聖霊降臨後 第18日 礼拝 招詞:詩編117編 説教: 2016年9月18日) 飯川雅孝 牧師 聖書: マルコによる福音書14章22-26節 『虫の音に想う』 1.日本人だけが聞き取れる『虫の音』 9月も半ばになりました。夜には虫の音が心地よく響ききます。チンチロリンやリンリンは 秋の夜長を楽しませてくれます。ところが、聖書では「虫」というとどこを調べても、衣服や 食物を食い尽くす害虫という。虫のことを褒めているところはありません。なぜか。 日本の脳医学の専門家である東京医科歯科大学の角田忠信教授が30年程前にキューバで開 催された「中枢神経系の病理生理学」の学会に出席したところ、会場を覆う虫の音の大きさに気 を取られていて身が入らなかった。外国の学者に聞いたところ聞こえないと言う。そこで出席し た仲間を捉まえ、草むらで鳴いている場所を指してここだと指摘した。一人は三日してようやく 気付いたが全く関心を示さなかった。もう一人は一週間しても分からなかった。これをきっかけ に、角田教授は日本人と西洋人では左脳と右脳の使い方に違いがある。音楽や言語に対して感性 が異なることを解明した。虫の音を心地よく感じるのは日本人とポリネシア人だけで、他の国の 人々は雑音としてとらえていることが脳の働きから解った。なぜ日本人だけに聴こえるのか。そ の理由は西洋人は「虫の音」を機械音や雑音と同様に右脳で処理するが、日本人は左脳で処理す る。虫の音を「虫の声」として聞いている。日本人は太古から自然の恩恵を受けながら自然と共 に暮らしてきた。そこに存在するすべての音も景色も「美」として捉える感性がある。世界にな い情緒の独創性がある。しかし聖書を書いたユダヤ人には虫は害虫でしかない。ということでし た。 2.キリスト教の前進の古代イスラエルの文化からたどる精神 「虫の音」だけを捉えてもこれだけの違いがある。ヘブライ語で書かれた旧約聖書は本来、 日本語には翻訳できない。なぜなら、歴史的文化や生活習慣がそこにある。聖書で一番重要な神 の子「主イエスキリスト」そしてイエスが言われる「わたしの父」と言った時、それはユダヤ人 が祖先からの彼らの歴史で彼らが体験した人格神であります。世界的に有名なバルトという神学 者はあのナチスの時代にユダヤ人を弁護しました。彼は「我々クリスチャンの救い主、主イエス はユダヤ人の出身です。その方が、わたしたちに喜びを伝えるイスラエルの神を教えて下さった ことに感謝しなければならない。」と、あの危険な状況の中で語った。 さて、ユダヤ人の音楽について考えて見たいと思います。彼らの祖先に初めて神がシナイ山の 麓に降りたった時の啓示は民族全体の意識を決定的に変えました。他の民族ではなく、彼らだけ が聞くことが許された言葉、シェマー、イスラエル「イスラエルよ、聞け、」 (申命記6: 4) はその後の彼らの心を支配します。彼らは弱さの故に神が愛され、その地で主の聖なる民、 宝の民とされた。その愛に支えられて苦難の中で、生き延びることができた。神の励ましに讃美 歌で応え、同時にそれを聞く。これが古代イスラエルから現在のわたしたちクリスチャンに与え られた喜びです。 1 3.神を賛美する賛美歌の発祥とウガリット文化 今日の詩編22にも【指揮者によって。「暁の雌鹿」に合わせて。賛歌。ダビデの詩。】とあ ります。司式者と会衆が交互に、詩編の示す楽器や様式に合わせて讃美歌を歌いました。マルコ 14章26節も「一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出かけた。」とありますから、 賛美の詩編にメロデイーを付けて歌ったのでしょう。詩編からうかがわれるこの音楽や旧約聖書 に見られる文学の様式には、今のイスラエルの海岸地帯の北方に紀元前1450-1200年に あった都市国家ウガリットの影響があります。それは、西洋音楽の原点となっております。古代 イスラエルで王政が始まった頃、サウルの側近として用いられていたダビデは琴の名手と言われ ていましたが、悩める王をその琴の音楽で慰めます。そのうち敵との戦いでもダビデは殊勲を立 てるようになります。その時の様子を歌った文学作品がサムエル上18:6-7にあります。「あ のペリシテ人を討ったダビデも帰って来ると、イスラエルのあらゆる町から女たちが出て来て、 太鼓を打ち、喜びの声をあげ、三絃琴を奏で、歌い踊りながらサウル王を迎えた。 女たちは楽を 奏し、歌い交わした。「サウルは千を討ち ダビデは万を討った。」ここには言葉の反復の文学 的修辞方法と、西洋音楽の基礎となった楽器の琴、喜びを表現する踊りがあります。ウガリット の影響が見られます。