巻頭言 - 日本大学

24号
巻頭言
平成 12 年(今世紀末)3 月に生物資源科
学部海洋生物資源科学科第 1 回の卒業生を
桜水会の正会員として迎え入れました。
21 世紀を見据えての生命科学を基礎に
資源、生産科学、環境科学、この 3 部門の
複合領域にも視点をおき幅広くキメ細かい
教育を受け今迄よりも一味も二味も違った
ものを身につけての巣立ちで、やがては社
会および桜水会発展の大きな力になってい
くであろうと、新会員を歓迎する次第です。
桜水会は昭和 27 年に農学部水産学科第 1
期生の苦労の末創立され、まもなく 50 年に
なろうとしており、会員数は 6400 余名の大
世帯になり、大きな財産となっております。
しかし社会は 21 世紀迄になんとか恰好
をつけようと、外国企業の進出や外国資本
の参入、また、日本企業間での合併等めま
ぐるしいニュースが飛びかい、さらに、イ
ンターネット商取引、Eメールでの情報交
換等急激な様変わりです。
現在、母校は学部長の定年による交代や社
会情勢の様変わり等に対応すべく変わりつ
つありますが、生物資源科学部交友会では、
平成 11 年 7 月 10 日開催の定期総会で決議さ
れた「改革委員会設置」に関し、各分会長と
1
事務局長より提出された事項を集約、同年
12 月 7 日に「交友会の明日を考える会」と
して各分会長と事務局長を集め、①交友会単
独で検討できる事項 20 項目②学部当局と相
談協議の必要な事項 8 項目、計 28 項目につ
いて種々討議、斬新な交友会にと脱皮を図っ
ております。
但し、脱皮を図るには、各分会の一致団結
した力が必要であることは、言うまでもない
ことです。その基本は、人生最後の学園(縁)
での出会いから生まれる人脈です。それぞれ
の人脈により様々な知識、素養をもつ人財は
学部交友会正会員約 8 万名、その内桜水会正
会員は 6 千名を超えております。
あらゆる情報交換や様々の提言にはホー
ムページの利用も必要ですが、人と人との対
面の話し合いが最も大切で、総会・懇親会等
に率先して出席し、先輩・後輩の分け隔てな
く積極的に名刺交換し、あらゆる情報交換、
提言の場にしていただきたい。
やがては、桜水会は会員の心の糧か心の故
郷に位置付けるよう努力していきますが、総
会・懇親会への出席や終身会費の納入をお願
いいたします。
(会長
竹内 均)
職場便り
下より深海性のメガマウスがなぜ浅い博
多湾に迷入したのだろうかという質問を
海の中道海洋生態科学館
受けた。
「マリンワールド」
館長
さらに、大きな口の割に歯が米粒ほどの
脇坂 征一郎
大きさだからこのサメは主にプランクト
ンを食べているのではないかと鋭い見識
秋篠宮殿下のご案内役をつとめて
力をお示しになられた。
昨年 3 月に国内の動物園・水族館が加盟
福岡の春の風物詩となっている室見川
している日本動物園水族館協会の主催す
の風景を取り組んだ水槽ではシロウオの
る、水族館部門の第 43 回水族館飼育技術
実物を前にして、殿下は自ら私が説明申し
者研究会が当館の担当で開かれた。
上げる前に妃殿下にシロウオはハゼ科の
協会の総裁であられる秋篠宮殿下と妃
年魚であることやサケの仲間であるシラ
殿下のご臨席を賜ることになった。過去の
ウオとは別の種類であることを説明され、
研究会には殿下だけのご臨席であったが、
妃殿下もご説明を良くご理解なさったご
今回は妃殿下もご臨席になるという光栄
様子であった。
を賜ったものの、お迎えする当館の責任の
フグの仲間で敵に襲われると棘を逆立
重さと緊張感は並々ならぬものがあった。
て身を守るハリセンボンの水槽ではハリ
私は研究会で開催のご挨拶を述べ、両殿
センボンという名前がついていますが本
下をお迎えするために福岡空港に急ぎ、麻
当に棘が千本もあるのですかというご質
生県知事、協会の池田会長共々にお迎えし
問に対し棘の数は半分の五百本位だとご
た。ご昼食の後にマリンワールドのご案内
説明申し上げた。ここでも殿下はハリセン
役である。
ボンの棘はウロコの変化したものである
本来、天皇家は生物学にご造詣が深く、
ことを妃殿下にご説明されるなど博学で
特に殿下はナマズの研究を専門的になさ
あられることに感心した。
っておられる関係で魚類学の知識は卓越
水の生き物をテーマに観客参加型のマ
したものをもっておられることは周知の
リンサイエンスラボでは女性解説員に実
事実である。
験についての質問やアドバイスをいただ
館内では展示順路にそってご説明申し
いた。パノラマ大水槽ではダイバーによる
上げながらご案内するのであるが、最初は、 サメの餌付けをご覧いただきながら、平成
日本初公開のメガマウスシャークの液浸
7 年、日本で初の展示を目指して全長 3 メ
標本についてご説明申し上げたところ、殿
ートルのシロワニをオーストラリアの水
2
族館に協力してもらい捕獲しジャンボ機
びゼミ(環境生態論)を担当しております。
をチャーターして福岡まで輸送した経緯
四日市大学は、経済、経営を中心とした
やサメのコレクションでは世界一である
全くの文科系の大学でしたが、平成9年4
こと、水槽内で繁殖したサメについてのご
月に環境情報学部を開学し、現在に至って
説明を申し上げた。
おります。この学部は、本来なら3学科と
殿下から、数多くのサメを飼育しておら
いえる内容のもので、コンピューターを中
れるが他の魚を襲ったり、ダイバーに危害
心とした情報、メディアというスタジオを
を加えることはありませんかという質問
中心とし、映画、出版、CD の制作といっ
を受けた。サメ類には開館前と閉館後に充
たもの、および環境関係から成っています。
分に餌を給餌しているので今のところ大
ただ、学生は環境問題を扱う希望が多く、
きな問題は生じていないとお答え申し上
特に水質関係がその大部分を占めており
げた。
ます。このため、水と生物を扱う私のゼミ
イルカのショーステージにおかれては
への希望者が多く、学部の約3分の1が集
イルカ達のダイナミックな演技の度に両
中し、入ることが難しい人気ゼミとなって
殿下とも拍手を送られ楽しそうにご覧い
おります。
ただけた様子が伺われた。
ゼミでは、四日市内の小河川、木曽三川、
マリンワールドを後になされる際には
溜池の水質と生物を最も身近なフィール
お見送りする職員に対して両殿下から爽
ドとする一方、北海道、青森、新潟、福島、
やかな笑顔をもってご挨拶していただけ
長野等の湖沼、南大東島の湖沼、バイカル
たことは、私にとっても職員にとっても生
湖等、各地の湖沼の水質やプランクトン、
涯忘れ得ぬ記念としていつまでも残るこ
また魚類や水草、化石藻等が研究のテーマ
とであろう。
となっています。
(17 期)
昨年の夏には、学生と共に木曽御岳のニ
ノ池、三ノ池の調査を行いましたが、かつ
て学生の時、門田先生、広瀬先生等と八ヶ
四日市大学環境情報学部
岳の白駒池を始め、幾つかの湖沼を調査し
環境情報学部学科
た頃を思い出したものです。今回の登山で
教授
は、私はかなりバテぎみで、やはり 50 才
田中 正明
かと体力の衰えを感じましたが、当時の門
田先生はかなり健脚であったとなつかし
私は、現在四日市大学環境情報学部にお
く思い出されます。
いて、生物学、生態学、環境生態学、およ
3
また、私は今年から平成 13 年にかけて
的矢湾養蛎研究所
になると思いますが、幾つかの出版を考え
副所長
太原英生
ております。その 1 つは、
『日本淡水産動
植物プランクトン図鑑』であり、もう 1
つは『陸水生態学』の教科書です。
前者は、全国の湖沼を何年も調査し、現
在までに残した写真も多く、スケッチも多
数になったことから、少し役立つものをと
考えた次第です。後者は、私が環境生態学
の授業で使うつもりで書こうと思ったも
のです。先日、門田先生に環境生態学で、
熱帯雨林の生態や都市生態系や内湾を材
貝類養殖最前線
料にしているが、なかなか自分で納得のい
くものとならないというお話をしたとこ
志摩半島の的矢湾に来て早 26 年になり
ろ、専門の陸水学でやればよいという助言
ます。門田先生の研究室で動物プランクト
をいただき、迷いが吹っ切れ、まとめ始め
ンをテーマにして、三河湾の動物プランク
たものです。
トンの周年変化が卒論の課題でした。今に
さらに、今年は四日市市のごみ減量等推
して思えば大変お粗末な卒論で、どうにか
進審議会会長として、有料化を答申し、市
先生の温情で卒業させていただいたと言
のごみ減量化にも取り組まねばなりませ
うのが事実です。更に翌年春の海洋学会で
ん。全くの専門外ですが。
連名で卒論のデータを発表して いただき
