感情のメタファー

日本認知言語学会論文集,第8巻(JCLA8), pp274-284, 2008年5月.
感情のメタファーの日英差をもたらす要因についての考察
大石
明星大学
1
亨
情報学部
情報学科
はじめに
感 情 の メ タ フ ァ ー に つ い て は , Lakoff
(1987)の‘anger’(怒り) 1 に関する事例研究や,
Kövecsesの一連の研究をはじめとして,多く
の研究が行われてきている(Kövecses 2000).
Lakoff (1987)は,怒りに関するメタファーや
メトニミーは時間の次元を持つプロトタイプ
的認知モデルに収束するとし,これを「プロ
トタイプ・シナリオ」と呼んでいる2.このシ
ナリオ自体は怒りを引き起こす行為と報復,
それらの強さの尺度と釣り合いといったかな
り抽象的な概念から構成されているのに対し,
実際の言語表現で用いられる「熱い液体」「狂
気」「火」「重荷」「格闘」などは,基本レ
ベルの概念,すなわち最も直接的に経験に結
びつけられており,情報量が多く慣習的な豊
かな心的イメージを持つ概念から成り立って
いる.Lakoffは,このような概念に基づくメタ
ファーを「基本レベルのメタファー」と呼び,
抽象的な概念からなる「構成的メタファー」
から区別している.それぞれは別々の機能を
持ち,「構成的メタファー」が怒りに関与し
て存在するものの大部分(もの,強さ,限界
点,力,制御など)を与えるのに対し,「基
本レベルのメタファー」は,日常的によく知
っていて豊かな内部構造を持つ領域について
の知識を用いて,怒りを理解し,推論を引き
出すのに役立つと述べている.
一般に,メタファーの対照言語学的研究で
は,個別性よりも普遍性に着目するものが多
いが,「構成的メタファー」や「イメージス
キーマ」といった抽象的なレベルで比較する
場合は特にその傾向が強い.日本語の表現を
取 り 上 げ た も の と し て 瀬 戸 (1995) や 楠 見
(1996)があるが,いずれも英語と対比させて,
両言語の共通性を指摘している.
瀬戸(1995)は「入れ物」と「中身」の関係(容
器のイメージスキーマといってよいであろ
う)を基にしたさまざまな表現を挙げて,「喜
びや怒りの中心的な表現の仕組みは,喜びや
怒りの感情と同じように,人間の言語に共通
なのではないだろうか」(206ページ)と述べ
ている.
楠見(1996)は,感情概念とその構造を支える
認知モデルを認知心理学・認知言語学・認識
人類学や感情社会学のアプローチから検討し
たものであるが,認知言語学の感情表現研究
の中で,日本語における怒りの表現を支えて
いるイメージスキーマを「容器」「垂直性」
「バランス」「コントロール」の4つに分け
て整理している.それぞれのイメージスキー
マが関連する認知モデルを生み出すことや,
「プロトタイプ・シナリオ」の形で構造化さ
れていることも指摘している.また,感情の
比喩表現が異文化間で共通することにも触れ,
「イメージスキーマが,感情に関するヒトに
普遍的な生理-身体的経験に依拠しているた
めである」(46ページ)と論じている.
一方,異文化間の差異に言及するものは,
「基本レベルのメタファー」に焦点をあてる
ものが多い.Matsuki (1995)は,日本語にも英
語と同じように「怒りは容器の中の熱い流体
で あ る 」 (ANGER IS HOT FLUID IN A
CONTAINER)というメタファーは存在するが,
英語の‘anger’は制御を失って報復に向かうの
に対し,日本語の「怒り」は隠蔽し制御する
ことが重視されることを述べる中で,「腹」
という基本レベルの概念が特に重要視される
ことを指摘している3.また,Yu (1998)は中国
語の怒りを表す ‘nu’(怒)は, ‘qi’(気)という概
念と密接に関わっており,体内のエネルギー
の流れを表すが,英語とは異なり,液体では
なく気体であると述べている.
Kövecses(2005)にはこれらの他にも多くの
研究が紹介されているが,文化的・社会的に
重要な基本レベルの概念に焦点を当てた分析
がなされているものが多い.しかし,メタフ
ァーの多様性の原因を文化や社会の多様性に
帰してしまうと,その分析自体が特定的・個
別的なものにならざるをえない.
本稿では,従来の研究が行ってきたように
文化的・社会的に重要な個別概念に注目する
のではなく,言語類型論的な見方をする.こ
れによって,一見関係がないように思われる
メタファーの日英間の相違の中に,他の言語
現象と共通する一貫した特徴を見出すことが
可能になる.
その特徴とは,<自己分裂> vs. <自己投入>,
<結果重視> vs. <過程重視> という認知的な
営みに対する傾向の違いに基づくものである.