その事実は1950年代初め、約3400年前の古代メソポタミア時代の 粘土板が発見されます。1972年にはカルフォルニア大学古代アッシリア研究の第一人者であ るAnne Draffkorn Kilmer教授が「現存するなかで最も古い音楽で、礼拝のための讃美歌である」 と発表しました。「七分音符の全音階だけではなく、旋律を示すハーモニーがすでに存在してい た」という西洋音楽の起源に関する重要な発見と言われる。楽器はおそらく竪琴という。 ――――― 音楽 ―――――2分 4.命の源泉と神讃美 今述べたシェマーの祈り、そのイスラエル神との出会いに、わたしたちキリスト者の原点、 神讃美があります。それを今日の交読詩編22から見てみましょう。冒頭の言葉は主イエスが十 字架で叫んだ言葉です。ご一緒に見てみましょう。イスラエル、ユダヤ人は弱小民族でしたから、 個人としても弱さを自覚していました。ここには苦しみの極限は、自分が一番頼りとする神を見 失うことであるという思いがあります。ですから、その時こそ神を呼び求める叫びがあります。 「わたしの神よ、なぜわたしをお見捨てになるのか。」と絶望の淵に立って、「 だがあなたは、 聖所にいまし イスラエルの賛美を受ける方」と希望を失っておりません。「助けを求めてあな たに叫び、救い出され、あなたに依り頼んで、裏切られたことはない。」それはあのシナイでの 出会い以来、常に彼らを助けて来た事実を語っております。それに対して「わたしは虫けら、と ても人とはいえない。人間の屑、民の恥。」とは聖なる神を前にして価値のない自分でさえも救 って下さる約束を信じている。「わたしの力の神よ 今すぐにわたしを助けてください。」と語 っている。そして、救われた直後、「わたしは兄弟たちに御名を語り伝え、集会の中であなたを 賛美します。主を畏れる人々よ、主を賛美せよ。」と救われた感謝は讃美の輪に広がり、「わた しは大いなる集会で あなたに賛美をささげ すべての人が主を認め、御もとに立ち帰り、国々 の民が御前にひれ伏しますように。」とその喜びを伝えております。「塵に下(くだ)った者も すべて御前に身を屈(かが)めます。」とは死んだ者も復活して神を賛美することを語っており 2 ます。 本日のマルコ福音書では主の晩餐の後、 一同は賛美の歌をうたってから、オリーブ山へ出か けたといっております。明日の十字架の死を前にして、イエスは弟子たちにはまだ分かっていな い内心の苦しみを秘めながら神を賛美した。その次の日には、イエスは十字架上の上でこの詩編 22の冒頭を叫び、力尽きたのであります。イエスにとっては、わたしたちを罪から救い、神の 国に迎え入れるためのご自身の使命、死という最高の苦しみの中にあって、神が共にある喜びと 讃美でありました。そのようなイエスの思いを誰が理解できるでしょうか。わたしたちは自分の 命は神から与えられたということが、本当に実感できるのは人生に一度か二度かもしれない。あ るいはそれは死ぬ時かもしれない。秋の夜長が始まったこの頃、虫の音を聞きながら、キリスト に救われた者には命の根本は神にある。わたしたち罪深い者を救って下さったことへの感謝は神 を讃美することに導かれる。そのような思いをもって讃美歌を歌い、聞きたいと思います。 以下インターネットより バ ア ル 神 ウガリットの文学[編集] ウガリットから発見された粘土板文書には物語詩の形式で 書かれた神話が多く含まれている。これらの詩を記した粘土 板の破片のいくつかはひとつの物語詩として同定されてい る。現在では『ケレトの伝説(英語版)』 (Epic of King Keret)、 文化英雄であるダネル(英語版)とその息子アクハト(英語 版)について書かれた『アクハトの伝説』(Epic of Aqhat)、 バアル神(英語版)(バアル-Hadad)とヤム・モート両神と の闘争を描いたウガリット神話、その他が知られている。 これらの文書の発見は聖書研究にも大きな意義のあるもの である。これらの文書は、イスラエル各氏族のカナンへの入 植に先立つ時代のカナン神話に関する詳細な記述を最初に明 らかにしたもので、旧約聖書に見られるヘブライ語文学とは 神聖なものに対する想像力や詩の形式などにおいて共通する ものがある。ウガリット神話の詩は古代オリエントの知恵文 学と共通する部分が多く、後のヘブライ語の詩に見られるよ うな対句法、韻律などを含み、文学作品としての旧約聖書の 新しい評価を導き出した。 またウガリットからはフルリ語で歌らしきものの書かれた粘 土板も出土しており[1]、現在のところ人類最古の歌である。 3
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