おいしさを科学する 「油脂」 マグロのトロや霜降り肉は、脂肪がうまさをかもし出し ています。からっと揚がった天ぷらのさくっとした歯ご たえと香ばしい風味は、油を使った調理ならではです。 食品中の脂質や調理における油脂は、おいしさにどのよ うに関わっているのでしょうか。油脂が作り出すおいし さの世界を探ってみました。 油と脂 ●図表1 各種脂肪の融解点 脂ののったマグロのトロ。その名のとおり舌の上でとろり (40∼56) 牛 ととろけるような旨さです。ところが、牛肉をタタキや刺身 で生食する場合は、脂肪の少ない赤身の肉が一般的。霜降り (44∼49) 羊 肉では脂が口のなかでベタベタしてしまいます。 これは牛の脂が溶ける温度、融点が40∼56℃と体温より高 豚 (28∼48) ウサギ (25∼46) く、口に入れても溶けない牛脂が舌触りを損ねるためです。 同じ肉でも豚の脂の融点は28∼48℃と体温をはさむ温度帯な ので、冷たいカツでも、熱で一度溶解した豚脂が舌の上で再 馬 び溶けて、おいしく食べることができます。西洋料理のテリ ーヌやパテ、中国料理の冷菜、常温で食べることの多いハム バター やソーセージの原料に、牛ではなく豚が多く用いられるのは そのためです(図表1参照) 。 (25∼36) 0 10 20 30 ところで、あぶらは「油」とも「脂」とも書きます。一般 40 50 60 温度(℃) 口の中で溶けない 口の中で溶ける に常温で液体のものを油、固体のものを脂といい、両方合わ せて「油脂」と呼びます。食品や健康に関わる分野では「脂肪」 (29.5∼43.2) 杉田浩一『新装版「こつ」の科学』柴田書店 2006より も同じ意味で用いられ、油脂を含めた油性の物質の総称を 「脂質」といいます。 ●図表2 食用の油脂には、植物性のもの、動物性のもの、それらを 加工した加工油脂があります。植物性油脂は種子・胚芽・果 肉から、動物性油脂は動物の脂肪組織・乳から、油脂成分を 抽出または分離し、不純物を取り除いて精製したものです。 油脂の主成分は中性脂肪ですが、中性脂肪はさまざまな種 類の脂肪酸によって構成されています。脂肪酸はそれぞれ性 飽 和 脂 肪 酸 質が異なります。この脂肪酸の種類や割合が食用油脂によっ て異なるため、油脂によって液体や固体だったり性質が異な るのです(図表2参照) 。 不 飽 和 脂 肪 酸 主な食用油脂とそれに含まれる脂肪酸 脂肪酸 融点 バター 豚脂 牛脂 酪酸 -73℃ 4.6% - - - - ラウリン酸 48℃ 5.0% - - - ミリスチン酸 53℃ 17.7% 2.7% 0.3% - パルミチン酸 64℃ 16.0% 25.2% 27.0% 21.0% 9.4% ステアリン酸 69℃ 3.7% 12.8% 23.9% 2.0% 4.1% 48.0% 54.2% 40.7% 28.6% 28.5% 0.7% 綿実油 ダイズ油 オレイン酸 -14℃ リノール酸 -9℃ - 7.1% 1.8% 47.2% 55.0% リノレン酸 -11℃ - - - - 3.0% 杉田浩一『新装版「こつ」の科学』柴田書店 2006より おいしさを科学する 「 油脂 」 飽和脂肪酸と不飽和脂肪酸 脂肪酸にはさまざまな種類がありますが、炭素の数と、 炭素と炭素の結びつきに「二重結合」と呼ばれる分子構造が あるかどうかで分類されています。二重結合のないものは 「飽和脂肪酸」、二重結合があるものは「不飽和脂肪酸」と呼 び、不飽和脂肪酸はさらに二重結合の数によって、一つのも のを「一価不飽和脂肪酸」、二つ以上のものを「多価不飽和 脂肪酸」と呼んでいます(図表3・図表4参照) 。 ●図表3 不飽和脂肪酸の二重結合 飽和脂肪酸 不飽和脂肪酸 H H H H H C C C C C H H H シス型結合 二重結合のない飽和脂肪酸は化学的に安定しており、溶け る温度(融点)が高く室温では固体の状態です。