このように、大学での仕事、また学外で
大変感謝しています。昭和 49 年 2 月、門
の仕事と、それなりに忙しく元気でやって
田先生の紹介で、三重大学の安達六郎先生
おります。少し血圧が高めですが、もう一
(的研 OB)に連れられて的矢に来ました。
仕事やれると自負しております。
的矢には北大、浮游生物学の黎明期を創出
(20 期)
した佐藤忠勇先生が所長をされている研
究所があります。そこで、所員を募集して
いるとのことで、見学かたがた面接という
ことで的矢にお邪魔をしたのがきっかけ
で、佐藤先生にもどうにか気に入られたよ
うで、研究所に在籍することが許されまし
4
た。
先生方も良く的矢に来られました。普段聞
くことの出来ないような話も拝聴するこ
無知というのは空恐ろしいもので、この
とが出来、大変良い経験をしたと思います。
研究所は三重大学の先生方の臨海実験所
でもあり(現在も実習、見学に使われてい
さて当研究所の業務内容を紹介いたし
ます)、名大の西条八束先生の実験所でも
ますと、毎日の定点観測、水温、比重、透
あり、北大の養殖場見学コースにもなって
明度、プランクトン採集、牡蠣の細菌検査、
いました。当時、佐藤先生は三重大学の非
クロロフィルの測定、海水・河川水栄養塩
常勤講師はもうしていませんでしたが、頻
分析、ムラサキイガイの毒性検査、アコヤ
繁に坂本一太郎先生、大石茂子先生、堀口
ガイの人工採苗、ヒオウギの人工採苗、稚
先生、安達先生、が訪問され、その間にも
貝飼料プランクトン培養、電力会社の委託
JICA や海外からの研究者、養殖関係者が
研究、赤潮調査、等が主な業務です(詳細
多数訪問してくるのには大変驚きました。
は日水誌第 62 巻第 6 号 953 頁を御参照下
そのたびに色々なことを質問され、また貴
さい)。
重なお話も多くの先生から聞くことがで
養殖場では、牡蠣(350 万個 /年・むき
きました。とりわけ元田茂先生は、所長と
身 10t/年)
、ムール貝(80t/年)
、他に蛤、
大変仲が良く、年に 1∼2 度、色々な先生
ヒオウギ貝、アコヤ貝(真珠)を養殖出荷
方を伴って的矢に来られていました。その
しています。
折は夜遅くまで先生方が話されているこ
さて、近年の三重県に於ける貝養殖業の
とを部屋の隅で聞かせていただいたこと
状況ですが、真珠養殖の発祥地の英虞湾で
が昨日のように思い起こされます。翌朝、
は 5 年前から原因不明の感染症が蔓延し、
元田先生はフラリと所員のいる研究室に
不況とも重なり養殖業を廃業する業者が
入ってこられ、海況のこと、牡蠣のことを
多数見られます。原因は当初、ホルマリン
ボソボソと幾つか質問され、メモ帳に何や
説、寄生虫説、ウイルス説、病原体説等が
ら書き付けると「君、この本読みました
ありましたが、現在は中国より輸入したア
か?」なんてメモを渡されると大変で、洋
コヤ貝に付いて来たウイルス説が濃厚な
書屋に注文して読まなければならず、今思
ようです。
うと知らず知らず勉強させられていたよ
PCR 法で確認されていますが、水産研
うな感じです。
PLO(パレスチナゲリラではありません、
究機関や大学での原因物質の特定が未だ
成されていません。しかしながら、養殖現
北大プランクトン講座出身者の会報名)の
場では何と抗ウイルス性アコヤ貝種苗の
5
採苗が盛んになされ、現在残っている養殖
た牡蠣を PCR 法で検査すると検出ができ
業者の大部分はそのようなアコヤ貝を使
ます。未だ防除方法は確立されておりませ
用し、良質の真珠を生産しています。ある
ん。
組合の真珠研究会では抗ウイルス・アコヤ
貝類養殖業も多難の時代に入ってきた
貝斃死率のデータを取り、斃死が在来種よ
感があり、課題山積ではありますが、アコ
り少ないことが確認されています。現況を
ヤの育種開発、SRSV 汚染防止法等やりが
見ると、日本在来のアコヤ貝は殆ど居なく
いのある課題とし頑張っていく所存でい
なるのではないだろうかという危惧もさ
ます。志摩へお越しの節は是非的矢に御立
れています。今後、汚染されてない海域、
ち寄り下さい。
湾などを特定し、汚染された貝の移動も規
(23 期)
制していかなければならないように思わ
れます。
三重県産の牡蠣の生産は全国の 1∼2%
ではありますが、漁場環境の豊かさ、立地
水産庁
条件の良さもあり、極めて高品質の牡蠣を
伊集院兼丸
生産しています。牡蠣もアコヤ貝と同じ様
な問題が起こっています。それは SRSV
(Small Round Structured Viruses:小型球
「職場便り:リストラって何?」
形ウイルス)問題で 1 昨年より厚生省はウ
新年おめでとうございます。
イルス性食中毒も規制の範疇に入れまし
桜水会の皆様におかれましては今年も
た。
良い年でありますようお祈りいたします。
生食用の牡蠣は SRSV 性食中毒がある
ため、出荷量が減少しました。その症状は
さて、年末に桜水会事務局から会報誌へ
と申しますと、1∼2 月の寒の頃、汚染さ
の寄稿という誠に名誉な依頼が舞い込ん
れた生牡蠣を食べると、36∼48 時間で、
だものの、何を書こうか、いやいや何が書
おう吐、腹痛、下痢、発熱(一般の食中毒
けるのかと新年早々からのどに小骨が刺
症状)があり 2∼3 日で快復します。牡蠣
さったような何とも落ち着かない時間を
から直接ウイルスが電顕に依る検出はさ
過ごすことになりました。とは言え、母校
れていませんが、患者の糞便からはウイル
からの要請とあれば何はさておきなるべ
スが電顕で多数検出され、また、汚染され
く締め切りに間に合わせ、かつ職場の概観
6
が垣間見えるような内容にと考えながら
反転突破」と、既存の常識にとらわれない
筆をとるに至りました。
で自分の感覚・判断を頼みに反転させて考
えてみるとき新しい道が見つかるだろう
職場便りとのことですので、先ず勤め先
と分析しています。
について記しますが、水産庁には 17 課 9
室あります。本学科出身者は他省庁出向者
人間の感覚・判断=「勘」が結構重要で、
を含め 10 名いますが、その在籍範囲は企
その時の勘が概ね間違っていないことが
画課動向分析班、協同組合課組織班、沿岸
よくあります。現在、トレンドとしてある
沖合課承認漁業班、同まき網漁業班、遊
「リストラ」が、果たして我が国の進むべ
漁・海面利用室、栽培養殖課養殖漁業班、
き 21 世紀のすがたを写しているのか。疑
同内水面班、漁場資源課海洋保全班、瀬戸
義を感じているのは私だけでしょうか。
内海漁業調整事務所および科学技術庁原
何はともあれ今後も本学科出身者が協
子力安全局とバラエティーに富んでおり、
調し、また大学にも協力をお願いしながら
それぞれの中核となって働いています。
仕事を進めていきたいと思います。
特に、国連海洋法条約の締結とこれに伴
(26 期)
う排他的経済水域の設定及び漁獲可能量
(TAC)制度の導入により、日本の漁業は
新たな段階を迎えることになりましたが、
併せて水産業全般の施策のあり方につい
日本配合飼料(株)
て検討する「水産政策検討会」が設置され、
永田
水産大綱の策定作業に入っています。
匠
これは日本の水産業のビジョンの策定
になるわけですが、その内容は漁業管理制
私が勤めているのは日本配合飼料(株)
度のあり方、漁業就業者の確保・育成、漁
です。社名を見てもわかるようにペット用、
業保険制度の見直し、水産物流通・加工の
水産用、畜産用など飼料の製造・販売を行
合理化、漁港整備等基盤整備のあり方等々、 っています。最近ではダチョウ用飼料もあ
現行の枠組みを破壊する、いわゆるリスト
ります。また、水・畜産物も扱っており、
ラクチャーを断行する勇気が個々人に求
緑茶カテキンたまごなどスーパーで見か
められているところです。
けた方もおられるのではないでしょうか。
大手広告代理店が 2000 年の生活者マイ
現在、私は茨城県鹿島郡神栖町にある中
ンドについて、「自分裁量で抜け道発見
央研究所にいます。当社の研究部門は静岡
7
県の水産開発センター、愛媛県の海洋開発
智重君がおり、主に鰻用飼料の営業をして
センターで水産関係、栃木県の飼料畜産開
います。
発センターで畜産関係、中央研究所ではペ
(34 期)
ットや飼料の加工法などの研究開発を行
っています。中央研究所のある神栖町は茨
城県東部に位置し、パナマ運河を通れる最
大級の船舶(パナマックス)が着岸できる
中島水産株式会社
鹿島港があり、トウモロコシ等が大量に供
和田康平
給されるため、各飼料会社の工場が集まり、
関東一の飼料基地となっています。
さて、中央研究所で私が所属しているの
オレは、〝魚が好きだぁー〟(本当は
...
