サンパウロ - 出版文化国際交流会

第 20 回サンパウロ国際ブックフェア
名 称
20th Bienal do Livro de Sao Paulo 2008
テ ー マ
読書推進
会 期
2008 年 8 月 14 日 ( 木 ) ~ 24 日 ( 日 )
入場時間
10:00 ~ 22:00
会 場
Parque de Exposicoes Anhembi
( アニェンビー会場、サンパウロ市内中心部から北西約 30 キロ)
展示面積
約 70,000㎡
主 催
The CBL = Camara Brasilieira do Livro (Brasilian Book Chamber = ブ
ラジル図書評議会 ) ※ 1946 年に設立された出版社、書店、取次店、
直販業者によって構成される団体。「本を友達へのプレゼントに」を
モットーに、読書推進を図り、出版物の送料を安くしたり、印刷用
紙の輸入税の軽減、著作権条約に加盟、著作権法の整備など具体的
に文化活動を行っている。
後 援
Ministerio da Cultura( 文化省 )
Agencia de Turismo: MUSTTOUR( 旅行代理店 )
Francal Feiras 40 anos( 展示会協会 40 周年 )
Anhembl( 観光局 )
Prefeitura da cidade de Sao Paulo( サンパウロ市 )
スポンサー
HSBC(Hongkong Shanghai Banking Corporation)
Submarino( インターネット販売の書店 )
VISA, TAM( 航空会社 ), Volkswagen ( 自動車会社 )
出 展 数
350 社
出 点 数
210,000 冊
参 加 国
イタリア、スペイン、ドイツ、ブラジル、ポルトガル、日本など
イベント
1.ブラジルの代表的作家、マシャード・デ・アシースの死後 100
周年記念
2.ブラジルへの日本移民 100 周年記念
3.第7回イベロ・アメリカ出版社会議 ( スペイン )
入 場 者
約 728,000 人 ( 州市立学校からの生徒 40,000 人を含む )
入 場 料
一般 : 10 レアル、学生 : 5 レアル、12 歳以下と 65 歳以上は無料
報告 : 栗田 明子 [ ㈱日本著作権輸出センター 取締役会長 ]
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第 20 回サンパウロ・ビエンナーレ・ブッ
クフェアは、8 月 14 日から 24 日まで 11
日間に亘って行われた。会場はかなり広い
国際会議場で、大きなパビリオンの天井は
高く、廊下の幅は広く、今まで参加したど
の国際図書展よりも広々としているのが第
一印象である。
丸い塔のある入り口に大きく斜めに “20th
Bienal do Livro” が遠くからも目立つ。若者
たちがその周囲に開場前から大勢たむろし
ていた。
( アニェンビー会場、市内からは 30 キロ )
開会式
8 月 13 日の初日 11 時に予定されていた。遅れることが当たり前と聞かされていたが、会場
内のアイデア・サロンには 11 時前から人が集まり始め、100 名ばかりで満席になっていた。何
名かはしびれをきらして退場していたが、係りが何度も配る水のコップを片手に辛抱強く待ち続
け、
1 時間後にやっとはじまる気配となった。10 ~ 12 歳の少女 20 名が舞台の向かって右でコー
ラスを始める。直立不動ではなく身体を左右にゆらせてリズム感豊かに歌うのがいかにもサンバ
の国、ブラジルらしい。ブラジルの代表的な数曲の唱歌の後、国歌となった。これは直立不動と
なり、来場者すべても起立しての斉唱である。
図書展主催者、ブラジル図書協議会ロゼリー・ボスキーニ (Rosely Boschini) 女史の開会挨拶
で始まり、次いでブラジル文化大臣ジュカ・フェレイラ (Juca Ferreira) 氏のスピーチがあった。
