第15号 - 清和大学短期大学部

図書館だより
【今を生きる carpe diem】
第15号
2014.6
江津 和也
この短大の学生たちは、保育者になるという明確な目的意識をもって入学し、数々の講義、実技や実習に熱心に取り組んでいる
人が多いように見えます。そのような姿にふれるたびに、みなさんのことを心から「尊い」と思います。というのも、今からおよ
そ20年前に大学生だった私は、入学したいと思っていた大学の受験に失敗し、とりあえず引っかかった大学のひとつに進
学し、いわゆる「不本意入学者」として無気力な状態で日々過ごしていたからです。
みなさんのように何かに熱心になれずに、1年生のうちは、ただ体だけ大学に運んでいるようなもので、講義や他学生とのつな
がりに全く興味は持てませんでした。今でも、目を閉じれば、最寄駅からバスで25分かかる、眼前に丹沢の山々が迫るキャ
ンパスのベンチで、チャペルの鐘の音を聴きながら一人おにぎりを食べたり、夕方、帰宅の折にカラスの鳴き声を聞いてしばしば
ため息をついていた日々が思い出されます。
さて、大人になった今思うと、もったいないような日々の過ごし方をしていたわけですが、2年生になって英米文学科の英文
学概論という授業を受講することによって、自分が変わったのではないかと思っています。
私は教育学科の学生でしたが、単位を取得する必要があったために英文学概論を履修しました。授業の主題は「ヨーロッパの文
芸伝統について学ぶ」ということだったと記憶しています。ここでは古代から近代にいたるイギリス文学が中心でしたが、ヨーロ
ッパの詩や物語が多く題材としてつかわれていました。専門外ですし、詩や物語には関心がなかったはずですが、授業で紹介され
たカルペ・ディエム(carpe diem)というヨーロッパの古代からの伝統的なテーマに興味をもち、その後真剣に授業を受け、関連
する本をいくつか読んだ記憶があります。これをきっかけに自分の人生について考えはじめたような気がします。
カルペ・ディエム(carpe diem)という言葉はラテン語であり、日本語に直すと「今日という日を摘み取りなさい」「今この一
瞬を楽しめ」「今を生きよ」といったような意味です。これをテーマとした詩や物語は、紀元前の頃(ホラティウスという詩人の
詩が有名です)からあり、こうした文芸作品が英文学概論の中で取りあげられていました。今年度、私の授業(1年生)の
雑談で紹介した、17世紀イギリスの詩人ロバート・ヘリックの「時を惜しめと乙女たちに告ぐ To the Virgins, to Make Much of
Time」という詩もそのときに知ったものです。
ロバート・ヘリックの詩をもとにカルペ・ディエム(carpe diem)について、すこし考えてみたいと思います。
時を惜しめと、乙女たちに告ぐ
ロバート・へリック
まだ間に合ううちに、薔薇の蕾を摘むがいい―
昔から時間は矢のように飛んでゆくものなのだから。
ここに咲いているこの花も今日は微笑んではいるが、
明日には死に果ててゆくにきまってる。
巨大な灯のように大空に輝いている太陽も、
高く昇れば昇るほど
それだけ早く旅路を終わり、
忽ち西に沈んでゆく。
一生のうちで若い頃が一番いい、
青春の血が生き生きと脈うっているからだ。
だが、それが過ぎると、あとは悪くなる一方だ、
そして、やがて最悪の時がやってくる……。
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だから、含羞(はにか)むのをやめ、自分の青春を生きぬき、
まだ間に合ううちに、お嫁にゆくがいい。
いったん花の盛りをのがしてしまえば、
永久に待ち呆けを食うだけなんだから。
『イギリス名詩選』(岩波文庫)より
この詩では、さまざまな喩えがあげられ、時間や人生のはかなさが表現されています。今のこの瞬間もあっという間に通り過ぎ
てしまって、二度とやってこない。だからこそ、この一瞬を精一杯生きよう(carpe diem)と言っているのです。
われわれが生きる時代は、食料事情がよかったり、医療も発達して日本人の平均寿命は80歳を超えています。しかし、ちょ
っと前の時代までは人生50年といわれていました。そのもっと前はさらに短かったはずです。天候不順によって飢饉となって
命を落したり、今では特効薬のある感染症であっても罹れば死にいたる病となったわけです。昔の人々は、われわれよりも死を身
近に感じていたものと思われます。だからこそ、たった一回きりではかないこの人生を充実させよう、時間を精一杯過ごそうとし
たのではないでしょうか。こうして「今を生きる」(carpe diem)というテーマの文学が生まれていったのだと思います。
科学技術の進歩などによって、今日の人生は80年以上となりましたが、時間が無限になったわけではありません。誰にも必
ず死がやってきて、人生は終わりを迎えるのです。しかし、人生が長くなったことにより、特に若い人たちは人生に限りがあるこ
とを忘れてしまいがちなのではないでしょうか。人生が長くなったことによって、かえって時間の価値を見失ってしまっていると
思います。
さきほど、大学1年生の私が無気力な状態で日常を過ごしていたことを書きました、そのときは、まさに人生に限りがあること
を忘れてしまっていたと思います。だからこそ「今を生きる」(carpe diem)をテーマとした文学作品に触れたことによって、そ
れ以来、「人生はたった一回きりで、やり直しもきかない」ということを意識して過ごすようになりました。それとともに、文学
作品が人生にとって大きなものであることを理解しました。
ぜひみなさんも多くの本を手にとってみてください。
*教員養成に従事し、近代日本の教育の歴史を専門としているので、本来ならば、こうした方面の図書を紹介すべきだったと思い
ますが、学生時代に本との出会いが心の栄養になった経験を語ったほうがよいと思いました。この短大に学ぶ人たちに良き本との
出会いがあること願っています。(本学講師)
図書・映画紹介
【図書】
・平井正穂編『イギリス名詩選』(岩波文庫)
カルペ・ディエムをテーマにした詩がいくつか収められています。
・シェイクスピア、高松雄一訳『ソネット集』(岩波文庫)
有名なシェイクスピアにも、カルペ・ディエムをテーマにした詩をつくっています。
・N.H.クラインバウム、白石朗訳『いまを生きる』(新潮文庫)
※ 絶版のため、本学では所蔵しておりません。
現代文学にもカルペ・ディエムをテーマにしたものが多くあります。全寮制のエリート高校の青年が人生について考えを深めていく物語です。
・中島義道『哲学の教科書』(講談社学術文庫)
哲学においても「死を忘れることなかれ」というテーマの議論があります。このテーマに即した読みやすい哲学の入門書です。
【映画】
・黒沢明監督作品『生きる』(日本、1952 年)
余命 3 カ月の初老の男性が、残りの時間を充実させていく物語。ブランコにのって「ゴンドラの唄」を歌う姿が印象的。
・ピーター・ウィアー監督作品『いまを生きる』(米国、1989 年)
『図書館だより』 第15号
2014年6月1日発行
上記の小説の映画版。
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