魚釣りが好き)で、魚屋に入ってしまった
は品質管理グループです。このグループは
現在、28 才、独身♂であります。その理
全社的な品質管理、各工場や研究開発のサ
由は、始業時間が早く、終業時間が早く、
ポートのための化学分析を行っており、そ
アフター12(PM12:00)は、釣り三昧だ
の中で私はアミノ酸、ビタミン、ミネラル
ぁーなどと甘い理想を抱き、3Kなんかか
などの分析を担当しています。学生時代に
えり見ず、とある水産会社に就職しました
実験の基礎を教えてもらったことが役に
が、現実社会はそんなには甘くはなかった。
立っています。
しかし、数年間の努力の末、(今も努力中)
近年、食品の安全性に対する要望がます
それになんとなく近い生活を勤しんでい
ます強くなっており、飼料メーカーとして
ます。
(仕事は、はっきり言ってきついし、
も積極的に取り組んでいます。サルモネラ
遊びも大変で時間に日々、追われている毎
対策として原料、製品、工場の工程などに
日なんだけど、とても充実感があるよー)
ついて検査を行い、サルモネラ菌が入らな
まあ生活感はこんな感じなんですが、今回
いように注意しています。また、国内では
私の勤めている(熱海)中島水産株式会社
イワシが不漁で輸入魚粉が入っています
の概要、職場の近況、私の心境についてご
がそれも禁漁、解禁を繰り返しているため
報告いたします。
品薄の状態であることから魚粉およびそ
現代、日本の食生活は数十年前に比べ所
れを用いた製品について分析を行い、品質
得水準が経済・社会環境の変化に伴って向
に問題がないことを確認しています。
上し、その内容も非常に重要なものになっ
てきています。また近年でも、国際化、高
なお、当社中部・西日本支社中部営業部
度化、多様化、個性化、サービス化、ヘル
には同じく水産学科の卒業生である宮澤
8
シー化などの言葉で表現され、急速に変化
大衆魚として親しまれているサバやイワ
しています。
シなど価格上昇傾向が見られます。その他
この様な流動的時代変化に対応すべく、
にも、漁業やそれに伴う市場や流通経路の
中島水産(株)は、全国遠近海生産市場お
簡素化など、消費者本位で見つめ直さなけ
よび大手漁業会社、食品メーカー並びに各
ればならない課題は、今もこれから先も山
商社と契約仕入れを行い、熱海を起点に、
積みであり、私どもは、日々それらに向か
同県や近県のホテル・旅館・会社寮・保養
い努力を続けなければならないと思いま
所・病院・ドライブイン・その他同業社や
す。
加工食品業者に原料や、情報を提供する業
これから 21 世紀に向けて、日本の食文化
務を行っております。また、近年では、直
として魚を守り共存し続けるためには、水
接消費者向けサービス部門として市民市
産学多岐わたる技術向上や、業界全体の協
場(一般食品直販ストアー)、ほーむらん
力が必要不可欠であると私は考えます。
キトキト
寿司、近海おさかな料理「季魚喜人」ファ
(44 期)
ミリーマートなどの営業にも力を注いで
いる会社であります。
原稿の募集
その中で現在私は、仕入部門におり、築
桜水会会報 25 号の原稿を募集しま
地中央卸売市場(仲卸、屋号:カネチョウ
す。「職場便り」「近況」「クラス会」
中島)で鮮魚(加工品を含む)の仕入を主
「随筆」などをに手書き(400 字詰め
な業務としています。一口に「魚」といっ
原稿用紙)あるいはワープロ書きで
ても、四季折々で特徴あるのでここではさ
800∼1000 字程度にまとめ(近況はハ
ておき、築地では年間約 70 万tもの取引
ガキでも可)
、平成 12 年 12 月末まで
きがセリを通じて行われています。その鮮
に下記にお送り下さい。
魚の価格は、天候などにより価格がかなり
上下されるのはもちろんのことですが、近
送付先
年では、地球規模の環境変化(エルニーニ
〒252-8510
ョ現象や、温暖化など)や、各国間におけ
神奈川県藤沢市亀井野 1866
る資源保護を目的とした漁業協定など、
日本大学生物資源科学部
様々な理由による漁獲量減少は否めませ
海洋生物資源科学科内
ん。後者は、正当な理由としても、前者は
桜水会事務局
消費者である皆様にとっては、大問題であ
ると考えられます。その結果として現在、
9
宛
研究室便り
年度から大学院生 4 名(博士前期課程 1
年 2 名、2 年 2 名)
、4 年生 20 名の大所帯
水産生物学研究室
でどうなることかと思いましたが、何とか
大学院 2 名と学部 17 名(残念ながら 3 名
は留年)が修了・卒業の予定です。
卒業生の皆様にはお変わりありません
研究テーマとしては、サケ科魚類が産卵
か。
この 1 年を振り返りますと、当水産生物
後になぜ死ぬかについての研究、植物や海
藻を利用した魚類飼育水の浄化に関する
学研究室にも大きな変化がありました。
まず、研究室の教授として本学の教育・
研究、江ノ島のミドリイガイの繁殖に関す
研究に尽くされた東 禎三先生が、平成 11
る研究、などに加え、11 年度から魚類の
年 1 月 1 日付けで定年退職されました。先
成熟に関連した遺伝子解析を展開中です。
生にゆかりのある卒業生有志にご協力い
また、昨年にも増してイルカやクジラを材
ただき、ご退職の記念としてライカ M6 カ
料として卒研をまとめたいという学生(女
メラ一式をお贈りすることができました。
子が多い)が集まるようになり、今年は本
実は、多くの方にご協力いただいたおかげ
学科だけでなく動物資源科学科の学生や
で若干の余剰金がでましたので旅行券を
東大の院生もイルカ関連の研究に参加し
お贈りしようとしておりましたところ、先
ています。イルカで思い出しましたが、旧
生のお申し出により、その一部で中山書店
魚類学研究室出身で、33 期卒の倉沢栄一
の動物系統分類学シリーズのうち関連す
さんのイルカの親子の写真が以前新聞に
る 5 冊を購入し、研究室に寄贈していただ
載っていたので気になっていたところ、昨
くことになりました。この場を借りて厚く
年学生に教えられ、写真展を見に行ってき
お礼申し上げます。先生は相変わらずお元
ました。それが縁で、彼のイルカの写真を
気で、先日お会いした折カメラの調子など
何点か購入し、現在研究室に展示中です。
伺ったところ、相手もなかなか手ごわいら
日高敏隆先生が何かの本に書いていま
しく、まだ使いこなせていないとのことで
したが、私も、細かな重箱の隅をつつくよ
した。この先、どのような傑作が生まれる
うな研究はどこかの研究所にまかせ、大学
か楽しみです。三戸に新居も完成し、この
では外からでもわかりやすく、かつ、おも
3 月には長年住み慣れた代々木上原から
しろい研究をもっとやるべきであると思
移られると伺っております。
います。と同時に、大学(の研究室)は積
さて、平成 11 年 4 月 1 日からは朝比奈
極的にそれらの情報を発信していく必要
が教授を拝命し、東先生のあとを引き継ぎ、 があります。今年は情報発信源となること
小橋二夫先生とともに水産生物学研究室
を目標に、院生にはっぱをかけて論文を書
の運営に当たることになりました。最初の
かせようとか研究室のホームページを立
10
ち上げようとか考えていますがどこまで
験中です。その成果は第 17 回国際海藻シ
実現するか。卒業生の皆さまにも何かとご
ンボジュウムで発表予定です。西出教授は
協力をお願いすることが多くなりそうで
平成 11 年 4 月より大学院水産学専攻主任
すが、今後とも当研究室をよろしくお願い
に選出され、頑張っています。桜水会会員
いたします。
の積極的なご支援ご鞭撻を賜りますよう
心からお願い致します。
(朝比奈)
(西出)
水産生物化学研究室
海洋学研究室
卒業生の皆様には本年度も益々ご活躍
西暦 2000 年を前にした 1999 年、当研
のことと存じます。
平成 10 年度研究室に在籍した学部学生
究室には様々なことがありました。1 つは、
11 名は 3 月 25 日全ての単位を取得し、め
門田定美先生が誕生日の 10 月 23 日の前
でたく卒業し、桜水会会員となりました。
日の 22 日にご退職になられたことです。
卒業生の進路は本学大学院進学 1 名、専門
満 70 歳になられる日の前日に相当します。
学校進学 1 名、医薬化粧品関係 3 名、魚市