その概要は「今年はブラジルの代表的作家、マシャード・デ・アシス (Machad de Assis) の死後
100 周年記念の年である。読書推進を目指して、国、州、市が協力している。国際図書ビエンナー
レの教育的な役割を重視し、業界内の交流
のみにとどまらず、市民の読書への関心を
高め、興味を深める行事である。読書推進
をするためには、図書の価格の低下が重要
であり、それには出版社の協力も必要であ
る」と強調した。
サ ン パ ウ ロ 市 長 ジ ル ベ ル ト・ カ サ ビ
(Gilberto Kassab) 氏 は、 そ の ス ピ ー チ で、
ビエンナーレの教育的な役目を強調し、
「市
立学校の生徒にバス、おやつなどを提供し、
本がもらえる整理券を配する。その券によっ
て子どもたちが家庭で蔵書を持つ楽しみを
( 開会式、舞台右にはコーラスの少女たちが )
ブラジル 45
知ってもらいたい。18 日月曜から 24 日の日曜の期間に州、市立学校から4万人の生徒がビエ
ンナーレを訪問する予定である。今回アニェンビー会場では約 350 の出版社が参加し、4,000
件の出版記念行事が実施され、80 万人の来場者を期待している」と語った。
以上の他の出席者は、スペイン文化大臣、セザール・アントニオ・モリーナ・サンチェス (Cesar
Antonio Molina Sanchez) 氏、サンパウロ州知事ジョゼ・ゼッハ (Jose Serra) 氏、日本の国際交
流基金サンパウロ所長西田和正氏。
開会式が終わると、賑やかな太鼓の音が聞こえ、開会式会場に隣接した広場ではお祭りムード
で子供も参加して腰からぶら下げた太鼓を敲き、男女がサンバを踊り始めていた。まさしくブラ
ジルを実感する幕開けであった。
会場
入口は入場券を機械に触れて 1 名ずつ、10 名くらいが一度に入れる改札口のようになってい
る。天井は高く、廊下が広い。しかし、スタンド番号がないのには少し戸惑った。縦は1から7
までのアベニューとなっており、横は A から O までの番号が上に掲げてあるので、それを頼りに、
たとえば L, M のアベニュー 3 を探すという具合で、上を見たり会場案内を確かめるために下を
向いたりしながら、スタンドを訪ねなくてはならない。会場内にいくつかの小会場が配置されて
いて、講演会、シンポジウムのような行事が常に行われていた。
入口側の端は青、黄、赤の三角帽子のようなものが目立つ。スポンサーの1社である HSBC 銀
行の ATM であった。反対側の端一列は屋台形式のレストランが一列に並び、サンドイッチや焼
きそば、飲み物などを売っていて常に満員で賑わっていた。
入口から、
すぐ左が「国際通り」と位置づけているようで、第 1 アベニューの 2 番目の広いブー
スが日本、次が日本と同じく今年の招待国であるスペインである。スペインは国旗の色、クリー
ム色とオレンジ色を大胆にあしらって遠くからでも目立つ。本も人も、隣の日本ブースより多かっ
た。ドイツは日本と同じ列だが、一番果ての第7アベニューにスタンドを出していたが、ポルト
ガルのスタンドは見られなかった。
全部で約 350 社が出展して、リストにもそのようになっているが、共同スタンドの参加社が
多い。1 枚の会場案内にぎっしり社名があるものの、虫眼鏡が必要な小さい文字なのでそれも困っ
たことのひとつであった。
南米の諸国がすべて参加するラテン・アメリカ・ブックフェアを想像していたが、同じ言語を
使用するポルトガルからの参加もなく、隣国アルゼンチンからの参加もないのは意外であった。
同じ国内でも、
リオデジャネイロの出版社も不参加である。ポルトガルも今年の招待国なのだが、
その名前は入り口に近い食品を売る小さな屋台で見たのみである。インターナショナルというよ
り、ローカルなブックフェアの感を持ってしまった。
日本語が目立つスタンドは「生長の家」が 100㎡ほどのスタンドで谷口雅春教祖の著書や関係
