「釜ヶ崎におけるアルコール依存症の取り組み」

平成 23 年 2 月 10 日
「釜ヶ崎におけるアルコール依存症の取り組み」
社会福祉法人 釜ヶ崎ストロームの家
精神障害者小規模通所授産 のぞみ作業所
施設長 村松 由起夫
司会
ただいまから、NPO ヘルスサポート大阪主催「大阪ホームレス健康問題研究会」を開催いたします。
本日は「釜ヶ崎のアルコール依存症への取組み」と題して、釜ヶ崎でアルコール依存症への取組みに
尽力されておられる社会福祉法人釜ヶ崎ストロームの家、精神障害者小規模通所授産、のぞみ作業所
施設長の村松由起夫先生にお話を伺います。
なお、本事業は独立行政法人福祉医療機構 平成 22 年度社会福祉振興助成事業の一環として行いま
す。村松先生どうぞよろしくお願いいたします。
村松
こんばんは。村松といいます。よろしくお願いいたします。それでは、お手元にお配りした資料を
下にお話させて頂きます。最初に参考資料として、私どもの活動の経過を示したメモを書いています
ので、ざっとご説明してお話の方に移らせて頂きます。
私共の活動は1965年にE.ストロームというドイツ人でディアコニッセという働きをする宣教
師の方が、元々この方は、ミッドナイトミッションと言いまして、夜の仕事をしている女性達の社会
復帰の仕事をドイツでされていて、日本でもそういうことを広めようというようにして来られた方な
んですけれども、ドイツと日本では仕組みが違う。要するに、向こうではバックについている方が、
その方のパートナーというかそういう方ぐらいですから、その方が納得してくれれば、そういう仕事
を辞めて普通の生活に戻るということは、ある程度支援のシステムは必要ですけれども、出来る。と
ころが、日本でそのようなお仕事をしている人はだいたいバックにはヤクザ屋さんがついているもの
ですから、非常に事柄は複雑になってきますよね。そういうことで、今でも望みの門という形でその
組織は東京にありますので活動は続いたんですが、最初の頃はずいぶんと困難があったようです。ス
トロームさんをはじめ何人かの方たちが、これはドイツと日本では働きの内容が違って来なきゃいけ
ない。これは日本ではなかなか上手く行かないんじゃないかということで、離れた方が何人かいらっ
しゃるようです。ストロームさんは、そういう事でそこを辞められまして、ドイツはキリストのルー
テル派が国教ですので、その東京の本部を通して全国で何か自分が出来る事はないだろうかと回られ
たようですね。そのときに大阪に来ましたら、大阪の牧師が、今日は面白いものを見せてあげようと
言って、物見遊山のようにして連れてきたのが釜ヶ崎だったそうです。ストロームさんはそこで何か
を感じられて釜ヶ崎での活動を始められました。当時、女性が一人で釜ヶ崎の中に入って住むという
ことは大変難しかったようで、隣接地にあります山王を拠点に、飛田の辺りを拠点に活動を始めたよ
うです。1970年代には大阪でも、その頃は全国でアルコール依存症が病気として医療の取組みが
始まった頃で、大阪でも市大病院の精神科の若手医師たちを中心に外来診療、そして入院の必要な人
達はそういう先生方が研修医やらアルバイトで働いていた府下の精神科病院に入院させるという事
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で、大阪でもアルコール依存症の取組みが始まりました。その若手の先生方数名が、70年頃に受け
皿としての断酒会を市内何ヶ所かに設立していくという動きがありまして、釜ヶ崎にも来られて釜ヶ
崎のキリスト教協友会という活動していらっしゃる方たちの連絡組織があったんですが、そこに受け
皿を作って欲しいというご依頼に来たようなんですね。そのお話を聞いて何とかしましょうという事
で始められたんですけれども、他の方たちが『これは大変難しい』とか『自分も酒を飲んでいるのに
人に酒を辞めろとはよう言わん』というような事で一人減り二人減りして、最後にストロームさんだ
けが残ったそうです。このストロームさんという方は大変頑固な方といいますか、一度決めたらテコ
でも動かないというような方で、ドイツ人をして『あの人をドイツ人と思わないで下さい。私らあん
なに頑固で気難しい人間じゃありません』と向こうの方から言われた事があるんですが、そんな方な
のです。
『一度キリスト者が引き受けたことを断るというのは、これは神様に顔向けができない。私
一人でもやりますわ』と言って始められました。75 年にむすび会という釜ヶ崎の労働者たちを中心
にした断酒のグループを作りまして、活動を始められています。これはまたあとのお話の中で出てく
るかもしれませんが、ストロームさん自身、自分の事で苦労をされていて、親子関係とかですね。こ
の方のお父さんは、ドイツで刑務所から社会復帰する人たちのお世話をする仕事をしていらっしゃい
まして、ドイツでは日本と違いまして、多くの(教会)施設は日本でいう文化住宅みたいな、地下室が
あって、1階2階があって屋根裏部屋があるような所に、20 人ぐらいが1階、2階に住んで、施設
長の家族は屋根裏の所に。屋根裏部屋といっても狭い所ではなくて、ちょっとしたお部屋が出来るも
んですから、そういう所で大変子どもさんの多い家の長女さんとして生まれました。お父さんお母さ
んがそういう形で人のお世話をしているので、妹達のお世話を一人で切り盛りしていましたから、非
常に意思の強い、悪く言えば頑固な性格だとご自分でも悩んではりまして、カウンセリングの勉強な
んかも日本に来られてから始められたりしました。そういう経験、それから今日お話するブラウンシ
ュヴァイク・モデルという、ドイツのブラウンシュヴァイク地方にある独特の依存症治療の考え方が
あるんですけれども、そういうものを参考にしながらプログラムを作りましたので、その当時の断酒
会の方たちのむすび会の評価というのは断酒会の娯楽部だと。あそこに行くと歌を歌ったりゲームを
したり、要するに本来の断酒会じゃないと捉えていた。ゲームみたいな訳の分からん事をやっとるわ
と言って息抜きに来ていたらしいんですけれども、そんな場所として出来ています。その翌年には自
分の給料を全部注ぎ込んだり、あるいは給料をかたに銀行から借金して居場所作りをしています。釜
ヶ崎のドヤに住んでいる方たちは狭い3畳ぐらいのお部屋で、昼間居ようと思えば居られますけれど
も、気分がむしゃくしゃするような場所だから皆外に出てくるんです。ところが、外に出て公園なん
かでたむろしていると、顔馴染みの人が来て1杯飲まんかといって酒に誘われる。だから、酒を飲ま
んでも安心していられる場所がいるという訴えがあったもんですから、そうやって一軒の古い建物を
買い取られまして、断酒の家という形で喜望の家を開設されています。私、ストロームさんがドイツ
に帰られた詳しい年度は知らないんですが、70年代の終わりから80年の頭頃にドイツの方に帰っ
ていらっしゃいます。85年にその古い建物ではもうちょっと危険だというので改築をして再オープ
ンしました。古い建物というのはスレート瓦の倉庫だったらしくて、2階にそういうスレート瓦を入
れる小さな小部屋がいっぱいありまして。そこに労働者とか野宿している人たちが、お酒をやめたく
てもなかなかやめられん、どうしようかと相談に来たり、あるいは施設や病院から強制退院、強制退
所で行く所がないというような方達を『2階の部屋が空いているから泊まりなさい』と、最初の2~
3日は食事を提供して、そのうち元気になってきたら、日雇い仕事だから元気な日に一日仕事に行く。
それで生活を確保して、そのうち貯金してアパートを借りる位の資金が出来たら出て行くというグル
2
ープホームの走りのような事をされていたんです。改築した時に、日本のルーテル教会はそういう事
を余り分かってないもんだから、建て直した時にはそういう部屋がなくなっていて、居住スペースが
なくなっておりました。ストロームさんの後任として専門家を呼ぶという事で、B.ワルターという
専門の方が呼ばれました。私はその頃に三人目の日本人牧師を送るという事で釜ヶ崎に来ました。日
本人牧師を送るのもルーテル教会が積極的に釜ヶ崎の活動を評価した訳でもなくて、ストロームさん
が教会と喧嘩しながら『私、必要な事は誰が反対してもいつでもやりますよ』と言って勝手にやりは
ったんです。
『経済的な支援をもらわないんだったら、あんたらに一々許可にもらわんでも出来るは
ずや』と言って仕事を始められ、それが段々世間的に評判になって格好が悪いと。要するにドイツ人
だけ働いて日本の教会は何もしとらんのかと言われるので、形だけ送るようになった訳です。二人目
の私の前の先生は修道士を志していた方だから、上から言われた事には何事も拒否しないという方針
を持っていらしたので、私が見ても、釜ヶ崎に合う方ではなくて、とてもおとなしい方なんで。2年
目には「アル中さん」の罵詈雑言にまいっちゃって、心臓を悪くして病気休職していらして、しょう
がないものだから、全国に「誰か行くやつはいないか」という文書を出して募集しました。後でお話
にも出てくるんですが、本当の神様を信じられるようになりたいと、牧師になっても神様なんか信じ
られなかったもんですから、そう思っていたから、恐る恐る、私、一応手を挙げましたけど。自己弁
護の為に手を挙げたら『お前一人しか手を挙げてない、お前がやれ』という事で三人目の牧師として
派遣されました。それまで牧師をしている中で、今振り返ってみると、アルコール依存症の方との出
会いはあったんですけれども、余りよく分からないで来ましたから、2年間院内例会とか断酒会とか
AAの会合とかに顔を出させて頂いて、アルコールの実地研修を続けていました。87年にドイツの
ほうで一度見に来いと言われて見に行ったんですけれども、飛行機に乗るのが恐くて、欧米と言う位
だから、アメリカでやっている事もヨーロッパでやっている事も変わらんだろう。一杯アメリカの資
料が日本にあるから、本を読んだら分かるのになぜ行かないかんのかと思いながら、ぶつくさ言いな
がら行ったんです。これが全く違って、本当に目から鱗が落ちるという思いでした。それで、ワルタ
ーさんから色々お話を聞いて、なるほどなあと思いながらそれをどうやって展開しようかというよう
に考えていましたところ、市更相の前で1週間位、お正月頃の寒い中、むすび会に長らく来ていた、
昔、弘済院という所に第2救護ホームというアルコール依存症の方たち専門施設がありまして、院内
飲酒をしてそこを追い出された方が、そういう経過があるものだから市更相に相談に行っても断られ
る。1週間ぐらい野宿しているんで何とかしてやってくれということで、仲間が連れてきたんですよ
ね。その前頃、教会の関係で 10 万円、何か特別なプログラムの為に使って下さいというお金があり
ました。たった 10 万円しかないから1~2ヶ月の生活費にしかならないんだけれども、その間にス
トロームさんの考え方なんかも少し分かってきて「お金がないというのはやりたくない事の言い訳に
過ぎない」
「金がないからやらんと言ってはいかん」とか。なるほどなと思ったもんですから、まず
これを元手に自立プログラムを始めるんだといって、私もその頃には大風呂敷を広げる癖が身につい
ていましたので、そういって始めました。これがブラウンシュヴァイク・モデルの日本的な展開でし
た。それまで断酒会の娯楽部と言われていましたから、市内の病院とか施設から 40 人位のアルコー
ル依存症の方たちが来ていたんですけれども、結構、外から来る方たちは世間一般の方と同じように、
『
「釜のアル中さん」は怠け者だ、昼間から酒飲んでひっくり返っている。わしらは同じ「アル中」
でも家族を抱えたりして仕事しながら来ているのに、あいつらはどうしようもない』という偏見を持