前者がメタファーのモト領域の選択に影響を
及ぼすのに対し,後者は同じモト領域に対す
る解釈の違いをもたらす.さらに,これら2
つの傾向は相互に関連しており,同じコイン
の裏表であることを主張する.
2
感情と情動
本論に入る前に,「感情」という概念につ
いてのわれわれの考え方と,関連する用語に
ついて整理しておく.
われわれは,「感情」(feelings)と「情動」
(emotion)を区別する.「情動」とは,英語の
‘emotion’という言葉が表しているように,動
作または動きであり,外に現れるものである.
これはある対象や事象に対する身体反応であ
り,生命調節の基本的なメカニズムの一部で
ある.一方,「感情」は,情動がもたらした
身体反応に対して生み出された脳内マップや
心的イメージであり,その状況に対する留意
を導入し,記憶に作用するものである
(Damasio 1999, 2003).
この見方によると,通常考えられているよ
うに,感情がまず存在し,その現れとして情
動反応が起こるのではなく,逆に,有機体が
何らかの対象を見たり,聞いたり,触れたり,
想像したりすると,それに対する身体的反応
として情動が最初に発生する.この情動的身
体状態が神経信号や化学信号によって脳に報
告され,脳の中に神経的に表象されたものが
「感情」である.したがって,生理的変化を
述べることによって感情を表す表現(「顔を
真っ赤にして」「怒りに震える」など)は,
これまでの研究では結果によって原因を表す
メトニミーであるとされてきたが,むしろこ
れらの表現の元になった生理的変化こそが感
情をもたらす原因の一つなのである.
さらに,脳の中に形成された表象(感情)を認
識すること(感情を感じること)で意識が生み
出されるというのがダマシオの仮説であるが,
感情のメタファーが関与するのはこのレベル
である.われわれは,その成り立ちには大き
く2種類の機構が関わっていると考えている.
一つはDamasio(1999)が「仮想身体ループ」
(as-if body-loop)と呼ぶものであり,脳が特定
の情動的身体状態を内的に模倣する機構であ
る.ダマシオによれば,この機構は,前頭前
皮質や前運動皮質のような特定の脳領域が,
身体感知領域に直接信号を送ることで,部分
的に身体をバイパスすることにより実現され
る.この結果,内的シミュレーションを行っ
たり,認知処理モードを変化させたりするこ
とが可能になるとともに,願望や不安の基盤
が構成されるようになる.このとき,体性感
覚構造の変化としては存在するが,実際には
起こっていない身体状態を言語化すれば,
「胸
が痛む」「傷つく」などのメタファー的表現
が生まれることになる.
この身体的イメージは,身体内部の情動的
状態,すなわち,内臓の状態や顔面・四肢の
さまざまな横紋筋の収縮の程度,無数の化学
的パラメータの状態(痛みや温度を含む)をニ
ューラルパターンとしてマップしたものから
成り立っており,ダマシオはこれを「肉体か
らのイメージ」と呼んでいる.これに対して,
われわれの持つイメージの大部分は,視覚や
聴覚を中心とする感覚器官から得られるもの
である.形や触感のイメージがこのプロセス
の派生物であり,機械的接触(触覚),化学的接
触(嗅覚・味覚),テレセンシング(視覚・聴覚)
に基づいて成立するイメージである.ダマシ
オはこれを「特別な感覚装置からのイメージ」
と呼んでいる.
メタファーを生み出すもうひとつの機構と
は,脳が生み出すこの2種類のイメージをお互
いに融通することである.有機体の内部に関
するイメージと,有機体の特定の表面で有機
体と相互作用している物質世界に関するイメ
ージを相互にやり取りすることで,外部世界
の物質になぞらえて身体の状態を理解し,逆
に物質の世界を自分の身体感覚を通して直接
理解することができるようになる.
次節では,実際に日本語の感情表現がどの
ようなイメージを利用しているかを,コーパ
スから得られた具体例に基づいて,詳細に検
討する.
3 日本語における感情のメタファー表現
の分類
本節では,日本語における感情のメタファ
ー表現の分類を示す.これらは,大石(2005)
で提案した方法によって作成したデータベー
スから抽出したものであり,動詞句を中心と
している.
3.1
身体への損傷表現
前節で触れた仮想身体ループに基づく表現
である.実際には起こっていない身体の損傷
や圧迫を述べることで,精神的な苦しみやプ
レシャーを表す.
