ヨハネ福音書4章19~26節

主 日集会 2014.2.23
(2)旧約時代の礼拝から新約時代の礼拝へ変わる(21-22節)
霊とまことによる礼拝
主イエスは、それに対してこう教えられた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、
ふくい んしよ
この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは
ヨハネ福音書4:19-26
おんな
い
せんせい
よ げんしや
知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。」
おも
4:19 女 は言った。「先生。あなたは預言者だと思います。
わたし
ふ
そ
やま
れいはい
れいはい
主は、サマリヤ人が礼拝しているのは、無知な礼拝であるのに対して、ユダヤ人が礼拝しているのはそうではな
ば しよ
4:20 私 たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエル
い
サレムだと言われます。」
かのじよ
のに基づいた礼拝であるが、ユダヤ人たちの礼拝は、神の啓示そのものである聖書に基づいた礼拝である。そうい
い
い
しん
ちち
れいはい
4:21 イエスは彼女に言われた。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝す
やま
とき
き
るのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。
すく
じん
で
し
れいはい
4:22 救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなた
し
れいはい
がたは知らないで礼拝しています。
しん
れいはい しや
れい
ちち
れいはい
とき
き
いま
とき
4:23 しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時
ちち
ひとびと
れいはいしや
もと
れい
かみ
れいはい
もの
れい
れいはい
4:24 神は霊ですから、神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
おんな
い
わたし
よ
こ
し
4:25 女 はイエスに言った。「 私 は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知ってい
かた
こ
わたし
し
ます。その方が来られるときには、いっさいのことを 私 たちに知らせてくださるでしょう。」
い
う意味ではサマリヤ人の礼拝は正しい礼拝ではない。「救いはユダヤ人から出る」のであって、サマリヤ人から出る
のではない。
しかし、主がここでこの婦人に言おうとしておられることは、どこで礼拝するのが正しいかというような場所は
大して重要なことではなく、どういう礼拝をするかということが大切なのだということである。しかも、そういう
礼拝の時が来るというのである。それは、いつなのか。救い主イエス・キリストが来られる時である。
そのことについて、主はさらに続けてこう言われる。「しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝す
る時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。神は霊ですから、
です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。
かみ
いと仰せられた。これは何を意味するのかと言うと、サマリヤ人たちの礼拝は、聖書のある個所を人間が修正した
はな
4:26 イエスは言われた。「あなたと話しているこのわたしがそれです。」
神を礼拝する者は、霊とまことによって礼拝しなければなりません。」
イエス・キリストが来られるまでの礼拝は、旧約聖書の中で、きちんと決められていた。それ以外の礼拝は決し
て神に受け入れられなかった。礼拝する場所は、エルサレムの神殿においてであり、礼拝の仕方は律法に定められ
ている通りである。この旧約時代の礼拝は、実は主イエス・キリストを指し示しているものである。本体であるキ
リストを指し示している影のようなもの。動物の犠牲は、キリストの十字架上の贖いを示していた。しかし、キリ
ストがこの世に来られ、キリスト教会が生まれると、もはやそのように影の礼拝ではなく、本体の礼拝がなされな
(4:26)ギリシャ語・英語/行間訳
le,gei auvth/| o` VIhsou/j( VEgw, eivmi( o`
says
to her
-
Jesus,
I
AM,
the
lalw/n
one speaking
ければならなくなる。それが、「霊とまことによって父を礼拝する」ということである。
soi)
to you.