っている様な方たちが居て、利用するところは利用していながら、こいつらうちの主な主人公である
人達の悪口を言っているからどないしてやろうかと思っていたもんですから、その時に「今度は自立
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プログラムというのを始めるようになりました。やり方を今までと少し変えますのでそれに文句のあ
る方は来なくても結構です」と私も強く出ましたら、一気に 10 人位に減りました。でも、釜の労働
者の方を中心にした自助グループの活動がその頃から始まっています。ストロームさんのモットーと
いうのが、87 年にストロームさんに会った位で余りストロームさんとの付合いがないので、これか
らあと何回か日本にストロームさんが来られる中で色々詳しく教えを受けるんですが、書物などを通
して得た考え方ですけれども「社会事業とは当事者の必要と願いに応える事が大事なんだ」というこ
とを言ってはりましたので、ともかく自立プログラムを始めることで失われた居住スペースを取り戻
したという意味では、ストロームさんのモットーを実践した一番最初かなと思います。その自立プロ
グラム、最初 10 万円から始まったんですが、徐々に相談に来る方が増えたりして、経済的にも援助
出来ないという事で釜ヶ崎キリスト教協友会にも協力を求めまして、年間最大 400 万円位の予算規模
で実施していました。利用者の方の返済金も生活保護をもらったり、あるいは日雇い労働に行けるよ
うになってからしてもらいました。自立プログラムというのは前段階が3ヶ月、後段階が3ヶ月で、
毎日ボランティアの方達 40 人位にいくつかのグループになってもらって午前・午後、色んなプログ
ラムをしていたんですね。今もしている紙漉とかカード作りとかそういうことをしておりました、そ
れから、絵画療法とかも。そのプログラムに出てもらう間、特に前半の3ヶ月は、生活費最低限を貸
し付ける。ドヤも安いドヤ 600 円位の千円以下のドヤに泊まって頂いて、それも貸し付ける。だから、
1日千円ちょっとのお金を貸付けて3ヶ月間は仕事に行かないで、入院する代わりに毎日通って来て
もらう。お酒を飲んだら切れるまで何日間かは一銭も渡しません。ドヤ代だけは払っておくのでそこ
で寝泊まりして下さい。毎日様子を見に来ますから、1日も早くお酒を切ってまた顔を出して下さい。
又、顔を出したら、とりあえず最初の内は現物支給にして、3~4日して落ち着いてきたらまた一日
毎の生活費を渡す。2~3ヶ月目と落ち着いてくると2日分ずつ渡す、3日分ずつ渡す、最終的には
1週間分をまとめて渡す。お酒をやめて自分で自分の生活を成り立たせて下さい。3ヶ月以上過ぎて、
その頃を私はB段階と言っていたんですが、そこになると生活保護の手続をする人は生活保護の手続
きをする。仕事復帰する人は、日雇いは余り望ましくないんですけれども、日雇いでも良いし、一般
の仕事に就職するなら身元保証人になるから、職安などに行って探して下さいというような形です。
その方たちに月々五千円とか1万円返してもらって、その返済金が一番多かった時で 120~150 万位
ありましたから、
残りのお金を喜望の家と協友会で折半する。だから、
150万位ずつを出し合って、
それに返済金を充てて次の年の予算に充てていく。利用する方達は越冬の夜回りがありますので、冬
の間に夜回りして声かけて相談に来るような方達をとりあえず毎日来てという事で、1ヶ月位ご相談
しながらグループを構成する為の要員にして置いておく訳ですよね。ある程度の人数が集まりました
ら、じゃあこれからこのグループはスタートしますよと言って、中心的な事が小グループなもんです
から、週に1回ある。そのグループカウンセリングのグループ7~8名ないし 10 名が集まると、そ
こから第何期の小グループを始めますという事で一つのグループが始まっていきます。あとは、野宿
の方が増えるのは梅雨時ですので、冬の方が梅雨頃までにだいたい6ヶ月修了していきますから、そ
うすると次の期の方が集まって、次のグループが始まっていく。そんな事を繰り返して、年間、各5
~7人という感じで、
10 名以内、多い時で 12~13 名位ですね、
15 までは行っていないと思いますが、
そういう形で年間 20 名前後の方がそのプログラムを経て行かれている訳です。だから、その中では
先ほど申し上げたような事情で、一切アルコールの専門病院、あるいは精神科医に入院しないでお酒
をやめていった方もいらっしゃいます。そんな事をしている内に、関東の方で精神の作業所に準じて
アルコール依存症の方達の作業所が出来ていると聞きました。それから、利用者の方達から『わしら
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は生活保護を貰ったんやけど、身体が良くなって、煙草銭位自分らで稼ぎたい』という希望が出てき
たので、またまたストロームさんのモットーを思い出して、利用者の願いに応えなきゃまたストロー
ムさんから怒られるという事で作業所を立ち上げました。その頃、AKJと書いているのは、これは
アルバイツクライス・ヤーパンという、ドイツのストロームさんなんかを中心にして釜ヶ崎の活動を
支えるグループが出来ていたんですけれども、そこから作業所が出来るなら、私たちの集めた献金を
あげますという 300 万円を元手に自主運営が始まっています。それから2年位して、その間色々準備
しまして、大阪市の認可を受けます。この間、関西地区では神戸の方に震災対策としてアルコールの
作業所が2ヶ所位出来ていたんですが、大阪では初めて、うちと長居のほうにあるいちご作業所とい
うのが、アルコールの作業所として市内で認可を頂いております。そういう流れを受けて、さっきも
言いましたように、仕事に就きたい方たちの支援をする事が希望として出てきているということで、
市内にエル・チャレンジという知的障害の方達の支援をする団体なんですけれども、そこが施設なき
授産事業という事で、普通、行政の補助金をもらって授産施設を作るんだけれども、そういう施設を
作るよりは、特に知的障碍の方達は養護学校などを出た後に単純労働で知的障碍の方でも出来る様な
清掃訓練をしまして、公の建物を提供頂いて、そこで一定の訓練費を払って1~2年研修を続けたら、
関連する清掃会社などに就職していくという事業を始めました。それが立ち上がったばかりで、府下
で、ちょうどこの頃はバブル後の不況の頃で、雇用促進のための特別な基金が出て、府下5ヶ所でそ
の事業を精神障碍者対象にやる事になっていました。その内4ヶ所は精神病院だという事ですね。1
ヶ所だけ西成区を中心にして作業所のグループが協力し合って指導・支援していこうということで始
まりました。私はその時に、別に精神の病院だったら何もこんな公のお金を使わなくても、自分のと
ころの清掃事業を自分の所の利用者さん達を組織して、回復して地域に戻った人達に事業提供してい
く事が出来るんで、何もこんな公の補助金を使わなくても仕事としてつながっていくだろうと思った
んですけれども、世の中ってそういうものではなくて、補助金とかもう吸えるものは吸うだけ吸うと
いうのが世の常で、結局ほとんどの所はなくなっていきました。その西成の地元の作業所の連合体は、
それこそ、それしか当事者の方達を支援する場がないものですから、現在に至るまでこのグループは
続いています。今では大阪市の朝潮橋にある大阪プールの清掃を訓練として続けています。2003 年
以降、これは法人化して自立支援をいろんな事業で展開していくという時期になりますので、ここか
ら先は飛ばさせて頂きます。またご覧になって下さい。
話がちょっと前後しましたけれども、皆さん方、今日お集まりの方達は医療なり福祉なりの関係者
の方達が多いと思いますので、アルコール依存症については学校なり書物などを通して一通り学ばれ
ていらっしゃる、あるいは知識を持っていらっしゃるんだろうと思います。その考え方の中のほとん
どはアルコール依存症の治療というのは AA の 12 ステップを下にした治療システムとかが中心なんで
すよということを学んでこられていると思います。私が今日お話するのはちょっとそれとは違うお話
になってくるんです。AA 12 ステップというのは、彼らが『我々の主張は宗教的なものではない』と
言い、だから、神という言葉を使わずにハイヤーパワーという形で「ある力」を呼ぶんだと言ってい
ます。この AA の開始というのは禁酒法時代のちょっと後ですし、アメリカでオックスフォード・グ
ループなどと呼ばれる信仰復興運動が禁酒法や大恐慌のあとなんかに起こってきます、社会不安を改
善する為の運動として。そういう経緯がありました。要するに現代に置き換えていえば、覚醒剤使用
が犯罪であるように、お酒を飲む事が犯罪だった時代があった訳です。そういう状況の中で、神とい
うような言葉を使うと、即それが倫理的に正しいか正しくないか。要するに酒を飲むという事は犯罪
だとされた時代の直後ですからね。だから、そういう流れの中で彼らが神という言葉を使いたくなか
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った、あるいは使うと社会的な評価につながってきて、ちょっと自分らとしてそれは面白くないなと
思うのが当然だった時代だと思います。あるいは、その後いろんな 12 ステップの利用が広がってい
くにつれて、アルコール依存症の人達だけではなくて、いろんな困難な状況からの回復、摂食障害と
か覚醒剤とかギャンブル依存症とかの回復者にも有効である、それほど利用価値のある優れた理論な
んですよという事が広がって行っているんです。私なんかがこの 12 ステップを読んでいると、AA の
最初の人たちがこれは宗教的な主張ではないというけれども、実はこれを丁寧に読むと、人がいかに
して良きキリスト者になるかという主張でしかないんですね。だから、私にしたらクサイ感じがする。
一読して、依存症とは何かがが分かりにくい。知的能力が一定ないと理解出来ない、実践出来ないも
のだと私は思っています。依存症からの回復という事からもう少し分かり易い、依存症の回復に特化
したもうちょっと簡略なステップが良いなという考えを持っています。小杉先生も結構断酒会の人た
ちから、デイケアのプログラムを始められるときに叩かれて、大喧嘩になった事もありますし、東京
に斎藤学という、AC(アダルトチルドレン)という概念が広がったときに NHK の朝の番組なんかにも
ずいぶん出ていた、非常に喧嘩っ早い、でも実力のある先生がいらっしゃるんですけれども、この先
生なんかも何かの主張をされる時に断酒会と大喧嘩しまして、回復の為の 10 ステップというので AA
の 12 ステップを書換えて、もうちょっと簡略でアルコールの問題に特化したステップを作っていら
っしゃったりするんで、似た様な事を考えていらっしゃる方がいるんじゃないかと思うんです。AA
の関わりで言いますと、いろんな神父とか牧師たちも関わっているのに、私からしたらその人達自身
も正直じゃなかったんじゃないかなと思うんです。これは依存症からの回復のステップじゃない、良
きキリスト者になる為のステップで、これはちょっと直さないかんという声が出なきゃあかんのに、
聖典じゃないのに聖典として扱われてしまった。修復不可能な、手をつけてはいけないものに扱われ
たという所にアルコール医療の世界的な、現代に至るまでの不幸があると私は思っています。ルーテ
ル教会の世界大会で社会問題を扱う分科会に、たまたま日本であったもんだからお前らも行って来な
さいと言われたんで、私とワルターさんが出たんだけど、20 人位のグループで「AA のステップはよ