図書以外に、お守りなどの小物をも売っていた。また、Editora JBC では、日本語の学習書、日
本に関する実用書、
「漫画大百科」など情報誌のほか、SAMURAI、NINJA といったローマ字の多
46 ブラジル
い題名の漫画のシリーズなどを多く陳列していた。2、3名の若者がスタンドに居たが、日本語
はもちろん、英語も通じなかったので、出版方針や発行部数など、詳しい情報を聞き出すことが
できなかった。
会場入口で本をデザインした丸いブローチを手渡された。「図書局の復活を!」というキャン
ペーンとのこと。もっと、図書を身近に、という今年のテーマに沿ったものであろう。
日本ブース
昨年までは 40㎡だったものが、
今年は「日
本年」とあり、主催者側の配慮で 126㎡、
Fondacao Japao, Sao Paulo( 国際交流基金、
サ ン パ ウ ロ ) と PACE( 出 版 文 化 国 際 交 流
会 ) の看板だけは別々で、共通の斜めの平
棚に展示図書が並べられ、後述する Alianca
Cultural Brasil-Japao ( 日伯文化連盟 ) が片
隅を、竹内書店がもう一方の片隅のスペー
スで、それぞれ展示、図書注文の受付をし
ていた。真ん中のガラス張りの部屋は折り
紙などのワークショップ用である。領事館
( 日本ブース、写真はほんの一角 )
から借用したという 2 つのガラスケースが
受付カウンターの両側にあり、日本人形、
盆栽、季節の飾り物などが上品に配置され
ていた。
初日と 2 日目は週日のせいか訪問客は少
なめであったが、後日国際交流基金サンパ
ウロ事務所から送付された写真を見ると熱
心に展示本を見る多くの訪問者たちの様子
が写っていて安堵した。特に、週末の訪問
者が多かったようだ。
以前に筆者が派遣されたグアダラハラ ( メ
( 大人気のワークショップ )
キシコ )、ニューデリー ( インド )、テッサロニキ(ギリシャ)で常に味わっていた苛立ちを感じ
なくて済んだのは、サンパウロでは読者が購入したい本を入手する方法として、すでに業者が注
文を受け付ける体制が整っていたことだ。昨年までの高木書店に代わり、今回は竹内書店が日本
ブースのコーナーで注文を受け付けていた。いつも何名かの人たちが欲しい本の注文を行ってい
た。最終日までに、約 300 冊注文があったとのことである。今まで派遣された 3 都市でのブッ
クフェアではスペースが足りなくて、床に積み上げるなどの処置をしていたが、今回は、出展本
が不足という印象を持つほどのスペースが提供されていた。
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ワークショップには、常に子供たちを交
えた人々が参加して折り紙の折り方などに
熱心に挑戦していた。展示本を立ち読みし
ている人、椅子に座り込んで読みふける人、
本を繰っては連れの人と言葉を交わしたり、
アテンダントに質問したり、おそらく毎年
日本のブースに立ち寄る人たちであろう。
スペースにゆとりがあるので、ゆっくりと
時間を過ごしている人たちが多かった。
日伯文化連盟は 1978 年に、それより以
前 1956 年設立の「日本文化普及会」と「ブ
( ソファ席で団らん、奥に見えるのはスペイン )
日語普及会」とが合併して再発足、その名の通り、ブラジルと日本を結ぶ文化団体で、主として
日本語教育学校の役目を果たしている。日本語教科書の他、ポ和・和ポ辞典、漢字字典のほか、
折り紙など実用書も出版している。竹内書店と反対側のコーナーで辞典、字典のプロモーション、
展示、販売を行い、熱心な来訪者の質問に応じていた。あらかじめ予定されていたので、図書展
開会の前日、同事務所を訪問、ジョルジュ・デ・アラウジョ・シントラ・カマルゴ文化局長(長
い名前なので「釜五郎」でよいとのこと)
、
アントニオ・カルロス・M・フェルナンデス総務局長、コー
ディネーターの鍋田・ジャケリーネ・麻美さんの説明を受けた。各室 10 名以内といういくつか
