今月の 共に苦しみ 共に喜び ことば 共に泣き 共に笑う すべては共にするところに平和がある 短い秋休みが終わり、後期が始まりました。一人ひとり後期の目標を立てて、 今やらなければならないこと、 今しかできないことを精一杯やっていきましょう。 今月のことばは、「共感」「共生」「共通」など私たちの日常でもよく使われ る「共=とも」という字を用いたことばです。 「共」とは、両手でものを捧げる 姿から成り立ち、「そなえる」ということが転じて、他のものと「ともにする・ いっしょにする」という意味で使われるようになりました。 私たちは、独りで生きているわけではなく、お互いにつながりあい、支え合い ながら生きています。しかし、その事実を忘れ、自分の利益のためだけに行動を したり、 自分の都合で他人を傷つけたりしてしまうのが私たち人間です。 改めて、 全ての人が「共」に生きている事を自覚して生きていかなければなりません。 童謡詩人の金子みすゞの詩は、現在 11 カ国語に翻訳され、世界中の多くの人々 に読まれています。みすゞの詩は、民族や宗教やイデオロギーを超えて、人間本 来の眼差しで歌われていると評され、その人間を温かく見つめる原点は「あなた じ た いちにょ と私」という“自他一如”という眼差しであるといわれています。私たちは、初 めから自分が人間であるという自覚があったわけではなく、両親や周りの人々の 姿を通して初めて認識するものです。そして、「わたし」という存在も、「あな た」という他の存在によって「わたし」である自覚が芽生えるわけで、「あなた」 がいなければ「わたし」は存在しないのです。このように考えると、「わたし」 と「あなた」が「二人でひとつ」ということが“自他一如”ということであり、 幸せや悲しみを感じる時も、本来は一方が幸せの時、もう一方も幸せであり、一 方が悲しみに沈む時、もう一方も悲しみを共にわかちあうということなのです。 また、仏教に説かれる慈悲の心は、他の喜びが自分の喜びとなり、他の苦しみ が自分の苦しみとなることであるといわれ、この心は、人と人とのつながりに目 覚め、他を思いやり、互いに協力して生きていく「共」の心を説いています。 私たちは人と人のつながりだけではなく、さらに自然やその他のすべてのもの とのつながりに目覚め、「共」の深い意味を考えて生きていく時、初めて本当の 「共」に生きる安穏な世界が生まれるのではないでしょうか。
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