一方、二重 結合がある不飽和脂肪酸は化学的に不安定で、低い温度でも 溶け、10∼20℃程度の室温では液体の状態です。動物性油が ど不飽和脂肪酸が多いからです。 二重結合が四つ以上のものは特に「高度不飽和脂肪酸」と いいます。魚の脂には、二重結合を五つ持つEPA(エイコサ ●図表4 脂肪酸の分類 脂肪酸の分類 酪酸 中鎖脂肪酸 (炭素数8∼10) カプリル酸 カプリン酸 飽和脂肪酸 (二重結合なし) ン酸)などの、高度不飽和脂肪酸が豊富に含まれています。 マグロのトロは融点の低い高度不飽和脂肪酸を多く含むの のです。 脂肪酸名 短鎖脂肪酸 (炭素数6以下) ペンタエン酸)や二重結合を六つ持つDHA(ドコサヘキサエ で、生のさしみで食べても口溶けがよくおいしく感じられる トランス型結合 永田純一・池田郁男「トランス脂肪酸に関する最近の話題」栄養学雑誌Vol.64 No.2 2006より 室温で固体なのはパルミチン酸やステアリン酸など飽和脂肪 酸が多いから、植物性油脂が室温で液体なのはリノール酸な C 一価不飽和脂肪酸 長鎖脂肪酸 (二重結合1個) (炭素数12以上) 多価不飽和脂肪酸 (二重結合2個以上) ラウリン酸 ミリスチン酸 パルミチン酸 ステアリン酸 オレイン酸 リノール酸 アラキドン酸 α-リノレン酸 EPA DHA 香川芳子監修『五訂増補食品成分表2007』女子栄養大学出版部 2006ほかより作成 油脂と脂肪酸 油脂の化学上の正式名称はトリアシルグリセロールといい、三つ(トリ)の 脂肪酸(アシル)と一つのグリセロールで構成されます。脂肪酸とは、炭素 (C)が鎖状に長くつながったもの(通常4∼22個)にそれぞれ水素(H)が結合 し、末端にカルボキシル基(-COOH)が付いた物質の総称で、多くの種類があ ります。脂肪酸の融点は、一般に炭素数が多いほど高く、同じ炭素数ならば二 重結合の数が多いほど低くなります。 トランス型脂肪酸 トランス型脂肪酸(トランス酸)とは不飽和脂肪酸の二重結合の立体構造が互 い違い(トランス型)になっているものの総称で、加工油脂中の脂肪酸が高温 処理されることで生じる場合や水素添加による製造工程で生じます。水素添加 された油脂は、融点が上昇し酸化安定性など物理化学的特性が向上し老化しに くい油脂となるため、マーガリンやショートニングに使われるほか、パン、ケ ーキ、菓子製造用、調理用フライ油としてさまざまな食品に利用されています。 近年、欧米でこのトランス酸の過剰な摂取は血中LDLコレステロール(悪玉) を上昇させ、またHDLコレステロール(善玉)を低下させて、虚血性心疾患発 症のリスクを高めることが明らかにされ、食品中トランス酸の表示義務化や摂 取量勧告などが行われています。 おいしさを科学する 「 油脂 」 水と油 「水と油の仲」というように、油脂は水に溶解しないのが 特徴です。サラダドレッシングは、攪拌すると一時は油が油 滴になって酢の中に分散しますが、時間がたてばまた分離し てしまいます。しかし食品の中には、マヨネーズや生クリー ムのように、水分と油脂が仲良く安定して存在し、なめらか な食感となっているものがあります。バターやマーガリンも、 ●図表5 レシチンによるマヨネーズの乳化 一見そうは見えませんが水分を含んでいます。 水の中に油が、あるいは油の中に水が分散した状態を「乳 水 化」といい、乳化した液は「エマルション」と呼びます。エ マルションはなめらかな食感を持ちます。安定したエマルシ ョンを保持するのが、その分子に親水性の部分と親油性の部 油 分を合わせ持っている「乳化剤」と呼ばれる物質です。 たとえば、マヨネーズでは卵黄中のレシチンや一部のたん ぱく質が乳化剤として働いています。