(1)精神的苦痛・衝撃
「心が痛む,胸を痛める,心がうずく,心
を傷つける,胸をえぐる,悲しみが心に突
き刺さる,心が引き裂かれる,胸が張り裂
ける,胸が締め付けられる,傷つく,衝撃
を受ける,打撃を与える」
(2)重圧・プレッシャー
「不安に押しつぶされる,不安がのしかか
る,重圧をはねかえす,重苦しい雰囲気」
3.2
容器を前提とする表現
感情の存在場所としての「心」や「胸」を
容器として捉える表現である.1節で言及した
ように,多くの研究者が指摘している.感情
自体は,この容器の底から湧き上がり,溢れ
出す水の様態が用いられることが多い(3.5節).
(3)開放・閉塞
「心を開放する,心を開く,胸が塞がる,
悲しみに閉ざされる,胸がつまる,胸がす
く,塞ぎこむ」
(4)侵入・保管
「心に忍び込む,胸に宿る,心に巣食う,
胸にしまっておく」
(5)充満・膨張
「心を満たす,自信がみなぎる,希望に満
ちる,感動で胸がいっぱいになる,充実感,
期待に胸を膨らませる,夢が膨らむ」
3.3
具体物の所有・操作表現
感情を外界に存在するモノとみなす表現で
ある.「特別な感覚装置からのイメージ」を
身体内部の状態の描写に流用したものである.
(6)所有
「愛着を持つ,不安を抱く,悩みを抱える,
期待を背負う,憂いを帯びる」
(7)除去・獲得
「執着を捨てる,疑念を払う,不安を取り
除く,不安を拭う,自信を取り戻す,恨み
を買う」
(8)隠蔽
「苛立ちを隠す,欲望が潜む,意欲をのぞ
かせる,悩みがのぞく,平静を装う」
(9)抑制・減殺
「不満を抑えつける,欲望を抑える,動揺
をおさえる,感情を殺す,野望を砕く,意
欲を削ぐ,思いを踏みにじる」
(10)味覚・飢餓
「喜びをかみしめる,感動を味わう,苦杯
をなめる,愛情に飢える」
(11)接触
「怒りに触れる,しゃくにさわる」
3.4
移動表現
移動表現を用いて感情の出現や消滅を表す
ものである.動きの様態と移動物である感情
の種類に相関が見られる.関心や注意は感情
とは呼べないかもしれないが,心の動きとし
てここに挙げておく.
(12)通過・遠近
「衝撃が走る,不安が心を横切る,不安が
胸をよぎる,懸念が遠のく,心に迫る,心
にひっかかる」
(13)集中・分散
「期待が集まる,支持を集める,共感が寄
せられる,同情を寄せる,関心を移す,情
が移る,関心を引き付ける.興味を引く,
関心が向く,注意を向ける,注意を集中す
る,気をそらす,気が散る」
3.5
液体に関する表現
3.3節同様,感情を外界の物質に喩える表現
であるが,液体と共起する動詞を用いること
が特徴である.(14)に挙げた例に見られる体内
から湧き上がる液体のイメージは,血流をは
じめとする体液性の信号の影響を受けたもの
であり,(15)の例はその含意であると思われる.
一方,(16)のような身体を取り巻く水の様態を
用いる表現は,輪郭のはっきりしない漠然と
した背景的情動状態を外界に投射した結果で
あると考える.
(14)湧出
「勇気がわく,不安がわき上がる,感慨が
わき起こる,喜びがあふれる,自信にあふ
れる,怒りがこみあげる,憎悪が渦巻く」
(15)傾注・斟酌
「愛情を注ぐ,情熱を傾ける,不満をくみ
上げる,気持ちをくむ,心情を汲みとる」
(16)没入
「愛におぼれる,悲しみに沈む,感傷に浸
る,寂しさが身にしみる」
3.6
燃焼に関する表現
火と関係する表現である.激しい感情に用
いられる.体内温度や血圧の影響はいうまで
もないが,集団的な感情を表すときには,燎
原の火の燃え広がりや火山の噴出などのイメ
ージが関与していると思われる.
(17)激情
「不満がくすぶる,反米感情をあおる,怒
りに燃える,怒りが燃えたぎる,怒りが立
ち昇る,怒りが収まる,怒りが鎮まる」
(18)情熱・恋
「闘志をかきたてる,情熱を燃やす,希望
に燃える,正義感が燃え上がる,士気が衰
える,恋に身を焼く,胸を焦がす」
(19)爆発
「感情を爆発させる,怒りが爆発する,感
情が噴き出す,不満が噴出する」
3.7
生物に関する表現
生物を対象とする動詞を用いる表現である.
育成に関する表現は,感情というよりある種
の精神状態に用いられる.