本大学の規定に従いますとこうなります。
場関係 2 名、衣料品関係 1 名、その他 4
変な決まりだと思いますが −普通は年度
名です。先輩諸兄には何時何処で、お世話
決済かと思いますが− 兎に角、そのよう
になるかわかりませんが、その節には、宜
になりました。
2 つめは、門田先生が退職された後の研
しくご指導ご鞭撻をお願い致します。
平成 11 年度の研究室の構成は西出英一
究室の教員構成が広海十朗教授と荒
教授、大岩弘実副手、大学院博士前期課程
功一助手の 2 名になったことです。荒助手
1 年 1 名、学部 4 年次学生 10 名(内女子
は当研究室の出身者ですが、サンパウロ大
2 名)です。研究課題は研究室の主要課題
学にて学位(理学博士)を取得してから戻
である『 海藻の食物繊維としての役割の
ってきた人で、活力ある精鋭の若手研究者
解明 』について取り組んでいます。褐藻
です。この新パワ−で従前以上にレヴェル
類は一応の成果が出たので、平成 10 年度
を高揚する所存です。
からは緑藻類を取り上げています。緑藻類
新大学院(農獣医学研究科から生物資源
中、大量に増殖されているヒトエグサを用
科学研究科に移行)設立に伴い、当研究室
いて、食物繊維としての効用を測定したと
は生物環境科学専攻の環境創造保全学の
ころ、褐藻類と遜色ないことが判明しまし
分野に位置付けられます。ここで私たちは、
た。今年度はアオノリとアオサを用いて実
文字どおり、海洋環境の保全と修復のため
11
の基礎と応用に関わる研究と教育とを指
戦線で発揮しているような兆候が認めら
向することになります。従来からの研究対
れています。この不況の最中にあって新日
象としてきた、プランクトンとべントスの
本気象海洋(株)の環境創造研究所および
なかでも低次の栄養段階に位置する生物
環境情報研究所に当研究室出身の学生が
の分類、生態を扱うことは変わりのないこ
採用されました。
とですが、そして、これらの生物の海洋生
なんだか当研究室の宣伝に終始した観
態系に果たす役割について考究すること
がありますが、若手スタッフの意気込みを
は依然として変わらないのですが、こうし
紹介した次第です。近く来るべく国立大学
た基礎的研究だけではなく応用的要素、す
の法人化 −元国立大学との自由競争の時
なわち、環境の保全と修復を意識しなけれ
代− に向けての決意表明を述べた次第で
ばならなくなったわけです。新たな基本原
す。
則は、またはキ−ワ−ドは影響評価です。
なお、外国との提携については詳しく述
例えば、沿岸ではなく外洋に屎尿を垂れ流
べませんでしたが、当然のことながらサン
すとどうなるのか −実際に流せばよいの
パウロ大学はじめアメリカやオーストラ
では、と主張している人達もいるのです
リア、そして東南アジアなどの諸外国との
が− このような問題に対する客観的な解
連携を検討していることを申し添えてお
答をだせるような準備をすることだと思
きます。
(広海)
います。あるいは人口干潟を作ったとして、
干潟のもっている諸機能のなかで浄化機
能を定量化したり、なお一層の機能の向上
を図るためには何をどのようにすればよ
水産増殖学研究室
いのか、という生物工学(それこそバイオ
テクニクス)の要素も取り入れることです。
このように大きく様変わりします。
昨年 3 月の出口吉昭教授の定年退職に
伴い、研究室教員の平均年齢が 49 歳から
3 つめは、上記のことと関連することな
34 歳へと変わり、大幅に若返りました。
のですが、学部内はもとより学部間(例え
新生水産増殖学研究室の平成 11 度の人員
ば、理工学部や生産工学部)、さらには、
は教授(杉田治男)
、助手(青野英司)
、副
学外の諸機関(例えば、民間の環境アセス
手(中島理恵)、研究室事務(増田紀代子)
、
メント会社など)と積極的に堤携するよう
学会事務(俵久美子)、大学院博士後期課
になったことです。もちろん、門田先生の
程 1 名(留学生)、同前期課程 2 名、学部
時代にもあったことですが、これからはイ
4 年生 22 名から構成されています。水産
ンターンシップも含めて積極的に行いま
学科最後の卒業生(平成 10 年度)である
す。この動き(アクション)の成果は就職
中島副手は、学部の副手採用試験をトップ
12
で合格して採用された才色兼備のお嬢さ
が生まれた 18 年前に容易に予想できたこ
んであり、新戦力として、また学生の良き
とですが)。わが生物資源科学部でもバブ
相談相手として期待に十分応えておりま
ル崩壊直後の状態に移行しつつあり、リス
す(詳細は別欄参照)
。
トラを含めた抜本的な改革を求める声も
この 3 年間、日本水産増殖学会の事務局
聞かれるようになりました。私たちは、こ
が当研究室に置かれたため、編集委員長
のようなご時世だからこそ、これまで以上
(杉田)および庶務幹事(青野)として業
に本業の教育・研究を充実させるべきであ
務に携わってきましたが、今春で任期が満
ると考えており、現在、徐々にそのための
了しますので、これからは本業に専念でき
体制を作りつつあります。
いずれ桜水会の先輩諸兄姉のご助力を
ることになります。
平成 11 年度の研究成果(含見込み)は
著書「水産学シリーズ 123
賜ることもあろうかと存じますが、何卒よ
ろしくお願い申し上げます。
水産養殖とゼ
(杉田)
ロエミッション」(恒星社厚生閣)のほか、
学術論文 5 編、シンポジウム 1 題および口
頭発表 2 題でした。養殖場が汚染源である
水産利用学研究室
との認識が高まるなど、環境問題が増養殖
の分野でも重要視され始めているため、当
研究室の主要テーマである環境微生物も
卒業生の皆様におかれましては益々ご
脚光を浴びつつあります。今後は分子生物
健勝のこととお慶び申し上げます。平成
学や微生物工学など最新のハイテク技術
10 年度に研究室に在籍した 4 年生 35 名
を積極的に取り入れながら、先進性・独創
(内
性のある研究を進めたいと考えておりま
程 2 年次 1 名は全員無事卒業、終了し、大
す。また、これらを行う上で基礎となる実
学院、社会へと巣立って行きました。平成
験マニュアル「海洋環境アセスメントのた
11 年度の研究室構成は望月 篤教授、松宮
女子 8 名)および大学院博士前期課
めの微生物実験法(仮題)」
(恒星社厚生閣、 政弘専任講師、宮内浩二助手の教員 3 名、
4 月刊行予定)を現在執筆・編集中です。
4 年次学生 29 名(内
女子 5 名)、研究生
バブル崩壊やその後の経済の低迷を反
3 名、大学院博士前期課程 1 年次 1 名、2
映して、民間企業では急速にこれまでの無
年次 2 名です。なお、平成 12 年度は 4 年
駄を切り捨て、効率的な体制作り(リスト
次学生 35 名が新たに入室の予定です。研
ラ)を進めております。私立大学でも、地
究テーマはくさやの研究、イカ墨汁の研究、
方の短大・専門学校が定員不足に陥るなど、 合成大気による魚介類の鮮度保持、ねり製
少子化に伴う冬の時代がいよいよ到来を
品の品質改善などの水産加工、鮮度保持に
告げました(もっともこんなことは受験生
関する研究、溶菌酵素リゾチームに関する
13
研究、キチン質を分解し、生理活性物質で
スを受ける指導体制が作られておりまし
あるキチンオリゴ糖、単糖を生成するキチ
た。私は遺伝子では指導を受け、タンパク
ン分解酵素に関する研究などです。
質・キチン質では指導にまわり、指導され
平成 11 年度の当研究室の主なニュース
る側とする側の両面を経験することがで
は松宮専任講師が平成 11 年度日本大学中
きました。日頃穏やかな表情の Krishnan,
期派遣研究員として、平成 11 年 7 月より
Karl 共にミーティングでは別人の様に厳
半年間アメリカ・カンザス州立大学生化学
しい表情になり、アメリカ社会(アメリカ
科(Kansas State University, Department of
ではグラントを取れないと研究費が確保
Biochemistry)に留学したことであります。
できないため、研究ができず、結果として
留 学 先で は同 学 科教授 Dr. Subbaratnam
自分のポジションを失う)の 1 部をかいま
Muthukrishnan と ア メ リ カ 農 務 省 ( U.S.
