CHAPTER6

Awareness
意識
1972_2011
昭和47年ー平成23年
エクセレントな経営を持続する上で、利潤の捻出は恒常的に満
たさなければならない不可欠の要件だ。無論、大きな利益は大き
愛グループ40年の軌跡
変化する社会情勢と業界情勢、お客様のニーズ。
27社に及ぶM&AやTRUST。
な売上から求め易く、小さな売上からは求め難い。
多くの変化の中でも変わることのない信念があった。
大きな売上を求めるには、営業エリアや施行施設の拡大が余
自ら超えるべきハードルを高く掲げ
おびただ
儀なくされる。だが、これには夥 しい難 題がつきまとう。エリア
や施行施設の拡大には、厖大な資本投下が必要となり、これに
地道に正直に、まっすぐに歩んだ40年の挑戦。
けい きょく
伴って人財確保をはじめ、販売促進の充実など多くの荊 棘 が立
し
わざ
ちはだかるからだ。ソフトやハードの充実も所詮人の為 業 、何に
も増して人間力の 確 保が最 優先の課 題だ。何故なら組 織は人
間によって運営されており、人間力次第であらゆる優劣が決まる
からだ。
あい
ま
拡大と充実は両々相俟って理想的な発展が目指せるが、ひとた
び均衡を崩すと事態はたちまち悪変する。不評を買った施行は波
及力が甚大であり、経営に暗い影を落とし、やがて破綻へとつな
がる。無理な資本投下をしたり、売上が超加速的に伸びたり、組
織が急激に拡大したりした企業が崩壊した例は、ダイエーや原ヘ
ルス工業(旧バブルスター)などごまんとある。
愛グループも決して例外ではない。創業十五年以降、設備投資
額を五年単位で刻んで見ると、それぞれ五年間の期間設備投資
額は、その以前の累計設備投資額とほぼ同額になっている。まさ
Ai GROUP
40th Anniversary
SUMMARY OF
AI GROUPʼS
HISTORY
しく、押し切って倍々ゲームを展開したことになる。大略この二十
年間で、創業十五年分の十六倍の施設拡大を展開したことにな
る。この超絶した拡大規模に対して、果たして人間力やソフトの
充実が均衡を保ってきたか? 無論否!だ。
この実情は諸君もよく知るところだ。いわんや、愛グループは
人財の確保やソフトの充実が途方もなく遅れており、極めて危険
はら
を孕んだ経営が進行していることになる。
こぞ
今こそ、幹部をはじめ全スタッフが挙 って一意専心、軽挙妄動
なクレーム施行を慎み、この難題解決に向けて連携し、一刻も早
じ きょう
く充実が拡大に追い付かなければならない。また私自身「自彊、
や
息 まず」、この試 練と正 対し、任務 遂行がもっとも重大事と心
得、死力を尽くす積もりだ。
以上を一言でまとめると、私をはじめとする幹部及びスタッフ
のレベルアップこそが目下の急務だ。
第
3章
[代表訓話]
悩める拡 大と充 実の 難 題
(平成十八年九月度)
神田 忠
Chapter.03
総合経営史 1972_1979
Ai GROUP
Summary of
Ai Groupʼs
History
昭和47年6月に設立された
下関市冠婚葬祭互助会と
第一期生(前列中央が神田代表)
愛グループの道のり
1972―2011
第 3 章
山口県下関市で誕生し、やがて全国屈指の
冠婚葬祭プロデュース企業へと
成長を果たした愛グループ。
創業より40年、互助会組織への理解を深め、
時代が求める冠婚葬祭を示しながら
会員数を伸ばしていった。
創業からの40年をクローズアップする。
山口県冠婚葬祭互助会ビル
山口県冠婚葬祭互助会の名称を引き継ぎ
加入口数1万口を超える
当時、下関市内には「㈱山口県冠婚葬祭互助会」を
含む4つの互助会が活動していたが、神田代表の活躍
ウエディングプラザ 下関平安閣
ぶりを知っていた山口県冠婚葬祭互助会から合併の
話が持ち込まれた。神田代表はこれを好機ととらえて
年の軌跡
40
了承した。
しかし、当時人口27万人ほどの地方都市で、互助会
1972 ー
昭和47年
神田忠28歳、愛グループ足跡の第一歩
「㈱下関市冠婚葬祭互助会」
を設立
昭和40年代の高度経済成長期。時の首相田中角
栄が「日本列島改造論」を発表し、日本には活気がみ
の利便性はまだ消費者に理解されていなかった。山口
県冠婚葬祭互助会の名称を引き継いだとはいえ、ゼロ
からのスタートに変わりはなく、戸別訪問で互助会の
趣旨を説明した。地道な努力が少しずつ実り、10月に
は加入口数が1万口を突破。あまりの増加に事務処理
が追いつかず、この機会が同業他社に先駆けてのコン
昭和54年
「日本セレモニー」
に社名変更
鳩のシンボルマークを制定
下関平安閣」が、10月にオープンした。構想から完成ま
マとした番組を放送した。番組は良質だったが、
「社名
で3年、愛グループ初の一大プロジェクトであった。
に○○県や△△市と冠するのは、地方公共団体が運営
オープニングセレモニーには、安倍晋太郎代議士
しているような誤解を与え、まぎらわしい」との意見が
をはじめとする来賓約500名が参加し、大盛況となっ
寄せられた。また、冠婚葬祭互助会という名称も古く
た。ベビーブーム世代の結婚が減少する中、関門海峡
さく、時代にそぐわなくなっていた。
を望む白い結婚式場は人気を独占し、九州や山陰地
そこで、昭和54年1月、山口県冠婚葬祭互助会は、
区からも挙式の申込みが殺到した。
イメージアップと社員の意識向上をはかるため「日本セ
下関平安閣のオープンは、近隣の同業者に衝撃と
レモニー」に改称。併せて、結婚式と葬儀をイメージし
危機感を与え、ブライダル業界の競争に拍車をかけ
た白い鳩と蒼い鳩を図案化し、シンボルマークを制定
た。下関平安閣は、女優や作家など時の人を招いたイ
した。また、会員向けの情報誌を「ふれあい」と改め、
直営結婚式場「高砂会館」
オープンへ
ベントを開催、また関門の夜景を取り入れた「ナイトウ
社内報も「Comrades to Aim at Triumph(勝利を
エディング」の提案等で対抗し、地域ナンバーワンの
目指す仲間たち)」の頭文字をとって「CAT」とした。
昭和40年代後半は生活が少しずつ豊かになり、婚
座を揺るぎないものにしていった。
になっていった。
神田忠、28歳。自らの理想を具現化する新しい互助
会の設立を実現するため、独立を果たした。設備も資金
もないゼロからの出発だったが、神田代表は夢に共感
する人々とともに意気揚々と未来を見つめていた。
昭和47年6月14日、山口県下関市において㈱下関
した。
愛グループ最初の大プロジェクト
「ウエディングプラザ 下関平安閣」
1979 ー
NHKが昭和53年3月に、冠婚葬祭互助会をテー
り、互助会システムは多くの人々に受け入れられるよう
ビスセンター(会員への役務サービス/施行)を設立
昭和52年
山口県内初めての総合結婚式場「ウエディングプラザ
ピューター導入のきっかけとなった。
なぎっていた。折りからの好景気と法制面の整備によ
市冠婚葬祭互助会(会員事業部門)と㈱西日本サー
1977ー
高砂会館
宮崎六夜氏
礼 、葬儀を派手にする傾向が 強まってきた。新しい
ニーズに対応するため、互助会も総合的に儀式を扱う
新ロゴマーク