の日本語教育の教室があり、日本語の普及にはたいへん力を注いでいる。ブラジル日本語教師国
際シンポジウムを国際交流基金の後援で開催したり、「日本語能力試験」を実施するなどの活躍
もしている。図書室も完備されていて、閲覧はもちろんのこと、児童書、実用書、文芸書、一般
書の貸し出しも行っている。常駐の日・伯の方たちが両国の文化交流に多大な貢献をしているこ
とが理解できた。
講演 サンパウロ・ビエンナーレ・ブックフェア 2 日目の 17 時からと予告され、プログラムにも印
刷されていたが、予定通りに運ばず、行事が押せ押せになっていたと見え、開会式と同じアイデ
アセンターでは、定時までに前の行事が終わっておらず、参加者一同、外のコーヒーショップで
待つことになる。結局 1 時間遅れで 18 時から始まった。特に場内アナウンスなどもなく、聴衆
は約 40 名と小規模の催しとなった。
「ブラジルに於ける日本文学の潮流」と、かなり絞った特殊なテーマであったことも小規模に
なったひとつの理由であろう。そのテーマの部分は、ブラジル側の参加者にお任せすることにし、
栗田は「心の交流をめざして―ブラジル・日本・私」と題して、同時通訳をお願いし、基調講演
を行った。
「ボア、タールジ!」とブラジル語での挨拶にはじまり、以下要約:
「ブラジル移民 100 年」の記念すべき年に訪伯して講演する光栄を得たので、日本の出版物を
海外出版社に橋渡しをしてきた者としてお話したい。今の職業を創業するきっかけのひとつがブ
48 ブラジル
ラジルと関係があることをまずご披露したい。1971 年ニューヨークからの帰途、パリで、ブラ
ジルからというチャーミングな若い女性とバスで隣り合わせになり、ベルサイユを訪れた。その
ときの話題がオーストリア生まれ、ブラジルで自らの命を絶った伝記作家、シュテファン・ツバ
イクである。
「マリー・アントアネット」
、
「メリー・スチュワート」、「ジョセフ・フーシェ」な
どを媒介に 2 人の話題は尽きず、地球の裏側に住む者同士が異国で出会い、同じ本や作家のこ
とを通じて話しが弾み、こころを通わせることができた。そのときの強い印象が、この仕事をラ
イフワークにするきっかけにもなった。
ブラジルで生活している日系人が 150 万、日本で生活しているブラジル人が 30 万、と数は平
等ではないものの人的交流がこれほど行われている例はほかに類をみないのではないか。しかし、
心の交流は残念ながら、十分ではない。BRICS の中でも、ブラジルは民主主義が定着して、資源
はあらゆる分野で充足しており、農業国から工業国に転換して日本に航空機を輸出するくらいの
実力を備えているにも拘わらず、心の交流は不十分に思える。たとえば、どのような作家や出版
物があるのか、といった情報がない。ブラジルの作家で知られているのは『アルケミスト』ほか
の著者、パウロ・コエーリョのみである。日本からは何名かの作家の作品が紹介されているが、
その数も十分ではない。
「本は沈黙の外交官」 という先達の名言がある。更なる 100 年後には、お互いの国の作家や作
品のことをもっと知り合っているように努力されねばならないし、そのようになることを心から
願っている。オブリガーダ(ありがとう)
」
パネル・ディスカッション
国際交流基金サンパウロ事務所の役員、ジョー・高橋氏がコーディネーターとなり、出席者は、
栗田のほか翻訳者の後藤田怜子(Leiko Gotoda)さん、アンジェル・ボジャセン氏(エスタサオン・
リベルダーヂ出版社社長)
、カシアーノ・エリック・マシャード氏(コサク・ナイーフ出版社役員)
である。
後藤田怜子さんは谷崎潤一郎の姪ということもあり、『細雪』、『瘋癲老人日記』など谷崎作品
を 5 点訳しておられる。そのほか、三島、大江作品を各 1 点と村上春樹の 2 点、一番の大仕事
は吉川英治著『宮本武蔵』の日本語からの翻訳である。『ムサシ』として 2 冊にまとめられたが、
著者のご遺族と相談の上、15 巻から縮めて、それでも 1,800 頁になった。これを手がけたきっ
