、10
聖句:エペ四 29
本文内容:
前回、先生は小信の者よと題する話をしました。日常生活の中に、どんなことは小信と言える
のでしょうか(生活のことでゆううつになるとか、困難に出会ったら慌ててどうしたらいいか分
からない)。神様は小信の者が好きでしょうか(嫌いです)。聖書に人間がもし信仰心がなけねば、
神に好かれることができないと書いてあります。では、どうやって信仰心のある子になれるので
しょうか(困難に遭ったら、神に追い求める。日ごろは恐れたり、ゆううつになったりしないで、
ひたすら神様が必ず助けてくださると信じたらいい)。
今日、先生が話そうとするタイトルは聖なるかな、聖なるかなと唯一の真の神様を讃えると言
う一番の賛美歌の前の歌詞と同じです。私たちは賛美歌を開いて、歌詞を読みましょう。この歌
は真の神の権力、才能と偉大さを讃え、昔、イザヤ預言者は自分の目で神を見て、自分の耳で天
使が聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主の栄光が大地に満ちると叫んだのも聞きま
した。そして、彼の人生が変わりました。どう変わったのでしょうか。
イザヤが召される
イザヤ書六 1 〜 8、順番でこの段落を読みましょう。
イザヤはウジヤ王が世を去ったニュースを聞いた後、非常にゆううつになって、一人で神殿へ
祈りに行きました。その時、彼は一つの大変な幻を見ました。どういう現象でしょうか(子供に
発表してもらう)。彼はすぐに神が非常に聖潔で、自分と民はみんな聖潔でないと感じました。彼
はどこが聖潔でないと感じたのでしょうか(唇、つまり話すこと)。だから、彼は私が滅びるば
かりと言いました。そして、一人の天使は赤く焼かれた炭で彼の口に触れて、彼の罪を取り除か
れました。イザヤは再び主のために働くことができるようになりました。彼は至る所に福音を宣
べ伝えました。そうでなければ、彼は神の働きをする立場がなかったのです。
言葉を慎む
神様は私たちに舌を作ってくださったのは神を讃えるためであり、
人に有益なことを言うため
であります。しかし、私たちはいつも若いイザヤのように人を責めるのが好きで、人を傷つける
のが好きなのです。聞きにくい話をしたのに、自分がまだ気づいていない。次のことを考えてご
覧なさい(子供に自分の経験によって発表してもらう、しかも例を挙げてもらう)。
1、 どんな話は人に喜ばれるのでしょう、一番人を助け得ることができるのでしょうか。
▲ 感謝の言葉:順境であろうと、逆境であろうと神に感謝することを知ることです。例えば、神
に感謝する、今度は驚いただけで危険なことがなかったことに感謝するとか、わが家は貧乏だけ
ど、神はわが家全員が平安無事で楽しく過ごさせてくださることに感謝する。
▲ 人に有益な言葉:つまり人に利益をもたらす言葉や、人を慰める言葉や、失敗した人を励ま
す言葉などを言う。例えば、悲しまないで、今度の試験がだめでも、次回があるからとか言う)
▲ 人を尊重する言葉:人を傷つける言葉を言わない。どんな場合でも人の身になって考える。
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2、 どんな言葉は一番人の気持ちを悪くするのでしょうか。
▲ 人をからかう言葉です。例えば、彼は豚のように太っている。
▲ 汚い言葉です。
▲ 人を皮肉に言う言葉です。
▲ 人をののしる言葉です。
▲ うるさい言葉です。
3、 気持ちのいい言葉にあなたはどう感じますか。
▲ 楽しい、メンズが立つ、あの人はいい人だと思う。助けられた、励まされた…など。
4、 聞きにくい言葉を聞いたら、どういう感じをもつのでしょうか。
▲ うれしくない、メンズが立たない、腹が立つ、人を殴りたい…そうである以上、神様に私た
ちを話がうまい人になるように追い求めましょう。
5、 自分の経験した一つの例を挙げてみんなに話してもらいましょう。
▲ (例は良かろうと、悪かろうとかまわない、先生が聞いてから分析する。良い例なら子供に
学ばせ、悪い例なら一緒に討論して、どうやって悪い言葉を良い言葉に変えるかと。もし、子供
が話さなかったら、次の実例を利用して討論を行う)。
信平ちゃんが汗だらけで応接間に入って、扇風機の前に立って、大声で涼しい、涼しいと叫ん
だ。姉の真美ちゃんは彼が風を妨げっていたのに不満をもって、信平、どこでいたずらをしたの、
ほら、豚のように体中汚れているじゃないかと言いました。信平ちゃんは、お前はかまうな、顔
にデキモノばかりで、それに化粧も変だ。鏡でも見てみろよと言いました。何!?真美ちゃんは
甲高い声で叫んだ。信平ちゃんも負けなかったので、兄弟ケンカになってしまいました。この時、
お母さんは応接間に入って来ました。うるさいね、さわぐな、お前らはケンカ以外に何ができる
のかと彼らを叱りました。このケンカは避けられるでしょうか。もしあなたは信平ちゃんなら、
どう言ったら姉を怒らせないのか、もしあなたはお母さんの立場に立ったら、どう言ったら彼ら
のケンカを止めることができるのでしょうか(子供に発表によって、この物語の結末をもう一度
述べる)。
二種類の料理
ある主人はしもべに一番おいしい料理を用意してくれと言ったので、しもべは舌料理を作りま
した。これは料理中の料理なのだ。舌は人を祝福することができるし、楽しい言葉を話すことも
できるし、人の心配事を解決することができるし、小心者とあきらめた者を励ます事もできるか
らです。
ある日、主人はしもべに最も悪い料理を用意してくれと言いました。しもべはまた舌料理を作
りました。あのしもべはこれは最も悪い料理なのだ。舌は人をののしることができるし、人を呪
うとか、人の名誉を傷つけるとか、人の心を傷つけるとか、人をお互いに攻撃し合ったり、憎ん
だり、いい仲を壊したりさせることができるからだと言いました。
このしもべは実に賢い、舌は私たちの体の中の一つ小さな器官だけど、舌から出た言葉は人に大
きな影響を与えます。あなたは舌で人に福音を伝えたり、人を慰めたり、励ましたり、賛美歌を歌っ
て神様を讃えたりすることができます。しかし、あなたはもし舌を使って人を傷つけたり、のの
しったり、汚い言葉を言ったりすれば、自分と他人を傷つけることになります。聖書朗読(ヤコ三
9、10)
:私たちは舌で主なる神を讃える一方、舌で神が自分を型取って作られた人間を呪ったら、
賛美と呪いは同じ口から出ることになります。みなさん、これはすべきことではないのです。
みなさん、自分が間違ったことを言って、神様に戒められた証しがありますか。あるいは人の
証しを聞いたことがありますか(子供に発表してもらう)。私たちは毎日寝る前に、今日、私は
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汚い言葉を言ったかどうかを考えなければなりません。これから私たちはみんな自分の言葉遣い
に気をつけなければなりません。神様に好かれる子になりましょう。
証し、言葉遣いの過ちで神に戒められた
英雄兄弟は高校生で台湾のある教会の信者です。小さい時に親と一緒にあちこちで偶像を拝み
に行きました。六歳の時に、お母さんは重病にかかって直せないで、非常に苦しかったのです。
その後、友達の紹介で真の神を知って、いやされました。それ以来、家族全員はバプテスマを受
けて信者になりました。
小学校や中学校の時、英雄は完全に聖書と伝道者の話を信じました。毎日熱心に集会に参加し
たが、高校に入ってから、自分がたくさんのことを知っていると自負して、だんだん科学を信じ、
神を疑うようになりました。神を信じる人はみんな老人たちで心理的な慰めに過ぎないと思った
のです。
普段から、英雄はあまり勉強に励んでいませんでした。試験前になって始めて一生懸命に勉強
する人でした。ある試験前の夜、お母さんは英雄に、今晩、教会へ行くかと聞きました。その時、
英雄はいいよと答えたが、実は心にはあしたの試験の事ばかり考えていました。教会へ行くか、
家で復習するかと迷っていました。最後に信仰心が足りないから、やはり行かないことにしまし
た。しかも教会に行って、何の得があるのかと言って、神の前で罪を犯しました。
お母さんは集会へ行きました。
英雄は本を持ち出して復習しようとしても五分間もたったない内
にめまいするわ、手足がしびれるわ、心臓が止まりそうになりました。変なことだね、すると、彼
はすぐにベットに倒れて、弟よ、兄よ、はやく私のために助祷して、私は死にそうだと言って意識
不明になりました。家族は三十分くらい祈ってから、彼は息を取り戻しました。その時、彼は自分
が間違ったと分かりました。先の言葉が神を怒らせたことが分かりました。彼は一人で書斎に行っ
