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東京造形大学研究報
No.14
——目次
重力への反発
1988〜2012
小川幸造
005
日本語ブローカ失語の一症例に見られる間接受動文の
産出と理解の難易差に関する一考察
井原浩子
029
言語接触を想定した日本語方言アクセント史の試み
大塚惠子
037
東京造形大学における学生の形態と体力の実態
佐藤 彰・益川満治
047
カント『判断力批判』における「美的判断」についての考察
清水哲朗
057
長谷川 章
079
ブルーノ・タウト『画帖桂』の美学
――書画同体論とドイツ・ロマン主義の全体性の美学
Journal of
Tokyo Zokei University
14 2013
重力への反発
1988~2012
小川 幸造
Kozo Ogawa
掲載作品リスト
シリーズ小栗判官
餓鬼阿弥
2004年
シリーズ小栗判官
水の女
2005年
シリーズ小栗判官
千僧供養
2006年
シリーズ小栗判官
復活―熊野
2007年
シリーズ小栗判官
―照手―
2009年
シリーズ小栗判官
万僧供養―撫子―
2010年
充
1997年
智
1997年
RAN
1991年
TAE
1996年
HARUKA
1995年
MATSUI
1990年
SHUN―1
1988年
モニュメント
未来へ(部分)
2012年
モニュメント
未来へ
2012年
モニュメント
大地
1995年
モニュメント
風
1996年
モニュメント
輝
1996年
モニュメント
舞
1996年
モニュメント
ひまわりっ子
1994年
個展会場風景
シンフォニア岩国
2012年
個展会場風景
シンフォニア岩国
2012年
井原浩子
Hiroko IHARA
日本語ブローカ失語の一症例に見られる間接受動文の
産出と理解の難易差に関する一考察
Why is it more difficult for a Japanese Broca’s aphasic to produce than to
comprehend indirect passives? : A case study
●抄録
一般的にブローカ失語に代表されるいわゆる失
文法では、能動文に比べて受動文は理解、産出の
どちらにおいても難しいと言われている。日本語
の受動文には直接受動文と間接受動文(いわゆる
迷惑受身)があり、理解については直接受動文の
方が間接受動文より難しいという実験結果が報告
されている(Hagiwara 1993)
。一方、産出は間接
受動文の方が直接受動文より難しいことが示され
ている(藤田1989, Ihara and Fujita 2009)
。本稿で
は Ihara and Fujita(2009, 2010)で報告した実験
結果のうち、間接受動文の産出と理解を取り上げ、
両者の難易度の差がなぜ生じるのかについて検討
する。始めにHagiwara(1993)の説明を概観し、
その説明では間接受動文の産出が難しい理由は説
明できないことを指摘する。次に、文の産出過程
の文法符号化(文の組み立て)と理解過程の統語
解析はどのように行われると考えられるかを概観
し、Ihara and Fujita(2009, 2010)の症例では間
接受動文がどのように産出された可能性があるか
について、Langacker(1991)の行為連鎖の概念
を用いた説明を試みる。行為連鎖の点から見ると、
能動文は行為連鎖に沿っているが、直接受動文は
被動者が主語になるため、行為連鎖の流れと逆行
する。つまり、事態把握の仕方に関して、直接受
動文は能動文に比べて不自然であると言える。間
接受動文の場合は、ある出来事の結果がさらに別
の人物に影響を及ぼすので、直接受動文よりも起
点から遠い着点を主語にしており、直接受動文よ
りも、より一層不自然であると言える。この事態
把握の仕方が間接受動文を産出する際に影響する
と考えられる。一方、理解の場合は提示された文
の解析を行うので、情景画の事態把握の仕方はさ
ほど影響せず、むしろ統語解析の段階において痕
跡や痕跡とリンクされている名詞句が見えないた
め間違った理解をしてしまう可能性が高い。言い
換えると、失文法者の場合、文の組み立ての一部
に問題があるため、産出では統語的な組み立ての
前段階で認知的な原理に強く影響され、理解では
統語的な組み立てそのものの問題が影響する、と
考えられる。
030
大塚惠子
Keiko OTSUKA
言語接触を想定した日本語方言アクセント史の試み