かけは、16 歳から 12 歳までの 3 人の息子たちに日本の倫理観、審美眼、そして祖先伝来の意
志の力、完璧さ、それに到達するための厳しい教育など「侍の世界」を知らしめたかったからで
ある。しかし、翻訳原稿を持ち込んだ数々の出版社からは断られ続けていた。最後に、エスタシ
オン・リベルダーヂ出版社が、破産する覚悟で、と引き受けてくれた。
『ムサシ』を出版した、エスタサオン・リベルダーヂのボジャセン氏は、桐野夏生の『OUT』
や村上春樹作品なども出版しているが、
『ムサシ』はベストセラーというよりロングセラーで
1999 年の初版以来 10 万部売れている。1,800 頁の作品がこれだけ売れているのは稀有なこと
である。
(講談社インターナショナルが抄訳で英語版を出版したと聞いているが、哲学的な箇所
ブラジル 49
は省略されてチャンバラの部分を重点的に訳出したと聞いている。)ブラジルでは、日本の伝統
的な作品の方が、現代作家の作品よりも歓迎されている。この翻訳費の一部は、国際交流基金の
援助を受けることができた。今後も、できるだけ多くの伝統的な日本文学を中心に出版していき
たい。
『オシリス、石の神』が同社で出版されている吉増剛造氏がブラジルにこられた時は「自
然の大切さ」を強調された。日本人と自然との結びつきは、詩歌によって 100 年以上も読み継
がれていることは驚異である。しかも、日本文化の中に潜んでいるユーモアにも感心した。岡倉
天心の『茶の湯』も原語から翻訳、出版された。
高橋氏は『ムサシ』の成功によって、ほかの出版社の編集者も啓発されて、何点かの日本文学
が紹介された。
『ムサシ』の前と後では日本文学への関心の度合いが変わったと強調された。
五味太郎作『みんながおしえてくれました』を出版したマシャード氏は、見本を会場に持参、
グラフィックな美しさがあり、
白
(余白)
を巧みに利用しているデザインが印象的であると述べた。
また、
「サンパウロに生まれた子供たちは日本文化に触れる機会が多くある。自分は「ウルトラ
セブン」をテレビで見、おすしなどの食物、折り紙、カラオケ、柔道、合気道、指圧、サンパツ
(なぜか?)
、黒澤明の映画などの日本文化に接してきた。ブラジル文学にも、東京を舞台にした
作品がある。今後も日本の伝統文化を反映した児童書、文芸書を手がけていきたい。今までは文
芸書や科学書、学術書などを中心に出版していたが、デザインのしっかりした児童書を増やして
いきたい」と望んでいる。
ブラジルで出版されたときは、日本の作家に訪問していただきたいが、両村上氏、桐野氏は一
度もブラジルまで足を伸ばしていただいていない。
会場からは、現代の作品だけではなく、古典や、中世、近代の作品についての情報もほしい。
との声があった。現代については、国際交流基金が発行している Japanese Book News が役立つ
と思う。著作権の切れた作品についてはエージェントとして扱えないので、基金で判らない場合
は、ほかの文化団体を通じて情報を入手していただきたい。とお願いした。
アメリカや EU 諸国では、著作権は「死後 70 年」保護されるが、日本では?との質問があった。
日本でも早晩死後 70 年になるかもしれないが、
賛否両論があり、いずれ意見が固まるとは思うが、
現在では死後 50 年保護される、
と回答した。
尚、パネル・ディスカッションに参加し
なかった出版社からも、日本の作家の作品
は、三島由紀夫、川端康成、遠藤周作各3
点、村上春樹、村上龍、湯本香樹実の各 2
点、安部公房、五木寛之、井上靖、井伏鱒二、
大江健三郎、神沢利子、高橋源一郎、俵万智、
吉村昭、よしもと・ばなな、の作品各1点
が出されている。
ブラジルの詩人、脚本家、ジャーナリス
トでもあった文芸作家で今年死後 100 年の
マシャード・デ・アシスの作品は、彩流社
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( 場内の様子、天井は高く広々としている )