(20)育成
「情熱をはぐくむ,自立心を育てる,精神
を養う,心が成長する」
(21)勧誘・招待
「悲しみを誘う,反感を招く」
(22)被害
「思いがつきまとう,絶望に襲われる,悲
しみにとらわれる」
(23)植物
「気持ちが熟す,心に根づく,恐怖感を植
えつける,愛情が芽生える,萌え,萎え」
3.8 その他のもの
喩えの元になる物質の様態が比較的限定さ
れるものをまとめておく.糸の表現は,緊張
感または結合・断絶を表す.後者はLINKのイ
メージスキーマを具体化するものである.天
候は背景的情動に影響を与えると同時に,情
動的身体状態もまたわれわれを取り巻く世界
に投射される.これは,(16)と同様の機構に基
づいていると思われる.
(24)布
「悲しみに包まれる,心をなびかせる」
(25)糸
「張り詰めていた気持ちがふっと緩む,緊
張が緩む,気持ちがほぐれる,野望を絶つ,
未練を断ち切る,気持ちがつながる,望み
をつなぐ」
(26)武器
「怒りの矛先を向ける」
(27)天候
「胸が晴れる,心が晴ればれする,心を曇
らせる,悲しみが心を覆う」
3.9
導管のメタファー
導管のメタファーは言語に関するものと思
われがちであるが,感情(feeling)が意味と同じ
ように,容器としての言語に詰め込まれて送
られることは,Reddy (1979)も指摘している.
(28)充填
「心を込める,思いがこもる,心情を託す,
思いを乗せる」
(29)伝達
「思いが届く,気持ちが通じる,熱意が伝
わる,喜びを伝える」
3.10
上下方向の表現
Lakoff and Johnson(1980)が挙げる方向性の
メタファーのうち上下のメタファー(HAPPY
IS UP; SAD IS DOWN)である.
(30)高揚
「意気が上がる,気勢を上げる,気分が浮
き浮きする,舞い上がる,意欲を起こす,
気分は上々だ,天にも昇る気分」
(31)落胆
「落ち込む,落胆,絶望のどん底,悲しみ
に沈む」
3.11
安定・変動に関する表現
安定感は冷静さと結びついて,動揺や焦り
と対立する.体温やほてりの状態に関する信
号,前庭システムから送られるバランス感覚,
筋骨格システムの状態などに関する内受容的
な信号を,外的な温度や動きを表す言葉によ
って表現したものである.感動を楽器で表現
する(37)の例には,3.2節で述べた容器のスキ
ーマが関わっている.
(32)冷却
「熱意が冷める,興奮がさめる,熱意が冷
える,企業マインドを冷やす,冷静,恐怖
に凍りつく,悪寒が走る」
(33)安定
「気持ちが落ち着く,冷静沈着,物事に動
じない,精神的に不安定になる」
(34)動揺
「心を揺さぶる,心が揺れ動く,動揺する,
心が揺れる,ゆるぎない,気が動転する」
(35)駆動
「焦燥に駆られる,怒りが駆り立てる」
(36)躍動
「心を踊らせる,胸が踊る,血が騒ぐ,心
が弾む,胸が震える」
(37)音響
「心に響く,胸を打つ,琴線に触れる」
3.12
度数変化を表す表現
強弱・高低・濃淡などの尺度が感情の状態
描写に用いられる.3.10節で取り上げた上下
のメタファーとともに,尺度融合の例である
(大石 2007).
(38)強度・高度・濃度
「愛情が強まる,不安を強める,不満が高
まる,やる気を高める,意欲が薄れる,淡
い感情」
3.13
メトニミーから派生した表現
ある感情をもたらす原因となる状況を述べ
ることで,その感情状態にあることを表現す
ることがある.(39)に挙げた表現は,実際には
実現していない状況を述べているので,3.1節
で述べた仮想身体ループと同様の機構が働い
ていると考えられる.
逆に,情動反応を述べる(40)のような表現は,
2節で述べたように,「通俗理論」(folk theory)
ではある感情の結果であると考えられている
が,戯画的状況を身体の内部状態にあてはめ
て表現するメタファーでもある.
(39)原因状況
「追いつめられる,八方ふさがり,閉塞感,
突破口を見出す,自分を見失う」
(40)身体的変化
「頭の中が真っ白になる,体の血が止まる,
身が引き締まる思い,目が点になる,目が
ハートになる」
4
英語との比較
本節では,前節で分類した日本語における
感情表現で用いられている基本レベルの概念
を,Kövecsesによって行われた英語における
広範な感情表現の研究 (Kövecses 2000)と対
照することにより,日本語と英語が多くの基
本レベルの概念を共有していることを示す.
Kövecses(2000) は , 代 表 的 な 感 情 と し て
Anger, Fear, Happinessなど7つの基本感情を
取り上げ,それぞれの感情を表す言語表現を
収集し,概念メタファーを洗い出している.
