開かれたコラージュ/身を糊にした画狂野郎

writen by 林 剛人丸
会田誠 『美しい旗』(戦争画 RETURNS)
1995 年制作 襖,蝶番,木炭,大和のりをメディウムにした自家製絵具,アクリル絵具 各 169 × 169 cm(ニ曲一双屏風) アイデアの一部提供:松蔭浩之 高橋コレクション蔵
セーラー服と日の丸を同様に結びつけよう
るし、チマチョゴリと太極旗の結びつきは、
のそれぞれの国籍を表しているように感じ
かくも強烈な象徴なのかと思う。彼女たち
まったところがある。つくづく、国旗とは
れた国旗の組み合わせにどぎまぎしてし
トルにある「戦争」と、画面に大きく描か
めて会ったときも、再会したときも、タイ
彼女たちに会うのはこれで3回目だ。初
交わることがない。)
の な い 角 度 を と っ て い る。( 僕 の 視 線 と も
に投げかけられた互いの視線は交わること
画の中に旗を掲げて立つ女性二人。前方
れ故に、画は思想や主張を引き受けていな
として距離を測って貼り合わせていて、そ
はなく、自分を取り巻く外側にある出来事
事柄だったからだ。おそらく会田は心象で
きたのは会田の声ではなく、画の中に在る
剥がされているようだった。僕を牽制して
貼り合わされるにあたって、会田から引き
わせているイメージだ。同時に、それらは
ことを媒介に、綿密にモチーフ群を貼り合
葉)
を見ているようだと思う。会田が「描く」
ひとつ。フランス語の「糊付け」を意味する言
と組み合わせて画面に貼り付ける絵画の技法の
コラージュ (編集部註:絵の具以外の物を色々
と共有できるよう取り出すことは表現
であっても自分の内にあることを他者
言葉であれ態度であれ、どんな仕業
いた。
いつきあい方を捜してみたいと思って
る」ことで、芸術館とユーザーの新し
が ア ー ト 体 験 を 言 葉 に し て「 表 現 す
に、普段はアートの受け手である人々
きれば、と企画したものである。同時
かがアートに触れるきっかけを提供で
触れた体験を書いてもらうことで、誰
の専門家ではない一般の人にアートに
このルポタージュシリーズは、文章
*
*
戦争だと特定できる状況の決め手を欠いて
定できる描写はないし、タイトル以外には
は瓦礫のように見えるだけで、実際には特
もしれない。例えば二人の足元にあるもの
い。二人が立っているのが戦場ではないか
フェチの域であってもそれぞれで結構だけ
題 に す る に は 勇 気 が 要 る。 嗜 好 は た と え
自分の認識に自信を持つことは難しく、話
はなく伝え 聞くおっかない出 来事 である。
う。戦争は少なくとも直接体験したことで
事象と真正面から組み合っているなと思
この画を描いた人は僕がナーバスになる
ペーパーとしての発行部数がわずか
もない。
とするなら、両者にはどのような隙間
れを受けた人たちの言葉。括りを表現
う。アーティストが表わすものと、そ
リティのひとつと言ってもよいだろ
だけれど、それも世界を形成するリア
のだ。失敗や行き違いも当然あるわけ
の 原 点 で あ る。 特 別 な こ と で は な い。
い。会田はまさに描き手として、画はただ
い る。 な ん だ か 一 双 の 屏 風 仕 立 て の 画 は、
れども、思い入れを語りすぎると他者の鼻
他者に向けて開かれた提示として、存在し
とする。
同一のスタジオにあるそれぞれの撮影セッ
につきがちなものだ。この会田の作品は恐
いて」いる。勢いのある筆致が残ってかつ
あるのだが、ここで会田誠はおもむろに「描
ものも、殴り書きのようなタイプのものも
作家と画の組み合わせからいったいどう
すがすがしさが我ながら実に意外で(この
なのだ。すがすがしかった。そして、その
た過去からの光が照らすのは、僕らの現在
星を見上げた気分だった。幾光年旅をし
と分かち合いたいものである。
る。幸せとは、一人でも多くの人たち
とがあったら、企画は幸せなものとな
つ か 見 て み た い も の だ な。」 と 思 う こ
ん、今すぐにってのはアレだけど、い
とがないタイプの人だとしても)「うー
あなたが美術館などを一度も訪れたこ
ど ) 実 に さ さ や か な 試 み だ が、( 仮 に
のような態度で接するか考えているも
トの前に立つ仲良し二人組タレントのプロ
のほかにウェブ公開もされているけれ
1000部であることを考えると(こ
誰もが言葉を選んで話すし、他者にど
モーションのようで、誰も見ていない時に
さをきちんと引き受けて、それでいて主義
ていた。
は彼女たちは画面から抜け出てきておしゃ
主張を押し付けてこないから、嘘も陽動も、
丹念に描かれた彼女たちは均整のとれた顔
や っ て 想 像 で き た だ ろ う?)、 も う 一 度 す
誇張さえも感じさせない。
立ちをしていて、もし周りにいる女性たち
がすがしい。
(はやしごうじんまる/普段は公務員)
に向けるのと同じ形容を用いるなら可愛い
際 に、「 貼 り 合 わ さ れ た 事 象 た ち 」 の 裏 手
にまわってみた。果たして、屏風を形成し
したアート作品は、高橋コレクションとし
どのくらいの時間を過ごしたろう。帰り
て途方に暮れそうになってしまう。短すぎ
を見ると確かに〈襖〉と記されている。続
ていたのは古ぼけた襖だった。作品データ
異なっていて、僕はあてはめる言葉を捜し
るほどのスカートや傷ついた様子から漂う
身を糊にして事を成し遂げる画狂野郎。と
術の伝承と伝来、さえも。むー、会田誠は
http://www.takahashi-collection.com/
の情報を得ることが出来る。
ホームページでは展示作品や作品貸出など
情熱に敬意を表したい。同コレクションの
力への感謝とともに、氏のアートに対する
金曜日と土曜日に一般公開されている。協
の理解と協力のもとに実現した。氏が収集
この取材は作品を所有者する高橋龍太郎氏
オタクっぽさ・フェチの香りが、浮かぶ言
て東京都の神楽坂にあるスペースにて毎週
葉を引っ込めさせてしまうのだ。
シ ョ ナ リ ズ ム、 オ タ ク、 フ ェ チ 云 々 —
は、
そんなふうにこちらを牽制しながら、とこ
僕のノートには書いておこう。
国、日常と非日常。加えて絵画における技
完の組み合わせを画面に捜しながら、ふと、
ろどころに補完しあって混在している。補
画にちりばめられたモチーフ —
戦争、ナ
絵の具〉ともある。過去と現在、自国と隣
けて〈大和のりをメディウムとした自家製
した八等身の小顔は現実の世界の人物とは
と言ってもいいと思う。けれど、現実離れ
会田の作品にはセル画のようなタイプの
べりをしているのかもしれない。
と、 不 思 議 と ど ぎ つ さ を 感 じ る こ と は な
しばらくぶりで静かに向き合ってみる
開かれたコラージュ/身を糊にした画狂野郎