企業へと変容しようとしていた。
そんな折、神田代表の経営センスを見抜いた結婚式
場高砂会館のオーナー、宮崎六夜氏より経営委託の
相談が寄せられた。渡りに船の申し出に神田代表は
真摯に応え、翌年の昭和48年3月、新生高砂会館を
オープンさせた。高砂会館はオープン以降、断トツの
人気を誇り、下関ナンバーワンの式場となった。
神田代表28歳 創業時の写真
80 40th Anniversary
昭和47年6月に設立された下関市冠婚葬祭互助会と
第一期生(前列中央が神田代表)
下関平安閣オープン広告
「CAT」
昭和54年6月号
「ふれあい」
昭和53年12月号
40th Anniversary 81
総合経営史 1980_1987
Ai GROUP
Summary of
Ai Groupʼs
History
愛グループ本社
第 3 章
大阪進出壮行会
当時の大阪本部
㈱セレモニー通商(現トレーダー愛 山陽本線側より臨む)
2F リフレッシュルーム
1984 ー
1987ー
2F 大会議室
年の軌跡
40
1980 ー
昭和55年
昭和57年
昭和59年
エネルギー充電期から充実期へ
創立10周年の合理化策
創業から7年後、日本セレモニーは山口県全 域の
創立10周年を記念して、6月に山口本社と大阪本社
昭和52年12月に制定された標準約款は、時代の推
創 立15周年を記 念して、各地の結 婚 式 場で謝恩
で式典が開催された。引き続いて、社員大運動会が両
移とともに消費者や社会情勢とそぐわないものになっ
パーティが行われた。厳しい情勢の中、社内の式典
地区で行われ、11月と12月には香港、
マニラへ社員旅
ていた。通商産業省(現在の経済産業省)が行政指導
は簡素に済ませたが、取引先など社外の方々に対して
行も実施された。
に乗り出し、業界もそれに応えて、昭和58年2月に標
は、感謝の気持ちを伝えるとともに一層の協力関係を
10周年記念式典で神田代表はこう語った。
「これまで
準約款を一部改訂、さらに昭和59年2月には、消費者
お願いしたい、という意味で開催された。
の10年は日本一を目指すエネルギー充電期、これからの
保護を目的とした標準約款の改定によって解約の完全
新たな試みとして、山口本社内に情報センターが設
10年は充実期としなければならない」。この頃、ベビー
自由化が実現した。
置され、3月から情報収集に向けて動き始めた。日本
ブーム世代の結婚ラッシュが一段落して婚姻数が減少、
こうした経営環境の中、合理化策を実施し、徹底し
セレモニーグループの会員情報などを生かし、マーケ
互助会業界も重大な岐路を迎えようとしていた。
たコストダウンと自社製造および流通業務の展開に力
ティング戦略の一環として、さらに新しい情報経路を
節目となったこの年、多くの施設が完成した。7月
を入れた。そして、昭和59年2月には㈱セレモニー通
開拓する機能を果たすことになった。
には山口合同社屋と徳山合同社屋が営業を開始。
商を設立。㈲まる忠(昭和50年設立)の日本セレモ
8月には合掌堂宇部店と「婚礼家具の愛 周南店」が
ニーグループにおける流通機能を引き継ぐ形だった。
オープン。9月には、愛グルーブ第3の総合結婚式場
グループに供給するすべての品物を一括仕入れする
「宇部平安閣」が華々しくオープンした。今後ますま
こととなり、スケールメリットを活かした交渉も可能に
す大きくなる組織に対応するため、流通センターの建
なった。セレモニー通商の設立は、企業体質の強化に
設用地3,000坪を購入したのも同年である。
つながった。
また、業界日本一を目指して営業効率の向上、営業
下関市宇津井(現:王喜本町)に建設した大規模な
体質の強化、経費節約の推進を不可欠とした合理化
流通センターは、業界で大きな注目を集めた。6月には
策が進められた。山口地区、大阪地区などで支店の統
山口本社ビルが完成して本社機能を移転、大阪流通
廃合が行われ、1億円節約運動と題した積極的な業務
センターも開設した。10月には大阪初の総合結婚式場
一を目指す神田代表は人口158万人という山口県の市
場規模に限界を感じ、西日本一の大都市大阪に目を向
けた。当時の大阪は、大阪冠婚葬祭互助会や、玉姫殿
を展開する互助センター(現ベルコ)、京都互助セン
ター(現セレマ)などの業界大手が君臨しており、新規
参入は難しいといわれていた。
大阪進出にあたっては綿密な市場調査を行い、昭和
55年1月に第一陣が出発。3月には高槻市に大阪本部
を開設し、本格的な会員募集活動を開始した。併せて
JR高槻駅南口に「結婚センター華裳苑」をオープン
した。
大阪では日本セレモニーの
知名度はなかったが、社員一
同の奮闘はめざましく、1年た
たないうちに加入口数は1万
口を突破した。昭和56年1月
には、摂津市に「おおさか典
礼1号店」をオープン。その後
も支店の開 設が 続き、大 阪
進出からわずか1年余りで8
支店を数えた。
大阪本部
の見直しと大幅な体制の立て直しが図られた。大阪で
は3月に高槻市の東レ労働会館を買収し、改装の後、
大阪本社ビルとして業務を開始した。
二度にわたる標準約款の改訂
「㈱セレモニー通商」の設立
昭和62年
山口県全域のネットワークが完成し
さらに大阪エリアへと進出
ネットワークを完成させた。しかし、冠婚葬祭業界日本
82 40th Anniversary
1982 ー
「ウエディングパレス愛 香里園」がオープンした。
創立15周年記念謝恩パーティ開催
山口本社内に情報センターを設置
結婚式場の新しいイメージ戦略
「ウエディングパレス愛 周南」改装工事
2月にスタートしたパレス愛のTVCMは、主役が犬
たちという斬新さが話題となった。動物人気ブームを
反映した温かみのある映像は、従来の結婚式場のイ
メージを打ち破り、知名度の向上につながった。
昭和55年に「周南平安閣」として誕生した「ウエ
ディングパレス愛 周南」の改装工事が、この年着手さ
れた。女性の意見を多く取り入れ、インテリアコーディ
ネーターやカラーコーディネーターを活用。内装の全
面工事と教会の新設を行い、翌年には山口県で初めて
チャペルのある結婚式場がオープンすることになった。
40th Anniversary 83
総合経営史 1990_1992
Ai GROUP
Summary of
Ai Groupʼs
History
第 3 章
故安倍晋太郎氏県民葬 設営の様子
トレーダー愛本社事務所
年の軌跡
40
199 0 ー
平成2 年
西日本セレモニーグループと企業合同
新生「日本セレモニーグループ」誕生
平成2年2月、北九州を基盤とする西日本セレモ
ニーグループから営業権譲渡の申し出があり、受諾す
る。西日本セレモニーグループは、昭和43年に九州冠
婚葬祭互助会として設立した。総合結婚式場「八幡
平安閣」を有し、地域ナンバーワンの地位を確立しな
がらも、経営の合理化に行き詰まっていた。西日本セ
レモニーグループとの企業合同は、新しい日本セレモ
ニーグループを誕生させ、後の飛躍の大きな原動力と
なった。
1991ー
平成3年
「やまぐち典礼」で行われた
安倍晋太郎氏の県民葬 1992 ー
平成4 年
グループ名を「愛グループ」に改称し