ろしくない」と言ったのは2人だけで、多勢に無勢で大喧嘩した覚えがあるんですが、AA の 12 ステ
ップを中心にした考え方は、私は(考えとして)悪くはないんだけれども考え直すべき所もあるのでは
ないかなという事を今日少しお話していきたいと思っています。
ただ、これは本当に私が医者でもないしアルコール問題を専門的に研究したこともない。ただ経験
から、釜のおじさんたちとの出会いの中からだけで言っている。素人としておかしい事をおかしいと
考えたらこうなりますということなので、皆さん方、こうやって(眉に唾して)私のお話が本当かどう
か確かめて下さい。そうしながら、私自身もおかしいと思う事は素人の目としておかしいと言ってき
たという事をお話するわけだから、皆さん方からも初歩的な質問で恥ずかしいなと思わずに、何でも
聞いて頂いたら本当のものを一緒に見つけ出していけるかなと思いますので、それを最初にお願いし
ておきたいと思います。
先ほど申し上げましたように、私は元々牧師でしたけれども、最初の2年間ぐらいは毎週土曜日の
夜になると、今日こそ夜逃げしよう、今日こそ夜逃げしようと思っていたんですね。朝4~5時にな
っても説教が出来上らない。しょうがないから時間切れでお話するけれども、話している途中で話し
ている自分がしらけてしまって、嘘ばかりしか言ってないなと感じていました。もうこれは来週夜逃
げして、ここにおられんわということを思いながら続けておりました。そういう中で、本当に神様に
会いたいという事を思って今まで来ているわけです。そういう中で、自分自身というものにぶつかり
まして、ストロームさんと同じようにカウンセリングへの関心が高まり、学びを始めるという事も起
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きてきたわけです。そういう中で、何も知らないままに釜ヶ崎に来たわけですが、牧師になった最初
の頃、私には2人の恩師がおりまして、一人はルーテル教会って、私が学生だった頃はそうじゃなく
なったんですが、それまでは全寮制で、その寮に4~5年に一度、聖人と呼ばれる人が現れます。本
当に知識も深いし、行動も非常に敬虔で、穏やかで、触れるだけで心が打たれるような人です。私の
恩師の一人はそういう聖人と呼ばれた方だったんですが、もう一人の方は大酒飲みの牧師で、私はこ
の牧師からアルコールの基礎知識を体験として叩き込まれたんです。毎週土曜日に教会の掃除に行き
ますと、12 時頃になると、
『おーい村松君』と、私は会堂で寝泊まりさせてもらっていたんですが、
声がかかるんですね。
『今日は説教はもう行き詰まったから、今から酒飲むから付き合え』というの
で、朝4~5時まで延々と酒を飲むんですね。時々説教台で呂律が回らない時がありまして、酒が抜
け切っとらんなと思いながら説教を聴いていたんですが、この方は本当に徹底的に人を世話する方で、
私なんかもずいぶんお世話になっています。釜ヶ崎に来て人のお世話をするという事を、その方から
体験を通して教えて頂いたと思います。そのお二人の先生は全く個性が逆ですけれど、同じ様に言わ
れたのは、
『村松さん、説教する時に難しい事を言うのは簡単な事ですよ。その難しい事を中学生に
も分かるように簡単に言える様にならないと本物だとは言えません』
。あるいは『あなた自身が本当
に分かっているとは言えませんよ』と同じ様に言われておりました。ということは逆に言うと、素人
が分からないことはおかしいんだという事ですね、さっき申し上げたように。素人が判断して、どう
もあの先生の言う事は分からんという事はおかしいんですよ。だから、素人の判断を大事にしろとい
う事をそこで教えて頂いたと思っています。それから、私が釜ヶ崎に来る前に2ヶ所の教会を別の場
所で担当して、そのあとさっき言った経過で釜ヶ崎に来るんですけれども、2ヶ所目の教会で色々ト
ラブルがありまして、夜寝る時間もないような生活が2~3ヶ月続いた時がありました。ある時突然
倒れて、その時には入院して検査してもらっても原因が分からなかったんですね。たぶん非常に小さ
い脳梗塞で、病院に入院して検査した時には詰まった物が飛んでいたんだろうと思います。ともかく
色んな科に回されました、脳外科から始まって、1ヶ月位入院して。全然原因が見つからないもんだ
から、
『原因が見つかりません』と言ってくれれば良いんだけれども、
『原因が見つからないのでもう
病院にいる必要はありません』といって病院を出されたんですが、半身麻痺が残っていました。
でも、
その時に私は現代医療の限界というのをよく見せてもらいました。要するに病名が付かなかったら手
を打てないんですね。ところが『手を打てない』と言わないんです。
『もう病院にいる必要がなくな
りました』と言って放り出すのが現代医療です。医師の方がいらしたら、反論して下さい。私はもう
それでしょうがないので、何とか考えてやるしかないというので鍼治療を受けたり、それから玄米食
が良いと言われたら玄米食をしたり、それから野口体操という人間の体を骨がつながって出来ている
ものではなくて1つの大きな布袋の中に水が詰まっているような状態が人間の体の構造なんですと
いう考えで、脱力して体の問題や心の問題を解決していくという考え方に立つ体操なんですけれども
そんなものに出会いまして、東洋的な体の理解とか漢方療法に触れましたのが、のちにブラウンシュ
ヴァイク・モデルという今日お話するものを理解する時にとても役立ったなあと感じています。
先程から申し上げていますように、素人感覚でおかしいと思うことを追求していくというのが大事
だと思うんですね。私がそれを一番最初に感じたのが抗酒剤ですね。来ていらっしゃる利用者さんが
病院から抗酒剤をもらってくる。私は何も知りませんから「何の薬なんだい」
。
『これを飲めば酒飲め
なくなるんや』
。
「へえ」と思って説明書を読むと、[禁忌]と書いてある。要するに、飲んではいけな
い人は肝臓障害の重い人。
「おいおい、肝臓障害の重い「アル中さん」にそういう人に飲ませたらダ
メな薬を飲ませるとは何事なんだ」と感じる訳です。何も説明を受けてない。つまり『これを飲んだ
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ら酒は飲めなくなりますよ』というのが説明だと言うのです。
「これはおかしいだろう」
。インフォー
ムドコンセントという言葉が出来始めたばかりですけれども、何もそれどころではないだろう。
それから、結構そういう方たちが眠剤・安定剤が離せない、あるいは闇で取引しても飲む。そうい
う薬の本を読んでいますと、皆さんがもらってくる薬がアルコールと同じような働きをする、いわゆ
るメジャー系の重たい安定剤や眠剤を飲んでいると分かります。その効力がお酒と一緒ならば、お酒
を止めていてもこんな重たい薬をたくさん飲んでいるということは、単にお酒が薬に乗り換わっただ
けの話であって、本当にこれで良いのかと思います。その内にスリップするとお酒と薬が増えてくる。
どんどん体が悪くなってくる。これはちょっとやり方がどこかおかしいんと違うかなという事をその
頃から思ったり、いろんな所で発言していました。10 年以上経って、ある時に、全国の断酒会の新
聞で処方薬依存が今や問題になっていますと言っている。
「そんなもん、10 年前から素人の私も気が
付いているのに、もうちょっと専門家は早く言って何とか手を打ってくれよ」と思ったんですけれど
も、そんな事です。
それから、これは当事者の方だけじゃなくて医者も言っていて、私はずっとその時から反発して今
もこれに反発して時々喧嘩になるんですけれども、
『
「アル中」は酒を飲まなければただの人』と。ご
本人達の差別されるという意識に対しては助けになるのかもしれないけれども、じゃあ、酒を飲まな
ければただの人をなぜ精神科で診るのか。内科で診て、あるいは不安定の時だけ内科から精神科に通
いなさいといったら済むのに、精神科で診て、最後まで精神科で、しかも専門病院まで作ったりする
のに『
「アル中」は酒を飲まなければただの人』
。
「それは違うんじゃないの」と強く思います。だか
ら、アルコール依存症の方達は精神保健福祉手帳の適用を受けている方が非常に少ないですね。うち
の利用者さんは9割方もう最初から手帳を持つ前提でやっているし、それまでに関わりのあった所に
は何べんも交渉して手帳を何とかして下さいよというので9割方持っているんですが、たぶん依存症
の方で精神保健福祉手帳を持っている方は少ないだろうと思います。だから、結果的に障害を持って
いるにも関わらず、施策利用が十分出来ない。結構単身になってしまったりで苦労していらっしゃる
方がいるので、こういうのは最初からこんなこと言わなければ良いと思います。当事者の人達が差別
されたくないためにいうのは仕方ないけれども、医者まで一緒になってそういう事を言う事はないだ
ろうなとはずっと思っています。
もう1つ、これもよく断酒会とか AA の関係の人と喧嘩になったんですけれども、
『
「アル中」のこ
とは「アル中」にしか分からない』と言う事です。私はAA発足当時の、先程言った様な社会体験の
中で、犯罪に近いものとして見なされて差別された時代に、内向きになってスクラム組んで差別され
まい負けまいとする時代に『
「アル中」のことは「アル中」にしか分からんのや。わしらの力で頑張
るんや』というのは良いですよ。それから何十年も経って、アルコール依存が一般化して来ている中
で相変わらずそういう事を言っていたら、これは逆に言うと、
「自分らが特権階級ですよ」という事
ですよね。しかも、今でもこの自助グループの中で一番程度の高いミーティングというのは、当事者
だけのミーティングですよね。でも、それで本当に良いのかなと思います。もちろん当事者だけの集
まりというのはあるべきだと思います。同じ問題を抱えている者がそういう者同士で話し合わなけれ
ばいけない事はあるんだけれども、それだけだとすると、自分達と社会を、かつては差別されたと言
っていたんだけれども、自分達から逆に分断している事になる様な気がします。私はそれは「普通の
精神の持ち主の方がすることではないだろう」という気がするので『
「アル中」のことは「アル中」
にしか分からん』という考えに私は大反対でした。その頃、ほとんどのアルコール施設というのは、
今はリカバリングスタッフというんですが、その頃はリカバードスタッフと言いまして、当事者の方
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が回復してスタッフになっている。
「アル中」のことは「アル中」にしか分からんから、事務員位は
一般の人がやっても良いけれども、直接関わる事柄は当事者から回復した人しか出来ない。そういう
時代に、同じような職場で全然アルコールの問題のない人間がしていたから、そんな事を言われると
私の居る場所がないわけだから、それはおかしいと考えていました。どこかで共通性はあるはずだと
考えたのです。逆に今になって思うのは、人間という共通性があって何らかの困難度にプラス、アル
コールがあったらアルコール依存症になるし、それが食べ物の問題につながれば摂食障害になるし、
ギャンブルにつながればギャンブル依存になる。その様に考えれば非常に分かりやすいんだけれども、
『
「アル中」のことは「アル中」にしか分からん』と言うと、何か非常に限定して、人間としての共
通性を自ら拒否してしまう非常に偏ったおかしな考え方で、こういう事を医者が一言も是正しようと
しなかったという事についても、今でも私は納得がいかないでおります。
そういう中で、リカバリングスタッフという人達がいるんですけれども、これは一般精神の領域で
もこの頃ピアカウンセラーなんていう事が言われて私が疑問に思ったのは「じゃあ、そういうスタッ
