特集 東日本大震災後の防災・減災教育

青少年赤十字指導情報 No.162 日本赤十字社 総務局 組織推進部 青少年・ボランティア課
東京都港区芝大門1丁目1ー3 TEL 03ー3437ー7082 FAX 03ー3432ー5507 http://w w w.jrc.or.jp/
特集 東日本大震災後の防災・減災教育
CONTENTS
特集
3
4
東日本大震災後の
防災・減災教育
3月11日。その日、
子どもたちは
地域を支える力になった
宮城県 仙台市立榴岡小学校
特 集 東日本大 震災後の防災・減 災教育
2013.9.1 No.162
青少年赤十字指導情報
6
学校とは、今しかできないことを
実現するところ
8
私たちの防災・減災
福島県 いわき市立久之浜第一小学校
10
戦いの中にもルールがあるのを知っていますか?
12
1円玉募金による教育等支援事業
14
世界のJRCメンバーと国際交流
16
When I was a child
宇宙飛行士 野口聡一さんインタビュー
18
日本縦断!活動紹介
22
青少年赤十字
(JRC)
とは
23
Operation Vista reunion
よき「一 社 会 人 」をめざして
青少年赤十字(JRC)に携わっておられる
全国の幼稚園、保育所、小学校、中学校、高等学校、
COVER-1 : Fukushima
特別支援学校の先生方、常日頃の指導に感謝を申し上げます。
私たちが実践しておりますJRC活動は、
「生きる力」という言葉に集約できるものです。
「生きる力」の育成は、日々の体験や活動を通し、
自らが「気づき、考え、実行する」ことによって
真に身につくものであると思います。
2011年3月11日の東日本大震災以来、
全国の学校で防災教育の必要性が再確認されています。
東日本大震災から2年半。
21世紀を担う子どもたちの命を保障するためにも、
私たちはいま、あの経験から学んだことを実践し、深めるべき時に来ています。
福島県 いわき市立 久之浜 第一小 学 校
佐 藤綾佳 先 生 、鈴木健 太 君
震災当時、青少年赤十字の活動を通じて学んできた子どもたちの
養護教諭の佐藤綾佳先生は、誰よりも早く学校に
来て、その日の校内の放 射線 量をくまなく歩いて
“気づき・考え・実行する”精神は被災地でどう発揮されたのか。
さらに、私たちが取り組むべき今後の“防災・減災教育”についても当事者たちの証言から探ります。
3
子どもたち自身の危機回避能力を育成するためにも
防災教育はなくてはならないものです。
JRCの幅広いプログラムを通し、
子どもたちの限りない夢とその実現を支援するとともに、
測ります。先生の毎朝の努力があるから、子どもた
子どもたちが将来よき「一社会人」として活躍することを
ちものびのびできているんですね。鈴木健太君は
心より願っております。
ちょっと恥ずかしがり屋の三年生。避難先から、毎
日元気に学校に通っています。
青少年赤十字全国指導者協議会 会長 中村 正
3月 日。
その日、
子どもたちは
地域を支える
力になった
宮城県
つつじがおか
仙台市立榴岡小学校
東日本大震災による被害を
目の当たりにしながらも
〝自分たちにできることはなにか〟と考え、
ボランティア活動を行った
榴岡小学校の子どもたち。
他者を思いやり、実行に移す自主性が
達するために奔走した。
な っ た 。教 職 員 は 物 資 や 食 料 、発 電 機 を 調
者 の 数 に 、体 育 館 は す ぐ に い っ ぱ い に
人 々 が 避 難 し て き た 。予 想 を 超 え る 避 難
あ る と 判 断 さ れ た 仙 台 駅 か ら 、多 く の
子どもたちに備わっていた理由とは。
日 。寒い日だった。1
帰宅困難者が次々と
学校へ
2011年3月
年間お世話になった地域の方々への感謝
の 会 が 終 わ り 、下 校 準 備 を 進 め て い た
分、大地震が発生した。机は動き、電話
自ら進んで
避難所の手伝いをした
子どもたち
日 以 降 、学 校 は 一 時 休 校 の 措 置 を
た め に 動き始めた子どもたちの姿があっ
とった 。し か し 早 く も
停 電 に 気 づ く 。非 常 用 放 送 設 備 を 使 い 、指
仙台市宮城野区の榴岡小学校はJR仙
る。幸い、全員が無事だった。
ランティア活動を行ったのだ。
な り 、地 域 の 大 人 と と も に 避 難 所 で の ボ
た 。J R C 委 員 会 の 子 ど も た ち が 中 心 と
に 、下 級 生 は 憧 れ を 持 っ て い る と い う 。地
き た 。活 躍 す る J R C 委 員 の 上 級 生 の 姿
ん 、元 気 か な ﹂。子 ど も た ち ひ と り ひ と り
﹁ 仲 良 く な っ た お じ い ち ゃ ん 、お ば あ ち ゃ
づかう心を育めたのだろう。
非常時においても子どもたちは他者を気
域のための街頭募金もそのひとつだ。
ノート︶を作り、アイディアを発信する。地
子 ど も た ち は 、自 分 た ち で 企 画 書︵ V・S
台 駅 近 く に 位 置 す る 。駅 舎 倒 壊 の 危 険 が
き た 。地 区 の 社 会 福 祉 協 議 会 と 連 携 す る
域在住のお年寄りを学校に招いて交流す
﹁ ふ れ あ い い き い き サ ロ ン ﹂事 業 で は 、地
る 。一 緒 に 給 食 を 食 べ た り 、み ん な で 握 手
と 、子 ど も た ち は 提 案 し て き ま し た 。誰 に
﹁避難所のお手伝いをしてもいいですか
道 な J R C 活 動 は 、震 災 時 に 子 ど も た ち
を し た り ……
。何 気 な い ふ れ あ い だ が 、こ
ういった機会に恵まれていたからこそ、
指 導 さ れ た わ け で も な い 、自 主 的 に で
が こ う 思 う だ け で 、ど れ ほ ど 地 域 は 豊 か
﹁ 震 災 時 、子 ど も た ち は 冷 静 で し た 。人 の
の自主性を発揮させることにつながった
た め に 役 に 立 ち た い と い う 気 持 ち が 、彼
す ﹂。こ う 話 す の は 、当 時 榴 岡 小 学 校 の 校
の 態 度 目 標 は 、非 常 時 に も 効 果 を 発 揮 し
らを突き動かすエネルギーになっていま
になるだろうか。
た の で す 。榴 岡 小 学 校 の 子 ど も た ち は
し た 。こ こ ま で の 成 長 を 促 す に は 、学 校 で
と久能さんは考えている。
を 始 め た 。赤 十 字 奉 仕 団 の 大 人 た ち か ら
〝 困 っ て い る 人 た ち が い る 〟と 気 づ き 、
﹁〝 気 づ き 、考 え 、実 行 す る 〟と い う J R C
借りた赤十字マークのエプロンを身に着
〝 今 、す べ き こ と 〟を 考 え ま し た 。こ れ ま で
の 総 合 的 な 指 導 は も ち ろ ん 、教 師 の み な
たちは進んで避難所で炊き出しの手伝い
けた彼らは、とても誇らしそうだ。
培 っ て き た 力 を 、東 日 本 大 震 災 と い う 場
長 を 務 め て い た 久 能 和 夫 さ ん だ 。子 ど も
﹁ 目 の 前 の 課 題 へ の 対 処 に 追 わ れ 、余 裕 な
面でまさに実践したのです﹂。
的 に は 、褒 め る こ と 、認 め る こ と 。〝 正 し い
も た ち へ の〝 確 信 づ け 〟も 必 要 で す 。具 体
ら ず 地 域 や 家 庭 の 大 人 た ち に よ る 、子 ど
ち の ほ う が ず っ と〝 自 分 た ち に で き る こ
ど な か っ た 私 た ち 大 人 よ り も 、子 ど も た
しれません﹂。
月まで榴岡小 学 校で校 長を務めた。
と は な に か 〟と 真 剣 に 考 え て い た の か も
育学部教授。2007年4月∼2013年3
こ と を 実 行 す る の は 良 い こ と な ん だ 〟と
い う 確 信 を 、実 体 験 を 通 し て 子 供 た ち に
東 日 本 大 震 災 以 後 、榴 岡 小 学 校 に お け
地域と一体となり、
学校を最強の防災拠点に
15
