アルメニアンダンスパート1解説

A. Reed 作曲「アルメニアン・ダンス
パート1」(Armenian Dances (Part 1))
SWHE
Tp
解説
植村
哲
何をいまさら、天下のリード(Alfred Reed)(1921-2005)でアルメニアン・ダンスなんて解
説無用じゃ!<`ヘ´>という声が聞こえてきますが、じゃあお伺いしますが、アルメニアっ
てどこにあるか知ってますか?
曲そのものの解説や演奏は山とありますが、実は「吹奏楽教」の当然の
道理と思って案外放ってあることが多いんじゃないでしょうか。あまりに
もメジャー過ぎるので、きっとこんな機会でもなければ一生考えようとも
しないでしょうから、ここは「グナ・グナ」(Gna Gna)で解説してみたい
と思います(種明かしは後ほど)。ぜひお付き合いを!
Ⅰ
「アルメニア」ってどんなところ?
アルメニア(Armenia)という国は、中央アジアは黒海とカスピ海
の間にあるコーカサス(Caucasus)と呼ばれる地域にあります。こ
の辺の地域で皆さんが最近聞いたことがありそうな名前だと、ロ
シアとの間で泥沼の紛争があり、ここからアメリカに移り住んできた兄弟がボストンマラソ
ンでテロを起こしたりしたチェチェンなんてところがあるでしょうか。下の図のようにとに
かく民族や宗教がパッチワークのように入り乱れ、しかもカスピ
海にある油田のパイプラインのルートを巡る国家間の思惑が錯
綜する地域です。あっ、実は例えば「ガイーヌ」で知られるハチ
ャトゥリアン(Арам Ильич Хачатурян (Aram Il'ich Khachaturian))は、
実はグルジア出身のアルメニア人なんです(ソ連時代の人ですから、音
楽のカラーはともかくロシア風に見えますが、この苗字そのものが典型的なアルメニ
ア人)。
そんな文明の十字路にあるアルメニアは、実はこの地域には珍
しく古くからキリスト教が根付いた地域です(何と紀元 301 年
には国教に。世界で初めてキリスト教を国教化した国ですi)。一方
で歴史的にはコーカサスは中世にイスラム勢力が非常に伸びたと
ころ。アルメニアもトルコ系のイスラム勢力に征服され、次いで 18
世紀末以降南下を始めたロシア帝国に支配されます。20 世紀後半で
も、隣国のアゼルバイジャン(イスラム教が強い)の中にあるアル
メニア人の多いナゴルノ=カラバフ自治州を巡る紛争がありまし
た。
特に彼らにとっての大きな受難だったのが、第一次世界大戦前後
の 1915 年~1922 年に起きた大虐殺です。当時の中央アジアではロ
シアとオスマン=トルコ帝国が対立関係にあり、アルメニアの人々はトルコ側に迫害され、
1
多くの人々が国外へ逃れました。この動
きは、1918 年のロシア革命やトルコ革
命、そして 1920 年代のソ連の中央アジ
ア掌握などと併せて、さらなるアルメニ
ア人の国外移住(いわゆるディアスポラ
ii)を惹き起こしました。
彼らはアメリカや西ヨーロッパに渡り、
民族や身内のネットワークの団結力を強めていきます(これは世界的に有名なユダヤ人(シ
ェークスピアの「ヴェニスの商人」のシャイロックや、大富豪のロスチャイルド家など)やレバノン人(全く余談で
すが、あのカルロス・ゴーンさんはブラジル生まれのレバノン人で、フランスでエリート教育を受けました。奥さんの講
話を聴いたことがありますが、子供達とはポルトガル語で夕食の会話、仕事や時事の議論はフランス語や英語、そして夫
婦喧嘩はアラビア語だそうです・・・)と同じような行動ですね)
。実際、アメリカ社会でのアルメニ
ア人のロビー活動はかなり有名ですし(約 80 万人いるとされる)、ヨーロッパではフラン
スに 40~50 万人いて、政治・金融・芸能の分野で強い影響力を持っていると
もされます。中東社会だと、シリア・イスラエル・イランに比較的大きなコミ
ュニティがあるそうです(右の地図はアルメニア人の世界分布。色の濃いところほど人数が多い)。
そんな彼らにとって、故郷の風物が閉じた眼に浮かぶ民謡には格別の思いが
あるはず。アルメニアン・ダンスのシリーズに聴き手の心を揺り動かす力があ
るのは、苦難の歴史を重ねたアルメニア人の故郷への想いが自然と投影されて
いるからなのかもしれません。
文化面で見ると、古くからの歴史に根付いたアルメニアの聖歌や民謡、そし
てダンスは(コーカサスの他の国々同様)その魅力が世界的
に知られています。また、アルメニア語の文字はとってもと
っても個性的な 38 文字で、まあはっきり言って全く読めません。ここにあるのはアルメニ
ア語でアルメニアの国号(ローマ字にすると Hayastan)を書いたものです。
アルメニアン・ダンス パート1の解説
「アルメニアン・ダンス パート1」は、1972 年夏にリードが作曲、
翌年1月にイリノイ大学シンフォニックバンドにより初演されていま
す。
リードはこの楽団のバンドディレクターであるハリー・ビージャン
(Harry Begian) (1921-2010)にアルメニアン・ダンスシリーズを捧
げていますが、実はここが重要なポイントです! というのも、実は
このビージャン氏、1921 年にアルメニア移民の子供としてアメリカに
生まれているのです(アルメニア式だと「ベギアン」ですが、本人は
アメリカ読みで通していた様子)。つまり、リードはビージャンのルーツを十分意識してテ
ーマを選んだことになるわけですiii。
そしてリードがアルメニアを題材にするときに大いに依拠したのが、19 世紀後半から 20