An Attempt of the History of Accentual Systems of Japanese Dialects
Based on Language Contact
●抄録
日本語方言の多様なアクセント体系に関して、
それら相互の歴史的関係を論じた二つの説を概観
する。そしてそこでは考慮されていないタイプの
言語接触を想定した日本語方言アクセント史の試
みを提案する。
取り上げる論の一つは、平安時代末期の京都ア
クセント体系が最も古い形で、アクセント型の数
を最大に持つ最も複雑な体系であるとする。歴史
的には異なるアクセント型の合流が次々に起こり、
一つのアクセント体系が持つアクセント型の数が
減っていって、より単純な体系ができていった。
その過程の途中の段階にとどまったり、合流の最
後の段階まで到達した体系があることが、現在の
多様な諸方言のアクセントをもたらしたとする。
いま一つの論は、もともとは日本全体がすべて
弁別アクセントを持たない言語だったが、中央部
に声調言語的特徴を持つ言語が外から入り込み、
それと接触した地域の言語が弁別的アクセントを
順次獲得し、それが周縁部に及んでいく、しかし
弁別的アクセントを獲得しなかった地域もあり、
結果として多様であるとする。
ここでは、そのどちらでもない、北からと南か
らの集団的な人の移動によって起こったと想定し
うる言語接触とアクセントについて、試論を提案
する。いくつかの典型的な方言・言語をとりあげ
る。日本語方言アクセントの検討においては、ほ
とんどの場合領域外であるとされ、取り上げられ
ないアイヌ語アクセントを視野に入れる。先行の
仮説およびここで提案する仮説のそれぞれの本質
的特徴とその根拠、前提を整理して、比較検討の
材料とする。言語接触を前提をすることで、説明
することが可能になるいくつかのアクセント現象
に触れる。
038
佐藤 彰
Akira SATO
益川満治
Mitsuharu MASUKAWA
東京造形大学における学生の形態と体力の実態
●抄録
東京造形大学学生の形態と体力の現状を明らか
にすることにより、体力増強に向け運動習慣の確
立を見据えた大学体育での指導や授業展開に関す
る一助となるための資料を得ることを目的とした。
その結果、
「やせ」の男子が30名・女子が36名、
「標
準」は、男子105名、女子182名、
「隠れ肥満」は、
男子21名、女子32名、
「肥満」は、男子23名、女
子16名であった。形態について、全国平均との比
較では、男子で、「身長」「体重」で有意に低く、
女子で、「体重」「BMI」で有意に高い値だった。
体力測定については、男女とも全ての項目におい
て、全国平均より有意に低かった。
048
清水哲朗
Tetsuo SHIMIZU
カント『判断力批判』における「美的判断」
についての考察
Überlegung über der ästhetische Urteil in Kants Kritik der Urteilskraft
●抄録
本論は、いわゆるカント「三批判」の「第三批
の「美の本質」においてその核心を成していた「構
判」の『判断力批判』第一部における「美的判断」
想力」と「悟性」の「相互的一致」=「調和」が
の在り様に焦点をあて、その美学的課題の諸相に
重要なものとなる。ここでは、美的な対象を前に
ついての検討を試みることを目的とする。それに
した時に、
「構想力」には、我々人間の内部でど
際して、カント『判断力批判』を読み解いてゆく
こまでも固定されない、我々の生の根源的振動=
場合に極めて啓発的な導きの書であるジル・ドゥ
表現している=生きている(=生の横溢の)実感
ルーズの『カント批判哲学』及び三木清による『構
であるはずの「遊動」と美の作用による「悟性」
想力の論理』における諸ディスクールを手掛かり
の無限の拡大の中、双方によるいつ果てるとも知
とし本論目的への検討を進めてゆくこととする。
れない「遊び戯れ」の運動が生じ、それによって
多くの場合カント『判断力批判』は、我々の認
双方の間に「美」という「純粋な調和」が生じ、
識の合法則的な理論理性についての検討としての
そのような経緯による「純粋な調和」が我々の「美
「第一批判」=『純粋理性批判』と、その法則性
的共通感覚」を根底的に支えるものであるメカニ
の「限界」の上で見出されてくる、超感性的で叡
ズムが明らかにされる。
智界的な合目的性としての「理性」についての批
そのような「純粋な調和」としての「美的共通
判=規定を行う「第二批判」=『実践理性批判』