て、神様が許してくださるように祈りました。祈りの時、聖霊に満たされて、聖霊は彼を責めまし
た。あなたが犯した罪は何か分かっているのか。重い罪だ、分かったか。生死は舌の権力の下にあ
ると英雄兄弟は大声で泣きました。彼は深く悔い改めて、神様に自分の間違った言葉を許してくだ
さるように追い求めました。神は慈悲深い神で、彼の祈りを聞き入れられ、彼の体はすぐに気持ち
よくなりました。この時、彼は本当に人の命は神の手の中にある事をよく分かりました。それから、
彼は勝手な事を言わなくなり、神に対する信仰心はますます強くなりました。
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第六課 復習
聖書:使十六 1 〜 3;II テモ一5
聖句:I テモ四 12
本文内容:
昔、ある名前はテモテと言う若い伝道者がいました。お父さんはギリシャ人で、お母さんはユ
ダヤ人です。彼は小さい時からお婆さんとお母さんに教わって、ユダヤ人は天にいます唯一の真
の神を信じる事を知りました。彼は大きくなってから、パウロに従って、外国へ伝道に行って、
至る所に教会を建てました。仕事の関係で、彼らは手分けて違う所で伝道をしなければならない
場合があります。彼一人で教会の全責任をもつ事もあります。これは若いテモテにとって本当に
難しい事です。パウロは常にテモテに手紙を書いて、彼を励まして、導きました。その中に、テ
モⅠ四 12 があります。一緒に読みましょう。
この聖句はテモテを励ますばかりではなく、私たち教会の若者をも励ましています。つまり、
私たち若者も人に自分が若くて、物わかりが悪いと思われないようにしなければなりません。い
ろいろな事において信者たちの手本になるべきです。主の小さな聖なる働き人になるべきです。
今まで、先生はもう五課を教えました。私たちは言葉、行ない、愛する心、信仰心、聖潔と言
う五つの項目に分けて勉強しました。
(まず、生徒にその課の内容と物語のテーマを聞いてから
分類する。それから、聖句が書いてある紙を出して全員に三回暗唱してもらって、そして、彼ら
にそれを実行したかどうかを聞いて、一つか二つの実例をあげる)。
一、正直と嘘つき−正直な事を言う(言葉)
二、一本の靴ヒモと一本の糸−貪らない(行ない)
三、七十個の七回−許す(愛する心)
四、小信の者よ−信仰心がある(信仰心)
五、聖なる、聖なる、聖なる−人を感謝する、人のためになる、人を尊重する言葉を言う(聖潔)
言葉において、正直な事を言って、嘘をついてはいけません。貪らない事において、どんな場
合でも満足を知って、常に楽しく送る事をしなければなりません。愛する心の面では、主イエス
様の愛を手本にして、常に人を許して憎んではいけません。信仰心においては、どんな時でも、
もっぱら主イエス様に頼らなければなりません。特に、困難に遭った時に。聖潔においては、人
を傷つける、人を罵る言葉を言わない、人を感謝する、人の益になる言葉を言って、初めて主イ
エス様の良い子になれるのです。私たちは絶え間なく努力し、少しずつ進歩して、異邦人の中に
神の御名を栄えさせようではないか。
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第七課 偉大な母親
聖書:出一〜二 10
聖書朗読:出二 1 〜 4
聖句:雅八 5
本文内容:
今日、先生は聖書の中にある一人の偉大な母親の話をしようと思います。みなさん、この人は
誰でしょうか。
モーセの母親ヨケベデ
聖書には一人の偉大な母親がいます。子供のために日夜苦労するばかりでなく、自分の命をか
けて彼らを守るまでしました。この人はモーセの母親ヨケベデです。みなさん、私たちはみんな
モーセの物語りを勉強しましたが、今、思い出して下さい。モーセは生まれた時、どんな事が起
きていた時期だったのでしょうか?(パロは全土のイスラエル人の男の赤ちゃんを殺そうとしま
した)。この残酷な命令に直面して、彼の母親はどう対応したのでしょうか(彼を三ヶ月間を隠
し、王の命令を恐れなかった)。三ヶ月後、男の赤ちゃんはもう隠しきれなくなって、彼女はど
んな方法で男の赤ちゃんを守ろうとしたのでしょうか
(男の赤ちゃんを草で編んだカゴに入れて、
川の葦の中に置いた)。その後、どんな事が起きたのでしょうか(エジプトの王女は川で入浴し
た時に彼を気付き、養子として引き取りました。男の子の姉はこっそりと王女のために乳母とし
て、モーセの母親を雇わせました。もともと、モーセは生きられなかったはずなのだが、母親ヨ
ケベデの愛と神様の御旨によって、モーセは王女の子になりました。ヨケベデが妊娠した時、自
分が男の子を産むのか、女の子を産むのか分からないので、大変不安でずいぶん悩んだのです。
彼女は女の子ならいいけど、男のはまずいと思いました。赤ちゃんは生まれた時、彼女はお産の
苦痛を我慢しながら、不安に待っていました。彼女は男の子だと聞いた時、大変悲しくなり、自
分の苦痛を忘れて、無理に起きて、赤ちゃんを見ました。彼女は赤ちゃんの可愛い太った顔を見
た時、どうしても離したくないと思って、自分の子を救おうと決意しました。聖書には、彼の父
母が彼のうるわしいのを見て、信仰心に頼って、彼を三ヶ月間隠して、王の命令を恐れなかった
と書いてあります。しかし、赤ちゃんを隠す事は簡単な事ではない。パロの部下は至る所に赤
ちゃんの泣き声を調べるからです。小さな命はいつ取られてもおかしくない。だから、その間、
一時間であろうと、一日であろうと、強い信仰心がないと持たないのです。三ヶ月はあっという
間に過ぎました。赤ちゃんはこれ以上隠す事ができなくなりました。そして、彼女はパロの残酷
な命令を逃す方法を考え出しました。彼女は信仰心と愛する心によって、神様が赤ちゃんを彼女
の懐に取り戻させました。
しかし、ヨケベデはこの人はしばらく預かる人で、大きくなってから、王宮に戻さなければな
らないと分かっていました。そこで、彼女は子供が自分のそばにいる間を用いて、急いでイスラ
エル人の歴史を教え、神はどうやってイスラエル人の先祖アブラハム、イサク、ヤコブ及びカナ
ンの地を与えた話をしました。彼女は話をするばかりでなく、絶え間なくモーセのために祈った
ので、モーセはその後イスラエル人の救い主になり、信仰心、愛する心、勇気に満ちた人になら
せました。ヨケベデは大きな手柄を立てました。
お母さんは私たちに何をしましたか
神様はモーセにだけでなく、私たちみんなにも良いお母さんをくださいました。お母さんは私
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たちに何をしてくれたかを考えてみて下さい。陳さんの家には兄弟 5 人がいて、今年、母の日に
みんな力を合わせて詩を作って、母の偉大さを讃えました。今、先生はその詩を読みます。
1. お母さんは大のコックさんだ。彼女は毎日私たちにご飯を作ってくれる。
2. お母さんは洗濯機だ。私たちの着ているきれいな服はみんなお母さんの荒いがきれいな手に
よって、洗われた物だ。
3. お母さんは偉大な保母だ。彼女は 5 人兄弟を養うばかりでなく、それに一人の甥も養った。
4. お母さんは愛する心を持つ清掃員だ。家の隅々まできれいに掃除している。
5. お母さんは八つ当たり場だ。私たちは気に入らない事があれば、彼女に向かって言う。
6.お母さんは責務を尽くす看護婦だ。私たちは彼女のもとに、病気の苦痛を無事に解消すること
ができる。一家全員の健康、楽しさはみんな彼女の苦労によってもたらされたものだ。
7. お母さんは貯金箱だ。家のあらゆる物は全部お母さんが少ない収入で節約してできたのだ。
彼らの目にはお母さんは何をしてくれたのでしょうか。もしあなたがたが書けばどう書くので
しょうか?(三、四人に書いてもらう)
。お母さんは傘のように雨が降ろうと、日が出ようとお母
さんは私たちのために守ってくれます。だから、歌謡の歌詞には世の中にはお母さんだけが素晴し
い、お母さんがいる子は宝物のようで、お母さんのいない子は草のようだという文句があります。
私たちは神にこんな素晴しいお母さんを持たせて下さったことを感謝しなければなりません。
私たちはどうやってお母さんの苦労を分担するか
そのほかに、陳さん一家の兄弟は詩の下に手紙一通を付けました。お母さんは手紙を読んで、
思わず涙をこぼしました。手紙の内容は次のとおりです:
愛するお母さん:
私たちはあなたが長年私たちのために苦労してきた事に感謝します。どうすればお母さんの恩
に報いることができるか分からないが、私たち 5 人は今日から次のことをします。一、自分で自