見た様な気がしております。研究手法のみ
Department of Agriculture ) の Dr. Karl
ならず、多くの外国人を抱えた研究室の運
Kramer のキチナーゼ研究グループに入り、 営・指導方法等々を学ぶことができ、予想
以上の収穫を得ることができました。
ポスドク、大学院生と共に同研究に従事い
たしました。ここを留学先に選んだ理由は、
今回の留学に際し、ご支援を賜った大学
動物キチナーゼでは最も研究が進んでお
当局、学部・学科の先生方並びに卒業生の
り、しかも研究内容に興味があり、研究手
皆様にこの場をお借りして感謝の意を表
法が学べると思ったこと、また、現在関連
します。
(松宮)
学会で活躍されている数名の日本人研究
者が共同研究者である Karl の元でポスド
クを経験しており、誰もが両者を研究、人
漁業生産学研究室
物共に高く評価していたからでした。
教授の Krishnan はインド人で、研究室
にはアメリカ人、インド人、中国人、韓国
平成 10 年度の研究室所属学生は昨年 3
人がおりましたが、そこに日本人も加わり
月 25 日に無事卒業され、社会へと飛び立
国際色豊かな研究室でした。各個人ごとに
ちました。多くは様々な業種の会社に就職
研究テーマを持ち、私のはタバコスズメガ
し、各分野で奮闘されています。さらには
のキチナーゼ遺伝子を部分削除した遺伝
青年海外協力隊員として海外貢献を目指
子を含むベクターを複数構築することで
したり、教員として若者の教育に当たる者
した。毎週金曜日の午前中にミーティング
もおりますが、巣立った諸兄姉がいつまで
があり、各自 1 週間で実施した実験結果を
も健康でかつ、社会の荒波にもまれながら
レポートにまとめて順に報告し、指導教官
おおいに活躍・成長され、立派な社会人と
およぴボスドク、院生より質問、アドバイ
なっていかれることを教員一同心より期
14
なることがあるかもしれませんが、その節
待しております。
平成 11 年度の研究室は清水 誠教授、小
にはご指導ご鞭撻をよろしくお願い申し
島隆人専任講師と、大学院博士後期課程 3
上げます。
年 1 名、同前期課程 1 年 1 名の院生と、
(小島)
研究生 1 名、4 年生 22 名の総勢 27 名で構
成されています。なお、大学院博士後期課
程 3 年在学中の岩下亜記君は「マダイの聴
水産資源情報学研究室
覚と行動制御に関する研究」で学位論文を
提出し清水教授が主査となられて現在審
狭い空間に教員と学生がひしめきあっ
査中ですが、3 月には博士の学位を取得さ
て共存している。こんな表現がぴったりと
れる予定です。今後は一人の研究者として
当てはまる研究室です。学生には「狭いな
一本立ちし、さらなるご活躍を期待します。 がらも楽しい我が家」、バイトをやるより
研究室では、FAO の唱える「責任ある
研究室にきた方が楽しいと思って貰うよ
漁業」を実行し、近年流行の「資源管理型」
う心掛けてはいるものの、日々の生活(?)
の漁業を実現していくための基礎的知見
に追われて、ついつい学生を放ったらかし
を得るための研究として、漁獲行為が魚の
にして 1 年間が過ぎてしまいます。
生残率に及ぼす影響について解明する研
さて、平成 11 年度の我が研究室の槻要
究、魚の感覚能力、特に聴覚と視覚能力に
を紹介しましょう。
ついて明らかにして、それを行動制御に利
教員は相変わらず吉原喜好助教授 1 名
用するための基礎研究、人工魚礁に何故魚
ですべてをこなしております。
が集まるのかを解明する研究、イルカ類の
入室学生は 15 名で、そのうち女子学生
視覚能力を解明する研究などを主に卒業
が 9 名。
研究のテーマとして取り上げて行ってい
彼らが行っている研究課題のうち主な
ます。さらに神奈川県総合水産研究所相模
ものを列記します。
湾試験場との共同研究として、相模湾の定
水中カメラによる藻場来遊生物の動態
置網漁業に及ぼす急潮や波浪の影響を室
解析、沿岸域におけるメジナ幼稚魚の動態
内水理実験や過去の気象・海象および漁獲
解析、深海カメラによる漁業廃棄物の現状
記録から明らかにする地域に密着した研
観察と除去技術の開発、特殊ネットによる
究を行っています。
魚類稚仔の定量的研究、田浦湾の海洋環境
本年度卒業学生の就職先は水産業界の
学的研究、環境密度論的分布の実験的研究、
他多岐に渡りますが、長く続く不況のため
伊勢湾における漁業資源の動態解析、魚類
か、就職戦線は苦戦を強いられているのが
幼稚仔の体成分組成の生態学的意義づけ
現状です。桜水会の諸先輩会員にお世話に
等々。さらに水産庁養殖研究所、科学技術
15
水産分子生物学研究室
庁海洋科学技術センターなどで研究を行
っております。
学生のやった研究の中から、毎年いくつ
平成 11 年度の水産分子生物学研究室の
かを学術論文として学会誌に投稿し、印刷
メンバーは教員 1 名(内田)、大学院生 6
されております。今年度中に印刷された論
名(M2:2 名;内,女子 1 名,M1:4 名;
文等は学術論文に 8 編、
業界誌に 1 編です。
内,女子 1 名)
、学部研究生 1 名(女子 1
名)と学部 4 年生 9 名(内,女子 7 名)で
さて、景気が上向きに転じつつある、と
あり、魚類血漿フィブロネクチンの細胞結
聞かされてから随分と時間が経過してお
合ドメインの構造と機能関連の研究を 7
りますが、一向に実感として湧いてこない
名、魚類コラーゲンの細胞結合ドメインの
のはどうした訳でしょう。学生の就職内定
構造の研究を 1 名、魚類 TypeⅡフィブロ
率も過去最低で、フリーターといえば聞こ
ネクチンの生理的意義の研究を 1 名で本
えは良いが、就職浪人が多数出る可能性が
研究室従来からの主要研究課題である「魚
あります。
類の細胞外マットリックス成分と細胞の
こういう時勢で、学生を毎年ちゃんとし
相互作用機構の分子レベルでの解明」に取
た就職先を決めて世に送り出さなければ
り組みました。また、
「水産生理活性物質」
なりません。
関係を 7 名で進めております。
話は変わりますが、卒業を間近に控えた
何故か本年度も女子学生が多く、近年の
学生に終身会費のこと、名簿の登録などを
厳しい就職戦線に晒されています。それに
話すと、桜水会が何をしてくれましたか?
