先天性風疹症候群による難聴を疑われた 昭和62年 度出生児4例 - J

小 児 耳VoL9,No.1,1988
原著
先 天 性 風 疹 症 候 群 に よ る難 聴 を疑 わ れ た
昭 和62年 度 出 生 児4例
加我 君 孝 ・酒 井 利 忠 ・中村 良 博
帝 京 大 学 医学 部 耳 鼻 咽 喉 科 学 教室(主 任 ・鈴 木 淳 一教 授)
に風 疹 ワ クチ ンが 接 種 され 、 現 在 、 彼 女 らは23∼
は じめ に
24才 とな って い る。 したが っ て、 そ の 年 令 以 上 の
先 天 性 風疹 症 候 群 とは 、1941年 に オ ー ス トラ リ
アの 眼 科 医Greg9に
女 性 で 、 風疹 抗 体 を もた ない 、 妊 娠 の 可 能 性 の あ
よ っ て 記 載 され た も の で 、
る女 性 が少 か らず 存 在 す るた め 、 昭 和62年 度 出 生
妊 娠 中 の 風 疹 ウイ ル ス感 染 に よ る 白 内 障 、 心 疾
児 では 、 依 然 と して いわ ゆ る風 疹 難 聴 児 の 出 生 す
患 、 難 聴 な ど、 多彩 な 先 天 性異 常 を い う6)β)。
る可 能性 が あ る。
風 疹 の流 行 は、4∼5年
の 流 行 の存 在 す る期 間
帝 京大 学 附 属 病 院 耳 鼻 咽 喉 科 外 来 へ 風 疹 に よ る
の流 行 の ない 期 間 との組 合 せ の10年
先 天 性 難聴 を疑 わ れ て、 紹 介 され た 昭 和62年 度 出
周 期 で あ った とい う。 昭和30年 代 、40年 代 、50年
生 児 が4例 あ った.そ の うち、3例 に 難 聴 が 認 め
代 の各 前 半 に 全 国的 な流 行 を み たた め、 今 期 流 行
られ た の で、 母 親 の年 令 、 抗 体 の 有 無 お よび 聴 覚
の風 疹 は昭 和60年 代 前 半 で あ る可 能 性 が 高 い9)。
機 能 につ い て報 告 す る。
と、4∼5年
昭 和62年 度 は、 全 国 的 に 風疹 が流 行 した た め 、先
天 性 風 疹症 候群 に よる難 聴 の発 生 が危 ぶ まれ る。
一 方 、 昭和52年 度 よ り、 中 学2年 の女 子 生 徒 全 員
図1症
例1のABRとCOR。ABRのV波
症例
症 例lS62年1月16日
の 域 値 は 左 耳 が80dB、
一29一
右 耳 が65dB。CORの
生。受 診時年
域 値 は50∼75dB。
小 児 耳VoL9,No.1,1988
母 親 は 風疹 の罹 患 の既 応 な く、 風疹 ワ クチ ンの
令8ヵ 月。
母親 は結 婚 後、 風 疹 ワ クチ ソを接 種 した 。 妊 娠
接 種 の既 応 もなか った 。 妊娠18週 目に風 疹 に罹 患
4ヵ 月 の時 、 夫 が 風 疹 に 罹 患す る。 この時 の 母 親
す る。 風 疹 抗 体 価256倍 で あ る こ とを指 摘 され る
の 抗 体 価 は156倍 で あ った。 母 親 の 年 令26歳 。S
が 、 胎 児 に は 影 響 は な い と の担 当 医 の 意 見 が あ
62年1月16日
り、 出産 を決 意 す る。 母 親 の年 令30才 、 昭 和62年
生 れ 。 出 生 時 体 重31009、
早期破
水 、鉗 子 分 娩 、 生 後3ヵ 月 目に発 熱 あ り、 無 菌性
5月29日
出 生 。 出 生 児 体 重40109。
第2子
であ
髄 膜 、 風 疹 の胎 盤 感 染 の疑 い でT大 学 病 院 小 児科
る。 頚 定2ヵ 月。 白 内障 や 心 奇形 や 精 神 発 達 の遅
に 入 院 し精 査 す る 。 白 内 障(一)、 精 神 発 達 遅 滞
れ は 認 め ず、 大 きな 音 に 対 して の反 応 は あ るが 、
(一)。 しか し風 疹 の 抗 体 価 とIgMの
念 の た め 、聴 力検 査 を 希 望 して 当科 受 診 。
られ る。 耳 鼻 科 でABR(聴
た と こ ろ右 耳 は65dB、
上昇を認 め
性 脳 幹 反 応)を 行 っ
左 耳 は80dBの
難聴を指
4ヵ 月 時 の聴 覚 の検 査 で はCORは80∼90dB
の域 値 。ABRの
域 値 は 右 耳 が40dB、
左 耳 が65
摘 され る。 風 疹 に よ る難聴 を疑 わ れ 当 科 へ紹 介 さ
dB(図2)。
れ た。
は せ ず に 、生 後12ヵ 月 時 に 再 検 し、再 検 討 す る こ
生 後10ヵ 月 のCOR(条
は50∼75dBの
件 詮索反射聴 力検査 で
域 値 、 ク リッ クに よ るABR(日
本 光 電 製 、 ニ ュー ロ パ ッ ク8使 用)で
dB、 右 耳65dBの
域 値 を 示 した(図1)。
とに な った。 現 在 の年 令10ヵ 月。 大 きな音 に 対 し
て は 良好 な反 応 あ り.