分の洋服、靴下、ランドセル、机及びベットを片付ける。もし、末の妹ができなければ、みんな
が彼女を手伝います。二、家事を分担します。食事前の食器の用意、食器洗い、モップかけ、床
掃除、花に水をやるなどをします。上のお姉さんが手分けと督促の責任を持ちます。三、もしお
母さんはすごく疲れたら、私たちはお母さんに肩のマッサージしたり、笑い話を聞かせたりしま
す。これらのことが気に入るように望んでいます。
5 人兄弟より
考えてみましょう
1.なぜお母さんが泣いたのでしょうか(子供たちはお母さんの身になって、お母さんの苦労を分
担するからです)。
2.陳さんの5人兄弟はどうお母さんの苦労を分担するのでしょうか?(①自分のものを自分で片
付ける;②家事を分担する;③お母さんにマッサージをしたり、笑い話しを聞かせたりする)。そ
れに、彼らは一年に一度の母の日にお自分の感謝の意を表し、最高のプレゼントを捧げたから、
お母さんは感動しない訳がないでしょう。子供がおとなしくて、賢いのは天下のお母さんの最大
の願いだから、あなたがたは今まだ小さい、まだ稼いでお母さんの恩に報いる事ができないけれ
ども、あなたがたは陳さん一家の5人兄弟に学んで、お母さんの苦労を分担することができます。
聖書朗読:箴二十三 25
今、先生は一人ずつ一枚の紙を配ります。来週、お母さんに報いるためにしたいことを二つ書
いてもらいます(先生は紙をちゃんとしまっておいて、来週チェックする)。
* 子供に来週、授業用の家族写真数枚を持ってくるように頼む。
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第八課 敬愛なる父親
聖書:ルカ十五 11 〜 32
目標:
1、放浪息子が帰って来た物語を通して、寛容なる父の愛を知る。
2、父の労苦を分かり、その愛に報いる事項をあげる。
聖書朗読:ルカ十五 20、24;箴言二十三 22、24、25
聖句:箴言二十三 25
事前準備:
1、子供たちがもって来た家族写真を壁に張り、自由に鑑賞させる。
2、録音テープ 1 本
3、ぬいぐるみ
本文内容:
前回、先生は偉大な母親について話した時に、母親の恩に報いてくださいと言いましたが、さ
て、みんなはちゃんとできたのでしょうか(3、4 名の子供を指名して、発表してもらってから、
先生は評価する)。今日の話は「敬愛なる父親」です。みんなはお父さんがいて、先見た写真の
中で、一番お父さんと似ているのはだれでしょうか?(先生は写真の状況に応じて、話をすすめ、
父親と子供の顔、スタイル、興味と親子関係に重点をおく)。あなたたちが思っている父親はど
ういう人でしょうか?(数人の子供に話してもらう。先生はとりあえず例をあげてみる。例えば、
文ちゃんは自分のお父さんが一番優しい、出張から帰ってくるたびにお土産を買ってくれる)。
お父さんを知る
とりあえず、次の数人の会話を聞いてください(テープを流す)
A、私のお父さんは酒を飲まないし、賭け事もしない。金遣いも荒くない。生活はとても素朴
です。でも、よく貧しい人を助けたり、教会に対する奉仕もとても熱心です。
B、私はお父さんが苦手です。彼があまり笑わないし、私に対する要求も厳しい。でも、ある
とき、私は車にぶつけられて、意識不明になった。私が意識を取り戻したとき、お父さんはうれ
しいあまりに、涙を流しました。この時、お父さんが厳しいけど、私を愛していることがよく分
かりました。
C、一家族の生活のために、お父さんはいつも朝早く家を出て、夜遅く帰って来ています。で
も、お父さんは一度もその大変さを口にこぼしたことがないし、文句も言わなかった。ただ、私
たちに一生懸命勉強して、社会にとって、必要とされる人間になる事だけを願っています。
D、私のお父さんはとてもいい人です。あるとき、私は一冊のノートを買って来てほしいと頼
みました。お父さんが帰って来て、私にこう言いました、
「このノートを買うために、私は数軒
の本屋と文具店も歩き回り、やっと気に入ったのを見つかった」。この時、私はお父さんが本当
に私を愛していると感じました。
E、私のお父さんは一家の主として、ふだんから私たちの学業と信仰に気を配り、よく私たち
と一緒に聖書を読んだり、お祈りをしたりします。そして、私たちに宗教教育に参加するように
いい、遅刻したり、欠席したりしてはいけないと教えています。
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F、私のお父さんはとても忙しいけど、それでも、彼はよく時間を作って、私と一緒に囲碁を
打ったり、遊びに連れててくれたりします。
以上の子供達はそれぞれ違う角度から彼らのお父さんを評価しています。例えば、生活態度、
信仰、興味、人と物事の接し方、子供の教育、仕事が熱心であるなど。彼らの話を通して、お父
さんが偉いことが分かっただけでなく、この子供たちはみんな良い子で、よくお父さんを観察し、
その苦労もよく分かっていることが分かります。あなたたちも以上の角度から、自分のお父さん
を見ることができるのでしょうか?(自発的に発表してもらい、先生は父親の愛についてまとめ
る。例えば、一生懸命お金を稼いで家族を養う。人間としてのあり方を教える。学業と生活の必
要に気を配る。全家族の信仰を引っ張っていく)。
父親の待ち
聖書にも一人の敬愛なる父親がいます。彼は一人のお金持ちで、彼には二人の息子がいて、とて
も彼らを愛していて、彼らのために必要とするすべてのものを用意して、彼らが楽しい生活が送れ
るように願っていました。しかし、ある日、下の息子が父親の前に来て、こう言ったのです:
「お父さん、一つ相談したい事がありますが、どうしても私の希望を叶えて下さい」。
「何でしょうか、私にできることなら、何でもします」。
「私はお兄さんと財産を分けたい、私の分をください」。
「どうしてでしょうか」?お父さんはこの無理な要求で混乱したのです。
「私は毎日家にいるのが好きじゃない、勉強もしなければならないし、仕事もしなければなら
ない。私は外に出て、自分が好きな生活を送りたいんだ」。
「あなたはきっと人にいじめられるから」。「私はそんなのを全然かまわないんだ」。
「あなたは悪い人に騙されるから」。「そんなことはないんだ。私は子供じゃあるまいし」。
「あなたは外できっと苦労するから」。
「ウソよ、都市はきっとにぎやかで、面白いし、苦労す
るわけがないじゃない」。
自分の子がこんなに頑固なのを見て、この父親が悲しくて言いました、
「もしこれであなたが
楽しくなれるならば、…行きなさい」。
彼は自分の子がお金をもって、うれしくて家を出たのを見て、もっと悲しくて、子供に、
「わ
が子よ、お父さんはあなたが帰って来るのを待っているんだ」と言いました。
しかし、この言葉はその子の耳に届きませんでした。
可哀相なお父さんは毎日家の前に立って、
遠い所を見つめ、自分の子が遠い所から帰って来るのではないかと思っていました。一日また一
日、彼は毎日町から来る人に、自分の末子を見たかと聞いています。ある人が彼に、
「あなたの末子が悪い仲間と一緒にいます」。
「その悪い仲間は彼のお金を使い、彼を連れて飲み、食いに出たり、悪い事をさせたりしてい
ます」。
「彼らは勉強もしないし、仕事もしない。毎日遊んでいるばかりです」と教えました。
これらの言葉は剣のように父の心を刺しています。ある日、家の僕は彼に教えて言いました、
「私は町に行った時、お坊様を見ましたが、見るには何日もご飯を食べていない様子で、多分
お金を全部使い果たして、友たちも彼から去ってしまったようです」。
お父さんはもっと悲しくなって、毎日もっと多くの時間をかけて、家の前で末子の帰りを待っ
ていました。幾日が経って、ある人が町から来て、こう言いました、
「あなたの息子さんが餓え果てて、洋服も、靴もボロボロで、乞食のようだった」。
「あなたの息子は一つの農場で人の豚を飼っているが、そこの主人は厳しくて、毎日少しの食
べ物しか与えない。息子さんがあまりにも餓えているため、豚の餌を食べている」。
19
ある晩、可哀相なお父さんはまた家の前で息子の帰りを待っていました。心の中でずっと、
「わ
が子よ、わが子よ、いつ帰って来るの」と叫んでいました。あら、遠い所に一つの黒い点が見え
ます。年老いたお父さんは首を長くして、もっとハッキリ見ようとして、前へ進みました。人影
がだんだんと近くなって来て、一人の餓えて、疲れ果てて、汚くて痩せた人が歩いて来ている
じゃないか。しかし、お父さんはその人に向かって走り出し、その首を抱きました。その人が自
分の末子だと分かったからです。この子は父の首にもたれて泣いて言いました、
「お父さん、私
