第1 8号 熊本電波高専図書館だより ∼くぬぎの森∼ 2 00 6. 1 2. 1 第 18 号 2006年12月1日 熊本電波工業高等専門学校 図 書 館 (黄スミレ) 目 次 〈随 想〉 読書の必要性について…………………………………………………図書館長 村 上 純…2 本を読むこと……………………………………………………情報通信工学科 古 賀 広 昭…5 図書の紹介『浄土』……………………………………………………一般科目 永 野 拓 也…6 毎日ソウゾウしてますか?………………………………電子制御工学科5年 若 山 翔 太…7 私と図書館………………………………………………………情報工学科5年 碇 山 徹…7 ブックハンティングを終えて…………………………………情報工学科4年 堀 竜 慈…8 ブックハンティングに参加して…………………………電子制御工学科3年 平 井 裕 太…8 〈平成1 8年度第28回校内読書感想文コンクール・ 第1回校内作文コンクール選考結果及び作品紹介〉 ……………………………9 〈平成1 8年度第52回青少年読書感想文全国コンクール熊本県審査受賞者〉………………24 〈図書館からのお知らせ〉 新着図書案内………………………………………………………………………………………………25 平成18年度図書館運営委員・学生図書委員紹介………………………………………………………29 図書館利用案内・図書館利用状況………………………………………………………………………30 お知らせ……………………………………………………………………………………………………33 編集後記……………………………………………………………………………………………………34 ―1― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 随 想 一方、パソコンの近年の性能向上について調べて 『読書の必要性について』 みると、マイクロプロセッサの動作周波数、メモリ の記憶容量、ハードディスクの記憶容量、いずれも 図 書 館 長 指数関数的に増加しています。マイクロプロセッサ 村 上 純 について言えば、10年で約1 0倍、20年で約1 00倍の 日本国内だけでも、年間約1千万台が出荷されて スピードになっています。図1は姫路工業大学産業 いるように、パソコンが普及し、私たちの生活はと 機械工学科(現在は兵庫県立大学工学部機械システ ても便利になっています。他の動物と違い、人間が このような社会を作り上げることができたのは、脳 ム工学科)で導入したパソコンの性能をグラフにし _ たものです〔http://www.m system.co.jp/mstoday/ の進化による、記憶容量の増大と、その処理能力の plan/serial/2006datalogger/02/index.html〕。 向上にあると私は考えています。猿人とも呼ばれる 人間の脳の記憶容量はパソコンのメモリで言えば 約600万年∼150万年前のアウストラロピテクスの脳 10テラバイト程度、情報処理能力については、超高 容量が約450ミリリットルであったのに対し、現代 速の演算処理能力を有するコンピュータでも人間の 人は1300∼1400ミリリットルと約3倍になっています 脳にはほど遠いと言われています。インターネット 〔http://jp.encarta.msn.com/encyclopedia_761566394 上には膨大な量の情報があり、個人でハードディス _1/content.html〕。ただし、約20万年前の旧人と呼 クの中に、1テラバイトの情報でも保存することが ばれるネアンデルタール人の段階からはそれほど増 可能です。しかし、私たちに与えられた時間は限ら 加していません。ネアンデルタール人と私たちとの れていますので、そのような量の情報を全て処理す 脳の違いは、容量の差ではなく、構造的に、前頭葉 ることは不可能だと思われます。 が発達していることに見られます。前頭葉のうちで アルゼンチンの作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスが も、前頭前野という所が感情・思考・意欲など脳の 1940年に書いた小説に出てくる、恐るべき記憶の人 指令塔の働きをしていて、この部分の違いが、人間 フネスを紹介しましょう〔Jorge Luis Borges(鼓直 と類人猿とを決定的に分けています〔瀬戸口烈司: 訳) : 「記憶の人、フネス」(『伝奇集』所収)、岩波文 人間の脳は“高速進化”の産物か、『最新脳科学』 庫、1993年〕。 所収、学習研究社、1997年〕。 フネスは、あらゆるもの、たとえば葉っぱの一枚 一枚、ブドウの一粒一粒を、すべて区別して記憶し 1000000 CPU(MHz) ます。 「犬」という記号が、大きさや形の異なる多 Memory(kB) くの個体を包括的に表すということは理解できず、 100000 性能 10000 HDD(MB) 「3時1 4分の(横から眺めた)犬」と「3時1 5分の (前から眺めた)犬」に異なる名前をつけ、記憶す 1000 るのです。彼は、「世界が始まって以来、あらゆる 100 人間が持ったものをはるかに超える記憶」を持って 10 いて、「あらゆる森の、あらゆる木の、あらゆる葉 を記憶しているばかりか、それを知覚したか想像し 1 1975 1980 1985 1990 1995 2000 2005 た場合のひとつひとつを記憶」しているのです。 西暦 パソコンの進歩 「過去の日々のすべてを7万ほどの記憶に要約 図1 パソコン性能の進歩 して、あとで数字によって固定しようと決心し ( 参 考:兵 庫 県 立 大 学 工 学 部 機 械 シ ス テ ム 工 学 科 ホ ー ム ペ ー ジ http://www.mech.eng.himeji-iech.ac.jp/sanki/jyohou/rekisi.html) た。ふたつの考えがそれを思いとどまらせた。 ―2― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 この作業は終わるときがないという考えと、そ 自分の時間を割いて、他人の日常生活を見るのに費 れは無益であるという考えである。死の時を迎 やすとは、おかしな話です。とは言え、ライヴの映 えても、幼年時代のすべての記憶さえ分類が終 像は、何が起きるか分からない面白さがあり、つい わっていないだろうと考えたのだった。」 私も見入ってしまいました。もし、日常生活をしな 「2度か3度、まる一日を再現してみせたこと がら自分の生活を撮影している人が、さらに他人の もある。一度もためらったことはないが、再現 生活の公開映像を見て時間を費やしているとすると、 はそのつどまる一日を要した。」 ややこしいことになり、エッシャー的な画面になり 「彼には大して思考の能力はなかったように思 そうですね。マン教授の開発した HMD(アイ・ う。考えるということは、さまざまな相違を忘 タップとも呼ばれる)の右側のレンズは小さなスク れること、一般化すること、抽象化することで リーンの機能も持っていて、教授は左目では通常の ある。フネスのいわばすし詰めの世界には、お 実世界の映像を見ながら、右目ではウェブの閲覧等 よそ直截的な細部しか存在しなかった。」 の作業を行うことができます。左側にこの機能を持 記憶の人フネスは小説の中の人物でしたが、現実 たせたのは、やはり右脳と左脳の働きを考えてのこ に面白いことを考える人がいるものです。アメリカ とでしょうか? いずれにせよ、片方の目で、ア のマイクロソフト社が進めている「MyLifeBits(マ イ・タップを通して他人の生活画像を、別の目では イライフビッツ)」というプロジェクトは、個人に 自分の生活を普通に見るような生活も考えられるこ 関わるあらゆる出来事をデジタル化して保存し、い とになります(興味があればですが・・・)。 つでも再生して見る事が出来るようなデータベース みんなが、自分の見るもの、聞くものをデジタル を作る試みです 〔http://reseach.microsoft.com/barc/ 化して記録・保存すれば、そこには巨大なデータ mediapresence/MyLifeBits.aspx〕。このプロジェク ベースができあがります。ある日の、ある地点での トが開始されてから5年が経過していますが、実験 出来事が、いつでも再生できるようになります。こ 台 に な っ て い る、計 算 機 設 計 者 と し て 有 名 な れを、バーチャルなタイムマシンと表現している人 Gordon Bell 氏は、読んだ本や記事、撮った写真や もいます。 ビ デ オ、閲 覧 し た Web ペ ー ジ、送 受 信 し た 電 子 先に取り上げた小説と同じく、アルゼンチンで メール、買い物した商品の領収書、電話の会話など 1940年に出版されたアドルフォ・ビオイ・カサーレ 記録できるものは全てデジタル形式で記録し保存し ス の 小 説『モ レ ル の 発 明』の 世 界〔Adolfo Bioy ています。ベル氏は脳に記憶した全記憶をデータ Casares(清水 徹、牛島信明訳) : 『モレルの発明』、 ベース化して、自由に引き出せるシステムを開発し 書肆風の薔薇、1990年〕も、とうとう現実のものに て、ブログで利用しようとしているとのことですが、 なりそうです。小説中の人物モレルは、自分と愛す ボルヘスの小説のように、将来、ベル氏の人生を再 る女性フォスティーヌの生の姿を永遠のものとする 生しようと試みる人は、何十年もの時間を費やすこ ために、生活のすべてを寸分もらさずフィルムに収 とになるでしょう。 め、それを映し出す装置を発明します。ただし、そ ウェアラブル・コンピュータの発明者として知ら の装置で照射・撮影されると動植物は細胞が破壊さ れるトロント大学の Steve Mann 教授は、ミニカメ れて死んでしまいます。しかし、モレルは死と引き ラを装着した HMD(頭部装着型ディスプレイ)を 換えに、永遠を望んで、無人島でフォスティーヌと 使って、自分の見た風景をリアルタイムで Web 上 自分の生活の撮影を行ったのです。そしてたまたま、 に公開しています〔http://wearcam.org/〕 。MIT の その無人島にたどり着いた主人公は、自動的に映し 学生だった1 994年頃に、自分の生活の2 4時間を撮 出されるその映像を見て、映像とは気づかずフォス 影・公開したところ、このサイトは1日3万ヒット ティーヌを好きになってしまいます。そのしくみに を記録したそうです。「自分の生活も忘れて、私の ようやく気づいた主人公は、自分も彼女との永遠性 生活を見たがる人たちがたくさんいるとわかった」 を獲得したいと希望し、映像のフォスティーヌと仲 とマン教授は話しています〔http://hotwired.goo.ne.jp/ 良く振舞うように演出した様子を撮影するという内 news/technology/story/20020314301.html〕。貴重な 容です。 ―3― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 この小説はボルヘスに捧げられたもので、15年ほ インターネットや IT の普及が人間の脳へ及ぼす ど前に読んで、斬新なアイディアと奇抜な発想に強 影響はほとんど分かっていない。ネット検索に過剰 烈な印象を受けました。この「くぬぎの森」にも第 に依存するようになると、脳の短期的記憶をつかさ 6号に紹介文を書いています。IT の普及・発展によ どる部分でいちいち覚えておく必要がなくなって、 り現実に、モレルや主人公のような永遠性の獲得が 無意識にこの部分を使わなくなる。しかも、この部 可能となる日が近いと思われます。ただし、記録を 分は、学習や経験で蓄積された長期記憶を引き出す 再生する場合の問題は残るでしょうが・・・。 際にも重要な機能を持っていることが分かってきた。 膨大な記録は、当然取捨選択しなければなりませ 使われないと機能は低下するので、ものが覚えられ ん。そのために、人間の優れた脳が活用されること ない健忘症になる可能性や、過去の記憶も思い出せ になります。ところが、IT の普及は人間の脳に困っ ない認知症に近くなることさえ考えられる。パソコ た影響を与えているようなのです。先のフネスにつ ンでは、キーボードをたたくとオンとオフの操作が いて考えてみると、彼は超人的な記憶力を持ってい ほとんどであるが、この単純な作業だけを繰り返す ますが、「記号」により多くの異なった個体を包括 のも危険である。筆ペンで文字を書く時は、筆圧や 的に表すことが理解できないとされています。この 字全体のバランスを考えながら、つまり脳で感じな ことは、今、とても象徴的なことに思えるのです。 がら書いており、パソコンのキーをたたくのとは、 先日(平成19年1月9日)の毎日新聞に、困った影 明らかに脳の働きが違う。従って、幼い頃からオ 響に関する記事が3つも載っていましたので、要約 ン・オフだけを続けると脳の働きがかなり変わる懸 して挙げてみましょう。 念があるので、人間の脳をどう変えていくか、ある ①川村隆太(東北大学加齢医学研究所教授):「政 いは変えていかないのか、アセスメントが急務であ 治に思う トップランナーからの提言 モラルを担 る。 う前頭前野を鍛えよ」 これらの記事で問題となっている脳の部分はいず 脳のうちでも前頭前野がモラルをつかさどる部分 れも前頭前野です。人間の脳の情報処理能力が思わ で、他者の痛みもここで感じ取られる。