創立20周年を祝した大イベント
平成3年6月17日「やまぐち典礼」にて、外務大臣
創立 2 0周年を迎えた日本セレモニーグループで
や自民党の幹事長を務めた安倍晋太郎氏の山口県民
は、社内外に向けたイメージ改革や組織改革のために
葬がおごそかに執り行われた。参列者6,500名を超え
CI(Corporate Identity)の検討が行われた。
「日本
る大県民葬の施行は「やまぐち典礼」の威信をかけた
セレモニーグループ」の名称を「愛グループ」へと改称
一大プロジェクトであった。下関地区の社員は祭壇作
し、ハートをイメージしたシンボルマークを新たに定め
りから会場設営まで総力を挙げて取り組んだ。
た。このCIの導入により、それまで単独で広告宣伝
県民葬には、政界をはじめとする各界のリーダー
活動を行ってきたグループ各企業が一体化。総合的な
や、多くの著名人が全国各地から訪れた。
生活文化サービス業「愛グループ」の位置づけが確立
これを見事に施行したことにより、日本セレモニー
した。
の名はもちろん、葬祭サービスの質の高さもアピール
この年は社外向けの周年事業のPRとして「20周年
することとなった。
ハローウエディング」などのイベントやパーティが企画
された。また社員向けのイベントとしては4泊6日の
ハワイ旅行が企画され、社員とその家族が参加。この
ハワイ旅行は、年商160億円、従業員数2,000人を越
える組織となった「愛グループ」の規模を再確認し、
一体感や相互のコミュニケーションを深める機会と
なった。
愛グループロゴマーク
[コンセプト]
人と人のふたつの輪が
だんだん近づいて
ひとつのハートになった、
やわらかで、美しく、
あたたかいカタチ。
ハートの左右の大きさの
違いは、人生のドラマの
中での感動と感銘の
ティアドロップをも
象徴している。
愛グループに変更の告知広告
流通部門の業務が多様化し
「㈱トレーダー愛」
が誕生
結婚式場や典礼会館の建築が相次ぎ、グループ規
模が拡大するにつれて、流通部門全般の見直しが必要
とされた。
流通部門の業務は多様化し、製造、仕入れ、配送な
どの業務はもとより、消費者のニーズに応える新商品
開発や新規市場開拓、備品・美術品の購入まで、総合
商社的な役割を担っていた。そのため「セレモニー通
商」を「トレーダー愛」に改称し、事業拡大のための
体制強化を行うとともに、今後増加が予想される海
外取引にも対応できる組織へと変革した。
西日本セレモニーグループ・日本セレモニーグループ企業合同式典
84 40th Anniversary
安倍晋太郎氏県民葬
40th Anniversary 85
総合経営史 1994_1997
Ai GROUP
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Ai Groupʼs
History
福岡ドーム(現:福岡 Yahoo!JAPAN ドーム)で行われた記念祭
として大運動会を実施
第 3 章
チャペル
バンケットホール「ローザ」
1F ロビー
バンケットホール「ヴィオラ」
ザ・グランドホテルパレス愛外観
25周年イベントの華となった美女(?)たち
創立25周年記念式典
年の軌跡
40
1994 ー
1995 ー
平成6年
大阪流通センターの開設で
流通機能が飛躍的に向上
平成 7年
「ザ・グランドホテルパレス愛」
初のホテル&結婚式場が誕生
1997ー
平成9 年
日本一へ新たな挑戦の起点
創立25周年記念式典
創立25周年の記念事業の柱として、コンピューター
システムの全面的な再構築が行われた。愛グループ
では、昭和52年10月に、業界としてはいち早くコン
4月、摂津市から寝屋川市に「大阪流通センター」
6月、山口県防府市の防府グランドホテルの買収話
2月、愛グループは創立25周年を迎えた。この頃の
を新築移転。生花・ラボ・印刷・クリーニングの各セン
が持ち上がった。かつて市内随一の格式と評判のホテ
日本経済は、平成3年のバブル崩壊から長く続く低迷
ターのほか、倉庫機能をも有した一大流通センターの
ルだったが、建物・設備の老朽化が進んでおり、自力
の中にいた。金融機関はバブル期の融資が不良債権
完成により、大阪地区の流通機能は飛躍的に向上し
での再建は不可能という状況での買収要請だった。
となり、体力の弱い金融機関が破綻。銀行はつぶれな
た。この充実した機能が、大阪地区の発展に大きく貢
神田代表は立地、市場、競合などを綿密に調査した
い、という銀行神話も崩壊した。このような社会状況
システムの再構築は、わずか15カ月で行われた。
献していく。
上で買収を決断。新築といってよいほどの大規模な改
にありながら、バブル期にも地道に本業に邁進してき
・会員管理システム(会員加入事務・会員管理・集金管理)
修工事を行い、南欧リゾート風の本館と独立型チャペ
た愛グループの基盤は揺らぐことがなかった。
・流通システム(受注・仕入・発送管理)
ルをもつ高級ホテルに生まれ変わった。名称を「ザ・グ
愛グループは、25周年記念式典を日本一へ向けて
・ブライダルシステム(婚礼予約・受注・精算業務・式場運営支援)
ランドホテルパレス愛」と改め、愛グループ最初のホ
の新たな挑戦の起点と位置付け、過去に類をみない
・フューネラルシステム(葬儀受注・精算業務・典礼会館運営支援)
テル、7番目の結婚式場として、9月にオープン。愛グ
大イベントを挙行した。社員のみならず、対外的にもア
・販売管理システム(販売各社)
ループは総合サービス産業へと変貌を遂げてゆくこと
ピールするため、協力業者や来賓の方々を招き、福岡
・経営統計システム(日報、月報など各種経営統計)
になる。
のシーホークホテルで記念式典、隣接する福岡ドーム
・社内情報システム(電子メール、電子掲示板、共用データベース)
で記念祭を行った。
このイベントは、社員に大きな自信を植え付けるとと
折尾支店
新システム
〈AiBIS〉
を導入
業務効率を大幅に改善
もに、招いた方々との絆を深める機会となり、内外に
小倉支店
愛グループの大きなエネルギーを印象付けた。
式典で神田代表は、新年度の事業計画と長期の展
ピューターシステムを導入していたものの、拡大する業
務と変化する環境への対応が難しく、新システムの導
入が望まれていた。
AiBIS(Aigroup Business Information System)と
名付けられた新システムの概要は全業務にわたり、併
せて山口・福岡・大阪・京都の各拠点に120台のパソ
コンを設置し、業務効率の大幅な改善を実現した。
望を力強く示した。創立25周年記念式典は、愛グルー
プ第二草創期へのターニングポイントとなった。
新大阪支店
86 40th Anniversary
高槻支店
京橋支店
福岡ドーム
40th Anniversary 87
総合経営史 1998_2001
1998 ー
平成10 年
㈱札幌冠婚葬祭互助会の再建と改革
「㈱あいプラン」
が誕生
1999 ー
平成 11年
「㈱下関互助センター」
より
8,400人の会員譲渡の申し出を受諾
20 0 0 ー
平成12 年
平成13年