父なる神が求めておられる礼拝者は、このような礼拝者なのである。旧約時代に礼拝の
仕方が事細かに決められていて、それ以外の礼拝は決して神に受け入れられなかったよ
うに、新約時代の礼拝も、神の求めておられる礼拝以外のものは神が受け入れられない。
【祈りながら考えよう】
¥
(1)旧約時代に、神は礼拝場所をどこに指定していましたか。それはなぜですか。
(3)「霊とまことによって父を礼拝する」とはどういうことか(23-24節)
「霊とまことによって」する礼拝とは、どういう礼拝のことか。ここで言われている
「霊」とは、聖霊のことではなく、人間の肉体や物質に対する霊のことであるから、旧
(2)旧約時代の礼拝と新約時代の礼拝はどう違いますか。
約時代の動物の犠牲に対する霊的礼拝ということになる。
「まこと」と言われているのは、
(3)「霊とまことによって父を礼拝する」とは具体的にどういうことですか。
うそに対するまことなのではなく、影に対する本体という意味で使われているから、「ま
(4)26節「あなたと話しているこのわたしがそれです」はギリシャ語原文ではどうなりますか。
指し示していた礼拝のことである。
【解
説】
(1)先生。あなたは預言者だと思います。私たちの父祖たちはこの山で礼拝しましたが、あなたがた
は、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます(19-20節)
ことによって」する礼拝とは、旧約時代に行われていた儀式や動物の犠牲による礼拝が
それでは、このような礼拝は、どのようにして行われるのかと言うと、御言葉に基づき、御霊の助けによってな
される。具体的には、祭司を仲立ちとするのではなく、唯一の仲保者であるイエス・キリストとその贖いの血を通
してささげられる礼拝である。というのは、旧約時代のもろもろの犠牲が指し示していた救い主イエスキリストが
永遠の犠牲が十字架上で成し遂げられたからである。
サマリヤの女は、イエスが語ったことによって自分の過去が暴露された時、自分に話しかけている人がただ者で
はないことに気が付いた。また自分の罪を自覚した。それ以上追求されるのを恐れてか、彼女は、礼拝の場所とし
て妥当なのはどこか、という問題を持ち出して、話題を変えようとした。
当時、ユダヤ人とサマリヤ人との間に、古くからの論争があった。サマリヤ人たちは、自分たちの神礼拝の仕方
が正しいと言った。ユダヤ人は、エルサレムこそ唯一の礼拝の場であると主張した。この対立する見解のうち、ど
(4)「私は、キリストと呼ばれるメシヤの来られることを知っています。その方が来られるときには、
いっさいのことを私たちに知らせてくださるでしょう。」イエスは言われた。「あなたと話している
このわたしがそれです(25-26節)
主イエスの話に耳を傾けているうちに、サマリヤの女は、来たるべき「メシヤ」のことを思わずにはいられなく
なった。神の聖霊が、メシヤを待望する思いをその心に起こされたのである。もしメシヤが来れば、あらゆること
ちらを選ぶべきだろうか。
紀元前5世紀に、サマリヤ人は捕囚から帰ってきたユダヤ人がまともに付き合ってくれなかったがために、エルサ
レムに対抗して、ゲリジム山に神殿を造って、そこで礼拝をしていた。彼らはモーセの五書しか持っておらず、そ
の中の何個所かを書き変え、アブラハムがその子イサクをささげたのは、このゲリジム山であったとか、ヨシュア
が、カナンの地に入って最初に祭壇を築くように命じられたのも、ゲリジム山であったとした。
を教えて下さるはずです、という確信を彼女は口にした。そう述べた彼女は、キリストの来臨の偉大な目的の一つ
をきちんと理解していたことを示したのである。
あ
イエスが彼女に言われたことを直訳すると、
「あなたに話しかけているわたしは、在る者である」となる。
「それ」
という語は原典にはない。確かにあったほうが文の意味は明瞭になるが、主イエスが実際に使われたことばには深
あ
そのため、紀元前128年には、ユダヤのヨハネ・ヒルカノス王は、これを神への冒涜と怒り、サマリヤを攻め、
い意味が潜んでいる。「わたしは在る」という語を使われた主は、旧約聖書で神がご自身に当てはめた御名の一つを
ついにゲリジム山上の神殿を焼き払ってしまった。このようにして、お互いに相手は呪われた礼拝をしていると言
用いられたのである。主は、「わたしは在る、という者があなたに話しかけているのである」、言い換えれば、「あな
って、非難し合っていた。
たに話しかけているのは主(ヤハウェ)である」と言われた。彼女に話しかけているのは彼女が捜し求めていたメ
サマリヤの女は、この件を主イエスに尋ねた。「私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝
あ
シヤであり、そのメシヤは同時に神ご自身である、という驚くべき真理を、主は彼女に明らかにされた。旧約聖書
の主(ヤハウェ)とは新約聖書のイエスなのである。
すべき場所はエルサレムだと言われます。」
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