から『ドン・カズムーロ』が、
大学書林から『パラグアイ戦争』の題名で短編集が出版されている。
今回のパネル・ディスカッションが、今後の日伯両国の出版交流を更に促進するための第一歩
と捉えたい。
企業の文化活動
フォルクスワーゲン、HSBC(Hong Kong Shanghai Banking Corporation)など、図書展の会
場では企業名が目立つ。特にフォルクスワーゲンは銀色の円筒形の上にずらりと本を並べて、遠
くからでも目立つスタンドの中にはカラフルな車があり、そこから子供たちに読み聞かせをして
いた。その円筒を劇場に見立てて舞台は車、大勢の子供達で、円形劇場は満員で、熱心に話を聴
いていた。アイデアセンターもフォルクスワーゲンの名前を冠していたので、同社が提供した会
場であろう。11 時から毎日最低 5 件の行事が催されていた。
1. イタウ銀行:国内 2 番目の大銀行で、図書展開会の前々日文化センター数名の役員に迎え
られた。すでに、筆者の講演原稿に目を通していたようで、彼らが一番聞きたかったことは、
どのようにしてブラジルの作家を積極的に日本で出版してもらえるだろうか?ということで
ある。海外におけるブラジル文学の普及度の調査を研究者や翻訳者を通じて行っているとい
う。筆者が 30 年前に悩んだことであるが、当時は日本から出版に関しての情報が皆無であっ
た。Japan Book News をまず発行したのだが、本業である著作権の輸出の時間との調整と経
済的な理由で行き詰まり、結局国際交流基金の Japanese Book News にコンセプトが引き継
がれて、季刊で発行されている。経験からすると、細いパイプでもきちんとした人脈をつな
いで行くのが大切ではなかろうか。国際図書展などで、ここと思える出版社、エージェント
とを見つけて、情報交換をすることがよいと思う。ブラジルにどのような作家がいるのかを
われわれは知らない。マシャード・デ・アシスのことも今回はじめて知った。
その他にもクラリッセ・リスペクトール (Clarice Lispector)、ギマラエス・ローザ (Guimaraes
Rosa)、 カルロス・ドゥルモン・デ・アンドラーデ(Carlos Drummond de Andrade) などがいる
ことを知らされるが、どのような作品を出版しているのかの知識がまったくない。英文での情報
発信が大切、と進言した。
イタウ銀行の文化担当役員の中に、リオ・デ・ジャネイロの出版社、マルコ・ゼロの社長・編
集長だったパウロ・ヴィセーリ氏がおられ、30 年前にフランクフルトでお目にかかって以来の
再会をお互い喜んだことであった。北杜夫著『楡家の人びと』を出版、2,000 部くらい売れたと
のこと。しかし、同社は他社に吸収されてしまった。その新出版社のスタンドに立ち寄ったが、
文芸書はなく、大衆向けの出版物が目立った。
同銀行で出版された図版本をおみやげに頂戴したが、現代に活躍するブラジルの画家、彫刻家、
建築家の作品を紹介するもので、欧米の作品とは一味違った中々魅力的な作品が多かった。B4
版の 250 頁に及ぶその上製本は立派なもので、企業活動の一環として出版され、海外からの来
客に贈呈していると聞いた。また、イタウ銀行文化センターでは、美術、ダンスなどについての
ブラジル 51
インターネット百科事典を立ち上げており、このサイトはユネスコの世界無形文化財に指定され
たとのことである。
2. セスキ (SESC):ブラジル商業連盟社会サービスという団体で、一般企業は利益の何パーセン
トかを文化活動に寄付することが義務付けられており、それによって、舞台芸術などが経済的な
不安なく活動できるようになっていると説明を受けた。サンパウロに到着した夜は、国際交流基
金の招聘で訪問した日本の創作舞踊団「加藤みや子ダンススペース」の公演に招待された。公演
会場はセスキの6階建ての建物の中にあるピニェイロス劇場である。レストランも、なぜか歯医