IT 化で便利 しくない方向に進みつつあるのは、パソコンの記憶 になって、情報を処理する際に脳をあまり使わなく 容量が増えても、CPU の性能が上がらないようなも て済むようになり、漢字が書けなくなってきた。活 のなので、困った状況です。図書館を大いに利用し 字に軸足を置いた生活をすることが前頭前野を鍛え て、本を読み、感想文・作文を書いて、前頭前野を る一番のコツであるから、国の指導者は当然、有権 鍛えましょう。前頭前野は、「本を読もう」、「感想 者も衆愚政治にならないためにも、テレビや IT メ 文・作文を書こう」、「前頭前野を鍛えよう」といっ ディアに溺れないようにすべきである。 た意欲や、ボルヘスやカサーレスが半世紀以上も前 ②「ネット君臨 第1部 失われていくもの にこれを駆使して優れた小説を書いたような想像 検索−コピー−ペースト 奪われた『考える力』」 力・創造力も司る人間らしさの根源だと思うのです。 1日8時間もインターネット検索で最新情報を調 なお、川村隆太教授は前頭前野のトレーニングに関 べる仕事をしている人は、考えるより先にインター するソフトや本で有名です。興味のある人は調べて ネットを利用するようになってしまう。その結果、 みて下さい。 次第に物忘れがひどくなり、病院に通う人が増えて いる。東京都内のある病院では、20代∼40代を中心 に年間200人を超える人が通院しているが、このよ うな症状の人は、MRI 検査でも異常が見つからない。 この病院の院長は、画像に流れている情報を見るだ けでは頭の中を素通りすると指摘しており、患者に は、手書きの日記をつけることを勧めている。 ③小泉英明(日立製作所フェロー):「ネット依存 長期記憶に影響」 ―4― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 りた『怪人二十面相』の本は江戸川乱歩が書いた内 『本を読むこと』 容と全く同じだったのだろうか。なぜなら、貸本屋 の『怪人二十面相』の本はどうみても、文字の大き 情報通信工学科 さや挿し絵などから子供向けの内容だからである。 古 賀 広 昭 なぜだか分からないが、 『怪人二十面相』のよう 中学校に上がった頃、学校の図書室には、やさし な本は自分の金で買ってはいけないように思え、貸 い女の司書の人がいて、その人に読みたい本の話を し本で借りて読むのがちょうど良いように思えた。 すると、次々と本棚から取り出し「この本を読んだ 今でも、西村京太郎とか、内田康夫とかの本を買う らいいんじゃあないの」と言って私に差し出した。 のはいけないことのように感じるのは、あの貸本屋 読み終えると、また図書室にでかけ、引き換えに別 のイメージがあるからなのだろうか。 の本を借りていった。いつの間にか私は図書室にあ その後、江戸川乱歩がエドガー・アラン・ポーと る本を全部読んでみようと、その頃決心した記憶が いう外国の作家名をもじって名付けたのだというの ある。実際には全部読めるわけがないが、図書室は を知り、ポーの『モルグ街の殺人事件』も読んで それほど大きくなかったせいもあって、かなりの本 いった。シャーロックホームズの本、アガサクリス を読んだと思う。いつも図書室に出入りして、その ティとか X の悲劇とか推理小説という分野にのめ 司書の人と話すことも楽しかった。 り込んでいったのは、江戸川乱歩の『怪人二十面 中学2年になった4月の最初の朝礼で校庭に並ん 相』を読んだのがきっかけなのだろう。 だ。いつもやさしく声を掛けてくれていた司書の人 私が中学2年生のときのことである。同じクラス が前列の隅に立っていた。校長のあいさつの後、そ に堀川洋子という女子生徒がいた。彼女は堀川病院 の司書の人が壇上に上がってきた。あのやさしい顔 という地方では有名な病院の娘である。堀川洋子は が緊張して何かつぶやいていた。そのとき私は、そ 小学5、6年生のときにも同じクラスであったから の司書の人がどこかに転勤になって去って行くこと 良く知っている生徒であるが、おとなしい生徒で がわかった。 あった。住所が同じ校区にあったため同じ中学校に その後、図書室に新しく来た人は事務的に本の貸 入ったが、2年生のクラス替えのときに再び同じク し借りだけをして、本の話やどんな本が良いかなど ラスになった。 の紹介をしなかったので、次第に足が遠のいていっ 彼女が休み時間に本を読みながら、涙を一杯にた て、いつの間にか図書室に行かなくなった。 めて泣いていたので、私がその理由を聞くと、「こ ちょうど同じ頃、近所に貸本屋がぽつりぽつりと の本は泣かずにはいられない」と答えた。「本くら できるようになった。貸本屋は路地の小さな家の片 いで泣くはずがない」と反発すると、「じゃあ読ん 隅に作ってあり、その入口に「貸し本」という粗末 でみて」と言う。彼女が読んでいたのは、武者小路 な看板がかけてあった。そして、きしむような引き 実篤の『愛と死』であった。私は、そのときに初め 戸をガラガラと開けると、6畳か8畳くらいの狭い て大人の本に触れたと思う。大人の本は漢字にルビ 空間の壁に本棚があり、そこに本が並べてあった。 もなく、挿絵もない、ちょっと取っ付きにくく思っ そして、部屋の中央部に裸電球が1つぶらさがって ていた。家に帰って文学全集の中から武者小路実篤 いて、夜は少し薄暗く、陰湿な感じがした。4、5 を抜き出して、その作品を読んだ。少し涙が流れた。 人も入ると満員になる狭さであったが、そこには面 学校に来ると、「どうだった」と彼女に聞かれた。 白そうな本がたくさんあった。貸本屋の本は図書室 「あんな本で泣いたりするものか」と私は答えたが、 の本とは違って、少し品が悪いが、わくわくするよ なかなかいい作品であった、と話すと彼女は喜んだ。 うな本が並んでいたように感じる。そこからは『怪 そのときに読んだ『友情』という作品などについて 人二十面相』のシリーズを借りて夢中になって読ん も話をしたように思う。それからよく本のことを話 だ。アルセーヌルパンの本や『少年探偵団』という すようになったが、彼女と仲良しの女子生徒が私を 本もあったように思う。そのときに知った江戸川乱 へんな目つきで睨むようになり、私はそれ以来、堀 歩の本はそれ以後読んだことはないが、貸本屋で借 川洋子と話すことはなくなった。 ―5― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 高校に入り国語の時間が初めてあった。先生は椅 2 00 6. 1 2. 1 『図書の紹介「浄土」』 子に座って、文学の話を始めた。三好達治という作 家についてえんえんと話していた。熱のこもった話 一般科目 は中学校時代と違って、文学という世界を覗き見る 永 野 拓 也 ようであり、その話を面白く聞いた。国語の教科書 の中に志賀直哉と三木清の随筆の一部が載っていて、 図書館だよりに引き続き、授業に関係ある内容や、 先生はその話をした。その話が面白かったので、家 専門に偏った内容の本ではなく、私が何かただなら に帰って志賀直哉と三木清の作品の本を買ってきて ない印象を受けた本、という規準で紹介します。2 読んだ。おそらく、作者の本まで買って読んだのは 冊目は町田康氏の『浄土』です。 私だけであろう。 講談社刊行の単行本、短編集で そして定期試験があった。志賀直哉と三木清の作 す。 品の本を読んだことと試験とは全く関係がなかった。 文章は、軽くまた口達者な、よ 例えば、試験範囲の中から漢字の書き取りなどが出 い加減のテンポで書かれています。 されていた。本ばかり読んでいた私は全くそれがで 部分的には自然に笑えるくらい きず、点数は悪かった。国語の点数を取ることと、 サービスもよい文章です。著者は 文学に親しむことは全く関係がないし、むしろ試験 大阪出身の、かつてパンクのカリ の前にそんな本を夢中で読む方が点数が悪くなるこ スマだった人(旧「町田町蔵」) とを知った。それ以来、文学の本を読むことをしな ですから当然かもしれません。この調子で単なる面 くなった。試験でも、大学入試でも、文学を読むこ 白い本かと思っていると、実は大変に毒々しく「イ とは全く役に立たないからである。 タい」物語ばかりが収められています。イタいとい 最近本を読む。普通の人よりたくさん読んでいる うことはつまり、へらへら笑って読んでいる者の、 かもしれない。 人間であるかぎり誰でも持つ弱いところをえぐって 本を読んで何か役に立つことがあるのだろうか。 くる、という意味です。えぐり方は各短編で各様で おそらく、何も役に立たないに違いない。なぜ本を す。またえぐりがきついからこそ、かえって笑って 読むのだろうか。それは、いつも迷っているからで しまうところがあります。これもまた、私があらす ある。ひょっとしたら、本を読むことで迷いがなく じを書いただけでは味わいは伝わらず、味わいの核 なるかもしれないと思っている。何かの本に、その 心を述べようにも私には筆力がない、という類の小 答が書いてあると思っている。しかし、何百冊読ん 説です。不安で恐ろしくかつ虚しく、また苛立たし でも迷いはなくならない。一生、どこにも書いてい い、という方向性くらいは示しておきます。虚しさ、 ない内容を探しているのに違いない。 と私は書きましたが、虚しさゆえの救いを私は感じ 読書は何も役に立たない。知識も勉強も何も役に ます。それは、そんなもんだ、仕方ないよ、という 立たない。それなのに勉強し、本を読み、何かを得 からりとしたあきらめです。『浄土』表紙の、白塗 ようとしている。おそらく、その何かを探し続ける りで大きな扇子のようなものを持つ人物像は、この ことが、生きていることなのかもしれない。 気分をよく示していると思います。まずはお読み下 さい。 ―6― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 読んでくれたあなたが図書館へ足を運ぶことで、あ 『毎日ソウゾウしてますか?』 なたがたくさんの想像をすることになればいいな、 と私は『想像』しています。 図書委員長 電子制御工学科5年 『私と図書館』 若 山 翔 太 あなたは『本』読んでいますか? 本校に通って 情報工学科 5年 いる学生であれば、この質問に『まったく読んでな 碇 山 徹 い』という人はいないと思います。普段授業で使っ ている教科書だって立派な本であるし、趣味で買っ 今考えてみると、私と図書館との関係はどこか不 ているファッション雑誌等も本に分類されるのです 思議なものだったような気がします。中学生以降、 から、一般的な電波高専の学生は毎日なんらかの本 ほとんどの学年で図書委員を務めてきた私ですが、 を読んでいることになります。 実はあまり本を読みません。今までに読了した本を では、もうひとつだけ質問。 思い返しても、黒木知宏『マウンドの記憶』、宮部 あなたは日々『想像』していますか? この質問 みゆき『模倣犯』ぐらいしか思い出せません。 に『私はまったく想像なんてしない』という人もい そんな私でも、図書委員会では沢山の良い経験を ないと思います。冒険小説を読んで壮大な世界を想 させてもらいました。中学生の時は図書管理方法の 像したり、料理番組で出てきたステーキの味を想像 変更作業、図書館イベントの企画・運営、図書館の したり、まだできない彼女(彼氏)の姿を想像(妄 設営をしました。本校でも、ブックハンティングに 想)したりしているのが一般的な電波高専の学生だ 参加したり、この『くぬぎの森』の編集に関わった とおもいます。要するに毎日の生活のなかで想像を り、実際に記事を書かせてもらったりしました。 しない日なんて無いということです。そして、私は また、昨年からは臨時職員として、夜間や土曜日 この毎日の想像が人間にとってとても大事な機能で の図書館カウンターを担当させてもらいました。そ あり、人間の進化の原動力になると考えています。 の時に気がついたのですが、本を借りる人が思って 誰しも一度は聴いたことがあるであろう、ドラえ いたより少ない。昨年の本誌を見ても、本科学生の もんの歌に「こんなこといいな、できたらいいな」 貸出冊数が約670冊で、学生1人あたり1冊の本を という一節があります。私たち人間はこの歌のよう 借りるか借りないか、という割合だったのにはさす に毎日の生活のなかで『こんなこと』や『あんなこと』 がに驚きました。 が『できたらいいな』と想像し、そしてその想像を かくいう私も新聞や文藝春秋目的で図書館に来て 現実にするために技術は日々進歩していったのです。 いるので、 「みなさん本を借りましょう」とは言い どんなに素晴らしい技術も、ひとの想像から生ま ませんし、言えませんが、さすがにどうにかしなけ れたアイディアがなくては宝の持ち腐れになってし ればならないな、と感じています。 まいます。人間の『想像』から生まれたアイディア 最後に、図書委員らしく図書館の PR をして締め がそれを可能にする技術と組み合わさったとき、そ くくりとします。 こにはまったく新しいモノが『創造』されるのです。 本校の図書館では、本を読んだり、調べ物をした だから『我が校の図書館を利用してたくさんの本 りできるだけでなく、過去問を利用してテスト勉強 を読み、本に描かれている世界をたくさん想像』し をしたり、新聞を読んで時事の情報を仕入れたり、 ましょう。学校内という好立地であり平日は前期8 インターネットを用いて様々なことを検索したりす 時、後期7時まで開いています。テストの過去問 ることもできます。今まで図書館との縁が遠かった だってありますし、なんといってもタダ。こんな素 方々も図書館へ足を運んでみて下さい。 敵な場所を利用しない手はありません。