フになる人となれない人はどこに違いがあるのだ」と言う事です。要するに資格問題ですよね。トレ
ーニングの問題です。そんな事を思っていましたら、何年か前にダルクの人達がアメリカから世界的
に有名な講師の方を呼んで、当事者の研修というようなお話をされてね、
「ああ、やはりアメリカで
分かる人は分かっているんだ」
。当事者がスタッフになるには一定の経験・研修を積まなかったら、
当事者であるということは必要な条件かもしれないけど、必要十分な条件じゃないんですよね。だか
ら、必要十分な条件を満たすにはこれこれですという事をしないと、スタッフになるとか資格を有す
ることは出来ない。ところが、この頃、一般精神の分野でもピアカウンセラーとか何とかを制度化す
るみたいなことを言っているんで「お前らまた馬鹿なことを繰り返すなよ」と私は今あちこちで言っ
ているんです。たぶんこれは行政が当事者を理解していますよという表向きだけの理由で、制度化し
てお金を出すだろうと思うんですよ。だけど、じゃあどこで区別するんですか、どこでトレーニング
の基準をつくるんですか。そういうことをしないと、ある意味で言ったら政策を行う側が、自分の好
き嫌いでもって適当に選んだ人を採用してくる結果になります。そこで引っかかる人は良い道がある
けれども、そういうところに引っかからない人は資格や人格が優れていてもそういう制度に乗っかれ
ないという非常に差別的なことが出来るのです。日本の施策というのは本当にそういう行き当たりば
ったり、人のつながりとかがあるかないかで道を間違ってしまっている。実は、大阪にもそういう精
神障害者の窓口になる幾つかの大きな窓口があるんだけど、そこのある1つのラインがそこに入った
というんだけど、私からしたらもう使い物にならない人材ばかりで、そこから困難事例検討が出ると、
お前らこんなものを恥ずかし気もなく困難事例検討で出すなとと思う様なものが多い。電話相談した
だけの事だとか、あるいは、人が死んでしまったと報告するんだけど、その時にこの場所でしか(事
例検討)出せませんでしたなんて言うんだけれども、行政に掛け合って特別な会議も開かなかったと
いう事を平気で出してくるような所が、今、府下の精神障碍者の支援窓口になっています。そういう
意味では、本当にお金をつける、施策をつける、あるいは制度を作るというのはきちんと考えないと
いけない事だろうと当事者の支援の問題についても思っています。
又、断酒会を大事にして自助グループなんかが治療の中心になるのは良いんだけれども、AC の問
題が出たときに感じたんですが、
「かつてお酒にお父ちゃんを取られていた。今度はお父ちゃんがお
酒を止めました。それで一生懸命にその運動をしております。日曜日も断酒会の研修に家族揃って行
きます。非常に模範的な断酒家族です」と言うんだけれども「馬鹿言っちゃいけないよ」。かつて父
ちゃんは酒に取られた。今度は断酒会活動に 365 日取られて、その子どもは幸せな模範的な家族と言
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えるのかという事です。AC の問題というのは親がアル中だからなるんじゃない。アルコールからの
回復が自助グループによってしか成り立たないという仕組みがあるから、かつての家族みたいにお父
ちゃんをアルコールに取られ、次には断酒会活動に取られて、子どもは一生 AC のままで終わって。
それでアルコール治療、断酒活動がなっているというならば、関わっている奴らは全部、この国を出
て行けと私は言いたい位腹が立っているんです。そういうことを改善して、本来どういうものが本当
の治療なのかということを打ち出さない限りは、問題はさっき言ったアルコールをなくして処方薬に
代わるみたいにずれるだけであって、本当の解決にはなっていないと思います。そんな事をしている
もんだから、AA やら断酒会に浸かり放しになっている人達は、その中でしか通用しない言葉、その
中でしか通用しない話し方があるんですね。だから、私も断酒会や AA の人と話しているのは大嫌い
です。何かあると『それは断酒の世界で言えばな』となる。
「別の仕事の話をしている時に一々断酒
の話をあんたから聞くつもりないわ」と思って最初は席を立つんですけれども、そのように偏った人
間にしてしまうのも、それは治療の在り方が間違っているからなるわけですよね。
先程申し上げたブラウンシュヴァイク方式というのは、ドイツの社会の仕組みが全く違う所からな
っている部分もあるんですけれども、自助グループに行くことが第1目的ではありません。そういう
所は変えていかなければいけないだろうと思っています。
もう一つは、断酒会というのは「体験談に始まり体験談に終わる」と言って体験談を語ることが治
療の非常に大きな力になるんだというんですが、今日お酒止めた人も 10 年お酒止めている人も同じ
場所で同じように話すんですね。私もそれは聞いていてどうもおかしいなと思ったし、ワルターさん
が言ってくれたのは『村松さん、10 年経ってもお酒の話をしたら、お酒という考えがここ(頭)に着
いていますよ。だから、いつでもお酒に手が出ます』
。だから、一定期間を過ぎたら「体験談」なん
かする必要ありません。もちろん体験談は要るんですよ。
「お酒を飲んでいた体験談は要らない」ん
ですよ。だけどそういう方達がさっき言ったように精神的なある種の傾き、間違った方向に行きやす
い事を持っているとすると、それが生活の場面でも色んな困難にぶつかる形で出てくるんだから、
『お
酒を辞めて7年経って仕事に就いた私は、今こういう点で悩んでいます、苦しんでいます』という事
を、お酒をベースにした人達の生活困難を抱えて社会復帰する仲間の集まりとして、その現在体験を
話せば良いんですね。ところが、断酒会、AAを見ると相変わらずお話の頭は若い時にこれこれ何升
飲んで病院を何十回入退院して、それで断酒会に行ってこんなふうに回復したという、その一連の話
になってくるわけですよね。それを私は改善する必要があるだろうなと思っています。
8番目の所に書いてあるのは、アルコール依存症の人というのは色々問題があるんですが、そのう
ちの一つはセルフが少し弱い、あるいは小さいと言われている人達です。そういう人たちがお酒を止
めますというのは自分自身との約束なんで、スリップというか再飲酒してしまった時、医者の前に行
って『先生すいません、お酒飲んじゃいました』と謝る必要はないんですよね。私も最初活動してい
た初めの頃に、一番最初にこれに気がついたので「私の前で一切謝るな。謝ったら私は逆に怒ります
よ」と言った事もありますけれども。だって酒を飲んだのはその人が自分の体を傷つける事であって、
私を殴りつけた訳じゃないでしょう。だったら私に『お酒飲んですみません』という必要はないんで
す。
「飲んじゃったの。お酒を切らんと私は手助けしてあげられんけれども、お酒を切れる?」とい
う話はするんだけれどもね、私に謝る必要はないんですよ。でも、依存症の人たちというのは必ず、
それまで散々あちこちで小言を言われているもんだから医者の前に行くとすぐ『先生すいません』と
謝るんですね。私は「それをまずやめなさい」と言います。でないと元々セルフの小さい人が必要な
いということで頭を下げたら、もっとセルフが小さくなってしまうでしょう。治療に逆行するんです
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よ。だから、酒を再度飲んでしまった位で、医者の前で『すいません』と言っちゃあかんという事を
まず教えなきゃいけないんですよね。ところが、医者たちは何とも思ってないですよ。ふんぞり返っ
て『うん、失敗したな、困ったじゃないか』と言うわけですよ。ただし、お酒を飲んで暴言を吐いた
り奥さんを殴ったりしたら、それは具体的に被害を与えているんだから『殴って済まなかった』
『暴
言を吐いて済まなかった』と謝ったら良いんです。飲んだ事はもう病気なんでしょう。
『依存症って
いうのは病気なんです』と言っているのに、なぜ飲んだことで謝っているのかというのが私の素人と
しての疑問でした。そこの所から変えていかないとアルコールの医療というのは本来の形にならない
のに、今になってもまた改善されてないという実態なのが日本のアルコール医療であると私は思って
います。
そういう疑問が重なってくる中で、ブラウンシュヴァイクという所に、これはストロームさんの出
身地と言いますか、支援していたドイツの小さな地方の教会のことを言うんですけれども、それを先
程申し上げました「自立プログラム」という形で日本的に実践を始める事で、私としては段々自分な
りの納得いく形を試みている所です。
2番目の所はもう言うまでもない事ですが、ざっとご説明しながらお話をしていきたいと思います。
一般的にアルコール依存症に至る道というのは、就職したりして歓迎会とか忘年会で機会的にお酒を
飲む、最初はちょっと飲んだだけで吐いてしまったりするんです。段々お酒を飲んでいるうちにお酒
に対する耐性が増えて、お酒を飲めるようになってくる。晩酌などの常用飲酒になって、その内に色々
精神的にムシャクシャしたりするとお酒を飲んで良い気持ちになって、良い気持ちになる事に依存す
る状況が出てきて、何かあったらお酒を飲むようになってしまう。精神依存が出来上るという事が言
われるわけですね。それがやがて身体の依存にもなってきて、お酒が切れると体が震えたり、幻聴・
幻覚を見たりするようになるという事になってきます。考えて頂ければ分かるんですが、人間の体と
いうのは非常にバランスが取れるようになっておりまして、最初の内は、今言ったような経過を取る
中で、人間にアルコールは異物ですのでこれが体に入ってくる事でバランスが崩れます。二日酔いが
起こる訳ですね。ところが、アルコールに対する耐性が増大してくると、絶えずお酒が入っている中
で体の状態が不安定になっている訳に行きませんので、アルコールが一定入っているとバランスが取
れるようになる訳ですよね。こういう人はアルコールが抜けると退薬症状、昔は禁断症状と言いまし
たけれども、バランスが崩れてくる、そして幻聴・幻覚が出てくる。非常に分かりやすい行動です。
そう思えば、幻聴・幻覚というのは当たり前の事なんですけれども、正常と異常という間違った考
え方の線引きがありまして。何か幻聴・幻覚が出てくると異常なんだという事を言うようになってく
るわけですよね。これは素人がそんな事は分からないので、医者たちが幻聴・幻覚が出ると『それは
異常ですな、薬でも出して元に戻しましょうか』と言うから、幻聴や幻覚が出ると異常だと人は思い
込むようになるんではないかと思うんですよね。ところが、人間というのは別にどこかで線を引いて
区切れるものじゃないんだろうと思うんですよ。例えば、産後ウツなんていう言葉がありますが、お
産とかそういう大きな身体的な変調があれば、そのあとに精神的に不調状態が出るのは当たり前です。
その時と子どもを産む前の私と全然別なものじゃなくて、ちょっとした変化が、人間としてつながっ
ているけれどちょっと変化がある事で問題が出てくるのです。これは異常でも何でもない訳で、異
常・正常というのは人間が勝手に理解し易いかし難いかという事で線引きをした事でしかないんだろ
うと思います。ここで線を引いてしまうと安心するんですけれども、線を引いてしまうと幻覚という
事が分からなくなってしまいます。これは悪いものだから薬で消さなければならないもの、恐ろしい
ものになっていってしまいます。安定剤とかそういう強い薬に依存させるという事が起こってきてし
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まう訳ですよね。ところが、例えば幻聴・幻覚が出ているといっても、それで自傷他害を起こすんだ