が間違った。あなたに対して罪を犯しました。」お父さんは彼を責めなかったばかりか、笑って
こう言いました、
「お父さんはずっとあなたの帰りを待っていました。あなたが間違っている事
を分かれば、それでいいんだ。早く入りなさい。見て、この新しい洋服と靴は早くからあなたの
ために用意しておいたのだ。早く体を洗って、新しい服を着なさい」。
そして、お父さんは彼の指に指輪をはめ、僕たちに豊富な宴席を設けるように命じ、息子が無
事に帰って来たのを祝いました。みなさん、この末の息子はこんなにお父さんの言う事を聞かな
いのに、どうしてお父さんは彼にこんなにもよくしたのでしょうか。
(子供たちに発表してもら
う。父親であれば、みんながこのように自分の子供を愛しています。子供が過ちを犯しても、素
直に悔い改める心があれば、お父さんはきっと許してくれます)。
お父さんに報いるべき事
この物語を聞いて、お父さんが子供に対して、一番望んでいる事が何か分かったのでしょうか
(一生懸命勉強し、親の言う事を聞く、健康で、良い行いがある)。あなたたちのお父さんは何を
望んでいると思いますか?親の言う事を聞き、良い行いがあるほかに、何がありますか(自由発
表。先生は健康、学業、品質、生活と信仰の五つの面に分けて、各項目に応じて要求を出しましょ
う。例えば、偏食しない、運動を多くする、睡眠を充分にとる、毎日お祈りする、兄弟喧嘩しな
い、夜八時過ぎたらテレビを見ない、宿題をちゃんとやる、集会に多く参加する…など)。聖書
には、主にあって、父母に従えと教えています。もし、親の教えは正しければ、できるだけ親の
言う通りにして、従順を身につけましょう。親に反抗したり、言い返したりしてはいけません。
来年の父の日に、お父さんに何を送りますか?(子供に発表してもらう)。お父さんは毎日一
生懸命仕事をしてくれたから、私たちは生活を送れるのです。だから、主イエス様にいいお父さ
んを与えて下さった事を感謝し、お父さんに健康な体を下さるように祈りましょう。
20
第九課 私は神の家を愛する
聖書:ヨハ二 13 〜 16
聖書朗読:エペ一 23;五 23、29、30;I テモ三 15
聖句:伝五 1
本文内容:
前回、先生は敬愛なる父について話しました。皆さんは父の日を利用してお父さんに自分の感
謝を表したことがありますか(子供に発表してもらう)。先生は皆さんがこのような良い行いを
これからも続けてほしいと思っています。これでお父さんはみなさんが成長したのを見て、きっ
と慰められるでしょう。
今日、先生は「私は神の家を愛している」というテーマについて話したいと思います。人間は
だれでも自分の家があります。家にはお父さん、お母さんと兄弟姉妹がいます。神も家がありま
す。神の家はどこにあるのでしょうか。私たちは聖書を読みましょう。
(テモⅠ三 15)教会は神
の家なのです。だれが神の家の世帯主でしょうか。伝道者でしょうか、執事あるいは長老、責任
者でしょうか。教会の世帯主は神様です。伝道者、執事、長老、責任者はみんな神の言うとおり
に教会のことを行うだけです。それでは、だれがこの家の兄弟姉妹でしょうか(信者たち)。教
会の信者に対して、私たちはどう彼らを呼ぶのでしょうか(いくつかの例を挙げて子供に聞く)
例えば、私たちより年上の方にxx兄ちゃん、oo姉ちゃん、あるいはおじさん、おばさん、お
じいさん、おばあさん、などと呼んでいます。
世界中に色んなところに真イエス教会があります。
これらの教会はみんなどんな共通するもの
がありますか(全部真イエス教会という看板があって、集会に使われています)
。そうです。名
前は違うところもありますが、みんな真イエス教会なのです。これは神の家は一つしかないこと
を意味しています。私たちは見ているのは人が集会を行う場所に過ぎません。
教会とは何か?
一体、教会って何でしょうか。考えてご覧なさい。だれか教えてくれますか(作文のように先
生はそれぞれを黒板に書く)。
例えば:
教会:人々が集会を行う場所です。
教会:神の家です。
教会:多くの人がいって、男女老若、みんなイエス様を信じる人たちです。
教会:すなわち、礼拝堂です。礼拝堂イコール教会です。
教会:屋根に十字架がかかっている大きな建物です。
教会:教会イコール礼拝堂ではない。例えば、人々は森の中で集会を行い、神を礼拝すれば、そ
れも教会と言えます。
はい、皆さんはとてもいい答えを出しました。しかし、一体、こんなにたくさんの答えは正し
いかどうかを見て見ましょう。まず、聖書にはどう書いてあるかを見ましょう(エペ一 23)。言
い換えれば、イエス様は私たちの頭なのです。私たちは各自頭をいくつ持っていますか。体はい
くつ持っていますか(もちろん、一つしかない)。私たちの主イエス様は真の神で、真の神は一
人しかいないから、彼の体も一つしかないです。つまり、神の教会は一つしかないです。しかし、
なぜ私たちは常に多くの教会の名前を耳にするのでしょうか(例えば、大阪の河南教会、台湾教
21
会、東京教会など)。もしあなたはどの教会の信者かと聞かれたら、あなたはどう答えますか(正
しい答えは真イエス教会xx教会です)。
今、私たちは結論を出しましょう。教会はつまりあらゆるイエス様を信じる、イエス様を愛す
る、イエス様のご命令に従う人々で集まった一群れの人々という事です。教会は集まった一群れ
の人で、この人たちは一般の群衆と違って、特別な人間なのです。どう特別かというと、この人
たちは次の三つの条件を備えなければなりません。その一、主イエス様を信じる。その二、主イ
エス様を愛する。その三、主イエス様のご命令に従う。この三つの条件を揃えなければ、教会に
はなれないのです。だから、もし、五人の真イエス教会の信者は大きな船で集会を行い、聖書を
読み、祈りをし、神を礼拝すれば、その五人は教会と言えるのです。それでは、今から、先みな
さんが言った教会の意味が合っているかどうかを見て見ましょう(先生は一つずつ読み、子供を
指名して発表してもらう。正しいかどうかを判断してもらう。もし間違いがあったら、その子に
指摘してもらう)。
私たちはみんなイエス様の肢体です
今、私たちは一緒に私たちがイエス様との関係を検討しましょう。
みなさんはまず、自分の体を見てごらん、人間の体はどの三大部分から出来ているのでしょう
か(頭、胴体と手足です)。もちろん、細かく分ければ、またいろいろな部分があります。例え
ば、手のひら、指など、体には関節もたくさんあります)。胴体の中にも内蔵がたくさんありま
す。とにかく人間はたくさんの大きいと小さい器官からなるのです。大小を問わず、それぞれの
機能を持っています(耳、舌、胃など、子供に発表してもらう)
。一人の健康な人間は体の各器
官を正常に手分け良く働かせようとすれば、総指揮官が必要となります。指揮官は右手をあげろ
と命令を下すなら、右手は命令とおりに手をあげる。指揮官は口を開けろ、目を閉じろと命令を
下したら、口と目はそのとおりに従う。皆さんはこの総指揮官はだれかを知っていますか。はい、
そうです。これは私たちの頭なのです。
今、私は先の説明を持って、私たちと主イエス様との関係を説明します。
(先生は出来れば、人
体構造図をもって説明する)。頭は主イエス様で、体全体は教会と似ています。つまり、私たち
主を信じる全員を指します。信者各位はそれぞれの器官みたいにそれぞれの機能が違っていて、
それぞれ違う働きを担当しています。例えば、ある人は「小指」の仕事を担当し、ある人は「口」
の仕事を担当し、ある人は「足」の仕事を担当するなど。教会の中で、ある人が「手」であり、
事を運ぶのがうまい。ある人が「足」であり、歩くのが得意で、福音をあちこちに宣べ伝える。
ある人は「口」であり、賛美歌を歌うのが上手だし、人を慰めるのも達者です。
皆さん、私たちは教会の中でどんな仕事を担当するのでしょうか。はい、みなさんは小さいか
ら、小指、薬指の仕事を担当すると思っているでしょう。親指は大きいけれども、もし、小指や
薬指がなければ、ペンを持って、字を書くとか、箸を持って、ご飯を食べるとか、ホウキを持っ
て掃除するなどのことをしようとすれば不便になるでしょう(もちろん、不便です)。もしかゆ
みをかくとか、耳をほじるなどをするとき、小指は一番ふさわしいでしょう。これらのことから
も分かるように、人間の各器官は皆大事で、お互いに手分けして協力し合って、始めて楽しい生
活が出来るのです。教会の中で、兄弟姉妹はみんな体の器官の一つであり、つまり、聖書に書い
てある肢体との事です。イエス様は私たち全員の頭であり、もし、みんなは頭に従うことが出来
るなら、すなわち、主イエス様の御旨に従うなら、手分けと協力が体である教会を構成できます。