1952年,福島県 生まれ。仙台大学体
年からJRCに加
ま た 、震 災 以 前 か ら 、榴 岡 小 学 校 で は 地
る J R C 活 動 は よ り 深 め ら れ て い る 。地
持ってもらうことです﹂。
ト ボ ト ル キ ャ ッ プ の 回 収 、月 に 一 度 の﹁ J
域とかかわるための活動を幅広く行って
う じ ボ ラ ン テ ィ ア ﹂、﹁ 街 頭 募 金 ﹂と い っ た
域 を 明 る く す る﹁ あ い さ つ 運 動 ﹂や﹁ お そ
活 動 は 、す べ て 児 童 自 身 の 企 画 書︵ V・S
ノ ー ト ︶が も と と な っ て 実 現 し た も の だ 。
地元の商店や町内会の方々も活動のため
に 場 所 を 提 供 す る な ど 、協 力 を 惜 し ま な
い。久能さんは続ける。
向 か っ て 開 か れ た 学 校 づ く り を 通 し 、子
﹁ 学 校 は 、最 強 の 防 災 の 拠 点 で す 。地 域 に
ある榴岡小 学 校の責任者として奔 走
榴岡小学校は大正
盟 し て い る 。児 童 た ち か ら な る J R C 委
日 に は 、被 災 者 の
示 を 出 し た 。児 童 た ち を 校 庭 に 避 難 さ せ
まった隙に校内放送をかけようとして、
立 っ て さ え い ら れ な い 。揺 れ が 一 瞬 収
横 揺 れ で 、何 か に し が み つ い て い な い と
や 書 籍 が ば ら ば ら と 床 に 落 ち た 。大 き な
時
14
ど も た ち は 地 域 と と も に 育 ち 、ま た 、地 域
Kuno Kazuo
避難所の炊き出しを手伝う榴岡小学校の子どもたち。﹁子どもたちの笑顔にほっとした﹂と語る被災者も多かった。
11
も子供たちとともに育っていくのです﹂。
した。
員 会 が 中 心 と な っ て 、1 円 玉 募 金 や ペ ッ
11
46
R C 新 聞 ﹂の 発 行 な ど を 日 常 的 に 行 っ て
榴岡小学校のJRC委員会が毎月発行す
る﹁ J R C 新 聞 ﹂。活 動 を 目 に 見 え る 形 に
久能 和夫
11
©朝日新聞社
4
5
し、発表することで表現力や論理性を養う
ことにもつながる
東日本大 震 災時には、指定 避 難 所で
13
学校とは、
今しか
できないことを
実現するところ
福島県
ひさ の はま
いわき市立久之浜第一小学校
原発事故の影響を受け、一時、
移転していた久之浜第一小学校。
事故後半年して学校を再開し、
以前の環境を取り戻すための努力を
現在も続けている。
子どもたちが
て は 、も っ と も 早 い 再 開 だ っ た 。P T A の
生まれ育った地域で生きる意義とは。
り る 形 で 学 習 を 進 め た 。松 本 光 司 校 長 は
メンバーや地域の方々とも力を合わせ、
的 に も 証 明 し 、子 ど も た ち が 母 校 に 戻 っ
半年かけて学校内の整備と除染作業を
どもたちは明るく過ごしてはいました
てこられる環境を整えた。
話す。
が 、通 常 で は な い 環 境 で の ス ト レ ス は 大
肢 の ほ か に 、違 う 学 校 に 行 く と い う 選 択
﹁ 子 ど も た ち に は 、こ こ に 戻 る と い う 選 択
原発事故がうばった
〝当たり前〟の日常
いわき市北東部に位置する久之浜町
き か っ た と 思 い ま す 。体 調 不 良 を 訴 え て
行 っ た 末 の 決 断 だ 。学 校 の 安 全 性 を 数 値
は 、海 沿 い の 風 光 明 媚 な 土 地 だ 。近 海・沿
保健室に行く子どもの数がいつもよりも
を さ ら に 間 仕 切 り し て 勉 強 し ま し た 。子
岸漁業が盛んで港町として栄えてきた
肢 も あ り ま し た 。久 之 浜 か ら 居 を 移 し 、別
﹁ 会 議 室 や 集 会 室 を 提 供 し て も ら い 、そ こ
が 、東 日 本 大 震 災 と そ れ に 関 連 す る 福 島
ず っ と 多 く 、日 常 を 取 り 戻 す 必 要 性 を 強
月
日、松本校長は久之浜
年度は久之浜第
年4月6日に150名でス
日の時点で191名ま
から離れた場所に現在の自宅がありま
で に 戻 り ま し た 。そ の う ち 何 名 か は 、学 校
タートし、 月
でしたが、
一小学校には232名の児童が在籍予定
う方法もあるのです。
り ま す か ら 、新 し い 学 校 に 転 校 す る と い
第一原発事故が町の人々の生活を一変さ
分時点で、
の土地で避難生活を送っている家庭もあ
時
く感じました﹂。
日の
キロメートル圏内にあたる。
日 、い わ き 市 は 独 自 の 判 断 で 久 之 浜
之浜町は
翌
地 区 住 民 に も 自 主 避 難 を 要 請 。緊 急 輸 送
2011年
分にスクールバスに乗り、
て い く 必 要 が あ る 。久 之 浜 第 一 小 学 校 で
これからもこうした細やかな努力を続け
第 一 小 学 校 で の 授 業 を 再 開 し た 。国 が 指
れている子もいるんです﹂。
はホールボディカウンターや甲状腺検査
久之浜第一小学校は避難要請を受け、
久之浜第一小学校に戻ってきた子ども
を 率 先 し て 行 い 、子 ど も た ち へ の 被 害 が
片道1時 間 半 も か け て 久 之 浜 に 通 っ て く
す。早朝、6時
たちの願いはとてもシンプルなものだ。
な い こ と を 実 証 し 、保 護 者 か ら も 納 得 を
定 し た 避 難・退 避 区 域 内 に あ る 学 校 と し
バスを運行させて避難移動を開始した。
子どもたちが、家庭を、
地域を変えていく
せてしまった。
2011年3月
キロメー
20 25
ト ル 圏 内 の 退 避 指 示 を 発 令 し て い た 。久
政府は福島第一原発から半径
18
いわき市内にある別の学校の校舎を借
し た い 。い つ も と 同 じ よ う に 遊 び た い ﹂。
得ているという。
﹁ 前 と 同 じ よ う に 、み ん な と 一 緒 に 勉 強 が
学校はそんな子どもたちの思いを受け止
﹁ 私 た ち に と っ て は 、原 発 事 故 後 に 始 ま っ
た 闘 い は ず っ と 続 い て い ま す 。こ の 状 況
め る 役 目 を 負 っ て い る 、と 松 本 校 長 は 言
に 負 け て は い け な い 。〝 で き な い 〟と あ き
う。
﹁ 子 ど も た ち が﹃ 今 日 、学 校 楽 し か っ た
が 必 要 な ん で す 。芋 ほ り だ っ て 、七 夕 の 笹
飾 り だ っ て 、プ ー ル で の 水 遊 び だ っ て 、知
ら め る の で は な く〝 で き る 〟に 変 え る こ と
恵 を 絞 れ ば で き る 。校 庭 で 育 て た 野 菜 を
よ ! ﹄と 家 庭 で 言 え ば 、そ れ を 聞 い た ご 両
ん な こ と し て き て 、楽 し か っ た よ ﹄と 職 場
親 が 笑 顔 に な る 。﹃ う ち の 子 が 、学 校 で こ
で 話 せ ば 、大 人 た ち も 元 気 に な る 。子 ど も
食 べ る こ と は で き ま せ ん が 、違 う 土 地 の
れ ば で き る 。プ ー ル は 除 染 す れ ば 問 題 あ
農 家 に お 手 伝 い に 行 け ば 、芋 ほ り 体 験 は
り ま せ ん 。今 し か で き な い こ と を 子 ど も
が 明 る く な れ ば 家 庭 が 明 る く な り 、職 場
です﹂。
た ち に さ せ て あ げ る の が 、学 校 の 最 大 の
で き る 。笹 飾 り の 笹 も 、遠 方 か ら 取 り 寄 せ
学 校 を 起 点 に 、地 域 を 変 え て い く 。久 之
役割なんです﹂。
が 明 る く な り 、地 域 が 明 る く な っ て 、久 之
浜 第 一 小 学 校 が 再 開 す る と 、近 隣 の お 年
浜 が 、そ し て 福 島 が 明 る く な っ て い く ん