は 左 耳80
中等度
の感 音 難 聴 を 疑 い、 ベ ビー型 補 聴 器 装用 下 に、 言
語 訓 練 を 開 始 した。 現 在 、1才4ヵ
、軽 度 の難 聴 と診 断 し、 補 聴 器 の 装 用
症 例3S62年8月1日
生。受診 時年
令2ヵ 月。
月。 聴 性 行 動
母 親 は 風疹 の既 応 な く、 風 疹 ワ クチ ンの接 種 の
は 年 令 相応 で 、 マ マ、 バ イバ イ な どの単 語 を発 す
経 験 は な か った。 母 親 は 、 妊 娠10週 に、 風 疹 に 罹
る こ とが 出 来 る よ うに な った 。
患 し、 抗 体価 が8倍 か ら1024倍 に 上 昇 したが 挙 児
希 望 が 強 く出産 とな る。S62年8月1日
症 例2S62年5月29日
生。受 診時年
令4ヵ 月。
47cm。
図2症
例2のABRとCOR。ABRの
域 値 は 左 耳 が65dB、
-30一
出生 。 出
産 時 の 母 親 の 年 令29才 。 出 生 時 体 重2120g。 身 長
出 生 時 よ り大 泉 門 の膨 隆 あ り、 心 雑 音 も
右 耳 が40dB、CORは80∼90dB。
小 児 耳Vo1、9,No.1,1988
図3症
例3のABRとCOR。ABRは100ddB刺
伴 っ た た め 、 日令6日
戟 で反 応 が な い 。CORは110dBで
よ りT総 合 病 院 小 児 科 入
院。 精 査 の 結 果 、① 髄 膜 脳 炎(8月7日
も反 応 が な い。
も反 応 な く、 高 度 難 聴 と考 え られ た(図3)。
生
の髄 液 所
後3ヵ
月 時 の 、 平 衡 覚 を 検 査 す る 目的 で 行 った
見 細 胞 数30、 ② 動 脈 管 開 存 、 ③ 低 出 生 体 重 児
ENG記
録 下 の 回 転 検 査 で 反 応 な し。 風 疹 に よ
(SFD)、 ④ 音 に 対 す る反 応 な し、 な どか ら先 天
る、 高 度 の 聴 覚、 平 衡 覚 障 害 の疑 いで 、=補聴 器 装
性 風 疹 症 候 群 を 疑 わ れ る 。 な お、 本 症 例 のIgM
用 下 に 聴 能訓 練 を行 って い る.現 在 の年 令8ヵ 月
は385mg/d1、
で あ るが 、 音 に 対 す る反 応 は認 め られ な い。
風 疹 ウイ ル スIgM(E】A)陽
性。
難 聴 の有 無 を調 べ る 目的 で、 当科 を 紹 介 され る。
2ヵ 月 時 の 行 動 反 応 聴 力 検 査 で は110dBの
刺 激 に 反 応 な し。ABRは100dBク
図4症
例4のABRとCOR。ABRの
音
リッ ク刺 激 で
症 例4S62年8月20日
月。
域 値 に 左 は25dB・
一31一
生 。 年 令3ヵ
右 は20dB。CORは80dB前
後 が域 値 で あ る.