だから、礼拝堂は教会ではない。それは建物に過ぎない。教会は一群れの人間からなるのです。
これらの人たちは主イエス様を信じ、イエス様を愛し、イエス様のご命令に従う。これらの人た
ちは一緒に聖書の教えを勉強し、神に祈り、礼拝する。これこそ私たちの言う「教会」なのです。
教会は神の家であり、教会堂は私たちが神を礼拝するところである以上、教会堂を愛護しなけれ
ばなりません。
22
私たちは教会を愛している
文恵ちゃんも弘ちゃんも少年クラスの子供です。彼らは教会は神の家であることを知ると先生
に、先生、私たちは子供だけれど、教会のためどんなことができますかと聞きました。先生は文
恵ちゃんにあなたは一番好きなのは何かと聞きました。
文恵ちゃんは私が絵を描くのが大好きで、
学校の美術の先生は私の絵をほめていると答えました。それじゃ、あなたは毎週先生のために絵
を一枚書いてください。その絵によって、子供たちに集会に参加するように呼びかけるのだ。弘
ちゃん、あなたはと先生は聞きました。弘ちゃんはしばらく考えた末、先生、私は自分が何がで
きるのか分からない。しかし、毎回、児童集会が終わったら、いすや机などは乱れていたと気が
付きました。私は机やいすなどを整理するのを手伝うと弘ちゃんが言いました。先生は、すばら
しい、これから部屋を片付けるのを手伝ってくださいと言いました。あれ以来、少年クラスの教
室にきれいな絵が増え、机やいすもきちんとなりました。ところが、ある時期、弘ちゃんは風邪
を引いたので、集会が終わって教室は乱れたままだった。先生は弘ちゃんは今病気になっている
ので、だれか彼の代わりに教室を片付けるかと聞きました。すると、何人かが先生、私がやると
手をあげて言いました。その後、もっと多くの子供たちは少年クラスの各種の仕事を担当するよ
うになりました。例えば、ピアノを弾くとか、先生のためにものを運ぶとか、いす、机を並べる
とか、掃除するとか、集会に来なかった子供と連絡を取るとか、教会の聖書や賛美歌を整理する
とか、みんなは家族みたいです。先生はそれを見て、大変うれしかったのです。しばらく経って、
先生はいくつかの欠点に気づきました。それは集会の時におしゃべりをし、祈りの時に座布団を
音が出るようにかき回して、集会の安静と敬虔の雰囲気を壊してしまい、教会の聖書や、賛美歌
に落書きをすることです。それで、先生は子供たちに、ここ数週間、みなさんは進んで色んなこ
とをして来ました。先生はそれを見てとてもうれしく思っているばかりでなく、天にいる真の神
はもっと喜ぶに違いない。しかし、いくつかの欠点が残っています。直してほしいと先生は気づ
いた欠点をありのままに話しました。それらの過ちを犯した子供たちは先生の話を聞いて、大変
恥ずかしくなって、間もなくその過ちを改めました。みなさんもそうできますか。少年クラスの
みなさんは幼稚クラス、幼年クラスのお兄さんとお姉さんで、彼らの手本になるべきです。
こうすれば神を喜ばせる
ある過越しの祭りに、主イエス様はエルサレムの聖の宮へ神を礼拝しに行きました。昔、神を
礼拝する時に、賛美歌を歌い、お祈り、説教を聞き、捧げ物する外に、羊、牛、ハトを殺して神
に捧げなければなりません。多くの外国からの人たちは動物を買い、両替などがとても不便だと
思いました。すると、商売人は頭を働かせて、聖なる宮の中で牛、羊、ハトを売る商売を始めま
した。また、両替のコーナーを設ける商売人もいました。だから、過越しの祭りになると、聖の
宮は汚されてしまい、しかも、聖の宮は市場のように混雑で騒がしい。主イエス様はそれを見て、
非常に腹が立ちました。聖の宮は神を礼拝する所だが、聖の宮を利用して金儲けをするなんで、
神を礼拝する心は全くなくなったじゃないかと思いました。だから、主イエス様はどんなことし
ましたか(牛や羊を全部聖の宮から追い出して、両替の机をひっくりかえした)。また何を言い
ましたか(聖の宮を商売場にするな)。それらの商売人はみんなこわがってたまらなかった。だ
れも反抗する勇気がありませんでした。彼らは金儲けのために聖の宮を汚したからです。
主イエス様は教会に来て神を礼拝するなら、教会堂を愛護し、教会の物を大事にし、教会の清
潔さを保たなければなりません。集会のとき、静粛、敬虔な雰囲気を保たなければならないと教
えています。もし、私たちは主のご命令に従ってやれば、神の家のいい子になれます。
みなさん、この話を聞いて、どう教会を愛護するかを考えてもらいましょう(子供に発表して
もらう)。具体的な行動をあげ、先生は黒板に書き、しかも、子供たちにその週に一つか二つく
らいの教会を愛護することをしてもらう)。
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第十課 耳で聴きながら、口で聞く
聖書:ルカ二 41 〜 46
聖書朗読:ルカ二 46;使七 22
聖句:ヤコ一 5
本文内容:
前回、先生は私は神の家を愛するというテーマを話しました。神の家とは何でしょうか(教
会)。聖書には教会はイエス様の体で、主を信じ、主の話を聴く者なら、教会という大家族の一
員であると書いてあります。私たちはどうやって教会を愛したらいいでしょうか(兄弟姉妹は愛
し合い、教会をいつもきれいにし、教会の物を大切にし、集会の時は静粛を保ち、敬虔な雰囲気
を保つことです)。絶対にユダヤ人のように聖の宮の中で物売りをして、聖の宮の秩序を壊すよ
うなまねをしてはいけません。
(この一週間にいい行いをした子供をほめて、そして、欠点を指
摘して改めてもらう)。
今日、先生は話したい話は耳で聴きながら、口で聞くと言うことです。このテーマは聖書に書
いてあります。捜して見ましょう。聖書のルカ二 41 〜 47 を開きましょう。ここには少年の時
の主イエス様が聖の宮で説教を聴く物語が書いてあります。みなさん、一緒に読みましょう。
ユダヤ人の習わしに従って、過越しの祭になると、各地に住むユダヤ人はエルサレムの聖の宮
に戻って、過越しの祭を送るのです。そこで、神を礼拝して、しかも、牛や羊を殺して神様に捧
げます。主イエスは12才の時に親についてナザレからエルサレムへ過越しの祭を守りに上りま
した。過越しの祭が過ぎると、みんなが家に帰りました。しかし、主イエス様は説教を聴くのが
大好きで、家に帰る時間を忘れてしまいました。親もみんなと一緒に家に帰りました。イエス様
は後についてくると思っていたが、しかし、一日歩いてもイエス様が見えなかったので、そこで、
友たちに聞いても、捜しても見つからなかったのです。焦ってエルサレムに戻って見ると、主イ
エス様が聖の宮でまじめに説教を聴いていたのに気が付きました。イエス様は耳で聴きながら、
口で聞いていました。
まじめに勉強するイエス様
一、機会をつかむこと
イエス様は小さい時にはもう親の指導を受けて、簡単な律法を勉強して、どう神を礼拝して、
人を愛するかを知っていました。しかし、やはり分からないところが残っていました。だから、
彼は 12 才の時、親が彼を連れてエルサレムへ過越しの祭を送りに行った時、聖の宮で先生が説
教しているのを見て、主イエス様はその機会をつかんで、教えていただき、分かるまでとことん
聞きました。
二、耳で聴きながら、口で聞く
イエス様は先生の前に座り、まじめに説教を聴き、分からないところがあれば、すっかり分か
るまで聞きました。過越しの祭が終わって、みんながエルサレムを離れて、家に帰ったけれども、
イエス様だけがまだたくさんの疑問が残っていると思っていたので、エルサレムに残って、引き
続き勉強しました。イエス様がなんと勉強好きでしょう。イエス様がまじめに勉強したので、分
かる物はどんどん増えて、質問もますます深くなりました。そばにいる人たちも彼が賢い子だと
ほめ、彼の親も汗だらけで彼を見つけた時、この様子を見て驚きました。この子はこんなに頭が
24
いいとは思いもよらなかったからです。主イエス様は小さいけど、連日説教を聴いても全然疲れ
はしないし、かえって聴けば聴くほど興味がわいて来て、
家に帰ることすら忘れてしまいました。
その後、親と一緒に故郷のナザレに帰りました。その時でもやはりまじめに律法の書を勉強し、
その教えに従って日常生活に実行していたから、親孝行で、弟を愛し、人々に好かれる良い子にな
りました。聖書のルカ二 52 を読みましょう。彼は日々大きくなり、ますます賢くなり、神も人間
も彼のことを愛していました。30 才になった時、伝道を始め、多くの人は彼の説教を聴き入って
いました。彼がいる限り、人々が群がって、先を争ってその説教を聴きました。彼の話は知恵に満
ちたからでした。多くのかわいそうな人を慰めて、天国からの恵みを彼らにもたらしました。