さ ら に , Talmy(1988) の 提 唱 し た FORCE
DYNAMICSの枠組みを利用して,さまざまな
概念メタファーは,EMOTION IS FORCEとい
う一つのマスターメタファーのもとに統合で
きると主張している.
Kövecsesが用いたデータ収集の方法は,わ
れわれのものとは全く異なるが,彼が提示し
ている概念メタファーに用いられている基本
レベルの概念の多くは,前節の分類と重なる
ものである.表1に,彼の抽出した基本レベル
の概念と,それに対応する前節の例文番号を
示す.
これ以外にも,個々の動詞句単位で,対応
する表現が数多くある.それぞれの概念が概
念メタファーにおいて,まったく同じ役割を
果たしているかどうかは,さらに検討する必
要があるが,傾向として両言語の用いる概念
の範囲は重なる部分が多いということはいえ
るであろう.
表 1 基本レベル概念の日英対象
基本レベルの概念
Container
Internal pressure
Physical damage
Opponent
Wild animal
Natural force
Fire/heat
Rapture/high
Hidden object
Living Organism
Nutrient/food
Hunger
Physical agitation
Burden
Physical force
Magnetic force
3節の例文番号
(3)(4)(5)(8)(14)(28)(37)
(5)(14)(19)
(1)(2)
(9)(22)
(9)(22)
(16)
(17)(18)(32)
(30)
(8)
(20)(21)(23)
(10)
(10)
(34)(36)
(2)(6)
(35)(37)
(13)
5 メタファーの普遍性と多様性―The
SELF Metaphor System―
前節では,日本語と英語が,メタファー表
現で使用する基本レベル概念の多くを共有し
ていることを確認したが,言うまでもなく全
く同じであるというわけではない.1節で述
べたように,メタファーの普遍性と多様性に
ついての見方は,抽象化のレベルによって大
きく異なったものとなる.
固定した抽象化階層構造の存在を仮定する
必要は全くないが,比較の際に注目するレベ
ルは自由に設定することができる.抽象的な
レベルで比較すれば,「すべての」サブメタ
ファーについて,「多くの」共通例が見出さ
れることになる.一方, 基本レベルや最下位
レベル(メタファー表現)に注目すれば,「文
化的な差異」が目立つようになる.
本節では,Lakoff and Johnson(1999)が論じて
いる「自己(Self)」についてのメタファーシス
テムを例としてこのことを例証する.その中
で,英語とは異なる日本語の特徴が浮かび上
がってくる.
Lakoff and Johnson(1999, 13章)は,アメリカ
英語話者の内的生活(inner life)のメタファー
的概念化は階層構造を持ち,その最上位には
一 般 的 な 主 体 - 自 己 メ タ フ ァ ー (The
SUBJECT-SELF metaphor) が存在すると述べ
ている.これは,一人の人物を,意識の座で
ある「主体」(Subject)と,それ以外の部分であ
る「自己」(Self)に分離したものとして理解す
るということである.このスキーマは,以下
の5つのサブメタファーに特殊化される.
 The PHYSICAL-OBJECT SELF metaphor
 The LOCATIONAL SELF metaphor
 The SOCIAL SELF metaphor
 The MULTIPLE SELVES metaphor
 The ESSENTIAL SELF metaphor
これらのサブメタファーはさらに下位のメ
タファーに細分化され,詳細に分析されるの
であるが,LakoffとJohnsonはこの章の最後に,
筑波大学教授広瀬幸夫氏の指摘によって得ら
れた多数の日本語の例を挙げ,これらのメタ
ファーが普遍的であることを示唆している.
しかし,より詳細なレベルで彼らの挙げて
いる英語の例文を観察すると,日本語ではあ
りえない表現が存在することが明らかになる.
以下では,上に挙げた5つのサブメタファーの
それぞれについて,日本語と英語との間にど
のような違いが見られるかを観察する.
5.1
The PHISICAL-OBJECT SELF
metaphor
PHYSICAL-OBJECT SELF メタファーと
は,自己を制御することを物理的対象の制御
で表すメタファーである.このメタファーは,
物理的対象の制御という部分が,対象の強制
移動と対象の所有に二分され,さらに特殊化
されるのであるが,前者の例として以下のよ
うな例文が挙げられている.
“I dragged myself out of bed.”
*私は自分をベッドから引きずり出した.
“I plopped myself down on the couch.”
*私は自分をカウチにドスンと落とした
(cf. 身を沈める/体を投げ出す).
“You are pushing yourself too hard.”
*君は自分を激しく押している.
身体は自己(Self)の一つであるので,身体の
移動が自己の制御と考えられているのである.
よく知られているように,自己を物理的行為
の対象とするとき,英語では再帰代名詞を用
いるのに対し,日本語では身体部位の名称を
目的語として用いる(広瀬 1997).