寄りたちが子どもたちの姿を見るためだ
けに学校を訪れることもあったという。
元 気 が 出 る ん だ よ 、と お じ い ち ゃ ん お ば
子どもたちが考える
〝防災緑地〟
た。どんな木を植えれば津波の勢いを弱め
校庭には大きな空間放射線量測定器が設
置 さ れ 、放 射 線 量 が 一 目 で わ か る よ う に
な っ て い る 。保護者へは毎朝9時にその日
の放射線量をメールで送信している。
昇降口に設置された防災ヘルメット。
に歩むもの、と再認識しました」。
﹁子どもたちがはしゃぐ声を耳にすると
あ ち ゃ ん は 言 っ て く れ る ん で す よ 。子 ど
もが生まれ育った町にいるということ
が、地域に力をつけさせるんですね﹂。
名が犠牲になった。津波被害を抑え
東日本大震災の津波被害で、久之浜地区
では
るために、住宅街跡地に防災緑地を整備す
る計画が進められている。久之浜第一小学
校の5・6年生も﹁総合的な学習﹂の時間に
られるのかなど、
自分たちで調べ、
学んだ成
子どもたちの安全を
守るための、
たゆまぬ努力
学校再開から2年近くが経とうとして
果を行政や大人に提案する。
今後
﹁総合的な
防災緑地にまつわるアイディアをまとめ
い る 。今 で も 毎 朝 、一 時 間 か け て 校 内 の 放
を与えています。学 校は 地 域と一 緒
12
6
7
学習﹂
では、
5年生は地元の漁業について学
たちは、復 興に向かう大 人 たちに力
30
‘11
射 線 量 を 隅 々 ま で 測 り 、そ の 数 値 を 保 護
より久之浜 第一小学校校長。
「 子ども
11
び、
6年生は街づくりを考える予定だ。
1958年、福島県 生まれ。2011年8月
11
者 に メ ー ル で 連 絡 し て い る 。子 ど も の 安
Matsumoto Koji
10
全 を 守 り 、地 域 を 守 る た め に は 、学 校 側 は
松本光司
10‘11
40
51
13
JRCは、
防災教育に注力
していきます。
地域の住民とともに一体となって進める防災講座や、イベントなど。
る知識を正しく理解し、
地域の奉仕団など
JRC加盟校のメンバーが、
災害に関す
の命を守る力を身につけること。
JRC加盟校のメンバーが、
自らと他者
することができるはずです。
識の向上が期待され、
防災文化の構築に資
みならず、
地域社会や家庭における防災意
教育が盛んになれば、
加盟校のメンバーの
およそ3割に当たります。
加盟校での防災
JRCの加盟校数は、
日本の全学校数の
いと考えています。
作成して防災教育の充実発展に寄与した
し、
防災教育についての体系的な枠組みを
に培ってきた指導方法や人的資源を活用
いないのが現状です。
JRCではこれまで
ける具体的な取り組みは必ずしも進んで
求められています。しかし、教育現場にお
東日本大震災を機に、
防災意識の向上が
各校独自の取り組みとその成果から、防災・減災教育がもたらす発展的な影響を考える。
とも連携することによって、
地域住民や家
高知市立
うしお え
潮江中学校
防災教育を通して
学校を活性化
高 知 県 が
ル地盤沈下し、1メートル以上浸水すると
年
月より防災教育
されている。この予測や東日本大震災を受
け、潮江中学校では
を学習の柱に設定した。
行 う と 、防 災 と い う テ ー マ を 通 し て 、年 下
果を地域の小学校で発表する
〝出 前 授 業 〟を
学 校 で し た 。地 域 の 中 で い
﹁ 実 は 、潮 江 中 学 校 は 生 徒
いく。
に移動させた。
ちは自分たちの手で防災倉庫を校舎4階
た 。市 の 危 機 管 理 室 の 許 可 を 得 て 、生 徒 た
せたい﹂と意見を出したのも生徒たちだっ
ました。今では表現力のある子どもたちが
れ合うなかで生徒たちには自信が生まれ
増 え ま し た し 、学 力 も 向 上 し て い ま す 。か
﹁ 楽 し み な が ら 取 り 組 み 、地 域 の 方 々 と 触
つてのマイナスイメージは消え、活気ある
ない時期もあったんです。
む よ う に な っ て 、生 徒 も 学
し か し 、防 災 教 育 に 取 り 組
開かれた学校へと変化しています﹂。
きました﹂。
用 し 、県 内 企 業 の 防 災 関 連 製 品 を 集 め た
たり、生徒たちの作成した防災パネルを展
示 す る 。学 校 を 起 点 と し て 、行 政 や 企 業 と
﹁防災展示館﹂を開設。防災グッズを紹介し
も協力しながら地域と一体となった防災
倉庫は運動場に設置され
て い た が 、こ れ に つ い て
よ う に な っ た 。は じ め 防 災
﹁津波が来れば水没するか
れた西日本では、ともすれば東日本大震災
いまだ高いとは言えません。被災地から離
﹁正直に申し上げて、
わが校での防災意識は
に取り組むべきだという課題が見えてきま
めには危機意識をもって本格的に防災教育
かで災害に遭う可能性もあります。そのた
言い切れるわけでもなく、一生のうちどこ
活動を展開している。
の記憶が遠くなりがちです。これに問題意
した。
今後も活動を続けます﹂
。
も し れ な い 。高 台 に 移 動 さ
識を感じたJRC部員たちの発案で、展示
を行いました﹂
。
少しでも多くの生徒たちに興味を持って
もらいたいと、部員たちはアンケート調査
を行ったり、クイズを作成するなど工夫を
凝らした。
促すひとつのきっかけになりました。わが
﹁防災に無関心だった生徒たちにも注意を
校の生徒は大きな災害に見舞われていない
高森高校にはJRC部がある。現在部員
世代ですので、
非常にのんびりしています。
る ん で す 。生 徒 た ち に と っ て は 、地 域 の
生徒に知ってもらうため日々活動してい
方々とコミュニケーションを取るよい機
この土地が安全だと信じているところもあ
会 に も な っ て い ま す ﹂。地 域 に 貢 献 す る と
る。 年9月の文化祭で、
JRC部では防災
常の中で、教師も含め誰もが一般的な知識
﹁東日本大震災以前の災害には無頓着な日
ともに、生徒や職員の防災に対する危機管
るでしょう。しかしずっとここで暮らすと
しか持ち合わせていませんでした。そこで
意識を高めるための展示を行った。指導を
JRC部の活動のなかで、避難所というも
理意識の向上に役立っている。
歳
名 以上が
こういったことを目標に、
JRCでは学
年 に 始 ま っ た 。学 校 に 掲 げ ら れ た〝 指 定
切りのない中で眠るシミュレーションな
どを行います。みんなで意見を出し合いな
﹁防災講座では、非常炊き出しの体験や、仕
がら、災害時のイメージトレーニングをす
避 難 所 〟と い う プ レ ー ト を 指 し て 、あ る J
時 、学 校 は ど う な る の ? ﹂と 疑 問 を 呈 し た
習プログラムや教材を開発するほか、
人材
ことがきっかけだった。
R C 部 員 の 生 徒 が﹁ 先 生 、避 難 所 に な っ た
的に開くまでに成長している。
参加する防災講座をJRC部主催で定期
代 のお年寄りまで、地 域の方々
ていった。現在では 5 歳の子どもから
始めた活動は、次第に地域との連 携を強め
美子先生は話す。学校祭での発表などから
が提案しました﹂と部の顧問である大島喜
のがどういうものか、考えてみようと生徒
行った河村美穂先生はこう話す。
栃木県立
がく ゆう かん
学悠館高等学校
年8月には、校舎1階の空き教室を活
的にアイディアを出せる
防 災 を 学 ぶ に つ れ 、自 発
校もどんどん変わってい
いイメージを持たれてい
指導の面でも課題の多い
しずつ責任感が育まれて
生 ま れ た 。中 学 生 の 心 に 少
の子どもたちとの間に前向きな関わりが
年に発表した地震予測によ
し 、一 枚 の ポ ス タ ー に ま と め た 。学 習 の 成
う 。生 徒 た ち は 地 震 や 津 波 の 対 策 を 調 査
育む目的もあります﹂と坂本昌二教頭は言
で生徒自身が考える力を伸ばし、自主性を
ろん、命を守る防災教育を推し進めること
﹁いずれ来る南海地震に備えるためはもち
6
の地震が起きた場
ると、マグニチュード
合、高知市潮江地区はおよそ0 .