小 児 耳Vd.9,N◎.1,1988
母 親 は 風疹 の既 応 な く、 風疹 ワ クチ ンの接 種 の
と感染 経 路 を 表1に 、 母 親 の 風疹 ウイ ル ス抗体 価
経 験 もなか った。 母 親 が妊 娠24週 の時 に 自分 の 子
を表2、 聴 性 行 動 反 応 聴 力検 査 とABRの
供 よ り風疹 に罹 患 す る。 母 親 の年 令30才 の 時 に、
表3に
S62年8月20日
出 生 。 出 生 児 体 重45009。
第3
子。K大 学 病 院 の小 児 科 の1ヵ 月健 診 で 難 聴 を疑
わ れ 同 院 耳 鼻 科 でABRを
記 録 す る。60dB程
度
域値 を
ま とめ て示 した 。
考
察
本 報 告 の4症 例 の うち、 症 例1,2は
中等度難
の 域値 の上 昇 が 疑 わ れ 、精 査 の ため 、 当 科 を紹 介
聴 、 症 例3は 高度 難 聴 、 症 例4は 正 常 聴 力 で あ る
され る。
こ とが 、ABRで
生 じや す い 時期 と各 時 期 の リス クは植 田に よれ ば
3ヵ 月時の聴性 行動反応聴 力検査 では域値 は80dB
相 当。A8Rの
囲(図4)。
域 値 は 右25dB、
左20dBで
判 明 した。 先 天 性 風 疹 症 候 群 を
正常範
難 聴 は な い と判 断 す る。 身 体 的 に 、
(表4)9)、 症 例1,2の
16週 で は8%、
症 例3の
よ うに 罹 患 時 期 が 第13∼
よ うに 第10週 では15%、
白内 障 や心 奇 形 は 認 め な い。 現 在8ヵ 月 で あ る が
症 例4の
精 神発 達 の遅 れ も認 め な い。
よれ ば 、 風 疹 難聴 は妊 娠 第1期
以上 、4症 例 の特 徴 につ いて 、 風 疹 罹患 の時 期
よ うに第24週 で は 稀 で あ る。Monifら
に
と2期 の感 染 に よ
って生 じや す い とい う。 風 疹 抗 体価 の、 上 昇 の程
度 と症 状 の重 症 度 は、 か な らず し も相 関 しな い と
表1風
疹罹患 の時期 ・経路
い う。
風 疹 に 罹 患 した、 胎 児 、 乳 幼 児 の側 頭 骨 病理 の
研 究 で は 、蝸 牛 、 球 形 嚢 の無形 成 が観 察 され て い
る(Nager7),Haemenway2)eta1,Lindsay3)4))。
内耳 が 形 成 され て い る場 合 で も、特 徴 的 な形 態 学
的 異 常 が報 告 され て い る。 す な わ ち、 両 側 の 高 度
の 難 聴 と平 衡 障 害 を もた らす 基 盤 に は 、 コル チ
表2母
器 、 ラセ ン神経 節 、 前庭 器 の著 明 な変性 が あ る8)。
コルチ 器 に は萎 縮 、 感 覚 細 胞 の 減 少や 消 失 が 認 め
親 の 風疹 ウ ィル ス抗 体 価
られ 、 特 に 変 形 は 基底 回転 に 著 しい。 血 管 条 は し
ば しば 変 性 し蓋膜 は失 わ れ た り、 離れ た りあ るい
は丸 い 固 ま りに な り、 平 低 化 した 一・
層 の細 胞 に 囲
まれ た りす る7)。蝸 牛 神 経 の 著 しい 消 失 が あ る場
表3CORとABR
合 が あ る8)。半 規 管膨 大 部 、 耳 石 器 と平 衡 器 の 感
覚 上 皮 も変 形 し、 温 度 眼 振 反 応 の 減 少 や欠 如 と一
致 す る8)。 しか し、 病 理 学 的 な 知 識 の 集 積 は まだ
乏 しい とい う1)。内 耳 へ の 風 疹 ウ イ ル スの 感 染 経
路 は血 液 の 流 れ に よ り内 リ ンパ 系 に到 達 し、 内 リ
ンパ性 迷 路 炎 を お こ し、 結 果 的 に 感 覚 神経 上 皮 を
破 壊 す る と考 え られ る。 風 疹 に合 併 す る髄 膜 脳 炎
の発 症 過 程 で 、髄 膜 か ら外 リンパ 系 に到 達 す る場
合 もあ る とい う1)。
表4妊
4症 例 の 母 親 と も、か つ て風 疹 の 既 応 が なか っ
娠 中 の罹 患 の時 期 と胎 児 の リス ク
た。25∼34歳 の妊 婦 の風 疹 抗 体 陰 性 率 は 全 国的 に
30∼40%に
しか す ぎな い た めS60年 代 で も、 か な
りの風 疹 罹 患 妊 婦 が 発生 して い る と推 定 され 、 風
疹 生 ワ クチ ンの 定 期 接種 の効 果 は 、 今 期 の流 行 に
は 期 待 で き な い とい う、 症 例1の
(植 田,1987
一32一
母親は 、結婚
小 児 耳VoL9,NG.1,1988
後 、 ワ クチ ンを接 種 してい るが 、 子 供 に は 風疹 難
疑 わ れ る 新 生 児 は 全 例 、ABRで
難 聴 の有 無 を 検
聴 が生 じた と考 え られ るが 、 ワ クチ ンの 効果 が乏
索 し、 難聴 が 見 出 され れ ぽ、1才
以 内 の早 期 よ り
しか った のか 、 効 果が 或 る程度 あ った た め 、 中等