感覚」をもたらしている「構想力」と「悟性」の
との仲立ちを行う「中間者」あるいは「結合子」
関わりについて、次に「発生」の問題が導入され
としての役割として考えられてきた。このような
てくる。その際にまずは、
「苦痛」
、
「不一致」を
「中間者」、「結合子」としての『判断力批判』に
媒介にして「調和」へと向かう「崇高の感覚」が
おける「判断(力)」の機能において「美的判断」
考えられ、そこで「構想力」と「悟性」のあくま
がどのように作用し得ているのかを検討すること
でも「主観的合目的的」な関わりに対して、
「理
が本論の目的の中核を成している。
性的な合目的性」の兆しが垣間みられ始めるので
第Ⅰ章においては、
「美的判断」の諸相を考え
ある。そのような「美的判断」の「主観的合目的
る上で「反省」の概念について注目してゆく。ま
性」についての「目的論的合目的性」の介入が、
ずはカント批判哲学全体の結構を支え、以降20世
ここでの「美的判断」にとって「反省」の問題の
紀の現代美術界、第二次大戦後絵画論(アメリカ
核心となり、それへの検討を行ってゆく。
における「抽象表現主義」に対する批評としての)
第Ⅲ章においては「自然、芸術の象徴作用」に
に大きな影響を与えてきた「形式主義批評」の依
ついて考える。しかしこれは、言うまでもなく前
拠する「形式」の概念について検討する。
「美的
章の「発生」の問題において見出されてきた「美
判断」の能力の枢要を成す「反省」がどのように
的な関心」の問題との関わりにおいてなされるも
『判断力批判』における「形式」たり得て、
「美的」
のである。ここでは、
「構想力」と「悟性」によ
な「判断」を可能にしているかについて検討する。
る「遊び戯れ」によってもたらされた「純粋な調
さらにそのような「反省」の作用が、
「第一批判」
和」
(=「美の感覚」
)にとどまらず、例えば「ユ
における理論理性的な「構想力」の作用とは異な
リの花の白さ」の中に「純粋無垢」という「理性
り、どのように我々の根源的なイメージ生成能力
的」な「理念」を見出してゆく「美的な関心」の
として、「構想力」と関わっているかを見、その
「発生」が検討されてゆくこととなるのである。
上で、
「反省的判断力」として「美的判断力」が、
「構
「美的判断力」における「発生」とは、このよう
「調和」において、
想力」と「悟性」の「一致」、
に「構想力」と「悟性」の「純粋な調和」による
どのように「主観的合目的性」=「目的なき合目
「主観的合目的性」からもう一つ上位の「合目的
的性」(Zwekmässigkeit ohne Zweck)として「美
性」としての「理性的」な「理念」への「運度性」
の本質」となるかについて考える。
としてとらえられるものである。
ここに至って
「構
第Ⅱ章においては、「美的判断」における「共
想力」と「悟性」による「純粋な調和」の現象は、
通感覚」と「発生」の問題について検討する。そ
「美的な関心」の「発生」というもう一つの極を
の際にまず、
「美の本質」と「共通感覚」の関わ
得て、この三極構造においてその三位一体的な作
りについて考える。ここでの「共通感覚」の検討
用に至って我々は、ようやく「美的判断」を介し
の対象は、いうまでもなく「美的共通感覚」を意
た「人間精神の最も深い部分」を体現し得ること
味する。そしてその検討においては、やはり前章
となるのである。
これは我々の生にとっての
「美」
058
という「最も深い部分」の体験と言い換えること
もできるだろう。この一連のプロセスについて検
討する。
ここにおいて我々の「遊び戯れ」=「純粋な調
和」=「美の感覚」としての「美的判断」は、
「美
自身が、善の象徴である」という言説に見られる
ように、既に「理性的」な在り方と充分に結合し
ている。そのことはまた、また我々の内部の「理
念的」なるものと「美」のまさに「結合」として
の「天才」の在り方においても実証されるのであ
る。こうして『判断力批判』第一部で語られた「美
的判断」は単に「主観的合目的性」に閉じたもの
ではなく、「判断力批判」第二部で語られる「目
的論的判断力」について、既に充分に通底したも
のであることが明らかにされる。またそこにおい
て我々は、「美的判断」が「主観的合目的性」を
貫き、
「人間精神の最も深い部分」へと至りながら、
さらに次なる、人間精神にとっての「最も高い境
地の到来」へと常に同時に開かれていることを知
る。以上のような経過を経て本論は、カント『判
断力批判』第二部において語られる「目的論的判
