(水本) 生物・化学兵器の諸問題

2004 年 12 月 22 日
平和研究Ⅱ
第 11 回
生物・化学兵器の諸問題
広島平和研究所
水本和実
1.はじめに
2.生物兵器とは
3.生物兵器の歴史
4.生物兵器の規制
5.化学兵器とは
6.化学兵器の歴史
7.化学兵器の規制
<参考文献>
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1.はじめに
「貧者の核兵器」(イラン国会議長ラフサンジャニ=後に大統領、1988 年)
最近注目される生物・化学兵器の脅威
〇オウム真理教
1990 年から 95 年にかけボツリヌス菌、炭疽菌を散布(いずれも未遂)
90 年 4 月トラック三台でボ菌を神奈川の米軍基地、成田空港に散布
93 年 6 月、皇太子結婚にあわせボ菌を都心に散布
93 年 6 月、亀戸の教団建物屋上から炭疽菌を散布
95 年 3 月 15 日、地下鉄霞が関駅でボ菌散布
1994 年 6 月 27 日松本サリン事件(7 人死亡、140 人重軽傷)
1995 年 3 月 20 日地下鉄サリン事件(12 人死亡、3800 重軽傷)
〇9・11 テロ後の米国炭疽菌事件
2001 年 10 月以降、米国のメディア、議員事務所に炭疽菌入り封筒送付
(死者 5 人、発症者多数)
「テロ」とならんで 21 世紀の「新たな脅威」?
「非対称」戦争における究極の手段
非戦闘員を無差別に標的
大量殺傷手段だが被害予測困難
心理的影響大――民衆の恐怖心煽る
通常兵器より残忍とのイメージ定着
2.生物兵器とは
(資料参照)
<一般的定義>
病原体を殺傷目的でミサイル弾頭、爆弾、砲弾、散布器などで投与、放出、散布
呼吸器からの吸入、傷口からの接触、食料や水の摂取により感染
「生物剤」=生きた微生物から抽出される感染性物質(←→化学剤)
自然界に存在する数千の病原体や毒素のうち、約 30 種が生物剤として兵器化可能
<特徴>
少量でも確実な感染力
死または無能力をもたらす急性の発病能力
発症まで数時間から数週間、手当て・治療困難
殺傷よりむしろ無能力化が目的
効果は気象・地形条件等に左右、制御困難
一部を除き大半の病原体は長く生きられない(炭疽菌は数年残留可能)
<生物剤の種類>
ウィルス、細菌、真菌、リケッチア、毒素
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3.生物兵器の歴史
<古代〜近世>
BC400 ごろ、スキタイ民族(中央アジア)糞便や腐乱死体に浸した矢(toxon)を使用
1346-47、モンゴル民族、黒海都市カファを包囲、ペスト感染死体を投げ込む
1754-60 フレンチ・インディアン戦争(英 vs.仏+インディアン部族)
英将軍、天然痘感染者の毛布類を部族民に送る
<本格的な生物戦は近代細菌学が発展した 20 世紀以後>
第 1 次大戦時、ドイツで鼻疽菌、炭疽菌を準備、ペスト菌飛行船散布計画は実行されず
旧日本軍(731 部隊)による細菌兵器開発、実験、使用
1936-45、旧満州に関東軍防疫給水部(通称 731 部隊、石井四郎・部隊長、3000 人)
25 種類の病原体を用いた人体実験や攻撃で中国人 2 万人死亡?