今日、私たちは学校へ通う機会に恵まれて、イエス様を見習って、まじめに勉強し、授業の時
はまじめに授業を受け、分からないところがあれば分かるまで聴かなければなりません。時間を
むだにぜす、身につけたものを神様に捧げ、教会のために、社会のために、もっと大きな貢献を
しなければなりません。
どう勉強するか
宏ちゃん小学校 6 年生の生徒です。日ごろは遊んでいるばかりで、まじめに勉強しない、授業
もまじめに受けない、テストの直前になって始めて頑張るのです。分からない数学の宿題にあっ
たらまる暗記しかない。毎日遅くまで勉強したとしても、テストの日にはやはりたくさんの宿題
がまだやり終わっていない。それに成績は一向に上がらないのです。
文彦ちゃんはなおさらです。勉強に全然興味がない。勉強という言葉を聞くと頭が痛くなる。
毎日学校が終わって、家に帰るとすぐランドセルを投げて、あっと言う間に影も見えないように
行ってしまいます。晩ごはんにならないと帰って来ない。ご飯の後は居間でテレビを見るばかり
で、お母さんは何を言っても聴かない。だから、テストは例外なく成績が悪い。先生は彼に班長
を担当させたが、テストの成績がいつも悪かったので、他の人に転任させました。彼は大変恥を
かく思いをしました。 宏ちゃんと文彦ちゃんは一体どうなったのでしょうか。なぜ成績が悪
かったのでしょうか(子供に発表してもらう。先生は結論を出す)。
正しい勉強方法:
1、主に頼る
もし記憶力が弱い或いは授業が分からない時に、多く祈ること、神様に知恵を与えてくださる
ように追い求めることです。賢さと知恵はみんな神の賜物です。ソロモン王の知恵も神に求めた
物です。
2、一生懸命勉強する
授業をまじめに受け、帰ったら時間通りに宿題を終わらせ、授業前に予習しなければならない
し、授業後は復習しなければなりません。
3、まじめに勉強する
遊びながら勉強してはいけない。こうして始めて能率が上がるのです。さもないと時間をかけ
ても効果がないはめになってしまいます。
4、分からないところがあれば、先生かクラスメートかに聴かなければなりません。本をまる暗
記するだけではだめで、本の内容を完全に理解しなければなりません。
5、主のために勉強する。
点数のためにクラスメートと争ってはいけません。テストのために勉強するのもだめです。成
績が上がれば高ぶらない。常に主イエス様のために勉強することを念頭において、いろいろな技
能と知識を勉強し(書道、作文、絵画、ピアノなど)、大きくなったら、それを使って教会のた
めに働きましょう。
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第十一課 艱難中の良友
聖書:サム上十八 1 〜 4;十九 1 〜 7;二十;二十五 2 〜 15;
サム下十七 27 〜 29;十九 31 〜 39
聖書朗読:サム上十八 1;サム下十七 27 〜 29;
サム上二十五 32 〜 33;箴二十七 17;十三 20
聖句:箴十七 17
本文内容:
私たちはこの世の中に生きるには友たちが必要なのです。
「赤に近づく者は赤になり、黒に近づ
く者が黒くなる」と言うことわざがあるように、友たちは自分に対する影響が大きいのです。すな
わち、もし私たちはいい人と友たちになったら、彼らは私たちを助けるが、もし悪い人と付き合っ
たら、彼らの悪い影響を受けて、悪い人になるということです。今日はどう友たちを選ぶのか、ど
う友たちと付き合うかについて話そうと思います。ダビデは賢い国王で、彼は友たちとうまく付き
合ったので、いつでも、どこでも彼を助ける人がいて、彼のために命を捧げる者さえいました。
命の恩人ヨナタン
ダビデはまた羊飼いの時の事でした。ある日、お父さんは彼を前線で戦っている兄たちを見に
行かせました。その時、ペリシテ人はイスラエル国を攻めた時でした。ダビデは敵のゴリアテが
大声で真の神とイスラエル人を罵ったけど、応戦する者は誰ひとりもいなかったのを見て、自分
が勇敢に国王に自分をゴリアテに応戦させるようにお願いしました。
ダビデは信仰心のゆえに神
様は彼を助け、ゴリアテを撃ち殺しました。ダビデはすぐにイスラエル人の英雄になりました。
みんなは非常に彼を尊敬するようになりました。
ヨナタンは国王サウルの息子で、勇敢な戦士でもあります。彼はダビデと知り合った時、本当
に「英雄は英雄を通ずる」ように、すぐ好き友になりました。
しかし、サウルはダビデを妬んでいました。悪魔が彼の身にかかった時、彼はダビデを殺そうと
しました。
ヨナタンはダビデを守ろうとしたので、
お父さんにダビデを殺さないように言いました。
第一回目はお父さんは聞き入れたが、その後、悪魔はまた邪魔してサウル王はまたダビデを殺そう
と思いました。ヨナタンは再びサウル王を止めようとしたが、お父さんにガンガン怒られて、もう
少しのところで自分も殺されそうになりました。これで、ヨナタンはお父さんがダビデを殺す決意
がもう固まったと知って、いろいろな方法でダビデに逃げるように知らせてあげました。二人は別
れるときに抱き合って大泣きしました。その場面はとても感動的でした(サムⅠ二十 41、42)
。
ヨナタンはダビデの安全に気を使っていたにもかかわらず、
ダビデに神様に頼るように励まし
た。しかも彼を恐れないように慰めました(サム。 二十三 16 〜 18)
。
その後、ヨナタンは戦場でペリシテ人に殺されました。ダビデはこのことを聞いたとたんに、
大声で泣きました。哀歌を作ってヨナタンを記念しました。ヨナタンにはメピボセテという名の
息子がいました。足の不自由な人でした。ヨナタンがなくなったニュースが伝わった時、その子
は5才でした。お母さんは彼を抱いて走り過ぎたので倒れてしまって、それであの子の両足が不
自由になりました。ダビデはこのことを聞いて彼を王宮に迎えて、王宮に暮らさせました。彼を
わが子のように取り扱って、常に彼と一緒に食事を共にしました。
ダビデとヨナタンの友情は本当に尊くて偉大なものです。
26
時期を見逃さずに勧告するアビガイル
ダビデは逃亡生活を始めました。多くの人は彼は無実だと知っていたので、みんなが彼を助け
ました。彼について行く人がますます増えたから、もっと多くの食物が必要となりました。だか
ら、他人の助けももっと必要となりました。
その当時、ナバルと言う大富豪がいて、彼は羊の毛を切るためにたくさんの労働者を雇いまし
た。労働者の食事のため、たくさんの食物を用意しました。ダビデはこのことを知ってから十人
のしもべを遣わしてナバルに食物をもらいに行かせました。しかし、ナバルは食物をあげなかっ
たばかりでなく、汚い言葉でダビデを罵りました。ダビデのしもべたちはメンズが丸ごとつぶさ
れて、手ぶらで帰って来ました。ダビデがしもべたちの報告を聞いて、大変腹が立ちました。昔、
自分がナバルを助けたのに、今はナバルがこの恩をすっかり忘れて、全然助けてもらえないばか
りか、人を罵る何でとんでもないやつだとダビデが考えれば考えるほど腹が立ったから、四百人
を率いて、ナバルと決着をつけようとしました。
ナバルのしもべがそれを知って、すぐに女主人のアビガイルに報告しました。美しくて賢いア
ビガイルはしもべに多くの干しぶどう、干しイチジク、羊の肉、飲み物を贈り物として、ロバに
乗せてダビデに会いに行きました。
彼女はダビデに会うとすぐにロバから降りて、地にひれ伏して、礼儀正しくダビデに、我が主よ、
怒らないでください。私の夫のナバルは愚かで頑固な人で、彼は事を運ぶのが無頓着だから、お許
しください。天にいます真の神は特別にあなたを将来のイスラエル国王に選んで、あなたの身分は
何と尊いだろう。ナバルのような人を気にかけないでください。もし、今日あなたは腹が立ってナ
バルを殺したら、あなたの人生の中で汚点を残すことになります。あなたは一生良心にさいなまれ
るようになるだろうと言いました。ダビデはその話を聞いて、大変筋が通ると思って、すぐ神を賛
美し、怒らなくなりました。
(サムⅠ二十五 32、33)もし、アビガイルの時機を見逃さぬ勧告が
なければ、ダビデはきっと大間違いを犯して、一生後悔するはめになるに違いありません。
緊急事態での応援をするバルジライ
ダビデは国王になった後、ある日、彼の息子のアブサロムは反乱を起こして、兵隊を連れて彼
を殺そうとしました。ダビデはイスラエルの民の安全のために急いで逃げました。マハナイムに
ついて、そこにはバルジライと言う八十才の老人がいて、とても愛のある人です。ダビデたちが
荒野を見廻って、大変苦労して、お腹がすいて、疲れているのを見て、彼はたくさんの日用品と
食べ物を出して、ダビデたちに与えました。(サムⅡ十七 27 〜 29)