75メート
山口県立
高森高等学校
たか もり
‘11
は9名。
少人数ながら、
JRCの活動を全校
JRC部の生徒たち
による防災展示
生徒たちが、防災を呼びかけるため防火扉に絵を描いた。防災教育は生徒たちの積極性を高めている。
8.4
JRC部発案の
防災講座を実施
学校の正面入り口には、防災啓発のパネルを設置。
地域に向け注意喚起している。
JRC部は文化祭で発表展示を行い、校内の防災への
意識を高めた。
学校が中心となり、地域の方々と関わりながら
防災講座を定期的に行う。
JRCの活動を生かした児童生徒たちによる研究発表をはじめ、
の育成にも注力していきます。
‘12
‘05
学悠館高校の防災講座への取り組みは、
90
東日本大震災を受けて、被災地以外の地域でも防災・減災教育が行われ始めている。
庭における防災意識の向上を図ること。
80
‘12
8
9
‘07
私たちの防災・減災
戦いの中にも
ルールがあるのを
知っていますか?
国際人道法は
なぜ必要なのか
世界各地で絶え間なく続く紛争・戦争の
現場では、人間の尊厳を脅かす様々な問題
万人
が起きている。そのひとつに子ども兵士の
問題 が 挙 げ ら れ る 。今 日 、世 界 で は
以 上の子どもが武力紛争に加わっており、
NO
歳に満たない少年少女も兵士となり大
⑤
こたえ:
あ る 。学 校 で の い じ め 問 題 は 、ま さ に そ の
いかければ解決できそうなものが数多く
際人道法の概念をヒントに、人の良心に問
し か し 、今 の 日 本 が 抱 え る 問 題 に は 、国
ように感じてしまう人もいるだろう。
な日本で暮らす限り、まるで無縁なものの
としてあるべき姿について深く考え、人道
ルールである国際人道法を学ぶことは、人
当 た り 前 の こ と に 過 ぎ な い 。世 界 共 通 の
減して予防し、人間の尊厳を守る﹂という、
﹁人道﹂とは、﹁命と健康を守り、苦痛を軽
だけにかかわるものではないのだ。
るために必要とされるものであり、紛争国
無用な苦痛や破壊を予防し、人間の命と尊
﹁国際人道法は戦争や武力紛争における
ず、いかなるときも人間が人間らしく生き
と 定 め て い る 。国 際 人 道 法 は 、状 況 に よ ら
を問わず、その通信を受け取る権利を持つ
族の消息を知り、その家族が所在する場所
わ れ る 。国 際 人 道 法 で は 、す べ て の 人 が 家
まったとき、人は大きな苦痛と悲しみに襲
ない。被災して家族と離れ離れになってし
震災などの自然災害発生時も例外では
と、さまざまな気づきが得られるはずだ。
一 例 だ 。い じ め や 暴 力 の 問 題 を 考 え る と
けんかで相手に勝つため
なら、教室にあるどんなも
のでも使っていい
(当たり前ですが)すべてNO。そ
れぞれなぜNOなのか、理由も分
かりますか?
YES
人とともに戦っている現実がある。強制的
な徴兵や、誘拐によって兵士にされる子ど
も た ち が 後 を 絶 た な い 。そ の 一 方 で 、自 ら
の意思で兵士になる子どもも存在する。社
会格差や養育者の不在、教育の欠如が子ど
もたちを入隊へと追い立てている。
武器を持った子どもたちは、人を殺すこ
とさえある。
人を傷つければ、
子どもであれ
加 害 者 だ 。し か し 、武 器 を 持 た ね ば な ら な
かった彼らは、
同時に犠牲者でもある。
子ど
もが人を殺さねばならない状況に、人間の
尊厳はあるだろうか。
国際人道法では、 歳
未満の子どもを兵士として利用すること
を 禁 じ て い る 。国 際 人 道 法 を 学 ぶ こ と に
よ っ て 、世 界 の 現 実 を 知 る こ と が 、現 代 の
日本社会においても不可欠なのである。
④
けんかのはずみで、教室の
窓ガラスを割っても仕方が
ない
YES
NO
的価値観を学ぶということである。
②
けんかで 相 手がケガして
も、相手にだって悪いとこ
ろがあるので、
保健室に連
れて行かずに放っておいて
もいい
YES
NO
き 、国 際 人 道 法 の 視 点 を 取 り 入 れ て み る
教室でのあなたは人道的?
それとも……?
“思いやり力”をチェック!
厳 を 尊 重 す る た め の も の ﹂と 聞 く と 、平 和
平和な日本で
今、国際人道法を
学ぶ意義
①
けんかで負けを認めた相
手に、とどめの一撃を加え
てもいい
YES
NO
国際人道法とは?
国際人道法とは、赤十字の呼びか
けによって、 世紀の半ばに成立し
人道法の根底には流れている。
厳を尊重しようという思想が、国際
いかなる場合でも人間の命と尊
ができる。
た国際的な約束事ととらえること
するための、自然な人間愛に根差し
おいて不必要な犠牲や苦痛を防止
律 で は な い 。国 際 人 道 法 は 、紛 争 に
と す る も の で 、〝 法 〟と い っ て も 、法
すべての人を保護することを目的
た兵士など、戦闘行為に参加しない
や病気で戦うことができなくなっ
器を持たない一般市民や捕虜、負傷
戦争などの武力紛争において、武
ルール〟である。
た〝 人 間 の 命 と 尊 厳 を 守 る た め の
19
『誰もが人間らしく生きるために』
(指導者向けテキスト)
に付けています﹂。
うとする姿勢を、生徒たちはプログラムを通して身
す。常に人道的な観点から自らにできることを探ろ
ね、そこに指導者も同じ視点で加われるのが魅力で
い た め 、生 徒 が 各 テ ー マ に つ い て 熟 考 し 、議 論 を 重
ちりばめられています。いわゆる〝正解〟が存在しな
が 持 つ〝 思 い や る 力 〟を 引 き 出 す 手 が か り が 随 所 に
そ の 生 徒 は 感 じ た そ う で す 。プ ロ グ ラ ム に は 、生 徒
し た 。国 際 人 道 法 は 自 分 の 公 約 の 後 ろ 盾 に な る 、と
じめの根絶を公約として、生徒会役員に立候補しま
このプログラムの効果を感じました。ある生徒はい
ヒューマニティを感じられるようになったときに、
﹁生徒たちの言葉の端々に、人道的な観点、つまり
その効果を聞きました。
組んできた広島市立吉島中学校の田村真一先生に、
用して、5年間にわたって国際人道法の学習に取り
ラ ム ﹂の 充 実 を 図 っ て き ま し た 。本 プ ロ グ ラ ム を 活
法 の 普 及 を 推 進 す る た め 、﹁ 国 際 人 道 法 学 習 プ ロ グ
日本赤十字社では、青少年を対象とした国際人道
プログラムを活用して
見られた生徒の変化
国際人道法学習プログラム
10
©Photothèque CICR (DR)/IVLEVA-YORKE, Victoria
11
③
負けたほうは、隙を狙って
相手に仕返ししてもいい
NO
25
15
YES
10
詳しい解説は、日本赤十字社ホームページ「資料で見る青少年赤十字」に掲載した、
「国
際人道法を知っていますか?(学校生活編)」をご確認ください。
http://www.jrc.or.jp/youth/siryo/index.html
して実施している、青少年を対象とする支援事業である。3か年をひとつの事業期
間として定め、バングラデシュ、モンゴル、ネパールの3か国に対して2003年度から
継続して支援を行っている。
Bangladesh
製品産業。 年度は欧州経済危機の影響を
に 面 す る 国 で あ る 。主 要 産 業 は 衣 料 品・縫
人、イスラム教徒が9割を占めるインド洋
バ ン グ ラ デ シ ュ は 人 口 1億 5 2 4 0 万
保健室﹁ファースト・
エイド・ルーム﹂を設置
バングラデシュ
%の経済成長率を達成。し
境改善などの研修を現地指導者やメンバー
らに対して実施している。
また、
トイレや花
壇の整備、
救急箱や文具セットも配布した。
保健室が開設された学校では、救急法の
研修を受けたメンバーが管理運営を行っ
人 お り 、軽いけが程度で
ている。ひとつの学校に救急法を身に付け
たメンバーが約
あれば止血や消毒といった応急手当を素
早くできるようになった。
バングラデシュ南部にあるボリシャル
管区のルパタリジャグヤ中学校に通い、救
急法を学んで活動しているホセくんは、2
012年の一年間で8人の手当を担当し
たという。﹁先月も、女の子が耳を少し切っ
てしまい、出血していたのですぐに手当を
しました﹂と報告してくれた。