(中国側は 20 万人以上と主張)
1939-42 年にかけノモンハン、寧波など4ヵ所で生物戦(資料参照)
終戦後、石井は米国から戦犯免責、データは米国が全て入手
1939 以降、米国も生物兵器を本格開発
対ソ、対中国
生物兵器戦を想定
黄熱病ウィルス、野兎病菌、ブルセラ属菌、Q熱リケッチア、炭疽菌
ベネズエラ馬脳脊髄円ウィルスを対人用に開発
1969 年ニクソン大統領時、生物兵器放棄および研究の防御目的限定を決める
1975 年生物兵器禁止条約批准までに全ての生物兵器廃棄
ソ連、1919 に細菌学研究所設立、1920 年代から兵器開発着手
1930 年代には野兎病、ペスト菌、発疹チフス、Q熱など研究
1970 年代から炭疽菌、天然痘ウィルス、ペスト菌本格開発
1979 年スベルドロフスク生物兵器工場で事故、炭疽菌噴出で数十人〜数百人死亡
炭疽菌製造施設のフィルターはずれ菌流出
第 2 次大戦前〜大戦中に生物兵器開発着手は以下の 6 カ国
日本、米国、ソ連、英国、ドイツ、カナダ
第 2 次大戦後の開発は米ソが中心
<現時点で生物兵器保有が疑われる国>
(資料参照)
米国、ロシア、イラク、イラン、シリア、エジプト、イスラエル、北朝鮮、中国
4.生物兵器の規制
1925 年ジュネーブ毒ガス議定書
「…この禁止を細菌学的戦争手段の使用についても適用…」
1928 年発効、しかし禁止対象は「使用」のみ、「準備」は含まれず
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1932 年ジュネーブ軍備縮小会議
「準備」禁止も検討されたが実現せず
1959 年ジュネーブで生物兵器軍縮の議論はじまる
1962−1968 年、ジュネーブ 18 カ国軍縮委員会で審議
米ソ 1962 年、生物化学兵器一括の 2 段階完全廃棄提案→実現せず
(この間、1968 年にジュネーブで核不拡散条約成立)
1969 年英国、18 カ国委に生物兵器禁止条約案提案(化学兵器から切り離し)
〇化学兵器(毒ガス)は大規模に実戦使用済み、結果予測や管理可能なため
一部国家は安全保障上、保有を重視。禁止の合意形成困難
〇生物兵器は無差別的効果、結果予測困難で報復兵器の価値低い
禁止の合意形成容易
生物兵器を持たない非同盟諸国は化学兵器禁止を重視し分離提案に難色
ソ連・東欧が 1971 年に分離提案支持へ転換
1971 年米英ソなど 12 カ国、生物兵器禁止条約をジュネーブ軍縮委員会会議に提案
同年 12 月、国連総会で採択
1972 年署名(のため開放)、1975 年発効、約 140 カ国批准
生物剤・毒素・運搬手段の「開発」「生産」「貯蔵」
「取得」「保有」を禁止
平和・防護目的の防護衣・マスク、除染手段、ワクチン等の開発は容認
条約遵守の検証手段を定めず
締約国の相互協議や国連安保理への苦情申し立て権のみ
1980,86,91,97、2001〜02 年に再検討会議
遺伝子操作による生物剤・毒素の禁止を確認(86 年)
4 通りの信頼醸成措置導入(86 年)
① 生物兵器防御のための高度封じ込め施設に関する情報の申告
② 異常な感染症集団発生の情報申告
③ 条約に直接関連する研究成果の公刊
④ 科学者交流の促進
検証手段の強化を検討(91 年)
「検証手段の法的枠組み」(検証議定書)検討を決定(94 年締約国特別会議)
検証議定書に米国反対するも条約強化では一致(2001〜02 年)
違反容疑事例
1979 年のソ連・スベルドロフスク生物兵器工場での事故
1970 年代末〜80 年代初、ソ連と同盟国がラオス、カンボジア、アフガニスタンで
マイコトキシン使用の疑い
5.化学兵器とは
(資料参照)
<一般的定義>
毒性を有する化学物質をミサイル弾頭、砲弾、散布器などで放出、拡散
呼吸器からの吸入、経口からの摂取、皮膚や粘膜からの接触で無能力化または殺傷