カウンター また、図書館にはみなさんの意見を知るために、 隣の棚には最近話題になっているような本を含めた “目安箱”なるものが設置されています。 「こんな本を 新刊を並べてあります。 読みたい」 「こんな図書館にしてほしい」 などの意見 最後に少し文が荒れてしまいましたが、この文を を持っている方は、是非目安箱へ投じてみて下さい。 ―7― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 『ブックハンティングを終えて』 2 00 6. 1 2. 1 『ブックハンティングに参加して』 図書副委員長 情報工学科4年 電子制御工学科3年 堀 竜 慈 平 井 裕 太 ブックハンティングとは:電波高専の図書館を利 先日、3年目にして4度目のブックハンティング 用する高専生の心や技に有益になるよう、図書委員 に行ってきました。場所はゆめタウン光の森。熊本 生が本を購入しに書店に出かけるイベント。(注1) 市内以外であったのは初めてです。 私は英語学習関連の本を比較的多めに購入しまし 希望者が少なかったとかで、予算に余裕があった た。それは単純に高専生に欠如しているのは英語力 今回は、かなりはりきって本を選びました。毎回、 だからです(私もですが)。この事実はネットで調 「他人が選びそうにないもの」をテーマに私は選ん べるなりなんなりして調べてみてください。基本的 でいるのですが、今回もかなり面白い(一部の人に に理数系が得意な子が高専に入ってくるのだから、 とってはくだらない)本を数多く図書館に加えるこ 当然といえば当然かもしれない。しかし高専生だか とができました。 らといって英語を怠ると痛い目に遭います。 (例: さて、私のおすすめの新書ですが、 「反★進化論 大学編入を目指している人→入試の筆記試験の時や、 講座 空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書」 場合によっては論文を書くときに必要になる。就職 はかなりイイです。タイトルの示すとおり、進化論 を目指している人→仕事の幅が広がる。海外の技術 に反論し、世界は空飛ぶスパゲッティ・モンスター を自分で早期に見つけることが可能。海外の OS や によって創造されたという教義を中心に書かれた本 ソフトウェアの仕様書は最初は英語で出される。日 です。この本が書かれたいきさつや著者の思惑は実 本語版がでるのは随分後。 )英語が話せるだけで、 際に読んでほしいのですが、本書は単なるアヤシイ 海外の人と友達になれるという素晴らしい特典があ 宗教のイカガワシイ教典ではありません。「進化は ります。 ヌードル触手によって推進された」「天国にはスト 私は高専生の心を育む小説系統の本は購入しませ リッパー工場とビール火山が約束されている」「祈 んでした。自分お薦めの小説が既に図書館にあった りの言葉は 『ラーメン』 」このような教義を持つ FSM ので(宮部みゆき・村上春樹とかが好きです)。小 教。この本を読んで信徒となり海賊の衣装に身を包 説・エッセイ系統の本は、自分以外のブックハン んでもよいですし、くだらないジョークと笑い飛ば ティング生がよりすぐって購入したので、是非そち しても良いでしょう。ただ、あなたの信じるものを らを御覧ください。 見直すきっかけとなるおもしろさを持っています。 注1: (この定義は私個人が勝手につけた定義なので、 これで合っているとは限りません。) ―8― (FSM = Flying Spaghetti Monster の略) 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 第28回 文 コ 想 ン 感 ク 書 −ル! 読 内 校 第1回校内作文コンクール! 第28回校内読書感想文コンクール及び今年度から新設された第1回作文コンクールは、第1次、第2 次、最終審査を経て、下記のとおり感想文1 1編、作文1編が入賞となりました。 なお、平成19年度から副賞の図書カードが今年の倍額になりますので、多数の応募を期待しています。 選考結果及び作品紹介 読書感想文 区 分 最優秀作 優 秀 作 優 秀 作 優 秀 作 佳 作 佳 作 佳 作 佳 作 佳 作 佳 作 佳 作 作 文 佳 作 作 品 名 『黄色のトマト』を読んで 「博士の愛した√」 『光抱く友よ』を読んで 「揺れる髪」を読んで 「塩狩峠」を読んで 『泥の河』を読んで 『沈黙』を読んで 「リズム」を読んで 『ソース』 『西洋哲学史』を読んで 『博士の愛した数式』を読んで 学年組 2年2組 1年1組 1年4組 1年4組 1年1組 1年2組 1年2組 2年1組 2年1組 2年3組 2年3組 「夢の図書館」 1年1組 野 口 晋太郎 ―9― 氏 名 野 口 千 恵 川 端 雄 三 眞 岡 由 衣 吉 見 今日子 松 本 早弥香 安 部 竜 也 萱 野 匠 小 西 遼 内 藤 和 紀 永 井 誠 本 田 郁 弥 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 もない。あの状態で一番近いのは、周りで笑ってい た人達だ。笑いはしなかっただろうが、ただ見てい 『黄色のトマト』を読んで ただけのような気がする。なぜ周りの人々なのか。 2年2組 野 口 千 恵 こんなことがあった。私はしばしばバスに乗る。 それはすぐに分かった。 私だけではなくバスにはたくさんの人が乗ってくる。 家の近くから乗ってくる人のほとんどが、おじいさ 博物館に飾られている蜂雀は言った。 「かあいそ んとおばあさん、つまりお年寄りだ。いつもは空い うなことをした。」何がどうかあいそうなのだろう。 ているバスがこの時は混んでいた。私が乗った時は まだ私には分からない。蜂雀は話の切れ目が来ると まだ席がいくつか空いていたので一人がけのシート 「かあいそう」とまた言った。それから幾度かその に座った。バスが進んでいくうちにつれてお客の数 言葉を聞いた。 も多くなる。ついに空席がなくなった。そんな時に この『黄色いトマト』でたいへん心に残った場面 一人のおばあさんが乗ってきた。私はすぐに席を譲 がある。それは物語が終わりに近づいてきた辺り。 ろうと思った。しかし体は動かなかった。いつもこ 楽隊が狂ったように音楽を奏で続け、人々が黄金の うだ。まだ私が小学生だった時のこと。算数の授業 かけらを渡して入っていく大きなテント。ペムペル で問題が分かった人は手を挙げて発表する。小学校 とネリはその中に自分達も入ろうとして入り口の番 ではよくあることだ。問題が分かっていても私は手 人に2つの黄色のトマトを差し出す。このトマトは を挙げるか挙げないかで悩み、何もしていないのに ペムペルとネリという小さな子どもが育てたトマト 心だけが焦りそれだけで終わっていた。今もまた悩 だ。10本の赤いトマトを植えたはずだが、1本だけ んでいた。譲ってもいいが上手く話しかけられるだ はまばゆく光る黄金の実をつけてしまったのだ。二 ろうか、断られたらどうしようなどと。ただ立ち上 人はそれを黄金だと信じていたものだから、これを がるだけでいいはずなのに。気が付くと近くに座っ 渡せば入れると思ったのだろう。実際はただのトマ ていた男の人が笑顔で席を譲っていた。私は情けな トなのだから入れてもらえるわけもなく、それどこ い気持ちになった。 ろか番人にトマトを投げつけられてしまう。トマト ところで、世間はどうだろう。多くの人が私と同 はネリの耳に当たった。彼女は泣いて、皆は笑った。 じではないだろうか。周りの目が気になって思うよ それから二人は逃げるようにその場を立ち去った。 うに行動できない。あるいは関わりたくない。テレ このような場面だ。 ビである実験が行われているのを見た。あらゆる場 読んだすぐあとは新しいものが入ってくるばかり 所からたくさんの人が集まり、日本の最先端を行く で、どう思うかなんて考えもしなかった。ただ目の 東京。そこの人は困った人がいても見て見ぬふりを 前で起こっている出来事を現実のものとして飲み込 するという噂があった。そこで、小銭をばらまいて むことで精一杯だった。全てを読み終えて、一つひ しまったら拾ってくれる人がいるかどうかという内 とつを頭の中で画にしてみることにした。画にする 容だ。仕掛け人の男性が人々の中で小銭をばらまい ことで物語が頭の中によく浸透するのだ。すると悲 た。誰もが拾ってくれるはずだ。しかし、小銭を踏 しみでも哀れみでもない不思議な感覚が染み出てき まないように退いてくれるが拾ってくれる人は一人 た。これが「かあいそう」なのだろうか。蜂雀は私 もいなかった。信じられなかった。県民性と言えば よりもずっと二人を見ていたのだから、もっと強い そうかもしれない。だが、そんな言葉一つで片付け 感情があっただろう。 てはいけない気がした。人は大事な何かを忘れてい しばらくして、ある疑問が頭に浮かんできた。も るのではないだろうか。 し私が今の場面にいたとするならば、一体誰が私な あの場面になぜ優しい番人がいなかったのか、な のだろうか。トマトを渡したペムペルか、いやそん ぜ周りは笑っていただけなのか。それらが指すもの なことはしないだろう。トマトを投げられたネリな が現実の厳しさや、貧富の差のようで、そうでない のか、投げた番人か、私はネリでも番人でも蜂雀で 気がした。優しい番人がいて黄金のように輝くトマ ― 10 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 トで大きなテントに入っていた、そんな幸せな話で 且つ無鉄砲、しかし何故か好感の持てる人物、彼ら あったなら私はこの物語で感動もせず、自分の生活 にもやはり多かれ少なかれ、この姿勢があったので を振り返ることもなかっただろう。 はないだろうか。 ペムペルとネリは家に帰り着くまでの道のりで何 さて、先程少し触れた数式の話だが、これについ を思ったのだろう。私が二人だったなら、悔しい気 ては新しく知ったことが非常に多い。そもそも私が 持ちでいっぱいだったに違いない。それと同時に、 この本を読んだ理由は数学の先生の勧めだったので、 もしも同じ状況が目の前に現れたら勇気を出して一 勉強という意味合いでも、この本は非常に役に立っ 番初めに手を貸してあげようと思うはずだ。今もそ た。友愛数、対数、フェルマーの最終定理・・・意 う思っている。 味の解らないものも多かったが、書き方所為か私を 数学の世界に引き込むのに充分過ぎる魅力を持つこ れらは、数学が重要な位置を占める高等専門学校へ 入学した私にとっては大いに心強いものだった。 『博士の愛した√』を読んで 正直に言って高専で学ぶ数学の内容に付いて行け 1年1組 川 端 雄 三 の面白さを解することができ、身構える必要が無い るかどうか不安だった私だが、前述の理由によりそ と知った。単なる小説に留まらない効果に筆者の表 現力に素直に感嘆した。 主人公である家政婦さんとその息子、そして実質 さて、私にはこの本を読み終えてからやっと気付 上の雇い主である博士の心の交流を描いた『博士の いたことがある。それは、おそらくこの物語の大き 愛した数式』。この本を読んで私の印象に残ったの なテーマの一つであろう「健常者と障害者のコミュ は、数式の神秘でも謎めいたまま終わる博士の過去 ニケーション」である。冷静に考えてみれば、8 0分 でもなく、博士の子どもに対する接し方だ。 しか記憶が保てない、というのはかなり重度の障害 物語の中に、砂場で怪我をした女の子に素早く近 である。朝目覚めたら、まずは自分がどういう境遇 づくものの駆けつけた親に奇異の目で見られ、博士 であるのか知ることから一日が始まるのだから。 が困惑するシーンがある。80分しか記憶を保てぬ身 「僕の記憶は8 0分しか持たない。」これは博士の背広 でありながら、困った子どもと見れば声をかけずに に留められているメモだが、博士は毎朝毎朝これを はいられないその性格。私が今まで読んできた本に 読んで衝撃を受けているのである。 共通する「博士=己の研究にしか興味関心を示さな 記憶障害というのは、障害の中でも最も怖れられ い。」という不文律を見事に崩してくれた。 る部類ではないかと思う。身近な親戚に数人の患者 私は、物語の端々で見受けられる博士の顕著なこ がいるので実感できるが、本人も家族も言いようの の性質は、筆者の理想とする大人の姿ではないかと ない恐怖を感じる。自分が、身近な人が、壊れてい 思う。ただひたむきに愛する姿勢、過ちや正解など く、こちらが困惑する以上に、相手は戸惑い、心を と言ったマニュアルではないこと、世間体も顧みる 閉ざす、家が張り詰めた静寂に包まれる。 ことのないその単純な愛こそ、最も必要なものなの しかし、この本は違った。確かに困惑は博士に悲 だと。 しみを与えたが、ルートはそれを補って余りある尊 博士は怪我をしたルート(主人公の息子の愛称) 敬を博士にしたし、博士は絶対的な愛でもってそれ を前に、泣きながら大騒ぎしたし、また彼の誕生日 に報いた。彼らは、互いを喜ばせる為に試行錯誤し、 には、ケーキに立てる蝋燭の事まで彼の喜ぶように 楽しみ合った。そこには、私がしてきた腫れ物に触 配慮した。物語の終盤に博士の記憶が全く進まなく るような扱いは決してなかった。彼らは、年齢の壁 なっても、博士の姿勢に変わりはなかった。 も障害の壁も越えて手を繋いだのだ。 私は勿論まだ子どもなので、この姿勢に共感した、 私は先日、記憶障害のある知人、Mさんの家へ遊 などとは言えないが、少し理解できる部分がある。 びに出かけた。