レシチンやたんぱく質 の親油性の部分が油滴の周りを取り囲み、親水性の部分が水 油と結びつく 水と結びつく (この場合は酢の水溶液)と接して、水の中で油滴が分散し た安定したエマルションとなっています(図表5参照)。バタ ーやマーガリンでは逆に、モノグリセリドや大豆レシチンな レシチン 杉田浩一『新装版「こつ」の科学』柴田書店 2006より どの乳化剤の、親水性の部分が水滴を取り囲み、親油性の部 分が油脂と接しています。 エマルションには、マヨネーズ・生クリームなど、水の中 ●図表6 乳化の二つの型 に油が分散している水中油滴型(O/W型)と、バターやマ ーガリンなど、油の中に水が分散した油中水滴型(W/O型) とがあります(図表6参照)。最近ではさらにW/O/W型や O/W/O型の複合エマルションも合成され、コーヒー用ク 油 リームや製菓用クリームなどに利用されています。 水 水中油滴型エマルジョン 杉田浩一『新装版「こつ」の科学』柴田書店 2006より 油中水滴型エマルジョン おいしさを科学する 「油脂」 油脂と調理 油脂は乳化以外にも、さくっとした食感、つまり食品に 「もろさ」を付与したり(ショートニング性)、空気を細かい 気泡として抱き込んでクリーミーな舌触りを生んだり(クリ ーミング性)、調理や食品加工の際に食品の物理的構造に重 要な働きをしています(図表7) 。 また、油脂は天ぷらやとんかつ・油炒めなど、加熱調理の 媒体としても利用されます。油脂の比熱は0.45前後と水の約 ●図表7 油脂の特性 特性を持った素材・加工品 特 性 半分であるため、水より早く加熱でき、100℃をはるかに超 える高温が得られます。この高温下で食材の成分と油脂が反 応して、独特の香気が生まれ、料理としての風味を高めます。 エマルションの 舌ざわりをよくする 形成 マヨネーズ・生クリーム バター・マーガリン 揚げる場合は、揚げる食材と衣と揚げ油との間で水と油の 交換が起こり、蒸発する水分に対して10∼40%ほどの油が揚 げ物に吸収されます。使用する衣の量は、揚げ物メニューに よって異なり、食材の脱水を多くしてよりからっと仕上げた 食感・風味の 付与 舌ざわり こく味を出す い場合は衣をつけずに揚げ、食材の持ち味を活かしたい場合 は脱水を防ぐために衣をつけて揚げます。 弾力性を出す 中国料理ではよく、下ごしらえとして食材を熱した油にさ っと通す「油通し」を行います。これによって、野菜は色や 食品組織の形成 ショートニング性 歯ごたえが、肉は柔らかさが保てます。その後の調理の際に でんぷんの老化防止 ナッツ・霜降り牛肉 マグロのトロ あえ衣 パン 焙焼菓子・クッキー も、材料の温度差が小さくなり、料理の仕上りが向上します。 炒め物に油を使うのは、油が食品の表面に付着して、食品 からの脱水を防ぎ、歯ごたえを残すとともになめらかな食感 となるからです。また、鍋に食品がこびりつくのを防ぐ働き クリーミング性 起泡性 ホイップ性 もあります。 油脂には空気に触れると酸化する好ましくない性質もあり ます。これによって、食品の色や風味・食感などが悪くなり、 健康にも害をおよぼします。酸化は、光や熱・金属イオン・ 生鮮食品中の酵素などが要因となります。酸化による劣化を 防止するには、低温での保管、光の遮断、酸素の除去、抗酸 化剤の使用などが有効です。 酸化は主に不飽和脂肪酸の二重結合の部分で進行するた め、飽和脂肪酸の多い動物性油脂に比べて不飽和脂肪酸の多 い植物性油脂は酸化しやすいのですが、植物性油脂には抗酸 化作用のあるビタミンEを含むものが多く、ビタミンE以外に も米ぬかのオリザノール、ゴマ油のセサモール・セサミノー ルなどが酸化を防ぐ働きをしています。 