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「化学剤」=殺傷能力の高い毒性をもつ化学物質
<特徴>
瞬時、あるいは数分から数時間で発症
固体、液体、気体など形態はさまざま
効果は気象・地形条件に左右、制御困難
一定の条件で貯蔵すれば毒性は数十年持続(旧日本軍毒ガス弾)
エアロゾル(微粒子)化や気化後の毒性残留は数時間程度
<化学剤の種類>
神経剤、びらん剤、窒息剤、血液剤(資料参照)
6.化学兵器の歴史
<古代〜近世>
有毒な煙の使用
BC431-401 ペロポネソス戦争(アテネ vs.スパルタ)
タールと硫黄の混合物による焼夷兵器で有毒な煙発生
ヒ素含む有毒金属の煙も使用
中国でも戦国時代以来、同様の記述多い
記録には残っていないが、実戦で毒を塗布・混入した武器の使用多い
1675 年、独仏、互いに毒を塗布した弾丸使用を非難
<19 世紀以降の初歩的な化学戦およびその検討>
1853−56 クリミア戦争で英国、硫黄煙やシアン化化合物砲弾の使用を検討
交戦法規に違反との理由で使用せず
1860−65 南北戦争で南軍、敵の坑道に硫黄粉末煙をたく
1870 年普仏戦争で仏軍、銃剣に青酸の塗布を検討
<本格的な化学戦は有機化学発達の 20 世紀以降>
(資料参照)
1915 年、第 1 次大戦でドイツ軍、5730 本のボンベで対仏軍に塩素ガス放出
ベルギー・イープル(イープルの黄色い霧)、1 万 4 千人死傷、うち 5 千人死亡
以後、連合軍側も報復目的で毒ガス開発
窒息剤ホスゲン、マスタード・ガス(イペリット)、タブン、サリンなど次々開発
第 1 次大戦中、約 30 種類、12 万トン以上の毒ガスが使用
6500 万発の砲弾が使用され、1300 万発が不発弾、現在も多くは未処理
死傷者 110−130 万人、うち 10 万人以上死亡
1930 年、台湾の霧社で旧日本軍毒ガス使用?地元反乱鎮圧で 644 人の先住民死亡
1935−36 年、エチオピアでイタリア軍、マスタード・ガス使用
1937−45 年、旧日本軍、中国で毒ガス弾使用
中国側の資料では死傷者約 10 万人
大半は大久野島毒ガス工場で製造
現在も中国全土に大量の遺棄毒ガス砲弾
日本側「70 万発」、中国側「200 万発」
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1980−1988 年、イラン・イラク戦争で双方が毒ガス使用、大半はイラク軍
1988 年、イラク国内のクルド人地区にイラク軍毒ガス使用、約 4000 人死亡
<化学兵器保有が疑われる国>
(資料参照)
化学兵器禁止条約成立以前に兵器保有を認めていたのは、米ロおよびイラクのみ
ロシアは 4 万トン、米国は 2 万 2 千トンを保有
このほかに、エジプト、エチオピア、リビア、イスラエル、シリア、イラン、
中国、台湾、北朝鮮、ベトナム、タイ、ミャンマーなどが保有の疑い
7.化学兵器の規制
1899 年第 1 回ハーグ平和会議、毒ガス禁止宣言を採択
毒ガス散布を「唯一の目的」とする投射物の使用を禁止
1907 年第 2 回ハーグ平和会議
ハーグ陸戦法規
附属規則 23 条
「毒又は毒を施したる兵器」の使用も禁止
⇒第 1 次大戦でドイツ、
「毒ガス禁止宣言に違反しない」と主張
ボンベは投射物ではない
毒ガス弾は砲弾炸裂に「付随」してガスが散布、唯一の目的ではない
⇒ドイツ国内では「毒ガス人道兵器論」
1925 年ジュネーブ毒ガス議定書
「窒息性ガス」、「毒性ガス」、または「これらに類するガス」の使用を禁止
「これらに類する」で見解分かれた(催涙ガスは含まれるかどうか)
留保条件つきの加盟国多かった
①条約加盟国に対しては使用しないが、非加盟国には使用権を留保
②議定書に違反して毒ガス攻撃した国には、報復使用権を留保する
しかし、第 2 次大戦では一部を除いて大量には使用されず
報復使用を恐れたためか?