Mさんは、名前こそ間違えていたが、 私が今まで出会ってきた大人達の中にいた、大雑把 昔と変わらぬ笑顔で私を迎えてくれた。 ― 11 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 私は確信した。互いを一つの存在として丸ごと認 ころが、この本の作者が描き出している友情・友達 めることで、一つの壁が越えられることを。たとえ とは、それとは全く異なる関係である。近いようで 顔や名前を忘れても、笑い合うことはできる。心の 遠い存在、どちらかというと、涼子が松尾を追いか どこかで繋がっていられるということを。 けているような関係だ。では、作者が伝えたかった 博士の愛した√は、博士を愛した。人が何かを大 友情・友達とは、一体何なのだろう。それは、一人 切に思う心 ― 愛、私はこれを、読書と実体験を の人間を信じる強い心ではないだろうか。私は今そ 通して知ることができた。口先だけのことは言いた う感じている。嬉しいときに共に喜び、泣きたいと くない。まずは身近な人達と、心を開いて話してみ きに胸を貸してくれるだけの存在であるとするなら たい。そうすることで、私の心に未だ巣喰う偏見の ば、心に何も無いときには、側にいる必要がないで 心を消していけると思う。 はないか。むしろそれならば、自分に都合の良い人 間が友達ということになってしまう。しかし友情と は、きっとそんなものではない。もっと深く もっ と重いものだ。作者が伝えようとした友情は、時に 冷たく見えるような関係でも、本当は何よりも温か 『光抱く友よ』を読んで い、相手を信じる心であると私は思う。その心がお 1年4組 眞 岡 由 衣 互いの間で繋がったとき、その関係は友情になるの だ。だが、これはあくまでも私の思いである。もし かしたら、この作品からにじみ出ている友情は、 「深さを測ることの出来ない夜空に、星のまたた もっと違うものかもしれないが、今の私にはここま きひとつ探し出せなかった。」 でしか読み取ることができない。 この最後の一文を読み終えた瞬間、私は何とも言 現在、殺人や自殺など、底知れない暗闇でひしめ えない気持ちに襲われた。17歳、それはこの本に登 き合っているような人間の恐ろしい一面を嫌になる 場する二人の少女の年齢だ。私とあまり差のない年 ほど見せつけられている。その暗闇に光を当ててく 齢のはずなのに、この二人の生きてきた時間、そし れるものは、やはり人を信じる心だと思う。松尾の て今生きている時間が、とても重く感じられる。全 ように、どんな環境に置かれていようとも、必死で く対照的な二人の少女の出会いと別れを通し、作 生きている人間がいることを忘れてはならない。そ 者・高樹のぶ子さんは一体何を伝えたかったのだろ して、それを心に刻まなければならない。もし、今 うか。答えの出ない問いを、私は頭の中で繰り返す 私の目の前に自ら命を絶とうとしている人がいるな はめになってしまった。 らば、こう言いたい。誰かを心から信じる努力をし この作品の主人公・相馬涼子は、大学教授を父親 てみよう。何も無くて死にたいというのなら、何か に持つ引っ込み思案の優等生だ。私は、どこにでも を見つけ幸せになる為に、もう少しだけ生きてみて いるような女子高校生の彼女に、少し親近感を覚え もいいではないか、と。以前の私なら、こういうこ た。反対に、何だか別世界を生きているような松尾 とを少しも考えなかっただろう。けれど今、心から 勝美には、とてつもない距離感を感じる。もし私が そう思えるのは、この作品に出会ったからだと思う。 涼子ならば、きっと松尾には近づかなかっただろう。 涼子の、松尾を信じる強い想いに触れたからだ。 しかし、そう確信する私がいるのとはウラハラに、 この『光を抱く友よ』という一冊の本にのせて、 この作品に描かれている松尾勝美という人物に、引 作者・高樹のぶ子さんが何を伝えたかったのか。そ き込まれそうになったこともまた事実だ。それは、 れは、簡単な言葉で語れるものではないだろうが、 私とは全く違う世界を生きている彼女だからこそな 私の中にある熱い感情が、その証である。これから のではないだろうか。 私が流れゆく時を歩んでいく中で、たくさんの人に そもそも、友達とは一体何なのだろう。嬉しいと 出会い、様々なものを見つけていくことだろう。時 きに共に喜んでくれる存在、泣きたいときに胸を貸 に誰かを裏切り傷付け、孤独に心が震えることもあ してくれる存在、それが一般的な答えだと思う。と るだろう。その時は、もう一度この本に出会いたい。 ― 12 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 そして、涼子の姿に自分を重ね、人を信じる心を取 どころか面白がっていられるのはどうしてか。私は り戻したい。それに今、涙を流している人がいるの また自分の小学生時代を思い出した。 ならば、この本を隣に置いてあげたいと思う。そう あれは最高学年になった秋の放課後、校庭で一人 感じている今の私の心は、今日の青空のように、透 の生徒が気持ち悪いものを見つけたと叫んだ。それ き通っているはずだ。 は既に力尽きて死んでいる雀だった。外傷は見られ 最後に一つ、私は作者に聞きたいことがある。相 なかった。私はとっさにそれを抱え、湿った土のあ 馬涼子を「涼子」と記しているのに対し、なぜ松尾 る日陰に走り、手で土をかき穴を掘った。その中に 勝美を「松尾」と記したのか。その些細な違いで、 それを入れて土を被せた。死んだものに素手で触れ 一体何を伝えたかったのだろうか。今の私には、そ るという行為に周りは奇妙に思ったのだろう、私に の答えを見つけ出すことはできない。それができる は呪いが付いていると言って近付こうとしなかった。 のは、これから先、色々な出会いを積み重ねる中で 石鹸で綺麗に洗ったのだが、周囲の目は一向に変わ どうしようもなく悩んだときに、もう一度この本を らず、私から逃げ回っていた。しかしその何処かに 手に取る未来の私かもしれない。 ふざけている部分を感じられ、このような態度をと 一冊の本との出会いは、一人の人間との出会いと られたことに悔しくて泣いた。 同じくらいの価値があると思う。だから私は、もっ 私がした行為と京子がした行為とでは、同じ生き と多くの本に出会いたい。出会わなければならない。 物が関わっているが大きく違う。私のこの時の心境 そして一歩ずつ、前に進んでいきたい。 は、あの頃の皆が感じたものに少し似ていたと思う。 だが、私はこの小説を一から読み返し、京子の気持 ちになって考えてみた。すると、今まで抱いていた 感情が一気に引いていった。 ヒステリック状態に陥った母親、時子の言葉にも 『揺れる髪』を読んで だんまりをきめている姿、涙が零れそうになるのを 1年4組 吉 見 今日子 必死で耐えている姿、そして最後に長い髪を切ると 言った姿から、私は京子があの事件をとても後悔し ていることが痛いほど分かった。京子が蛙を裂いた 私は、この小説に出てくる少女京子に、名前が同 のは好奇心からかもしれない、周りに威張りたかっ じだったせいか親近感が湧き、自分の幼いころを重 たからかもしれない。しかし、やってはいけない行 ね合わせながら読んだ。 為には違いない。そのことに後で気付いた京子は しかし、京子が犯した事件を切っ掛けに私の心境 きっと心に深い傷を負っただろう。自分の犯した行 は変わった。「生きた蛙を裂いた」京子のこのあま 為に気付いたのに、友達にランドセルを持っても りにも残虐な行為に、私は正直大きなショックを受 らったりいつもと同じように振舞うことは、京子に けた。と共に激しい怒りが込み上げてきた。もはや とって非常に辛いことだったはずだ。しかしそう 私と同じ世界の子供ではないと思った。 やって平気な振りをしなければ、やりきれなかった 小学校に入学してすぐの頃、私は校庭で消えか のだろう。友達に嫌われるのが恐かったのだろう。 かっている命と出会った。それは、片方の羽が破れ 幼いながらに必死で苦しんだのだと思うと、私は胸 て飛ぶことはおろか、起き上がることすら出来ない が痛くなる。そして母から責められた京子はどんな 蝶だった。私はすぐにそれを保健室に運んだ。まだ に辛かったことだろう。 幼かった私にとって、そこはどんな怪我や病気も治 私はもう一つ気になることがあった。それは時子 せる薬箱だった。先生も困った顔をした。 の言う「間違った教育」についてだ。蛙の事件で生 そんな幼い頃から生き物を大切にしてきた私に 理的な限度を超えた嫌悪で、京子に当り散らす時子 とって、京子の行動は許せなかった。京子だけでな の教育は、確かに誤っていたかもしれない。しかし、 く、周囲の同級生にも同じ怒りを覚えた。何故誰も やはり自分の娘がこのような残虐なことを行ったと この不可解な行為に何も言わないのか。気味悪がる 思うと、穏やかでいられるはずがない。私はどうし ― 13 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 ても「間違った教育」という意味が理解出来ず、と ても悩んだ。そして三度目に読んで漸く分かった気 がした。時子は怒った感情を剥き出しにして京子に 『塩狩峠』を読んで 押し付け、娘の気持ちを考えずに勝手に自分が思っ 1年1組 松 本 早弥香 た意見に決めつけようとした。私が時子だったとし ても、同じ反応をしていたに違いない。だからこそ 何が間違っていたのか気付いた今では、この光景が 痛かった。 他人のために自分を犠牲にする事は、そう簡単な そして何より私が一番共感した場面、強く印象に 事ではないだろう。ましてや、目前まで幸せが迫っ 残っている場面は、最後に京子が自ら髪を切ると ているときならなおさらであろう。この本は、幸せ 言ったところだ。「京子の髪、かえるの脚に似てる が目前と迫っているときに大勢の人たちのために自 から、嫌なんだもん」幼いながらに必死で傷を隠そ 分の命を犠牲にしたある青年の生涯が描かれている うとしている京子。髪を切ると決心するまで何を思 話である。その青年の名前は永野信夫。キリスト教 い、考え、どれほど後悔したことだろう。そしてそ 信者である。 の娘の姿に激しく心打たれる母。「ありったけの力 この本の中でも、一番印象に残るのは、塩狩峠で で京子を抱きしめた」とある。これは、言葉では表 列車が暴走し始めてから、信夫の死までの場面であ すことの出来ない喜び、愛しさを体全体で伝えた る。 かったのだと思う。そしてその想いが京子にもきっ 信夫には親友の吉川という同年齢の友達がいた。 と伝わっているだろう。 吉川にはふじ子という妹がいた。彼女は結核という 私はこの小説により、改めて親と子の関わりにつ 病気にかかっていた。この本の舞台は明治時代ごろ いて考える機会がもてた。親にとって理想的な子育 の日本である。当時、結核とはとても大変な病気 てでも、それはあくまで理想であり、現実では相手 だったらしい。そんなふじ子と信夫は、結婚する事 は生身の人間で、時として想定外の行動をとり得る。 になる。 しかし、いかなる場面に出くわそうと、深い愛情と 信夫は結納のために札幌へと列車で向かう彼は、 信頼感が十分にもてた親子にとって何も恐いものは 最後尾の客車に乗っていた。列車が塩狩峠にさしか 無い。きっと乗り越えていけるだろう。私はそう信 かった時、信夫が乗っている客車が列車から離れ、 じている。 ものすごいスピードで峠を暴走していく……。そん な状況の中で信夫は自ら犠牲になって乗客を助けた のである。 彼の死は客車の乗客の人たちを救った。だが、そ れだけではなかった。当時キリスト教信者は、とて も嫌われていた。親子でも勘当されかねない時代で あった。ところが、彼の死はその豪を切り開いたの である。 信夫の生涯も立派であったが、死後も彼は偉業を 成し遂げたのである。私はそこが彼のすごいところ だと思った。 また、自分が死ぬという事にもかかわらず命を捨 てる勇気にも心を打たれた。 私は、中学校を卒業したばかりで、まだ人間の死 というものに立ち会ったことが一度しかない。そし て、自分の命を他人の命を救うために捨てた事もも ちろんない。だが、勇気を出した事なら何度でもあ ― 14 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 る。よくよく考えてみると、身近なところに勇気を 死と覚悟が目に浮かぶのだ。私は、この本を読んで、 出す場面はたくさんある。 勇気を出す事でたくさんの人が助かるという事、覚 最初に思いついたのは、電車やバスのなかでの席 悟を決めるということは簡単ではないという事を学 の譲り合いである。全く知らない人に話しかける事 んだ。 はとても勇気がいるだろう。最近では「年寄り扱い これからは、常に自分自身を振り返ってみようと するな」などと言う人たちもいる。そうやって怒鳴 思う。そして永野信夫のように自分の事や他人の事 られるときを想像すると、なおさら勇気がいる。だ を真剣に考えられる人になりたい。 が、ここで勇気を出して席を譲ると譲られた人はと ても喜ぶだろう。周りの空気も和むだろう。勇気を 出す事で助かる人はたくさんいるのだ。 勇気を出す事は身近で難しく、とても大切な事だ 『泥の河』を読んで と思う。永野信夫は、命を捨てるほどの勇気を出し 1年2組 安 部 竜 也 た。これはとても難しい事だろう。しかし、この勇 気が大勢の人々を救ったのだ。 私が、この場面で考えさせられたのは信夫が死を 覚悟した時の気持ちである。 この作品を読み終え、私は今までの読後には抱い 信夫は結納のために札幌へと向かった。つまり、 たことのないような感情を抱いた。この『泥の河』 とても大きな幸せの一歩手前だったのである。