ホセくんら救急法を知るメンバーは、ま
だ知らないほかの生徒にもその方法を伝
え 、﹁ 健 康・安 全 ﹂の 考 え を 広 め る 研 修 会 を
開く活動も行っている。
文房具セットの配布で
出席率増加
教育等支援事業では、貧しくて文房具を
もの。このセットを受け取った生徒は出席
ム 、ノ ー ト 、色 鉛 筆 を バ ッ グ に 詰 め 込 ん だ
買えず、十分な勉強ができないメンバーの
が学校内でけがをしても、応急手当を受け
率が上がったと報告されている。モチベー
なっている。
られるまでに時間がかかってしまうという
ションが向上した結果、退学してしまう児
配布している。文具セットは、鉛筆、消しゴ
現状がある。
童や生徒の数も減少した。
た め 、各 校 1 0 0 名 分 ず つ 文 具 セ ッ ト を
そ こ で 、教 育 等 支 援 事 業 で は 3 年 間 で
バングラデシュでは、
保健室がなく、
保健
150校の学校に保健室
﹁ファースト・エイ
ド・ルーム﹂
を設置し、
救急法や保健衛生、
環
﹁ピア・エデュケーター﹂
の育成
同世代の若者が保健衛生をはじめ救急法
などの知識をともに学び、仲間に伝えてい
く啓発活動﹁ピア・エデュケーション﹂にも
積極的に取り組んでいる。プログラムを受
講しピア・エデュケーターとなった生徒た
ちは、
学校内での衛生普及活動だけでなく、
地域の老人ホームや障がい者福祉施設等で
清掃活動なども行っている。以前は福祉活
動 に は 消 極 的 だ っ た 生 徒 も ピ ア・エ デ ュ
め、洪水、竜巻、草原火災などの災害が起き
ベルも高い。〝 ゾド〟と呼ばれる雪害をはじ
衛生環境の整備はいまだ不十分で、貧困レ
0万人が暮らすモンゴル。インフラおよび
日本の約4倍の国土に、人口およそ28
区にユースキャンプを建設中だ。日本とモ
推進のため、ウランバートル市ナライハ地
また、世界各国のJRCメンバーの活動
告されている。
考えるようになったと、好ましい変化が報
環境を作るためにはどうするかを積極的に
ケーターになったことで、
健康的・衛生的な
やすい環境にあり、それによって住居や家
ンゴルとの友好関係のシンボルとして
年
畜を失う遊牧民も多い。
モンゴルでは、
手洗
の完成を目指している。
していないため、水が原因となる病気が大
きな課題となっている。
学校では、生徒数に対してトイレや手洗
い場が圧倒的に少ない。
また、
壁がなかった
り、
男女兼用だったりと、
決して衛生的な環
境とは言えないのが現状である。
そこで、
教
育等支援事業では、トイレの改修や新設を
行い、
便器や仕切りを設けたほか、
ハンドド
ライヤーを設置し洗い場の改修も行った。
以前は女子数人で連れ立って行く必要が
あった男女兼用トイレに仕切りやドアがで
10
師も常駐していない学校がほとんど。生徒
かしながら国家財政は慢性的な赤字と
受けながらも
‘12
6.3
いなど保健衛生に関する知識があまり普及
トイレを改修・設置し
衛生環境を改善
教育等支援事業とは、日本の青少年赤十字メンバーが集めた“ 1 円玉募金”を活用
きたことで、女子ひとりでも行けるように
トイレなど
衛生設備を設置
倍の ・7万㎢の広さである。
ネパールの人口は3100万人、国土は
北海道の約
00の村で野外排便の根絶が達成された。
保健衛生の普及活動により、すでに12
環境美化の促進に取り組んでいる。
設備の普及や、
石鹸を使った手洗いの励行、
動を急務とし、トイレや手洗い場など衛生
教育等支援事業では、保健衛生の普及活
透していないことがわかる。
れていることからも、衛生観念が十分に浸
る。道路わきや路地に様々なゴミが投棄さ
00∼500人の子どもが命を失ってい
入れている。
ら を﹁ 変 化 の 担 い 手 ﹂と し て 肯 定 的 に 受 け
中 心 的 な 役 割 を 果 た し て お り 、住 民 も 、彼
は地域の保健衛生に関する行動の変革に
校することもあるという。JRCメンバー
軽いけがを負ったときに手当を受けに来
学校で応急手当を受けられることを頼り、
対応できる態勢を整えている。地域住民が
メンバーは救急法を習得し、軽傷程度なら
て い る 。ジ ャ ワ ラ・デ ヴ ィ 小 学 校 の J R C
バーによる保健衛生の啓発活動も支援し
教育等支援事業では、現地のJRCメン
JRCメンバーが
地域の変化を促す
また、石鹸を使った手洗いの必要性が理解
るという報告もあった。
されたうえで実践され、下痢が減少してい
原因で下痢や感染症などが起こり、年間2
事をする習慣があるため、不衛生な環境が
パールには、伝統的に右手を直接用いて食
ペーパーや手洗い場がない場合も多い。ネ
がある。
また、
トイレがあってもトイレット
レがなく、野外で排便せざるを得ない状況
ネパールでは、現在でも家や学校にトイ
年生まで無料配布されている。
られており、
小学校教育は無料、
教科書は5
国家開発計画の一環として教育に力が入れ
14
アジアの子どもたちとともに
Mongolia
12
13
Nepal
1.8
モンゴル
なった。
‘13
ネパール
1 円玉募金による
教育等支援事業
∼
日
年が触れ合い、切磋琢磨することで国境を越えた友情を育んだ。
名が参加した。
のグルー
ような状況か﹂﹁人間の尊厳を守る
も危険にさらされているのはどの
プに分かれ、﹁人間の尊厳がもっと
国内外のメンバーは
実施した。
ン・シ ュ ク デ ィ ブ 氏 が 講 師 と な り
赤十字国際委員会︵ICRC︶のシ
厳﹂について考えるプログラムを、
プ デ ィ ス カ ッ シ ョ ン 。﹁ 人 間 の 尊
国際交流集会のかなめはグルー
紹介を行った。
デ ィ ス カ ッ シ ョ ン やJ R C の 活 動
学 ぶ こ と を 目 的 と し 、グ ル ー プ
み 、赤 十 字 の 人 道 的 価 値 に つ い て
国 や 地 域 を 超えた相互理解を育
RCメンバーは
参 加 者 は 総 勢 1 9 7 名 。日 本 の J
東山荘にて、国際交流集会を開催。
静岡県御殿場市にあるYMCA
月
赤十字運動を推進する人材の育成を目標とする。今回はアジア・太平洋地域の青少
た め に 青 少 年 は 何 が で き る か ﹂と
2012年
月
∼
日、ア ジ ア・太 平
27
の国と地域から、 名 の 海 外 メ
15
41
を深めた 。
月
行った。
日
いったことを話し合うとともに、
掲示用のポスターを作成した。
ま た 、参 加 者 は 母 国 や 地 元 に
戻ってから自分に何ができるかを
考 え 、自 分 自 身 に あ て て 手 紙 を 書
い た 。大 阪 府 か ら 参 加 し た メ ン
バ ー は﹁ ひ と り ひ と り の 考 え 方 や
生 き 方 を 理 解 し 、人 を 尊 重 し 尊 敬
することの大切さを改めて実感し
ました﹂
と語った。
ア ジ ア・太 平 洋 地 域 の J R C 事
業 の 理 解 を 深 め る た め 、国 別 に 設
けられたブースで、自国の赤十字・
赤新月の活動を互いに紹介した。
民族衣装を着てアピールするな
ど 、ど の ブ ー ス も そ れ ぞ れ 工 夫 が
とが実感できました﹂
と語った。
わず福島県に対する関心が高いこ
の 方 か ら 反 応 が あ り 、国 内 外 を 問
介 に 立 っ た メ ン バ ー は﹁ た く さ ん
被 災 者 支 援 に つ い て 紹 介 し た 。紹
島県のメンバーが東日本大震災の
社の事業紹介と社内見学などを
テ ー シ ョ ン が 行 わ れ 、日 本 赤 十 字
が 手 渡 さ れ た 。午 後 に は オ リ エ ン
と 、メ ン バ ー が 持 ち 寄 っ た 記 念 品
長から歓迎のあいさつがあったあ
わ れ た 。近 衞 忠 煇 日 本 赤 十 字 社 社
赤十字国際交流事業の開会式が行
日 本 赤 十 字 社 本 社 に て 、青 少 年
15
問題について意見を交換し、問題への理解
直面する災害、
紛争、
貧困、
衛生、
教育などの
日した。メンバーは、アジア・太平洋地域が
ン バ ー と 5名のJ R C 海外スタッフが来
洋 地域の
11
凝 ら さ れ て 大 盛 況 。日 本 か ら は 福
月
∼
日
22
都 道 府 県 支 部 を訪
日
ブルネイにも三角巾での
止血法がありますが、
日本と少しやり方が違う。
違いがわかって
面白かったです。