とこれは薬で抑えなきゃいけないんだけれども、幻覚が出ている人も自傷他害につながらなければ別
に薬を処方する必要はないんですよね。私も何人も喜望の家なりのぞみ作業所で幻覚が出ていますと
いう人に出会うんですけれども「何が見えるの?」
『この辺を白い蛇がずっと着いてくるんです』
「そ
れはちょっと怖いわねえ、どういう事かな」という風なやり取りをしたり。ある人は『壁に人の顔が
見えるんです。その顔が、ずっと俺はお前の悪事を全部知っているぞ。お前、人前で綺麗な顔して綺
麗事を言っているかもしれんけど、俺はお前のやっていることを1から 10 まで知っているんだから
な、良い加減な事をするな』みたいな事を言っている。私はその時に「これはあなたの良心ですね」
と言ったんですけれどもね。ですよね。要するに、自分がお酒を飲んで何となく人に迷惑をかけてい
ることは分かっているんですよ。それが幻聴・幻覚になって出てきているんなら、これは良心であっ
て悪いものじゃないんですよね。なぜそれを薬で消さなきゃいけないんですか。逆に私はそういう人
に「恐かったら言ってくれたら良いけれども、恐くなかったら丁寧に(壁の顔に)お話を聞いてくれ
る?この次会ったときに、幻覚の顔が何を言っているか教えてくれますか?」
。それをきちんとノー
トに取っておくわけですよ。そうすると相手の人は、何か大事なことを言っているかと思って、次の
時にはまた同じような話をしてくれるわけだからね。そのうちに段々と幻覚というのは恐がらなくて
も良いんだ、村松が大事なものだと思ってメモに書き留めてくれているわとなります。別に薬を飲ま
なくても幻覚が出ても、結構皆さん幻覚という言葉を分かってはるから、幻覚が出てきたな、ああ言
ったこう言ったといって対処していく訳です。安定剤依存にしなくても幻覚対応が出てきて、その内
にアルコールによる幻覚というのは3~4日で消えていきますからね。無くなればお薬を一切処方し
なくて、幻覚を乗り越える事が出来る訳です。これで処方薬依存にならない訳です。しかもその幻覚
というのは、さっき言ったようにその人の良心みたいなものだから、その人がどういう所で悩んで、
どういう所で自分の行動を不安に思っているかという事が見えてくる訳です。これを薬で消しちゃっ
たらそんな話にならないので、その人の問題の本質に辿り着かないんですよね。ただ、薬を処方させ
るだけで終わってしまって、本当の改善になっていかないという事になります。これも私、なぜそう
いう説明をしないのかというようにずっと思っていて、私もあまりたくさん本を読んでないからどこ
かには出ているのかもしれないけれども、よく「アル中さん」の幻覚の特徴で、体中を虫が這ってく
ると言うんですけど、こんなのもそういう人たちのお話を聞いていると分かるのは、退薬症状によっ
て幻覚が出てくる、虫が見えてくる。それはなぜかというと、お酒によって末梢神経が麻痺しますの
で、その神経麻痺が回復してくるにつれてゾワゾワモワモワ、何となく指先から変な感じがしてくる。
それに幻覚が重なると虫が全身を這い回っている感じがして、それで大騒ぎして安定剤を処方された
という事になるんでしょう。そういう事を説明してあげたら、もしかしたら少し落ち着いてお薬を飲
まないで、ああ今ちょっと怖いけれども、別に噛みついてくる訳でもないし、食いちぎられる訳でも
ないから、怖いけれども誰かそばに居てくれたら乗り越えられるかもしれないなと思えば、これもま
た薬漬けにしないで済むわけですよね。だからそういうやり方って一杯あるんだけれども、丁寧な説
明がどうもないなという気がしています。
ただ、これは医者達だけの問題ではなくて、日本の保険制度の問題なんかがありまして、特に精神
科医療というのはそういう意味で私は手厚くしないだろうと思うんです。保険制度では、普通の病院
に比べると非常に手が薄い状態でしか保険が出てこない。あるいは薬ですね。安定剤・睡眠薬なんか
を出すと非常に高い点数がつくんだけれども、人を手当てしてもそう点数がつかないと言う様な所か
ら改善をしていかないといけないんです。例えば不安で苛々して眠れない。別に入院している時だか
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ら仕事へ行く訳じゃないから、不安とか苛々して眠れなくても別に良いんですよね。手が厚ければ、
「そうなの。私、手が空いているからちょっとお茶でも飲みながらお話しましょうか」と言っている
内に、色々お話をしていて、ちょっと疲れてきたから部屋に行って寝ますわと言って寝てくれるかも
しれない。睡眠も、取れないといっても普通の社会生活をする上では眠れないのは問題ですし、社会
復帰するというような段階になってきたら、一定きちんとした睡眠で生活のバランスを取ることが必
要なんですが、最初の内はそんな必要がないんだから、寝られないと言ったら、人手が厚く出来れば
ですけれども、「寝られないんですか?じゃあ話相手をしますから、ちょっとお話しましょうか」と
いっている内に、10 日も寝ないで死んじゃうということはあり得るそうですが、2日や3日寝なく
ても何ともないですし、そのうち疲れが溜まってくれば自然と寝られていく訳だから、実は睡眠薬の
処方は必要ないというような事もあるんだろうと思うんです。だけれども、最近テレビなんかを見て
いると『睡眠薬は怖くありませんよ。眠れない人は使って下さい』。会社勤めをしていたらそれは必
要なんだけれども、病気の対応する時は、そんな事はなくても対処する方法を考えていかないと処方
薬依存という制度がつくり出した病気はどんどん広がるばかりで、何も良くなって行かないのではな
いかなというようなことを思います。
「アルコール依存症への対応;ブラウンシュヴァイク・モデルを手掛かりとして」という所に移り
ますけれども、これも私、先程言いましたように、欧米という言葉があるからヨーロッパとアメリカ
は似たようなものだと勝手に思っていたんですが違いまして、ドイツは地方分権が進んでいると言い
ますが、逆に言うと中央集権が遅れたんですよね。だからナチスの台頭なんかにつながっちゃたとい
う事を、この頃ようやく遅ればせながら分かってきたんですけれども。昔は貴族が分割統治をしてお
りまして、領邦というのはその貴族が統治している場所を領邦というんですけれども、そういう地域
毎に国教であるキリスト教、特にドイツではルター派なんですけれども、この区域は何々という貴族
が治めていて、その地域の中心には教会がありまして、その教会がいくつかの地域を分割して、社会
福祉の制度は教会を中心にして働かせていたわけですね。そういうものが今も残っています。これは
出す・出さないは自由に選べるんですが、収入の1%でしたか教会税というものを払う事も出来る。
教会の活動に協力していく事は出来ますよという事もあるのです。で、その地域に新しい問題が起こ
ってくると教会税を払っていようがいまいが、市民の人たちはまず教会が何かするやろうと思いはる
らしいですね。例えば海外労働者の問題なんかが出てくると、教会がパイロット的に自分の所の施設
のどこかを使ってそういう人たちの相談所をつくる。あるいは、そこから就職の支援が必要だとか、
子どもの支援の問題が出てくると、どこかの修道院を使ってそういう働きをしていく。そういう事が
一定続いて認められてくると、それが州議会などにかかって州の制度として社会制度が出来ていくと
いう様な事が今もされているようです。そういう流れの中でブラウンシュヴァイクという小さな地域
があるんですけれども、そこの地域でソーシャルワーカー、この方は教会の施設で働いていまして、
教会の中では男性はディーコン、女性の場合はディアコニッセという教会の社会奉仕をする部門の方
が地域の課題としてアルコール問題がこの地域にはあるという事で、アルコール依存症の治療支援の
システムを開発した訳です。体のケアについてはヨーロッパの伝統的なセラピーが主に用いられてい
るというかそれが当たり前の事だったので、使っているんですね。なので、大きな病院がシェルター
に1ヶ所ありまして、セラピーハウスという先ほど最初に申し上げたストロームさんのお父さんが働
いていたような施設が、そこを中心にして4~5ヶ所その地域にあるんですね。その中心センターに
精神科医は1人だけです。働いている人はほとんどソーシャルワーカー、あるいはセラピストと言わ
れる作業療法士とかというような方達なんです。そこで睡眠障害に対しても、最初から睡眠薬は出さ
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ないんですね。5m四方位のプールがありまして、施設見学に行ったときに見せてもらったんですけ
れど膝位まで水が入るようになっていまして、そこにいつも水が溜まっているんです。そこに入院し
た方たちは、朝晩5~6人ずつ、部屋単位かなんかでグループになりまして、前の方に手をかけて、
それでプールを4~5分ぐるぐる回るわけです。よほど末梢神経炎が強かった人は免除されるんです
が、そうでないと参加します。出たら丁寧に冷たい水を拭き上げるわけですね。そうすると、冷たい
水で一度血管が収縮するんですが、常温の所に出てくると開く訳だから、血流が良くなる訳ですよね。
そうしたら朝は非常に爽快感があって目覚めが良くなって、少し活動的になる。夕方また同じ様な事
を繰り返すと、今度は一日活動した後だから、その血流が改善されることで疲れがどっと出てきまし
て、夜はよく眠れるようになるんです。これをドイツではクナイプ療法といって温水浴療法というシ
ャワーを使ったそういう全身の血流改善のやり方が(今は日本にもクナイプ学会なんかがあるんで
す)そのような理論を使った一つで、薬に頼らない。日本人からすると考えられない位、薬は余り使
わないんですね。風邪なんていうのは、ヨーロッパの人に言わせると病気ではないそうで、でもサッ
カーの大試合があると風邪で会社を休む人が一杯いて困るというお話を向こうで聞いたことがある
んですが、基本的に風邪は病気ではないそうです。家に帰って暖かくして汗をいっぱいかいて寝れば
治るから、風邪は風邪であって病気ではないというのが普通なんだそうです。そのような考え方です。
食事も伝統的な黒パンの食事で、日本でいえば玄米食みたいなものだから、もう自然に食事療法をし
ているようなものですよね、普通の食事をしている事で。ということで、そういうものを、身体のケ
アの方を中心にして対応しています。
ソーシャルワーカーが開発したプログラムなものですから、さっき言いましたように、日本とか世
界的なアルコール医療の主流は自助グループにつなぐことなんですけれども、そのブラウンシュヴァ
イク、ドイツでもこの地域だけしかないんですけれども、ブラウンシュヴァイクの地域では、医療の
役割は医療の役割、自助グループの役割は自助グループの役割、別なんです。医療の役割というのは、
さっき言ったようにお酒を飲んでいる問題を根本的なところまで見直して、そしてその地域で自立出
来る様にして地域に返していく。そこからが自助グループの働きで、自分たちの日常生活をお酒無し
でどうやって豊かにしていくかを工夫したり、助け合って開発していくのが自助グループの役割であ
るという事です。何か問題が起こればまた医療に戻すので、日本みたいに自助グループが過重な役割
を担って、病院紹介をしてあげたり入れてやったりという事までする必要は全くないんですね。その
へんがとても大きな違いだろうと思います。
そういう意味で、後でまたアルコール依存症とは何かというのをブラウンシュヴァイク・モデルで
どう考えているかをお話しますけれども、日中の活動で色々なプログラムがある時に、何かをする時