その後、アブサロムは死にました。ダビデはイスラエルへ戻ろうとした時、バルジライは優し
いお父さんのようにダビデをヨルダン川の岸まで見送りました。ダビデは彼を王宮に一緒に住む
ように誘いましたが、彼はダビデの好意に感謝の意を表してから、息子だけを王宮へ連れて行く
ようにお願いしました。ダビデはこの世を去る前に息子のソロモンにバルジライの子孫を厚く取
り扱うようにことづけました。
ダビデは艱難の時に慰めと助けを与えたのはバルジライだけだっ
たからです。
問題討論:
1、今日私たちが話したダビデの三人の良友の名前は何でしょうか。
(ヨナタン、アビガイル、バルジライ)
2、ヨナタンとダビデは「命の仲」と言われています。彼はどうやってダビデを助けたのでしょ
うか。
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(ダビデを助けるため、命の危険を冒して、お父さんを勧告しました。その後もダビデの逃
亡を助けました。)
3、ダビデはどうヨナタンに恩返ししたのでしょうか。
(ヨナタンの息子のメピボセテのめんどうを見る。)
4、アビガイルはダビデに対する助けは何でしょうか。
(彼女はダビデが腹が立ってナバルを殺そうとした事を聞くと、すぐにダビデを勧告したの
で、ダビデが大間違いを犯さずに済みました。)
5、バルジライはいつ多くの食べ物をダビデに与えて、ダビデを助けたのでしょうか。
(ダビデがアブサロムに追われて、逃げまくった時です。)
だれが私たちの良友か
先の話を聞いて、ダビデは幸運で三人の良友をもって、艱難の時、彼らはダビデを助けました。
今、私は誰が私たちの友たちなのかを話してみたいと思います。
(一)晶ちゃんの友達
彼女にはたくさんの友達がいます。三種類に分けることができます。
1、普通の友達
2、遊び仲間
3、本当のいい友達(良友)
(二)どう友達を選ぶか
人々は日常生活の中で気に入らないことや苦しいことに会うことがあります。その時は友達の
助けが必要になります。だから、普段、私たちは良友を作らなければなりません。しかし、ある
種の人間が嫌われる人間です。そういう人間を見るだけでむかつくのに、ましてや友達になる訳
がないでしょう。どんな人は友達になりにくいのかを教えてくれるのでしょうか(子供達に発表
してもらい、先生は結論を下す)。
1、汚い:お風呂に入らない、体には臭い匂いがする。
2、品性が悪い:人を殴り、罵り、人の仲を裂く、盗み、汚い言葉を言うなど。
3、性格が悪い:怒りっぽい
4、人を訴えるのが好き
5、法螺を吹く
6、高ぶる、人を見下げる
しかし、聖書には(マタ七 12)と書いてあります。だから、もし私たちは先に言った欠点が
あれば、だれも私たちと友達になりたくないでしょう。今、私たちの友達はどんな長所があるか
を考えましょう(性格が穏やかで、謙虚で、礼儀正しい、いつも笑顔で、勉強家で、人を助ける
のが好きで、人にウソをつかない、約束を守など)。
(三)どうやって友達と付き合うのでしょうか
もし良友となりたいならば、どう友達と付き合うかを知らなければなりません。
(印象を深め
るために、以下六項目を先生が話しながら、黒板に書く)
1、正直で人をだまさないこと
友達同士は正直でごまかすなんかしない、信用を守らなければなりません。
2、友達を尊重すること
友達に礼儀正しく、いい加減な言葉で人を傷つけてはいけません。
3、苦楽を共にすること
28
楽しいことがあれば、一緒に楽しみ、つらいことがあれば、お互いに慰め、励まし、助け合
うことをしなければなりません。
4、お互いの長所を認め合うこと
人間はそれぞれ長所があります。私たちは互いに友達の長所に学ばなければなりません。
5、過ちを指摘すること
友達が過ちを犯したとき、穏やかに彼を勧告する。自分には過ちがあれば、謙虚に友達の勧
告を聞き入れなければなりません。
6、私利私欲を図らないこと
どんな場合でも友達の立場になって考えなければなりません。
(四)聖書に書いてある友達付き合いについての教え
(生徒に読んでもらい、先生が説明し、励ます)
1、箴言十三 20
2、箴言二十二 24、25
3、箴言二十七 5、6
4、箴言十八 24
今日、私たちは艱難中の良友についていろいろと勉強しました。ダビデは友達との付き合い方
を一番知っていました。艱難の中で友達の助けもたくさん得ました。みなさんも何人かの友達が
必要とするではないでしょうか。それならば、あなたはどう人に対処するのでしょうか。どう友
達を選ぶかによって決めることです。
問題討論:(子供に発表してもらい、先生は結論を下す)
1、あなたはどんな友達を選ぶのでしょう
(礼儀正しい、一生懸命勉強する、品性が良い、信仰が良い、性格が良い、愛する心がある、
同情心があるなどの人)
2、あなたはどう友達に対処するのでしょうか
(友達に困難があって助ける必要があれば彼を助けなければなりません。勉強がよくなけれ
ば、教えなければなりません。病気になったら、見舞いに行かなければなりません。つらいこと
があったら慰めてあげなければなりませんなど)
29
第十二課 私は国を愛する
聖書:ネヘ一 1 〜 11;二 1 〜 8
聖書朗読:ネヘ一 5 〜 11
聖句:II テモ二 1、2
本文内容:
前回、先生は「艱難中の良友」について話しました。私たちは友人選びには良い友達を選ばな
ければなりません。それでは、どんな人は良い友達でしょうか(正直、正義感がある)。どんな
人は悪い友達でしょうか(怒りっぽい、ごますりをする、偽り、離間する)。ダビデは友人選び
の名人だし(ヨナタン、アビガイル、ベルジライ)、友達とどう付き合うことも心得ていたから、
艱難の中でいつも友達に助けてもらえました。
国を愛するネヘミヤ
今日、先生が話そうとするテーマは「私は国を愛する」です。聖書の中に一人の大変国を愛す
る人のことが書かれてあります。誰でしょうか。この人はネヘミヤです。彼はユダヤ人で、国が
滅ぼされたときに捕虜となってペルシャに連れて行かれました。王の給仕役として毎日国王の傍
らにいて国王のために酒の調製したり、作ったりしました。ネヘミヤはまじめに働き、人に穏や
かに接したから、国王の信頼を得ました。
彼は王の給仕役として裕福な生活を送っていたが、
国が滅ぼされたことを思い出す度に大変悲
しくなり、自分の国に帰って、国を再建することをいつも願っていました。ある日、ネヘミヤは
エルサレムの城壁は敵に壊されて、城の門まで焼かれて、民の生活は非常に苦しいという話を聞
いて、つらくて泣き出しました。何日も続いて、ご飯も食べられなかったのです。彼は神の前に
跪いて、ずっと涙を流しながら祈りました。では、彼はどう祈ったのか見てみましょうか。
(ネ
ヘミヤ一 5 〜 11)彼はあわせてどんなことのために祈りましたか(子供に発表してもらう)。
1、イスラエル人の過ちのため、悔い改めて祈りました。
2、もしイスラエル人は神の話を聞き、悔い改めて神の戒めを守るならば、神がイスラエル人
を連れ戻してくださるように祈りました。
3、神に自分の願いが叶えられるように祈りました。
ユダヤの国の滅びの原因は彼らが神の話を聞かなかったからです。
ネヘミヤは非常に敬虔な人
で、国の復興のために彼は切に神にイスラエルの民の過ちを許すように祈り、しかも神の約束を
守るように祈りました。神はかつて、もしイスラエル人が神の話に従うならば、各地の散らされ
た民を国に返して、新たに国の再建することを約束されたからです。ネヘミヤもその建設の行列
に加わり、自分の力を尽くしたいと思っていたので、神に国王の心を感動させて、自分をユダヤ
地に帰らせるように祈りました。このような国を愛する祈りは神に聞き入れられました。
ある日、彼は国王のために酒を並べ、そして酒を国王に捧げたとき、王は彼が大変悲しげな顔
をしていたのを見て、進んで彼に何か心配事があるのかと聞きました。ネヘミヤはこれが願って
もなチャンスだ、見逃したら一生後悔すると思って、勇気を出して、自分の故郷は今は大変荒れ
た模様で、敵に城の門まで焼かれてしまって、民の生活は非常に苦しいと言いました。王はその
話を聞いて、ネヘミヤが国に帰るのを助ける事にしました。すると、ネヘミヤは喜んで、自分の
ずっと前から考えて来た計画を打ち明けました。
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1、自分をユダヤの地へ返して、エルサレムの城を再建する。
2、国王の命令書を自分に賜り、通行書として無事に故郷に帰られるように。
3、国王にエルサレムの城を建てるためのいい木材をくださるように。