者もあり、一般人に開放されている。柳田邦男の『遠野物語』にブラジルの民話を取り混ぜた作
品がブラジルのダンサー約 10 名をオーディションで選び、コラボレーションを行ったとか。質
の高い創作舞踊で、日・伯混合の「笑う土」と題した面白い舞台であった。
3. 2. に対して、工業関係の企業による団体、SESI もあり、SESC 同様な文化活動以外にホテルマ
ンの養成、語学教育などを含む活動を積極的に行っているとのことであった。
このように、銀行を含む企業の文化活動には目を見張るものがあり、羨ましくさえあった。個々
に、舞台芸術やスポーツなどにスポンサーがつく日本でも見習ってほしいというのが、率直な感
想である。日本の企業も、個々に一過性の援助をするのではなく、組織化されて長続きするよう
な形になることが望ましいと思う。景気のよしあしに左右されないで文化活動が行われることが
メセナの精神ではなかろうか。
書店
街角のあちこちに小規模の書店を散見したが、市の一番大きな書店、Livraria Cultura( 文化書
店 ) に、国際交流基金の岡野さんに案内していただいた。なんとおおらかな、というのが第一印
象である。螺旋になって 4 階ぐらいまで吹き抜けになった周囲に分野別に本が並べてあり、哲学、
心理学などと名札が出ている。あちこちに置いてある椅子には、買う前の本を吟味したり、座っ
て読みふける人たちがいる。1 階の中心は広場のようになっていて座ると形が変わる大きなカウ
チが 10 ぐらいあり、恋人たちが寝転がって本を読んだり、何名もが同じ椅子に座って読んでい
たり、本を自由に読んでいる。奥の喫茶室ではテーブルで話す人、本を読む人、人を待つ人、な
どいろいろで、その辺に積んである本の1冊を取ってきては読み、待ち人が来ればひょいと戻し
て出てゆく。2 階の児童書売り場は大きな恐竜の骨の模型があり、その中は子供の遊び場である。
本を読む子、
遊びまわる子などいろいろである。一般書、専門書の部門でも万引きのことなどまっ
たく無頓着のようだ。これがニューヨークなら持ち物の中身を点検されること間違いなしなのだ
が。責任者に会うことができず、流通のことなど質問できなかったが、ポルトガル語が読めなく
ても、この書店では時間がゆったりと流れ、何度でも来たい場所であった。同書店の支店が他に
2箇所あるとのことだったが、そこには立ち寄ることができなかった。
52 ブラジル
図書館
サンパウロ市立文化センターにも立ち寄った。地下を上手に利用している広い敷地の文化施設
で、夜の演奏会のリハーサルなのか、ピアノを弾いている人がいる。その会場を見ながら進むと、
図書館の入り口で、そこで鍵をもらい、自分の荷物やコートをロッカーに入れて、図書室に向か
う。ゆるやかなスロープを下りると分野別の書棚が吹き抜けの下に広がる螺旋状のスロープの周
囲にあり、自然の採光が取り入れられているので、地下室の暗いイメージはない。子供に本を読
み聞かせる場所には小さな色とりどりの椅子がたくさん並べてある。読者は必要な本を自由に取
り出して、机に持参して静かに読むようになっており、貸し出し可能の受け付けもあった。帰途
は緩やかなスロープを登って荷物を取り出したら、入り口とは別に出口があり、鍵は箱に入れれ
ばよい。閉ざされて湿った雰囲気ではなく、明るく開放的な図書館であった。
国際交流基金でも、日伯文化連盟でも図書室を見学した。かなり古い今では日本で入手できな
いような全集などがそろっていた。新刊は注文してから 3 ヶ月くらいかかるらしいが、日本で
探し出せないような貴重な本が埋もれているかもしれないと思えた。日本語、英語、ポルトガル
語の図書、
雑誌、
視聴覚資料を所蔵している。
日伯文化連盟では一般人も自由に出入りができるが、
基金のほうは大きな市内のビルの2階にあるため、セキュリティーが厳しく、気軽には入れない
のが利用者にとっては不便である。しかし、身分証明書、住所証明、写真を提出して登録、利用