信夫 は、私の観点から言うと友情を深めた子供の別れを の結婚相手、吉川ふじ子は生まれつき足が悪かった。 現実的に表している作品だと思う。 その上、大人になってからは結核にもかかったので 私もこれまでに、沢山の別れを経験してきている。 ある。ふじ子には信夫の前に佐川という婚約者がい 小学生の頃から数えても二度の転校を経験した。し た。しかし、佐川はふじ子の結核がいつまでも治ら かし、別れとは多くの人とのことだけとは考えられ ないのを理由に婚約を破棄した。その事を信夫は ない。この作品中でも信雄と喜一姉弟と言う三人の 知っていた。話を読んで分かるように、信夫はふじ 別れがつづられているのだから。そう考えると、別 子を心の底から大切に思っていたであろう。本の話 れとはすべての人間が経験しうるものだろう。 を読んでも、信夫がふじ子を幸せにしてやりたい気 別れ。その言葉を聞くと人々は何を想像するだろ 持ちや悲しませたくない気持ちが伝わってくる。 う。私はこの物語を読むまでは、まるでドラマのよ 自分が、もし信夫の立場だったらどうするだろう うな別れを想像していた。例えば、涙を流し互いに か。少しの確率でも良いから自分が助かる道を選ぶ 手を取って別れを告げる・・・・笑顔で最後の抱擁 だろうか。客を助けるだろうか。 を交わす。などといったものである。これは私の経 大勢の乗客の命と、この世で一番大切な人の幸せ 験してきた別れの中にもこのような感動的な別れが が天秤にかけられるのだ。そう簡単に決められるも あったから言えるのである。しかし、この物語では のではない。私は、どちらも決断する覚悟ができな そんな感動的な別れではなく、人間の悲しい別れが い。 描かれている。 永野信夫はキリスト教信者である。この本では、 この物語では少し身分の違う二人を主人公にして いくつかの聖書の一部が所々書かれている。中でも いる。一人は並かどうか分からないが、自分の解釈 私にとって印象深かったのは冒頭に書かれていたも で言うと普通の小学校に通うごく普通の少年である のである。「一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一 板倉信雄。もう一人は戦争の後遺症で父を亡くし、 つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし 学校に通うことも出来ない程に貧しい生活を余儀な …」この意味が分かるだろうか。私は、この本を読 くされている船の上で暮らす少年、松本喜一。これ む前には、全くと言っていいほど意味がわからな は戦後間もない時代、大阪での出来事だが、この物 かった。だが、この本を読み終えた今は、行間を読 語のような貴重な出会いはそうないだろう。私は、 むような思いでこの言葉に見入ってしまった。彼の この物語を読んでいるうちに終盤に近づき「きっと、 ― 15 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 こんな二人だからこそ感動的な別れを演じてくれる いている。そう考えると、やはり現代の地域との交 のだろう」と思っていた。 流は昔に比べ、とても薄れてきている。この物語を しかし、物語の終わり、信雄と喜一は喧嘩別れの 読み私は、沢山のことを学び、心を養い、楽しい生 ような別れ方をしてしまう。とはいっても、実際に 活を送るために近所との付き合いは必要なのではな 喧嘩という喧嘩をしていたわけではないのだが、互 いか。と考えた。そう考えた理由は、周りの人と話 いに口を聞かないままに離ればなれになってしまう したり、喜一と遊んだりしている時の主人公の信雄 のだ。こんな最後を飾るこの『泥の河』を読み終え がとても楽しそうで、活き活きしているように見え たあと私の心には、今までにない不思議な感情が たからだ。作者の描く主人公をこのように読み取っ 残った。なぜ作者はこのような終わり方にしたのか。 た私は、この物語から人との交流の大切さを学んだ。 だが、よく考えてみると、私にもこのような別れ 私は、前にあげた以上のことをこの『泥の河』か が今までに経験してきた沢山の別れの中に有ったか ら学んだ。読書から得るものは沢山ある。著者の考 もしれない。しかし、そのような悲劇的な別れは時 えを読み味わうことで、それが本当に著者との考え が経つにつれ薄れてしまうのかも知れない。だから とは違っていても、それだけ自分自身の視野を広げ 作者はあえて、人間のこのような無情な別れをこの ることができ、同時に読書が楽しくなってくる。私 物語上で表しているのだと思った。 は、この物語を読み、この『泥の河』のような良い 別れの数だけ出会いがある。と人は言う。確かに 物語を沢山読んで色々なことを学びたいと思った。 私にも、沢山の別れのあとに沢山の出会いがあった。 だが、よく考えてみると私たち人間はその出会いに 感情を移し、別れの寂しさを紛らわそうとしている 気がする。しかし、この物語を読み、今までの別れ 『沈黙』を読んで を振り返ってみるとそんなことをして別れの寂しさ 1年2組 萱 野 匠 から解放されてもなんの得にもならないと思った。 そんなことをするよりも、別れをよりよいものにし て別れる相手との良い思い出の一つにすることが一 番だと思う。作者は私たち読者にそう言うことを気 私は神を信じてはいない。以前は宗教は人間の弱 付かせるためにこの作品を書いたのだと私は思い、 さからの逃避であると思っていた。両親が無宗教の 同時に別れと言うものの大切さを学んだ。 ためか、特に興味を持たず、否定はしないが信じな この物語で私は、別れに関すること以外にも大切 い。だから関わらない。私にとって宗教とはそんな なことを学んだ、それは人との交流の大切さである。 立場のものだった。しかし今回この本に出会い私は 現代社会において、地域や近所との付き合いは昔 大きな衝撃を受けた。そこにはキリスト教の今まで に比べ、とても乏しくなってしまったと良く耳にす に知ることのなかった厳しさを知り、同時に考えよ る。実際、私自身も本に書いてあるような地域との うともしなかった「宗教」とは、「信仰」とは「神」 交流をしているとは言えない。悪く言えば地域との とはいったい何なのかということを考えさせられた。 交流はほとんどないに等しい。特に親しい近所の人 その中でも私はある人物の行動に疑問を持った。 とは世間話の一つ二つはあるが、あまりつながりの 何故キチジローは何度も棄教を宣言し、司祭のロド ない人となると挨拶のみ。だったり、本当に付き合 リゴを裏切りながらもキリスト教徒であることに執 いのない人は、すぐ近くに住んでいても名前さえも 着するのだろうか。私は最初はキチジローに対して 良くわからないと言う状態だ。しかし、この物語で 嫌な奴だという印象しかなかった。しかしそんな彼 は主人公の周りの人の様子まで明細に書かれている。 こそが誰よりも人間らしく、意地でも生き残ろうと ここから、主人公と周りの人との交流が盛んなこと する執念を持っていた。私はキチジローにどこか共 が読み取れる。定食屋の息子と言う肩書きが有るか 感してしまう。自分は弱い人間だと言い仲間を売る。 らかもしれないが、昭和の時代を生きた「宮本輝」 それでも神に救いを求め続ける。なんと傲慢で、卑 がごく当たり前のように主人公の周りとの交流を描 怯なのだろう。だがそこにかすかだが人間の本当の ― 16 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 強さが感じられる私はおかしいのだろうか。キチジ 感は耐えられるものではない。そして神に救いを求 ローはずるい。決して悪事を行っているわけではな めても反応はなく、さらなる絶望の底へと落ちてい いが自分の身の安全のためならば手段を選ばない。 く。しかし、だからこそ分かったのではないだろう 普通それは人間の弱さ故である。しかし私はそう思 か。絶望の底にいて見えてくるものこそ真実だと私 わない。思うことなど出来ない。自分の命と他人の は思っている。そこで理想である信仰と現実の乖離 比べたとき、私は自分の命を選ぶ。キチジローのよ を知り、ロドリゴはようやく「宗教」というものが うに、である。その選択はキリスト教徒としては周 分かったのだ。少なくとも私は「宗教」とは人間の 囲から非難を浴びることになるだろう。それでもキ 本当の強さと弱さが見え隠れするものなのだと思う。 チジローは選んだ。元はただ恐怖心に耐えられず逃 そしてロドリゴにとっても私にとっても、神が絶対 げ出したに過ぎない。都合のいいときだけ神頼みを 的だという考え方は変わってしまった。 しているように見えるかもしれない。だが本当に命 私は神とは物理的な存在ではなく共に罰を背負い、 が惜しいのならばキリスト教徒にこだわったりはし 苦しみを分かち合ってくれる形而上的な存在なので ないだろう。それでもキチジローは「何か」のため は、と考えを改めた。だからロドリゴとフェレイラ に信徒であり続けた。それは彼の本当の強さの一面 は棄教という司祭にとって最大の苦しみに耐えられ だったように思える。 たのだ。そんな何よりも神を愛し、裏切るより他に 私はすごいと思う。ちょっとした憧れすら抱いて 道がなかった彼らに、私は本当に多くの事を教わっ しまう。それほどに、自分に正直に生きるというこ た。人を裁くことの難しさや許すことの偉大さなど とは難しい。誇りも財産も何もかも捨ててでも生き 感心し、憧れてしまう。だが私は彼らのようにはな ようとする人間。そんなキチジローのような人物に れない。なぜならば神を信じていないからだ。信じ 私はなりたい。 ないというより、信じる必要がないのだ。ただそれ そんなキチジローには、いったい何の意味があっ だけの事が、それはそれで幸せだと思えるように たのだろうか。神は沈黙を続け、何も示さない。が、 なった。そのありがたさを気付かせてくれた本の中 私には大きな役割があったように思える。彼の行動 の人物達に私は感謝したい。そしてその事が私を悔 の中心には必ずロドリゴという存在があったからで いの残らない方向へと導いてくれるだろう。 ある。もしキチジローがいなかったなら、もしくは 別の人物がロドリゴを含む司祭と共に日本に来てい たならば、ロドリゴは棄教せずに神を疑うこともな く殉教していたかもしれない。つまりキチジローは 導いたのである。主を捨てるなどそれはキリスト教 徒としては破滅の道にしか見えないだろう。しかし、 その道をあえて進んだ者、フェレイラとロドリゴの 二人こそが真のキリスト教徒であると私は信じてい る。そんなロドリゴだが、私は好きにはなれない。 彼のあまりに一心な信仰心に感情移入しにくいので ある。しかし思わずはっとさせられることがいくつ もあった。ロドリゴはキチジローの度数なる神への 裏切りや、信徒が役人から拷問を受ける凄惨な様を 見る辛さに耐えられなかった。耐えられず、キリス ト教の禁忌である神の沈黙に疑問を持ち始めた。仕 方ないといえば仕方ないだろう。辛い目に遇い、日 本で司祭として布教する意味すら分からなくなって いた。誰だってそうだろう。自分の存在している意 味がないとしたら、と本気でそう考えたときの絶望 ― 17 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 響いた。夢を追いかけていく姿に憧れを感じる。 「歌なんかうたってると、まわりの雑音がやけに 気になるときがあるんだ。…自分の思うようにうた 『リズム』を読んで えなくなったりしてさ、くやしくてあせると、よけ 2年1組 小 西 遼 いメチャメチャになる」 「で、どうするの?そんなとき」 「心の中で、リズムをとるんだ。おれのリズム。 さゆきは中学1年生。小さい頃からイトコの真 まわりの音なんて関係ない、おれだけのリズムをと ちゃんが大好きだった。真ちゃんの家とはよく行き りもどすんだ」 来していて、二つのわが家があるのと同じ。真ちゃ 本のタイトルにもなっている「リズム」。そう、 んはロックバンドのボーカルを目指すため高校に行 人は誰でも自分のリズムを持っているのだ。速かっ かず、アルバイトの日々を送っている。金髪の真 たり、遅かったり、小さかったり、大きかったり。 ちゃんに、オトナたちは眉をひそめることもあるが、 でもリズムを保つのって難しい。親や教師や友達の 彼女にとっては昔から変わらず大好きな存在なのだ。 声をどうしても気にして、ついムリしたり、思うよ だがある日、真ちゃんの両親が離婚するという話 うに動けなかったりするから。そんな周りの雑音が を聞きさゆきは大ショック。第二のわが家が消えて 気になる時は、一度心に向き合い自分のリズムを感 しまう…。彼女は変化を恐れる子だった。小学校を じなおすといい。真ちゃん曰く、そうすれば自分は 卒業する時も、みんなと離れるのがいやで泣いたぐ 自分のままでいられるのだそうだ。 らい。だから、それを聞いた時のショックはとても 先日、自転車で川沿いを走ってみた。真っ青な空 大きかった。 で、ウジウジしたものが吹っ飛ぶくらい気持ちが良 けれど、彼女は次第に気づいていった。変化は悪 かった。ジョギングをしている人とすれ違った時、 いことばかりではないということに。いじめられっ 私はふと真ちゃんの言葉を思い出した。走っている このテツが強くなるのも、勉強一筋の姉が自分の本 人って、自分に合ったテンポを掴んでいるんだろう 音を伝え始めたことも、全てが変化なのだ。そんな な。速すぎもせず遅すぎもせず、前を行く人や何か 中、真ちゃんは夢を叶えるため新宿へ行ってしまう。 に合わせるわけでもない。スポーツの個人競技では 出発の前日、さゆきは海へ連れて行ってもらった。 