ネヘミヤは唯一人の地位の低い給仕役に過ぎません。この要求はあまりにも度を越えていまし
た。しかし、思いがけないことに国王は何も言わずに承諾しました。少しもためらいを見せな
かったのです。これは一体なぜでしょうか。
(子供に発表してもらう)彼は国のために切に涙を
こぼしながら祈って、神は彼の祈りを聞き入れられて、国王を感動させたからです。
なぜ国を愛さなければならないのか
この地図をご覧なさい(世界地図を見せる)、彼らの国はどこにありますか。神は人間それぞ
れ自分の国を持たせます。私たちに国は日本です。国は私たちの命と財産を守ってくれるばかり
でなく、私たちが勉強できるようにいろいろな学校を設けました。こうして始めて私たちは多く
の知識と技術を身につけることによって快適な生活を送ることができました。
今、私たちの生活は非常に豊かで、衣食住、そして遊びまで全部そろっています。しかし、ア
フリカの一部の国は飢饉が起き、民たちは食べることもできない生活を送って、皮一枚しかない
ほど痩せています。毎日死ぬか生きるかの境をさまよい、もしまだ食べ物がなかったら、いつ死
んでもおかしくありません。私たちは彼らと比べたら幸せ過ぎると言ってもいい位です。まるで
天国と地獄の差です。
私たちは今日こんな自由平安な生活を送ることができることで国に感謝し
なければなりません。
私たちは国のために祈るべきだ
国から多くのメリットを得た以上、もっと多く国を愛して、それを守るべきです。あなたたち
は幼い年で国にどんなことをする事ができるかを考えてみてください(自由発表をしてもらう:
一生懸命勉強して、将来社会のため有益なことをするとか、大きくなったら、兵士になって国を
守るなど)。私たちはネヘミヤに学んで、国のために絶え間無く祈るべきです。国には平安があっ
て、始めて私たちの楽しい生活があるからです。聖書にも国王のために祈れと教えています。私
たちはどうやって彼らのために祈ったらいいでしょうか(国の大事を処理する知恵を持つように
とか、体が健康であるようにとか、天にいる真の神を認識するようになど)。今、私たちは国の
ためにどんなことを祈る必要がありますか(生徒と討論する。例えば、社会の安定、力を合わせ
て団結して国を強くするなど)。そのほか:国にはまたどんな指導者がいるのでしょうか(例え
ば、総理大臣、各省の長官)。彼らのためにも祈らなければなりません。彼らに総理大臣を補佐
する知恵と能力などを与えるように求めてください)。(聖書朗読
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テモⅡ 1 〜 2)
第十三課 総復習
聖書:出一〜ニ 10;ルカ十五 11 〜 32;ヨハ二 13 〜 16;ル
カ二 41 〜 46;サム上十八 1 〜 4、十九 1 〜 7、二十、
二十五 2 〜 15;サム下十七 27 〜 29、十九 31 〜 39。
聖句:七〜十二課までの聖句を復習する
本文内容:
多くの人々は私たち主イエス様を信じる人をクリスチャンと呼びます。
これは使徒時代のアンテ
オケ教会から始まったことです。
(参考:使十二6)その当時の弟子の日頃の行いは人と違って、規
則を守るし、敬虔だし、まるで夜の明かりみたいに人々の前に輝き、ほかの人たちに自分たちの身
から主イエス様を認識させたからです。だから、クリスチャンと言う名前は当時には非常にいい
マークで、
現在に至っても、
人々はクリスチャンのことを言うとすぐに良い行いを連想するのです。
もしクリスチャンはほかの主を信じない人の行いと同じ悪いなら、
人々は彼が少しもクリスチャン
らしくと言う。あるいは君はイエス様を信じる者だけど、おれたちとちっとも変わっていないと言
う。こうしたら主イエス様の名は人に笑われることになります。だから、私たちはクリスチャンと
言う名を大事にしなければなりません。主の聖なる名を輝かせなければなりません。
この下半期、先生は全部で六課を教えました。それぞれ家庭、教会、学校、社会、国家の五つ
の面において、どうやって神様の名を輝かせるクリスチャンになるかについて話して来ました。
今、私たちはそれらの内容を復習しましょう。
(生徒にノートを開いてもらい、次第に各課の本
文内容を復習し、課ごとに聖句を二回朗読し、全部復習し終わったら、次の結論を下す。)
家庭について、私たちは親の苦労を理解し、親を喜ばせなければなりません。教会について、教
会の物を大事にし、教会を聖潔に保ち、もっと大事なのは敬虔な心もって静かに説教を聞くことで
す。学校について、一生懸命勉強しなければなりません。分からない所があれば、先生とクラスメー
トに教えてもらわなければなりません。もっと重要なのは神様に頼ることです。そうして始めてい
い成績が取れるのです。社会については良い友達を選ぶことです。そうでなければ、悪い影響を受
けてしまいます。しかも、自分から誠意をもって、友達をつき合い、友達の勧告に耳を傾けるよう
に。国家については、自分たちの国家と国家首脳たちのために祈ることです。彼らの平安無事のた
めに祈り、私たちが平和な生活を送って、自由に集会を行なうことができるように祈ることです。
(結論が終ったら、子供たちに七〜十二課の聖句を五分間ほど暗記してもらい、それから三〜五人
を教壇に上がってもらって、暗唱試合を行ない、一番多くできた者をほめる)
。
(本文内容は問答式で復習する)
第七課:偉大なる母親
この課は一人の偉大なる母親についていろいろ話しました。その名前は何でしょうか(ヨケベ
デ)。彼女は誰の母親でしょうか(モーセ)。男の赤ちゃんモーセを守るために何か月隠したので
しょうか(三ヶ月)。その後、神様は彼をエジプトの王女のどんな人に成らせたのでしょうか(養
子)。ヨケベデはそのおかげでモーセのどんな人になったのでしょうか(うばになったのです)
。
母親はこんなに子供を愛しているから、私たちはどうするべきでしょうか(お母さんの苦労を分
担する)。
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第八課:尊敬する父親
この尊敬する父親には二人の息子がいます。
誰が家の財産の自分の分け前分を持って外へ放浪
したのでしょうか(末子)。結局、お金を使い果たして、人のために何を飼わざる得ないはめに
なったのでしょうか(豚)。末子はぼろぼろになって、家に帰って来た時、お父さんはやはり走っ
て行って、彼を抱きしめ、彼の帰宅を大いに喜びました。お父さんが子供を愛するのが無条件な
のです。私たちはよく体得して、一生懸命報いるべきです。
第九課:私は神の家を愛する
神の家はどこにありますか(教会)。聖書の教えによると、イエス様教会の何になりますか
(頭)、教会はイエス様の何になりますか(体)。どんなことにおいても、イエス様の話し聞き、教
会を愛さなければなりません。ある日、その日はどんな日でしょうか(過越の祭り)、イエス様
は腹が立って、聖なる宮にいる商人たちを聖なる宮から追い払いました。しかも、我が父の宮は
どんな所にするなと言われたのでしょうか(商売をする)。だから、私たちは教会を聖潔にして
おかなければなりません。そればかりでなく、さらに敬虔な、静かな心をもって、神を礼拝する
べきです。
第十課:耳で聴きながら、口で聞く
聞きながら問うのは何の態度でしょうか(学問を求める)。幼いイエス様は先生に分かるまで
何日続けて質問したのでしょうか(三日間)。だから、私たちは勉強する時には、真面目にしな
ければなりません。そうでなければ、将来、イエス様のためにできることが少なくなってしまう
のです。
第十一課:艱難中の良友
ダビデは三人の艱難中の良友がいます。
(ヨナタン、アビガイル、バルジライ)ヨナタンはダビ
デのために何をしましたか(サウル王の殺しから逃れる手伝いをしました)
。アビガイルはダビデ
にどのように勧告しましたか(怒ってはいけない)
。バルジライはダビデが逃亡中に何を送りまし
たか(食べ物)
。だから、私たちは良い人間と友達になり、誠心誠意を持って友達とつき合わなけ
ればなりません。こうして始めて、私たちの品質や生活を向上させることができるのです。
第十二課:私は国を愛する
大昔、一人の愛国者がいました。彼の名前は何でしょうか(ネヘミヤ)。彼はペルシャの国王
の傍にいるどんな人でしょうか(給仕役)。エルサレムが壊されて、彼はどう泣いて祈ったので
しょうか(断食)。その後、神は彼の祈りを聞き入れ、彼をエルサレムに返して、城壁を再建さ
せました。神は人々が何のために祈るのを聞き入れるのでしょうか(国家首脳と国家)。
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