‘bend oneself’
「体を曲げる」
‘stretch oneself’
「体を伸ばす」
‘wash oneself’
「体を洗う」
‘hang oneself’
「首をつる」
‘shave oneself’
「ひげを剃る」
これは,日本語が<分裂した自己>(split self)
の明示的な指標と考えられる再帰代名詞の使
用を避けているためであると,池上(2005)は指
摘している.
一方,対象の所有によって自己の制御を表
す表現としては,‘lose yourself’, ‘let yourself
go’, ‘get carried away’などの例が挙げられてお
り,日本語にも「我を忘れる」「無我夢中」
「茫然自失」「自分を持て」などの例がある4.
しかし,感情や霊的存在によって理性,すな
わち自己の所有権を奪われるとき,英語では
「把握・所有」を表す語彙(‘seized by anxiety’,
‘in the grip of fear’, ‘possessed’)を用いるのに対
し,日本語では「襲撃・侵入」を表す語彙(「不
安に襲われる」
「取り憑かれる」「乗り移る」)
を用いるという違いがある.これは,英語が
所有という結果状態に注目しているのに対し,
日本語では所有にいたる入り込みの過程に注
目しているからであると考えられる.
5.2
The LOCATIONAL SELF metaphor
LOCATIONAL SELF メ タ フ ァ ー と は ,
‘beside oneself’, ‘out to lunch’, ‘out of mind’のよ
うに,自己が通常いる場所にいることが自己
の制御を表すメタファーである.したがって,
制御不能になることは,普段いる場所から出
ている状態と概念化される.日本語でも,
「心
ここにあらず」「我に帰る」「イカれる」な
どの表現がある.
日英で差が見られるのは,このメタファー
のサブメタファーとして挙げられている
SCATTERED SELFメタファーと呼ばれるも
のである.これは,注意深い自己制御を,複
数の自己が統一された状態と見るもので,自
己が散らばっていれば主体が集中できないこ
とを表す.例として,‘pull oneself together’, ‘get
it together’, ‘all over the place’, ‘scattered’などが
挙げられているが,日本語では,「気持ちを
集中する」「注意散漫」「気を散らす」のよ
うに,「注意」や「気」といったモノが自己
の代わりに用いられる.これらは,身体の内
部にあると理解されるので,5.1節の前段で述
べた現象と並行するものであり,自己そのも
のを客体化することを避ける傾向の現れであ
ると考えられる.
5.3
The SOCIAL SELF metaphor
SOCIAL SELF メタファーとは,他人との
社会的関係に用いられる語を用いて,主体と
自己の間の価値評価的な関係を述べるもので
ある.英語では,敵対者,親子,友人,対話
者,世話人,主人・召使など非常に多様な関
係表現が用いられる.日本語でも,「自分と
の戦い」「自分の欲望に打ち勝つ」のような
葛藤表現,「自分を甘やかす」「自分に厳し
い人」「自分を褒めてやりたい5」「頑張った
自分へのプレゼント」などの自己評価,「自
分に言い聞かせる」「自分を納得させる」「自
分の心に聞く」「自分に嘘をつくな」など,
「自分」という語を用いた多様な表現が見ら
れる.ただし,「自問自答」という表現はあ
るが,「*自分と討論する」「*自分と話し合
う」などとは言えず,英語と比較すればその
適用範囲は狭く,自己を他者化する度合いは
やや低いといえる.
5.4
The MULTIPLE SELF metaphor
このメタファーは,個人が複数の社会的役
割をになうときに起こる価値観の対立や,他
人への評価や共感を表すために,自分の主観
性を他人の自己に仮説的に投射するときに用
いられるものである.
「この問題については私は科学者としての
自分のほうに傾いている」というのが前者の,
「もし僕が君だったら,あいつを殴っている
よ」「僕が君だったら,僕は僕(自分)が嫌
になる」が後者の例である(例文はLakoff and
Johnson(1999)のものである).
前者が,前節までと同様<自己分裂>を表す
表現であるのに対し,後者は,評価・感情的
な意味合いの強い共感的表現である.池上
(2004)は,このような投射的な表現を<自己投
入>(self projection)と呼んでいる.前者が日本
語としてやや不自然で公的な表明という感じ
がするのに対し,後者は自然な私的会話とい
う印象を受ける.
日本語が感情・感覚の表出に関してことさ
ら敏感な言語であり,日本人のコミュニケー
ションの目的は,情報のやり取りというより
は,感覚・感情の交換にあるという指摘が,
中国語との対比によってなされている(中川
2005,104ページ).感情は共感であり,共感さ
れない感情ほど不気味なものはない.われわ
れには他人の感情に共感する回路が生まれつ
き備わっている.このことが二つのタイプの
表現の印象に影響を与えているのではないか
と思われる.