じぶんが敵!とよく言うけれど、周りに影響されな そこで彼はこんなセリフを口にする。 い強さは確かに大切なのだ。国際舞台での、何万人 「…おれ、うたってるときがいちばん生きてるん という人々に客席から、テレビの前からたった一人 だ。そんでさ、いつかおれのうたを聞いてだれかが、 見つめられる緊張感。そのプレッシャーをはねのけ、 ひとりでもいいから、悩みとかうっぷんとかそうい いつもの自分を実践できた人だけが表彰台に立てる うのみんな忘れてスカーっといい気分になってくれ のだろう。試合馴れもあるかもしれない。だがどん たら最高だよな。」 な時でも動じず、自分のリズムに持っていける精神 周囲が変化しても、変わらないものがある。それ 力はスゴイ。 は自分。しっかりと自分のリズムを持っていれば、 しかし、何事もマイペースが良いとは限らない。 自分だけは変わらずにいられるはず。そう真ちゃん 自分のしたいことが正しくないかもしれないし、誰 は教えてくれた。もうすぐ中学2年生になるさゆき。 かの迷惑になることもある。真ちゃんだって見方を いろんなことがめまぐるしく変わっていくんだろう 変えれば不良少年。本当は学校に行くべきなのかも な。でも、もうこわがらないと決めた。誰よりもリ しれない。雑音に聞こえる音も、実は一理あったり ズミカルにあの校門を駆け抜けていこう。 するのだ。いくつかのリズムが重なるこいとでハー 著者である森絵都の本は好きだ。10代という年齢 モニーが織り出されるように、周りの干渉があるか の私たちを、明るいタッチで等身大に描写してくれ らこそ生まれるものもある。それは、一人では感じ るからだ。「ああ、わかるその気持ち」ってすんなり られないものだ。周囲に流されてしまうことが良い 受け入れられるから、素直に真ちゃんの言葉が心に とは思わない。けれど、私たちはやっぱり誰かと一 ― 18 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 緒にいたいと思うから、そんな時は、相手のリズム 者は説明する。多くの場合、絵を描くとか歌を歌う を感じてみることが肝心だ。そうすれば、相手も自 といったようにこの「ワクワク」は創造的な作業と 分も納得できるようになれる気がする。 なるはずで、そこに技術面での得意・不得意の問題 人生は万華鏡という言葉を耳にしたことがある。 が干渉することはない。たとえ下手なことであって 周囲が日々変化していく中で、自分を抱いた夢を見 も、ワクワクするものはとりもなおさず「ワクワ 失わないように、しっかりと自分のリズムを感じて ク」であり、逆に得意でも自分がワクワクを感じな いきたい。 ければ「ワクワク」ではない、というわけだ。ちな みに私の幼少時代のワクワクは「水遊び」「泥だん ご・砂山をつくる」「友達と鬼ごっこ」「折り紙をす ること」だったり、最近では「一昔前の洋楽・邦楽 を聴く」「プールで泳ぐ」「1 980年代のオーディオ機 『ソース』を読んで 器収集・改造」「気に入った小説を読む」「知らない 2年1組 内 藤 和 紀 場所を訪れること」などが該当するのではないかと 思う。この中から共通点を抽出するなら、それはこ れら全てが私の大好きなことであり、同時にやむに 西暦2006年の春に出会った一冊の本『ソース』は、 やまれぬ個人的な興味の対象でもあるというだけだ。 それまでの私が断片的にしか捉えることのできな 筆者の言う「ワクワク」とは、恐らくこのようなも かったであろう人生観という抽象物を、まるで欠け のなのだろう。 た箇所のほとんどを埋めてしまったあとに残る半完 とりあえずワクワクは見つけた。だが、自分のや 成品のジグソーパズルのようなレベルまで一気に変 りたいことばかりやっていて、それだけで本当に生 えてしまった。これが良いことなのかどうか、結果 きる喜び(ソース)を得られるのだろうか? この より道程の好きな私には些か判断に窮するものがあ 本を読んでいた私が最も不思議に感じた箇所がこの る。けれども長い人生の合間にいろいろな体験を通 点だ。筆者はこの疑問に対し、「(現代社会が鵜呑み じて生まれたであろう著者の理論には、極めてシン にしている)責任感のウソ」と題して「人がとるべ プルながら想像だけでは解らない不思議が隠れてい き責任ある行動はただ一つ。自分が心からしたいこ ると感じた。 とをすることである。それが人生で最も責任ある行 まず初めに、この本について考えてみる。 『ソー 動であり、その人が負う最高の責任である」とも述 ス』最大のテーマは「人生を自分自身の手によって べている。責任と言われると、それは自分を社会的 幸せに変えていく方法」を考えることにある。書名 に認めてもらうための一つの条件と無意識のうちに の由来も我々日本人には少し違和感があるかもしれ 捉えがちだけれども、お金や周囲の人々のためだけ ないが、ここでの「ソース」とは、トマト・ソース に自分の大切なワクワクを置き去りにしてしまう傀 などの料理用ソース“sauce”ではなくて、英語の 儡のような人たちは、はたから見れば幸せで責任あ “source” (日本語では「源」の意味)から付けられ る人間のようだが、実際には仕事や交友関係もうま ている。精神力の源・生きる意欲の源・幸福の源な くいかず心も満たされることがなく、精神的に不安 ど、挙げれば限りない。このソースから力を得るこ 定であることが多いそうだ。これでは会社や家庭へ とができれば、人生はいつの間にか上手く流れるよ の責任を負えるどころか自分自身さえ見捨ててし うに変わっていく。そしてそのための第一歩が「自 まった無責任な人間と思われても仕方がない。そこ 分が心からワクワクすること」を進んでやろうとい で考え方を改めて、まず自分のワクワクに素直にな うものである。これをやっていると気分が良くな ることから始めれば、その人はワクワクの満足感で る・無意識のうちに体や手が動いていく・満足感で 次第に心が落ち着き周囲との関係も安定してくるは 心が満たされるといった具合で、たいてい自分が好 ずである。そしてこの安定感のおかげで潜在的な自 奇心の旺盛な時代に毎日夢中でやっていたことが 信や気力が表に現れ、最終的に前述の不安定な人た 「ワクワク」であり、その人の「個性」であると筆 ちよりも多くの社会的貢献を果たせたとしたら、こ ― 19 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 れは自分のためにも他者のためにも間違いなく有効 な生き方である。先の筆者の言葉を分かりやすく言 い換えれば「嫌いなことばかりをいつまでも続ける 『西洋哲学史』を読んで くらいなら、自分が心から満たされる好きなものを 2年3組 永 井 誠 見つけて今すぐ始めたほうがよい」という感じに なって、ここまで来ればもう疑う人もいないのでは ないか。 内容が飛び飛びになると分かりづらいが、最後に、 私がこの本を読んで、まず言わなければならない 私の考える「ソース」プログラムの最も注目すべき のは、哲学に対する認識を大きく変えさせられた、 点と問題点を考えてみる。私が注目したのは、ソー ということである。そもそも、私が哲学に対してど スの理論はあくまでも人間の本能・直感に基づいて のような認識を持っていたかというと、現実的世界 おり、同時にこの上なくシンプルであるということ や社会の中、表現が曖昧になるが科学的根拠のよう だ。ヒトは本来、誰でも幸せになりたいと願ってい なものにある程度則って真理や答えというものを発 る。理由もなくわざわざ不幸になりたがる人はいな 見、探究する学問だと思っていた。実際がどうであ い。それはもしかするとヒトの本能が幸福になるこ るかは別として、この本を読んで私が抱いたものは、 とを自ずと肯定しているためではないのか。また、 日常的な言葉の概念というものが全く通用せずに自 論理的でない問題はアタマで考えるよりも本能の司 己の真理へその概念を与えていく、というもので る直感に任せたほうが的確な解を得やすいのではな あった。例えば、知性について考える時、「物事を いかとも思う。もちろんここでの直感とは、筆者の 考え、理解し、判断する能力。人間の知的能力」だ 言うワクワクと本質的に同じものだ。 とか常識的概念ではなく、論証のもとに概念を当て また、逆に問題点を挙げるとすれば、それは斬新 はめるような考えをし、根底の部分から矛盾のない 奇抜なシンプルさゆえの実行時の難しさだろう。類 ものをつくる必要があったのだ。此処に私が普段考 例が少ないこともあるし、著者が我々と思想の異な えていた生きる意味や幸福についてというのが、社 る 米 国 人 で あ っ た こ と も 原 因 の 1 つ だ ろ う か。 会哲学であり哲学という大きな枠組みに入っていな 『ソース』以外にも自分の人生を考えられるものは かったことを認識させられた。つまり、「何故私は 無限に存在するし、1冊の本に執着し過ぎるのもあ 幸福でないのか」という人がいた時、私ならば「人 まり良いことではない。2005年夏に邂逅したある小 はそれぞれ認識を持っており、共通認識を持つのは 説は、その内容が奇異ではあったが久しぶりに感銘 不可能であって、幸福を認識できていないだけであ を受けた。この小説は現在 TV アニメにもなってい る」と答えるであろうが、そういう単一的な、その るほどで、小説と評論文というカテゴリーの違いか 物に対する答えでなく、アリストテレスが言った らは単純比較できないけれども、『ソース』は私に 「魂の世話が大事であり、魂の求める本質を求めな とってはこの小説の延長線上にあるべき評論文だっ いから幸福ではない」という魂という視点を含めて たのかもしれない。これから先の未来、人生につい 大きな前提からの論証が必要となるのだ。哲学とい て思い詰めることがあったら、また開いて読みたい うのは私が考えていたよりもっと奥深く難しいもの なぁと感じさせる本だった。できれば周りの人にも であった。だが私は、疑問に対する単一的な答えを 「ソース」の考え方を1度知ってもらいたい。 放棄するが為に、それこそ単一的な似通ってしまう 論証を生み出すのではないかと思う。単一の疑問に は単一的にそれ自体で完結するようなものが存在す る筈であるから、前提的な論証はそういう意味で似 たものとなるはずだ。 次に、西洋哲学史の中で私が最も共感、感銘を受 けたゴッドフリード・ウィルヘルム・ライプニッツ という哲学者について話をしていきたい。私がライ ― 20 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 プニッツに共感を覚えた点は、哲学的な考え方であ え方の欠点や論理の穴というもの、何より大きいの る。その考え方というのは、「この世に不幸や悪が は事象の多様性を学んだことだと私は思う。読書感 あっても、結局それは全体的に調和する」というも 想文という強制されたものがなければ『西洋哲学 のでライプニッツの言う「予定調和説」である。つ 史』などという本を熱心に読むこともなかっただろ まり、物事について選択しなければならない時が う。そういう意味で私は読書と読書感想文に感謝を あったとして A という選択肢、B という選択肢、そ したい。 れ以外の選択肢を取っていたとしてもその中で取っ た選択肢が最も正しく、今ある世の中を作っている。 その中に悪や不幸だという選択肢があり、それが選 択されたとしても、その悪や不幸だとかが別の何か 『博士の愛した数式』を読んで で良い方向になるように全体的な調和があるという 2年3組 本 田 郁 弥 ことだ。この考えの根拠にライプニッツは、支配的 な神の存在を持ってくる。この支配的な神の存在が、 本来偶然性を持つ物事の選択を神が支配し、最も調 和できる世界へと導いているからで、その調和され 今まで、私の数学のイメージと言うものは、砂漠 た世界が良い世界というのは、神とは良い意思を のような冷たく機械的なイメージで文学作品のよう 持っているためであると言う。だが、この支配的な に読んでいるうちに心が温かくなるような温かさは 神の存在を根拠にするという考え方が私とライプ ないものだと思っていました。ですが、この作品を ニッツの違いである。何故ならば、私は全知全能で 読むと、数字には文学作品とは違うロマンがあり、 ある神の在り方は負の方向にもありえると考えるか 文学作品に負けないくらいの温かさのあるものだと らだ。つまり神とは、有知にして無知、無能にして 思えるようになりました。 全能、そして存在にして非存在である。人間は、無 この作品は8 0分しか記憶が持たない数学の博士と 知ということを知れない。何も知れないという無知 その家政婦さんとその家政婦さんの息子との日々の を知るということはありえない。しかし、全知全能 物語です。 である神にはそれが知れないなどということはあり この作品は、登場人物一人ひとりに対して、独特 えないはずである。それを極限まで追求していくな の世界観がありストーリーもとても面白くいろいろ らば、全知全能であるということは無知無能である なところで感動し、読み終えると胸が温かくなる、 ということもありうる。ならば神とはそういう全知 映画化にもされたとてもいい作品です。 全能としての矛盾性そのものだとも取れる。神はそ ですが、今回、私は、どちらかというとストー の矛盾性として社会、世界の中に存在し、また存在 リーよりも博士の数学に対する独特の世界観に一番 しないという形でいるはずであり、私とライプニッ 感銘を受けました。博士は数学を心から愛している ツの考え方の違いは此処にある。ライプニッツは支 のです。