日
す 。こ の 大 き な 家 族 が 幸 福 で 平 和
は﹁ 地 球 に 住 む 人 は み な 家 族 で
リランカから参加したメンバー
国 際 交 流 集 会 の 閉 会 式 開 催 。ス
そ れ ぞ れ 帰 路 に 着 き 、国 際 交 流 事
ムを終え、
翌
手 渡 さ れ た 。約 2 週 間 の プ ロ グ ラ
からメンバーそれぞれに修了証が
パ ー テ ィ ー に 参 加 。日 本 赤 十 字 社
海 外 メ ン バ ー は フ ェ ア ウ ェ ル・
月
に 暮 ら せ る 世 界 を 、次 世 代 を 担 う
業は無事終了した。
日、
海外メンバーは
私たち若者の手でつくっていき
連絡を取り合います。
これからも
築くことができました。
強いつながりを
新しく出会った友達と
とない機会となった。
強い協力関係を築くためのまた
な っ た 。国 内 外 の 仲 間 と の さ ら に
を発揮して実り多き交流会と
参加者は各々がリーダーシップ
情と協力の必要性を呼びかけた。
ま し ょ う ﹂と 述 べ 、世 界 規 模 の 友
月
う精神を養った。
世 界 の 仲 間 を 知 り 、仲 良 く 助 け 合
解・親善を体感するとともに、広く
の実践目標のひとつである国際理
交 流 を 通 じ て 、参 加 者 は J R C
受講した。
を 体 験 し た ほ か 、救 急 法 の 講 習 を
JRC加盟校で茶道と少林寺拳法
ンバー2名と海外スタッフ2名が
大 阪 府 支 部 で は 、ブ ル ネ イ の メ
を体験し、採血室を見学した。
訪問。実際に受付や問診、血圧測定
メンバーが﹁献血ルームあおば﹂を
静 岡 県 支 部 で は 、マ レ ー シ ア の
し、日本文化を体験した。
の着付けや寺社を参拝するなど
学 校 で の 授 業 を 体 験 し た り 、着 物
年 赤 十 字 メ ン バ ー と 交 流 。日 本 の
問 し た 。各訪 問先では日本の 青少
日本全国の
支部研修プログラムに参加。
16
20
21
11
14
15
27
ある。赤十字の人道的な価値観に触れて、青少年赤十字活動の活性化と、将来の
26
11
11
28
23
75
26
青少年赤十字の国際交流事業は、1970年から継続して行われているプログラムで
15
11
世界のJRCメンバーと
国際交流
11
欲求
って本 能 的な
は、人 間にと
と
こ
る
す
と
飛び出そう
ランスとは。
新しい世 界に
“危険”のバ
える“冒険”と
考
で
点
視
の
宇宙 飛 行 士
新しい地平にたどり着きたいという欲求は、生き
どんな子どもにも備わっているものだと思います﹂
方でしたが、﹃外の世界を知りたい﹄
という気持ちは、
いものでした。もともと僕は人一倍好奇心が旺盛な
たい。思春期に芽生えたその気持ちは打ち消しがた
﹁宇宙がどんなところなのか、
この目で確かめてみ
在も訓練に取り組む日々を送っている。
ンをこなした。
来るべき今後のフライトに向けて、
現
し、
ロボットアームの取り付けなど、
様々なミッショ
ステーションに百六十一日間にわたって長期滞在
ディスカバリー号で宇宙へ。
続く
年に は 国 際 宇 宙
か っ て 真 っ す ぐ 進 ん だ 。 年にスペースシャトル
トルの打ち上げの様子を見て憧れ、その後は夢に向
代をそう振り返る。高校一年生の時にスペースシャ
宇宙飛行士として活躍する野口聡一さんは少年時
かけていき、
思う存分体を動かしていました﹂
。
どもでした。休みになれば山や海など自然の中に出
﹁学校の勉強よりも、
遊ぶことがとにかく好きな子
通して教わりまし
こ と を 、野 外 活 動 を
勉強では知りえない
外での料理の仕方を覚えたり、ちょっとやそっとで
ングやキャンプなどをして、
遊びながら学びます。
野
いたんです。
森や山、
川など自然豊かな場所でハイキ
﹁僕は小学校2年生から、
ボーイスカウトに加入して
興味を育てながら、学びを助けていくのが大人の役
直な疑問から、
子どもの成長は始まる。
子どもたちの
うにはどんな人が住んでいるのか。そんな素朴で素
がっているのか。
山の向こうには何があり、
海の向こ
自分の生まれ育った町の外にはどんな景色が広
るのだと思います﹂
た 。ま た 、な に よ り 、
はほどけないロープのくくり方を習ったり。机上の
目でもある。
外の世界には多くの
げていきたいという欲求は、生命に刻み込まれてい
す。これは本能のようなもの。冒険し、活動範囲を広
しずつ殻を破って地球から出ていこうとしていま
でもなお人間は宇宙という新しい世界に惹かれ、少
いれば何もかもが揃っていて安全なのですが、それ
らしている地上は空気という海の底にある。ここに
人間も同じです。
空を海と見立てれば、
私たちが今暮
から一歩、外に出てみたい﹄と思ったのでしょうね。
中にさえいれば安全で幸せだったはずなのに、﹃ここ
の仕方を知ること。そうやって人は大人になってい
ければならないものです。
大切なのは、
危険への対処
何かを実行するときには必ず何らかの危険を冒さな
この点は全く同じだと思います。
どんなことであれ、
としての役目をまっとうできません。僕たち人間も
それが怖いからといって、海を渡らなければ船は船
大波にさらわれて沈没する可能性もある。
けれども、
ませんよね。
大海に出れば嵐に遭遇することもある。
いって港にずっと停泊していたのでは目的を果たせ
ば 、船 は 港 に い る と き が 一 番 安 全 で す が 、だ か ら と
たところでは、
冒険などできないのですから。
たとえ
しまうのはもったいないことです。安全が保障され
て、危険回避を優先しすぎるあまり活動を制限して
たらいいのですが、
なかなかそれも難しい。
かといっ
﹁けがをしたっていいから遊んで学びなさい、
と言え
子どもの成長を助けると野口さんはいう。
を認識させ、
そこから問題解決の方法を探る教育は、
危険を必要以上に回避させる教育ではなく、危険
います﹂
の僕の人生にも少なからぬ影響を与えていると思
の だ と い う こ と を 学 び ま し た 。こ の こ と は 、そ の 後
〝外の世界を知りたい〟
という好奇心から
実験では、
宇宙服を着て部屋に入り、
徐々に空気を抜
臨むためである。たとえば宇宙空間を再現した真空
た。
初めて海の底から陸へ上がったいきものは、
海の
﹁命ははじめ海で生まれ、
次第に陸へと広がっていっ
生命の歴史が物語っている。
させるまでが大変なのですが、洞窟での訓練はその
宇宙ステーションでのミッションも体を環境に慣れ
間サイクルを自分で作り出す、
という訓練です。
国際
狂いがちなこの環境のなかで、地上と同じ二十四時
ば向き合っていける
には正しく対処すれ
と 、そ し て そ の 危 険
なった気がして、本当に宇宙に行けるんだろうかと
の 時 は 頭 が 真 っ 白 に な り ま し た よ 。先 が 見 え な く
﹁宇宙に行きたい一心で突き進んできていたから、
そ
れ、
決まっていたフライトの予定も白紙に戻った。
が、
それはあらゆるリスクを想定して、
万全の態勢で
だ。宇宙飛行士は常日頃からさまざまな訓練を積む
言わずもがな、宇宙へ飛び立つのは命がけの仕事
成長は始まる
宇宙飛行士という
いていく。テーブルには水が入ったコップが置いて
〝危険〟な仕事
あり、
部屋の内部が真空状態に近づくにつれ、
コップ
不安にもなりました﹂
。
無力感を打ち消すためにしたのは、ひたすら訓練
理解と適応力の養成に役立ちます﹂
を続けることだった。野口さんが初フライトまでに
クルーとともに行った訓練の累計時間は、なんと三
万八千九十九時間。水中訓練は七十五回にも及んだ
という。
はない。
初の宇宙飛行が決まっていた
宇宙に飛び立つまで、紆余曲折がなかったわけで
し、
効率も高まり、
確実になっていきます。
だから、
繰
した。訓練をすればするほど体は作業を覚えていく
不安に克った
訓練を繰り返し、
の水はなくなっていく。真空になると気圧が下がる
ために、
沸点が低くなり、
水がどんどん蒸発していく
のだ。
真空の空間で宇宙服を着ていなければ、
体内の
血液も一瞬で沸騰して、
人間はすぐに死んでしまう。
この訓練ではその事実を可視化して理解する。
効果があるので、さまざまなプログラムが開発され
シャトルコロンビア号がテキサス上空で空中分解
﹁地上にいながら宇宙空間を疑似体験する訓練には