5.5
The ESSENTIAL SELF metaphor
このメタファーは,「本質」に関する通俗
理論を人間にあてはめたものである.われわ
れには本当の自分というものがあり,隠した
り,見失ったり,探し求めたりする.
このメタファーに基づく表現も,日英双方
に見られるが,「自分を見つめ直す」「自分
探し」などの表現が増えるのは,明治以降,
「西洋近代的自我」という概念が侵入して以
降のことであろう(養老 2005).
以上のように,日本語における自己の概念
は,明治以降急速に西洋化したものの,再帰
代名詞の使用回避(5.1, 5.2節)や,表現範囲の制
限(5.3節),メタファー表現に対する慣習化の
程度(5.4節)という点で,<自己分裂>を避け,
<自己投入>的表現を好むという傾向を残し
ている(cf. 池上 2004,2005,2006).
また, 理性を失う表現では,英語における
<結果重視>に対して,日本語における<過程重
視>に起因すると考えられる差異が見られた
(5.1節)(cf. Ikegami 1985, 影山2002).
次節では,これら二つの特徴が,日本語と
英語の感情のメタファーにも違いをもたらし
ているということを見ていく.
6
感情のメタファーの日英差
池上(2004, 2005, 2006)が述べているように,
<自己分裂>vs.<自己投入>という認知的操作
に対する選好の違いは,さまざまな文法的な
表現の差異をもたらすが,このことが,メタ
ファーにおけるモト領域の選択にも影響を及
ぼす.
4節で参照したKövecses (2000)の研究の中で,
表1には挙げていないが,英語ではほとんどの
感情に適用される概念として,Divided self (例
文としては“He was beside himself with fear.”が
挙げられている)がある.これについては,前
節で詳しく見たように,日本語にもかなり取
り入れられているものの,英語と比べると,
広がりと浸透の程度に差がみられた.
同じくKövecses (2000)の研究で,これと関連
する基本レベルの概念として,以下の二つが
ある.
Social superior
“His actions were dictated by emotion.”
“He is ruled by anger.”
“His whole life is governed by passion.”
Trickster
“Our emotions often fool us.”
“His emotions deceived him.”
“She was misled by her emotion.”
これらは,いずれも感情を別人格として取
り上げ,それが理性的自己(主体)を騙した
り支配したりするといった捉え方である.日
本語にも,「感情に支配される」という翻訳
調の言い回しはあるが,少なくとも感情を主
語として,人間に影響を与える表現は,日本
語が無生物主語を避けることとも相まって,
非常にまれである.したがって,これらのメ
タファー表現と同じ意味を表すためには,
「怒りのために,道を誤った」のように,感
情は起因として,メタファーを用いずに表現
されることになる.
このように,日本語が自己分裂の指標であ
る再帰代名詞や無生物主語(起因を主語にし
て自己を対象化する)を避けるということが,
こうしたモト領域が用いられることを,極端
に減少させている.
一方,英語の<結果の重視>に対して,日本
語の<過程の重視>に起因すると考えられる差
異としては,以下のようなものがある.
「膨らむ」という動詞は,日本語では,「期
待で胸が膨らむ」「夢が膨らむ」のように,
「期待」「夢」「欲望」など次から次へと増
える様子を表すのに用いられるのに対し,英
語の ‘puff up’, ‘swell’という動詞は,いずれも
プライドに対して用いられ,態度の大きさす
なわち膨らんだ結果の状態を表す.日本語で
も結果状態を表す形容詞を用いて「態度が大
きい」「鼻が高い」ということはあるが,動
詞を用いる際には「胸を張る」と,やはり大
きくする過程を表す表現を用いる6.
また,英語では ‘explode’はangerなど負
の激しい感情にのみ用いられ,周りに与える
ダメージを含意する 7 のに対し,日本語では
「喜びが爆発する」「嬉しさを爆発させる」
などの表現も可能である.これは日本語の「爆
発」が発散の激しさのみを重視し,結果の悲
惨さを含意しないからといえる.1節の注2で
述べたシナリオが,英語において否定的な感
情にしか適用できないのはこのためである.
英語で‘burst with anger’といえば,怒りの
噴出の結果としての破裂を意味するのに対し,
日本語の「胸が張り裂ける」は張り裂ける過
程の痛みを取り上げている(3.1節).さらに,
日本語の「身を焦がす」が恋する過程を表す
のに対し,英語の ‘burned up’は「身がやつ
れる」という結果を表す8.日本語の「燃え尽
きる」はエネルギーの消耗を表すが,身体の
ダメージまでは含意しないであろう.