博士の数学に対する考えは、数学の嫌いな 配的に世界に調和するというが、私は世界の中に存 私にとっては、まさに目からうろこでした。はじめ、 在し、また存在しない矛盾性として選択の後からそ 私にとってなぜ博士はこんなに数学を愛しているの の世界をよりよく変質させていると考える。譬える か、ぜんぜんわかりませんでした。ですが、読んで なら、庭に植える木を選ぶのに庭師が助言するので いくうちに博士の考えが見えてくるようになり、次 はなく、主人が木を選んだ後に庭師がその木をでき 第に自分が数学の表面ばかりを見て、その奥にある る限りあうように整えるということだ。それが私と 数学のおもしろさをぜんぜん見ていなかったことに ライプニッツの考え方の違いである。 気づきました。 最後に、私は読書感想文に感謝したい。この本に まず、一番に驚いたのは数字です。物語の中で、 よって私の考えは大きな影響を及ぼされた。存在論 博士は家政婦さんに足のサイズやら誕生日やらを質 や認識論ということから物事を見直すことを学んだ 問します。そして毎回その答えの数字に対してさま こと、そして偉人の考え方に触れることによって考 ざまな意味や数式を教えてくれるのです。例えば、 ― 21 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 足のサイズを24と答えたならば、24は4の階乗、電 ままで自分の証明を一度でも美しいと考えたことが 話番号を576−1455と答えたなら5761455は1億まで あっただろうか?そして、今までの自分の証明は、 に存在する素数の個数など、身の回りにある、どん その問題の証明をちゃんとしようとするよりは、こ な数にも私たちが想像もしていなかった隠された何 れぐらいかけばたぶん点数はもらえるだろうという かが出てくるのです。自分でもなにかそんな身近な ような適当なものだったということに気づきました。 数字に隠された何かを発見できないかと思い、自分 そして、美しい証明とはなんなのか、自分は証明で の身の回りの数字について考えてみました。といっ なにを示したいかなど考えて、改めて証明問題にこ ても数字というものを改めて考えてみると私たちの れからどう取り組むべきなのかを考えさせられまし 日常には数字はあふれ過ぎていてどれからさがせば た。 いいのかわからなくなってしまったのでとりあえず このように、この作品には新たな発見やたくさん 自分の誕生日について調べてみました。私の誕生日 あり勉強になることばかり書いてありました。高専 は8月1 1日なので8 11をとりあえず考えてみたので に入って一年、中学校とは違う数学を学びすっかり すがやはりそう簡単にはみつからず、自分自身の力 数学というものが嫌いになっていた私ですがこの本 だけでは8 11が素数だということしかわかりません を読んで、数学を毛嫌いする前にまず、もっともっ でした。そこでインターネットで調べてみると、 と数学を知ろう。まずはそこからだと思えるように 8118 11は141番目の素数で、61番目の双子素数、逆 なりました。 数の循環節:810桁、次の素数までの差は10、8進 この本を読むと、いろいろな発見ができ、必ず今 16進数表記 (32B) 8番目の3n +1 数表記 (1453) 8 1 6、6 までの数学の見方が変わると思うので数学が嫌いな 型の素数(8 11=2 82+3×32)、38番目の8n +3型の 人ほどよんでみてください。 素数(811=192+2×152)、55番目の非正則素数な ど素数についてだけでもいろいろなことがわかった のですが、ほとんどまだ、習ってないことばかりで 自分は数学が嫌いだ嫌いだという前に数学のことを 『夢の図書館』(作文) まだほとんど知らないのだなあと実感しました。ま 1年1組 野 口 晋太郎 た福岡県の一部の地域の郵便番号の上3桁も811 だったりして別にどうということでもないのですが とてもおもしろかったです。 つぎに、一年の入学前に読んだ課題図書で数字の …夢の図書館とは何だろう。 ゼロについて書かれたものがありました。その内容 とりあえず本がたくさんあるってことは絶対条件、 は、ゼロの起源、数学で持つゼロの重大性、など興 お金と違って本はあればあるほど良いはずだし、も 味深く感心するものばかりだったのですがいまいち う思い切って地球内に存在する全ての本を蔵しちゃ 理解が難しいものでした。この作品でもその本と同 えばいいのだ、点字図書・音声図書・大活字図書も じようにゼロについて博士が語っている所があり、 全ての本に対して作成する。…だけどそうなると土 博士が言っていることはその課題図書の作品とかわ 地とか建設費とかなんたらの金銭関連が凄いことに らず、説明も課題図書の方がくわしかったのですが、 なりそうだ、地球内にある全ての本を本棚に並べて 表現方法がまるで違い、頭にも心にも残るものでし 図書館内に整列させようとすれば東京ドームぐらい た。 の広さは軽く超えちゃうだろうし、そんな異常な広 高専に入ってからの数学は難しく問題ひとつ解く さの中にもし足腰の悪い、お年を召された方が来て にも証明問題のように自分がどう考えてその答えに 本を探そうと歩き回ったりしたら腰痛が悪化してし したのかを書き示さなければならず、それをどう表 まうだろう…それはいけない。この高齢化社会にそ 現すればいいのかがわかりませんでした。ですが、 んなことがあっては評判が落ちてしまうかも知れな 作品の中で博士は証明は美しくない証明など意味が いので〈動く床〉なるものを多少は設置すべきであ 無いと語っています。それを読んだとき、自分はい ろう、根性があるならば自力で本を探すのも良い、 ― 22 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 もちろん蔵書検索をしてくれる司書さんのご協力も 事。せっかくなので春夏秋冬―四季の変化を感じら 必要不可欠だ、本好きな全ての人の為に夢の図書館 れるようにしよう。池を造って金魚を飼うのもいい は存在し、常に己を高めなければならない。 (共食い注意)。真っ白なキャンバスを持ち出して柔 長所=短所になってしまうのは必然、それだけ本 らかい日差しの中、紅葉世界の絵を描くのもいい。 があるのだからしっかり自然の驚異対策もしないと 移り変わる季節を感じながら、渋いお茶を片手に いけないと思う。自然災害には勝てない。大地震が まったりと読書に勤しむ…うん、風流、風流。 起きて本棚は揺れて、本は乱舞、それが原因で負傷 意思さえあればたとえ火の中、水の中、サハラ砂 者が出てしまい【大地震―頭上に複数の図鑑が落下 漠のド真ん中。世界の何処からでも来訪可能ですと し高校生(16)が重体…友人がその胸中を激白、 いうことにすれば SF・ファンタジーよろしくさら 「彼は本に埋もれて死にたいと言うほどの本好きで に夢の図書館というものに近づく。本を愛する気持 …」】なんてことになってしまったら記事にはなる ちに距離なんていう些細なものは関係無いのだ。 がシャレにはならない、極端論すぎるけどこの世は 図書館内の時間の流れ方を少し遅めにしてもらっ 何が起こるか分からないのだから、常に最悪の事態 たらとっても助かる。一心不乱に読書していると、 を考えていった方がいい。どれだけ注意したって、 この世に時間のルールがあることなんか忘れてしま そういう類のものは起こる時には起こってしまうの うのだ。みなさんにもこの経験はあると思う。なん が此の世なのだけど…。とにかく後悔は出来るだけ で好きな事をしている時間はあんなにも短いのだろ 避けて生きたい。何事も“備えあればうれしいな” う、今思っても腹が立つ。そんな悲しい現象を少し なのだろう。日本が沈没しようとも、世界が狂い始 でも緩和する為、館内だけでいいから時間の流れを めようとも、夢の図書館は絶対に壊れない、そうい 遅くしよう。これで心置きなく面白い本探しや読書 う気合で行こう。夢の図書館は安全性もピカイチで が出来るというもの。夢の図書館は伊達じゃないの なければならないのだから。 だ。 DVD や CD といった資料も圧倒的に充実させよ “夢の”なのだから本当に理想ばかりを書き連ね う。私は文字による情報の方が好きだけど、時代の た、以上が私の抱く夢の図書館だ。 変化に応じてそういったニーズも増えているのだろ うし。夢の図書館を訪れる全ての人間の様々な期待 に応える為にもそうした方が良い。 静かな場所の提供にも最善を尽くさなければなら ない。外界からの雑音をことごとくシャットアウト しよう、読書の天敵とも言える雑音達を掃討するの だ。理想は木々のざわめく音や風の音、スズムシの 音などといった綺麗な音以外の封印。雑音から乖離 された世界の構築。これでまた夢の図書館に一歩近 づいた。 エコ対策もバッチリにした方がいい。地球温暖化 を少しでも遅らせる為、目指すはエアコンを使わな くても夏は涼しく冬は暖かい、電力消費も最小限に 抑 え ら れ 財 布 に も 優 し い、そ ん な 場 所 の 提 供。 キャッチフレーズは『緑の地球を死守せよ、人間に 優しい夢の図書館は自然にも優しいのだ』で図書館 の周り(館内も)を花と緑でいっぱいにして欲しい。 桜を植えたらさらに完璧だ、春になると散りゆく花 びらで桜吹雪が起きてなかなかの見ものだと思う。 遠山の金さんも思い出せるし、なにより季節感は大 ― 23 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 第52回 全 文 国 想 コンクール 感 書 読 年 少 青 熊本県審査入賞者! 第52回青少年読書感想文全国コンクール熊本県審査において、校内読書感想文コン クールで入賞した3名が応募し、全員が入賞を果たしました。 表彰式は、平成18年12月14日(木)、校長室で行われました。 記 優秀賞…1年4組 眞岡 由衣 『光抱く友よ』を読んで 入 選…2年2組 野口 千恵 『黄色のトマト』を読んで 佳 作…1年1組 川端 雄三 「博士の愛した√」 『受賞の言葉』 優秀賞受賞者 眞 岡 由 衣さん 今回私の作品が、優秀作品という素晴らしい賞に選ばれて、とても嬉しく思います。 この本が私に教えてくれたものは、友情の温かさと、人を信じる強い心でした。こ れから生きていく中で、私はたくさんの困難に出会い、立ち止まって後ろを振り返る ことがあると思います。しかしそんな時は、この本が教えてくれたことを思い出し、 前に進んでいきたいです。そして、これからも、たくさんの本に出会い、多くの考え 方に触れ、心を豊かなものにしていきたいと思います。ありがとうございました。 ― 24 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 図書館からの 2 00 6. 1 2. 1 お 知 ら せ 新着図書案内 著 者 名 書 名 発 行 所 0 00 総記 「生きる力」編集委員会 岩波ブックレット689:生きる力 岩波書店 澤藤統一郎 岩波ブックレット691: 「日の丸・君が代」を強制してはならない 岩波書店 J.S. アイリッシュ 漂泊人からの便り 南日本新聞社 ハーシー PHP + MySQL(速効!図解プログラミング) 毎日コミュニケーションズ 山本信雄 VisualC++ はじめてのWindowsプログラミング 翔泳社 矢沢久雄 プログラムはなぜ動くのか 知っておきたいプログラミングの基礎知識 日経 BP 社 白石 拓 トンデモない生き物たち 宝島社 谷尻かおり・谷尻豊寿 VisualC # 2005 「実践」 プログラミングテクニック 技術評論社 arton VisualC # 200 5 プログラミング入門 アスキー 杉山友之 デジタルの仕事がしたい 岩波書店 日本雑学研究会 相手の心をギュッとつかむ話のネタ・雑学の本 幻冬舎 J. ミンチントン うまくいっている人の考え方 ディスガヴァー 渡邉美樹 きみはなぜ働くか。 日本経済新聞社 1 00 哲学 ボビー・ヘンダーソン 反・進化論講座 空飛ぶスパゲッティ・モンスターの福音書 築地書館 南部ヤスヒロ 4コマ哲学教室 イースト・プレス キム・ホンシク この世でいちばん大切なものは 佼成出版社 中谷彰宏 「1 7歳力」のある人が、成功する。 大和書房 一条真也 10 0文字でわかる世界の宗教 ベストセラーズ サットン 押したい背中 イースト・プレス 小野田寛郎 たった一人の30年戦争 東京新聞出版局 貞刈惣一郎 私たちの百年:惣ちゃんは戦争に征った 海鳥社 2 00 歴史 ― 25 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 著 者 名 書 名 2 00 6. 1 2. 1 発 行 所 今村治華 島を旅する 南方新社 徳大寺有恒 ぶ男の遺言 講談社 テレビ東京 ガイアの夜明け闘う100人 日本経済新聞 ジェイムズ・ブラッドリー 父親たちの星条旗 イースト・プレス 朝日新聞社 サザエさんをさがして 朝日新聞社 河村たかし おい河村!おみゃあ、 いつになったら総理になるんだ KK ロングセラーズ 大賀英徳 現職人事が書いた「公務員になりたい人へ」の本 2008年度版 実務教育出版 畑村洋太郎 失敗学 ナツメ社 向谷匡史 悪の殺し文句 幻冬舎 西原春夫 日本の進路アジアの将来 講談社 秋山真志 職業外伝 続 ポプラ社 アレルギーっ子のためのおいしい毎日ごはん オレンジページ 後藤憲一 詳解物理学演習 上 共立出版 後藤憲一 詳解物理学演習 下 共立出版 漆田公一 やめたくてもやめられない!依存症の愉快な人たち 日本文芸者 岡野雅行 俺が、つくる!