腰に差した一本 修猷魂を考える 東京修猷会会長 箱島信一(昭和 年卒

腰に差した一本
修猷魂を考える
東京修猷会会長
箱島信一(昭和 31 年卒)
明けましておめでとうございます。去年6月の総会のテーマは「修猷魂
を次代に、そして世界に繋ぐ」でしたが、年頭に当たって私も「修猷魂」
について改めて考えてみました。当然のことながら魂や精神の実体は、言
葉という柄杓ではなかなか掬いあげにくく、ここでは抽象論に替えて二人
の館友について書くことにします。
昭和31年卒業の同級生の一人に松汐悟君がいます。彼は修猷卒業後、
裸一貫で社会に飛びこみ 、時に苦杯をなめながら様々な事業を手掛けた後 、
晩年は警固校区自治協議会会長として新旧住民の融和に心を砕くなど、地
域社会のために貢献することを生き甲斐とした人生を送りました。過去形
で書くのは、残念ながら昨年9月、急逝したからです。
在校中は小柄ながらラグビー選手として活躍し、卒業後は束縛の少ない
自営業者という立場もあって私たち「31会」の永久幹事の役割を果たし
てくれていました。瓢々かつ直情の男。福岡での通夜では財務省勤務の息
子さんが威厳に満ちた父親像を述べ、地域のリーダーとして頑固で人情に
厚い故人の人柄が出席者からこもごも語られました。会場には警固子ども
会育成会の小中学生が多数参列して壇上に整列し 、「会長さん、有難うご
ざいました」と言って合掌。この光景に松汐君の見事な人生が凝結された
ような思いがして、深い感銘を受けました。
彼は「31会」卒業50周年記念誌に寄せた「私の恩人」と題する一文
の中で、勉強嫌いの超低空飛行ぶりを軽妙な筆致で述べながら、先生方に
如何に愛されたかを懐かしそうに振り返っています。カンニングのお目こ
ぼしもあったとか 。“劣等生”切り捨てや排除の論理とは対極の温かい空
気が松汐君を守り成長させた事情がよくわかります。
東中洲でスナックを開業の際、創業資金を申し込んだがどこも相手にし
てくれない。思いあぐねて、修猷生の時しばしばお宅を訪ね息子同様に遇
してくれた同窓の蒲池徹志君のお母さんに借金の保証を頼んだら二つ返事
で了承、歯科医院長夫人の保証を確認した銀行は直ちに融資に応じてくれ
たというのです。
それから数十年を経てその恩義のことを蒲池君に言ったら 、「なんのこ
とや? 」。お母さんは何も息子に話していなかったのでした。
これを読んだ時、修猷館のこととなるとなぜ夜も昼もないほど熱くなる
のか、その秘密が分かったような気がしたものです。
その彼が50歳台半ばのころ、雑談の中で修猷気質についてこんな風に
言ったことを覚えています。
「修猷を出た人間は頭も人柄も良かけん、会社でも役所でも良かところ
まで行くばってん、肝心の最後の所でよう行かんことが多いもんね。腰に
一本下げとるとが邪魔するったい」
腰の一本とは、人間としての尊厳、信念、使命感といったものを指すの
でしょうが、自由人松汐君もその例外ではなく、だから懸命に慟いたのに
博多の街に松汐ビルや悟タワーが建つことはありませんでした。
多くの館友が「腰の一本」にこだわる傾向は、10歳代後半の多感な時
期、修猷生として自由な空気をたっぷり吸ったことと関係しているような
気がします。自由と自主尊重の校風に育まれた精神は、社会の荒波にあっ
てもそう簡単に劣化するものではありません。
もう一人は伊藤正孝さん。後に朝日新聞の国際記者として鳴らした私の
一級上の先輩です。もう20年近く前のことですが、為替相場の見通しに
ついて質問を受けたことがあります。後でわかったのは、伊藤さんはエチ
オピアの反政府ゲリラをたびたび現地取材して多くの戦士たちと心が通じ
合うようになり 、出版で得た印税を彼らに送金しようとしていたのでした 。
組織に属する記者としていささかルール逸脱のそしりを免れませんが、抑
えがたい正義感と熱情のなせる業だったのだと思います。
伊藤さんが初めて衆議院選挙に出る親友の山崎拓さんに、貰ったばかり
のボーナス袋を封も切らずにそっくり手渡したという話は今も語り草で
す。まだ駆け出しの薄給時代だから奥さんはたまらない。後できついお灸
をすえられたそうですが、この二人はイデオロギーや政治的信条では相当
隔たりがあったはずなのに、修猷という触媒がはいると忽ち一体化の化学
反応が起きてしまったようです。
このように情や心意気といった要素がかなり濃厚なのも修猷魂の特徴と
言えるでしょう。世界百都市でのジョギングを目指していた伊藤さんも既
に鬼籍の人となって久しいのですが、感性に触れた事柄は経年風化に対す
る耐性が特別なのか、いつまでも懐かしく私のの胸に留まっています。
二人を支えた修猷魂について思いつくままに書いてみました。ともに母
校を終生誇りとし、熱くそして爽やかにそれぞれの生を全うしました。天
晴れな人生だったと思っていす。
東京修猷会会報第22号(平成22年1月1日発行)