このように,< 結果重視>vs.< 過程重視>と
いう選好の違いは,同じモト領域のどの部分
に注目するかを変えることによって,適用さ
れるサキ領域の違いをもたらしているのであ
る.
7 おわりに
本稿では,これまで,個別的な文化の違い
が原因であるとされ,恣意的な説明がなされ
てきたメタファーの言語間の相違が,一貫し
た特徴を持つことを指摘した.この特徴は,
これまで他の言語現象に対して提唱されてき
た,<自己分裂>vs.<自己投入>,<結果重視>vs.
<過程重視>という事態把握に対する好みの差
が生み出したものである.
池上(2005)は,「以前筆者が日本語の行為動
詞について指摘した<有界的>(bounded)より
も<無界的>(unbounded)―あるいは,<結果中
心 >(goal-oriented) よ り も < 過 程 中 心 >
(process-oriented)―に傾斜するという振舞い
方の上での特徴(Ikegami 1985,1988)も,実は日
本語の話し手が,臨場的なスタンスで事態把
握する傾向が強いということと密接な関連が
あるように思える.行為の過程に身を置いた
当事者にとっては,自らの行為が意図した結
果を生むところまで行くか,行かないかは量
り知る術もないわけである.」(池上 2005, 53
ページ)と述べ,これら二つの特徴が密接な関
連を持つことを示唆している.
その原因は,「諸行無常」という概念を重
視し,すべてが移り変わる過程と見る仏教の
教えと,「最後の審判」によって世界の終わ
りにすべての結果が判断されるというキリス
ト教の教えとの違いに結び付けられるとわれ
われは考えているのであるが,本稿の守備範
囲を超える.
最後に,本稿のような言語類型論的な見方
は,先に結論があって,それを支持するよう
な事例を拾い集めてくるという意味で胡散臭
いものになりがちである.本稿がその誤りを
犯していないと言うためには,他の領域のメ
タファーに対する,対訳コーパスなどを用い
た十分な検証が必要である.
注
1
英語の‘anger’という語が表す概念が日本語
の「怒り」という語が表す概念と全く同じで
あるという保証はないが,煩雑さを避けるた
めに,以下の説明では区別していない.
2
シナリオという考えは「怒り」や「憎しみ」
という否定的な感情を記述する場合には強力
な道具となるが,「喜び」や「愛」といった
肯定的な感情にはあてはめにくいという指摘
がウンゲラーとシュミットによってなされて
いる(Ungerer and Schmid 1996).この原因につ
いては,本文中で後述する.
3
Matsuki (1995)の研究を紹介する際に,
Kövecsesはいつも「日本語の怒りは腹に発生
し,胸を経由して頭にいたる」という主張を
する(Kövecses 2000, 2005).その根拠として,
「腹立たしさに胸を締め付けられる」という
奇妙な例を挙げている(Kövecses 2000, 154)が,
「胸が締め付けられる」「胸が張り裂ける」
などは怒りではなく悲しみの表現である.思
い込みが,ありえない作例と誤った関連付け
をもたらすことの好例である.
4
日本語で失われるものとして表現される
「我」は,SelfではなくSubjectであると考えら
れる.英語では再帰代名詞の中に‘self’という
語が現れるので,LakoffとJohnsonは,「自己
(Self)の所有を失う」としてつじつまを合わせ
ている.
5
1996年,有森裕子がアトランタ五輪で銅メ
ダルを獲得したゴール後のインタビューで
「初めて自分で自分をほめたいと思います」
と涙ながらに語った姿は感動を呼び,その年
の流行語大賞に選ばれた.この事実はこの言
い回しが当時はまだ新鮮であったことを意味
している.『ウィキペディア(Wikipedia)』
によると,「自分で自分をほめたい」という
言葉はフォーク歌手高石ともやが書いた詩の
一節を引用したもので,この詩を初めて聞い
たとき涙を流して感動し,いつかこの言葉を
言いたいと暖めていたそうである.
6
中川(2005)は,「緊張」という状態語が,日
本語に取り入れられると,「緊張する」とい
う動詞として用いられ,一時的な状態に至る
過程をあらわすようになるなど,中国語では
形容詞として状態を表す語が,日本語では動
詞として用いられることが多いことを指摘し
ている.これも日本語の過程重視の現れであ
ろう.
7
Kövecses (2000)は,次のように述べている.
It would be strange, at least in English, to talk
about exploding with joy, where explosion is
associated with deliberately causing damage
to others in a violent way. (Kövecses 2000, 68
ページ)
8
Kövecses (2000)は,次のように述べている.
‘be burned up’, ‘be consumed’, and so forth,
where the intense physical response of the
thing corresponds to the damage to the self,
where the damage results from the self’s
inability to control the emotion. (Kövecses
2000, 77ページ)
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