(推薦) 中経出版 高橋登史朗 入門 Ajax 増補改訂版 ソフトバンククリエイティブ 森田慶子 がぶり!トヨタ 明日香出版社 辻 信一 ハチドリのひとしずく 光文社 サラ・マッカートニー 偽ブランド狂騒曲 ダイヤモンド社 伊藤信吾 風に吹かれて豆腐やジョニー 講談社 3 00 社会科学 4 00 自然科学 5 00 工学・技術 6 00 産業 樽見 茂 “豆腐一丁”をどう売る? かんき出版 芳中 晃 ディズニーランドはなぜお客様の心をつかんで離さないのか 中経出版 ティモ・コポマー ケータイは世の中を変える 北大路書房 ― 26 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 著 者 名 書 名 2 00 6. 1 2. 1 発 行 所 7 00 芸術 所ジョージ 所ジョージのキャラクターナビゲーション ネコ・パブリッション 加瀬建造 サムライトレーニング アスリートの肝は肩甲挙筋にあり ! ベースボール・マガジン社 森永スポーツ&フィットネスリサーチセンター スポーツとフィットネスのためのサプリメントがもっとわかる! 森永製菓健康事業部 前田秀樹 サッカーの戦術&技術 新星出版 ほしよりこ きょうの猫村さん 1 マガジンハウス ほしよりこ きょうの猫村さん 2 マガジンハウス 児玉光雄 オシム知将の教え 東邦出版 深川峻太郎 キャプテン翼勝利学 集英社インターナショナル 藤沼正明 プライド中村俊輔 ソニー・マガジンス 吾妻ひでお 失踪日記 イースト・プレス 8 00 言語 マリア・カルメラ・ベトロ 早川 勇 〈図説〉ヒエログリフ事典 創元社 英語になった日本語 春風社 張平 十面埋伏 上・下 新風舎 内田百 百鬼園随筆 新潮社 内田百 第一阿房列車 新潮社 カズオ・イシグロ わたしを離さないで 早川書房 張平 凶犯 新風舎 アラン=フルニエ グラン・モーヌ みすず書房 町田 康 告白 中央公論新社 宮部みゆき 名もなき毒 幻冬舎 宮部みゆき ICO 霧の城 講談社 乙一 暗黒童話 集英社 乙一 失われる物語 角川書店 乙一 銃とチョコレート 講談社 浅田次郎 特別版 地下鉄(メトロ)に乗って 徳間書店 森 博嗣 Φ(ファイ)は壊れたね 講談社 9 00 文学 ― 27 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 著 者 名 書 名 2 00 6. 1 2. 1 発 行 所 森 博嗣 θ(シータ)は遊んでくれたよ 講談社 森 博嗣 τ(タウ)になるまで待って 講談社 池田あきこ ダヤンとタシルの王子 ほるぷ出版 池田あきこ ダヤンとハロウィーンの戦い ほるぷ出版 西尾維新 アナザーホリック ランドルド環エアロゾル 講談社 西川美和 ゆれる ポプラ社 定金伸治 他 とるこ日記:ダメ人間トリオの脱力旅行記 集英社 凛 もしもキミが。 ゴマブックス 大田 光 パラレルな世紀への跳躍 楓書店 有也 Love at night ホストに恋した女子高生 ミリオン出版 山本甲士 墨攻 小学館 源倫太郎 匂いをかがれるかぐや姫 マガジンハウス 涙が出るほどいい話 あのときは、 ありがとう 河出書房新社 万城目学 鴨川ホルモー 産業編集センター 一ノ瀬未希 1 4才の母 幻冬舎 劇団ひとり 陰日向に咲く 幻冬舎 「小さな親切」 運動本部 カルロス・ルイス・サフォン 風の影 上 集英社 カルロス・ルイス・サフォン 風の影 下 集英社 クリストファーパオリーニ エラゴン 1 ヴィレッジブックス クリストファーパオリーニ エラゴン 2 ヴィレッジブックス クリストファーパオリーニ エラゴン 3 ヴィレッジブックス ロブキャット・ジャンボル・オル パイレーツ・オブ・カリビアン 1 講談社 ロブキャット・ジャンボル・オル パイレーツ・オブ・カリビアン 2 講談社 ロブキャット・ジャンボル・オル パイレーツ・オブ・カリビアン 3 講談社 ロブキャット・ジャンボル・オル パイレーツ・オブ・カリビアン 4 講談社 ロブキャット・ジャンボル・オル パイレーツ・オブ・カリビアン 5 講談社 コルネーリア・フンケ 魔法の文字 WAVE 出版 コルネーリア・フンケ 魔法の声 WAVE 出版 ― 28 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 平成1 8年度 図書館運営委員・学生図書委員紹介 平成1 8年度図書館運営委員 図 書 館 長 一般科目自然科学系 一般科目非自然科学系 情 報 通 信 工 学 科 電 子 工 学 科 電 子 制 御 工 学 科 情 報 工 学 科 視聴覚教育研究会委員長 庶 務 課 長 村 山 上 崎 充 純 裕 永 野 拓 也 小 茂 田 伊 山 義 嶋 田 泰 大 隈 千 伊 山 義 (併)平 尾 好 平成1 8年度学生図書委員一覧 治 忠 幸 春 忠 生 1学年 学 級 氏 名 1 坂 組 本 2 駿 森 組 下 康 3 生 中 組 村 早 4 希 近 組 藤 隆 充 2学年 学 級 氏 名 1 内 組 藤 一 2 平 前 組 村 優 3 香 長 組 岡 4 博 古 組 閑 智 士 3学年 学 級 氏 名 情報通信工学科 迫 浩 電 子 工 学 科 平 田 中 啓 電子制御工学科 太 平 井 裕 情 報 工 学 科 太 山 口 優 輔 4学年 学 級 情報通信工学科 氏 名 大 田 真 菜 美 学 級 情報通信工学科 氏 名 津 々 浦 真 弥 電 子 工 学 科 黒 田 電子制御工学科 茜 吉 岡 情 報 工 学 科 崇 堀 竜 慈 5学年 電 子 工 学 科 山 内 電子制御工学科 猛 ・学生図書委員会委員長 若 山 翔 太 ・学生図書委員会副委員長 堀 竜 慈 ― 29 ― 若 山 翔 情 報 工 学 科 太 碇 山 徹 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 図書館利用案内 開館時間・休館日 4月∼9月 8:30∼20:00 10月∼3月 8:30∼19:00 春季・夏季・冬季休業期間中の平日 8:30∼17:00 1月∼1 2月 10:00∼16:00 春季・夏季・冬季休業期間中の土曜日 休館 平日 土曜日 休館日 日曜日、祝日、 1 2月28日∼1月4日 貸出について 貸出しの種類 借受者 貸出期間 貸出冊数 職 員 1か月間 5冊以内 学 生 1週間 3冊以内 学 生 7月15日∼9月5日まで 及び 12月20日∼1月10日まで 5冊以内 卒業研究学生 2か月間 5冊以内 一般貸出 長期貸出 ○図書を借りるときは、借りたい図書に学生証を添えてカウンターの係員に申し出て下さい。 ○図書を返却するときは、カウンターの係員に返却して下さい。 注意事項 図書、雑誌等は無断で持ち出さないこと。 館内では静かにすること。 館内では飲食はしないこと。 一般者(学外)の方へのご案内 利用手続き 図書館カウンター備え付けの「図書館利用申込書」をご提出下さい。 貸出について 貸 出 期 間 貸 出 冊 数 1 週 間 3冊 以 内 ― 30 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 図書館概略図 AVルーム 入 口 書 庫 掲 示 板 新 聞 掛 け 事務室 カ ウ ン タ ー 新 刊 コ ー ナ ー フ ラ ワ ー ボ ッ ク ス 雑誌コーナー 雑 誌 架 雑誌架 総 記 文庫コーナー 哲 学 歴 史 蔵書検索用パソコン (シラバス掲載) 参考書・専門書 歴 史 地 理 開架書架 社 会 科 学 大型図書 自 然 科 学 辞 典 参 考 図 書 工 学 工 学 工 学 産 業 語 学 芸 術 文 学 文 学 非常口 ― 31 ― 熊本電波高専図書館だより 第1 8号 2 00 6. 1 2. 1 図書館利用状況報告 1.入館者数 (平成18年4月∼11月) 月 4月 5月 6月 7月 8月 通常時間内 3, 835 3, 9 40 5, 697 3, 4 72 入 館 者 数 夜間開館 6 40 1, 01 1 1, 1 22 土曜開館 23 合 計 8 7 9月 1 0月 合計 1, 692 5, 363 3, 55 3 3, 8 05 31, 3 5 7 3 84 夏季休業中 1, 16 6 255 1 1月 6 2 夏季休業中 4, 498 5, 0 38 7, 074 3, 9 18 106 445 82 9 5, 5 9 7 6 4 10 1 6 9 8 1, 692 6, 635 4, 06 2 4, 7 35 37, 6 5 2 2.貸 出 数 (平成18年4月∼11月) (冊) 250 216 189 200 155 154 150 121 115 96 89 100 67 52 50 25 4 8 1−3 1−4 17 10 18 14 10 36 19 35 0 1−1 1−2 2−1 2−2 2−3 2−4 T−3 E−3 C−3 Ⅰ−3 T−4 E−4 C−4 Ⅰ−4 T−5 E−5 C−5 Ⅰ−5 専攻科 (クラス) 3.蔵 書 数 (平成18年12月1日現在) 区分 図 書 の 冊 数 和書 洋書 計 雑 和雑誌 誌 の 種 洋雑誌 類 計 数 総記 哲学 歴史 社会科学 自然科学 工学 5, 3 81 2, 600 4, 8 80 5, 165 9, 4571 7, 369 51 5 14 4 8 24 6 67 1, 582 5, 8 96 2, 614 4, 9 28 5, 18910, 1241 8, 951 28 1 3 4 1 2 9 1 3 4 11 1 8 2 5 1 3 2 3 産業 芸術 語学 文学 計 92 7 2, 48 4 2, 62711, 07 2 6 1, 9 6 2 5 20 3 67 894 4, 1 3 6 93 2 2, 50 4 2, 99411, 96 6 6 6, 0 9 8 0 17 5 3 4 0 17 9 9 0 1 2 3 1 0 2 4.視聴覚資料 種 類 DVD ビデオテープ CD 数 量 2 22巻 79 0巻 6 20枚 ― 32 ― LD (レーザーディスク) 19 0枚 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 【お知らせ】 1.図書館だよりの創刊 今年度は、図書館の活性化を目指して、 “図書館へ行こう” 、 “図書館を知ろう” 、“図書館 を使おう”という目標に沿って取り組みを行うこととし、そのうちの“図書館を知ろう”の 取り組みとして、学生図書委員との話し合いから、『図書館だより』の構想がうまれました。 新着図書の案内、図書館からのお知らせ、学生図書委員からの記事、推薦図書の案内など を掲載し、6月1日付けで第1号を創刊。12月1日付け、第4号まで発行しました。 今後も、1∼2月に1回のペースで発行する予定ですので、興味のある本などを見つけて ぜひ、図書館に足を運んでください。 また、皆さんからの投稿記事も随時、募集しています。 2.作文コンクールの新設について 今年度より、例年実施してきた読書感想文コンクールに加えて、作文コンクールも募集す ることにしました。第1回の今年度は「夢の図書館」という課題テーマも設けましたが、作 文のテーマは自由ですので、皆さん自由に書いてください。 なお、来年度より、読書感想文コンクール及び作文コンクール副賞の図書券を倍額にする 予定ですので、多数の応募を期待しています。 ちなみに副賞の金額は次のとおりです。 最 優 秀 賞…図書券 10, 000円 優 秀 賞… 〃 6, 0 00円 佳 作… 〃 4, 0 00円 3.図書館システムの更新について 図書館システムを平成19年3月に更新します。現在のシステムは、平成11年3月から使用 しており、老朽化したため、図書館業務の充実を計るため、長岡技術科学大学を中心とした、 高専統合図書館システムを導入することにしました。 ― 33 ― 第1 8号 熊本電波高専図書館だより 2 00 6. 1 2. 1 「図書館だより」編集担当委員 村 上 純 一般科目 永 野 拓 也 電子制御工学科5年(委員長)若 山 翔 太 情報工学科4年(副委員長) 堀 竜 慈 情報工学科5年 碇 山 徹 電子制御工学科3年 平 井 裕 太 図書館長 ※表紙の写真は情報通信工学科 合志和洋先生から提供いただきました。 編集後記 今回は読書や図書館をめぐる随想を、図書館長の村上先生、情報通信工学科の 古賀先生、電子制御工学科5年の若山君、情報工学科5年の碇山君から、それぞ れご寄稿いただきました。また昨年と同様、ブックハンティングへの参加学生か らの感想も寄せていただいております。教員からの図書紹介も含め、学生の皆さ んの読書の参考となればと思います。 さらに、校内読書感想文コンクールの選考結果、および入選作品を、例年の通 り掲載いたしました。審査員の先生方、ご選考ありがとうございました。今年度 は、校内コンクールで最優秀作および優秀作に選ばれた三人の学生が、第52回青 少年読書感想文全国コンクール熊本県審査におきまして入賞しております。とく に優秀賞を受賞しました眞岡さんから、受賞の言葉も寄せていただきました。学 生の皆さんもこれを励みに、かけがえのない読書体験を言葉にしてみてください。 最後に、〈図書館からのお知らせ〉のページに各種情報を掲載いたしましたの で、教職員の方々・学生の皆さんともご一読いただければと思います。 図書館運営委員会委員:永野 拓也 ― 34 ―
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