同窓会だより 「遠く広く」 平成10年内科レジデント 神戸大学医学部附属病院 病理診断科 原 重雄 . ある日、昼の勤務時間帯に突然外線が入り、副院長の竹内和男先生から直接電話をいただきま した。虎の門を離れて今年で8年目に入り、ここで働いていた記憶が所々薄らぎつつありました が、その歳月を越えて日常業務の中で院内電話を受けたような奇妙な感覚になりました。『広報 と らのもん』に原稿を執筆して欲しいとのご依頼であり引き受けさせていただき、見本として後日郵送 されてきた広報誌に寄稿されている先生方が執筆された寄稿文を拝見したところ、その厚みのあ る内容に圧倒されましたが、自分なりにここまで歩んできた道を振り返り、共に働いた方々への近 況報告としたいと思います。 私は平成10年に内科レジデントとして採用されました。学生時代は漠然と病理をやりたいと思っ ていましたが、臨床の先生と議論をする上で診断の立て方・考え方を身に付けておいた方が良い だろうと考え、2年間という限られた時間の中で最大限の経験値を身に付けることを目標として臨 床研修を始めました。レジデントクォーターに住み込みで働いた2年間は大変でしたが、とても充 実していました。8階の職員食堂でよく食待ちしてもらい、一人で夜の赤坂アークヒルズを眺めなが ら食べたことを思い出します。2年目の終わり近くになって後期研修も継続してやろうかとも思いま したが、やはり診断病理医になる希望が勝り、平成12年に病理部専攻医となりました。 病理部では当時の松下央部長の指導の下で病理診断や剖検のトレーニングを受けるとともに、 経験豊富なスタッフの先生方や技師の方達にもいろいろ教えていただき、非常に密度の高い病理 研修をすることができました。学生時代から腎病理に興味があったこともあり、診断病理の中で専 門を一つ決めるよう言われた際には迷わず腎病理を選びました。腎生検の光顕・蛍光・電顕を同 一施設内で行っている所は大学を含めてもそう多くはなく、豊富な生検症例や毎月開催される腎 生検カンファレンスでの議論を通して大いに経験を深めることができました。診断業務・カンファレ ンスや剖検症例検討会のみならず、各科の先生からも学会発表や論文などで興味深い症例の病 理所見や多数症例の病理組織学的検討を担当させてもらう機会が多々あり、これらの経験を通し て臨床各科の先生方にも大いに育てて頂いたと思っています。現在は埼玉県立がんセンターに移 られてしまいましたが、消化器外科の江原先生から800例を超える胃癌症例の深達度について再 検討して欲しいとの依頼を受けたときはさすがに大変でしたが、これも今となっては良い思い出で す。 病理部に入った時、自分はずっと病理診断医として一般病院の病理部でやっていくものと何の迷 いもなく思い込んでいました。最初の頃は指導医の先生に言われたことを教科書で調べ自分の中 にfeed backさせるだけで精一杯でしたが、病理専攻医3年目になって標本を見ることにある程度 余裕が出てくるようになり、図書室で論文を調べる際に目にしたいくつかの基礎研究雑誌を読む機 会が増えました。病理組織像という“形”を構成するに至る過程では組織・細胞レベルでの様々な 生理的機能や分子生物学的メカニズムが複雑に作用し合う背景があり、形態学を別の角度から 見るような研究をしてみたいと思うようになりました。松下部長に相談したところ、当時は大阪大学 微生物病研究所で細胞内情報伝達の可視化をテーマとして精力的な研究を展開されていた松田 道行教授を紹介していただきました。平成16年に病理診断専門医の資格を取得し、診断病理の世 1 界に一旦区切りをつけて平成17年に博士課程大学院生として研究を始めました。 それまでの実験手技といえばFISH検査やパラフィン検体からのmRNA抽出程度のことしか経験 がなく、松田研での本格的な研究は私には初めて耳にする用語・概念が飛び交う世界であり、最 初から面食らうことばかりでした。内科レジデントとして働き始めた最初の頃と似た状態で、日々の 議論についていこうとただ必死でした。毎週教授が行う実験データのノートチェックがあり1週間分 のデータを提示するのですが、データの評価以前に、実験手技が不安定で結果が十分解釈でき ないようなデータばかりの時はノートチェックが憂鬱だったことを昨日のことのように憶えています。 次第に実験手技も安定してデータが徐々に出始めると、あとは診断病理の時と同様で少しずつ周 りの議論に興味がもてるようになり、基礎研究の奥深さ・面白さを感じるようになりました。途中、研 究を進める過程で新しい実験系を学ぶためイギリスのラボへ短期滞在する機会があり、こういった 経験を通じて大学院修了後は海外へ留学したいという希望もありました。一方、一連の実験で細 胞内の分子挙動を見るうちに、これが生体内でどのような疾患に関連しているのか、どのような組 織像と結びつくのかといった疑問も常に持っていました。小動物を使った実験系という手もあります が、やはり自分はヒトの病理組織で勝負したい、大学院での研究経験を診断病理の新たな見方に 応用したいと考えるようになりました。迷った末に松田教授に相談し、当時、北海道大学病院病理 部から神戸大学病院病理部に着任されたばかりの伊藤智雄教授を紹介していただき、学位を取 得した後に平成21年4月から神戸大学医学部附属病院病理部で勤務しています。神戸大学では 虎の門時代に引き続き腎生検病理を担当しています。虎の門と同様、電顕を含めて全て自施設で 診断を行っており、恵まれた環境で働けることをありがたく思っています。大学ならではの症例(骨 軟部腫瘍、小児疾患)も多く、病理診断全般の力をさらに向上すべく標本の山と格闘しています。 教育に携わる機会も多く、病理専攻医だけでなく医学部学生、海外からの研修医学生・大学院生 に病理を教える中で、試行錯誤しながらも自分に最も合った教育方法を模索しています。 大学院での研究に私を導いて下さった松下部長は平成16年に膵癌で逝去されました。病理専攻 医になって最初の正月に松下部長から年賀状に、“目標を5年後、10年後と置いて、視点を遠く広 くして進んで下さい”との言葉を頂きました。この内容にどれほど沿って歩んでいるか、それを見て いただくことがもうできないのはとても残念です。恐らく“まだまだ”と厳しい言葉が返ってくるような 気がします。刻苦勉励を肝に銘じつつ、これからも歩んでいきたいと思います。 2
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