互助会部門と施行部門を合併
日本セレモニー誕生で経営基盤を強化
トレーダー愛「上海事務所」を開設
グローバル化でコストダウン
神田代表は、愛グループを牽引する傍ら全日本冠婚葬
下関で、同業の老舗である下関互助センターより
岡山県のカルチャーグループを統合後、介護事業
企業の規模が拡大するにつれて、コストダウンは至上
祭互助協会
(全互協)
の役務保証機構運営委員長や全
会員譲渡の申し出があった。石井貸衣裳店を母体と
への新規参入や典礼会館の展開が続き、グループ全体
命題となってゆく。愛グループの流通部門を担うトレー
国冠婚葬祭互助会連盟
(全互連)
の理事などの要職にも
する下関互助センターは、好調時には年間200組の
の営業体制の強化が緊急の課題となっていた。互助
ダー愛は海外の市場に目を向けていた。平成9年から
あった。業界の指導者としても一目置かれていた神田代
結婚式を施行したが、同業他社との競合の激化で会
会部門と施行部門を別会社とするメリットも薄れつつ
は、オーストラリアの活ロブスターを輸入するなど、ス
表に、互助会保証㈱から、札幌冠婚葬祭互助会の再建を
員募集に行き詰まり、施設の老朽化などから披露宴
あったため、8月に互助会部門の㈱日本セレモニーと
ポット的に海外取引を行ってきた。しかし、コスト面での
要請された。平成9年3月のことだった。昭和38年創業の
が激減していた。長年のよきライバルとして旧知の間
施行部門の㈱セレモニー愛を合併し、新たに㈱日本セ
魅力はあっても品質はなかなか追いつかず、多数商品で
札幌冠婚葬祭互助会は、業績が最盛期の10分の1にま
柄だった神田代表に会員を譲りたいという下関互助
レモニーとしてスタートした。これにより、経理処理等
の本格的な取引には至っていなかった。
で落ち込み、破綻が懸念されていた。
センターからの申し出に、神田代表は感無量だった。
の管理部門業務のスリム化と迅速化が図られ、営業
しかし、平成12年4月に開催された国際的な見本市
第 3 章
神田代表はただちに相談役に就任し、平成10年5月か
心と心の絆を理念とする愛グループにとって、起業の
部門へのバックアップ体制がさらに強固になった。
「広州交易会」において、多彩な商品と想像以上の品
らは最高経営責任者
(CEO)
として本格的な経営指導に
地、下関の好敵手から譲渡された8,40 0人の会員の
長引く不況や、相次ぐ異業種からの参入など、生き残
質の高さに触れ、中国製品の導入を決断。翌年3月には
あたった。
3カ年計画を策定して改革を推進し、札幌冠婚
存在は、地域への責任とやりがいを感じさせる出来事
りを賭けた互助会業界の戦いも激化していた。「この
「上海事務所」を開設し、トレーダー愛のグローバル化
葬祭互助会は
「㈱あいプラン」
として生まれ変わり、
再建へ
であった。
競争社会を何としても生き抜こう」とする神田代表の
がスタートした。
の道を歩み始めた。
強い意志で、愛グループはチャレンジを続けていた。
年の軌跡
40
「暮らしの友の会」救済により
「愛グループ友の会」発足
中国セレモニーグループと企業合同
破綻の危機を乗り越えて地域NO.1に
生前契約への取り組み
ニーズに応えてNPO設立
時代とともに人々のニーズは大きく変化してゆくが、
札幌冠婚葬祭互助会の再建と前後して、北九州市
10月、広島の㈱中国セレモニーの破綻危機の知ら
葬儀に対する意識も例外ではない。この頃には、生前に
八幡東区の家具・寝具販売会社「はらだ産業」とその
せを受けた際も、神田代表はすぐさま関係者と協議を
葬儀の形式や内容を決めておきたいと希望する人も増え
子会社「暮らしの友の会」
(会員数2万60 0 0人・積
重ね、救済の道を探った。いったんは同じ広島県内の
た。愛グループでは、こうしたニーズに応えるためにNPO
立金3億4500万円)の救済にも乗り出した。
大手互助会である㈱ユーアイベルモニーへ譲渡する案
を設立し、典礼会館に相談窓口を設けた。生前契約は、
通 商 産業省から要 請を受けた神田代 表は、愛グ
でまとまりかけていたが、あまりの経営状況の悪さに
今後ますます関心が高まると予想され、愛グループにとっ
ループが受け皿となることを承諾。6月に「愛グルー
手を引かれてしまい、神田代表が自ら再建に乗り出す
ても新たな可能性を示唆するものであった。
プ友の会」を設立し、会員譲渡の契約を結んだ。
「㈱防長互助センター」
とトップ会談
ベルコの攻勢に協力して対峙
愛グループの大阪進出を機に、近畿地区を本拠地と
するベルコが、山口県の中小互助会に圧力をかけるよう
になっていた。そんな折、防府市で典礼会館の建設が具
体化。防府市には㈱防長互助センターがあり、同じ経
営者が山口県東部の岩国・柳井地区で㈱瀬戸内互助
会を経営。愛グループとはつねに競合していた。ベルコ
の圧力はこの2社にも及んでいた。
神田代表は、双方にとって最善の解決策を見出すた
め、トップ会談を申し入れる。腹を割った本音の会談が
長年のわだかまりを氷解させ、会員のメリットを最優先
する和解案の合意に至った。
1.愛グループが防長互助センターを継承する
2.瀬戸内互助会と日本セレモニーの営業地域を
分離する
平成10年8月、長年にわたって繰り返されてきた争い
に終止符が打たれ、瀬戸内互助会と協調してベルコの
攻勢に対峙することになった。
88 40th Anniversary
20 01ー
愛グループ、カルチャーグループ合同説明会
難航した再建事業
岡山県のカルチャーグループを統合
要請を受け、神田代表が 再建に力を尽くした例は
数あるが、もっとも難航したもののひとつが岡山県全
域を基盤とするカルチャーグループとの統合だった。
傘下には、ベルモニー㈱、㈱ベルモニー岡山、㈱カル
チャーホテル、㈱平安閣の4社があり、著しい業績低
下や施設の老朽化、売上水準の2倍を超す60億円も
こととなった。
プロジェクトチームが立案した再建のポイントは、
加入推進部の建て直しであった。組織の再編と合理化
により組織の充実を図り、同時に、
マリベール尾道、三
原の両結婚式場の外観・内装に至るまでのリニューア
ルを決断。また、フューネラル部門では、尾道、三原地
区に典礼会館の建設を決めた。企業合同の後は、愛グ
ループのノウハウを導入したことにより、社員のモラル
も向上し、件数・売上ともに改善された。破綻危機が
嘘だったかのように、地域ナンバーワンの地位を確固
たるものにしていった。
の借入金など、山積する問題に、さすがの神田代表も
社会的責任を果たす企業として
ISO9001を取得
消費者の保護を明確にした「消費者契約法」が4月
から施行され、互助会業界でも標準約款を見直し、改
訂が行われた。また、同じく4月に「情報公開法」も施
行され、経営破綻などの不測の事態から消費者を守る
ために、企業に対して情報開示が義務づけられた。こ
の「情報公開法」に対しても全互協が中心となって検
討し、会社概要をはじめ財務・資産内容、会員情報な
どをSAからCまでの7ランクに分類して開示すること
再建には消極的だった。
にした。
しかし、ひとたび協力を決意すると、グループ全社員
こうした消費者を守るための法令遵守は、企業が社会