もかかわらず修了および卒業予定者の多
どういうメリットがあるのですか?と反
くが進路を決定し、無事に論文を仕上げ、
論を受けてしまいます。はっきり言ってそ
めでたく卒業して桜水会の一員となりま
れに対して学生を納得させるだけのもの
した。学部学生の進路は本学大学院に 3
を私は持っておりませんが、若い人の支持
名、コンピューター関連総合職に 2 名、医
療事務、本学部副手に各 1 名が、大学院生
がなければその会は自然消滅してしまい
は 2 名共に研究職に進みましたので、今後
ます。
とも桜水会諸兄の益々のご助力をお願い
桜水会も発足して 50 年、もっともっと
申しあげます。
学科と連携をとって、色々な意味でバック
アップ体制を構築しては如何でしょうか。
(吉原)
平成 12 年度は、大学院生 7 名(M2:4
名,M1:3 名)
、学部学生 11 名で、
「魚類
の細胞外マットリックス成分と細胞の相
互作用機構の分子レベルでの解明」を進め
て行く予定です。同時に、他研究室との共
16
同研究である「水産生理活性物質」関連の
症における血清診断の確立、ウナギ皮膚の
研究は例年通り行う予定です。
生体防御機構、無脊椎動物の生体防御機構
平成 11 年度も教員 1 名で研究室の会計
などがあげられます。本研究室では、各自
から研究室メンバーの研究、進路指導およ
が持っている発想を大切にして研究を行
び学科・学部の公務に従事し多忙を極めて
うことを重視しています。また、研究室の
おります。しかし、研究室メンバーの並々
内容を一般の方に分かりやすく、より身近
ならぬ努力により、魚類の細胞外マットリ
に感じていただくため、学部祭(藤桜祭)
ックス成分と細胞の相互作用における種
中、展示をしています。展示は、身近な魚
特異性の発現機構解明で新展開が見られ、
介類の寄生虫症、魚類疾病の種類と治療法、
また、海洋学研究室との共同研究により珪
生体防御に関連する魚介類の血球の種類
藻類が産生する赤潮形成藻類殺藻物質の
と機能、光学顕微鏡による臓器薄切組織像
構造を決定するなど、お陰を持ちまして、
の観察、魚類透明標本の観察を行い、展示
当研究室の研究もより高いレベルに発展
解説員役の学生が好評でした。
しつつあります。さらなる研究室メンバ−
指導教員である広瀬一美教授は平成 11
の質的向上と研究の発展のためメンバ−
年 10 月より学部執行部学生担当の一員と
一丸となり努力するつもりですので桜水
して活躍し、誠に忙しくしています。しか
会諸兄のご指導ご鞭撻をお願い申し上げ
し、副手 1 名(小敷賀祐子)が配属され、
ます。
本研究室は、大学院 4 名、4 年生 10 名、
研究生 2 名の計 16 名で構成されており、
(内田)
さらに、研究意欲のある 3 年生が研究室に
通い始めています。
魚医学研究室
現在、研究を行うにあたり、共同研究施
設として、東京水産大学、水産庁中央水産
魚医学研究室は、『 研究活動を通じて
研究所、中国大連水産学院、目黒寄生虫館、
“学ぶこと”の楽しさを実感し、自由な発
油壷マリンパーク、鴨川シーワールドに御
想や人と人との和を大切にすること 』を
協力を賜っています。また、学会活動とし
モットーとしています。
て、日本水産学会、日本魚病学会、日本寄
本研究室は、水産増養殖の弊害となる細
生虫学会、環境ホルモン学会、日本水産増
菌症、真菌症、寄生虫症などの疾病を防ぐ
殖学会、生体防御学会などに参加し、日頃
ため、発病・発症の作用機序を解明し、さ
の研究成果を発表しています。最後に、卒
らに疾病に対する予防・治療法を確立する
業生の皆様の御来室を楽しみにお待ち申
ことで、水産増養殖技術の向上を目的とし
し上げます。
ています。
現在の研究テーマとして、ウナギ
(小敷賀)
線虫
17
先輩方には公私にわたり大変お世話にな
自己紹介
りました。校友の先輩方は、皆ブラジルで
助手
荒
成功された方々で、どなたも常に日大魂を
功一
持ち、情熱と活気と希望に満ちているとい
平成 11 年 4 月より助手
うイメージが強く感じられました。本学科
(海洋学研究室所属)に
出身では、かつてサンパウロ州立水産研究
採用されました荒 功一
所で主に牡蠣養殖に携われた赤星静雄先
です。私は、本学水産学
輩(第 11 期卒)の当時のご活躍はよく聞
科を平成 2(1990)年に
かされました。また、同じく大場正秀先輩
卒業(第 39 期)
、本学大
(第 17 期卒)は健康食品(プロポリスな
学院農学研究科水産学専攻博士前期課程
ど)製造・販売会社を経営されて成功され
を平成 4(1992)年に修了しました。その
ています。
後、1992 年 6 月にブラジルへ単身渡り、
私自身の出身でもある本学の海洋生物
1999 年 2 月にブラジル連邦共和国州立サ
資源科学科(旧水産学科)、なおかつ、門
ンパウロ大学大学院海洋学研究科海洋生
田 定 美 先 生の 時 代 よ り輝 か し い 研究 成
物学専攻博士課程を修了(Ph.D.取得)し
果・業績と歴史のある海洋学研究室に教員
ました。学位(博士)論文では、中南米の
として戻れたことは私にとって最高の喜
内湾・河口域における動物プランクトンの
びです。私が本学の学生時代からブラジル
生産に関しては最初となる研究を行い、実
滞存中も、また、現在に至っても常に激励
際に研究のフィールドとしたサンパウロ
とご指導を賜り、さらに、採用に際しては
州カナネイア河口域における浮遊性カイ
ご推薦とご支持いただきました門田定美
アシ類(動物プランクトン中で最も優占す
先生、廣海十朗先生をはじめとする皆様に
る微小甲殻類)の生産性は世界最高レベル
対するせめてもの恩返しのためにも、海洋
であることをつきとめました。
生物資源科学科ならびに海洋学研究室を
約 7 年間のブラジル滞在中、年齢、人種、
大いに盛り上げ、研究をさらに発展させて
民族、国境、宗教、思想の壁を越えた世界
いくことが最大の責務であることは私自
で自分を磨くことができたことは私の誇
身充分自覚しております。そのためには、
りであり、また、連絡を取り合っている大
微力ながら最大の情熱と努力をもって取
切な友人が世界各地に数多くいることが
り組む所存であります。
最後に、本年度より桜水会会報の編集幹
私の励みです。
ブラジルには、主に本学部(旧農獣医学
事という大役をおおせつかりました。文末
部)出身者で構成されている日本大学桜門
ながら、この紙面にてご挨拶とさせていた
会(校友会)ブラジル支部があり、校友の
だきます。
18
副手
副手
小數賀祐子
中島
理恵
初めまして。今年 4 月よ
昨年 4 月より、水産増植
り魚医学研究室の副手
学研究室の副手となりま
となりました小數賀祐
した中島理恵と申します。
子と申します。3 月に水
3 月に水産学科最後の卒
産学科魚医学研究室を
業生として卒業いたしま
卒業しました。
した。出身学科が職場と
卒業論文では、ウナギの粘液における生
なり、慣れ親しんだ環境において大学で学
体防御機構を解明するため、粘液中に含ま
んだことを生かすことができる、恵まれた
れる生体防御物質について研究してきま
就職をすることができて大変幸せに思っ
した。水産増養殖業において重要魚種であ
ております。学生から副手という立場に変
るウナギの粘液は分泌量が多く、生体防御
わり緊張と戸惑いを感じますが、諸先生方
物質を豊富に含んでいるので大変興味深
の暖かいご指導のもと毎日がとても楽し
いものがあります。本研究室には、初めて
くやりがいのある日々を過ごさせて頂い
の副手ということで、その業務や研究室の
ております。
学生指導の補助としての仕事を覚え、さら
在学時代からの憧れの職業であったこ
に、自分の研究も続けていきたいと考えて
とと、研究を行っている環境や学問に触れ
います。
られる環境に身をおき、さらに多くのこと
趣味はキャンプや山登りで、釣りにも興
を勉強したいという気持ちから副手とな
味があります。しかし、釣りは全くの初心
りました。また、私自身がお世話になった
者ですので、これから少しずつ時間のある
ように、学生実験や研究室の仕事を通して、
ときに覚えていくつもりです。また、最近
後輩が大学生活を送り様々なことを学ぶ
では着物についても興味があり、着物の文
上で少しでも力になれればと思っており
化などについて勉強しています。
ます。何事も努力をすれば必ず道は開け、
現在、研究室において研究や実習先等で、 成功につながるという信念を持ち新しい
大先輩である卒業生の方々のお世話にな
ことにも積極的に挑戦していきたいと考
る機会が増え、その都度、諸先輩方から
えております。
様々なことを学んだり教えて頂いたりし
まだまだ勉強が足りず、力不足の点も