補 聴 器 を 装 用 させ 、聴 能 訓 練 を行 う こ とで、 言 語
度 の感音 難聴 の程度 で済 ん だ のかわ か らない5)・9)。
発達 の 良好 な 予 後 が 期 待 され る。 平 衡 覚障 害 に つ
植 田に よれ ば、 現 状 の よ うに、 女 子 中 学 生 に ワ
い て も、 生 後 数 ヵ月 の 時 点 で 、 回 転検 査 法 を使 用
クチ ンを接 種 し、妊 婦 が 風 疹 に 感染 す る こ と、 す
す る こと で診 断 が 可 能 で あ る。 も し平衡 障害 が見
な わ ち胎 児 の 感 染 を予 防 す べ く計画 して も、 小 児
出 されれ ば、 早 期 の平 衡 機 能 訓 練 で 、 平 衡 、運 動
の あい だ に 流 行す る風 疹 を 自然 の成 り行 きに まか
発 達 の 良好 な予 後 が 期 待 され る。
せ て い る現 状 で は 、昭 和60年 代 の 流行 で、 先 天 性
昭和60年 代 は、 耳 科 医 は 、 風 疹 に よ る難 聴 ・平
風 疹 症 候 群 を 撲 滅 す る こ と は不 可 能 で あ る とい
衡 覚 障 害 児 が 出生 す る可 能 性 が あ るの で 警 戒 心 を
う。 日本 の こ の方 式 は イ ギ リス と同 じ方 式 で あ
持 つ 必 要 が あ る。
り、 と もに100%の
接 種 率 に は な ら な い シス テ ム
文
で あ る。 一 方 、 米 国 では 、1969年 よ り乳 幼 児 を 対
象 に、 現在 で は、 麻 疹 、 ム ン ブス、 風 疹 の 三 種 混
1)
合 ワ クチ ンの 形 で接 種 を行 い 、 そ の効 果 は み るべ
2)
Friedman I: Pathology of the ear. Blackwell scientific publications 1974
Hemenway, W, Sando I, McChensey, D. Temporal
bone pathology following maternal rubella. Arch.
Ohr. Nas-Kehlk-Heilk, 193: 287-1969
Lindsay, J., Caruthers, D., Hemenway, W, Harrisan S: Inner ear pathology following maternal
rubella. Ann Otol, Rhinol Laryng 62: 1201 1953
Lindsay J., Profound childhood deafness: inner ear
pathology. Ann. Otol. Rhinol. Laryng. Suppl. 5.
1973; Histopathology of deafness due to postnatal
viral disease. Arch. Otolaryng. 98:258. 1973
き もの が あ る とい う。 今 回 と りあ げ た症 例 の う
ち、 症 例1は
夫 よ り、2,4は
子 供 よ り感 染 して
い る。 確 か に 、 男女 の別 な く、 米 国 の よ うに 乳幼
児期 に ワ クチ ン接 種 を す れ ば、 感 染 は 生 じな か っ
た であ ろ う。
3)
4)
先 天 性 風疹 症 候 群 予 防 の た め に、 昭 和52年 度 よ
り、 女 子 中学 生 のみ を 対 象 に、 風 疹 生 ワ クチ ンの
5)木
定 期接 種 が 開 始 され 、10年 を経 たが まだ 彼 女 らは
23、24才 に す ぎな い 。 そ の た め に 、 昭 和60年 代
に、 今 回 と りあげ た 症 例 の よ うに風 疹 に よ る難聴
児 が 出生 す る可 能 性 が 極 わ め て高 い 。 先 天 性 風疹
症 候 群 の80%以 上 は 、 身 体 的障 害 の ない 難 聴 児 で
あ る とい う。 現 在 はABRの
利 用 に よ り、 新 生 児
期 に聴 力障 害 の診 断 が 可能 で あ る。 風 疹 の 影 響 が
一33一
献
6)中
村 三 生 夫 ・平 山 宗 宏 ・甲 野 礼 作:風
疹 と 風疹 ワ
ク チ ン.臨 床 と ウ イ ル ス4.特
別 号.4,1976
尾
享 ・竹 内 幹 生:臨
床 講 義,風
疹.小
児科診
療,39:125-131,1976
7)
Nager, F. Histdogische Ohruntersuchungen
bei
Kindern nach miitterlicher Rubella. Pract. otorhino-laryng. 14: 337, 1952
8) Schuknecht H. F. Pathology of the ear. Harvard
university press 1974
9)植
田浩 司:先 天 性 風 疹 症 候 群 は 防 げ るか 。 医 学 の
あ ゆ み.142:535-537,1987