断力」への検討を次なる論の課題として最後に受
け取ることとなる。
059
長谷川 章
AKIRA HASEGAWA
ブルーノ・タウト『画帖桂』の美学
――書画同体論とドイツ・ロマン主義の全体性の美学
The aesthetic of Bruno Taut’s“KATSURA ALBUM”— The equation theory of handwriting
with painting and the aesthetic of german Romaticism in world view of organism
●抄録
本論はドイツの近代建築家の一人であるブルー
第5部ではタウトがイスタンブールから日本人
ノ・タウトの建築理念について論考したものであ
の弟子に宛てた絵巻物のような手紙について述べ
る。タウトはナチスに追われて日本に三年余滞在
た。この手紙はそれまでのものとは異なり、絵と
した経歴を持つ。そこで出会った桂離宮に感動し
文が融合し、その背後に細やかな心情が読み取れ
たタウトは『画帖桂』という二十七葉からなる図
ることを詳述した。ここには東洋の日本で出会っ
集を描いた。彼が魅了された桂離宮の美の概念を
た文人画の道教の世界観と、西洋のドイツでタウ
二つの視点から解き明かす。一つは彼が日本で書
トが獲得したドイツ・ロマン主義の世界観が融合
いた絵巻物のような手紙を手がかりに、中国の文
された書画同体による精神世界が認められる。
人画の道教の世界観から考察する。もう一つはタ
ウトが描いたドイツの風景画を手がかりに、ドイ
ツ・ロマン主義の世界観から考察する。その結果
タウトの『画帖桂』には両者の世界観が融合され
ていることを指摘した。
本論は大きく5部から構成されている。
第1部ではタウトが日本で書いた絵巻物のよう
な手紙に着目し、その出自として、彼が興味を抱
いた日本の床の間の掛軸と文人画における書画同
体の日本文化について言及した。そして日本の文
人画のもととなった中国の文人画に認められる道
教の世界観と、そこに認められる詩書画一致によ
る書画同体の世界を、タウトがカントの哲学で説
明していることを指摘した。
第2部ではタウトがドイツで書いた『ガラスの
鎖』という絵を交えた手紙に着目し、古代ギリシ
ャからイタリアのバロック時代にわたる西欧の詩
画論から検証した。またタウトがワイマール時代
に描いた『アルプス建築』と『都市の解体』に着目
し、18世紀から20世紀にわたるテキストとイメー
ジにおける近代の詩画論から検証した。その結果、
日本でタウトが書いた手紙や『画帖桂』における
ような書画が融合した表現は認められないことが
判明した。
第3部ではタウトが建築家を目指す過程で画家
を志していた頃の風景画に着目し、往時の北欧や
ドイツの風景画との同時代性を検証した。それは
北欧神秘主義とドイツ・ロマン主義が融合した風
景画であった。その背景となるドイツ・ロマン主
義の美学と哲学における世界観を詳述した。
第4部ではタウトが来日したときの日本のナシ
ョナリズムと、往時のドイツのナショナリズムが
酷似していることを指摘し、タウトが桂離宮を評
価した理由とそれが日本で受容された理由を明ら
かにした。そしてタウトが描いた『画帖桂』に描
かれた内容を検証してみると、そこにはドイツ・
ロマン主義の世界観を読み取ることができた。そ
れは道教の世界観そのものであった。
080
本号の執筆者
小川幸造(おがわ・こうぞう)東京造形大学教授
井原浩子(いはら・ひろこ)東京造形大学教授
大塚惠子(おおつか・けいこ)東京造形大学教授
佐藤 彰(さとう・あきら)東京造形大学教授
益川満治(ますかわ・みつはる)東京造形大学非常勤講師
清水哲朗(しみず・てつお)東京造形大学教授
長谷川 章(はせがわ・あきら)東京造形大学教授
東京造形大学研究報
14
Journal of
Tokyo Zokei University
No.14
2013
発行
2013年3月31日
編集
東京造形大学研究報編集委員会
編集委員長——長井健太郎
編集委員———田窪麻周
大塚惠子
木下恵介
玉田俊郎
保井智貴
発行
東京造形大学
192-0992 東京都八王子市宇津貫町1556
Tel. 042-637-8111
Fax 042-637-8110
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Faccsimile 042-637-8110
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