ています。これからも一生懸命頑張りたい
多々あると思いますが、少しでもお役に立
と思いますので、御指導・御鞭撻のほどよ
てるように私なりに一生懸命頑張りたい
ろしくお願い申しあげます。
と思っております。今後ともどうぞよろし
くお願い致します。
19
回想録
になると、予科時代の仲良しグループもバ
ラバラになり、ある場合は 1 人で、あるい
は何人かのグループで下宿生活をするよ
うになった。ただ、幸いにも私達グループ
我が半世紀の回想
前生物資源科学部長
門田 定美
俗にいういわゆる第一戦を退いて早く
も 3 ヶ月が経った。そして、生活のテンポ
もようやく普通に戻った。このような折、
はその約半数が水産学科を専攻した。
昭和 27 年 3 月、
卒業を迎えた。
しかし、
その当時は大変な就職難で、東京での就職
を諦めた私は郷里(伊予市)に帰り、養鯉
業を営む心算りでいた。ところが、卒業式
のため東京へ来ていた母と 2 人で、当時水
原稿の依頼を受けたので、日大を愛し続け
た半世紀を回想することにした。
さて、私は昭和 22 年農学部予科に入学
した。当時、社会は衣食住が満足に得られ
ない時代で、学生の多くは、あれこれとア
ルバイトを求めては空腹を満たしたもの
産学科長であった野村貫一先生宅を訪ね、
お礼のご挨拶をすることにした。そのとき、
先生から「大学に残って勉強する気はない
か。これからは海洋学が大事な学問だから、
いいだろう。」と言われた。この指導で、
一転して同年 4 月から野村研究室に残る
である。そのような折、はからずも寮生活
が送れるようになったのは大変幸運であ
った。
新入生の中には、浪人はもとより、陸軍
幼年学校、海軍兵学校はじめ、陸海軍の将
校経験者など、多士斎々で、20 才足らず
ことになった。ただ、残念なことに野村先
生は、私が就任した翌昭和 28 年に急逝さ
れた。
その後、昭和 28 年 9 月、東北大学より
海洋生物学の権威である小久保清治先生
がお見えになった。以来、先生には 10 数
の私には何かにつけて大変勉強になった。
入寮して 2、3 ヶ月が経った頃には寮生
活にも幾つかの仲良しグループが出来上
がった。私達のグループは、いわゆる文学
青年が多く何人かが集まると、教育だの、
文学だの、あるいは哲学といったことで議
年(昭和 28∼38 年)に渡り、指導を受け
ることになる。
また、当時、研究室には週一度、海洋学
の講義を担当されていた宇田道隆先生(昭
和 28∼38 年)が来られていた。先生には
日本海洋学会における最初の発表を指導
論し始めるという雰囲気があった。
当時、私も文学青年(?)ぶって本をよ
く読み、定坊哲学なるものを創作して、よ
く自問自答したものである。こうして予科
時代は私にとって人間的に最も充実した
時代であった。
して頂いた。
研究生活が約 8 年を過ぎた昭和 35 年か
ら大学で初めて講義をすることになった
が、その科目は陸水学であった。幾つかの
湖沼について論文を出し、また、高山湖沼
の研究(八ヶ岳湖沼群)を手がけていた私
予科(理科)2 年を終えた昭和 24 年に
は学制改革が大学についても行われ、私は
学部(水産学科)の 2 年に進んだ。学部生
は、大いに張り切って講義したものである。
当時、日本陸水学会の会長は、陸水生物
学の権威である京都大学の上野益三先生
20
であった。上野先生には数々の専門的指導
を受けたが、特に、昭和 46 年、日本大学
の海外派遣研究員となったが、コペンハー
ゲン大学で、約半年間琵琶湖底堆積物を研
研究を両立させていかなければと懸命に
努力したものである。続いて、昭和 57 年
に学務担当、昭和 64 年(平成元年)には
学部長に就任した。この頃には学生の研究
究するようになったのは、上野先生の配慮
によるものであった。
人間には数え切れない程のいろいろな
人との出会いがある。
野村貫一先生は漁政論の中で漁業法の
改正にふれられ、「僕は愛情をもって取り
指導は殆どできなくなった。研究室の学生
には、今学部はソフト・ハードの両面にお
いて充実・強化しなければならない重要な
時期にあることを話し、学生に了解を求め
た。すると、誰かが「先生、僕らは先生が
偉くなるより、もっと先生に研究を教わり
組んだ心算りだがこれを誤解するものが
いて」と、残念がり、日本人の親子の愛情
論をしばらく学生に話されたのが印象に
残っている。
小久保清治先生には「人間は普通にして
いれば、普通の人で終わる。人の上に出よ
たいのです。」と、心に深く残る一言では
あった。
学部の改組はじめ、教育・研究環境の整
備は多くの教職員の理解と協力でほぼ予
定通り進められた。しかし、質的向上を図
る課題など、むしろ今後に重要な難題が残
うとすれば、人より余計に努力する以外に
ない。」という言葉を何度か聞いたもので
ある。
また、宇田道隆先生には先生が還暦を迎
えられたときである。「人間は、急いでば
かりではいけない。時には休むことが大切
された。
以上、日大に奉職して以来、半世紀に及
ぶ出来事のほんの一部を濃縮して記述し
たが、「吾、わが事において後悔せず」は
学生時代からの座右の銘である。これを胸
に刻み、日々奮励努力した心算りである。
である。しかし、僕には休む時間がない。
休んでいてはいかにももったいない。だか
ら、皆さんにはなんといわれるか知らない
が、僕は走って走り続けるからよろしく。
」
と挨拶の中で述べられた。
また、上野益三先生には研究者はどのよ
今、この努力を自らが採点すれば 80 点は
与えられるだろう。足らざるところは、こ
れからの人生で補っていく心算りである。
ともあれ、人間は健康であろうという強い
信念さえあれば大抵のことは成就できる
ものである。
うな心構えでなければならないか、という
「科学する心」を教わった。
これらの先生方の教えは、私の人格の骨
格を成したといっても過言ではない。常に
念頭にあって、自らを励まし続けたもので
ある。
なお、人は多忙になればなる程周りへの
配慮が不足し、ご迷惑をかけることが少な
くないように思う。この点は私などご容赦
いただかなければならないことが多々あ
ると思われる。また、陰に陽に不断のご理
解とご協力を賜った多くの皆様に対して
昭和 49 年、教授になって間もなく、昭
は深甚なる感謝の意を表する次第である。
和 52 年学生担当を拝命した。職務はかな
り多忙であったが、学生のためにも教育、
21
近況
【7 期】
【1期】
〇山下
〇一瀬(旧姓築山)敏明(時津町教育委員
金義(よこすか水辺環境研究会)
会)
昨年観音崎自然博物館館長を引退、上記
平成 6 年 3 月、中学校長を定年退職し、
研究会において奮闘中。また、地区小・
現在学校教育相談指導員として、週 4
中校の理科の郊外体験学習のお手伝い
日間小中学校の教育の指導をしていま
などを楽しみながら行っております。
す。
〇平木
【3 期】
〇岡庭
隆(SLA協会)
(財)シニアルネサンス財団の認定資格シ
邦夫((株)コトブキパック東京
ニアライフアドバイザー(SLA)を取
営業所)
得し、高齢社会で、シニアの不安解消、
本州アツギダンボール(株)を昨年 5
心豊かに自助、自立等を助言する会で、
月末で退職し、松本に本社のあります会
全国で 1600 名その内関東SLA協会
社の東京営業所をお手伝いしておりま
550 名の拠点としての事務局で頑張っ
す。お近くにおいでの時はお立寄り下さ
ております。
い。
【8 期】
【4 期】
〇堤
〇太田
俊夫(堤コンサルタント事務所)
完治(岩手県)
平成 10 年 3 月酒造会社を定年退職し、
後進の指導に明け暮れています。粘りの
パソコンを習い奉仕活動に精を出して
ある学生指導を本学でやってもらいた
おります。8 期仲間盛岡に来たら連絡下
いものです。物質的に時間も恵まれ過ぎ
さい。
たのでしょうか。世代のギャップなので
しょうか。
〇日野
【9 期】
演彦
〇加藤
正義((社)静岡県シルバー人材
4 期のみなさんお元気ですか。再雇用を
センター連合会)
含め 40 年間の公務員生活が 3 月で終わ
年金生活者となり時間に余裕が出来た
りました。残念だったのは、体調をくず
為、民生委員・児童委員として微力なが
し、最後の 1 年はまともに勤めることが
ら町の為に役立つ様努力しています。
出来なかった事です。がんばります。
22
【10 期】
〇長谷川
しています。なにかおもしろいこと教え
武((社)神奈川県漁業無線協
て下さい。
会)
〇山本
武人((財)化学品検査協会)
水産総合研究所、資源環境部長を最後に
昨年 9 月に東京にもどってきました。当
神奈川県を退職し、現在は社団法人神奈
会には、内田教授の紹介で厳しい試験を