1960 年代からジュネーブ 18 カ国軍縮委員会で化学兵器条約の交渉開始
米ソ対立で 1980 年代まで交渉難航
この間、化学物質輸出管理のためのオーストラリア・グループ結成(1985 年、33 カ国)
湾岸戦争時のイラク化学兵器開発疑惑、途上国への化学兵器拡散の疑惑
ソ連・東欧崩壊などで交渉進展
1991 年米ブッシュ大統領、化学兵器禁止条約締結を呼びかけ
自国の化学兵器全廃も約束、化学兵器の報復使用権を放棄
1992 年ジュネーブ軍縮会議で化学兵器禁止条約合意
1993 年署名、1997 年発効
化学兵器の定義
毒性化学物質・その前駆物質および、それらを放出するための弾薬・装置
化学兵器の開発、生産、貯蔵、使用を禁止
遺棄兵器の 10 年以内の廃棄も含む厳密な廃棄を義務づけ
旧日本軍による中国遺棄毒ガス弾も含まれる
6
厳密な検証手段――ジュネーブに化学兵器禁止機関発足、査察など実施
<参考文献>
<生物・化学兵器一般に関するもの>
〇黒沢満編著『軍縮問題入門(第 2 版)』東信堂、1999 年(5 章、6 章)
〇E・クロディー著、常石敬一・杉島正秋訳『生物化学兵器の真実』シュプリンガー・フ
ェアラーク東京、2003 年
〇常石敬一『化学兵器犯罪』講談社現代新書、2003 年
〇リチャード・プレストン著、真野明裕訳『デーモンズ・アイ――冷凍庫に眠るスーパー
生物兵器の恐怖』小学館、2003 年
〇ジェシカ・スターン著、常石敬一訳『核・細菌・毒物戦争――大量破壊兵器の恐怖』講
談社、2002 年
〇納家政嗣・梅本哲也編『大量破壊兵器不拡散の国際政治学』有信堂、2000 年(5 章、6
章)
〇トム・マンゴールド、ジェフ・ゴールドバーグ著、上野元美訳『細菌戦争の世紀』原書
房、2000 年
〇ジュディス・ミラー他著、高橋則昭他訳『バイオテロ!――細菌兵器の恐怖が迫る』朝
日新聞社、2002 年
〇ウェンディ・バーナビー著、楡井浩一訳『世界生物兵器地図――新たなテロに対抗でき
るか』NHK出版、2002 年
〇S・マーフィー他著、綿貫礼子他訳『生物化学戦争――悪夢のシナリオ』現代教養文庫、
1985 年
<旧日本軍の毒ガスに関するもの>
〇尾崎祈美子『悪夢の遺産――毒ガス戦の果てに・ヒロシマ〜台湾〜中国』学陽書房、1997
年
〇中国新聞「毒ガスの島」取材班『毒ガスの島――大久野島・悪夢の傷跡』中国新聞社、
1996 年
〇小原博人他著『日本軍の毒ガス戦――迫られる遺棄弾処理』日中出版、1997 年
(731 部隊に関するもの)
〇常石敬一『七三一部隊――生物兵器犯罪の真実』講談社現代新書、1995 年
〇太田昌克『731免責の系譜――細菌戦部隊と秘蔵のファイル』日本評論社、1999 年
〇吉永春子『七三一――追撃・そのとき幹部達は…』筑摩書房、2001 年
〇ハル・ゴールド著、濵田徹訳『証言・731部隊の真相――生体実験の全貌と戦後謀略
の軌跡』廣済堂出版、1997 年
〇西里扶甬子『生物戦部隊 731――アメリカが免罪した日本軍の戦争犯罪』草の根出版会、
2002 年
<条約集>
藤田久一・浅田正彦編『軍縮条約・資料集(第二版)』有信堂、1997 年
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