に現状を包み隠さず説明し、協力を求めた上で、組織
の公器である以上、避けては通れない。愛グループも消
の建て直し、諸規程の見直し、施設改修計画、社員の
費者にとって有益な企業であり続けるために、コンプライ
意識改革へ向けて邁進した。借入金をめぐる金融機
アンス企業を目指していくことになった。
関との交渉は難航したが、不動産を愛グループへ売却
愛グループでは4月に、㈶日本品質保証機構(JQA)よ
し、返済に充てることで落着した。互助会部門では、
りISO9001の認証登録を取得した。消費者に対する品
新コースの発売とともに、破 綻の危機を招く要因と
質保証と品質管理体制が認められ、愛グループの提供す
なった多口利用を全面禁止とした。
るサービスが消費者ニーズに沿った最高水準であること
中国セレモニーグループとの合併を
伝える告知記事
が証明されたといえる。
40th Anniversary 89
総合経営史 2002_2004
Ai GROUP
Summary of
Ai Groupʼs
History
NOTRE DAME CATHEDRAL
IN KITAKYUSHU, JAPAN
NOTRE DAME CATHEDRAL
IN KITAKYUSHU, JAPAN
WORLD WIDE FELLOWSHIP
世界の5大教会と愛グループの
「ワールドワイドフェローシップ 」記念パネル
ホーリートリニティ教会(ニューヨーク)
t2SUSプレートビーズブラスト仕上+シルク印刷
NOTRE DAME CATHEDRAL
IN KITAKYUSHU, JAPAN
NOTRE DAME CATHEDRAL
IN KITAKYUSHU, JAPAN
第 3 章
セントパトリック大聖堂(ニューヨーク)
t2SUSプレートビーズブラスト仕上+シルク印刷
創立30周年記念式典の様子
セント・ポールズパーク プリムローズ(岡山市)
セントメアリーアボッツ教会(ロンドン)
t2SUSプレートビーズブラスト仕上+シルク印刷
NOTRE DAME CATHEDRAL
IN KITAKYUSHU, JAPAN
セントポール大聖堂(ロンドン)
t2SUSプレートビーズブラスト仕上+シルク印刷
ウエストミンスター寺院(ロンドン)
t2SUSプレートビーズブラスト仕上+シルク印刷
年の軌跡
40
20 02 ー
平成14 年
大阪の地域密着型葬儀社
「㈱敬裕社」との企業合同
平成14年1月、M&Aの仲介業者を通じて「㈱敬裕
社」との企業提携の案が浮上した。敬裕社は、大阪市
東淀川区内を商圏とする葬儀社で、病院や自治会など
との結びつきが強い地域密着型の企業であった。同
地区でのシェア40%という数字がそのことを端的に表
している。本件の発端は経営者に健康面の不安があ
り、年齢的にも引退を考えたことだった。
愛グループの目指す地域密着型経営に加えて、典礼
会館の空白地帯であった大阪市中心部への進出を考
えると、この提案は十分に検討価値があった。半年後
の平成14年7月27日、愛グループと敬裕社は契約締
結の運びとなった。
愛グループの傘下に入った敬裕社は、既存店舗の
「小松ホール」
「菅原ホール」に続いて「西淀川典礼会
日本一に向けた通過点
創立30周年の大きな節目
創立25周年から30周年までは、愛グループにとっ
て波瀾万丈の特筆すべき5年間だった。平成不況の冷
たい風が吹く中にあっても、ひたすら本業に邁進して
経営基盤の強化に努め、京都、大阪、岡山、広島、山
口、福岡と営業エリアを拡大。結婚式場14カ所、典礼
会館36カ所、前受金564億円、総売上325億円の規
模を誇る、名実ともに大企業として認知されるように
なった。
30周年記念式典は、神戸ポートピアホテルで行われ
た。式典に次いで山本寛斎氏による記念講演、懇親
会、地域別演芸大会など多彩な催し物がパワフルに繰
り広げられた。
「セント・ポールズパーク プリムローズ」
岡山市でグランドオープン
館」
(平成16年7月オープン)、
「鶴見典礼会館」
(平
3月、岡山市に誕生した「セント・ポールズパーク プ
成18年1月オープン)と新店舗を展開し、さらなる地域
リムローズ」は、ブライダル事業30年目の集大成であ
密着を深めながらエリア拡大を図った。
り、新たな事業展開における先駆的な存在となった。
大聖堂を中心に広がるヨーロッパの街並みをモチー
20 03 ー
平成15年
大聖堂ウエディングブームの中で
「オンリーワン」
を貫く
愛グループ創立30周年の集大成となる「セント・
ポールズパーク プリムローズ(岡山市平野)」の建設
時期と前後して、ウエディングスタイルに新しいブーム
が訪れた。大聖堂での挙式を希望するカップルが増
え、ハウスウエディングを可能とするゲストハウスを組
み合わせた施設が多く作られた。
お客様に感動を与えるためには「オンリーワン」であ
ること。本格的な外観を実現しただけでなく、ステンド
グラスやアルター(祭壇)も1700年代からの歴史をも
つ英国のジョン・ハードマン社に依頼した。聖人像、パ
イプオルガンなど調度品もヨーロッパから直輸入し、
牧師も宗教法人が認めた者だけを起用。すべてが本
20 04 ー
平成16年
フランス料理の「鉄人」
フィリップ・バットン氏を起用
愛グループでは、結婚式で饗する料理をブライダル
特別料理と呼び、高級食材をふんだんに使った最高の
料理を提供している。結婚式に集う、年齢性別の様々
なお客様にとって想い出深い最高の日とするために
は、食材選びにも妥協を許さない。
フランス料理の「鉄人」と呼ばれるフィリップ・バット
ン氏に、レストラン「クラブ ヴィアージュ」の監修を依
頼したのをきっかけに、料理部門全般のスーパーバイ
ザーとして起用した。すべての結婚式場で提供可能な
ブライダル特別料理「バットンスペシャルコース」を展
開した。
物であることに徹し、決して手を抜かない姿勢と熱意
が理解され、ロンドンのセントポール大聖堂、セントメ
アリーアボッツ教会、ウエストミンスター寺院、そして
ニューヨークのホーリートリニティ教会、セントパトリッ
ク大聖堂の5教会と「ワールドワイドフェローシップ」
を結ぶに至った。 フに、大聖堂前のセントラルコート、中世ヨーロッパの
邸宅を再現した3つのゲストハウス、街角にたたずむ
パン工房、フラワーアトリエなど趣のある施設がゆった
フィリップ・バットン氏
コース料理イメージ
りと配置された。
90 40th Anniversary
40th Anniversary 91
総合経営史 2005_2007
FIVESTAR WEDDINGロゴ
フラワーユニット「HEART」
神田代表とベルギーのアントワープ・
ノートルダム大聖堂のポール司祭
假屋崎省吾氏
第 3 章
創立35周年記念式典の様子
年の軌跡
40
シャングリラ(下関)
20 05 ー
平成17年
「1et1」誕生と「假屋崎省吾氏」の起用
デザートや生花にますますの充実を図る
20 0 6 ー
平成18年
20 07ー
平成19 年
フラワーユニット「HEART」と
コラボレーションを開始
忠塾(まことじゅく)が100回記念講演
多彩な切り口のマネジメント講座