ホイップクリーム バタークリーム・ケーキ トッピング 高温性 加熱媒体・香気生成 揚げ油・炒め油 加工による 物性の改変 舌ざわり・口どけ チョコレート 藤沢和恵・南廣子編著『現代調理科』医歯薬出版 2001 ほかより作成 おいしさを科学する 「油脂」 脂質の栄養 脂質は三大栄養素の一つであり、1gで9kcalの熱量をもつ高 エネルギー物質です。また脂質には、体の中ではつくること のできない必須脂肪酸(リノール酸・γ-リノレン酸・アラキ ドン酸・α-リノレン酸・EPA・DHA)が含まれており、これ らは体の細胞膜の成分やホルモン様物質の材料になっていま ●図表8 n-6系、n-3系脂肪酸の生合成 す。さらに脂質は、ビタミンA・D・E・Kなどの脂溶性ビタ n-6系 n-3系 リノール酸 C18:2 α-リノレン酸 C18:3 γ-リノレン酸 C18:3 C18:4 ジホモγ-リノレン酸 C20:3 C20:4 アラキドン酸 C20:4 エイコサペンタエン酸 ミンの吸収にも役立っています。 さらに、EPAは血液をさらさらにして血栓や梗塞を防止す る働き、DHAは健脳作用と脳の老化を防ぐ効果があるといわ れ、その生理機能が脚光を浴びています。 このように、人体にとって脂質は欠かすことのできない有 益な栄養素ですが、動物性脂肪に多い飽和脂肪酸は摂り過ぎ ると肥満や心臓血管系の疾病を引き起こす原因となってしま います。 脂質の摂取は、量だけでなく質も重要です。多価不飽和脂 肪酸は、体内での働きに応じて、リノール酸やアラキドン酸 等のn-6系の脂肪酸とα-リノレン酸やEPA、DHA等のn-3系の 脂肪酸の2つに分類されます(図表8参照)。ともに人体内で 重要な生理作用を果たしていますが、n-6系脂肪酸の摂取量に EPA C20:5 ドコサテトラエン酸 C22:4 C22:5 対してn-3系脂肪酸の摂取量が少ないと、動脈硬化や心疾患、 アレルギー過敏症や欧米型ガンの主要な危険因子となるとい 厚生労働省策定の「日本人の食事摂取基準(2005年版)」 では、脂肪エネルギー比率は1∼29歳で20∼30%、30∼69歳 DHA C22:5 われています(図表9参照) 。 ドコサヘキサエン酸 C22:6 小田裕昭・加藤久典・関泰一郎編『健康栄養学』共立出版 2005より作成 では20∼25%、70歳以上では15∼25%とし、また、脂肪酸の 目標量を成人で飽和脂肪酸がエネルギー比率で4.5∼7.0%、n- ●図表9 日米の脂肪摂取状況 6系脂肪酸はエネルギー比率で10%未満、n-3系脂肪酸は18∼ 49歳男性で2.6g、女性2.2g以上としています。 油脂は食品にさまざまなおいしさを生み出すと同時に、 人体にとって欠かすことのできないものですが、摂取の仕方 によっては健康に悪影響をもたらすこともある、利用と摂取 についての知識が必要な栄養源なのです。 米国 総脂質 飽和脂肪酸/不飽和脂肪酸比 日本 35%エネルギー程度 25%エネルギー程度 0.5程度 1程度 n-6/n-3比 15程度 4程度 トランス酸 2%エネルギー程度 1%エネルギー程度 菅野道廣「トランス脂肪酸に関わる世界の動向、日本の動向」オレオサイエンスVol.8 No.3 2008より 参考資料●杉田浩一『新装版「こつ」の科学』柴田書店 2006●永田純一・池田郁男「トランス脂肪 酸に関する最近の話題」栄養学雑誌Vol.64 No.2 2006●香川芳子監修『五訂増補食品成分表2007』女子 栄養大学出版部 2006●藤沢和恵・南廣子編著『現代調理科』医歯薬出版 2001 ●小田裕昭・加藤久 典・関泰一郎編『健康栄養学』共立出版 2005●菅野道廣「トランス脂肪酸に関わる世界の動向、日 本の動向」オレオサイエンスVol.8 No.3 2008●藤田哲:『食用油脂』幸書房2000
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