も、日本でしたらデイケアなどでうちの事務長は書道が得意だから書道をやったら良いねとか、看護
婦さんで太極拳が出来る人がいたら太極拳をやろうねというような事ではなくて、これはこの目的で
こういう効果があるからやりますとかというような事がはっきり決められて、実施されているようで
すね。治療サイドが優先なので、自助グループにしても、向こうではマザー・グループと呼ばれる自
分が属している地域、住んでいる地域にある断酒会が大事です。別に隣まで、車だから遠くでもない
んですけれども、そこに行けばそれで充分、毎日のように断酒会へ通ってハンコを集めないと病院で
先生から怒られたりはしません。週1回マザー・グループに出来るだけ行きなさい。それは自分の地
元の事だし、自分の病気の問題を解決する上でアルコール依存症ということを忘れない為に、出来る
限り行きなさいよと言われます。そこに行くと、クリスマスの時期だと普通のクリスマスパーティだ
とお酒が出るんだけれども、その断酒会、自助グループの集まりだとお酒が出ないので、そちらに出
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来たら行くほうが気楽だと言ったりする。そういう日常生活に出てくる色んな行事事が自助グループ
によって行われたりする訳です。
そういう考え方の流れで大事なのが、断酒と禁酒の違いという事です。さっき申し上げたように、
禁酒法という法律があったように、禁酒とは、悪いものだから禁じるということですよね。場合によ
っては法律として禁じ、犯罪として罰するという時代もありました。ところが、断酒というのは自己
決定で、私は自分の体にお酒が良くないのでやめますよという自己決定をして自分がやめていく事が
断酒なんですけれども、見ていると時々、断酒活動ですと言いながら禁酒思想が頭を覗かせます。ス
リップを繰り返す仲間に断酒会のある方が、うちのメンバーさんがしょっちゅうスリップしていたも
のですから、『お前は断酒会の面汚しだ。もう来るな』と怒鳴りつけているのを見た事があるんです
が、これは、要するに「お前は酒を飲んでとんでもないことしていやがる」という禁酒的な発想です
よね。別にその人は、その禁酒的な発想というよりは、心配しすぎる余り、コントロールしてやろう
と思って言ったのかもしれませんが、問題の根で言えば禁酒の発想です。あるいはアルコール関連問
題学会とか、そういう支援者の集まりなんかで、時々断酒会の人なんかが来るもので、『断酒してい
る仲間の為に今晩のパーティではアルコールを提供しません』大変綺麗に聞こえるんですけれども、
これも断酒ではないんですね。禁酒の思想なんです。日本では断酒と禁酒を区別するのはなかなか難
しくて、酒を飲まない人がいると皆、酒を飲むのを遠慮してしまうんです。ドイツから支援するグル
ープが日本に来た時に、実はここの断酒会の方が1人来たんですけれども、一緒に行くとドイツの人
達が平気でビールを注文するわけですよ。私もビールを飲むんですけれども、その断酒会の人は断酒
だから、自己決定だから、私はコーラですと。だけれど、一番はしゃいで大声で喋っているのはコー
ラを飲んでいる当事者の方なんですよね。これが徹底できたら本当は断酒という事がもっと楽になり
ますけれども、そこまでなかなか日本人のアルコール依存の方でセルフが確立している人はいないか
もしれません。実は隣の人が飲んでいても私は自分のために断酒をするんです、飲みませんというの
が断酒の本論なのです。これが徹底出来ると、友達から誘われたからとか、皆が飲んでいるからとい
うような事がお酒を飲む理由にはならないですよね。逆に、うちの作業所はお酒を飲んできても良い
んです。私、喜望の家の時代から「アルコール依存症が病気なら、飲んでも来れんようにせんとおか
しいだろう」と考えていました。それこそ専門病院なんかで1回飲んだからといって放り出しはせん
でしょうけれども、2~3回スリップを繰り返すと病院を追い出される。あるいは施設なんかからも
出されて、昔ですと、2度目にまた入れるまで5~6年かかるというような時代がありました。精神
の一般の疾患でいうと、病気が一番重い時に一番手厚くしないといけないので、その時にあんた規則
違反だからといって病院を放り出したら、病院や施設をつくる意味がないんですよね。だから、お酒
を飲んでいる時に周りの人に迷惑をかけるなら、一定歯止めはかけなければいけないんだけれども、
飲んでいる時に来るなというのは病気として扱っていない事になります。だから、喜望の家の時には
ついにそこまで行かなかったですが、今の作業所の方では、皆がずっと私が言ってきたのと、私がさ
っき言ったようにストロームさん的なところが多少あるもんだから、しょうがないなと思って諦めて
くれているかもしれないけれども、飲んでも来れる場所となっています。私も、飲んで来て静かにし
ている間は良いんですが、大声を上げたりすると、1回は「うるさいから静かにせぇ、次やったら外
へ引っ張り出しますよ」。外に喫煙コーナーがあるもんですから、ぶつぶつ言っているとそこに引っ
張り出します。それでも、そこで大声を上げていると、本人さんをずるずる引きずって20メートル
向こうの道端に捨てに行きますから。その内に皆さん、おとなしくしていれば居れる事が分かってく
れれば、飲んで来ても、『わしは今日静かにしとるからこの隅に座っておってよろしいか?』と言っ
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て作業をしたりするわけですよね。ところがそれをやると、今までのアルコール医療の中で優等生と
言われた断酒会なんかに一生懸命行っている人は『こんな酒の臭いがプンプンする所で作業出来るか
と言って、『こんなところ二度と来るか』ということになる。でも、「あんただってそんな偉そうな
事を言っているけど、「アル中」やないか。3日後のあんたの姿なのに、何を偉そうなことぬかしと
るか」と私は言いたい。結構、優秀だと言われている人程それを嫌がります。ところが、そんな人も
1年後ぐらいに見るともうズタボロになっているので、余り同じ仲間同士、人の事を悪く言わないで、
自分の身を振り返りながら受け入れてくれる方がお互いに気持ちが良いなと思うんですね。長く酒を
止めている人達、裡に来ている人達は、来ていたら、『お前ええ加減にせえや。そんな事をやってい
ると職員さんに迷惑かけるし、お前だってしんどいやろう。もう明日は飲まんときや』
と言いながら、
帰りがけに1杯飲ませてやったりするんですけれどもね。それも良し悪しなんですけれども。でも、
要するに酒を飲むことが悪ではないということが徹底できないと、禁酒と断酒の違いは区別出来ませ
ん。家にいる車椅子の身体障害の方で、この方にも私言ったんです「あんたが車椅子で生活をして身
体障害1級であろうと、酒を飲んだらあんたが酒を切るまで私はベッドの上で放っておくよ。小便ま
みれになっても一切着替えさせんからね」と言っていたんです。しばらくして、この人は年に1回の
バス旅行を大変楽しみにして行くんですが『村松さん、年に1回、この時にビール1本だけ飲まして
くれんか?』。これは今までのアルコール医療でいったらとんでもない事なんだけれども、「絶対1
本だけだぞ。2本目飲んだり、酒が切れなくなっても、前言った通りの事しか私はせんから。私が頑
固なのを知っているでしょう」と言ったら、その方はその時に1本飲んで、その後1年間何もなしに
過ごしまして、翌年になりましたら「村松さん、約束だから1本飲ませろよ」と言って、それ以来5
年位、年毎にビールやワンカップや内容はいろいろ工夫してきますが、年に1回お酒を飲んで、今ま
でそれで過ごしているので、それもそれで1つのやり方かなと私は思っています。だから禁酒と断酒
ということはきちんと区別することが大事かなと思いますね。そこから言うと③のところなんですが、
アルコール依存症の人が飲んだらいけないというように私たちは考えて、飲ませないようにするんで
すが、実は自己決定であるならば「飲む」
「飲まない」という2つの選択が依存症の方には可能です。
ただ私が言うのは「飲まないという選択をしたら私や周りの人間はいくらでもお手伝いしますよ。で
も、あなたが飲むという決定をしたら、私ら忙しいし時間も限りがあるからお手伝い出来ませんよ。
だから飲みたかったら勝手に飲んで頂戴」。だから私、野宿をしている人は生活保護を受ける権利は
絶対的にあると思うのだけれども、そういう人が依存症という病名で生活保護をもらいながら隠れて
上手いこと飲んでいるのは許せないので、時々その人のアパートまで殴り込みに行くこともあるので
すよ。私が生活保護を取ってやった人は、それは約束違反やろうと。社会福祉法人になっちゃったの
で昔みたいにぶん殴るわけにいかないので、私は許さんと、お前を殺すこともあり得るよという事は
言います。そのぐらい苦しい戦いをせないかんということは事実だろうと思います。ただし、飲む選
択という事もあり得るので、私は野宿して『俺は俺の生き方をするのだ』と言って飲んでいる「アル
中さん」を私は尊敬しています。この自己決定ということ、あるいはその飲む・飲まないということ
を自分で選べるんですというのはとても大事なことで。アルコールで長らく悩んでいる人はお酒やめ
続けられると思ってないんですよ。だけど、相談に来たときに何かしてあげなきゃいかんし、向こう
も何かしてほしいと思って来るから、嘘でも良いので(私、時々嘘でも良いからねという時もありま
す。人によって言わないときもありますけれど)飲まないと言ってくれたら、私はあんたに部屋をと
って弁当を買うてくることが出来るんやけどと、今言ったような事を矢印書いて、飲む・飲まないと
はこういう事だよと説明して、「30分後に酒を飲んでも良いけれども、その時は何で飲んだか分か
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りませんとは言わないで、飲む決定をしたので飲みましたと教えてくれる?」そうしたら、お酒が切
れたら私がまた手助けしてあげるからと言います。要するに依存症になる人というのは、自分が決定
して生きていくという事に自信がなくなっているんですよね。もう二度と酒を飲まんぞと思っていて
も飲んじゃったと、当たり前ですよ、病気だから。だけれども、それに呼応していく時に、ある程度
自己決定をしながら自分の選択をしていくという事が力になってお酒を止めていく事を強めてくれ
るわけですよね。そうすると自己決定という考え方、今飲まないと決心しました、30分後に飲みた
くなったので、自己決定を変えて飲みますという決定に変えました、それで飲みました。その時に飲
む理由は色々あるからそれはまたゆっくり考えれば良いのだけれども、そうやって自分で決めて飲ん
でいたら、自分で決めて飲まないという事に効力があるという事が分かってくる訳でしょう。30分
経って飲んじゃったら「そうか残念だったね、明日の朝またいらっしゃい」。次の日に来たら「今日
は1時間我慢してみましょうか」そうしたら、自分が決定して実行していくという事に段々自信を持
ってくる訳です。そうすると『俺なんか酒なんかやめられないよ。今までさんざん失敗している』な
んていう人が『俺もしかしたら村松がいう通り少しずつ伸ばしていったら、2時間が3時間、3時間
が4時間になり、そのうち1日やめられるかな』となれば、それが2日になり3日になりという事が
あり得るのではないかなと思っています。そうやって自分で決定をしていく。そして、自分の生き方
を選択していくという事を自分の力にしていってもらいたいなと思います。
同時に、その事を考える時には、AAのステップの最初に「われわれはアルコールに対して無力で