者カードを取得しておけば、閲覧も 2 週間の貸し出しサービスも受けることができる。
雑感
ブラジルは BRICS の中でも最も安定した発展を続けているようだ。多人種、他民族国家であ
りながら、部族間の争いもなく、民主主義が浸透している。特定の資源に頼らず、ほとんどすべ
ての資源を保有す世界最大の資源国である。中でも、砂糖黍からエタノールの開発がなされてエ
ネルギーの供給をはじめ、あらゆる農産物に恵まれている。さらに民間企業の力が強く、工業国
としての発展が目覚しい。
(日本航空がブラジルのエンブラエル社で生産された燃費効率のよい
ジェット機を購入し、2010 年度末までに 10 機を導入することが先ごろのメディアでも報道さ
れた。
)
しかし、ブラジルのアキレス腱ともいうべきは、犯罪の多さであろう。外務省からの通達でも
銃による被害には十分気をつけるように実例が並べてあり、ひったくり、強盗なども頻繁に起こっ
ていると注意を促していた。すれ違うパトカーの窓から 10 センチばかりの銃口が突き出ている
のには寒気がした。治安が悪く、犯罪が多いのも貧富の差が原因かも知れない。貧困層のスラム
街は空港から街中に入る途中にそれとすぐわかり、多く見られたし、それは高い文盲率となり、
教育面でも大きな問題になっていると思われる。本の定価を下げるように、と大臣や市長が述べ
ることで解決することではないように思える。出版社も、低い定価に設定した図書が多く売れる
ことが望ましいわけだが、平均初版部数が一般書で 3,000 部、文芸書で平均 2,000 部と少ない。
パネル・ディスカッションに参加した出版人の 1 人に定価の設定方法を聞いてみた。特に書面
での約束はないが、結局、出版社、書店間での紳士協定で定価設定をして、返本も受付け、委託
ブラジル 53
販売のような形態の取引になっている。それでも、大出版社と違って小出版社の販売力は広い国
土では運賃もかかりなかなか難しい。マークアップ(製作コスト+印税の倍率)は約6~7倍。
頁数で計算することもあり、例えば、230 頁の本は頁あたり 17 センタボで定価 39.10 レアル ( 約
23 ドル )、厚めの本で 350 頁の場合は頁あたり 13 センタボで 45.50 レアル (27.30 ドル ) を目
安にしているとのことであった。日本の 23 倍もある国土に本を平等の価格で行きわたらせるこ
との困難は容易に察しがつく。( 上記換算レートは 08 年 8 月時点 )
ブラジルで長年生活していた知人、友人が犯罪に気をつけろと忠告する。欧米のどの国を訪問
するよりも緊張した。しかし、国際交流基金の配慮で空港までの送り迎えがあり、防弾装置のあ
る公用車を国際交流基金サンパウロ所長の西田氏のご好意で乗せていただいたり、同基金の岡野
道子さんがほとんど付きっ切りで案内や通訳をして下さったために、滞在中怖い思いをしなくて
も済んだことは誠に幸いであった。英語が意外に通じないこともよく分かった。
しかし、移民資料館でさまざまな 100 年の日系人の苦労を知るにつけ、すでに6世にまでなっ
ている合計 150 万人の日系人とブラジルの人たちには、もっともっと過去から現在に至る日本
のことを知ってほしいと思う。後藤田怜子さんの、息子たちに日本の精神を教えたいという翻訳
の動機には感銘を受けた。ブラジルに永住すると決めた日本人にとって、日本はいつまでも変わ
らぬ、礼節を重んじる美しい故郷なのだ。その文化を出版を通じて更に知らしめ、理解し合う、
子孫たちにつなげていくことの大切さを思う。
いつもながらきめ細かな対応をして下さった(社)出版文化国際交流会の横手多仁男氏、国際
交流基金の高畑律子さん、同サンパウロ事務所長西田和正氏、担当の田村大吾氏、岡野道子さん、
中田グレースさんほか、ご協力くださった皆さん、初めてのブラジル訪問の貴重な機会を与えて
下さった関係者の皆さんに心から御礼申し上げます。
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