Ⅱ
2
世紀前半に活躍したアルメニアの民族音楽研究家であるコミタス・ヴァルダペ
ットiv(Komitas Vardapet)(1869-1935)が収集した民謡集でしたv(実は本名はソゴモ
ン・ソゴモニアンで、尊敬する先人にならってコミタスと名乗り、ヴァルダペットは修道僧の称号だそう
ですから、実は「(通称)コミタス修道士」ってことらしい)。彼自身、1915
年からのトルコに
よるアルメニア人大虐殺の被害を目の当たりにした結果、廃人同様の精神状態
になって、イスタンブールからパリの病院へ移され、長い病院生活の末に亡くなっているた
め、この大虐殺の悲劇の象徴的な存在として位置づけられているのです。
さて、この作品に収められている民謡は次の5つです。もともとどんな曲で、さらにリー
ドがどうアレンジしたかというと・・・
(1) 「杏の木」(Tzirani Tzar (The Apricot Tree))
感傷的な印象の曲ですが、本来の民謡に含まれる旋律をリードはほぼ原曲どおり要素とし
て編曲しているとされています。冒頭のファンファーレと木管アンサンブルが印象的。
(2) 「やまうずらの唄」(Gakavi Yerk (The Partridge's Song))
この曲はコミタスの創作で、少年合唱による小さなうずらの歩みを表現する愛らしい曲と
なっています。リードは旋律を反復して二倍にする編集を全面的に展開、可愛らしさを演出
する木管アンサンブルから始めて金管にバトンタッチ、音楽に広がりをつけています。
(3) 「さあ、私のナザンよ」(Hoy, Nazan Eem (Hoy, My Nazan))
これは若者が恋する娘ナザンを讃える恋愛歌です。もともと 8 分の
6 拍子の曲ですが、リードは締まったテンポ感にすべく 8 分の 5 拍子
をベースにする大胆なアレンジを採用、転調も頻繁に採り入れました
(おかげで非常にコーカサス地方の民族衣装による舞踊が鮮やかにイ
メージできる)。パート 1 の中で最も彼のオリジナル性が高い部分とも言えそうです。
(4) 「アラギャズ山」(Alagyaz)
雄大なアルメニアを象徴するアラギャズ(アラガツ)山(4,090m)。きっと彼らの心の拠り
所の一つでしょう(日本人なら富士山でしょうか)。この曲は現
地でも有名な民謡で、そのイメージを最大限尊重した感動的な編
曲となっています(涙が出そうなところ・・・?)。
(5)
「行け、行け」(Gna, Gna (Go, Go))
陽気でユーモラスな笑いを表現した曲。比較的最近に民謡の原
譜が発見されている模様で、HP 上の情報ではリードの作曲との対応関係があまりはっきり
わからないようでした。音楽のラストを飾るラッシュ感、フィナーレは何か民族衣装の踊り
子達の「どや顔ラインダンス」が目に浮かぶような印象(ちょっとコサックダンスとごっちゃにな
3
ってるかな・・・)。
なお、リード自身については、友人に捧げる曲の題材である以上にアルメニアに特別の思
い入れがあったかというと、あまりそんな様子は覗えません。例えば最終章の「Gna, gna」
について、リードは普通の英語圏の人の感覚で「ニャーニャー」と発音していたらしいので
(猫じゃあるまいし・・・)、アルメニアの文化に深い知見があったという感じでもなさそうで
す。それでも、作曲家としての彼の才能は如何なく発揮されている名曲ではありますね!
というわけで、純粋な音楽上の留意点はこれからの練習に委ねることとして、ミニコンの
実行委員会の立場から一つ。この曲は、お客さんにとっては「未知の吹奏楽曲」かもしれな
いけれども、一度聴くと忘れられない感動を呼ぶだろうことを期待し
て、今回の「No Brass, No Life!」というテーマに盛り込まれたもの
です。皆さんにはこの曲を通じて吹奏楽オリジナル曲の魅力をお客さ
んに伝えるという「ミッション」が与えられたとも言えるでしょう(少
しアルメニア教会の布教活動的になってきた・・・?)。
そんなこともあるので、ぜひお願いしたいのは、いつか演奏したと
きの懐かしい感動(あるいは未だ演奏したことのない曲への憧れ)と
いう「情」と、自分達の譜面やフルスコアの勉強を通じた「理」の両
方でアプローチしてみて、ということです。どこのバンドで演奏しても、ともすると前者に
流れがちなのですが、丁寧に音楽を作る姿勢を情熱で見失わずに、演奏会のメイン級にふさ
わしいパフォーマンスを発揮しましょう!
因みにローマ帝国がキリスト教を国教化したのは 392 年です。
アルメニア人のディアスポラの歴史も古く、10 世紀には相次ぐイスラム勢力の支配から逃れるディア
スポラがすでに発生しています。
iii なお、アルメニアン・ダンスのシリーズのほか、
「エルサレム讃歌」も二人の関係を物語る作品とされ
ているようです。
iv さらにややこしいのは、どうもアルメニアでは東と西で子音の取り扱いに特徴があるようで、彼の名
前も西アルメニア語ではゴミダス・ヴァルダベットとなるようです。南北アメリカに移住したアルメニ
ア人は西アルメニアの人が多いそうで、あちらでは濁音発音が普及しているようですが、ご本人は東部
出身なので、清音表記がいいんでしょうね、きっと。
v 彼の業績を伝えるサイトは
http://www.komitas.am/eng/index_eng.php です。
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