ています。昨年はイタリアのサルディニア島にある
し、七名の宇宙飛行士が命を落とすという大事故が
Noguchi Soichi
1965年、神奈川県生まれ。宇宙飛行 士。東 京大学非常勤講師。
1991年東京大学大学院修士課程修了、石川島播磨重工業株式
会社(現株式会社IHI)に入社。1996年、NASDA(現JAXA)の宇宙
飛行士候補者に選定される。
2005年、
STS-114のクルーとして宇
宙飛行、船外活動主担当として活躍。2009年12月から2010年6
月まで国際宇宙ステーションに滞在した。
『 15歳の寺子屋 宇宙少年 』
野口聡一著
(講談社/1,050円)
しかし訓練は不安を克服するのにもっとも役立ちま
洞窟で、
一週間にわたって極限環境訓練をしました。
り返しは決して無意味ではないんです﹂
。
﹁同じことの繰り返しは決して楽しくはありません。
深い洞窟なので、
太陽の光は全く入ってきません。
温
起きた。この一件で宇宙飛行の訓練はすべて中止さ
野口 聡一
年、
スペース
度も一日を通して常に低いままです。生体リズムが
15歳のときに抱いた「宇宙に行きたい」
という夢を現実にした野口さん。悩みや
不安を乗り越えるコツは?夢を叶えるた
めにはどうしたらいい?精一杯生きるた
めのヒントを詰め込んだ一冊。
どんな子どもにも〝冒険したい〟
気持ちが備わっている
物として、人間に本来的に備わっているもののはず
危険があるというこ
くものだと思います﹂
だ、と野口さんは言う。そのことは、地球に誕生した
‘09
‘03
©NASA
17
‘05
聡 一さん。
だと語る野口
一
聡
口
野
宇宙飛行士
今、子どもに読んでほしい本
『日本辺境論』
内田樹著
(新潮社/777円)
「日本人とは何ものか」という問い
Junior Red Cross
に対し、様々なテーマを扱い 論じ
る。
「 自分の国を考えるきっかけに
なる。海外に目を向ける前にチャレ
ンジしてみてほしい」
(稲木先生)。
極的に行っています。生徒たちは自らプレゼントを用意して施設の
クリスマスパーティーに参加しました。校外活動以外では、2∼3
全国のJRC加盟校の最新の活動情報をお届け。今回は、6地域を代表して6校の先生方にインタビューした。生徒たち
年生が運営者となり、1年生に赤十字の活動についてレクチャー
の気づきを促し、考える力と実行力を伸ばすため、各校で独自の取り組みがなされている。
する講習会「校内トレセン」も行っています。
Fukui
けい しん
啓新高等学校
全校生徒で行う日々のJRC活動が
成長を促す
いな き み のる
稲木穣
先生
JRCの活動を通し、生徒は注意深さを身に付けたほか、自分で
「気づき・考え・実行する」姿勢でクラス運営を行うようになりまし
本校ではJRCの活動は全校生徒で行っています。日々の活動内
た。意識してみれば献血ルームや病院など、街中で赤十字のマー
容をクラス担任から伝えられ、希望者が集まる形です。ときには野
クを見かけます。赤十字が身近なものだということを、生徒たちも
球部全員で地域の福祉施設を訪問するなど、部単位での参加も
理解し始めています。
今、子どもに読んでほしい本
しています。
地域とのかかわりを大切にするため、福祉施設訪問活動は積
今、子どもに読んでほしい本
『いのちのまつり
「ヌチヌグスージ」』
『がんばれ!!小さき生命たちよ
村田修一選手と閏哉くんとの41ヵ月 』
草場一壽著 平安座資尚絵
(サンマーク出版/1,575円)
村田修一、村田絵美著 豊島勝昭監修
(TBSサービス/1,470円)
命の大切さを視 覚を通して感じさ
新生児医療を取り巻く厳しい現実
せてくれる仕掛け絵本。
「自分の命
を当事 者の 視 点で描くノンフィク
が先祖から代々引き継がれてきた
ション。
「読売巨人軍村田選手の実
体 験。事 実を通して命の大 切さを
感じてほしい」
(佐塚校長)。
組んでいます。また、隣接する小学校とは日常的な交流や共同学
習にも取り組んでいます。6年間にわたって交流を積み重ねるこ
とで、子どもたちは誰とでも自然な人間関係づくりができるように
成長します。
Ka na ga w a
横浜市立
中村特別支援学校
なか むら
さ
つか たけ ひこ
佐塚丈彦
19
校長
障がいのある子どもたちと触れ合いながら
成長を果たす
JRCの活動を通して、児童生徒は世界や周りの人のことについ
て意識や関心を高めるきっかけを得ます。子どもの気づきは親へ
ものだということを、読み手に考え
させてくれる本」
(龍本先生)。
Ho kkaid o
根室市立
北斗小学校
ほく と
たつ もと ひで のり
龍本英紀
先生
意をうながす内容の“防犯レター”を書く、という取り組みを立ち
上げました。これは、
「手紙の書き方」の授業にJRCの態度目標で
ある「気づき・考え・実行する」を連動させ、防犯施策ともからめた
試みです。根室警察署にも協力を仰ぎ、署の職員を教室にお招き
し、振り込め詐欺について児童に説明してもらいました。
児童たちは手紙の書き方を学びながら、高齢者を気遣う気持ち
祖父母へ“防犯レター”を書いて、
思いやる力を育てる
も育みました。このような経験を重ねることで、目的意識をもって
取り組む姿勢が身に付
けば、と思っています。
JRC 活 動に取り組む
も影響を与えます。わが子から学校や活動の話を聞けば、親の意
根室市立北斗小学校は、本年度よりJRCに加盟しました。JRC
児童を見守る中で、
指導
本校は、肢体不自由と知的障がいのある重度重複の特別支援
識までもが変わっていくからです。学校からの発信で、周囲の地
の活動を導入してみて、気配りや思いやりの心を引き出す効果が
者側も児童の繊 細な成
学校です。医療的ケアを必要とする子どもも多く通っています。本
域社会まで変化していきます。JRCの活動は、住みやすく温かい、
期待できそうだ、と感じています。児童たちの様子をみていると、
長や変化に気づける細
校に通う69名の子どもたちも、社会のために何かできないかと考
誰もが生き生きとした生活ができる地域づくりにつながっていくも
相手を思う気持ちが言葉にも表れるようになってきています。
やかさを身に付けること
え、家庭の協力を得ながら、ペットボトルのキャップの収集に取り
のだと感じています。
3年生の国語の授業で、祖父母にあてて、振り込め詐欺への注
ができると感じています。
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今、子どもに読んでほしい本
今、子どもに読んでほしい本
『五体不満足』
乙武洋匡著
(講談社/1,680円)
先天性四肢欠損症の著者による半
生の記録。
「クラスメイトや家族が乙
武さんをサポートする姿から、障が
いがある人のことを理解し、思いや
る大切さを学べます」
(和田先生)
。
『100万回生きたねこ』
ちの態度を変化させています。気づきのきっかけが増え、積極的に
佐野洋子著
(講談社/1,470円)
100万回生まれ変わったトラねこ
が、初めて他者を愛したとき…。読
み継がれるベストセラー絵本。
「生
きる意味について、深く考えさせて
くれます」
(湧川先生)。
O kin a w a
座間味村立
阿嘉幼小中学校
あ か
わく がわ ひとし
湧川 仁
先生
め合えるようになりました。
Osa ka
阪南市立
波太小学校
す。特別な意 識でしているわけではなく、自然とゴミを拾ってい
ます。清 掃活動が 子どもたちの日常にすっかり根付いている証
拠でしょう。
学 校の前に島の人々を見守ってくれている大きなウドゥン(御
殿)の木があります。活動の一つとして、この木の前にベンチを
児童たちの自主性を育む小さな活動の
積み重ね
は た
わ だ たけ
置きました。畑 仕事や散 歩の途中で、地 域のお 年寄りが座って
島全体で子どもたちを見守る
環境づくり
小さなV・Sに取り組んで帰りの会で共有することで、お互いを認
し
和田武史
大阪府支部の主催する研修会に参加し、赤十字について学ぶ
児童もおり、リーダーとしての意識が芽生えています。児童たちは
ひとりひとりが「今、自分たちに何ができるのか」を考え行動してい
先生
るのが感じられます。
今必要とされることを自分から進んで行うように、児童たちに
JRC活動を取り入れて以来、児童を注意する指導から自主性を
はボランタリー・サービス(V・S)の意識を高めるよう指導してい
促す指導へと教員の側にも変化が生まれました。保護者や地域