4月、従来のベーカリーセンターをペストリーセン
ロンドンを中心に活躍するフラワーコーディネー
ターに改め、各施設にパティシエを置いて作り立ての
ター山上樹一氏と、デザイナーの育成やウエディング
平成10年8月に管理者養成、後継者育成を目的とし
デザートを提供する体制を整えた。9月には「1et1(ア
プロデュースなどを幅広く手がけるフラワーデザイナー
ン・エ・アン)」というペストリーのオリジナルブランド
森田加代子氏。ウエディングフラワー業界で注目を集
を創出すると同時に、パティシエがお客様の目の前で
める二人のフラワーユニット「HEART」と専属契約を
デザート作りを披露する実演ブッフェという新しいスタ
締結。挙式ごとの個性を大切にした、ウエディングフラ
イルも確立した。
ワーのトータルアレンジを目指した。
生花についても「セント・ポールズパーク プリム
ローズ」以降に新設、改修された施設すべてにフラ
ワーアトリエを設 置。テレビでも活躍中の華道 家、
「假屋崎省吾氏」をプロデューサーとして起用し、各
式場の空間プロデュースを依頼するとともに、アトリエ
スタッフのプレゼンテーション能力向上を目指した講
習会を開催した。
「アンジェリカ ノートルダム」
(堺)
有料老人ホーム「シャングリラ」誕生
2月、ヨーロッパの美しいベネルクス3国をモデル
にした「アンジェリカ ノートルダム」が、約5,000坪の
広大な敷地にオープン。本物であることにこだわり、
調度品に至るまで海外から直輸入を行った。厳かで格
式高い空気をたたえた教会は、ノートルダム大聖堂か
らシスターチャーチとして名称の使用を許された。
また、少子高齢化が進む中、愛グループとして介護事
業への取り組みが始まった。8月、地上の楽園という意
味を持つ「シャングリラ(下関)」が誕生。デイサービス
施設と住宅型有料老人ホームを備え、従来の集団型リ
ハビリサービスではなく、利用者が好きなときに楽しみ
「1et1」イメージ
92 40th Anniversary
サンファミリー本社
ながらできる個別リハビリプログラムを豊富に設定した。
てスタートした「神田塾」は、平成11年9月に「忠塾」
と改称され、1月12日に100回の節目を迎えた。神田
代表自らがじかに向き合って語りかける毎回のテーマ
は、ビジネスにおけるマネジメントについて多彩な切り
口で展開される。
愛グループの社内報CATでも忠塾が巻頭に掲載さ
れるなど、広く講義内容が伝えられた。
35周年の節目を迎え
再び「創業元年」を宣言
一 般的に企業の寿 命は3 0年といわれるが、愛グ
ループは35周年の節目を堂々と迎えた。2月5日、神戸
ポートピアホテルで華々しく記念式典が行われた。
神田代表は、年史「愛グループ35年のあゆみ」の誌
面で35周年の喜びを伝えるとともに、さらに厳しさを
増す経営環境を指摘している。少子高齢化によるブ
ライダル需要の減少、フューネラルの競争激化が予測
ウエディングの新コンセプト
「FIVESTAR WEDDING」誕生
ウエディングに求められる5項目、SPACE(空間)
ENVIRONMENT(環境)、DESIGN(デザイン)、
CER EM ONY(セレモニー)、HOSPITA LIT Y(お
もてなし)において最 上 級を目指 す「F I V E S TA R
WEDDING」のコンセプトが誕生した。
「そのすべてに上質な、研ぎ澄まされた五ツ星ウエ
ディングをお約束します」と、五ツ星ウエディングの明
確な指針を掲げ、愛グループはブライダル事業の躍進
に向けて新たなスタートを切った。
サンファミリー本社を盛岡に移転
大阪で典礼会館がオープンラッシュ
㈱サンファミリーは、山口県下関市から岩手県盛岡市に
本社を移転し、㈱岩手新生活互助会より会員を引き受け
た。また、これを機に東北地区での店舗展開が始まった。
愛グループが東北地区に躍進する一方で、大阪地区
では典礼会館が相次いでオープンした。2月に新大阪
典礼会館、4月に大東典礼会館と枚方東典礼会館、11
月には堺北典礼会館がオープンし、激戦区で愛グルー
プの地盤を築いた。 されることに触れ、
「我々の精神を再び創業時代に戻
し、ここに創業元年を宣言し、第36事業年度の幕開け
としたい」と、新たな決意を伝えた。
40th Anniversary 93
総合経営史 2008_2009
20 09 ー
Ai GROUP
Summary of
Ai Groupʼs
History
平成 2 1年
年間成績優秀者を表彰
代表による招待旅行を実施
4月14日、15日の2日間、年間成績優秀者が参加し
て代表による招待旅行が開催された。行き先は世界
遺産「宮島」、そして愛グループが誇るブライダル施設
「ノートルダム広島」を見学した。美味しい食事とお
酒、夜は大盛り上がりのカラオケ大会。愛グループの
一員同士、楽しい時間を充分に満喫する旅となった。
第 3 章
ノートルダム広島
CLUB VIAGE 〜 BAR&DINING 〜
瀬戸内海を一望できる高台に
「ノートルダム広島」誕生
年の軌跡
40
20 08 ー
平成2 0 年
「CLUB VIAGE」
( 盛岡)
オープン
全面改装でスタイリッシュな空間に
岩 手 県 盛 岡 市 にあるレストランウエディングの
VIA L AT TE Aが、9月にリニューアルオープンした。
店 内を 全 面 的 に改 装し、名前も「C L U B V I A G E
〜BAR&DINING〜」と新しくなった。
テーマは「美しくロマンチック・シックモダンな空間
水泳界の発展に寄与した
木原光知子さんを送る会を開催
青い空と瀬戸内海、そして広島の街並みが一望でき
年間成績優秀者を集めての神田代表による招待旅行
泳選手として活躍した木原さんは、引退後は水泳の普
及に尽くし、
マスコミでも活躍。11月に東京の築地本願
寺での本葬(合同葬)を終え、地元岡山でのお別れ会
開催となった。お別れ会当日は政財界や関連企業、故
人と縁深い方たち約1,500名が参列した。
へ」。今までの爽やかなイメージから一転して、大人っ
岩手県内13カ所に典礼会館
地域密着型の家族的な雰囲気
平成20年7月にオープンしたサンファミリー初の総
合葬祭式場「盛岡北典礼会館」に続き、岩手県最大
級の3階建ての葬祭会館として盛岡典礼会館がオー
プン。岩手県内にはさらに盛岡南典礼会館・盛岡西典
ぽいスタイリッシュな空間に生まれ変わった。
礼会館・三ツ割典礼会館・矢巾典礼会館・北上典礼会
館・花巻典礼会館・水沢典礼会館・宮古典礼会館・宮
「ノートルダムマリノア」
( 福岡)
オープン
地下鉄天神駅ジャックを敢行
た。8,000坪の広大な敷地には、天に向かって伸びる
白亜の大聖堂と、3つのVilla(披露宴会場)があり、
12月3日、岡山シンフォニーホールにおいて木原光
知子さんを送る会が行われた。東京オリンピックで水
る緑の高台に、1月「ノートルダム広島」がオープンし
古典礼会館別館・釜石典礼会館・一関典礼会館を含
圧倒的スケールのウエディングステージをプロデュース
した。
ベルギー・アントワープの「ノートルダム大寺院」よ
り祝福のメッセージを受けた大聖堂は、天井の高さが