ある」と言っているのは、私は大嘘だと思っているんですね。それでいつもこれはケンカになるので
す。要するに、最初の一杯に手を出す時は飲んでないのだから、さっき言ったようにアルコール依存
症の人達は体の中の仕組みがまだ完全には解明されていませんが、一杯飲んでしまうと二杯目、三杯
目歯止めが利かなくなるというのはもう絶対的な事実として認定されています。だけど、最初の一杯
飲む所というのは、これを普通に考えたら、脳のどこかが何らかの理由で「手を出して飲め」と伝え
る、だから手を出して飲んで、ここ(口)に運んで飲む訳でしょう。そういう指令がなかったら飲むわ
けがないでしょう。これは空を飛んで私の口に入るわけではないから。空を飛んでお酒が私の口に入
ったら、私はAAが第1ステップでいう、アルコールに対して無力であるということは認めます。で
も、人が手を出して飲むということは何らかの判断があって飲むわけだから無力ではないのですよね。
何かの自己決定がある。その時、じゃあ何が私を自己決定させているかということを解明していくの
が、私は精神医学ないし心理学という事の責任だろうと思うのです。そうすると『誰それがこうこう
言っていたので苛々した。だから俺は飲んだ』「だからあんたが苛々するのは正しいよ。あいつがグ
ズグズ言っているのは見ているだけで、俺も実は腹が立ってぶん殴ってやりたいんやけど、我慢しと
る。だから腹を立てて良いのだけれども、腹が立って相手を怒鳴りつけたかったら怒鳴りつけても良
いよ。男ばかりの世界だからゲンコツ1つ2つぐらい我慢するわ。3発目位になったら止めに入るか
らね」。そうしたら、怒ることは出来る訳ですよね。それが正当なものだという事を認められる訳で
すよ。「ただし、昔みたいに苛々したから酒を飲んだということになったら、酒を飲むことは、今度
は自分の責任です。自己決定の問題です」。そこの所を分けて考えられるようになると、そう簡単に
出来ませんけれども、人の行動に影響されて我が身をお酒で傷つけるという病気と反応が少し整理さ
れてくる事になるのではないかなと思います。そのように考えると自己決定、それから一杯に手を出
す、お酒に対して無力か無力でないかという事はとても大事なポイントではないかということを思っ
ております。
同じことはブラックアウトにも言えまして、ブラックアウトとか、昨日のことを何も覚えてないと
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言います。皆様方の中でも言った事ある方はいるでしょう。でも、よく胸に手を当てて考えて下さい。
何も覚えてないという事はないです。何となく、どうもあんな事をしたのと違うかな、どうも誰かに
迷惑をかけたのではないかなという事が残っているのです、実は。それをゆっくり掘り下げると、だ
んだん失っていたと思った記憶が蘇ってくるのですけれども、ブラックアウトというような言葉が出
来たという事で、
『それはもう一切覚えていませんわ』と言えば、しんどい思いをしなくて済むので、
そのまま済ませてしまうようになった事が一つの問題だろうと思っています。
4ページの一番下の所ですけれども、ブラウンシュヴァイク・モデルのいくつかの説明ですが、体
験談中心、言い放し聞き放しでなくと書きましたけれども、アルコール依存症への取組みというのは
AA/断酒会というような自助グループの活動が中心だとされているものですから、医療支援の目的
というのは自助グループにつなぐ事だと言われています。アルコール医療の3本柱ということで、通
院/抗酒剤/自助グループ参加というのが断酒の要であるという事が信じられてきまして、自助グル
ープの活動の中心は体験談に始まり体験談に終わるというようなことが言われています。一方、ブラ
ウンシュヴァイク・モデルのほうは、先程申し上げましたようにソーシャルワーカーによって始めら
れましたので、大前提として医療と自助グループの役割の違いという事をはっきり謳っています。こ
れはさっきお話したことですよね、医療の段階。それから医療の一定の関わりが終わったあとに生活
を豊かにするために働くのが自助グループの役割だということです。そういうことですから、医療と
して行われる小グループ、日本では小グループなんかが病院なんかで行われるときも、最近は少しソ
ーシャルワーカーなんかが活躍するようになってきたので少し違う形で行われるようになりました
けれども、昔は当事者の方が司会をしたり、せいぜい看護師さんあたりが司会をして、言い放し聞き
放しということで、無批判にともかく体験談を述べる。それについて何も外から言われることはない
形で終わっていました。ところが、先ほど言いましたようにブラウンシュヴァイク・モデルですと、
アルコール依存症の方は多少セルフが弱いということは一つの事実なものですから、あまり深い、強
い介入はしないのですけれども、10~15名位のグループにセラピストが二人つきましてお話に対
して軽い介入をするのですね。さっき言ったように、体験談というのは段々時間が経つと美化されて
いってしまうものですから、そうすると自分の問題、自己洞察が深まったりとか、自分の問題をきち
んと見せるということがなくなってくるものです。お話をしていると『今の所、とても大事なお話な
のでもう一遍ちょっと言ってもらえます?』とか、『もう一遍ちょっと丁寧に聞きたいんです』と言
われると、またお話する中で『セラピストが何か言いやがった』と思うので、少し美化しかかったの
が元に戻ったり、あるいは、その事がきっかけになって自分でも気がつかなかった事に気がついたり
して、少し違うお話が出てきたりするのですね。そういう事によって、なぜ自分の生き方がお酒につ
ながらなければいけなかったかというような事に気づきが起こってくるようなんです。下に*が2つ
あるのですが、下のほうの2-2の上の*の所なのですが、そういう意味で、さっきお酒をやめて1
日目の人も10年目の人も同じような体験談をする問題ということを言いまして、私としてはどこか
で体験談を深めていく何かの仕組みがないのかなと思いましたら、最近アメリカで研究してきた方か
ら聞いたお話では、アメリカで「治療共同体」といいまして、その治療者ですよね。依存症でないス
タッフそれから依存症のスタッフと一緒になって、当事者の方たちとそういう共同体をつくって治療
を進めていくという事をするのですが、その中でエンカウンターグループといいまして、二重円をつ
くって中側の人たちが体験談を述べる、外側の方たちは観察者になってその体験談を話しているのを
見ているんですね。一括りが終わると、外側で見ていた観察者の人たちが中側にいる人たちの体験談
のお話、あるいは他の方のお話に対する反応の仕方なんかについてコメントを述べるんですよ。その
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事によって自己振り返りが起こるんすね、自己洞察が。そういう事を通して体験談の深まりが起こっ
てくるというような事が今アメリカでは試みられているという事を聞きました。私としては、これは
その体験談だけでやって行く治療システムの中で、一定年数が経った人たちが自己洞察を深めて自分
達の問題の根本に近づいていく一つのあり方じゃないかなと思って関心を寄せている所ですし、これ
を実践しているところが奈良の方にあるので、家で月1回やっている勉強会なり、もしかしてその当
事者の方も来ていただかなければいけないので、日中になるかもしれませんが、一度ちょっとそんな
エンカウンターグループの体験学習をさせてもらいたいなということを思っています。また、そのと
きにはぜひご参加頂ければと思います。
それから、次にモデル2のところでアルコール依存症の明確な規定ということですが、ブラウンシ
ュヴァイク・モデルではアルコール依存症は「自己破壊の病気」であるという事をまず大前提として
はっきりと謳っています。日本ではなかなかそのようなことは言わないですね。自己破壊的な要素が
あるというような事は何かの本で読んだことあるのですが、そういうことを明確には言いません。ブ
ラウンシュヴァイク・モデルではそういう事をまず大前提で言うものですから、治療のプログラムと
いうのは単にお酒をやめるという指導だけではなくて、色んなさっき言ったようなデイケアのプログ
ラムみたいな所では、自己破壊性からの回復ということを強調しまして、創造療法、ものを創り出す
力を強化することによってしか、自分を壊していく力に対抗できないという事で、プログラムは何を
やっても良いということではなくて創造療法、何かものを創り出す力、自己を創り変える力を強化す
るものをプログラムとするという事が明確になっています。ストロームさんからはっきりそう指示を
されたわけではありませんが、そのようなことを聞いていたので、家では内職作業を当初から一切し
ていません。障害者の作業所全般で、精神の作業所なんかでもなかなか良い仕事がないものだからつ
いつい内職に偏っちゃうんですよね。ところが内職というのはノルマを課して、ともかく単純作業を
尻に鞭を当てるようにしてさせて、期限までに仕上げるという事だから、これは非常に精神を破壊す
る部分があるので本当はさせてはいけない仕事なのですが、多少お金につながるというような事でつ
いつい取り入れがちなのです。これはそういう趣旨からいうとしてはいけない事柄になるのだろうと
思っています。なので、出来るだけ家でも内職作業ではない、ものを創り出すような作業を取り入れ
たいと考えています。自己破壊性というのはアルコールに限らないで依存症全般に言えることだと最
近気がつきまして、お酒を飲むということは「緩やかな自殺」と言われることもありますし、依存症
の方が苛々してエーイ、クソとお酒に手を出すその心境、あるいは行き詰まって一か八かといって捨
て鉢な行動をとる、どちらも自殺者の心境なんですよね。エーイ、もうこんなことなら死んでしまえ
と。死んでしまえば全部解決するやろうと。
でも、自殺したからといって実際解決しないような事で、
残された者はもっと困るんですが、そういう心境というのは、自殺者の心境なわけです。あるいは、
一か八かというのはギャンブル依存の人の心境ですが、これはまさに自殺者の心境そのものであるわ
けです。そういう意味で、依存症というものの根底に働く力は自己破壊の力であると言えるのではな
いかと思います。そのことが形を変えて出てくると一か八かだから、0 か 100 かだから「白黒という
思考」にしかならないし。逆に、もうこんなダメな自分は認められないんだけれども、酒さえやめれ
ば俺は全く普通のやつと変わらない 100 の人間を取り戻せるんだと考える。あるいはよく依存症の人
が失敗すると、一からやり直すのだといって全然関係ない所に行ったりしようとしたりする。私は家
に来た人達を、職員に「絶対家に来たら逃がすなよ」というのですけれど、要するに一ヶ所に留まっ
て1つ1つ関係を積み上げていく所にしか問題の解決策はないのです。だけど、一か八かの思考の人
は全部白にして新しい場所で、白の自分でやり直そうとするのです。だけど、そういう人は白になん
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か一遍になる訳がないんだから、黒のままで終わってしまうのですね。だから黒を少しずつ白を増や
すような灰色にしていって、最終、白に近い状態に持って行ければ良いので、そういう意味で完全主
義というのが裏側に働いて依存症になってくるわけですけれども、そこの所も改善するべき事で、そ
の為にはやはり逃がしてはいけないのです。
私自身、野宿者支援というのは(ある意味)素人がやってはいけないと、ボランティアがやるのは以