ます。たとえば、
「靴をそろえる」といったとても些細なことから始
へ向けての活動も、今後活発にしていきたいと考えています。
めているのですが、こういった“小さなV・S”の積み重ねが児童た
休めるようにするためです。地 域との連 携が大 切だと考えてい
るので、運 動 会や学習発 表 会の前には子どもたち一人ひとりが
今、子どもに読んでほしい本
メッセージを書いた案内状を近 隣のお 年寄りへ送ります。みな
さん、子どもたちのことを孫のように温かく見守ってくれ、運 動
本 校は幼小中一貫教育を行うへき地離島校で、生徒 数は21
会では多くの声 援をかけてくださいました。こういった活 動を
名です。
「 地 域に根 差し、地 域 から信 頼され 開かれた学 校 づく
通して、地 域のお 年寄りとの交 流の機 会を増やすことができま
り」を目標とし、ひとりひとりの子どもたちを大 切にした学習指
した。
導や、地域の環境を生かした体験活動を行っています。
島 全体で子どもを見守る環 境づくりをこれからも続けていき
遠 足や 水 泳 教 室 で 海 へ 行くときは、ビーチの清 掃も行いま
たいと考えています。
『バッテリー』
あさのあつこ著
(角川書店/540円)
中学一年生のバッテリー、巧と豪が
主人公。
「ひたむきさ、一途さ、孤独
が 痛いほど感じられる。若い気 持
ちが清 新 で、読 み進 めるうちには
まってしまいます」
(濵本先生)。
た活動をしています。また、生徒会執行部を中心に地域のボラン
ティア活動にも参加しています。今年度も、昨年度に引き続いて地
域の河川清掃に参加する予定です。
Hiroshim a
あ さ きた
広島市立安佐北
中学校・高等学校
はま もと たか し
濵本貴司
先生
中高一貫校である本校は、文化祭では高校生による模擬店や
ライブステージなどがあり、地域の方々も多く来校してくださいま
す。中学校では、生徒や保護者に物品を提供してもらってバザー
赤十字の世界性に興味を示す生徒たち
本校はJRC加盟2年目で、生徒や保護者への浸透度はまだ十
分とは言えないのですが、赤十字の世界性に興味を持つ生徒も次
第に出てくるなど、頼もしい変化が訪れています。また、本校は来
年度から広島県で初の中等教育学校へ移行します。これを機会
にJRCの活動をさらに深めていければと思っています。
赤 十字の理 念は人 類の普 遍的な願いに基づいた活動です。
“当たり前の素晴らしさ”を多くの生徒たちに知ってほしいと思い
ます。
を開催し、収益金は赤十字を通じて海外支援金として送るといっ
21
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青少年赤十字(JRC)とは
子どもたちの「気づき」をきっかけに
世界に広がる青少年赤十字
第一次世界大戦の時、カナダ、アメリカ、オーストラリア、イタリアの
赤十字の精神に基づき、世界の平和と人類の福祉に貢献できる人
学校の生徒と先生は、戦場の兵士やその家族、傷病者など、戦争で苦
間に成長してほしいという願いから、赤十字社連盟(現 国際赤十字・
しむヨーロッパの人々をなぐさめ励ますため、手紙やプレゼントなどを
赤新月社連盟)は1922年に青少年赤十字をつくることを決めました。
赤十字を通じて届けました。
日本の青少年赤十字は、1922年に滋賀県の守山尋常高等小学校
これがきっかけとなり、青少年赤十字が誕生しました。
はじまり
OperationVista Reunion
(現 守山市立守山小学校)に誕生した「少年赤十字」から数えて90年
以上の長い歴史をもっています。
実践目標
気づき
身近な問題を発見する
青少 年 赤 十字 の
奉仕
人間として社会のため、人のために
考え
態度目標
事実と必要性(ニーズ)を確認する
つくす責任を自覚し、実行する
国際理解・親善
実行する
広く世界の青少年を知り、なかよく
評価と反省は必ず次回へ活かす。
大切にしていること
青少 年 赤 十字 の
健康・安全
いのちと健康を大切にする
助け合う精神を養う
日 にかけて、
28
50
1 万 3,194 校
赤十字を教材に、
「生きる力」を育てる
青少年赤十字の活動は、
子どもたちの思考力・判断力・表現力を養う
とともに、
コミュニケーション能力や言語活動の充実を期待できます。
赤十字には、人間のいのちと健康、尊厳を守るために世界中で活動
する中で得た経 験やネットワークなどがあります。赤十字そのものを
メンバー数
303 万 2,526 人
「教材」として、存分にご活用ください。
平成25年3月現在
JRC経 験者は、非経 験者よりも周囲や社会に目を向ける傾向が強くなっています。
Q
2013.9.1 No.162
青少年赤十字指導情報
編集後記
全国の青少年赤十字指導者の皆様のご要望をうけ、
青少年赤十字を巡る最新の動向
を広くお伝えするため、
『青少年赤十字指導情報』
は2年ぶりに復刊しました。
あの震災から2年半がたった今、
特集
「東日本大震災後の防災・減災教育」
から、
私たち
23
COVER-2 : Miyazaki
宮崎県延岡市
学 校 法人 純心学園 東幼稚園
ひ な
藤田博 先 生 、内田陽菜さん
「たとえ大変な時があっても、真剣に向き合って乗
が実行すべきこととは何かを考える具体的なヒントを見出していただければ幸いです。
り越えるからこそ、人は成長し感動できるんです」
また、初めて青少年赤十字に出会う方でもふと手に取りたくなる誌面を目指して、デザ
と業務主任の藤田博先生はいいます。先生方に温
イン・レイアウトなどを前号から全面的にリニューアルしました。ページをめくる度に飛
かく見守られながら、内田陽菜さんたち東幼稚園
び出す全国のメンバーの笑顔とともに、
今後のご指導にお役立てください。
の園児のみなさんは、澄み渡った延岡の青空の下
刊行にご協力いただいた全ての方々へ、
この場を借りて心よりお礼申し上げます。
で今日も元気いっぱいに園庭をかけ回ります。
ボランティア活動に積極的に参加している
Q
寄付や募金に積極的に協力している
Q
青 少 年 赤 十 字 の 導 入・活 用 の メ リ ッ ト
25
日 から
周
50
年 8月
‘12
加盟校数
年ぶりの再会
‘62
年 記 念 同 窓 会 ﹂が 行 わ れ ま し た 。
は 年にアメリカ
“Operation Vista”
か 国から112名の
42
赤十字社が主催した国際交流プログ
ラムです 。世界
に 集 ま り 、約 一 か 月 か け て 各 地 に ホ ー
50
青少年赤十字のメンバーがアメリカ
34
ム ス テ イ し ま し た 。今 回 の 同 窓 会 に
は、 名が参加。日本からは、 年前に
も欠けることなく出席し、旧交を温め
プログラムに参加した4名がひとり
ました。
50
ホワイトハウス、NASAのゴダー
訪れた場所を再び見学。ニューヨーク
ドスペースセンターなど、 年前にも
では国連本部ビルにも足を運びまし
た。現在の国連事務総長である潘基文
時の経験が外交官を志すきっかけに
の 参 加 者 。当
氏 も “Operation Vista”
な っ た そ う で す 。﹁ こ れ ま で 何 千 も の
スピーチをしてきたけれど、今日のよ
あまり言葉が出ない﹂と挨拶されたの
うな気持ちで話すのは初めて。感激の
年前、
涙して別れたオランダのメ
が印象的でした。
﹁
き合って喜びました﹂
と、
参加者の生駒
ンバーと再会し、懐かしさのあまり抱
さん。
青少年赤十字の友情は、
これから
も絶えることなく続いていきます。
50
1962
﹁ “Operation Vista”
プログラム
2012
災害に対する備えをしている
38.6%
9.9%
44.6%
14.2%
46.3%
19.4%
JRC経験者
JRC非経験者
JRC経験者
JRC非経験者
JRC経験者
JRC非経験者
調査 結果の詳細は次のアドレスをご参照ください。http://w w w.jrc.or.jp/youth/l3/l4/Vcms4_00002552.html
加盟登録のことや、各種教材の貸出、講師の派遣などに関する詳しい情報をご希望の場合は、
次のアドレスから最寄りの日本赤十字社各都道府県支部にお問い合わせください。
http://www.jrc.or.jp/youth/join/index.html
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