20m、大理石のバージンロードは25m。ステンドグラ
スや祭壇、調度品にはヨーロッパの職人の技が光る。
3つのVillaは、モダンでスタイリッシュ。全室にコン
サバトリー(サンルーム)があり、お客様がゆったりく
つろげる環境にこだわった。眺望も抜群で、夜のパー
ティではロマンティックな夜景を見ることができる。 め13カ所の典礼会館をオープンし、地域に密着した展
開が好評だ。
福岡市のウォーターフロント、マリノアシティ福岡
に、11月「ノートルダムマリノア」がオープンした。
FIVESTAR WEDDINGのコンセプトのもと、5,000
坪の広大な敷地に既成の枠を超えた新しいウエディン
グ空間が誕生した。
The Villa 1st
The Villa 2nd
The Villa 3rd
オープンテラス
オープ ン に 先 立 ち 、福 岡 市 営 地 下 鉄・天 神 駅
にて大々的な広告 宣 伝を行った 。深 遠なブル ーの
ポスター、大 型ビジョンで 注目を集 め、駅 一 面を
FIVESTAR WEDDINGで彩り尽くした。
ノートルダムマリノア
盛岡典礼会館
94 40th Anniversary
40th Anniversary 95
総合経営史
2010 ー
平成2 2 年
那珂川典礼会館のオープンイベント
4,277人の来場
「ノートルダム盛岡」
グランドオープン
「ノートルダム周南」
オープンイベントに
CanCamモデルがゲスト参加
スイートルーム販売室数 西日本第1位
「THE SCREEN」
スイートルームを有する宿泊施設60 0施設のなか
で、販売室数が堂々の1位となった「THE SCREEN」
5月、
「ノートルダム盛岡」がオープン。約2,200坪
1月9日、10日の両日に福岡県那珂川町に那珂川
に広がる空間は、北上川や岩手山がある盛岡の美し
典礼会館がオープンし、オープンフェアが開催された。
い風景に調和するようにデザインされた。
2日間の来場者は4,277人、新規加入口数は578口。
大聖堂は、銀河や月をイメージしたスタイリッシュ
地域の期待に応え、きめ細かな対応で満足いただける
な雰囲気。スケールの大きさも魅力で、地上30mの
典礼会館を育んでいきたいとスタッフ全員で誓った。
高さにある天窓からは、月明かりのように澄んだ光が
(京都市)。ゲストは新婚旅行、結婚記念日、誕生日
などアニバーサリー利用が多く、世界中のセレブリティ
からも支持されている。今回の受賞は、スタッフの献身
的なサービスがもたらした結果といえる。
THE SCREENは、13室のゲストルームすべてを異
なるクリエイターがデザインした、日本初のセレクタブ
降り注ぎ、挙式には10 0名以上が 列席できる。3つ
FIVESTARブランドサイト
オープン後はアクセス数が増加
第 3 章
FIVESTARブランドが全施設に浸透・統一化された
ことを機に、ブランドサイトを一新した。お客様に夢を
提供できるようなサイトにするために、宝石箱を題材と
して選び、その中でいろいろな展開を見せるビジュアル
年の軌跡
40
重視のサイトに仕上げた。
また、ブランドサイトと各式場ホームページとの間
に相互リンクを貼ることで、検索がスムーズになった。
1月のサイト開設以降、アクセス数は顕著に増えた。
お客様が使いやすいように何度も手直しを加えてきた
ルホテル。ファッションデザイナーや日本画家、プラン
の個性的なパーティ会場が用意され、
「FIVESTAR
ナーなどが、多彩なコンセプトで個性的な空間をプロ
WEDDING」のコンセプトのもと、最高かつ究極のウ
エディングに新たな一歩を踏み出した。
9月には、ヴェルジェ周南がリニューアルし、
「ノート
ルダム周南」としてオープン。白を基調とし、水をコン
セプトに生まれ変わった。
オープンイベントにはCanCamモデルの舞川あいく
さんと安座間美優さんが登場し、新しい会場(モデル
2010
コンセプト[THE SCREEN]
目指すのはデザインという「おもてなし」。
THE SCREENは、なぜ京都に存在するのか。
それは、ホテルが本来もつ、おもてなしの心。
その心を最も理解し、最も大切にしている場所が京都だからである。
同時に、この御所南の地から文化を発信することにこだわりを持ち、
長年の時を経て受け継がれる伝統と、新たに生み出されるクリエイティブ。
その両方が「文化」であり、私たちは、THE SCREENという存在を通じて、
お越しいただいたお客様には、知的好奇心をくすぐられるような、
エモーショナルで、官能的な時間を過ごしていただきたいと考えている。
デュースしている。またウエディングでは、1日1組限定
のきめ細やかなサービスを提供している。
小さなホテルならではの心のこもったおもてなしや、
京野菜をふんだんに使った人気の本格フレンチなど、
充実したサービスが高い評価を受け、ミシュランガイド
のホテル部門に3年連続で掲載され、スリーレッドパ
ビリオンを獲得している。
ノ)でウエディングドレス姿を披露した。トークショー、
ファッションショー、大聖堂での模擬挙式、デザート
ブッフェなど2日間を通して数 多くのイベントが行わ
れ、お客様で賑わった。 が、今後もよりよいサイトにするために、さらに進化を
続けていく。
レストラン[THE SCREEN]
比叡山延暦寺の襖絵を描いた日本画家の中村哲叡が
プロデュースしたレストラン。
桜、朝顔、紅葉、椿など、日本の四季をあしらった天井画を眺めながら、
KYOTO STYLEのフレンチが堪能できる。
ラウンジ[THE SCREEN]
ノートルダム周南 オープンイベント
開放的な空間に設置されているのは、
京都の老舗和傘屋で特注した
和紙のペンダントライト。
NEWS WEEK、
T
IME、
GQ, ELLE DECOの他、
Air Franceの機内誌でも特集を組まれた、
チェックインラウンジ。
客室[THE SCREEN]
建築家、照明デザイナー、アパレルデザイナー、
着物デザイナー等、国内外のクリエイターの才能が
集結したゲストルーム。オープン来、スーパーモデル、
フットボーラー、ハリウッド俳優、ミュージシャン、
小説家の方々など、世界中のセレブリティから
利用されている。
ノートルダム周南(正面噴水)
96 40th Anniversary
ノートルダム盛岡(大聖堂)
バンケット[THE SCREEN]
少人数を対象にきめ細かなサービスを
提供するウエディング。
一日一組限定だからこそできる
CLASSYなSTYLEを目指している。
40th Anniversary 97
総合経営史
2011
桂由美氏とコラボレーション
オリジナルドレスをブランド化
日本のブライダルファッション界の第一人者、桂由美
氏とのコラボレーションが決定した。桂由美ブランドの
ドレスは優雅で品格があり、360度どこから見ても美
しいデザイン。ニューヨークポスト誌では「甘すぎない
程よいロマンチシズム」と評される。
FIVESTARの名にふさわしい洗練されたウエディン
グドレスが、新婦様をより優雅に装う。
桂由美氏とのコラボレーションを皮切りに、2012年