川県漁業無線協会専務理事として、漁業
合格して、東京事務所に 2 名、久留米研
無線の充実発展に努力しています。
究所に 1 名の後輩が元気に働いていま
す。皆さん職場での評判は良く、頑張っ
【11 期】
〇赤星
ています。
静雄
98 年 12 月にJICAの第三国研修(貝
【19 期】
類養殖)の講師として、チリ国ノルテカ
〇佐々木
和憲(東京ラーメン本丸)
トリカ大学へ派遣されました。この折に
4 年前に雪印食品を退職し、脱サラして
青年海外協力員として、現地で一生懸命
ラーメン専門店を経営しています。埼玉
貝類養殖の業務に当たっておられる 46
版ラーメン専門紙に載っています。ぜひ
期の和久将之さんに会ってきました。若
お立ち寄りください。
い方々にどんどん海外へ目を向けて、行
〇田崎
春生
ってもらいたいと思っております。14
現在、藤沢保険福祉事務所で衛生監視員
期の中澤昭夫さんはパナマでマグロの
の仕事をしています。公務員も人員削減
養殖研究を元気にされておられます。
で仕事も年々厳しくなっています。
【16 期】
【21 期】
〇柳沢
〇鈴木
践夫((財)ふくしま海洋学習館)
克治(神奈川)
平成 12 年 7 月オープン予定の「アクア
息子が大学に通い始め、昔大学での出来
マリンふくしま」(水族館を中心とした
事を思い出し、あれやこれやと考えてお
海洋博物館)へ、この 4 月 1 日に移籍し
ります。仕事の方は、人員削減等でスリ
ました。
ム化を図っていますが仕事量は、その見
合いで増え、責任もまた増え、体力勝負
〇谷岡
勉(兵庫県)
です。
但馬魚市場(株)社長をクビになり、現在
非常勤です。浪人中につきヒマもてあま
23
【22 期】
【29 期】
〇泰道
〇鈴木
愽(富山県立水産高校)
伸洋(水産庁養殖研究所)
本校は、創立 100 周年を迎えました。学
丸 7 年広島の瀬戸内海水研にいて、資源
科改編で水産をなくし、バイオ・スポー
増殖を中心として仕事をして来ました。
ツ・工学・情報となりました。校名も来
この 4 月から三重県の養殖研に配置替
年度から変更し水産を消します。将来は
えになり、飼料研究をやることになりま
全く解りません。諸兄今後共宜しくご指
した。この手の分野は初めてなので一か
導下さい。
らやり直しですが自分の勉強のためと
思っていますが、独立法人になったらど
【24 期】
〇小野
うなることやら。
龍一(大東建託(株)新潟支店)
〇鶴巻
克巳(社団法人
日本栽培漁業協
故郷へ帰る為、24 年間勤務した日東製
会
鋼(株)を 1 月に退社致しました。大東建
現職にて、北海道厚岸にて 10 年、長崎
託(株)新潟支店に再就職となり 7 月よ
五島列島福江島で 3 年、そして鹿児島県
り勤務となります。24 年目の新人です。
奄美大島で 1 年経ちました。落ちこぼれ
奄美事業場)
てリストラされることのないように英
【28 期】
会話教室や温水プール水泳特訓を訓練
〇津崎
しています。国際魚種クロマグロを飼っ
順
来年夏に福島県小名浜にオープンする
ていますが難しい魚です。
水族館「アクアマリンふくしま」の準備
作業に追われる毎日です。サンマの水槽
【30 期】
内繁殖に成功しました。累代飼育に成功
〇鈴木
し現在 4 世代目を育成中です。
〇小島
彰一(東京都)
最近、健康診断を生まれて初めてやりま
郭敬((株)セイフー(東海ダイ
した。自分では、まだまだ年より若いつ
エー沼津店)
)
もりでいたのですが、結果の表を見てび
20 年間勤務していたヤオハンを退社し
っくり!!皆さんも気を付けて下さい。
(倒産)、ダイエーグループの(株)セイフ
ー勤務。出向として、東海ダイエー沼津
【33 期】
店にて働いています。
〇内山
彰彦(千葉県)
11 年務めた紀文商事を退職し、新たに
インドネシアで南洋真珠の養殖業に携
24
わります。真珠・貝殻および乾燥貝柱の
(株)も、8 月 31 日をもって退職いた
販売員を探しております。
します。今後は高尾山をフィールドに何
か出来ればと思っております。
【35 期】
〇中台
昇一(千葉県鎌ヶ谷高等学校)
【45 期】
平成 10 年 4 月より鎌ヶ谷高へ移動しま
〇縣
聖也((株)地域計画研究所)
した。今までの職場と雰囲気が大分違い、
京都造形芸大で、建築デザインを通信で
進学する生徒が大部分です。生物資源学
学びながら、建築設計事務所で働いてい
部の人気も非常に高い様です。学生時代
ます。
から続けている趣味のラリーでは WRC
〇富國
(世界選手権)に出場しました。
〇吉川
琢司((株)ジェイアール西日本
メンテ ック)
ISO14001 認証取得メンバーに選ばれ、
康夫(静岡県水産試験場浜名湖分
場)
少し仕事に重みを感じはじめておりま
転勤しました。3 年ぶりに研究職に返り
す。現場と事務で 30 時間勤務というこ
咲きました。片道 2 時間かけて通勤して
ともよくあります。
います。秋には新居が建つ予定。
【46 期】
【37 期】
〇浅野
〇高木
晃良(東京都葛西臨海水族館)
直人(瀬戸内漁業共同組合)
夏はカツオ業、冬は車エビの養殖をして
水産試験場大島分場から今年 4 月から
おります。
古巣にもどり、頑張っております。
〇竹内
裕一(神奈川県)
平成 11 年 4 月 5 日より平成 11 年 9 月
【39 期】
20 日までの半年間ですが県立紅葉ノ丘
〇宇佐美裕(東海澱粉(株)千葉(営))
高等職業技術校介護ヘルパーコースに
日々海外食材の出張生産指導・買付販売
通学、ホームヘルパー1 級課程修了見込。
と、充実した仕事を楽しんでおります。
〇傳田
吉彦(長野松下システム(株))
現在、松下電器産業(株)のシステム電
【40 期】
話機・ファクシミリなどの販売営業に従
〇佐藤
事しています。
多寿子(東京都)
昨年の 2 月に結婚し、姓が変わりました。
8 年間勤めました日本エヌ・ユー・エス
25
事務局便り
ます。
○平成 11∼13 年の役員・事務局は次の通
りです。
会 長
竹内 均(2 期)
副会長
桜木 進(10 期)
同
村上泰義(20 期)
監 事
大谷木緑四郎(2 期)
同
安斎 寛(27 期)
事務局長 小橋二夫(13 期)
庶務幹事 青野英司(40 期)
同
荒 功一(39 期)桜水会
会報担当
会計幹事 松宮政弘(27 期)
編集幹事 吉原喜好(14 期)学部会報
担当
同
安斎 寛(27 期)名簿担当
(小橋二夫)
○平成 11 年度の卒業生(48 期)は 154
名で会員数は 6,299 名を数える事とな
りました。修土修了者は 6 名です。謝恩
会の席上竹内会長から祝辞を頂き、社会
に巣立ちました。諸先輩のご鞭撻、ご指
導よろしくお願いします。
○平成 11 年度の卒業生(49 期)は 145
名、博士 1 名、修士 9 名の予定です。
○就職は本年度も厳しく、就職出来ない学
生も出る始末です。求人がありましたら
御一報ください。なお、学部主催で合同
企業セミナーを年 3 回程開催しており
ますので、御参加下さいます様お願いし
ます。
○東 禎三教授(11 年 1 月 1 日)
出口吉昭教授(11 年 3 月 30 日)
門田定美教授(11 年 10 月 22 日)
3 教授は御退職されました。永い間ご苦
労様でした。今後も健康に留意され第 2
の人生を謳歌される事を祈念しており
ます。
○漁業生産学の清水 誠教授は 12 年度末
で御準職になられます。短い間でしたが
ありがとうございました。後任として谷
内 透教授が就任されます。
○水産資源情報学の吉原喜好助教授は教
授に、また漁業生産学の小島隆人専任講
師は助教授になられます。
○水産生物化学の大岩弘美さんは 12 年度
末で退職となります。後任には長野 香
さんが就任します。11 年度からは水産
増殖学に中島理恵さん、魚医学に小數賀
祐子さんが副手として着任しておりま
す。よろしくお願い致します。
○廣瀬一美教授は学生担当に就任されま
した(11 年 10 月 23 日付)
。
○平成 12 年の学部祭は 10 月 21 日∼23
日の予定です。ご来校をお待ちしており
編集後記
○平成 11 年 1 月には東 禎三先生、3 月
には出口吉昭先生、そして 10 月には
門田定美先生が相次いで定年退職され
ました。今回の会報では編集の都合上、
門田先生の回想録のみを掲載させてい
ただきました。
(荒 功一)
日本大学桜水会会報 24 号
平成 12 年 3 月
発行
編集
日本大学桜水会事務局
発行
日本大学桜水会
日本大学生物資源科学部
海洋生物資源科学科内
〒252-8510
神奈川県藤沢市亀井野 1866
電話
26
0466(84)3677