ての外だと思っているのです。決して悪いことではないのですよ。だけど依存症の方達だと、ずっと
丁寧に見ていけないでしょう、ボランティアだったら。自分の生活が忙しいから。だから私は最初か
ら、これはちゃんと給料をもらっている人間がやるべきものだと思っています。それに行政がお金を
出さないと、ボランティアの人たちが活躍しているような野宿者支援というのは、特にそういう依存
的な傾向を持っている人達にとっては余り良いやり方ではないなと考えています。それしかない部分
もありますし、ボランティアの力も大きいのですけれども、その辺はきっちりと考えていかなければ
いけないことかなと思います。
それから、依存症の方達が過去に囚われたり、あるいは先取り不安というようなことを強く持って
いるのですけれども、いつも先に先に、2時に約束したのに1時頃から来て、もう2時頃になって私
が時間通りに行っても『だいぶん待たせやがって』といって、言葉だけは丁寧に言うのだけど顔中怒
り狂ったような顔をしていたりするのです。そういう先取り不安というのもカウンセリングなんかで
言われるように、「今ここで生きる」ということをきちんと出来るようになれば精神的な病気にはな
らない訳です。しかし、自分に自信がないと先に先に考えて、そしてちょっとでも完全なものに仕上
げてやろうと思うから、早め早めに要らんことで動いて、それで失敗して、それでまた今度こそ上手
くやろうと思って、また2時後3時間後、あるいは1ヶ月後のことを今日から心配して、それに囚わ
れて今日のことを失敗してしまうということが起こってきます。こういう所を全体的に改善していく
事をしないといけないわけですが。それには依存症が自己破壊の病気であるということを明確に意識
しておくことが必要になるのではないかと思います。
それから、自己中心である事なのですが、これは私、アルコールの世界に入って信仰的に教えられ
た事ですけれども、依存症の人達がこの頃あまりこういう事を言わなくなりましたけれど、私達の一
番の問題は自己中心ですというようなことを言います。昔、「世界は二人の為に」という歌があった
のですが、これがまさに自己中心の世界なんですね。世界は二人を中心に回っています。これが「ア
ル中さん」の世界になりますと『世界はわしのために回っとるんや』となります。わしの思い通りに
ならないというのは周りが悪いんやから、わしが酒飲んでどこが悪いという事で酒を飲み続ける訳で
すね。物事を自分を軸にして考えて解決するようにする。酒を飲むとそういう自己中心的なものが肥
大化しまして、何か神であるかのように周りを怒鳴りまくったり、暴力をふるったりしても何とも思
わない。実はこれ、実質は非常に小さいものなので、お酒で自分を膨らませてそのように考える訳で
すけれども、その問題の中心には、自己中心というのは人間性につきまとうものなので依存症の人に
限るものではないのですが、依存症の人はそういうところが非常に明らかに出やすいという意味で、
自己中心であるということが依存症の一つの特徴として言われています。
そのような事を考えてきて、依存症の人達にとって回復していくのに大事な事という事で、私は一
時、本当に理不尽なことを言うなと思ったのですけども、依存症の人達というのは、感情の揺れ動き
に非常に弱いのです。気持ちが揺れ動くとスリップしてしまい易いんですね。なので、一頃、医者が
『アル中は、泣くな、笑うな、喜ぶな』。ロボットになれみたいな、非常に非人間的なことを言って
いた時代がありました。たぶん今も言うと思います。子供の結婚式で嬉しくて飲んじゃいましたとい
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う話があるんでね。それはアルコール依存症の問題というわけじゃなくて、感情の処理が上手に出来
ていないと言う事です。よく『あの人は普段おとなしいのにお酒が入ると手がつけられない』と言う
んですけども、これはこういう人達がどれだけ自分の感情を押し殺して生きているかという事でもあ
ります。だから、逆に言うと AC の問題があった時、ある程度小さい時から何らかの感情を押さえ殺
さなければいけないような環境にあって、それがお酒と繋がる中で爆発的に出てきてしまう様になっ
て依存症になっていくわけなんです。逆に、こういう人達には「感情を出すな」ではなくて、
「感情
を許容範囲の中で、お酒を使わずに上手に出していく」ことを練習してもらわないと改善していかな
いだろうなと思います。ところが依存症の方達というのは、よく言われるように趣味が少ないんです
ね。飲むことしか経験してきていないので。だから依存症の治療で一番大事なのは、季節感を大事に
する事です。今の時期でしたら、もうちょっとしたら梅の花が咲くので、お弁当を持って梅の花を見
に行こうとかね。たぶん家の人なんかもそうですが、梅なんか一つも見ていませんよ。弁当を食った
ら『さあ帰ろう』と。でも、それで良いんですね、そこからやっている内に、誰か1~2人が『ああ
今年の梅は去年よりは匂いが良かったな』とか、
『今年の桜は去年よりは綺麗に咲いとるな』と言っ
てくれれば、たぶん徐々に失った感情を取り戻しているんだろうと思うのです。そういう事を積み重
ねることによってしか依存症からの回復はないのではと思っています。
要は、色々好き勝手なことを申し上げましたけども、ご本人さんが楽で居やすいような対応をして
あげて、それを一日一日積み重ねて、さっきいったように嫌なことがあっても逃げ出さないで、ケン
カをしたり取っ組み合いをしても良いので、同じ場所に留まり続けて自分の経験を積み重ねていく、
そのことによって成長していく。依存症の方は15歳位から飲みだすと、そこから先、酔っぱらった
頭でしか対応していないものだから、非常に年齢のわりに考え方が幼かったりするので、それをもう
一遍教育し直して、15 歳の飲み始めた所から 16~17 歳と歳相応にまで育て直してあげないと、アル
コール依存症の方の社会性は回復していかないだろう思っています。長い期間にわたるお世話をして
いくのが私たち支援者の働きかなと考えています。
勝手なことを勝手に申し上げました。一杯反論をお待ちしています。今度は皆さんの時間です。何
でも言って下さい。
○フロア
太成学院大学というところで、精神看護学の教員をやっているんですけれども。アルコール依存の
治療というと、例えば認知行動療法とかを最近取り入れたりしているのですけど、そのあたりを先生
はどのようなお考えですか。
村松
一定、効果があるものだろうと思っています。ただ私自身が認知行動療法をまだ十分勉強していな
いものですから、どの程度か言えませんが、今までの考え方よりは遥かにマシだし、行動修正に自分
で気がついて変えていくということなので、自己決定ときちんとつながっていって、わかりやすい指
導がされて、いろんな工夫がされていますので、効果が出てくるものだろうなと期待していますけれ
ど。
フロア
ヘルスサポート大阪の逢坂隆子です。お話の中で先生が、一口でも飲んでしまえば止めようもなく
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なるというのがアルコール依存症の特徴であると。私も若い頃そのように聞いた覚えがあるのですが。
先ほど、バス旅行された時に、その時だけビールかカップか何かを毎年1本ずつ飲まれるという話を
なさいました。その人はそれでおさまるのですか。というのもアルコール依存症の定義からすると、
一口飲んでも止められないということからすれば、その人はアルコール依存症ではなくなっておられ
るんですか。
村松
わかりません。私は解明する必要が無いと思うので、放っているのですが、なぜかわかりません。
だから最初の1杯を飲ませる時、私は非常に不安を持ちながら、非常にしんどい状況を我慢して生活
しているから1本位はと。車椅子生活だからそういっぱい飲むわけにいかんやろうと思って、その時
はその時やと思って飲んでもらったのですが、
なぜか1本でおさまっていますね。不思議です。でも、
この方は10位の支援団体を転々として、生活保護を2回位だめにしていますし、筋金入りで地域の
支援者の方からも、他に連れて行きようがないから最後にあんたのところに連れてきたので何とかし
てやって、と言って来られたので。依存症であることは事実ですね。主治医は小杉先生ですし。先生
にもそれは報告していないんですけどね。
フロア
ヘルスサポートの黒田です。以前にのぞみ作業所でお話を伺った時に、毎日通ってもらっていて、
通えなくなったら家まで行くこともあると。そこで飲んでいたらお金のほうは管理して飲ませないと。
今日のお話でも1ヶ所に、自分のところにずっと留まってもらって、あの時はもう死ぬまでお付き合
いしてくれるというお話だったと思うのだけど。私はのぞみ作業所あるいはコストロームの家で一番
効果をあげているのは、そういうとことん付き合っていることじゃないかと思うんですね。それは相
手に立ち直れるという期待を持っているというのと、立ち直れるということを信じているという、そ
こじゃないかと思っているんです。釜ヶ崎のアルコール依存の人は離脱症状が出て、幻覚妄想状態に
なったというような時には入院せざるを得ない、そういうところがなければですね。入院するところ
はというと、大抵がもう貝塚とか、遠く離れたところになってしまうとか。そしてそこにずっと通院
するわけにもいかない。また退院してきて。人との関係とは常に断ち切られてくる事になって。私は
AAとか断酒会をそんなに強く否定はしていないのです。そのような人たちにとってみたら、そうい
う断酒会やAAを渡り歩きながらそこで人との関係を作ったりというようなことで、それを立ち直り
のきっかけにしている人もいますので。だけど今日のお話を伺って強く感じたのは、病院にしても医
療にしても、あるいはAAや断酒会のような自助グループにしても、かなり権威主義的なところがあ
ると。それに対してはかなり批判的なんだということがわかりました。質問というよりか感想になっ
たんだけれども、AA断酒会の、何と言いますか、持っているつながりを持続させるとか、あるいは
その事によって断酒を続けていけるという、そのへんの効果はどうですか。
村松氏
私の説明がちょっと不十分なので、AA や断酒会を否定するするみたいなのですが。私が怒ってい
るのは医療に対してなんです。要するに、医療の目的が自助グループにつなげることであるとしたら、
だったら、じゃあ医療の役割はなんですかと聞きたい。なので、私は自助グループというのは元々そ
うやって当事者の人たちがする事だから限界がある事で、それはどういう形であってもそれはそれで
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良い。けれども医療の目的が自助グループにつなげることだ、ではあまりにも悲しいではないかと思
います。やはり医療は医療としてきちんとした対処するところがあって、理論的にもきちんと立つべ
き所があるだろうと。その中で一定落ち着いた方を自助グループに繋げていく、その当事者の人達は
当事者の人達であまり必要以上の荷を担がないで、仲間作りをして助けあっていくという事ができた
ら良いけれどもという事なんです。それと、医者やなんかと関わりを持っているのだから、そういう
人が持っている医療の中で不十分なところがあれば、もうちょっと補強してあげたらどうなのかなと。
そうやって一貫した理論をきちんと医療者なり医学者たちが作ってあげないと、治療体系ということ
は、当事者の方も含めて成り立たない、そういうお粗末な精神医療はおかしいのではないかというの
が私の言いたいことなのです。
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