からトレーダー愛ではドレスなど5つの分野で、ブラン
ディング化を目指す。
第 3 章
プロジェクト「ノートルダム神戸」開始
社会のニーズに「人間力」で応える
釜石市東日本大震災犠牲者合同慰霊祭
40年の集大成として、神戸港を臨む約12,500平方
メートルの敷地に「ノートルダム神戸」を建設。ブライ
年の軌跡
40
ダル施設の激戦地・神戸に進出する大きなチャレンジ
2011ー
「FIVESTAR WEDDING by YUMI KATSURA」のドレス
を決めた。2012年(平成24年)秋の開業に向けて、
平成2 3年
東日本大震災の復興に尽力
典礼会館が合同慰霊祭の設営を務める
3月11日の東日本大震災では、岩手県内の各施設が
被害を受けた。特に沿岸に位置する「宮古典礼会館」
と「釜石典礼会館」の損害が大きかった。一時は再開
の目途がつかない状態だったが、グループ一丸となって
復興に向けて協力し、設備を修復して再開に至った。
6月26日に宮古市の市民総合体育館シーアリーナ
で行われた宮古市合同慰霊祭、9月23日に釜石市民
体育館で行われた釜石市合同慰霊祭では、祭壇作り
を始めとするすべての会場設営・運営を典礼会館が
務めた。命の尊さと葬祭業の役目の重さを改めて痛感
し、東北の復興に向けて地域と共に歩む愛グループの
あり、二次審査を経て5名のファイナリストが選考さ
れ、グランプリには九州大学の松元愛さん(20)が選
ばれた。松元さんはFIVESTAR WEDDINGの専属モ
総力を尽くした最先端のハードとソフトを投入し、ま
た、お客様に感動いただくホスピタリティを提供する
準備を着々と進めている。
デルとして、広告などで活躍する。 社会環境の変化によって市場のニーズは様々に移
ブライダルホームページリニューアル
ショートムービーを公開配信
力」。愛グループが手がける事業は、すべて顧客の人
平成22年に開設したFIVESTARブランドサイトをリ
ニューアル。また、各式場ホームページもコンテンツの
充実など、随時リニューアルを図り、アクセス数が一気
り変わってゆくが、そんな中で求められるのが「人間
生において重要な意味を持っている。葬儀・婚礼・介
護を担うプロとして、人が求めるサービスをいち早く
40周年記念バッジ
40周年記念ワッペン
キャッチし、形にして提供し続けなければならない。
そのために最も大切なのは「人財」と「人間力」。40
年間変わることがない、愛グループの根幹である。
に伸びた。
映画「世界の中心で、愛をさけぶ」の行定勲監督が、
FIVESTAR WEDDINGオリジナルムービー「恋のしく
み」を撮り下ろし、WEBで公開。運命の恋のショート
ムービーを第1章から第3章まで制作し、5月、8月、
新たな使命を誓った。
11月に配信した。公開した月には際立ってホームペー
FACo × FIVESTAR WEDDING
シンデレラガールコンテスト
2章公開以降は、安定してアクセス数が伸び、1年前
ジのアクセス数が伸び、大きな反響があった。特に第
の同時期と比べると約5倍のアクセス数が記録され
た。
3月2 0日、FI V ESTA R W ED D I N Gと日本三大
ファッションショーのFACo(福岡アジアコレクショ
ン)のコラボレーション企画を開催。FIVESTARのオ
リジナルウエディングドレスでファッションショーに参
加し、イベントのひとつとしてシンデレラガールコンテ
ストが行われた。
シンデレラガールコンテストには約500名の応募が
FIVESTAR ブランドサイトリニューアル
98 40th Anniversary
ノートルダム神戸(完成予想図)
40th Anniversary 99
Ai GROUP
Trust の 歴史
Summary of
Ai Groupʼs
History
企業合同
1972―2011
山口県下関市で創業し、全国各地に事業を展開する
冠婚葬祭業界のリーディングカンパニーとなった愛グループ。
その成長を大きく支えたのが、27社との企業合同やM&Aだ。
同じ理念のもと仲間として共に歩み、共に挑戦し、
発展と飛躍の歴史を築いてきた。
第 3 章
1972
2002
〈平成14年〉
第31事業年度
7月/㈱敬裕社との企業合同調印
敬裕社
2002〈 平成14〉年7月
㈱敬裕社
㈱敬愛社
2004
〈平成16年〉
第33事業年度
3月/㈱サンファミリーとの企業合同調印
サンファミリー
㈱サンファミリー
2004〈 平成16〉年3月
敬裕社との調印
〈昭和47年〉
第1事業年度
7月/山口県冠婚葬祭互助会を吸収合併、
商号を山口県冠婚葬祭互助会に改称
2007
山口県 冠 婚 葬 祭 互 助 会
1972〈 昭和47〉年7月
年の軌跡
40
山口県冠婚葬祭互助会
㈲平安閣 1990
5月/㈱サンファミリーが㈱岩手新生活互助会より
会員引受け
11月/㈱青山との企業合同調印
青山
〈平成2年〉
第19事業年度
4月/西日本セレモニーグループとの
企業合同調印
2007〈 平成19〉年11月
㈱西日本レイソウ
㈲西日本流通システム
㈱福岡民間救急サービス
〈平成10年〉
第27事業年度
2010
1月/㈱防長互助センター 企業合同調印
5月/㈲愛グループ友の会 はらだ産業 友の会会員引受け
防長互助センター
1998〈 平成10〉年1月 ㈱防長互助センター
ベイサイド295
〈平成11年〉
第28事業年度
3月/㈱日本セレモニーが㈱下関互助センターより会員引受け
4月/カルチャーグループとの企業合同調印
下 関 互 助センター
1999〈 平成11〉年3月 ㈱下関互助センター
愛グループ、カルチャーグループ合同説明会
2000
ベルモニー( 岡 山 )
1999〈 平成11〉年4月 ㈱ベルモニー岡山
ベルモニー㈱
㈱カルチャーホテル
㈱平安閣
2011
〈平成23年〉
第40事業年度
2月/珍田グループとの企業合同調印
5月/㈱へいあん秋田との企業合同調印
12月/㈱報恩との企業合同調印
珍田
2011〈 平成23〉年2月 珍田ホールディングス㈱
報恩
〈平成12年〉
第29事業年度
2012〈 平成24〉年1月
中 国セレモニー
㈱中国セレモニー
㈱平安閣
㈱中国流通
2000〈 平成12〉年11月
100 40th Anniversary
2010〈 平成22〉年5月 ㈱ベイサイド295
㈱珍田造花本店
11月/中国セレモニーグループとの企業合同調印
〈平成22年〉
第39事業年度
5月/㈱ベイサイド295の買収
12月/㈱日本セレモニーがベルモニー㈱より会員引受け
暮らしの友の会
1998〈 平成10〉年5月 ㈱暮らしの友の会
1999
岩手新生活互助会
㈱岩手新生活互助会
2007〈 平成19〉年5月
USINESS [ 企 業 合 同 ]
COMBINATION
西日本セレモニー
1998
㈱青山
岩手日報
岩手日報
1990〈 平成2〉年4月 ㈱西日本セレモニー
西日本セレモニーグループ・日本セレモニーグループ企業合同式典
〈平成19年〉
第36事業年度
へいあん秋田
2011〈 平成23〉年5月 ㈱へいあん秋田
㈱報恩
㈱花暦
へいあん秋田との業務提携記者会見
40th Anniversary 101